長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

流しそうめん は食べれなかったけど 流しそばが食べれそう!

2012-09-30 08:11:30 | Weblog
お店のエアコンの設定が27度にしている。
ついこないだまで、朝5時でも30度くらいあった。
3度下がると、砂漠から高原にワープしたようなここちになる。
やっとエアコンがいらなくなったと思ったら、昨日は湿気も多く、
エアコンのお世話になった。

昨日は「お花」
釣りの世界では「フナ釣りに始り フナ釣りで終わる」という名言が
あるように、華道では「葉蘭に始り 葉蘭に終わる」といわれている。

竹の寸胴に、くばりをつくって、V字にする。これが土台で、土台
がしっかりしていないと、その後がしっくりこない。人生も同じだ。
土台(基礎)が大切。葉蘭の中で、見栄えのいいもの、凛然としている
ものを「真」(しん)にする。天真庵の真でもあり、ものごとの「真髄」
みたいなものだ。心(しん)にも通じる。
これがきまると、左手の中に、5枚から7枚の葉蘭をにぎりながら、イメージ
を抱きながら、つくっていく。真(しん)・副(そえ)・躰(たい)
この3点が基本になって、空間の中にまんだらのような宇宙をつくる。
よの中は、陰陽によってなりたっているが、葉っぱも「陰方」「陰方」
によって、右葉、左葉をきめる、という黄金則がある。理屈ではなく、
「なーるほど」と天地自然の離にかなっていて、日本人が昔から生活
や茶道華道の中に、宇宙の大原則が普通に使われてきた「すごさ」を感じる。

ここまできたら、もう波乱万丈の人生もこわくない。葉蘭5枚が、すーっと、
寸胴の上に収まる。
その後は、真と副の二枚だけを残して躰に「菊」を生ける。
それが、床の間に飾ってあって、明日までやる「竹細工の展覧会」に彩
を副えるというという形になった。真(メイン)が、竹細工で、副え(花)が
脇役。真と副というのは、夫婦の関係と同じだ。副がでしゃばっていてもいけないし、
真はぶれることなく、真ん中でちゃんと立っていないといけない。男は立たなくなったら
おしまいなのだ。

秋になった。今年も「そうめん」をたべなかった。とくに大好きな「流しそうめん」
が流れた。
でも10月31日に「流しみたいなシャンソン歌手」がレイブをやってくれることになった。
15日は二胡(にこ)が初めて天真庵にやってくる。31日は初めてのシャンソン。
初ものがふたつの10月。なんだかうきうきしてきた。
ジャズを聴きながら食べる蕎麦を、ざるそばではなく、「じゃずそば」という。
ながしを聴きながら食べる蕎麦は、さしずめ「流しそば」といった具合だろうか。
芸術の秋と食欲の秋が混然一体となって、楽しい秋の夜を楽しめることには違いない。
今日の夜は台風しだいで微妙ではあるが、「中秋の名月」である。
日々是好日に感謝。

♪踊りおーどるなああら ちょいっと 東京おんど

2012-09-29 08:08:34 | Weblog
今日の朝日新聞に、東京音頭が紹介されていた。
西條八十翁が作詞したものだ。
今と同じような世界大不況の時代、みんなで元気に踊れるように、
そして地方からきた人たちが、田舎の盆踊りのように、こころ
のよりどころになるようにという思いでつくられたらしい。
八十翁は、早稲田大学の教授をやったり、「カナリア」が日本で初めて
童謡のレコードになったり、「青い山脈」や戦時中は「同期の桜」など
軍歌もたくさん書いた。村田秀雄の「王将」もそうだ。
あまりに幅広く活躍したので、文壇ではその功績を評価しない動きが
あったらしいが、今でも人のこころの中に、残っていたり、歌い続け
られたりしている。「孫がきるとチョコレートをあげたりするのを楽しみ
にしていた」と新聞で紹介されていた。そのお孫さんが、織田流煎茶道家元
の奥方となり、音楽方面でも活躍されている。

彼の墓標に掘られた詩が、いい。

「われらたのしくここにねむる 離ればなれに生まれ めぐりあり 短き時を愛に生きしふたり 悲しく別れたれど ここにまた 心となりてとこしえに寄りあいねむる」

今日は「お花のお稽古」
ひさしぶりに「葉蘭」を生ける予定。
最初は、このお稽古の時、「波乱万丈の人生になりそうだ」と冗談を
いったくらい、難しかった。もちろん少し上達した今は、もっと違う次元で
難しさを痛感しているが。。。 終わりがないところが、いい。

今日から3日間、二階では「竹細工の展示会」
昨日飾ってみたけど、生徒さんの作品とは思えないくらい、いい。

今井美樹さんがライブをやってくれることになった。

2012-09-28 08:37:19 | Weblog
同姓同名だけど、今井美樹さんは二胡の奏者。
アルパ(南米パラグアイのハープ)のユニットで、10月15日に
ライブをやってくれることになった。いろいろな楽器でライブを
やってきたけど、二胡ははじめて。意外な感じがするけど。もちろん
アルパも初めて。19時から、3500円(蕎麦会付き)でやります。

月曜日は、10月なんやね。あと3枚。10月1日(月)には、
スカイツリーがピンク映画にでる、もとい、ピンク色にライトアップ
されるらしい。その日は、乳がんをなくそう、というキャンペーンの日で、
アグネス・チャンもすみだリバーサイドホールにきて、乳がんの体験談と
ミニコンサートをする予定らしい。

ついでといってはなんだけど、10月1日は「珈琲の日」でもある。

別に特別何かをやる予定はないけど、おいしい珈琲を毎日の生活の
中で楽しむ、というのは、無類の幸せだと思う。

昨日も午前中は「卒啄珈琲塾」だった。
自分で生豆を焙煎機に入れて、ガラガラと地球のリズムと自分の呼吸に
合わせてまわす。しばらくすると、豆が焼ける芳香な煙に包まれ、
不思議なアロマのまんだらの中で、壺中天よろしく、桃源郷に
迷い込むような感じになる。
パチパチとはぜる音、煙や豆の色、香り、音、五感も解放され
自然と混然一体になるままにまかせ、「ここ」というところで、火をとめ、
ざるに湯あがり美人のように艶冶な湯気ただようものたちを入れ、外気でさまし、
うちわであおいであげる。こんな楽しい道程を楽しめない童貞はかわいそうだ。

明日から10月1日(月)まで、二階で「竹細工の展示会」がある。
昨年に続いて、二回目。お茶道具、お花の道具にも竹はずいぶん使われて
きた。もちろん生活の道具にも。サイフォンで珈琲を入れる時のポイントも
「竹べら」の使い方ひとつ。
これからは、いろいろなものを工夫して「使いこなす」という領域まで
いかないといけないみたい。道具とは、「道」を具現化するものだから。


珈琲道場熱烈歓迎

2012-09-27 08:30:58 | Weblog
そんな文字を短冊に落書きして、お店に張っている。
なんか中国語みたい。
昨日は大型新人ふたりが参加。先輩にアドバイスをうけながら楽しそうに
焙煎をしたり、ドリッパーで珈琲を入れたりしていた。
急に暑い夏が立ち去り、肌寒いような午前中、窓を開け広げ、焙煎を
するのは、なんとも気持ちがいいものだ。新人さんは、「ほうろく」でやる、
のが我が塾のならわし。

冬になると、織田流煎茶道では「番茶手前」というのを
やる。ほうろくに煎茶を入れ、火で煎りながら、煎り番茶をつくる。茶室の中
が緑たっぷりの煎茶の香りにつつまれる。なんとも風流な手前。
京都の料理屋では、よく煎り番茶がでてくる。口の中がすっきりして、料理の
味が素直に伝わる、という理屈である。それと、煎り番茶には、血圧を下げたり、
余計な脂肪をつけさせないような効果もある。冷蔵庫なんかにしまってほったらかしにした
煎茶などがあると、フライパンにのせて煎ってみるといい。

今日も午前中が「卒啄珈琲塾」で午後が「無茶しぃの会」それが終わると、
表参道に行って、自分のお茶のお稽古。たぶん今日あたりから、「番茶手前」
が始まるかも。
自然の移り変わり、季節季節の風を感じながら、お茶を飲む。
こんな贅沢で、幸せな時間はない。日々是好日に感謝。

休みの日は忙しい

2012-09-26 08:24:14 | Weblog
ねっからの怠けものだからかな。
休みの日は、だらだらとした感じで始まる。
だいぶ涼しくなったので、お店で珈琲を入れながら新聞を読むこと約一時間。
昨日読みかけの銀座の画廊の物語を読むんでいると、7時のチャイムが鳴る。
7時からあく「かめや」というパンヤにいき、卵サンド、やわらかチキンハンバーグ、
野沢菜のおやき風パンを買って、家路に。
水曜日はワールドレポートの日なので、それを読みながら朝食をすます。

今日は「卒啄珈琲の会」が午前中。午後が、「無茶しぃの会」を一時、4時、7時
と三回やる。庭から白い「水引」をもっていき、二階の床の間に生ける。
茶道具を用意する・・・お菓子を買いにいく・・・

そうしてるうちに、もうこの時間。
これからお店にいき、店舗の外を掃除し、中を整え、できたら教室始まりの
10時までに3回くらい焙煎したい・・・

明日は、それに自分の煎茶のお稽古が加わる。
どの工程も、毎日やってもあきないくらい、あきていないので、
自楽、というか、楽しんでやっているが・・
その「自楽」を、伝えていければいいと勝手に思っている。

昨日の夕方、久保さんから届いた新作の黄瀬戸の湯飲みで、煎茶を飲みながら、
秋の虫のすだく声を聴く。自然の移り変わりを感じながら、茶に興じる。
日本人に生まれてきて、こんなに幸せなことはない。感謝。
今日の最後の会は、スカイツリーを見ながら、虫聞きの会。

明日明後日は、卒啄珈琲塾&無茶しぃの会

2012-09-25 08:49:15 | Weblog
昨日は不思議な日だった。
中国人の観光客が6人(ひとりは通訳)で蕎麦を食べにきた。
「そばがおいしいと聞いたので、きました」と通訳の人が
いった。上海の雑誌社の取材はうけたけど、まさか?と思いながら
蕎麦をつくった。男性が写真を撮ろうとしたので、
「日本の普通のお店では、写真は撮ってはいけませんよ」とやわらかい日本語
でいったけど、怪訝な顔をしていた。今沸騰中の日中の険悪な関係も
こんな些細なことからおこるのかもしれない。
でも、つきつめて考えてみると、「人」と「人」の問題だ。

先日の「ダメ中」は中国語で中国茶を飲む、という勉強だった。
今では、日本人の生活の中でもお茶は「日常茶飯」になったけど、
もともとは、遣唐使が中国にいって、仏教といっしょにお土産に
もちこんだのが始まり。
昨日勉強した「論語」や「易学」なんかも、中国からきたものだ。
日常茶飯の中の茶も飯も、哲や思想、器や書や文房具など、あちらから
渡ってきたものをあげると枚挙にいとまがない。

明日は卒啄珈琲塾と無茶しぃの会。
珈琲を初めて飲んだのは、鎖国時代に唯一外国との交渉
ができた長崎は出島の芸者だったらしい。
どんな時代も、「時代を肌で感じる」のは女性と相場が
きまっているのかしらん。
混沌とした時代を煙にまくわけではないけど、あやうげな焙煎の煙
の中で、五里霧中で視界の狭まった時代を考えあっていこうと思う。

今週の土曜日と日曜日は、昨年に続き、「竹細工の展覧会」を二階で
やります。大分から竹職人さんがきて、竹の鞭をふりふりちーぱっぱ
で教わった生徒さんたちの作品が展示される。

土曜日は「お花の教室」の日でもあります。
明日が見えないような時は、何か自分がやりたいこと、やっておかねば
ならないことをするとよいと思う。
「何か毎日毎日没頭すること」が無心になる近道だと、昨日の順受の会(論語の会)
で教わった。最近は女子や若い男子も増え、ますます「時代」を感じる寺子屋の毎日。

人生の秋を迎えると 酒が美味い し こんな言葉が染みる

2012-09-24 07:57:36 | Weblog
今日は「順受の会」毎月最終の月曜日の夜に、有志が集まり、「論語」
や、先人たちの「哲」を勉強している。19時から一時間勉強。その
後は蕎麦会をやりながら談論風発。18年になる。蕎麦会つきの会費3000円。

こんな言葉に、最近参加された女子が、こころに着火したようだ。佐藤一斎の言葉。

刀槊(とうさく)の技、怯心を懐く者は、挫け、
勇気を頼む者は敗る。
必ず勇怯を一静にほろぼし、勝負を一同に忘れ、
之を動かすに天を以てして、廓然大公(かくぜんたいこう)に、
之を静むるに地を以てして、物來って順應せん。
是くの如き者は勝たん。
心學も亦此に外ならず。

一斎の言葉で好きなのは

少にして学べば壮にして為すことあり

壮にして学べば老いて衰えず

老にして学べば死して朽ちず


学門に始まりも終わりもない。
門もない。大道無門の世界。













大野えりさんが歌う

2012-09-23 08:24:41 | Weblog
無駄な縁で繋がれた人たちがやってきて、昨日はジャズ祭り。
そもそも、「元気の約束手形シール」をやってくれた山田さんの
出身校が名古屋の名大付属で、その同窓会にいって、「天真庵と
いうところの器を作っている久保さんの奥様が、私たちのクラスメート
のSさんよ」というところから、巡り巡って、同じ名大付属出身の
大野えりさんに白羽の矢がたって、天真庵でやることになった。
またぼくのやってる織田流煎茶道の家元夫人も名大付属。

大野さんが店にきて、開口一番、「セシルはこのお店の近くに住んでいたんですって?」
というので、「隣の隣の隣でした」と答え、「そこのベランダの隣が彼の駐車場でした」
と答えた。ら、「その車にのって水戸にライブにいったのが最後でした」とのこと。
お客さんのリクエストで「橋(ポルトガル語で橋という題名らしい)」を歌って
くれた。十間橋通りを車で右折して、押上駅で待つ彼女を迎えにいくセシルの姿を想像した。
♪不思議な橋が この街にある 渡った人は帰らない
そんな悲しい歌が、浅川まきにあったけど、セシルは浅川まきさんはじめ、いろいろな
歌手たちと演奏していたんだなあ、とつくづく思う。

お開きの時、同志社時代のいきつけのお店を聞いたら、「○」
と答えたられた。ぼくも同じ時代に京都にいてよくそのお店で
ジャズを聴いていたのでびっくりした。「からふねやにもよく
いったわ」とのこと。ぼくが入れた珈琲を飲んでいたらしい。

今日は朝から雨。しばらく雨がなかったので恵みの雨だ。
大野えりさんの新しいCDも雨の日に聴くといい。

明日は「卵かけごはん」
夜は「順受の会」 論語知らずが、机を並べて18年。


♪たんたん たぬきの 金た・・・

2012-09-22 08:44:27 | Weblog
今朝は涼しい風が吹いている。秋だ~

昨日は朝から雨だった。ネコたちも雨宿りしていた。
そこに「備前のたぬきの灰皿」をおいてある。灰皿として
はつかってなくて、水盤のように水を入れ、けんざんをおき、
花を一輪投げ入れたりしていた。でもその水をネコたちが飲む
ようになった。下手をすると、けんざんに舌がささり、たぬきと
ねこが接吻している?ような奇妙なことになるので、たぬきの
位置を玄関の前に古い丸椅子を置き、その上にのせるようにした。

雨の日に、いつも聴く音楽をかえたり、椅子や調度品の配置換えを
したりするのは気持ちがいい。大雨にかかわらず、元気な女子が
「広島からきた」といって蕎麦を手繰っていかれた。ぼくの師匠の
住んでいるとこ、広島。といっても山の中のたぬきがでそうなとこだけど・・

ぼくが「ねっと21」というIT団体の理事長をやっていた時、そのメンバー
だった社長が、お客さんを3人連れてきた。カフェとギャラリーなどをやっている
女子たち。そのひとりが、ジャズの歌手だと自己紹介。しばらく混雑していたけど、
落ち着いて話をしていたら、その歌手とは知り合いだった。
陶芸家の久保さんが、天真庵で最初に個展をやった時の打ち上げパーティーで
歌ってくれた人だった。版画家の「ながさきくん」としっよにやった「今のもの」
という展覧会の最終日の夜を思い出した。ながさき君の名刺には「根っこまでつながって
います」みたいなことが書かれていたけど、ほんとうに、縁ある人とは、根っこから
繋がっているようだ。

今日は「大野えり」さんのジャズライブがある。
お店は16時で閉店。

ルパン三世がやってくる

2012-09-21 08:36:41 | Weblog
少し朝夕が過ごしやすくなってきた。
昨日は、炎色野の陶展の最終日。昼間打ち合わせが一軒あり、
3時近くに到着したら、搬出モードになっていた。美人の主人も
少し疲れぎみながらも、手ごたえのあった一週間だったらしい。
常設のほかの人たちの作品も、気品に満ちていて、このお店と
共に高みを目指している感がある。空間って、何もないとこだけど、
ひとついいものがポツンとおかれたら、そのモノの空気みたいな充満して
、またモノが不思議と集まってくる。店主だけでなく、作家やお客さんも
いっしょに醸し出す、そんなことだと思う。
種子島から次の作家のものが届いていた。楽しみだ。

池袋時代は、埼京線で渋谷で降り、炎色野やほかのギャラリーをのぞき、
界隈の古本屋や骨董やなどをめぐり、煎茶のお稽古にいっていた。
ので、途中でいいものがあったり、手持ちの資金では足りなくなったりすると、
その場で資金繰りをしたり、お店と交渉したりして、よく煎茶のお稽古に
間に合わないようなことがあった。ハチャメチャな時代ではあるけど、そんな
ことをした戦利品か廃品?かが、天真庵の中にゴロゴロしている。

今日は「ダメ中」の日。名古屋からまいこ先生がやってきて、ムーチを
ふりふりチーパッパで、中国語を楽しく勉強する日。

明日も名古屋の日?明大付属(名古屋大付属)出身のジャズシンガー、大野えり
さんのライブ。
ルパン三世のエンディングテーマが有名。不思議なジャズライブになりそうな予感。
(ブログで紹介する前に満席になってしもうた)

10月は二胡のライブとか、ピアノの発表会があったり、
11月も朗読劇と19世紀ギターのライブとか、いろいろスケジュール
が埋まってきた。
芸術の秋。芸術には音楽と食(酒)が欠かせない。いい季節だ。