長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

♪世界にひとつだけの花 女幇間芸の座敷わらし

2014-06-30 07:28:38 | Weblog

今日は、世界にたぶんひとりしかいない女性の幇間芸をやる「たまちゃん」

こと悠玄亭玉さんの85歳の誕生日。最近近所に越してこられ、「歓迎会」を兼ねて

ライブをやった。シャッター通りになった十間橋通りに三味線の音と都々逸、サノサ

や小唄、民謡が流れ、腹の底から笑う声がおそくまでにぎやかだった。今日はそれの第二弾。

前回は昔からの玉ちゃんファンなどがかけつけて顔みしりが多かったけど、今日は

その「うわさ」をききつけたりした若者中心の誕生会。17時に閉店。19時から。

先週の日曜日に前のパチンコ屋のおっちゃんに、骨董みたいなものを譲り受けた。

昨日は朝からお店を撮影したりしていたので、「やっぱり閉店するんだ」と思っていたら

夕方挨拶にこられ「今日で緞帳(どんちょう)を下げる」とのこと。

どこの商店街もシャッター通りになっているのが現状だろうけど、東京も例外ではなくなった。

昨今の雨もそうだけど、平均的に降るのではなく、集中豪雨があるエリアを猛烈に襲う。

富も同じように、特定の少ないところに集中し(こちらは被害はでないだろうけど)、降らない多くの地点

には、一滴も降らない。

どこで生きていくか、なにをして生きていくか?あらためて、ひとりひとりが考えなおすような時代がやってきた。

明日は「英語で蕎麦会」   どこの国で生きていくにしても、英語くらいは少しできたほうがいいみたい。

ドルが紙切れになっても英語は残る。日本人が少なくなっても日本の経済が斜陽していっても、温泉と富士山は

残りそうだ。

2日水曜は「かっぽれ」 9日水から「かっぽれ(女子)」が始まる。


金継ぎ教室が始まる

2014-06-29 08:49:57 | Weblog

昨日は「インヨガ」だった。カウンターに元気な女子たちが

とまった。その中のひとりが「金継ぎを習いたい」とのたまった。

いつものように、その場で「わたしも」という和音が発せられ、

「ままよ・・・金たま・・男の子」いや「ままよ、金継ぎ・・女のこ」

よろしく、7月5日(土)の19時から、始めることにした。

希望の方あればご一報くだされ。2500円(そば・珈琲・材料費)

何種類もやり方があるけど、一番簡単なやつ。修理したい器を持ってきてくださればOK。

家宝みたいなんや国宝みたいなもんは、木曾の塗師(ぬし)の巣山さんに頼むと、溜め継ぎ

という本格的な技法で修理してくれる。ただし時間と費用はそれなりのお覚悟を。

日本人の「もったいない」という精神性と、壊れた器を金継ぎすることにより、より以上の美しい

ものをつくるという美意識が素晴らしい。

今日は日曜日なので16時で閉店。夕方は「蕎麦打ち教室」

明日の朝は「卵かけごはん」。 夜19時から「江戸遊芸の宗匠・悠玄亭玉さんの誕生日会」(2000円・そば・珈琲つき・要予約)


ヨガを日本に最初に紹介した哲人

2014-06-28 08:34:49 | Weblog

毎日じめじめした日が続く。雨はけっこう好きなほうだけど、

この湿気には閉口することがある。沖縄では梅雨明け宣言したらしいが、

しばらく関東はおしめりデーが続きそうだ。梅雨のこの季節は食中毒などに気を

つけないとおけないけど、体調管理も大切だ。

インヨガが静かな音楽を聴きながら、ゆっくりと呼吸をしながらする静かなヨガ。

二階の座敷で一時間以上やった後に下りてきた人たちの顔が、リラックスしていて

「リセット顔」のようで見ていると鏡屋敷状態でこちらもリセットされるような気持ちになる。

「笑い」も連鎖するけど、笑顔みたいなリセット顔も連鎖していけば、幸せの輪が広がる。

30日の「たまちゃん・85歳の遊芸の会」が終わると、今年の前半が終了する。

政治も経済も混沌として、時代が悪い時代にまた遡及されていくような気がする毎日だけど、

一度しかない人生だから、悔いののこらないように毎日を過ごしていきたいと思う。

 

今日一日 怒らず 恐れず 悲しまず 正直 親切 愉快に

力と勇気と信念とを持って 自己の人生に対する責務をはたし

常に平和と愛とを失わざる 立派な人間として活きることを 厳かに誓います。 (ヨガを最初にやった日本人。昭和の哲人・中村天風先生の言葉)


浴衣美人になろう

2014-06-27 08:17:56 | Weblog

浴衣の季節がやってくる。

水木はお休みだった。けど、卒啄珈琲塾と無茶しぃの会をやる週だった。

水曜日は、無茶しぃで、星野村の新茶の煎茶を、飲んだ。季節感をお茶で

感じられる幸せは日本人に生まれてよかったと思う旬でもある。感謝。

その後、後楽園ホールでボクシング観戦。押上にくるまでは、目白のヨネクラボクシングジムで

ボクシングをやっていたので、後楽園ホールは、毎月のように通った。ボクサーが現役である

期間は平均3年くらいなので、8年たった今ではいっしょ練習したボクサーがリングにあがることはない。

先日はリングサイドに、いっしょにやっていた人の顔があった。コミッションドクターとして、活躍しているお医者さんだ。

還暦を過ぎたころだと思うけど、ボクサーみたいに体が締まっている。いっしょに観戦した人も、スレンダーなお医者さん。

医者の不養生なんていうけど、できる医者は、ちゃんと精進しているし、おもしろい人間も多い。

昨日は自分のお茶のお稽古にもいく。また表参道を寝過ごして渋谷までいった。誘惑がいっぱいの街。エキチカで

お菓子が気になるし、青山通りには、古本屋が二軒ある。梯子をして、リュック一杯と、手提げ袋ふたつ。アマゾンで

朝10冊きたので、「どこへ置くか?」とか「また・・・」というオクの顔が浮かんだけど、後の祭り。

明日は「インヨガ」

30日(月)は朝が「卵かけごはん」夜が「たまちゃんライブ」 たまちゃんの着物は見ているだけで気持ちがいい。

来月9日(水)より、いよいよ「かっぽれ」の女子組がスタートする。着物を粋に着こなす女性、湯上りにさらっと浴衣を

着る女性は昔から、「粋だね~」といわれ続けた。浴衣を着なくたって美人が集まってきたので、ますます美人を目指して

がんばってもらいたい。

7月26日(土)は、浴衣でライブ。「隅田川花火大会・もにじん浴衣コンサート。昨年は雨だったけど、

めげずに、今年も浴衣着てやりたいと思う。

21日(祝)は「大石学ピアノソロライブ」だ。

 


論語の会  後半は孫子。

2014-06-24 08:16:43 | Weblog

昨日で、論語の会(順受の会)の前半が終わる。

来月から後半は「孫子」。親死ね子死ね孫死ね、と揮豪した

奇僧・仙崖和尚がいた。初孫が生まれた檀家さんが「先生、何か

おめでたいことを書いてください」と頼まれ、「よっしゃ」といって書いた

ものだ。怪訝な顔をする相手に「では、逆に」といって「孫死ね子死ね親死ね」

と書いたら、「なるほど、順番に逝くのがよろし」と納得したという禅問答みたいな話。

話が脱線しているけど、孫子は「孫子の兵法」で知られる中国の思想家。

脱線ついでに・・・

順受の会の前に、浅草で三味線を弾いて帰ってきた悠玄亭玉さんが蕎麦

を手繰りにきた。来週30日が85歳の誕生日らしい。順受の会も折り返し

だけど、6月30日は「一年の折り返し」。

急遽6月30日19時から「悠玄亭玉ちゃん・誕生日独演会」をやることになった。2000円(そば・珈琲付き)

たぶん、今日あたりに満席になると思う。メールは仕事中は見ないので、申し込みは電話でお願いします。

明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

卒啄というのは、卵からかえろうというヒナのつつきに合わせて、親が外から卵をつつくことをいう。

卒啄同時とは、そんな悟りの瞬間みたいなことをいう。

 


あなたのそばに、いつも蕎麦粉

2014-06-23 07:42:33 | Weblog

昨日は日曜日だったので、16時に閉店して蕎麦打ち教室。

元気な男子が蕎麦打ちにきた。ひとりはIT企業に勤める若いSE、

ひとりは名うての編集者。元気いっぱいな蕎麦を打っていかれた。

お土産に、最近いただいたお皿とか蕎麦の笊とかを渡した・・・

最近、界隈に新しい建物が建ったりする関係で、「いらなくなったけど、捨てられないもの」

が、思い出付きでやってくる。すし屋をやっていたという近所の一人暮らしのおばあちゃんには

「仕込み用のざる」や、まな板皿なんかを頂戴した。ちょうど「気骨の鮨会」を始めたころで、

きっとそのおばあちゃんがぼくのブログを見たに違いない、と冗談でいっていたが、そんな時代

なのかもしれない。こないだいった農家カフェ?の85歳のおばあちゃんは「最近フェースブックさに、はまってよ~」

なんていっていた。

昨日は前のパチンコ屋のおやじが、手あぶりを持ってきてくれた。冬は天真庵で大活躍するもの。

今のマンションや住宅では、風通りが悪いので、炭を使うのは危険だけど、古民家には重宝なものだ。

パチンコ屋ができる前は中華屋をやっていたらしく、古い器も茶箱に入れてもらってきた。

ちょうど近くの重鎮であり、住民の文庫ちゃんがきて、「これいいですね」といったので、古い染め付け

の土瓶が押上文庫に嫁ぐことになった。今日の浅草の東洋館でたまちゃんこと悠玄亭玉さんの

舞台のチケットを取りにこらたタイミングだった。14時すぎが、本番らしい。

文庫ちゃんがこの街ぬ住みついてから、器好き、歌舞伎や義太夫好きの人たちが集まって

くるようになった。そしてたまちゃんが住むようになってきて、この街に三味線や笑いがもどって

くるような今日このごろ。「ひとり」が動くと、そのまわりが動き世の中が動き始める。

♪あ、そいつは春から縁起がいい・・・

今日これから「卵かけごはん」

夜は20年続いている「論語の会」(順受の会)


雪花山房のこと

2014-06-22 08:46:47 | Weblog

ぼくの蕎麦の師匠は、高橋さん。仙人みたいに広島の山の奥で

そばのお店をやっている。そこの建物を設計したのが昨日のブログに

書いた白井さん。「雪花山房」。その縁で、白井さんが高橋さんに電話して、

ぼくは蕎麦をやるようになった。ちょうど蕎麦打ちの初日は雪が降って

建物も庭もまわりの山の木々も雪一色だった。

「まさに雪花山房だなあ」と思っていたけど、あとで、それが

白楽天の詩「村夜」から命名されたとわかった。

月明蕎麦花如雪(月明らかにして 蕎麦の花雪の如し)。静かな寒村に雪が降った日の静謐な静かさと闇の深さが感じられる

ような蕎麦花の美しい詩。

今日は日曜日なので16時に閉店して、それから「蕎麦打ち教室」

若い人たちは、将来田舎暮らしをし、自給自足や持続可能な土や自然にふれあうような

生活をしたいと思っているような気がする。ぼくの蕎麦打ちに参加する人は、そんな類の

意識を持った人が多い。ぼくも蕎麦を習いにいった時は、そのころ池袋でギャラリーを

始めたころだったので、集まってくる芸術家たちと蕎麦会という日本人の飲み会の原点

みたいな場で、談論風発しながら楽しんでいければ、みたいな気持ちでいたように思う。

昨日は、織田流煎茶道の仲間たちがカウンターに座った。煎茶の世界で正月にやる茶会を

「初煎会」という。ここ十年ばかり、表参道で行われる初煎会には、ぼくの蕎麦がでる。

「そろそろ、君らも蕎麦打ちや普茶料理をやらへん?」と昨日投げかけたら、Aさんが

「やろうかしら」と真剣な顔をした。

これからのお茶人は、昔のお茶人みたいに、もてなす時に料理やお菓子は、自分で

やってもらいたいものだ。魯山人先生は昭和のはじめころにすでに、そうのたまわれておられる。

めんどうなことやけど、その中にいろいろ大事なもんがつまっている。

人のいく裏に道あり花の山      雪花山房にいった時に、噛みしめた言葉。感謝。

 


夏珈琲が美味い

2014-06-21 08:15:17 | Weblog

白井晟一さんの本が白井磨さんからおくられてきた。

白井晟一の建築Ⅲ 虚白庵と雲伴去。(めるくまーる)・・・・おすすめの本。1500円。

世界的な建築家・白井晟一さんが、住居・書斎・仕事場として建てたものが「虚白庵」で、江古田にあった。

今はない。「天真庵」のHPに「白井晟一研究所」がリンクしてあり、そこの表紙の写真がありし日の虚白庵。

池袋時代には、ちょくちょくお邪魔して、いろいろなことを勉強させていただいた。

天真庵には、彼が書いた「生」という書や、生涯愛用した柱時計が飾ってある。

白、黒の色合いの深さなど、それまで自分の中にはない「わびさび」に繋がる美意識や哲学

を聴きながらいただく、少し濃いめの深煎り珈琲の味が懐かしい。

今日は「花のお稽古」。

虚白庵には、その名のごとしの白い砂利を敷き詰めた枯山水のような庭があり、

そこにはただ一本だけ枝垂れ桜が一本植えてあった。

昨日は「ダメ中」で、元気な女子10名とアゴ酒を飲み、蕎麦を手繰った後、

その本を読みながら、また一合飲んでナイトキャップにした。

日々天真庵にて好日居。感謝。

 

 

 


佐賀のがばいじいちゃんの鮨会

2014-06-20 08:59:03 | Weblog

昨日は「味楽会」。月に一度、佐賀出身のがばいじいちゃんKさんがやってきて、

カウンター8人限定で鮨会をやっていて、昨日で7回目。

じいちゃんといっても75歳。人生90年時代でいえば、まだまだ旅の途中だ。

前日の水曜日は「仕込み」もかねて、悠玄亭玉さんの独演会にも参加された。

85歳になる玉ちゃんの人生をかけた芸に堪能し、元気ももらったみたいで、

より気骨のある鮨であり、鮨を握る勇姿がよかった。

鮨の喰い方に流儀はいらないけど、いい友達とカウンターに座って

やるのは、いい。いい友達をたくさんもつには、自分がまずいい友達になることだ。

「佐賀のがばいばあちゃん」という映画が流行ったけど、人昔前には、津々浦々どの

街にも、そんなばあちゃん、じいちゃんがいっぱいいたような気がする。

玉ちゃんや、Kさんみたいになりたいとみんなが目標にすると、高齢化社会も

捨てたもんじゃない。

老人ホームのスケジュールに、「かっぽれ」や「気骨の鮨会」や「落語」や「漫才」

などが入ると、毎日が楽しくて、「まだいきたくない」という気持ちになるのではなかろうか。

今日は「ダメから始める中国語」

中国語を習ったけど、挫折した・・・という人たちが集まって楽しく中国語を勉強している。

マンネリをふせぐために、時々中国語で演歌を歌ったり、水餃子作りの日をつくったり、飲み会

で飲みすぎて脱線することしきり。一度テレビの取材にきたカメラマンのカメラが、手ぶれ

というより、肩ぶれ、いや体ごと笑っていて映像がぼけるくらい、笑いたっぷりの会でもある。

「笑い」のある毎日こそ、日々是好日。

来月は「貸し切り」で、常連さんの娘の披露宴パーティーがある。

そこで浅草で活躍する芸人プッチャリンが初登場。ぼくも大好きな芸人なので近々

天真庵ライブをやろうと密かに計画中。

 

 

 

 


江戸の粋、いきって大事やな~

2014-06-19 08:04:08 | Weblog

昨日は「悠玄亭玉」さんの独演会だった。言葉では尽くせぬ「粋」な領域を大勢の縁ある人たちと堪能した。

昔から遊廓・花街には、その道の案内人みたいな「幇間」(ほうかん・・・たいこもち)がいた。

「いき」といのは、「意気」にもなるし、「呼吸」でもある。

会社人間の中には、よいしょばかりがうまく「よ、たいこもち」みたいな輩がいっぱいいるけど、

本来のたいこもちは、軽妙洒脱で、座敷の空気や人の機微をみながら、融通無碍に場を

盛り上げることができ、真面目腐った男たちでも心の底から楽しませるような芸をもっていて、

卑屈になることはなく、志と誇りをもって「幇間」という居場所をもっていた。

時代が変わり、座敷遊びよりもキャバクラ、三味線よりもカラオケになって、「いき」の世界が

狭まって、息苦しくなってきた。

江戸の文化は、寛文の京都から元禄の大阪経由で伝わり、江戸で花開いた。

「幇間芸」のひとつ、かっぽれも、大阪の住吉神社を起源にし、江戸で花開いた。

上方からいい日本酒も江戸に下ってくる。下ってこない駄酒のことを「下らない」といった。

今月86歳になる「芸一筋」のたまちゃんの芸のひとつひとつに、そんな日本人がどこかに

内包する「いきのDNA」みたいなものに共鳴した。彼女が生きている間、息をしている

あいだは「江戸のいき」は大丈夫だ。

今日はもうひとつの江戸の粋である「江戸前鮨を楽しむ会・味楽会」

明日は「ダメから始める中国語」

昨日聞いた都々逸を披露・・・・♪この膝はあなたに貸す膝 あなたの胸は私が泣くとき借りる胸

(これはABCある都々逸のBにあたるらしい。Cになると・・・放送コードにしっかかる(ひっかかる)ので、お座敷(ライブ)にて、チャンチャン)