長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

みつまめ 大豆 みんなまめまめしいね

2017-01-31 09:16:56 | Weblog

昨日の朝は「卵かけごはん」。いきいき野菜と、その野菜を食べながら平飼いされた鶏の卵を使う。

天真庵のHPにもリンクしてあるけど、茨城の「八郷」(やさと)というところに、若い人たちが移り住んで、

田んぼや畑をつくり、豚やにわとりなども飼っている不思議な楽園をつくっている。「やさと農場 暮らしの実験室」という。

今の経済学や経営学からいうと、うまくいっているという数字ではないけど、数字やお金ではあらwせない「ゆたかさ」がそこにある。

でもその「ゆたかさ」も、数値化されないし、ミシラヌなんかの評価の対象にならないけど、わかる人にはわかるし、わかるわかものが

少なからず増えてきたような実感が、なんとなく「明るい未来」「なつかしい未来」を想像することができる。ババヌキに興じるアメリカの大統領

やそれに振り回されている国のトップや今どきの会社のトップには、一生味わうことができない世界。

天真庵の味噌は友達から「借金なし大豆」を調達し、それを使って毎年手前味噌をつくる。今年は90人を越え、毎日店の中が

大豆を炊く、田舎のおふくろの味みたいな雰囲気を醸しだしている。

昨日の朝一番のお客さまは、ぼう上場会社の社長さん。絵も描き、茶もたしなみ、二階で普茶料理の会を定期的に

やってくれる人だ。入ってくるなり、「生井さん」の絵に反応した。手帳を見て「う~ん、いきたい」とのたまわり、会社に出陣された。

分刻みのスケジュール、でもきっと「忙中閑あり」の人だ。3時間後に「素敵な画家を紹介してくれてありがとう。そのまんまの人」とショート

メールがきた。移動時間の電車の中まで、スマホ人になっている「忙中閑なし」の人たちとは、似て非なるものを感じた。

昨日の午後は「満つまめの会」 ぜんぜん宣伝していないけど、味噌作りと同じように、横に優美に広がってきて、なかなか予約

がむずかしくなってきた。まーくんが、どんどん腕をあげてきた。昨日は「おんなかっぽれ」の人たちが、つぎつぎに受けにやてきた。

75歳になる先生が「腰がいたくて、昨日はねむれず、朝から食欲もないの」といって、二階にあがった。45分後にニコニコと元気に

降りてきて「そばとほぼぶらじるちょうだい」といった。スゴイ。

夜は22年目になる「論語の会」。少しはやめに到着した生徒は、いつものようにビールを所望。いっしょのご相伴になりながら

映画や近況を語りあう。そんなゆるやかな雰囲気も22年も続く持続可能の秘訣なのかもなんばん。

一時間の勉強の後、酒を飲み蕎麦を手繰る。その時長老が「多少」に関してウンチクを語り始めた。

幹事のSさんと、階段のところにかかっている「江南春」をいっしょに読んだ。「多少」が、この有名な杜牧の漢詩にはいっている。

ゆーちゅーぶで「江南春」と検索すると、これを吟じているお年寄りの画像がでてくる。吟はともかく、映像は、春らしくていい。

説教がましいじじいにならぬよう、他山の石としよう。感謝。

 

 


今日から「論語の会」では、大塩中斎をやります。22年目。

2017-01-30 08:22:55 | Weblog

月曜日の朝は「卵かけごはん」

昨日は、そばが一時半に売り切れ、そば豆腐もすぐに売り切れ、

それからガレットとかそばがきをかき続け、けっこうハードな日曜日だった。

お味噌は5人がつくられた。知ってる家族のような人たちばかりが、その家族の一年ぶんの「命のもと」を

作るお手伝い。仕込んだ味噌は、その日の新聞で包んでもってかえってもらっている。5人になると

自分ちの新聞では間にあわないので、近所の新聞店の主人のところにいって、「あまったのちょうだい」

といってもらってくる。新聞店の斜めまえに老人ホームができた。その主人もぼくと同じ世代なので、じっと

そのホームをながめながら、「いつかお世話になるのかね。その前にころっと死にたいね」なんて会話をしながら

笑った。天真庵の二階には、生井さんの絵を飾っている。落ちたつばきの花の絵の横に

「へたっくそな毎日 いつも四つん這い でもそのお陰で 落ちつばきの花 真近に楽しめる」と書いてある。

床の間には、大徳寺の高僧の「梅」の書。昨日は裏千家のえらい先生が味噌をつくりにきて、両方の掛け軸を見て、

「大徳寺もいいけど、市井の生井さんのこれは、すごすぎ」と絶賛されておられた。

生井厳さんの個展は、本日まで、吾妻橋の「ギャラリー アビアント」でやっている。ぜひごらんあそばせ。

今日の夜は「論語の会」(順受の会) 教科書では大塩平八郎の乱、が有名。

日本の陽明学は、中江藤樹が祖。その祖を蘇し、実践的な儒学者として、少し過激ではあるが、

民の窮状を見て見ぬふりできず、考えたあげくおこして、腹を切った哲の先人。この会では

2度目になるが、学ぶところ多し。


大地の力

2017-01-29 08:19:04 | Weblog

昨日は「満つまめの会」だった。

今は毎日、ストーブの上で大豆を煮ている。北海道の大豆と埼玉の「借金なし大豆」。

その借金なし大豆をわけてもらっている「きよぼん」が、「満つまめの会」にこられた。

「今日は飲むので、電車できた。駅まで徒歩一時間」とのこと。いつも大地の上で仕事を

しているので、50坂を迎えていながら元気なおっちゃんだ。

マーくんの気功整体の後にますます元気になり、「アビアントまで歩いてどのくらい?」と聞くので

「25分くらい」と答えると、そのまま生井厳展をみにでかけた。往復50分。

明日30日まで、うんこビルの足元にあるギャラリーアビアントで「生・・・」をやっている。

生ビールも美味いとこやね。「生」という字は、どのくらい読み方があるか?確か36くらいあるらしい。

ナマ・キ・ショウ・セイ・イキ・・・・・・生かされている字やね。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「味噌つくり」

明日の朝は「卵かけごはん」夜が「順受の会」今年は大塩中斉を勉強します。

 

 


味噌をつかった料理

2017-01-28 08:32:09 | Weblog

味噌つくりが始まった。親子できたり、家族できたり、友達といっしょにきたり・・・いろいろなパターンがある。

昨日はとおちゃんと中学校一年生の娘さん。3年目になり、今回は娘さんがひとりで味噌をつくり、とおちゃん

には、そば味噌の作り方を伝授した。東京の蕎麦屋が始めた、といわれるそば味噌は、基本的には、

味噌・そばのみ・ごぼうのささがき・砂糖・みりんで調理する。ぼくは、くるみとか、時によっては、鴨肉などをいれたり

する。手前味噌は、市販のそれとちがって、滋味深い、思い出深い、物語のある味がするに違いないけど、それに

またひと手間かけることにより、最高の独酌の「あて」になる。いっけん、なんにもないようなこんな料理は、素敵な

器にのせてもらいたい。以前そばの雑誌に、久保さんの笹皿に味噌をのせ、そこに紅葉がかざられたのがのったことがある。

そんな器を使うと、家が料亭のような雰囲気になる。

中学一年といえば、先日中一の4人組のこらが、お店にきた。10年やっているけど、中学生が4人で蕎麦を手繰りにくるのは

はじめてだ。ちょうど恵那山に住む仙人さんみたいな人がいた時で、仙人さんもびっくりして「どうして、こんなはいりにくいお店

に中学生がきたの?」(答えは、大田区の中学校で、社会科見学のテーマが、スカイツリーまわりの下街散策で、彼らは、

おもしろそうなカフェにいこうとネットで検索して、天真庵をみつけた、ということだった)

なんか質問していた。「はいりにくい」は余計だけど、仙人が最初そうだったそうだから、まちがえないのだろう。

仙人は彼らに。「せっかく「はいりにくい」お店にはいったんだから、ここにあるいろいろなものをよく見てかえりなさいよ。潜在意識

の底まで残るようなものがあるから」なんて、仙人らしきことものたまっていた。

今日は「満つまめの会」。この会も遠くからお客さまがやってこられる。

そういえば、昨日、アビアントで個展中の生井さんが、アビアントのオーナーといっしょに蕎麦を

手繰りにこられた。昨日のブログには31日まで、と書いたけど、ハガキを見たら「30日まで」でした。あしからず。

ぜひ遊びにいってほしい個展。人生観が変わると思う。天真庵にも、彼の作品は三点飾ってある。昨日は表のショーウィンドウ

の中の絵を見て、声をだして笑う人が何人もいた。笑う門(家)には、福きたり、だ。感謝。

 


うんこビルの下のギャラリー

2017-01-27 09:00:12 | Weblog

昨日から「味噌作りが始まった」。歳月人を待たず、一年ははやい。そして一月はすぐにいってしまう。

糞味噌ではないけど、味噌の初日に、うんこビルの下あたりにあるギャラリー・アビアントに、生井厳・展をのぞきにいく。

ちょっと手があいた昼間、十間橋通りのお菓子の名店「ながしま」さんにいき、おばあちゃんにお菓子を適宜

包んでもらって、浅草通りをてくてく歩いて、約20分。

生井さんは毎年目白の「千種画廊」という素敵な老夫婦がやっていた画廊で個展をやっていた。池袋時代はその

近くの「ヨネクラジム」でボクシングをやっていたので、その足でよくのぞいた。寄る年波でその素敵なギャラリーも

緞帳を下げ、しばらく彼の作品を見ていなかったので、昨日はひさしぶりの邂逅を楽しんだ。さすがに、よその

ギャラリーでは「ヨカチン」はやれなかったが、とてもいい時間を過ごした。31日までやっているので、どうぞ縁

ある人はうんこビルめざして、アビアントにいってくだされ。

魚も虫も鳥も、もちろん人間も、「ほんのちょっとのこと」で、命が生まれたり、死んだりする。

息をしている間は生きているし、みんな絶対に死ぬまで生きている。彼の描く、生きとし生けるすべてのものは、

そんな生きて死ぬまでの瞬間瞬間の刹那の魂みたいなものが、いきいきと描かれていて、「生きているをよろこぶ」

ような境地でいっぱいになる。脳梗塞とガンになり、医者に「余命3カ月」と宣告されたらしいが、「死ぬまで人生を楽しむ」

意気込みで生きているみたいだ。そうありたいものだ。ちょっと昔の彼の作品を飾ってみた。ショールームの中のは

仙崖和尚の「親死ね 子死ね 孫死ね」に匹敵するくらい、いい。

今日も@「味噌作り」


♪よか よか よか ちんちん・・・

2017-01-26 10:58:20 | Weblog

昨年末に「ゆさそばライブ」に、お笑いタレントの「メルヘン総長」が友情参加してくれた。

You Tube で「メルヘン総長」で検索すると、「妖精のいたずら」の映像がでてくる。

昨日は珈琲を入れる時の「おまじない」のことを紹介したけど、メルヘン総長の

♪妖精のいたずら・・・・を口ずさむ、というのも、かなりいい効果があると思う。各自みなさんで

珈琲をいれる時に実験してみたら如何・・

昨日は「おんなかっぽれ」だった。ひさしぶりに、元気な女子が7人くらい集まって、♪あ、かっぽれ かっぽれ

をやった。「満つまめの会」と入れ替わりだったけど、先生を含め、全員が「満つまめ・・・」のまーくんの友の会?

みたいな人。みんな小顔になってきたし、スーと浴衣でたった姿がきれいになってきた。「コマタのきれあがったような」

という昔からいわれる美人になる日もそう遠くないような気がする。

今日から「味噌つくり」(菌活の会)が始まる。約90人の人たちが、毎日3.4人づつ味噌を作りにやってくる。

自分で味噌をつくってみると、「大地の力」とか「菌のはたらき」とかとか、普段は感じれない世界が

見えるようになってくる。これもある意味、妖精のいたずら、かもなんばん。

吾妻橋の「ア・ビアント」では、31日まで「生井厳」さんの個展をやっている。これからちょこっと

覗いてみようと思う。

リンゴがひとつある。彼はそれを机の上にのせ、一週間とか一毛月とかおいて、腐っていく過程を観察し、「ここ」

というりんごが昇華するような瞬間を描きとめる、そんな画家。

池袋で天真庵をはじめて、彼がはじめて、楽器を持ち込み、ライブをやってくれた。尺八。

芸術家たちと飲んで、ざぶとんと一升瓶をかかえて「ヨカチン」をやってくれたのもなまなましい生井さんだった。

「ヨカチン」で検索すればyou tube でみれるからすごい時代になった。

 


おいしい珈琲の入れ方

2017-01-25 13:15:47 | Weblog

今朝の新聞にオギの新しい映画の記事がのっていた。2月に全国で放映される。

彼女の代表作の「かもめ食堂」に、珈琲を入れるシーンがある。ドリッパーに挽きたての豆を入れ、

指で真ん中に少し穴をあける。その時に「なんやら・・・ヤマネコかなんかの珈琲の名前みたいなん」を唱える、

シーンがある。呪文はともかく、「気をこめる」という作業は大事だと思う。

先月の珈琲塾の時に、一番搾り弟子が、珈琲ドリポットで珈琲を入れるシーンを写真にしてくれた。

una帽(ぼくが命名した帽子 ついでにマフラーは、魔法のマフラーで、マホマフ ジーパンの切れはしをつかってつくってもらったコートは

和ッフルコート   みなわたくしのネーミング)が少しまがっているけど、還暦を迎えた60歳の自分がある。せっかくなので

「天真庵のHP」の「珈琲ドリポット」のところにアップしてもらった。京都の「からふねや」で珈琲道を教えて

もらったのが19歳の時だから「この道40年」になる。そのまた先輩で「陶芸道半世紀」の久保さんが、急須と

ドリッパーを上手に組み合わせしてくれて、あるようでないような不思議な「珈琲ドリポット」ができた。

海外にも嫁ぐようになって、なんとなくうれしい。トランプさんが、いろいろ大きな声で吠えているけど、

よくよく考えてみると、「資本主義」とか、石油を中心にした経済とか、お金がお金を産むような仕組みとか、

右肩上がりや拡大一辺倒な経済が、終わりを迎えつつあるような時代かもなんばん。

日本もこれまで「裏日本」なんていわれた場所にスポットがあてられ、オセロみたいに裏と表がひっくりかえる時代。そして

「オレガ オレガ トランプ デ アルゾナ」という、主語から始まる英語の文化も衰退し、主語なんてどうでも

いい、ひとことひとことに守護神みたいな言霊の宿る日本語と日本の文化が、世界中に優美にひろがっていく、

そんな時代がきているように思う。

今日は「満つ豆の会」 朝一番で女性たちが、悲鳴をあげながらも喜ばれるM的な「小顔マッサージ」

をやってもらった。もちろん「小顔になりたい」からではない。そこのコリをなんとかしないと、腰や肩

が正常にならない。そしてそこがなんとか正常にいった後に、ヒップアップやバストアップのステップに

なるらしい。もちろん、「そこだけ」が目的ではなく、一物一体、体の宇宙全体を調整するためなのである。

夜は「おんなかっぽれ」

明日からは「菌活の会」。今日今年はじめての「借金なし大豆」に水をはった。

 

 

 


あの映画はポップコーンを食べながらビールを飲むと、いけない。

2017-01-24 09:12:18 | Weblog

先週、「この世界の片隅に」を見た時、ビールを飲みながら見た。

錦糸町の「楽天地」の映画館は自由席で、後ろのほうに座って見ていた。

昭和の始め、広島から呉に嫁にいき、穏やかで幸せなひだまりの中みたいな日常と、戦争に

よりそれが非日常になっていく暮らしをたんたんと綴っていく、人生がたださらさらと水のように流れて

いくような静かな映画の佳境を迎えている時、尿意を催し、トイレにたつ、というのは、その空間で縁あって

いっしょに見ている人たちを、現実にもどしてしまうようなうしろめたさもあり、がまんした。ビールが入って

いたビニールのコップを尿瓶(しびん)にみたてる、というのも、同じような黄色で泡たつものが、元にもどる

ようなものだが、そんな勇気はなし。終わってすぐにトイレにいったら、ずらっとみんなでツレションみたいになった。

みんな言わないけど、同じようなことを思いながら、観ていたんだ、きっと。

「この・・・」をご覧になることをお勧めしたいけど、ビールはいけない。こんど観る時は「ハイボール」にしようと思う。

昨日は「福の会」だった。誕生日の月の女子がいたので、珈琲と持参されたおいしいケーキで祝った。

猪突猛進の年の人で58歳になったらしい。「気持ちは22歳」と笑い、それをうけて、昨日は「年」の話になった。

「立命を生きる」(自分のやらねばなない人生を歩む)人は、いつまでも22歳、ということらしい。易の先生でもある先生

がのたまうことだから、たぶんそうだろうと思う。38歳、48歳、58歳の人は、この一年で、30代、40代、50代の「しあげ」

の年になり、それがないとげたら「九」になる。中国では「九」というのは、そんな縁起のいい数字で、書家などの「号」にも

よく「九」が使われる。わたくしごとながら、不肖のむらの茶名も「南九」という。

「九」が無事おくれたら、新しい「○」を迎え、次の10年の「道」を歩んでいく。それが長かろうと短かろうと、「それぞれの春夏秋冬」

であり、裕次郎さんが歌ったように、♪わが人生に悔いはない・・・といきたいものだと、みんな思っているに違いない。そうありたい、か。

今日は「書をしよう会」 亀田窮楽のように飄々とした貞本先生がやってくる。「天真庵」の字を書いてくれたのもヤツで、

ぼくの「南九」の命名者もやっこさんだ。大塚江戸一ででたったころに比べるとお互いの酒量は半分くらいになったけど、

年を重ねる、というのは、酒がますますうまくなってくる。そんなことを習いにきた若い「おっさ」が、昨日は5合くらい飲んだ。

彼とアトリエには、久保さんの志野の燗鍋がある。もうすぐ「花」というテントがある(元花屋)長屋のアトリエ兼自宅に、嫁はんが

やってくるらしい。炭の火鉢の上に鉄瓶をおき、その中に燗鍋。彼が昨日飲んだ燗酒は佐久の「澤の花」。燗あがりする酒を、湯あがり

美人とさしつさされつ飲む。こんな贅沢な生活はない。でもそんなあたりまえの風景が、日本人の今の生活から消えて久しい。

たまたま名古屋から蕎麦を手繰りにこられた「そばもん」も、その「おっさの家」を見物していかれた。彼ももうすぐ所帯をもつらしい。

「そばやは、女房でもつ」という。どんな奥さまか知るよしもないが、きっと素敵なかたに違いない。尾張名古屋はひとでもつ。

明日は「おんなかっぽれ」  10時から「満つ豆の会」 日々是好日。


あ、卵かけごはんが始まる

2017-01-23 07:44:07 | Weblog

月曜日の朝は「卵かけごはん」。311の年にたまたま始まったので5年になる。

朝を「ちゃんとする」のがいい、と思って始めた。具だくさんの味噌汁に、ごはんと香のもの、

一汁一菜で不足なし。「足るを知る」という日本人の基本の基本だと思っている。

そこに一杯の珈琲時間があれば、なにもほかにいらない。

いよいよその味噌作りが始まる。「菌活の会」という。家の冷蔵庫もお店も麹がいっぱい入っている。押上でなく麹町みたい。

「借金なし大豆」も階段ところにずとんと置いてあるし、車の中にも30k袋がおいてある。

人数も90人を越えそうな感じだ。やはり311以降に「安全とはなんやろう」と感じる人が少しづつ

増えているのだろう。どこの街にいっても、どこいってもデジタルデジタルで、菌太郎、いや金太郎飴みたいに

同じようなものがあふれていて、辟易とため息がでるような時代から、きっと振り子が降られはじめているのかもなんばん。

昨日は久保さんから志野の「珈琲茶碗」がおくられてきた。「珈琲ドリポット専用の志野の珈琲茶碗」。

昔から左党のあこがれに「備前の徳利に斑唐津のぐいのみ」、というのがある。これからの珈琲党は「備前の珈琲ドリポットに志野の珈琲茶碗」

になるに違いない。昨日は東京で40年以上珈琲専門店をやっている大先輩がきてくれて、「ドリポットみせて」といわれた。

今年の春で10年目。あと30年さきを飄々と歩いていく大先輩の後姿がまぶしい。昨日は珈琲飄々にもいってくれたらしい。感謝感謝。

いかん、時間だ。

夜は「福の会」

明日が「書の会」。

 


沈黙は金なり

2017-01-22 08:17:20 | Weblog

そんな箴言があるけど、昨日から遠藤周作さんの「沈黙」の映画が始まった。

11月に続き3月の始めに、南島原の廃校になった小学校を借りて、蕎麦会を

やる予定にて、「からゆきさん」(森崎和江著)に続き、司馬遼太郎さんの「島原天草の諸道」を読んでいる。

その小学校のたたずまいは、静かに映画をとりたい、というか、それでけで「絵」になる建物。

どちらも、口之津(くちのす)という半島の南の小さな港町がようく登場する。そこに昨年、そばと珈琲のお弟子様

が移住し、不思議な縁でいろいろなことが起きそう、そんな気配。日本各地の「端」とか「裏」はほんとうにおもしろい。

遠藤周作さんは、30年くらい前に友達の結婚式でご媒酌人をやられたことがあり、少しだけお話したことがある。今は昔になった。

今日は日曜日。日曜日は16時で閉店して、「日曜蕎麦打ち講座」 期待の新人が登場するらしい。

今日は二階では「お花のお稽古」

ちょうど昨日から、掛け軸を「梅」にした。大徳寺の黄梅院の「大網宗彦」(だいこうそうげん)。

臨済宗の僧で 大徳寺435世。京都のお茶人には大人気の書で和歌をよく読んだ。梅を「菅原道真」にかけて

和歌のはじまりが「すがわら」になっているのだが、後がまだ読めていない。

今朝、にわかまどと侘び介を床の間に飾って、読み解こうとしたが、和歌の字がわからん。

明日は「卵かけごはん」  夜は「福の会」  この会も「易」から始まった会だけど、終着駅がどこになるのかわからない不思議な会。

火曜日は「書をしよう会」