小学校時代から親友の友達からの賀状に「海賊と呼ばれた男に感動した」とあった。
さっそく、錦糸町まで散歩がてら見にゆく。映画の中では「岡田商店」になっているが、
出光興産の創始者・出光佐三翁の物語だ。福岡県宗像出身で、宗像大社を生涯大事に崇拝した。
海賊に一度だけあったことがある。昭和49年の秋。ぼくの母校・宗像高校は修学旅行の時に、代表5名が
皇居の横の出光美術館のある本社の社長室ではなく「店主室」というところにいって、「今年も
宗像高校3年一同が修学旅行で東京にやってきました」と挨拶にいった。
すると海賊翁が「ごくろうさんやった。」といって、栄太郎飴をお土産にいただく、のがならわしだった。
その友達が営業のころ担当したのが出光で、取締役にいただいたという「自噴の水」(海賊の語録)という本を宗像の実家の本棚に
大事にしまっていて、帰省したら必ず読むことにしている。海賊の大事にしていたことは「社員は家族である」
ということと、その家族ひとりひとりの「人間尊重」。今どきの映画に、宗像大社とか、大家族主義とか人間尊重
とかを入れにくいけど、海賊の哲学の根っこにある大切なものは、そこにある。映画で店主室の壁に「仙崖和尚」
の絵(映画のは、にせもんやけど)が飾ってあった。海賊がもっとも好きだった絵は、「柳の絵」で
「気にいらぬ風もあろうに柳かな」というのがある。最後に「堪忍」と書いてある。
映画の中でも何度も逆風にさらされた時に、柳のように耐えてがんばる生きざまが表現されていた。
隣の部屋で上映されていた「君の名は」のほうが、人気があるようだけど、一度見る価値はあると思う。
そして、いつか出光美術館の「仙崖展」にいったり、九州にいく時なんかに宗像大社にお参りすると、
「日本人にかえれ」と死ぬまでのたまっていた海賊の「哲」にふれることができるのではなかろうかしらん。堪忍。
明治生まれの、九州男児で、懐具合の大きさと豪傑感は、さすが、大きな会社を運営されるにいたった方だなぁと思いました。
彼のような方がいて、今の日本があると再認識したしだいです。
おおおじが、出光佐三氏と懇意にしていたので、もっと真剣に話を聞いておけばよかったと、今頃思っております。
ちなみに、作家の夏樹静子氏も、出光さんなんですね・・・
そっから見る城山(じょーやま)の景色とか、
古墳時代さながらの宗像大社まわりの風景が
すいとんしゃったみたい。