長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

大人の修学旅行の日程がきまった。

2014-02-28 08:41:03 | Weblog

少しはやめの「花見の茶会」になりそうだが、4月3日(木)17時から

にあいなった。場所は京都岡崎の「好日居」。予約制。

その日は、朝から京都で煎茶を楽しんだ文人たちのゆかりの地を、

散策しようと思う。あかん、書きながら魂が京都に飛んでいて、京都弁

でこのブログうを書いている、ほんま。池大雅、若冲、亀田窮楽、太田垣蓮月、売茶翁・・・

あ、あっこも連れていこ・・・・まだまだ京都のコンシェルジュができそうだ!

17時からは、京都の人らといっしょにお茶会をして、そばで一杯のも。

亀岡のあの名酒を注文せんとあかん、あ、いそがしいそがし。

今日は「ダメから始める中国語」 今日で二月は終わりだけど、

先生生徒の誕生日会をやる予定。なんにもない日でもすごく飲むけど、

今日はすごい飲み会になりそうだ。

味噌つくりも無事終わった。みなさん御苦労さまでした。

2日(日)は、「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」

大型新人がまた入門。

3月3日(月)は「長屋で女史会」 初回はあふれるくらいいて、今回の出欠

があいまいなところがあったので、これる人はメールくださるとうれしい。

3月4日(火)は「英語で蕎麦会」

3月5日(水)は「かっぽれ」   かっぽれを京都でひろめる、というのも

おもしろそう。好日居の女将なんて似合いそうやな。

 


大人の修学旅行

2014-02-25 08:30:13 | Weblog

京都の「好日居」の主人と、お茶会の日程を調整中。

南條先生の「寒山拾得展」を毎年桜の季節に京都の南禅寺近くの

「野村美術館」でやっていた。ので、毎年東京から有志を

集めて上洛し、展覧会を見たり、哲学の道を散策したり、湯豆腐を

食べたりして楽しんだ。野村美術館の周りは昔から財界人の別荘地

でもあり、小川治平衛という庭師がいくつも素晴らしい庭をつくった場所でもある。

やはり桜の風情は、この界隈が最高ではなかろうか。

3月4月と野村美術館では、「太田垣蓮月」の展覧会がある。絶世の美女であり、

和歌や陶芸や書をあまた残し、上賀茂に隠居した後は、煎茶を楽しみ、富岡鉄斎を育てた

人としても知られる。今回は、煎茶をやっている仲間といくので、そのあたりに焦点にして、

京都をぶらりと散策してみようと思う。

今日明日で味噌つくりが終わる。

「今、ここ」ではないが、毎日毎日の中で、今すべきこと、を、一生懸命に

やっていく瞬間瞬間が人生。毎日が訓練の場であり、修行の日々。日々是道場。

 

 


元気がでるお米

2014-02-24 07:41:42 | Weblog

今日は卵かけごはんの日。

毎朝、蕎麦を打った後に自宅にもどり朝ごはんを食べる。

圧倒的に「ごはん」が多い。それに島源の魚の干物、お味噌汁、香のもの

があるというのが基本形。

天真庵では、月曜日の朝8時から10時まで、「卵かけごはん」をやっている。

311の年の一月から始まったので3年になる。

お米は福岡にいる妹たちが丹精こめてつくったお米。「元気つくし」というお米。

福岡県農業総合試験場が開発した「雨にも負けず、夏の暑さにも負けず、食べると元気になる」お米だ。

味噌汁は「手前味噌」。今年も味噌作りの毎日で、生徒さんも35人を超えた。今日は5人分を一日でやる

期待はずれ?の新人がやってくる。お医者さんの家系で「命を紡ぐ大切なもの」を知りつくした女子だ。

味噌汁の具は、毎週近くの農家や、山の中のいきつけの蕎麦屋の近くで調達している。香のものも、そんな新鮮

野菜をぬか漬けにしたり、塩漬けや麹につけたりしてつくる。醤油は蕎麦やの命である「かえし」を使い、

ふりかけには、出汁をとった後のかつおぶしを粉砕したものを使う。卵は「平飼いの卵」。自然の卵

は、仰々しく色をつけていないので、自然の黄色。余談だけど、九州では黄身のことを「きなみ」という。

ま、一度「元気つくし」の味を自分の味蕾で確かめてほしいものだ。

来月の「なんとなく鮨を喰う会」は、元気つくしでやってみる予定。

今日の夜は「順受の会」

もうしわけないが、孟子を勉強している。生きているうちは、一生勉強。一升瓶をかかえながらも勉強。

息をしている間はみな生きている。生きている間は、「いま、ここ」をしっかりとつかまいと、

何もないまま終わってしまう。禅の世界では、そのあたりのことを「居」という。

京都に「好日居」がある。日々是好日というのも有名な禅語。今年の春、その近くの

野村美術館で「太田垣蓮月展」をやる。からめて、「京都で蕎麦会」をやろうと思う。

 

 


啓翁桜が咲いた!

2014-02-23 08:06:24 | Weblog

先週の花のお稽古の時、雪が降ってこれなくなった生徒さんが残してくれた

啓翁桜(けいおうさくら)を、久保さんの信楽の大壷に投げ込んでいたら、淡いピンク色

の花が咲いた。まさに春を告げるような力を感じる。小村井(おむらい)の梅園の梅も

春を告げて咲き乱れている。朝はやく散歩の時はそうでもないけど、カメラマンたちが

あまたいて、三脚なんかをたくさんたてていると、せっかくの景色が興ざめになることもままある。

そういえば、先日のボクシング観戦もスマホで写真をとっている人があまたいた。フラッシュは

たかないけど、リングの上で死にものぐるいで戦っているのと、写真をとっている今どきの空気感

が対照的だった。空気を読む、とかいう以前の問題のような気がする。

家の庭のしだれ梅も咲いた。「私はきれいに咲いた」とも「梅を撮っている私。ボリボリ」

みたいな自己主張もなく、「ただ咲いている」のがいい。見習いたいものだ。

今日は日曜日なので16時に閉店。

明日は「卵かけごはん」(8-10)

夜は順受の会(論語の会)で、今年は孟子を勉強している。毎日のようにやっている味噌作りも

後半戦になってきた。「しこみ」というのは、何事においても大切な土台のようなもん。

しっかり土台が固まると、どんな風雪がこようが耐えられる。小さなトレンドに踊らされているような

ことは粋ではないな。今朝の天声人語に、粋を「垢ぬけして、張りのある、色っぽさ」と言い切った

哲人「九鬼周造」氏の言葉を紹介していた。なーるほど、だ。感謝。

 


ボクサーの聖地 後楽園ホール

2014-02-22 08:39:31 | Weblog

押上に天真庵を結ぶ前、池袋にいたころは、目白の

ヨネクラボクシングジムで10年ボクシングの練習をしていた。

東洋チャンピョンや日本チャンピオン、ランカーたちがひしめいていて、

試合ごとに後楽園ホールに応援にいった。

昨日は7年ぶりに、聖地へおもむいた。ボクサーというのは、平均で

3年くらいが選手寿命だと思う。デビュー戦を控えて、減量中に怖くなって

逃げ出したボクサーがいたり、デビュー戦でKO負けすると9割がジムに来なく

なるし、4回戦ボーイから6回戦ボーイにあがる時、相手も強くなるし、スタミナ

はいるし、限界を感じる大きな壁ができる。日本ランカーになると、ワンパンチで

KOされるような緊張感の中で試合をしなければならない。そしてうまくいって

日本チャンプになったりすると、それをスーと通りすぎ世界に飛翔していくような自分より強い相手

を相手にすることになる。そのそれぞれの段階で「負けてはいけない」スポーツであり、リングへあがると

どちらかが、リングから去る宿命を負うような過酷な戦いの場でもある。

うちの常連で、名にし負う動物病院の医院長が同じく無二のボクシング好きで、昨日

は汗が飛んできそうなリングサイドで並んで観戦。アラカンのふたりが、ボクサーよろしく

体をウェービングさせたり、拳をにぎりながらリングの戦いを観戦。

セミファイナルに小口幸太くんが青コーナーにのぼった。小西畳店の長男と、

漢字は違うけど、言霊では同じ。20戦8勝12敗。負けこんでいるけど、

応援団の数や人気がすごい。ヤジも温かいけど、よく知っている身内みたいな

あたたかさがある。リングに上がる時から「今日はいけそうな顔してるやん」

とか「ちゃんとやれ」「油断するな」  

最終ラウンドまでもつれて互角のような感じがしたが、惜負。13敗めになったけど、

なんかすがすがしい気分になった。ファンが多いのは、彼の人柄によるものだろう。

またリングの上で9勝目を目指して戦ってもらいたいものだ。

メインイベントは、共栄ジムのランカー、白石豊土くんと三迫ジムの福本雄基くん。

白石くんは北九州戸畑出身。ぼくの大好きな戸畑提灯祭りがあるとこ。

少しガラの悪いところで、子どものころケンカをするのに、三白眼で

「キサン、クラッソ」みたいなことをいう。自分も生まれがそのあたりなので、小さい

ころからリングはなかったけど、クラシあった記憶がある。

北九州魂とパンツにプリントしている白石くんが勝った。

ボクサーも現役を退いた後の人生が長く、それをどう生きるかが大事だ。ぼくたちと同じで、

拳ひとつで命がけで戦っているのも、人生の縮図そのものだ。

ひさしぶりに大山の「岩本」にいきたくなった。同じ年で、元ヨネクラジムで

日本チャンピオン。今は日本でいちばん元気な鮨をにぎるチャンピオン。

毎年かみさんの誕生日に電話をくれ、リングで相手を倒すような勢いの

大きな声をはりあげ「おめでとうございます。」をくれる人だ。

久保さんの器も使ってくれているナイスガイ。

 


田舎でお茶会

2014-02-21 08:20:52 | Weblog

水曜日・木曜日の休みを利用して宗像に里帰り。

妹から電話があり、89歳になる父親が酒を飲まなくなって元気がないとのこと。

朝から酒を飲むような左党が、酒を飲めないというのは、急速に枯れているなと思い、

大嫌いな飛行機で帰ることにした。お酒が飲めないなら、お茶しかないと思い、

お茶道具(涼炉とボウフラなど)をリュックと手提げ袋に入れて出発。妹から

電話があり「病院の先生たち用に、東京バナナを4つお願い」とのこと。「ハイ」

と返事(入れる場所・持つ手がない)して、小さなお土産を探す。

「ひよこ」「とらや」が、東京のお菓子の顔して並んでいるのに笑う。ふたつとも

もともと福岡が発祥である。機を見るに敏な先人たちの偉業である。もともと

鎖国時代に長崎の出島に入ってきた砂糖が、唐津街道を通って福岡や本州

に運ばれてきた。唐津街道は別名「砂糖街道」である。話が街道にそれた。

九州の醤油が甘いのも、運送費がかからない分、余計に砂糖を使えるからだ。

2月に家に帰るのはひさしぶりなので、庭の老梅に白い花が咲いているのがうれしかった。

その木の下に、愛犬だったチワワ元気の骨が埋めてある。「チワッ」という声が聞こえた。

さっそく庭が見えるひあたりのいい部屋で星野村の煎茶を入れる。お菓子は梅鉢屋の

野菜の菓子。東京とは違った時空で地元のお茶を飲む、というのはいいものだ。

今後両親がこの家でふたりで生活をする時間があまり残っていないような気がするので、

一期一会の一滴入魂のお茶会になった。老梅が年輪をふやすにつれ、艶冶な花を咲かす

ように、上手に枯れていくような両親の姿に感謝しながら、一服。

帰りは妹の嫁ぎ先の「小西畳店」にたちよってから空港にいく。大正元年創業の老舗

の畳屋だ。天真庵の二階の畳も、三代目が丹精込めてつくってくれたものだ。

傍らで三代目を親方と決めた4代目が一所懸命働いていた。時がさらさらとただ

さらさらと流れていく。今日是好日に感謝。


早朝に世界一美味い水が・・・

2014-02-18 08:09:43 | Weblog

今朝、蕎麦打ちをしていたら、なつき君が水をもってきてくれた。

もちろん東京水ではない。東名高速を使って富士山の麓から

「硯水泉」を運んでくれている。界隈のカフェは、おかげで、世界で

一番優秀な濾過機・富士山が育む世界一おいしい水をつかって

珈琲や蕎麦や料理をつくったりしている。

昨日が彼の定休日だったので、今回の雪による渋滞により、

徹夜で往復したらしい。おいしいものを手に入れるのはほんとうに、

いろいろな人の「おかげ」であり、水の一雫、穀物の一粒、みんな「粒々皆辛苦」

のたまものだ。運んでくれたばかりの水をコップ一杯飲み干す。

甘露・・・・・・・それにつきる。この水で入れる玉露もまた甘露甘露・・この

味を味わらないで死んでいく日本人は日本人ではない、くらい美味い。

今日の夜は「書をしよう会」

天真庵の看板の字を書いてくれてはや7年になる。文人墨客

たちの魂をあぶりだすような貞本メソッドは、これから世界に広がって

いくに違いない。江戸時代に亀田窮楽という書家が京都にいた。

酒が大好きで、酒ばかり飲んでいた。親交の深かった売茶翁は

お茶のことばかり考えていた。売茶翁は昨年没後250年を迎えた。

最近の日経新聞に、英語版の「売茶翁」を著した外人が紹介されていたらしい。

日本のほんとうにいい文化の神髄みたいなものが、日本人よりも他国の文人に

理解されたり、紹介されたりしている。在日日本人もがんばらんといかんな~。


今日は男子3人の味噌つくり

2014-02-17 07:50:38 | Weblog

日々新たなり 毎日が道場なり

昨日は「せんしゃくん」が、蕎麦を打ち、味噌を仕込んだ。

そばを菊ねりにするまでの捏ねと、擂り潰した大豆をまぜる作業

は、よく似ている。日本人の先祖が、体と頭を使って「命」を紡いで

きた魂みたいなものを感じる。記録的な大雪で大変なことになって

いるけど、昔は車も電車も飛行機もない時代から、この国で自然

とともに生き暮らしてきた「知恵」が根源的な「食」に触れていると伝わって

くる。

今日の夜は、男子3人の味噌作り教室。有名な音楽家と、下町の珈琲屋と、酒屋の

3人がやってくる。

これから「卵かけごはん」

今日は土鍋に研いだお米と適量の水を入れ、木の蓋をおき、その上に寸胴

に水をはって重しにして炊いてみた。お米がたった!

電気窯、ガス窯・・・なんで炊いても、どんな米でやってもそこそこのものができるし、

毎日食べても飽きがこない「米」というのもすごい食べ物やね。

床下の秘密の味噌室から取りだしたばかりの味噌でなめこと大根の味噌汁。

今日は香のものは白菜漬け。卵は「平飼い卵」。日本人の究極の朝ごはん。

明日は「書をしよう会」

 


味噌の寒仕込み

2014-02-16 08:09:32 | Weblog

記録的な雪で、首都圏も雪国になって、みんな立ち往生した週末。

今朝も屋根の上から落ちそうな雪を、二階から下ろす作業をする。

自然と一如ではないけど、自分も危うく落ちそうになりながらの作業。

九州生まれの身としては、やはり北国では生活できないことを実感。

木曾村から鮨用の檜を届けてくれる予定だった般若くんから電話。

「中央道が不通なので日をあらためて」ということになった。

ぼくの茶道具、蕎麦の道具に加えて、鮨の道具も、彼に作って

もらうこととあいなった。いろいろ楽しみも多い。二階にある茶箪笥は

彼が金沢美大を卒業するときの作品。まだ22歳の青二才の青年が

作ったとは思えないくらい「わびさび」まで表現されていて、それ以来

いろいろなものを作ってもらっている。

来月15日は、般若くんの嫁になったヨッシーがヴィオラを演奏しにやってくる。

今日は「蕎麦打ち道場」&「味噌道場」。

「せんしゃくん」が両方を一日でこなす。これまた不思議な青年だ。

彼のかみさんも天真庵に棲んでいる縁結びの神様の仕業で結ばれた。

ヨッシーと同じ音大出のピアニスト。15日は二人の晴れ舞台。

友情出演は、あのクラリネッターが参加するカモなんばん。感謝。

「なんとなく鮨を喰う会」は、3月20日、21日。(会員制・こちらにこられたことがある人、顔

がわかる人、カウンター学を身につけた人に、限らせていただいている。「ぼくは銀座の○▽鮨の常連で

ボリボリみたいな人はお断りしている)


普茶料理が進化中?

2014-02-15 08:46:34 | Weblog

昨日は雪が降っていたけど、大手町からタクでお客さんがやってきた。

うちのお茶会にも二度も参加されている某大手上場会社のえらい人たちの「普茶料理風蕎麦会」

まず、星野村の玉露。ガラスの宝瓶(ほうひん)に茶合(さごう)で計った茶葉を入れ、硯水泉を沸かし、

ゆっくりと入れる。茶碗は久保さんの斑唐津。茶托は角居くんの錫。お菓子は近くの梅鉢屋。江戸時代

から文人墨客に愛された野菜と砂糖でつくられた簡素なものだ。二煎目はお客さんが入れる。

久保さんの焼き締めの湯ざましを宝瓶にいれる。「セルフ」という言葉がはやっているけど、そんな

チープなサービスではなく、高級な「おもてなし」の真髄がそこにある。3煎、4煎となるにつれ、玉露の

甘露な甘みに酔い、場がなじんでくる。さてそろそろお酒の用意。「立春朝搾り」を、巣山くんがため塗りをした

肩口に入れ、同じく木曾の樽に漆をぬった酒器に注ぎ、お酒がまわっていく。酢醤油に宝瓶の中のでがらしの茶葉

を箸でつまみ、それを酒肴にする。丁寧に新葉のやわらかい部分をつんだ茶畑の人たちに感謝したくなるくらい、うまい。

夏目漱石の草枕にでてくる玉露の文を読んだりすると、このへんの繊細な慈味がよりいっそう感じられるはずだ。

普茶料理とは、隠元和尚が黄檗山に伝えた精進料理。「普(あまね)く、大衆に茶を施す」という縁起からつけられたものだ。

隠元和尚は、「禅」と「お茶」と茶禅一味の「普茶料理」を伝えてくれた坊さん。

書道も黄檗山が盛んで、隠元・木庵・即非の書を「黄檗三筆」という。今朝の新聞に「全日展」という書道の展覧会の「いかさま」

が大きくのっていたけど、関係者は黄檗山にいって、切腹するくらいの覚悟をもって、死んでもらいたい。

普茶料理の代表が「麻腐」という豆腐料理。天真庵では、ごま豆腐ではなく蕎麦豆腐を供す。石臼挽きした新鮮な蕎麦粉

と、筑前葛の絶妙な味わいは、酒肴として最高。♪シルキーはママの味・・

気がのれば、ここで豆腐百珍よろしくもう一品がでることもある。メニューにはないので、でないことも多い。

「まわり」とよばれる三種盛。昨日はおからの稲荷、卵焼きをそば海苔でつつんだ蕎麦鮨と黄瀬戸の「つぼつぼ」に

いれた「ままけは」。酒がぐびぐびのどを鳴らしながら進んでいく。

お茶席によくでてくる唐津の肩口に、そば米ともち麦の雑炊に葛をからめたものを入れてだす。普茶料理では

「雲片」という。繊維質がお米の10倍ともいわれるもち麦を食べると、薬事法にひっかかるくらい体の調子がよくなる。

「そばがき」はいろいろな調理法があるが、昨日はお酒を煮きり、塩と梅と蕎麦汁で味付けしたものをかけたものを、

志野の蓋付きの器で出す。蕎麦料理の王様みたいな料理。味見をするだけで、一合はいける。

締めは「ざるそば」。

そして、「ほぼぶらじる」をゆっくりのみほすころ、お迎えの車が雪の中に到着。雪中梅ならぬ雪中バイバイで、見送り

をする。人生一寸先が闇かもしれないが、そこに「光」があることをいつも願う。

お茶の世界だけでなく、いついかなる時も、生きているのは、息をしている「今」というこの瞬間だけだ。

だからいつ死んでもいいように、悔いなく生きていきたいと思う今日このごろ。感謝。