長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

もんげー岡山

2015-07-31 08:26:06 | Weblog

休みに銀ブラをした。

錦糸町から、東京駅で乗り換え、山手腺で有楽町まで160円。

その有楽町のホームに、まじめそうな男の人と、女優さん、歌手

が「もんげー岡山」というポスターになっていた。ホームにあるベンチの上で、

ベンチには、お年寄りふたりが座っていて、その奇妙なポスターを不思議そうに

ながめる僕を、もっと不思議そうな顔してみている。

昨日「もんげー岡山」を検索したら、おもしろくなって、めずらしくPCを

一時間くらい見ていた。人生観が変わるかもなんばん。

実家があるあたりの「宗像大社」が世界遺産になるような記事も見つけた。

ゆっくり余生を過ごす予定の静かな神域が、かしましくなりそうだ。

岡山あたりに次の候補地を見つけるのもいいか?とか思う。

明日はライブ。超満員になったので、今朝は新しい席をつくる掃除を

してみた。すごく汗をかいた。生きている、を感じる瞬間でもある。

岡山では「もんげー いい汗をかいた」というらしい。感謝。

 


朝の銀ブラ

2015-07-30 07:56:35 | Weblog

「銀座でブラジル」のことを銀ブラという。それが時代の移り変わりで

銀座をブラブラすることが「銀ブラ」になり、今では円安と経済力のシフトなどにより、

奇妙キテレツなファッションをした人たちが、銀座のブランドショップなどにたむろするようになった。

ぼくの場合は、どうしても必要な調味料をときどき調達にいくついでに、骨董屋をのぞく、その後

は「ころっけ蕎麦を食べながら酒」というけっこうワンパターンな銀ブラだ。でもこの聖域のような場所

にも、外国人が足を踏み入れようとしている。骨董の世界でいえば、もともとこちらが本家よ、

とばかりに、煎茶道具を爆買いする中国人が増えているらしい。

中国から渡ってきた道具を「わたり」という。煎茶を始めた20年くらい前には、どこの骨董屋にも「わたり」

の茶碗や涼炉や茶托が置いてあった。天真庵の二階で煎茶のお稽古をする時にも、「わたり」はけっこう

使う。ときどき蕎麦を手繰りにくる骨董屋さんたちも、「これ売ってくれない」とかいわれたりするけど、渡り哲也

よろしく顔で「わたりはゆずれない」などと冗談っぽくことわっている。

今朝は玉露を入れて、冷蔵庫に入れ、朝食後にそれを飲みながら、熊本の友達とHPの打ち合わせ。

どんなに忙しくしていても、お茶を一服している至福の時間を大切にしたい。喫茶去。

 

 


東京駅の孤児

2015-07-28 08:52:27 | Weblog

10年くらい前に、知人がそんな小説を書いた。「東京駅太郎」とか「東京駅次郎」とかいうタイトルだった。

今朝の新聞に、戦災孤児の記事があった。横浜の大空襲で被災し、両親をなくし、

無賃乗車で東京にでてきたり、喰う為に、トマトを盗み、友達と走って逃げるときに、

相方が米兵のジープに轢かれれ即死、血とトマトがいっしょに道に広がり、それから

トマトが食べられない・・・・

昨年、同郷の先輩が熱中症で死んだ。80歳だった。

やはり小倉の大空襲で孤児になり、しばらく小倉駅で暮らしていたらしい。しばらくして、

大阪の「やし」が「にいちゃん、いっしょに大阪いかへんか」といわれ、そのまま大阪にいって「やし」

の修行をし、その後東京にきて建築関係の仕事をしていた話を、ときどき天真庵の珈琲を飲みながら

話してくれた。昨年の夏のある日、近くを散歩していて、気分が悪くなったらしく、救急車で運ばれ、

翌日召された。そんな戦災孤児が17万人くらいいたそうだ。

美和さんではないけど、アホな政治家が戦争をしたがっているけど、まず自分たちがヘルメット

をかぶり、鉄砲担いで戦場にいってこい、である。

平和という言葉がいらないくらい、日々是好日の日が続きますように。感謝。


夏は焼き鶏ORもつ煮?

2015-07-27 07:19:15 | Weblog

キラキラ橘商店街の鳥やさんは、花火の前日は一家あげて

焼きとりの準備に忙しい。嫁にいった娘さんたちもかりだされる。

すててこや浴衣着て縁側で焼きとり片手にビールで花火を楽しむのがならわしの人たちが

あまたいることを知る。この街にきて9年になるいけど、毎年その忙しさがゆるやかになってきているらしい。

不景気だけのせいではないと思う。「もつ煮」というのが、最近女子をはじめ大きくはばをきかせてきているし、

宅配のピザでビールというのもだいぶ日常になってきた。天真庵の前にある「すしの宅配やさん」も、その日は

お店の前でもちかえりの鮨の特価品販売をやっていた。おもわず「のりまき」を買ってビールの酒肴にしながら

花火を見た。これはこれで「ありかな」と思ったりした。

ひさしぶりに「腹違いの弟」(種も違うけど)が花火を見にきた。彼は焼酎党だったけど、ある日、

久保さんの薄手の志野のぐいのみにほれこみ、それから日本酒党になった。ちょうど八郷にいった

帰りに「渡り舟」を調達してきたので、新作の薄手の焼き締めで飲ませた。ら、また目を丸くして

「この器で飲むと、酒が一段と美味くなりますね」とのたまう。

今日は二十年続いている「順受の会」通称「論語の会」だ。

論語読みの論語知らず、という言葉がある。うちのかみさんもよくオウム返しのように

そんなことをのたまうときが、ままあった。でも今はこの会に積極的に参加している。

天真庵のトイレにこんな詩をかかげてある。

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

恋は遠い日の花火ではない

2015-07-26 08:30:06 | Weblog

そんなフレーズのCMがあった。

昨日は「隅田川花火大会」。17時からいついものように、

ギターにじんじんさん、ハーモニカのまつもにかさんのユニット「もにじん」

さんが浴衣を纏って、素敵なボサノバを演奏してくれた。灼熱のブラジル音楽

であるために夏にはぴったりだし、汗かきながら聴くと最高の音楽だ。

ブラジル音楽には「ほぼブラジル」がよく似合う。でもアルコール

が入ったほうがよりいいので、この日は珈琲焼酎の「カフェイン」がよくでる。

ぼくてきには「人生観が変わる米焼酎」を飲むのが一番だと思って、自分も

またものじんさんたちも飲みながら演奏してもらうのが、ならわしだ。

月曜日の「卵かけごはん」が終わり、夜「順受の会」をこなすと、7月が終わる。

8月も、ボサノバで始まり、クラシック音楽が続き、締めは沖縄の三線。

暑い夏は、暑く暮らすがいい。庭の萩や槇の木が塀を乗り越えるくらい元気なので、

少し手入れをしたら汗が噴き出した。これから日本の夏本番。

 


隅田川花火大会 15時閉店なり

2015-07-25 08:19:20 | Weblog

池袋にいるころは、隅田川花火大会はテレビで見る、ときめていた。

とてもじゃないけど、暑い中電車にのって墨田川越えて、人ゴミの中で見る、という

気持ちになったことが一度もなかった。天真庵まわりでは、そんなに人もいなくて、ゆっくり花火

が見れる場所がいくつもある。ただ開店の次の年あたりから、この日は「浴衣ライブ」をやっているので、

ゆっくりみたことはない。今日はその「浴衣ライブ」の日。浴衣を自分で着れない人ははやくきてもらうと、

二階でおかみさんが着せてあげる、という方式をとっている。

なんとか天気は持ちそうだ。日本の夏、ではないけど、これが終わらないと夏がこない感じがする。

今日のアーティストは「もにじん」さん。ギターのじんじんさんとハーモニカのまつもにかさんのおふたり組。

じんじんさんのお弟子さんがまた来月そうそうに弾き語りコンサートをしてくれることになった。

夏は「ライブ」がいい。

1日(土) ボサノヴァ 夕涼みズ

演奏:山本ほかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥2,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

4日(火) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・大宅裕(ピアノ)・宮坂拡志(チェロ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)

 

29日(土) 沖縄 Song Night

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

17時開場 17時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

 


今日は出舟祭り 明日は隅田川花火大会

2015-07-24 08:32:59 | Weblog

久しぶりに八郷にいってきた。昨年11月に「しげふじ」という蕎麦屋が緞帳を下げた。

うちの珈琲豆の石臼と同じ石職人の石臼で大豆を挽き、自家製豆腐を毎日つくっていて、

それを酒肴に「渡り舟」を飲みながら、眼の前の渡り舟という酒米の春夏秋冬を見ながら酒を飲む、

という贅沢な時間がもてる蕎麦屋だった。今年の連休明けに、この店が後輩が注ぐことになった。

「た辺」いや「田なべ」という看板。豆腐はないけど、地元野菜が前菜につく。それを酒肴に「渡り舟」を

飲む。人がかわっても、前に広がる田んぼの風景や里山の風情はそのまんまだ。

帰りに鹿島大社に寄って参拝し、お店にもどったら、久保さんから新作の酒器が届いていた。

薄ての焼き締めと斑唐津のぐいのみ。煎茶にも使えそうなくらいの大きさと品が具わっている。

さっそく玉露を入れてみた。口当たりがすっきりしていて、口の中に清風が吹くごとし。

斑唐津のほうには「死神」を入れて、一献。「備前と徳利に斑唐津」というのは、昔から左党のあこがれ。

昔から、急須は「美しい乳房」を連想しながら陶芸家も焼いてきたし、茶人もさもありなん、という傾向がある。

徳利は「ちんことっくり」というがごとく、「おとこ」の体を連想させるものがある。久保さんの「ちんことっくり」は

勢いよく酒がでて、しかもきれがいい。いつまでもかくありたい、という願みたいなものを彷彿させる。

最近は「夏吟」とかいって、飲みやすい酒をグラスに入れて飲むのが流行りらしいが、やっぱり、

ちんこをさすってもらったり、しながら好きなぐいのみで飲むほうが、粋ではあるまいか。

そんなことを久保さんと電話で話ていたら、二階で「蕎麦遊び」の予約が入った。

煎茶や普茶料理というのは、「喫茶」と「酒席」と「食事」の三要素が含まれている。文人たちが書斎で、

茶を飲み、酒を酌み交わし、季節のものでさっと食事をつくる、ような無類の楽しみがそこにある。

今回の「茶器」兼「酒器」と新しいちんこ徳利が加われば、天下無敵の普茶の会が、できそうである。

日々自分を磨く。器も磨かれる。「あのひとは器が大きい」なんていう器は、日常に使う陶器などを愛でて

きた日本人の美しい日常会話。大切にしていきたいものだ。

今日は天橋立で「出舟祭り」がある。三輪福さんがアマテラスさまになって踊る日。

明日は「隅田川花火大会」  ライブをやるのでお店は15時閉店。


大石学でよがる

2015-07-21 08:25:13 | Weblog

昨日は「大石学ソロライブ」

ほとんどのお客さんが常連さんだけど、ひとりヨガのメンバーが入った。

インヨガの日は、二階でヨガをやるのだが、音楽は一階でボクが勝手に選曲する。

在る日、「WATER MIRROR」をかけた。ら、その女性が「すごくよかった」とヨガった。「それはよがったね」なんて。

そんな縁で「大石ワールド」にはまったらしい。みんなきっかけはそんなことだ。でもそんなことを、瞬間に拾い上げる

感性を持った人は幸せだと思う。声なき神の声というのは、聞こえる場所とかがぜったいあるように思う。

生前のセシルが「こんちわ。これ大石さんからのプレゼント」といって、「WATER MIRROR」

を持ってきた。隣の隣に住んでいた。カウンターに座って「クロキリのロック」を飲みながら、ふたりで聴いた。

それからすぐにライブを天真庵でやった。あくる年、2011年の夏に千葉の館山でモンローは帰らぬ人になった。

その事故の一週間前に錦糸町で「ジャズフェス」があり、休憩時間に大石さんとセシルが天真庵のカウンターで

「クロキリ」を飲んだ。それから毎年「海の日」を天真庵で大石さんがやってくれるようになった。

「おはようございます」とお店入ってくると、カウンターに座って「クロキリロック」を献茶式みたいにして飲むのが

ならわしだ。それからピアノを弾き始めると、横でいつものようにセシルのドラムが聴こえてきそうになる。

セシルが亡くなった時、その訃報を電話で教えてくれたのが、「国貞雅子」だ。最初は大石さんのライブに

お客さんとしてきてくれたのに、その縁でふたりはいっしょにセッションをしたり、CD「M」(雅子のM)も

できた。そしてびっくりしたのは、ふたりの音楽の先生が一緒、つまり、N響の山根さんと3人とも同じ「師」

持つということだった。

来月4日はその「やまね組」のコンサートを天真庵でやる。猛暑は続くけど、ねっこ繋がっているを

感じながら聴く本物の音楽には、人生を一瞬にして変えてしまうような力があるような気がする。

今日は「書の会」  その山根さんもこの会のメンバー。茶・花・書・・・日本の芸術も根っこは繋がっている。

 

 

 


本日は大石学ピアノライブ

2015-07-20 07:45:18 | Weblog

月曜の朝は「卵かけごはん」

今日は「海の日」だけど、産みたての卵を用意してこれからスタート。

昨は梅雨あけで、開店直後はゆっくりしていたけど、途中からてんてこなって、

珈琲の豆も蕎麦も、米櫃の底が空状態に・・・・    

いけない、開店の時間だ。今日は年に一度の「大石学ピアノライブ」。一年前から

ほぼ満席の会。16時で閉店です!

20日(月・祭) 大石 学 ソロ LIVE (ジャズ) !!<(_ _)>満席!!

演奏:大石 学(ピアノ))

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

25日(土) もにじん花火大会 らいぶ

演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)

17時開場 17時半開演 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)

ドレスコード:ゆかた・甚平

 

 


しん窯

2015-07-19 08:25:47 | Weblog

新しい窯ではない、有田の古い伝統を持つ「しん窯」。創業は天保1830年かららしい。「青花」

という白磁に藍色の染付の絵が美しい器を生産している。

甥っ子のこうたくんが、そこのぼんを連れて蕎麦を手繰りにきた。旧知の仲らしい。

たまたまだけど、昭和50年代に、青山にあったギャラリーで、「異人さん」の絵のついた珈琲カップ

を購入した。「いつか珈琲屋をやるときに使おう」と思って、九州の実家に置いてあった。実家に帰る

たびに、珈琲をそのカップで飲んでいたら、ひとつのグリップがかけた。それをまた東京に持ってきてしばらく

愛用していた。今はショールームの中に飾って、久保さんの黄瀬戸の珈琲ドリッパーを上にのせている。

ソーサーは、カウンターの上の梁のところのランプの横に飾っている。ときどきお客さまに「素敵ですね」

と褒められたりする。と、「あなたの感性がいいからですよ」とかえしたりしている。ライブの時など、その異人さん

がパイプをくゆらせ、踊っているように見えたりするほど、ゆったりと自然なタッチで描かれている。

有田焼の陶祖「李参平」が1616年に始めたのを原点とするので、来年は400年にあたる。

佐賀の「売茶翁」(ばいさおう)が、昨年没後250周年だった。黄檗の禅僧の位を捨て、58歳で上洛し、

「ていらん」に茶道具を入れ、下賀茂神社の糺の森や、南禅寺界隈でお茶を供しながら、池大雅

や伊藤若冲や陶芸家の木米や太田垣蓮月など、京都の文人たちに煎茶が広まった源流に売茶翁はいる。

死ぬ間際に、自分の使った茶道具をぜんぶ焼いてしまった。茶という一期一会の禅にも繋がる思想の完結には

ふさわしい儀式であり、彼の「哲」が終結されていて素敵だ。たぶ彼が最初に使った道具は、有田の薄手の白い

磁器だったろうと思われる。

これからまた「有田を世界へ」と夢いだくぼんに、昨日は京焼きの井上春峰の「すすり茶碗」で、星野村の玉露を

出した。時空を超えて、李参平や売茶翁や、無名の陶工や染付師や、京都の文人、江戸の趣味人たちと、いっしょに

茶会をしている気分になった。売茶翁は「自然の流れに身をまかせて生きることは清いことだ」と言っていたらしい。

彼はいつも「清風」と書いたものを茶店の看板にしていたらしい。

波打たない静かな呼吸でゆっくりと入れたお茶を飲む。飲む、というより、「喫する」。

そんな気持ちを禅では「喫茶去」(きっさこ)といい、お茶を一服できる場所を喫茶店といった。

いつしか時代がかわり、「きっちゃてん」になったり、最近ではみな「かふぇ」という。

今日は日曜なので16時閉店。それから「蕎麦打ち大会」

明日の朝は「卵かけごはん」 ときどきくる若者がいる。「有田焼を世界に」という仕事をしていて、

住民票は佐賀のしん窯のギャラリーにある。たまたまだけど不思議な縁にびっくりしている。

明日の夜は「大石学ピアノライブ」

4日の山根さんと大石さんは同じ下関西出身。来月は宇部で山根組のコンサートがあり

そこにいくことになった。こうたくんの母、つまりぼくの妹もいっしょに山根組を堪能する。

なんかゆっくりとした流れだけど、一本筋の通った大きな川がゆらりゆらりと流れているような気持ち

がしている。清らかな聖水で玉露や珈琲を飲みながら、いい音楽を聴く。日々是好日。