長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

美人の尼さんと女義太夫

2013-08-31 08:37:58 | Weblog

先日、太田垣蓮月の話で織田流煎茶道の会で盛り上がった。歌人として、そして茶人として、

また蓮月焼きの陶芸家として名にしおう妻女であり、絶世の美女だったらしい。それが故に

(あまりにいいよる男性が多い)出家して尼さんになり晩年は南人画の富岡鉄斎を育てあげた。

昨日は、無茶しぃの会のメンバーに存命の尼さんの本をいただいた。道元禅師を祖とする曹洞宗

で禅を広めている女性。その中に山頭火(種田山頭火)の話がでてきた。こんな話だ。

ある人が放浪の歌人・山頭火を庵に訪ねた。主人は、「ようきた。あがって飯くっていけ」と歓待し、

茶碗にごはんを盛り、おかずは粗末な器の盛った辛子のつくだに、1菜のみ。

男は簡素だが、こころのこもったもてなしに感激する。食べ終わるやいなや、「茶碗が1個しかないんや」

といって、そのまま洗いもせず、そこにごはんをついで、山頭火はごはんを食べたらしい。後日がある。

客人があるというので、しばらく米櫃の底が空になっていたので、托鉢にいき、お米をお恵みいただき、

それでもてなした、ということを後から聞き、その客人はまた何倍もありりがたい気持ちになった、という話だった。

「もてなす」という原点があふれている話だ。かくありたいものだ、と思い、昨日は辛子の佃煮をつくった。

緑緑したからしのへたを落とし、すぱっと立てに切って、種をとり、フライパンに

、ごま油をひき、そこに投げ入れる。火が通りしなってきたら、蕎麦汁(なかったら、醤油・みりん・さとう)を

ひたひたに入れて、しばらくことことしたら、できあがり。こころのこもった炊きたてのごはんがあれば、おご馳走になる。

今日は押上文庫で「女義太夫の催し」がある。日本人にもどりたい、なんて思っている人はおすすめの内容。

——酒を聴き、義太夫に酔う

押上文庫の2階で行なう古典芸能を楽しむ会。

終演後には、懇親会をもうけます。お酒を飲みながら出演者とご来場の皆さまとで、楽しく語り合いましょう。ひとくちお稽古もあります。

日時:8月31日(土)

17時開演(16時半開場)

料金:前売り3,000円、当日3,500円(御飲食代含む)☆お酒の飲めない方には美味しいソフトドリンクもご用意いたしております。

予約:03-3617-7471(押上文庫) 080-5175-4057

 


道の駅 むなかた

2013-08-30 08:21:16 | Weblog

こないだの「ガイアの夜明け?」という番組で「道の駅」が特集された。

半分くらいが、ふるさと「むなかた」(宗像)の「道の駅」だった。年商19億で

九州の道の駅では一番らしい。宗像というのは、宗像大社の神域で、

昔から大陸との海の交易や文化の交流が深い場所で、仏教を学びに海を

渡った弘法さんも「おかげで、無事にもどってこれた」といって、高野山を

立てる前に鎮国寺というお寺を隣にたてた。日本海海戦に勝利した時も、「おかげ」で

ということで、東郷元帥が三笠の羅針盤が奉納されたりした。日本の歴史の「へそ」みたいな

場所。「道の駅」でさかなを買うと、特に夏は寄り道ができないので、宗像大社や鎮国寺

などに立ち寄ることもできない。近くにお店ができても、「はやく家に」よろしく、相乗効果

もあげられない。なんか「ゆとりのない」昨今の日本人の縮図みたいな一面も垣間見られる。

出張に博多にいった時に、宗像へ足を延ばすのは大変だけど、できたら一度いかれて見たら?

宗像大社のまわりの景色の中には、いまだに「古墳」が見られ、太古の日本の風景らしきものもある。

鎮国寺には、まだお大師さんの息使いが感じられたり、太古からあるハス(オオガハス)の姿も見れる。

おすすめは、「許斐山」(このみやま)に登って玄界灘の方面を見る。地球(ガイア)のルーツに波動する魂が

ブルブルと震える音が聞こえるはずだ。これがまことのガイアの夜明け。


はんなり がぴったりの京菓子

2013-08-29 08:57:10 | Weblog

先日、無茶しぃの会のメンバーがおもしろそうな本を持ってきた。

「武士の家計簿」を書いた作家が、太田垣蓮月のことを書いた本。

同じ無茶しぃの会のメンバーに渡してほしい、というので、快諾。

まったく煎茶とか、京都の煎茶にかかわってきた文人たちのことなど興味

もなかった人たちが、そんな風に興味を持ってくれたことがうれしい。

なんとなくうれしくなって、ガラスの急須に玉露を入れようとしていたら、

織田流煎茶道の同門の女子が、「いただきものですが、おすそ分け」といって

「加茂葵」を持ってきてくれた。売茶翁がお茶道具を持ってお茶を広めた場所

であり、方丈記を記した鴨長明のゆかりの下賀茂神社の近くにある宝泉堂のお菓子。

ぼくが若いころ珈琲の修行をした「からふねや」の発祥の地でもある。下賀茂神社といえば葵祭。

加茂葵は、丹波大納言を葵の形にして供してきた。まことに懐かしくて、書の会

の時に、みんなで日本酒の酒肴にした。「あんこ」は、酒の酒肴としても最上級にある。(ただし毎日やっては、糖尿病になる)

蓮月尼といえば、絶世の京美人であり、歌人であり、蓮月焼きという自分が作った歌を、急須などにくぎで彫って

焼く手法で、煎茶の世界ではあこがれの女性。晩年は富岡鉄斎を育てた人としても知られる。

今日は、自分のお茶のお稽古。ひさしぶりに表参道にいく予定。

福島の原発の汚染水の問題やら、世界中の金融危機やら、なんやらいよいよきたかみたいなシリアの戦争やら、

浮雲急をつげるような昨今だが、「人間らしく生きる」を思うと、「お茶」の世界の先人たちに学ぶこと多しだ。

「喫茶去」


インヨガ

2013-08-28 07:19:04 | Weblog

今日明日はお店はお休み。

でも今日の夜は「インヨガ」今年から始まったのだけど、なかなか好評で、

「健康で持続可能な・・・」というテーマにとてもフィットしたものだと思う。

月曜日の「論語の会」は来年で20年。今年伊勢神宮が20年に一度の式年遷宮の

年だけど、前回の式年遷宮の翌年に始ったものだ。「継続は力なり」というけど、

世の中で必要とされているものは、うすっぺらなトレンドで浮き沈みするようなものとは

根本的に違うと思う。これからも先生はじめ元気であれば、20年は続くのでは?と思う。

昨日は「書をしよう会」だった。呼吸を整え、おのおのが、おのおのの「思い」を墨でかく。

こんな楽しくてシンプルな芸術は、ほかに類がないくらい、いい。ほんものは「簡素」の中にある。

これから野菜を調達しに田舎へ出発。


今日は書の会 役にたつ昼行燈

2013-08-27 08:16:16 | Weblog

岐阜の山奥の温泉にいく途中で見つけた古い行燈がある。まわりには

和紙が張ってあって、よくよく見ると、大福帳らしき文字が並んでいた。

表に、「てんしんあん」とあだっちゃん(書の会の古株)に書いてもらって、玄関の横に

おいていた。夜になったら灯りをつけていたけど、営業が19時までなので、

ほとんど人眼につかず、まさに「昼行燈」(役にたたない人のことを、「ヒルアンドン」という)。

昨日お客さんに「誕生日プレゼント」といわれ、川口葉子さんの新しいカフェのエッセーをいただいた。

京都のカフェと、「好日居」という古い町屋を改装してカフェをやっておられる女主人を通して、京都

で次々と紡がれていく不思議なシンクロニシティー(必然のような偶然)がつづられていた。

好日居の女主人は、暑い暑い(京都では、暑さを強調したいとき、こんな風に二度言いをしはる)日

に天真庵の二階でお茶会をやったことがある。まるで「売茶翁」(ばいさおう)みたいな出で立ちやった。ん

今年は売茶翁没後250年。その新刊にも「売茶翁」のことが紹介されている。「無茶しぃの会」の

人らにもおすすめの本。本のタイトルは、「古いアパートメントがなんちゃら」みたいなんや?

上方(京都・大阪)から江戸に渡ってくるものを「下る」といった。書画骨董やお茶、お酒・・・など

下ってこないものを「下らない」というのはそのなごり。二階に飾ってある書や茶道具も、上さんは

「下らない」とか「またこんなもの買ってきて」とかあきれていうことがあるけど、ほんまは

「下ってきたもんじゃ」。煎茶の総本山みたいな黄檗山も、京都にある。最近の珈琲店の傾向を

見ても、西のほうが元気がいい。「喫茶去」の源流はやはり京都あたりにある。

最近は京都にいっても、田舎の方ばかりで、出町柳(京都の町を出る、という境目の町)より内

を散歩していないけど、「上らない」というレッテルもなんやし、ひさしぶりに「あぶり餅」でも食べに

いこうかしらん。からふねや時代の友達もなんやら不思議なカフェをはじめよったらしいし・・

今日は「書をしよう会」

その昼行灯を二階においたら、艶冶な空間を醸し出す。使いようによっては「下らない」ものも、役にたつ。


信州病?慢性の金欠病

2013-08-26 07:39:13 | Weblog

沖縄に行くと、しばらくの間、沖縄の話しかしなくなる。「沖縄病」というらしい。

ベトナムに5月に行った時も、しばらくベトナムの話しかしなくなった。「ベトナム病」か?

信州は、毎年いくけど、今回いった少し僻地の村は、「信州病」に感染してしまうほど、印象的だった。

蕎麦を食べていると、幻の蕎麦、オヤマボクチの蕎麦が懐かしくなったり、野菜をみたら「やたら」を思いだし、

肉屋にいくと、遠山郷の星野屋の猟師料理が食べたくなる。れっきとした病気だ。

猛暑が治まり、今朝は気持ちのいい風や虫のすだく音に「小さな秋」を感じる。

これから「卵かけごはん」 夜は「論語の会」

明日は「書をしよう会」 昨日の蕎麦打ちの生徒さんが、「珈琲も書もやりたい」という。

よくよく考えてみると、昔から、文人たちは、論語を読み、書をたしなみ、芸事を身につけ、飄々

と乱世の時も、人間らしく生きてこられた。世の中が混沌としてきたら、変なものに投資せず、

自分を磨くもの、自分が生きていくのに必要なものにお金をかける、というのが大切だと思う。

水曜日は「インヨガ」。体のケアーも乱世には大事なこと。

 


イクメンやイケメンが蕎麦打ちにぞくぞく登場

2013-08-25 08:31:54 | Weblog

今日は16時で閉店。そのあと「蕎麦打ちの会」。ひとりはボサノバの歌手のMさん。

包丁の持ち方が、歌と同じように、プロっぽく(歌はプロだ)、なかなか将来が楽しみだ。

先日「蕎麦の食い方」がプロっぽい男子が来て、来月から「蕎麦打ち」と「なんとなく蕎麦を喰う会」に入会。

多士済々の「イクメン」と「イケメン?」たちが、集まってきた。一昔前の蕎麦打ち指南は、全共闘時代の

「かたぶつおじさん」や「うんちたれ」(蘊蓄たれ)みたいなんが多かったが、21世紀型の蕎麦打ちスタイル

が花咲くような気がしている。粒々皆辛苦の蕎麦の旅も、新しい時代に突入した感がある。「もてなし」の修行は大事やね。

最近はイタリアン風の汁や、ガレットも七変化していて、おもしろい。先日は信州から新鮮な野菜

を調達したので、蕎麦粉をベースに、ピザ風のガレットをつくってみた。日本のワインにもあう。和韻!

明日は、「卵かけごはん」 夜は「論語の会」(順受の会、といいます)

火曜日は「書の会」  熱燗好きの先生が大好きな秋になる。秋は酒が美味い。静かに飲むべかりけりだが

水曜が「インヨガ」


なまくさものを喰う

2013-08-24 07:57:58 | Weblog

今回の信州の旅は、泊った宿も野菜中心の料理を食わせる宿で、昼は蕎麦を食べ、夜は郷土の野菜料理と地酒

という組み合わせで、湯治場で老体を癒す老人よろしく、体のケアーを中心にした毎日だった。

最後の日は、伊那谷を経由して遠山郷に行き、峠を越して、硯水泉の里経由で東京に帰るコースを選択。

伊那谷といえば、京都時代から友人の墓参りに通う道ずがら気になる場所で、隠居でもできるチャンスがあれば、

終の棲家にしたい候補地のひとつ。この土地で生まれ、鹿児島で後世を生きた椋鳩十(むくはとじゅう)さんの記念館

に立ち寄る。小学校の教科書なんかに彼の童話がでてくる。熊やうさぎ、きつね、さるなど人里近くで共生する

動物だちの物語は、まるで森に住む人になったような気分になった子どものころを思い出させる。

有名な「熊」の物語の舞台になったのが遠山郷で、山人(やまんど)たちとの交流で生まれた物語。

その山人を先祖にもつお店「星野屋」で、鹿や猪の料理を酒肴に地酒を飲んだ。やはりこのお店も元気なおばあちゃん

がいた。自然の中で自然に生き暮らす人たちは、やっぱり元気だ。自然のものを食べた「なまくさもの」は、なまくさくなく美味い。 

遠山郷から浜松まで行く道が、がけ崩れで不通になり、小さな迂回道を通って浜松にいく道がけっこう狭くて

ガードレールもない道をトラックなどと交差しながらというはめになり、久しぶりに四国や九州の僻地へいく旅

の醍醐味を味わった。でもこれもまた旅。いばらの道もある。それがいい。9月のライブ・・

1日(日) 朗読劇『夢の刻 従文月の杜』

柴咲ほたる(朗読・エーエス企画) ・ 天城凛太郎(脚本)
難波 研(音楽&演奏 aim music development)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

13日(金)MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・松岡美絵(ピアノ)・中竹英昭(ヴィオラ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

16日(月・祭) 弾き語りシャンソンライブ

演奏:・上原英里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・料理付き)

 


おばあちゃんの入れるサイフォン珈琲

2013-08-23 08:08:22 | Weblog

おばちゃんが打つ幻の蕎麦を食べた次の日、上田の駅前にある60年近く(1957年創業)

やってる珈琲屋を訪ねた。上田といえば、有名な蕎麦屋とパン屋(ルパン三世、みたいな名前)がある。

どちらも縁があるので、まずそのパン屋にいってみた。カフェもあり時間が

はやかったので、パンを買って帰ろうとしたら、主人が「どこかでお会いしましたね」

と声をかけてくれた。「いつぞや、来ていただき、おおきに、天真庵どす」と挨拶したら、

お店の中を案内してくれた。無駄な装飾がなく、あるべきところに、調度品がうまく配置され、

店員さんたちもスレンダーで両性具有みたいにスマートな出で立ちで、テキパキと楽しそうに

仕事をしている。「さすがや」なと感心して、おもわず店主と握手をしてしまった。チェーン店ではなく全国的なお店

というのは、突き抜けた「ほんもの」を随所に感じる。

その後、有名な蕎麦屋で蕎麦をずずっと手繰り、珈琲店へ。カウンターの中におばあちゃんがいた。

音楽もなければ、会話も無駄なことを聞いてはいけない。60年間ずっとそうしてきた雰囲気に波動をあわせながら、

「ブレンドください」と注文。コウノのサイフォンで丁寧に香ばしい珈琲を入れてくれる。冷蔵庫に手をかけようとしたので、

「ミルクも砂糖もいりません」といったら、ニコッと笑って「そうですか」と一言。でもここから「珈琲はブラックときめてます」

とか、「この珈琲はどんな豆ですか」などと言ったりすると、煎った珈琲豆に対して無粋なくらい静謐な雰囲気がただよう。

でもけっして、窮屈な思いはなく、昔北九州の小倉の駅前の裏通りにあったおばあちゃんがやっていた珈琲屋「モカ」を

思いだした。ウィンナー珈琲を注文したら、家庭用の白い冷蔵庫からホイップクリームが入ったボールをとりだし、

それを大きなスプーンでくるっとすくって、砂糖大ひとつを入れた珈琲の上に丸くのせ、スプーンで上の丸をこわさない

ようにまぜる所作が、かっこよく、ひょっとしたらその手つきにひとめぼれして、その後小倉駅から京都にいって、珈琲屋

で修行する運命にあったのでは?と思うことがある。天真庵には、ウィンナー珈琲はメニューにないけど、そのモカの

おばあちゃんの所作は体にしみついている。と同じように、「木の実」の店主の所作も、お茶のお手前みたいにみごとだ。

今日から夏休み明けの営業。夕方は「タイムドメイン」。

好きなCDをもって、飲みたいお酒(飲ませたいお酒)、喰いたい酒肴(食わせたい・・)を持ち寄って、談論風発。

桜島の噴火や異常気象、世界中が混沌としている大恐慌の中、明日が来たらラッキーだけど、こなかったら

「これが最後の晩餐」となると思うと、この会は、ぴったりの宴。一期一会に感謝。

 

 


蕎麦の原風景が見えた

2013-08-22 09:14:30 | Weblog

休みを利用して、新潟と長野の境界線近くにある集落にいってきた。

「ヤマゴボウ」と地元の人が呼んでいるオヤマボクチという植物を乾燥させてつなぎ

にする蕎麦は、のどごしがよく、冬は豪雪で交通の便もわるい地でもあり、「幻の蕎麦」

と呼ばれている。難所だった峠にトンネルができ、昭和から平成に変わるあたりから、

4件のお店が開店。といっても、一軒が小学校跡地にあり、ほかの三件は民家

を解放した食堂。その一軒の「◎◎食堂」という名のお店にお邪魔した。

朝10時開店。10分前に玄関の前に車をとめ、あきき放たれた玄関先で「ちわっす」と声を

かけても、返事がない。玄関にはつばめの巣があるので、たぶんいつも開け放っているのだろう。

表でおいしい信州の空気を吸いながら、自彊術体操をやっていたら、近くの森?の中から

元気なおばあちゃんの声がした。「今からおすぐに下りていくから、勝手にあがってまってけろ。」

いいね。たぶん開店して25年、こんな自然な接客で蕎麦を供してきたのだろう。

田舎のおばあちゃんの家に遊びにきた感覚で家にあがり、窓際のテーブルに坐る。

5分くらいして、元気な「みよき」ばあちゃんがもどってきた。ニコニコしながら「今日はわしひとり

だから、ちょっともたもたするかもしれんけど・・」とかいうようなことを地元言葉でのたまう。

「いや、かまいません」といい、「そばと酒」を所望。このお店は蕎麦をたのむと、待つ時間

に5皿の前菜がでてくる。きゅうりのつけもん、たくあん、とまとを切ったもの、蕎麦の薬味のねぎ、

5皿目が「やたら」。やたらは、きゅうり、にんじん、みょうが、だいこんの糠味噌などを刻んで混ぜ合わせた

もの。酒の酒肴にいいし、蕎麦の薬味としても身土不二の極みのような滋味あふれたものだ。

よたよたしながら、みよきおばあちゃんが、「てぼんでごめん、こぼすなよ」と叫びながら、キリンビール

と印刷されたコップにお酒を並々いれて、受け皿といっしょにもってきてくれた。お盆を使わず、その

まま手でもってくることを、「手盆」という。なんとも奥ゆかしい日本のおもてなしを、奥深い山村で受けた。

そばは、おばあちゃんが3m近くある「のし棒」を使って、畳の上にシート(新聞?)の上で打つ。

京都にいるころから毎年のように信州を旅して、蕎麦もいろんなお店で食べてきたけど、「源流」

の一滴に出会ったような「食堂」やった。そばの一粒一粒、酒の一滴一滴・・・みな粒々皆辛苦の結晶。

 

あまりに酒がうまくて、もう一杯頼むと、また奥のほうから

「てぼんでごめん、こぼすなよ」と叫びながら、おばあちゃんがニコニコしながらやってきた。天恩感謝。