長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

昨日は・・

2009-08-31 06:15:46 | Weblog
大変有意義な1日だった。
朝、近くの十間橋界隈に自然に生きている茶花を調達し、
古瀬戸の花器に投げ入れ、松栄堂のお香を焚いたら、茶室の空気が凛としてきた。
京都から籠に茶道具をつめて、好日居の横山さんが颯爽とあらわれた。
ウェルカムティーを清朝時代の染付けの盃でいただく。体の中が一瞬にして
「京都」になった気分?生まれてはじめて「岩茶」をいただく。
はまぐりの中に、大徳寺納豆が入ったゼリーみたいなお菓子がまた京都を
感じた。閉めは、抹茶アイス。京焼きの振り出しから、でてきた
やさんぼんの金平糖との相性が抜群だ。お茶を楽しむひとりひとりの顔が
幸福感に満ちていた。

夕方はビオラのヨッシーがやってきた。
11日に天真庵で赤松林太郎君と「クラシックコンサート」
をやる。そのリハーサル。秋の夜にクラシック。
13日には、島根のラメールでふたりはコンサートをやる。

25日は、「19世紀ギター」。好評で3回目になる。
秋の虫がすだくような美しいクラシックギターが待遠しい。

昨日の夜は、SPICE CAFEで、「もにじん」の
コンサート。同じ町内会に、素敵なお店があり、そこで
知り合いの音楽を聴きながら、お酒を飲める、のは
幸せなことだとつくづく思う。
10月11日は、彼らのコンサートを天真庵でやる。
10月10日は荒武君(ピアノ)、12日はkazuko Babaさんのピアノ
、つまり3日連続で「三丁目のジャズ祭り」
今から楽しみだ。

今日は「順受の会」
自民党の涙雨?なのか、泣きぬれるような雨だけど、
歴史的な分岐点みたいな選挙やった。
小学校のころから、竹馬の友やった末松君も
無事に当選したので一安心。



♪長屋のちゃちゃちゃ

2009-08-30 05:41:30 | Weblog
今日はいよいよお茶会。
♪ちゃちゃちゃ 長屋のちゃ ちゃ ちゃ

昨日ひさしぶりに、二階に畳をひいた。
すると、凛とした空気がただよってくる。
道場、みたいなところはやっぱり畳がいい。

掛軸もかえてみた。売茶翁みたいな生き方
にあこがれている女性がくるので、久しぶりに
売茶翁の書を飾ってみる。
「體中玄」と揮毫されている。
人間の体の中の自然と、自然の自然の幽玄な調和。
力強い墨を見ていると、そんなことが感じられた。

今日はちょっと早めに蕎麦を打ちにいく。
夕方は5時にて閉店になります。

明日は「順受の会」

ましゅまろ亭

2009-08-29 06:09:36 | Weblog
ミスタードナッツ、クロワッサン・・
などと、たわけたことが続いたけど、
昨日は友だちが、ましゅまろを持ってきてくれた。
今話題の亀戸の「ましゅまろ亭」のふあふあ生マシュマロ。
昨日は、抹茶とごま味を食べた。ふあふあした噛みごたえが、
なんともなつかしい。主人(若い女性らしい)が佐賀でであったましゅまろや
の味がわすれられずに、閉店がきまったそのお店の主人に頼んで、伝授してもらったらしい。消すにはもったいない「味」が、残ってよかった。
明日のお茶会は、たぶん京都のお菓子がでるのだと思うが、
来月あたりに、この「ましゅまろ亭」の「ふあふあ生マシュマロ」
を使って、お茶会をやってみようかしらん。

明日は、浅草のサンバカーニバル。元気になったワカが二年ぶりに
参加する。こちらは、好日居さんのお茶会だ。
「喫茶居」・・・先日嫁にきた狩野探幽の掛軸には、賛が書いてあり、
そこに「関坊」が押されていて、「喫茶去」となっている。
これから、ゆっくりと時代は凋落していくかもしれないけど、
凋落していくときは、ゆっくりと過ごしていけばいいと思う。
ま、お茶でも楽しみながら、ゆっくりと生きていけばいいのではないかと
つくづく思う。

月曜日は「順受の会」
通称、「論語の会」 先月から「中庸」を勉強している。
こんな時代に、「人と人とのバランス」とか「仕事と遊びの調和」
とか、ほどほど、といういい加減のバランスが、とても重要では
なかろうか。
肩肘はらずに、論語や中庸を読み、疲れたら玉露でも飲み、
いよいよ疲れたら、おちゃけにし、ゆっくり夢でも見ながら
壺中天の世界を遊ぶ、なんて素敵なことだろう。 感謝。

クロワッサン

2009-08-28 06:07:27 | Weblog
昨日は普段しないことをずいぶんした。
クロワッサンは食べていないけど、ひさしぶりに
たぶん20年以上前、うちの会社が秋葉原にあったころ、
すぐ近くにミスタードーナッツがあって、そこにいった以来、
押上駅前のミスタードーナッツで、オールドファッションとイチゴの
ドーナッツを買って食べた。今はセール中で、みんな100円だった。
レジで「お客さまカード?つくりますか?」みたいなこといわれた
けど、「20年に1回くらいしかこないので、いいです」と丁寧に
ことわったつもりだけど、定員さんは怪訝な顔をしていた。

午後は、いつものように表参道に煎茶のお稽古。
そろそろ、名前も決めなくてはいけないのだが、
なかなかコレっというのがない。南栄、南天、南蛮・・・
いつもは、半蔵門線の表参道で降りる。昨日はうとうと
していて、一個先の渋谷で降りた。
渋谷でおりると、炎色野(ひいろの)という器の店による。
久保さん、渡辺愛子さん、升たかさんの器などがおいて
あるのと、少し骨董もある。
前を通ると、個展をやっていた。財布を見るまでもない。
先日銀座で狩野探幽の絵を買ったので、へそくりからなんから
みんななくなった。でも財布が空というのも、脱糞した時みたいで
気持ちがいいもんだ。

炎色野の近くに「緑の店」(店の名前はしらない)がある。
ここにもよくいく。表にいきいきとした「つりばな」が
おいてあった。とてもいいのだ。秋になったら紅葉して、
実がはじき、まるで花を釣っているような表情になるので、
そういう名前がついた。「これを、つつんでください」と
頼むと、「車ですか?」といわれた。車はもっているが、
運転はしない・・・という話をすると30分はかかるので、
「電車で押上までもって帰ります」と答えた。定員さんは
「大丈夫かな?」という顔をしていた。ぼくもこころの
中では、大丈夫かな?と思っていた。だってその2mくらいある植木を
かかえて、青山通りを歩き、青山ブックセンターによって、クロワッサンを
立ち読み(プレミアムのほうに、般若君が見開きで紹介されている)、
ナチュラルハウスにいって買い物をし、煎茶の教室にいき、その後、
地下鉄にのって、押上にもどる・・・・・とてつもない大冒険のような気
がした。が、きめたら、どんな困難辛苦があってもへこたらないたちなので、
昨日は、ぶらさがった実を、見知らぬ前の人や、青山ブックセンターのレジ
の人や、地下鉄(これがいちばん、たいへんだった。)
の中の人にぶつけながら、かえっていった。
袖ふる縁もなんだけど、都会で緑とふれあう縁もまたいきな縁だ。
途中新しい紀伊国屋の前で、座って休憩をした。新しいビルは
まだまだここの景色になじんでいない。ちょうど、ぼくが座ってつり花を
たてたので、いい景色になった。借景というのがあるが、反対に貸景。
ここで、売茶翁みたいにお茶をたてるといい、とか思った。

玄関の横に「たる」にいれて飾っている。どうやって運んだか
想像するだけで、楽しい旅の気分になる。
「吾足るをしる知る」・・・たるというのはいいものだ。旅
もいいもんだ。





ジョギングとトラトラ・・大虎

2009-08-27 08:11:11 | Weblog
ひさしぶりにジョギングをした。
新しい家からは、初めての試み。
つまりコースを選びながら、1時間くらい軽く走った。
ぼくは、だいたい1時間走ると10kくらい走ったことになる。
玉ノ井、鳩の町、向島・・・花町をぜんぶまわっても30分も
かからない。大川(隅田川)を渡って、吉原を往復して、やっと
もどってきた。さすがに吉原は午前中から営業しているお店があった。
「モーニングサービス」があるのだろうか?ジョギングの途中に
吉原で・・・
健康的なことをしながら、不埒なことを考える、というのも人間の性(さが)
かも。

久しぶりに走ったら眠くなって、昼ねをしていたら、虎がでてきた。
こないだ銀座の骨董やで見た狩野探幽の豊干禅師の絵だ。寒山拾得(かんざんじゅっとく)
の世界には、虎にまたがった禅僧がでてくる。それが豊干禅師。
探幽の絵は、京都の寺にいくと、見ることができる。相国寺の美術館
あたりには、常設されている。
東京にいると、なかなか見ることができないので、銀座の骨董やに
いったら、壁にかかっていないではないか。「やられたか」
と思って主人におそるおそる「あの探幽は、嫁いだのですか?」
ときいたら、「きっとあなたが買われると思ったので、とっておきました」
と、奥の部屋からだしてくれた。

家に持ち帰って、床の間に飾り、絵の前に、杯に酒を注いで手向け、
自分も薄手の黄瀬戸の杯に、賀茂福をなみなみついで飲んで
いたら、気がついたら、自分もオオトラになっていた。





お茶

2009-08-26 09:05:11 | Weblog
毎週、お茶のお稽古に表参道まで通っている。
近くには、骨董や、器や、古本屋・・・など、誘惑多い
ところがあまたあり、よく遅刻したり、そのままサボったり
することが多かった。もとい、今でも常習犯かも・・
先日、京都の「好日居」の女将から、「Oさんがきてくれはった」
という電話をもらった。織田流煎茶道をいっしょに修行している
同志だ。京都とお茶が大好きな好青年で、一昨年に父になった。

「お茶を飲む」というのは、なんでもない日常茶飯。反対に「お茶会」
となると、凛然とした空気や非日常の世界に誘われる。
理想をいえば、両者が会い重なって、日常の中にお茶があり、
そのお茶を飲む瞬間瞬間に、凛とした刹那を楽しむ、そんな
ことができないだろうか、と常々考えたりすることがある。

昔から禅林の世界で言われてきた「喫茶去」。
30日のお茶会は、そんな世界をそれぞれ体感できたら、いい。
好日居・・・・日々好日・・・・今日もまた新しい1日、好い1日。
そんな繰り返し。

昨日の夕方、大企業をやめて、出直しをやる、とう女性が
お茶を飲みにきた。コーヒーではなく、煎茶を。
青木木米風の久保さんの急須で、京都の煎茶を入れてみた。
9月1日から、ギャラリー雲母で、久保さんの陶展がある。
今回は、新作の急須がたくさん生まれたみたいだ。

男心と秋の空

2009-08-25 06:40:35 | Weblog
今朝は少し肌寒い。
夜になると、東京も虫の鳴きすだく音がきこえたり、
風鈴の音がなんとなくずれてきたり、秋の気配。

京都に住んでいたときは、北山(松ヶ崎)に住んでいたので、
冬になったら、その山の向こうとこちら、こちらと四条界隈は
温度もそうだけど、天気がかなり違っていた。「不思議なとこやな」
と思っていた。
でも最近は、東京もそんな感じになってきた。

三上君から電話があり、「こちら(品川)はどしゃぶりだけど、
そちらはどうですか?」と電話があった。こちらは、曇って
いたけど、雨ではなかった。その後、千駄ヶ谷から帰って
きたお客さんも、「3時ころの雨、すごかったね」といわれ
、「?」な感じだった。浅草ではひょうがふったとか?

今日は「英語で蕎麦会」
明日明後日は、お休み。

水商売

2009-08-24 06:37:25 | Weblog
飲食業のことを昔から水商売という。

「オミズ」という言葉から想像するように、ボッタグリだったり、
あたりはずれが大きい、そんなイメージが強い。
歌舞伎町界隈のお店も、毎年5000件くらいがつぶれ、また
5000件が生まれる、といった感じらしい。

IT業界に身を投じたときの印象は、「これも水商売だ」という感じだった。
雨後のたけのこのように、たくさんのIT企業が起業していったが、あまたの
会社が霧散していった。
でも、今回の選挙では、きっと自民党という組織もなくなるだろうし、
秋からまた経済も混沌としてくれば、大企業といえども、また倒産の
憂き目にあうのだと思う。

考えてみたら、われわれが生きているのも、水商売みたいなものだ。
風まかせ、その日の天候や水の流れにさからわず、生かされていることに
感謝しながら、なりゆきにまかせて生きていく、しかないのではなかろうか?

昨日お店の看板をしめ、CDで「死神」を聞きながら、「死神」を
飲んでいたら、そんなことを思った。
ちょうどCDがおわるころ、つまり落語の主人公の命が尽きそう
になったときに、近くに住む三上君が、遊びにきた。
彼はいっけん「貧乏神」みたいなひとだが、よくよくみると、
欲がなく、貧乏というより清貧な人だ。「引越し祝い」だと
いって、茶の席にぴったりの軸をいただいた。
さっそく、新しく引っ越した古くて小さい家の床の間に、
それを書けてみたら、玉露が飲みたくなった。
お茶の世界もまた「水」がつきものだ。

今日は「スケッチの会」。
明日は「英語で蕎麦会」。
明々後日は、最後の水曜日なので、水木連休。



お茶会

2009-08-23 06:12:37 | Weblog
来週30日に小さなお茶会をやる。
京都から「女売茶翁」みたいな女性がお茶道具をいれた籠を
かついでやってくる。好日居の横山さん。
最初は「京都の夏が暑いので、休みをとって涼みに・・」
という軽い感じののりだった。でも、東京の夏は暑いし、
しかも天真庵の二階はクーラーがないので、京都の夏に
負けないくらい暑い。でも、やろうということになった。
「五名を目標」といっていたら、昨日でもう15名になっている。
2階には、15人くらいが重量の限度なので、「満員御礼」
とさせていただきます。これからも、ちょくちょく「小さなお茶会」
をやる予定なので、またその時はよろしくお願いします。

昨日は、ぼくの蕎麦の師匠、高橋さんのところで修行をされ、今は
世田谷で蕎麦屋をやっていて、それを手伝っていらっしゃるかわいらしい
3人娘さんたちが遊びにこられた。
みんな明るく元気で、元気もぼくも元気をいただいた。彼女たちの
おとうさんの書いた本は、蕎麦打ちの中ではひそかに「バイブル」
みたいな存在だ。その本に書かれていた、「生まれたばかりのはるさん」
が、なんども春を迎えて、素敵な女性になって、天真庵にあらわれた、
といった感じだった。光陰矢のごとし。
時代が大きく変ろうとしている。もたもたしていたら、流されていきそうな
予感。でも蕎麦打ちは、毎日蕎麦をうつ。その中に未来を見つけるしかない。
今日もこれから蕎麦を打ち、珈琲の豆を焙煎し、1日が始まり、そして
暮れていく。その毎日の中に、生・滅・生・滅の繰り返しがあり、
その中で何かを発見したり、忘れたり、人に好かれたり、嫌われたり、
出合ったり、わかれたり・・・を川が流れるみたいに、さらさらと、ずっと
さらさらと流れるように人生はいくのだろう。

最近またスポーツジムにいくのが流行っているみたい。
おばあちゃんが「三途の川をうまく泳いで渡れるように」と、スウィミング
スクールにいく、そんな川柳があった。死ぬで前向き なおばあちゃん?

明日は「スケッチの会」
身近な人が三途の川を渡る前に、自分の手で描きとめる・・・いいかも!

明後日は「英語で蕎麦会」
長屋に住み着いた岩本先生が、素敵な名刺を鳩の街商店街の長繩さん
につくってもらった。なかなかいい名刺だ。いい縁がウェーブになって
優美に広がっていく・・・そんなイメージ。


三丁目のジャズ

2009-08-22 06:35:04 | Weblog
昨日は、「三丁目のジャズ」だった。
先月に続き、ニューヨークからジャズメンがやってきた。
カウントベーシーオーケストラで、トロンボーンを演奏する
アルビン・ウォーカー氏が颯爽とやってきた。
ピアノのKAZUKO BABAさんとはニューヨーク時代からの知り合いだ。
世界中を演奏旅行でまわっていて、来日するのも20回近く、
流暢な日本語でしゃべる。そばと焼酎が大好きな不思議なニューヨーカーだ。
ワカと同じく食道ガンの手術を2007年にやっているらしい。
「同期の桜」よろしく、演奏の後も、ワカといろいろな話に盛り上がっていた。
ワカと同じ人吉の焼酎「郷の鴨遊び」もえらく気にいって、グビグビ飲んでいた。
世界中をまわっても、「ジャズを聴きながら、蕎麦を食べる場所はない」らしい。
ワカが、さっそくニューヨークでやるか・・・という話になった。
さしずめ「ジャズソバ」。案外世界中にひろがっていくかも。

10月は、10日(荒武君のピアノ)、11日が「音遊び」、12日が
KAZUKO babaのピアノ・・・という豪華なライブを3日続けてやる。
「三丁目のジャズ祭り」
今から楽しみ。