長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

島原からはまちが届く

2016-11-29 08:25:30 | Weblog

昨日の午前中は「卵かけごはん」だった。

こんどの日曜日にお店を休みにして、茨城の「暮らしの実験室 やさと農場」に蕎麦打ちにいく。

今年で3年目。一年目は、泊まりでいった。昨年も今年も前日にライブがあるので日帰り出張蕎麦打ち会になる。

昨日は、その「暮らし・・・」でつくっている「まじめ卵」を使った。「天真庵流無手勝手流たまごかけごはん」の食べ方

で食すと、おいしさが倍音のような感じになる。筆舌を越えた超絶技巧だ。

それが10時終わって買い物にいく。帰ってきたら、島原・・・の箱が届く。島原の太公望の「やっさん」が一本釣り

したもので、きれいに血抜きされていて、「さっきまで島原の海で泳いどったばい」という顔をしている。

開店まで30分。ブリといってもいいような大物にメス、いや、出刃を入れてさばく。ちゃんと3枚におろし、

刺し身用に「さく」をつくり、残ったアラをかったぱしに、寸胴にいれ、準備完了。

「ぶりだいこん」ならぬ「はまちだいこん」にし、なんとかのれんがだせた。同時に、今月の「島原蕎麦会」に参加してくれた

Mさんが来店。大きな声で「ふみぜん」という。さっそく寸胴の中の「はまちだいこん」のはまちを酒肴に出す。

「ぼく、終の棲家を島原か天草にしたい」とのこと。この人は、いつもポツリと冗談みたいなことをいうと、そのおもいを

確実に実現していく人。来年の年末には、「天草で釣ったブリばおくる」とかいうことになっているかもなんばん。

平日の月曜日なのに、日曜日なみに人がきて、満席になった。こころの中で「魚がスムーズにさばけてよかった」と安堵。

「満つまめの会」も、休憩する暇もないくらい人がきたので、19時に「論語の会」がはじまるころ、「おさきに失礼します」

とマーくんが挨拶したのが、本日の会話、だった。

論語の会では、その魚を酒肴に、島原の話で花が咲いた。この会の先生は鹿児島産だし、幹事さんは長崎の諫早(いさはや)産。

ぼくが福岡産。九州人度が高い会である。

各地で「ふるさと創生」が叫ばれているけど、その土地土地にあったものを、無理くりではなく、自然発生的

に、そして持続可能に必要な「胆」をすえ、地元の人たちと共に楽しみながら生きていく覚悟をもち、こころゆたかに暮らす工夫を

しながらやっていけば、この国は「いたるところに青山あり」の国がもどってくるような気がする。

今日は「書の会」。「明日は鰤になれ」とでも書こうか?今日は「はまちのにぎり鮨」をやる予定。

もちろん参加者みんなが参加、が、天真庵流。明日の「おんなかっぽれ」は、「はまちのしゃぶしゃぶ」にしてみようか?

書きながら、自分にプレッシャーをかけている。そんなことよりも、これから珈琲豆を焙煎しないと、今日のお店の営業に

支障をきたすことを忘れている。

というわけで、今日は「書の会」

明日は「おんなかっぽれ」

12月の3つのライブはお陰さまで「満席御免」とあいなりました。

島原そば打ち倶楽部も、元気にそばを打っているようだ。ひょっとしたら、来月中あたりに、また元気な魚が

飛んでくるかもなんばん。そば粉と原始的ぶつぶつ交換するのがならわし。

 


裏が幸せ

2016-11-28 07:26:54 | Weblog

酒井順子さんの本の題名。読むと、裏に住みたくなる。裏社会ではない。裏日本。

なんでか知らないけど、最近ぼくのまわりで裏に移住する人が多い。きのうも蕎麦のお弟子様の

人が、「来月島根に移住します」と挨拶にきた。うらやましいかぎりだ。まさに「いたるところに青山あり」だ。

洋服の青山ではない。「せいざん」。住めば都、そこが楽園、といったところだ。

たっくんが釣果をかかえて夕方やってきた。かわはぎ、海たなご、はぜ、イトヨリ、カサゴ・・・もう一二匹がクーラー

の中にいた。はじめてのお使いならぬ、海釣り。さしみにする大きさではなかったけど、これからの彼の釣り人生に

大きな期待がもてる「最初の一歩」だ。「人のいく裏に道あり花の山」 やはり「裏」である。

「満つまめの会」も、19時には閉店。マーくんは傘もささずに(さすと光が遮断され、歩きにくいらしい)、それから

日本橋に住む高齢者の家にいって気功を施す約束があるので雨の中を歩いていった。

今日はこれから「卵かけごはん」夜は「順受の会」

今日も二階で「満つまめの会」は19時まで。まーくんのお客様が、すごい勢いで増えている。

明日は「書の会」 かっぽれ、書の会は、先生を含めほぼ全員がまーくんのファン。

 

 

 


釣りバカ人生の始まり?

2016-11-27 08:34:14 | Weblog

昨日も「満つまめの会」が大盛況だった。

本日も続いて「満つまめの会」。健康で持続可能な元気の和が不思議な縁でつながっていく。

今日は日曜日なので、お店の営業は16時までだけど、二階の「満・・・」は、17時まで。

今日は微妙な天気だけど、4歳になったたっくんが、海釣りデビュー。たぶんビキナーズラックで

大きな鯛あたりを釣果にしてもってくるかもなんばんなので、大きな出刃を昨日研いだ。

釣りは「鮒釣りにはじまり、鮒釣りに終わる」なんていう格言がある。ぼくらの小学校時代はのんき

なもので、小学校のプールが使われない秋から次の年のプール開きまで、学校のプールに

鮒を飼っていて、けっこう自由に釣りができたいたような記憶がある。今移住したい街の上位

にある「折尾」(おりお)というところのとある小学校か中学校は、その当時は一般市民に開放されて

いて、鮒釣り名人たちがあまた集まっていて、ぼくも小学校の低学年のころよく通い、

「ぼうず、この年からめじめに釣りをやり続けたら、プロになれるぞ」なんていわれた。

すぐに、釣りから野球の方に興味がシフトしたので、プロどころか、ずぶのシロウトのままだが、

ときどき九州に帰ると、釣り竿をもって海にはしる。3月にはまた島原で「蕎麦会」があるので、ぜひあちらの

太公望さんについて、釣りを勉強したいと思っている。

今月の「島原の蕎麦会」のとき、酔った勢いで「南島原蕎麦倶楽部」?ができた。

昨日も蕎麦を打ったらしい。少し蕎麦粉をおくったけど、「そばもん」がなつきくんの指にどんどん

とまっているようだ。近々、「はまちをおくる」と太公望さんから電話があった。原始的ぶつぶつ交換で、

蕎麦粉をおくる、のがならわしになってきた。今のグローバルな貨幣とは、まったく違った「やりとり」

で営みをすることは、ほんとうに楽しいいものだ。トランプで世界がスランプになった時の切り札は

きっと、このあたりに、コツがつまっているように思う。

明日の朝は「卵かけごはん」 夜は「順受の会」  日中は「満つまめの会」

火曜日は「書をしよう会」

水曜日が「おんなかっぽれ」

 


アフリカから普茶料理食べにやってきた。

2016-11-26 08:29:58 | Weblog

昨日は「満つまめの会」だった。二日目だけど、本格的に

一日通しでやるのははじめて。ゆみちゃんがエステで使うカーテンも使わせてもらい、

大石さんのピアノをBGMにして、いい感じのしつらえになった。昨日はマーくんの目の調子も

よかったみたいで、床の間のベンガラの壁と高泉の掛け軸が認識できたみたいで、よかった。

まーくんのお母様も挨拶を兼ねて蕎麦を手繰りにこられた。「まーくんはこれから世界中の人助けを

しますね」というと、「生まれつき目がほとんど見えない子ですが、よろしくお願いします」といわれた。

今日も12時から「こりこりさん」たちが、やってくる。

昨日は7時までやって、それから二階を「普茶料理モード」にした。アフリカのケープタウンとオーストラリアの

ニースからやってきた青年たちの蕎麦会。湯豆腐も、そば豆腐も箸で上手に食べ、蕎麦もつるりと手繰り、

すすり茶を飲み干して、帰っていかれた。幹事のAさんとは、来週の日曜日の「暮らしの実験室 やさと農場」

での蕎麦の会でまた蕎麦をいっしょに手繰ることになっている。

昨日メールがきて、島原の「くちのつ巷焙煎所」で、本日そば会をやる、とのこと。島原そーめんとそばが肩を並べる

ような時が、いずれくるかもなんばん。

明日も「満つまめの会」  夜は「鮨会?」 4歳になったたっくんが、海釣りデビュー。「釣れたら魚さばいてね」

と頼まれたので、出刃を研いでまっていようと思う。

月曜日の朝は「卵かけごはん」  この日も「満つまめの会」 夜は「順受の会」

火曜日が「書をしよう会」 師走のような感じで11月が走る。

水曜日が「おんなかっぽれ」


雪が降ると、桶屋が儲かる?

2016-11-25 08:37:25 | Weblog

正確には、雨が降ると・・・か?

どこかでチョウが羽をひらひらさせると、地球の反対が大嵐になる・・

そんなことがまことしやかに伝えられる今日このごろ。

昨日は天気予報どおり雪になった。今日は「普茶料理」の予約が入って

いるので、いろいろ買い物と仕込みが普段よりあって、午前中は買い物で終わった。

今年は還暦を迎え、厄年でもある。最初の厄年は24歳。京都に住んでいて、8月に

パスタかなんかの箱を持っていたら、ボキッという音がして、そのまま病院いったら

「骨肉腫」といわれ、即入院し手術をした。そのころは、死刑宣告みたいな病気だったけど、

奇跡的に回復し、毎日元気にそばを打ち、珈琲を焙煎し、夜は寺子屋で若い人たちと酒を酌み交わし、

談論風発する毎日。厄年というのは「人の役にたつ年」だと、真ん中あたり(40代)の本厄のころ思った。

普茶料理は「大衆に普(あまね)に茶を施す、という言霊で、黄檗山を開いた隠元和尚が日本に伝えた料理。

京都のお寺のまわりにおいしい豆腐屋があるのは、その影響もあり、豆腐とかおあげや葛なんかを使った精進料理。

そこのしめに蕎麦を出すのが天真庵流。もちろん般若湯もどきの酒も飲む。

あまり原理原則にこだわると食べるほうも、作るほうも窮屈になるので、そのあたりは、臨機応変、融通無碍、無手勝手流でもある。

今日は毎年、出張蕎麦打ち祭りをやってくれている「暮らしの実験室 やさと農場」関連の人たちなので、これからの「暮らし・・・」

の未来形みたいなものをやろうと思っている。この寒い季節の普茶料理に必ずやるのが湯豆腐。京都の「たる源」の湯豆腐桶を

使っている。寒い時には湯豆腐が食べたくなる、すなわち湯豆腐桶屋が儲かる?

たる源の桶についている織部の徳利には、

「湯豆腐や自薬の酒の一二杯」という久保田万太郎さんのうたが書いてある。なんとも風流だ。

彼のほかのうたに

「湯豆腐や命の果ての薄明かり」というのもある。またまた風流というか、風雅の極致のような世界だ。

今日は「満つまめの会」  カリスマ気功師の満つまめくんが、気功整体をやってくれる日。日々是好日。

 


♪小倉生まれで玄海育ち・・・

2016-11-24 08:54:40 | Weblog

無駄のない不思議な縁で「言葉の海へ」も公演にいったきた。

日本で最初の国語辞書「言海」(げんかい)をつくった仙台の「大槻文彦」の物語。

「これが演劇や」という感じで、興奮がさめず、本郷からぶらぶら歩いて押上に帰ってきた。

言海の生まれる時代は、江戸から仙台まで歩いて一週間かかっていた、というのが劇の中にあった。

なあに、本郷村から押上村までは、2時間もあれば充分だ。でも途中で、上野広小路の鮨屋で一時間

休憩をしたが・・・

演劇のあった「求道会館」は東大の赤門の反対側の一本奥の筋にある。ぼくと久保さんがあう

きっかけをつくってくれた「おくじー」というIT業界では、ちょっとしられた重鎮さんが、すぐ近くに住んで

いたので建物は知っていたが、中に入ったのははじめて。日本に初めてアールヌーボーやを本格的に紹介したとい われる建築家・武田五一(たけだごい

ち)の設計だ。今は東京都の指定有形文化財になっている建物。和洋折衷というより、日本人がまじめに宗教とかとかかわっていた時代の建物、

といったあたたかさがある空間だった。

俳優さんが茅野利安さんという仙台中心に活動している俳優さんと、坪井美香さんのふたり。そこに黒田京子さんのピアノ。

この三人で一時間半ぶっとうしでやる、という内容ともども硬派な演劇である。

先月LUNAのライブで黒田さんがピアノを弾いてくれ、カウンターに置いてあった「言海」を見て、「不思議な縁を感じます」

と叫んで、この「言葉の海へ」を知り、しかも一回きりの東京公演の日がたまたま水曜日だったので、宝のような観劇に感激した。感謝。

明日は仙台である。興味のある方は、「ココロノキンセンアワー」(080-1656-0003)まで。

心の琴線にふれる・・・いいネ。

明日の天真庵は「満つまめの会」

夜は「普茶料理の会」がある。来月は「忘年会を兼ねた普茶の会」がぼちぼち予約が入ってきた。

年末の「自分で年越し蕎麦を打つかい?」の予約も入りはじめた。

 

 


ぎんかどう?

2016-11-22 09:05:41 | Weblog

なんか、そんなものが流行っているらしい。

大好きな雑誌に「銀花」というのがあった。廃刊になったが、ときどき古本屋でみかけると、

リュックいっぱい買いこむ癖がある。満つまめくんのおかげで五十肩は過去のものになったが、

その原因はきっと、古本屋巡礼のせいだと思う。

「ぎんかどう」。正確には、華道吟、舞台の上で詩吟にあわせて、花を生ける、ということらしい。

同じことだけど、書道吟というのもあるらしい。「和」のお稽古は、どこも絶滅危惧種のようなもので、

座して死をまつよりも、というわけで、いろいろ新しい工夫をして生き残りをかけている、ということだろう。

先人が伝えたかった「こころ」を裏切らない程度に、時代時代にあわせて、融通無碍にかえていくことも

大事だけど、ぜったいに変えない、と死守するような神域みたいなところも、大事だと思う。

今朝、ひさしぶりに「ぐらり」と大地が揺れた。寒い日の地震は、火のあつかいに注意が必要だし、震源地

はもっと寒いので、大変なことだ。自然災害はしかたない部分があるけど、5年たった今でも「原発」の

安全を心配が先にたつことに、人間のおろかさ、みたいなことを感じる。

今日は「タイムドメイン」

2日(金) 国貞 雅子 ソロ LIVE 19時開場 19時半開演

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

3日(土) ゆさそばライブ 19時開場 19時半開演

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

¥4,000(蕎麦・珈琲付き)

 

10日(土) 二人のギターライブ 19時開場 19時半開演

演奏:井上 智(ギター)・赤須翔(ギター)

¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)


星の降る村・・・俗のないきれいな桃源郷

2016-11-21 07:37:10 | Weblog

昨日は、原田先生のありし日の「お花の会」を、大樹くんが撮影してくれたフィルムを

みる会だった。ぼくは下で蕎麦打ち道場をやっていたので見てないけど、その「お花の会」

には参加してので、内容はわかっている。

福岡県の「星野村」。もしも九州にけることがあったら、一番住んでみたい場所。

お茶がおいしい。天真庵のメニューで「煎茶」「玉露」というのがあり、それは10年前から

星野村産を使っている。その村では「しずく茶」といって、ふたつきの茶碗で玉露を飲むのがならわし。

織田流煎茶道では「すすり茶」というお手前。それを昨日は、同門の美しき後輩がみなに、ふるまってくれた。

久保さんの新作の「すすり茶碗」が大活躍してくれた。床の間には、黄檗山の「高泉」の軸をかけ、昨日お稽古

した花を手向けた。10月に召された原田先生の笑顔が天国から降りてきそうな気配がした。

今日は「長屋で女史会」がある。

これから「卵かけごはん」

おいしい卵かけごはんの食べ方が、静かにひろがってる。目からうろこ、コロンブスもびっくらの方法?

 


ことわるのが仕事

2016-11-20 08:28:33 | Weblog

バブルのころは、どんな業界もほぼそうだった、ような気がする。

今は昔。断わられないように、こびたり、おもねったり、無理やりこころとは裏はらなことを

するので、どこにいってもストレスや不満や不安でおっぱい、いや、いっぱい。

昨日も二階は「満つまめの会」。満つまめくんの気功整体の技が超絶技巧なので、また

目がきかないけど、気がきくので、近い将来は、すごいことになりそうな気がする。

今日は二階では「お花のお稽古」で、その花のきっかけをつくいっていただいた故・原田先生

の有り日しのお花の会の上映会も開催。

日曜日は、16時で閉店。一階では「蕎麦打ち道場」

明日の朝は「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」

火曜日が「タイムドメイン」

12月のライブは、みんな満席になった。

2日(金) 国貞 雅子 ソロ LIVE 19時開場 19時半開演

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

3日(土) ゆさそばライブ 19時開場 19時半開演

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

¥4,000(蕎麦・珈琲付き)

 

10日(土) 二人のギターライブ 19時開場 19時半開演

演奏:井上 智(ギター)・赤須翔(ギター)

¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)


中国語で「一斗二升五合」を学ぶ? 

2016-11-19 08:35:32 | Weblog

昨日はダメ中、ことダメから始める中国語だった。

おぎやんが、ポンシュの一升瓶をぶらさげて参加。日本酒好きの女子が多くなり、

マイぐいのみなんかを懐に忍ばせてくる人は、時々いるけど、来るたびに一升瓶を

ぶらさげてくる、という奇人はめずらしい。

いつもの勉強会は、「蕎麦焼酎の蕎麦湯わり」を基本にしている。が、昨日は

炭火の上にやかんをのせ、そのポンシュを燗にして飲んだ。8人で勉強の後、

飲み会になった。ひとりは下戸、ぼくはヨガの人たちの蕎麦などの準備があるので、

ほとんど飲まなかった。ので、6人の左党さんたちが、二升の酒を空にした。

「二升」は、「ますます」で、きっとメンバーの未来は、ますます・・・だろう。

「一斗二升五合」 一斗は「五升の倍」だから「御商売」とかけた。

だから、この中国語みたいな字は、「御商売 ますます」まで謎解きができたことになる。

「五合」は・・・立って半畳 寝て一畳 どんなに飲んでも二合半・・・半畳?を繁盛にかける。(これは新説?)

「一升の半分を五合(ごんごう)という、つまり半升を繁盛にかけ「御商売 ますます 繁盛」という縁起を

かついだ洒落で、昔は酒屋や料理屋の壁なんかにかかっていた。

そんな洒落たお店のトイレには、こんな短冊が飾ってあったものだ。

「急ぐとも 心静かに手を添えて 外に漏らすな松茸の雫」

こんなのもあったぞ。「朝顔の ふちにこぼすな 玉の露」

朝顔というのは、トイレの花器に投げ入れた花ではないぞ。男の小便専用の便器のこと。

昨日の中国語は「楓橋夜泊」を中国語でろうろうと詠んだ。島原の「くちのつ巷焙煎所」に飾って

あるので、いった時に中国語で読む日本人がいたら、ダメ中仲間であるかもなんばん。