長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

そばは「ともえ」です!

2015-11-30 07:45:24 | Weblog

一昨日は超満員の「ゆさそばライブ」で新そばをばんばん打って、

昨日は茨城の八郷(これが、やさと、で変換されるのがすごい)で、茨城の新そばを打った。

今朝はこれから「卵かけごはん」。さきほどコメントに書いたけど、「ゆさそば日記」

にライブの写真と日記が公開されている。オカルト宗教団体のような写真もあるけど、

みんなで友楽「共に楽しみ」、共遊「共に遊び」、共育「共に育ち」(これができたら、教育問題がなくなる)ヒント

がつまっている。そして共笑「はじめまして、ともえ、です、ボリボリ」

ゆさそばライブは、12月が池袋と神楽坂でもありますので、ぜひ参加してください。

「一杯のかけそば」は、「イイネ」。

あ、時間がせまってきた。これから「卵かけごはん」

今日の卵は、「暮らしの実験室」の卵。味噌汁の具も、きのういただいてきた

野菜たちが共演しております。もともと八郷の里山風景は日本一だと思っていたけど、

そこに住む若者たちにふれあい、蕎麦を打ったり、いっしょに蕎麦会をしたりする

うちに、いっぱいの気づきをいただいている。おおげさではなく「ほんとうのゆたかな暮らしの実験室」

やと思う。

夜は「順受の会」  20年も共育している論語仲間と、八郷の野菜を食べながら、談論風発する日。

そのうち「儒学カフェ」なんぞを始める人がでてくるかもなんばん。

明日は「英語で蕎麦会」  YEN(縁)は、国境を超える。押上の「ポンビキ集団」が変なプラカード

を持って6時ころスカイツリー近辺をうろついているけど、外人さんだけでなく、どうぞ日本人も

ポンビキされる喜びを体験してみませんか。そういえば、英語の先生の奥さんも「ともえ」さんだ。


♪田舎暮らしや里山は宝のやまやまよ~

2015-11-29 18:24:10 | Weblog

昨日は「ゆさそば」やった。

前日酒々井から「新そば」と、「そばはちみつ」が届いた。

開店と同時に、そばのお弟子さまやけど、自分で蕎麦を育てたり、

ネギと会話できるくらいの「ねぎぼうず」みたいな人が、ネギと辛み大根を

土産に蕎麦を手繰りにきてくれた。お祭りの日は、朝からこちらのテンションも

あがり、それに釣られていろんな人がやってくる。

今年六月に天真庵から始まった「ゆさそばライブ」も、そば上人の悪戯か、つなぎの縁かで

毎月いろんな場所でライブを紡いでいる。新春には台湾でのライブもある。「紅白」を追い越して

世界に羽ばたく勢いなのだ。「ゆさそば日記」」で検索すると、いろんな「今」が見えてくる。

昨日のライブも、参加しない人には永遠にわからない「生」の味と奇妙キテレツな興奮のうちに終わった。

ライブが終わりテンションを下げるつもりで締めに「蕎麦屋のあいすくりん」を出した。

新そばハニーと老舗のバニラアイスのコラボ。紅白で五木ひろしがラップをやるような味?

来年はこれで作曲をし、新曲ができたらまた天真庵でライブをやってくれる約束をした。

「ゆさそば」で検索したら、そばのラップがでてくる。こころの底から笑えるような画像だけど、

けっして親族の葬式や、おもろくない会議の時には見てはいけない。浮いてしまう。

今日は朝6時に押上駅でお弟子さまたちと待ち合わせをして、常磐道を走り、八郷(やさと)の「暮らしの実験室」

にいってきた。40年前に「卵の会」からスタートし、今は若い移住者たちにバトンタッチして「暮らしの実験室」

という名前に変え、「ゆずりは」のように、自然に学びながら新旧交代をし、先輩たちから受け継いだ精神を

「今」と「これから」にベクトルをあわせたすばらしい人たちだ。まさに古くも新しくもない、いいもの、ほんもの

がいっぱいある。「なつかいい未来」という言葉を自分の五感で体感できる「癒し場」であり、「自然の道場」

でもある。

明日の朝の卵けごはんは、その卵をだすぜ。「究極の卵かけごはんの食べ方」も教えまっせ。

明日の夜は「順受の会」  明日は論語を一時間やったあとは、その卵で「そばやの卵焼き」を

食べ、八郷の野菜をいっぱい入れた「無門鍋」(なんでもありの旬のお野菜鍋)をやり、そばで

締めくくりましょう。明後日は「英語で蕎麦会」。スカイツリーの前で「ポン引き」をして、外人さんを

天真庵に連れ込み、もとい、お連れして「国境なしの蕎麦会&英語かい?」

この会も参加するには勇気がいるし、有機農業をやるにも勇気がいる。

でも人生は二度なし。やるっきゃない、と思ったら、壁は自分で破らんとね。

今日「暮らしの実験室」で最初に歓迎してくれたのはにわとり小屋のひよこさんたち。

みんな11月3日の文化の日が誕生日。天真庵の住所も「文花」。

卵はだいたい21日で孵化する。ちょうどそのころ雛が卵の中からコツンとつつく。「卒」(そつ)という。

すると親鳥が外からそこをツツツとつつく。それを「啄」(たく)という。それがうまいタイミングでおこなわれると、

雛がオギャー(いわない?)と無事誕生する。悟りの瞬間みたいなこの刹那を禅林では「卒啄同時」

という。それで、天真庵の珈琲塾の冠には、「卒啄」がつけてある。これはサトリではなくパクリという、かもなんばん。


今日は「ゆさそば」という新そば祭り

2015-11-28 09:04:42 | Weblog

なので16時にて閉店。

明日は茨城の「暮らしの実験室」にて、「新そば祭り」。なのでお店は休業。

毎年の暮れに「自分で年越しそばを打つ」という企画をはじめて3年になる。

今年は30日、31日までそれをやろうと思う。仕事おさめがそれより前で、

自分で打って田舎にもって帰る人は、希望日の早朝9時くらいならなんとかなるので

申し込んでほしい。(これはベテラン組に限る。)

明日の「暮らしの実験室」では、春夏秋冬いろいろな企画で都会から田舎暮らし

を体験したい人たちを受け入れてくれる。ので、ぜひ「いつか」と思っている人も、

ばくぜんと土や自然にふれたいとか思っている人も、ぜひいってもらいたい場所だ。

そんなのおっくうやけど、おいしい野菜や卵などを食べたいと思っている人にも

門がひろげてある。どの世界も「大道無門」なのだ。ようは本人しだい、ちゅうことや。

ぼくの蕎麦や珈琲やお茶のお弟子さまは、頼もしい人が多く、将来を見据えて、農業の

体験をしたり、実際に今年から能登に体験移住をしてる人や、農業法人をおこし、地域に密着

しながら農業をやっている人など、多士済々の「未来の日本の農家びと」みたいな人がぞくぞく

とでてきた。

今日の「ゆさそば」のメンバーも、蕎麦上人よろしく蕎麦の神様に選ばれたような神聖な精神を

もって音楽活動をやっている人たちである。来年あたりは、八郷でやってもらおうかしらん。

月曜日は「卵かけごはん」

夜が「順受の会」

火曜日は12月1日で「英語で蕎麦会」

今年もあと一カ月。人生は一度だけ。

 


女房 畳 そば・・みな新しいのがいい?

2015-11-27 08:36:41 | Weblog

江戸っこは「はつもの」を好んだ。初鰹なんて、女房を質にいれても喰いたい

とか、なまいきなことをいっていたらしい。質草になるくらいのいい女房をもらう器量

はべつとして、江戸っ子気質をよくあらわしている。

さていよいよ新そばの季節がやってきた。明日は天真庵で「新蕎麦祭りのライブ」がある。

超満員御礼(どこかでイスを借りてこないといけない人数)。だから明日は16時に閉店。

明後日は茨城の八郷(やさと)の「暮らしの実験室」で新そば打つ。そこで有機農業を

する若者たちが蕎麦をつくっている。昨年に続き2度目。

天真庵の珈琲用の石臼は筑波山の麓の真壁という石職人があまたいる街でつくられたもの。

そのご縁で、八郷にあった「しげふじ」という蕎麦屋を知り、よく通った。界隈の里山の四季

が、日本人のこころの原風景みたいで、それを借景にそば前の「渡り舟」を飲み、そば手繰る

幸せは、最後の晩餐にはこれしかない、くらい幸せなひと時だった。皆に惜しまれながら「しげふじ」

は昨年暮れに緞帳を下げた。しばらく八郷にいくことはなかろう、と思っていたところに、蕎麦打ちの依頼

があり、喜んで参上。また今年もそこの農場に縁ある人たちと、無駄のないそばの縁で繋がっていく

ことに感謝。といわけで日曜日は臨時休業。

人生は二度なし。都会の便利な暮らしの中にあるさまざまな矛盾と葛藤したり、

「違う生き方」を探している人があまたいる、いやほとんどの人が、そんなところで悩んだりして

いるのではないかと思う。「暮らしの実験室」は、普段は東京で働いていて、週末だけ農業、という

人も多く集まっている。若くて元気な時は、小さなことに近視眼みたいになってくよくよせずに、

「大いなる二股生活」にチャレンジするのも一考だ。週末はスマホやパソコンのスイッチをオフ

にして、里山の空気を吸いながら本来の人間にもどる、こんな素敵なことが、やろうと思えばすぐやれる。

28日(土)ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)

 

今日は「ダメ中」

月曜の朝は「卵かけごはん」夜は「順受の会」(20年続く論語の会)

 

 


日本一美味いカレーを喰いにいく

2015-11-26 08:57:14 | Weblog

昨日は久しぶりのお休み。

水曜日は「ぶんかん」が「カレーの日」。店長のなつきくんは、ぼくの

蕎麦のお弟子様で、水曜日の一日店長の女性はぼくのお茶のお弟子様。

カレーを食べにくる人たちも顔なじみで、「年越しそばを打ちにいきます」

みたいな会話が肩肘張ることなく、普通にかわされる場所だ。

その前に、今年近くにできたシャアハウスに、いらなくなった大きなファイルを

届けにいく。ITをやっていた時に使っていた顧客データのファイル。

いらなくなったものを譲ったり、空いた時間や空間をシャアしたり、自分にできない

こと、持たないものを交換したりして、仲良くしていく。でも、むりくりの共同体ではなく、

「間」とか「無用の用」とか、荘子や老子の無為自然みたいな精神がどこかしこにある。

押上のこの界隈は、だいぶ変化してきたけど、そんなところが残っているし、よそからくる若者

たちも、その火を消さぬような努力をしている、そんな街だ。でもただこの街にぶらりと遊びにきたり、

引っ越してきてなんとなく住みついてみても、誰にも感じられるほど、しっかりしたものでもない。

「無用の用」といえば、今朝の新聞に、今全国に820万戸の空き家があり、それをテーマ

にした句が多くなってきた話がのっていた。

紹介された句

「ふるさとの 空き家に集まり 遺産わけ」

なるほど風景がうかぶ。こんなのも紹介されていた。

「まだ住める 空き家リユース シェアハウス」

古いものがなくなっていくのは、それだけではなく、そこの住む人たちの「こころ」

までも失なわれていく、ことだ。東京オリンピックという、二回目であまり夢も希望も

感じられないテーマに向かって、最近この界隈の古きよきものが消えていくスピード

がはやくなった気がする。もっとゆったり暮らしていく時代がきているように思うのは

ぼくだけなんやろか。白熱灯も製造しなくなる記事も一面にあった。LEDにはない

あのあたたかみが消える。「さみしい」だけではない大事な灯が消える。

夜は「おんなかっぽれ」だった。元気な女子たちが、浴衣を着て二階で「あ・かっぽれかっぽれ」

と愉快に踊る。ぼくは一階の厨房で、その後の「蕎麦会」の準備をしながら、炭火の上に

あたたままった土鍋に、志野の「燗鍋」を入れ、おでんの味見をしながら一献。

ちょうど昔の「華道」の本を読んでいたら「禁花」というのがあった。毒のある花や、

針のある花などは、生け花には向いていない、とのこと。利休さんは「花は野にあるがごとく」

といって、八重の花や妖艶な花は生けなかったらしいことが書いてある。

ちょうどそんな時、二階から「ずぼらん」が聴こえてきた。助平なおぼうさんがテーマのかっぽれ。

おんなかっぽれには、「禁花」のようなものだが、時代はやはり「めどき」である。

踊りがおわりおでんに熱燗で談論風発していたら、「おでん 熱燗 昔の女」

といエッセーを思い出した。これからは、女が男にかわるかもなんばん。


場の力、人の力、農の力

2015-11-24 09:22:44 | Weblog

昨日は臨時の「インヨガ」だった。

夕方、今回の先生チカさんを紹介してくれた女子が蕎麦を手繰りにきてくれた。

手に花束。「還暦は来年やで」というと、「チカさんの結婚祝い」とのこと。

女子の友情もいいもんだ、なんて思いながら左党の君と談論風発をしていたら、

ヨガのお弟子様たちがやってきた。その中のひとりが「場の力、人の力、農の力」

という本をもってきてくれた。今週の日曜日に「新そば祭り」をやる茨城の「暮らしの実験室」

の創立40周年を記念して出版されたものだ。「暮らしの実験室」のHPからアマゾン

にリンクがはってあるので、「!」とくる人にはオススメ。

左党の君もヨガに参加することになり、「ムーン トーク」のボリュウームをあげ、炭火に片手、

本を右手に持ちながら、その本に目を通した。

大地の会をはじめ、40年前というと、学生運動の闘士たちが、日本の政治をかえようという

志をくじかれ、街や組織になじめず、田舎に移り住み、桃源郷みたいな理想の世界をつくろう

、と夢みた時代である。政治も環境も食の問題も危うい時代を迎え、「これからの日本人の生き方」

が都会から田舎へシフトしそうな兆候もある。でも生活習慣病が、長い時間をかけて悪しき習慣が

そうさせたように、便利な生活に慣れ、ロボットみたいな生活をする都会人が田舎暮らしをする

のに、短期間で成就するなど夢のまた夢でもある。

本の中身は、その場で、縁のあった人たちが、農を通して、「卵の会」から発足して、都会から若者たちが移住していき、「暮らしの実験室」

としてバトンタッチしていく歴史が、それぞれの「おもい」で綴られている。まさに、日本の

若者たちの「哲」の日々であり、毎日の暮らしを耕していく「人」のいとなみが書かれてある。

きっとこれから「都会から田舎」へシフトしたいと思っている人の「バイブル」になるかもなんばん。

今日は「書の会」

明日は「おんなかっぽれ」

金曜日が「ダメ中」

土曜日・日曜日が「新そば祭り」

28日(土)ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)

次の日はお店を休みにして茨城の八郷の新そばを打つ。

「暮らしの実験室やさと農場」で、そこの若い人たちと、彼らが作った新そばをその場で打って

「新蕎麦」に感謝しながら、収穫際をする予定。昨年に続き二度目。

蕎麦という「蘇場」で、いろいろな「人」とふれあい、毎日「哲」する楽しい日々是好日。


新そばを食べたかな?

2015-11-23 07:39:24 | Weblog

みのりの秋だ。

といっても、世界中から野菜や魚が集まってくる東京には、「旬」を

感じる季語がない。

TPPという殺虫剤みたいな名前のもとで、これからますますその傾向に拍車がかかりそうだ。

羊頭狗肉、というけど、やはり看板には、怪しいうたい文句が掲げれているものが多いので、

自分の舌とか五感を使って、自分で選んでいくしか方法がない。

珈琲の業界でいえば、昔は「ブルマン」といえばみんなが飛び付くので、どこのコーヒー屋に

いっても「ブルマンミックス」なんていうブレンドがあった。ひと粒でもブルーマウンテンの豆を

混ぜれば「ブルマンミックス」。最近はスペシャルコーヒー、なんていうことをうたう珈琲が多い

。車のでだしのころは、どんな車の名前にもデラックス、というのがついていた。それとあまり変わらない

気がする。演歌の大御所「村田秀雄」さんが生前、テレビのインタビューで、

「先生こんど買われた車は何ですか?」と聞かれ「でらっくす・だ」と答えた話は有名だ。

もっとも家を新築した際にも、「先生この部屋の向うの部屋は何ですか?」ときかれ、「チキンルーム・ダ」

と答えたらしいけど・・・古き良き時代のフフっと笑える話だ。

そばにいたっては、国産を使っているところが稀有な存在だ。だから「新そば」

という張り紙が、一年中いろんなところで見られて、ほんとうの旬がなくなったような気がする。

にもめげず、今週末に二日続けて、新そば祭りをする。

ひとつが、土曜日のライブ。千葉の酒々井の新そばを打ち、みんなで味わいたいと思う。

28日(土)ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)

次の日はお店を休みにして茨城の八郷の新そばを打つ。

「暮らしの実験室やさと農場」で、そこの若い人たちと、彼らが作った新そばをその場で打って

「新蕎麦」に感謝しながら、収穫際をする予定。昨年に続き二度目。

これから「卵かけごはん」夜は「インヨガ」

明日の夜は「書をしよう会」

金曜日は「ダメ中」。

 


スースースー

2015-11-22 08:23:30 | Weblog

そんな季節だ。

九州弁で、隙間風が冷たい今の季節を「スースースー  ネ」なんていう。

天真庵の建物はまさにこれからスースースー。朝一番の仕事は炭おこし。

そこに土鍋に大根を適当にきり、昆布を入れて、「ながら料理」。蕎麦打ちを

している間に、昆布と大根のハーモニーみたいないい香りが漂ってくる。

チン料理とは、似ても非なる滋味だ。それを、手前味噌とくるみで胡桃味噌を

つくり、それをアツアツの大根にのせて食べる。まさに温泉に入っているような「風呂ふき大根」

ができる。それを酒肴に熱燗を飲むなんて、冬の独酌の王様。

今日のNHKスペシャルは、瀬戸内寂聴さんの「命」。文花的な寺子屋に

「長屋で女史会」というのがある。その先生の弟さんがディレクターで作ったものだ。

今日は日曜日なので16時で閉店。それから「日曜蕎麦打ち庵」

明日は勤労感謝の日。朝8時から10時までは「卵かけごはん」

夜7時からは「インヨガ」  ずっと満席だったので来月から月二度にします。

HPで確認してください。

火曜日が「書をしよう会」

二階に鶴の軸を飾った。とある有名な工学博士にいただいたものだ。正確には

その方が旅立って、奥さまが「縁ある人に」と、ぼくのお茶のお弟子様に託し、それが

自然に羽ばたいて天真庵の二階にとまった、そんな感じの絵である。

文花系とか理科系とか、そんなのに関係なく、美しいものを愛でた人生

って、生きた長さに関係になく「豊かさ」を感じる。

今日の寂聴さんの番組にも、きっとそんなお話がいっぱいあるのではなかろうか。

28日(土)ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)

 


自然体で生きる

2015-11-21 08:23:12 | Weblog

うちの蕎麦は、酒々井の農家兼そばやからとっている。

蕎麦屋の前に蕎麦畑があって、10月は一面雪化粧のような景色を借景に

蕎麦を手繰る。まさに自然と混然一体の境地になる。今年はそこで養蜂に挑戦した。

昨日そこの主人から電話があった。200瓶くらい採れる予定だったのが、50しか

採れなかったとのこと。花咲くころに強風が吹いて、地面に這うように花が咲いたので、

あすがのハッチさんたちも蜜をとりにくかったらしい。これも自然だ。

何もかもが当たり前みたいに、近くのコンビニやスーパーに並んでいて、お金さへ

あればなんでも手に入る便利な生活が当たり前になっているけど、ひとつひとつのものは、

いろいろな人や蜂や虫や菌や土や水や自然の・・・・粒粒皆辛苦のたまもので「在り難い」

奇跡のようなものばかりだ。だからそんなものずべてに「ありがとう」と感謝しながら

われわれは命を紡いできた。

佐賀のがばいおじいちゃんから電話があった。来週の木曜日が「気骨の鮨会」

の予定だったけど、体調がよろしくないらしい。これも自然現象のひとつなので、

またぼくたちもいつか突然そんな日がくるかわからいので、「無理をしないように」

と返事をして、予約のお客様にメールをして中止を伝えた。みんなから励ましの返信がきた。

人はみなこの星にきたつかの間の旅人。毎日毎日の刹那刹那の中に自然の神様に抱かれ生かされている。

今日の夜は「インヨガ」

呼吸を地球の呼吸の波動にあわせ、ゆっくり波立たないところまで持っていくと、普段聴こえないものが聴こえ、

見えないものが見えてくる。ささくれだって、ぼろぼろになった気持ちも、ほぐされる。これもまた

天地自然の理。

明日は日曜日なので16時閉店。

明後日は休日だけど朝は「卵かけごはん」 この日も19時から「インヨガ」

 

 

 

 


腰痛になるような本を見つけた

2015-11-20 09:12:12 | Weblog

昨日は午前中が「卒啄珈琲塾」

まだまだ冬は遠いけど、秋はそう長くはない、みたいな変な気候。

ゆく秋を偲んで、玉露の冷えたんをみなで飲む。それから

珈琲豆を焙煎し、サイフォンで美味なる一杯に挑戦する。

ベテラン女子組の組長と副組長みたいな人たちは、所作も綺麗に

なってきた。手だけのモデルさんのことを「テタレ」というらしいが、それに

負けないくらい手が綺麗だ。テラレさんは噂によると、「てだけ」という人が多いらしが、

うちの組の人たちは、顔もこころも美しい。こないだ山口にいっっしょに旅した時、見送って

くれた先輩を振り向いて挨拶しようとしたら、「ああ、まぶしいので、振り向かないで・・・」なんて

いわれていた。齢70を越えた先生のその所作もただものではないと思うが。

大石さんや山根さんを育てた音楽の先生だから、ただものではなくほんものだ。

午前の部が終わり、表参道の古本屋から「はいった」と知らせがあったので、本をとりにいく。

そこの主人も70を越えていて、注文した本をレジに置くときに「よっこいしょ」となった。

「押上まで運べますか?」と聞かれ「ボクシングで鍛えた体なんで」とかっこつけた。

お店をでて、地下鉄の入り口までいくと「この階段を降りるのか」と体から声なき声が

聴こえたので踵をかえして古本屋にもどり「やっぱりおくってください」と郵送料700円を

支払って帰ってきた。

夕方は「無茶しぃの会」。お抹茶のこころえのある人たちに、煎茶を教えさせてもらっている。

メダカの学校みたいに「誰が生徒か先生か?」というくらい教えられることも多い。

流派とかいう「くくり」をほどいて、みながお茶やお花を日常的に楽しむ機会が増えたら、

日本人が日本人にもどれて、自由な日本人があちこちにでき、それが世界に広がって

いったらテロや戦争なんてバカなことは少なくなるのではないかといつも思う。

今日は「ねんどの会」  小学校の低学年のころから自腹(お年玉をくずしながら)通って

いるみくちゃんも中学2年になり来年は高校受験をターゲットにする年になる。

こないだまで鼻歌よろしく受験生ブルースをうたっていた小生が還暦になる。

来週は「新そばを祝うライブ」を企画。季節季節を神様や自然に感謝しながら通っていくのも日本人のよさだ。

28日(土)ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)