長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今朝は卵かけごはん。

2013-09-30 07:37:56 | Weblog

今年の2月に仕込んだ味噌がそろそろできあがる。29人の人が

やったので、それぞれの居場所で、それぞれの味になっているに違いない。

前日、アマゾンで昔何度か祇園でお見かけした楠本憲吉さんの「みそ汁礼賛」

という本を買った。灘万という老舗の料理やで生まれ、俳人でもあった師の味噌汁に

関しての記述はまことに、興味深いものがたくさんあった。

冒頭にこんなくだりがある。

古来、女の好む三つの味として、「いも、たこ、なんきん」があげられるが、男性の好む三つの味

とは何だろうか。私は「コーヒー、みそ汁、おふくろの味」だといいたい・・・・・・

 

今日は「順受の会」  明日から10月。少しずつ背負う荷物を減らしながら冬ごもり。

明日は「英語で蕎麦会」

 


寿司喰いね~

2013-09-29 08:02:34 | Weblog

天真庵の前に寿司屋(宅配寿司)ができた。できる前からスタッフが蕎麦を食べに

きてくれたり、開店の日に寿司をもってきてくれたり、フレンドリーな付き合いが

できている。昨日は常連さんのおじいちゃんと話をしていたら、もうすぐ89歳になると

いう。自分の年も一歳逆さばを読むくらい計算が苦手というか、年なんかに無頓着だけど、

どう考えても、89歳ではないので、生まれた年を聞いたら「関東大震災の前年」とのこと、

「では今が90歳で、誕生日がきたら91歳でっせ」となり、「卒寿をやらねば」ということになり、

「では、ぼくが前の寿司をおごる。」と江戸弁でのたまわれ、一番高い寿司をごちそうになりながら、人生を語り尽くした。

「寿司はおごられてこそ、味がわかる」という名言がある。値段のことや、誰が勘定を払うなど邪念が入ると、味どころ

ではない。卒寿。大正・昭和・平成と3つの時代を生き、震災、戦争を生き延び、スカイツリーができるまで生かされて

いる命を共に祝った。生きていく命、死んでいく命、どちらも尊い命。

明日は「順受の会」 この会のメンバーで元気な女社長が今年のはじめ、ガンで昇華された。65歳。

来年で20周年を迎えるけど、卒寿までは無理にしても、命あるかぎり、続けていってほしい会。

明後日は10月になる。「英語で蕎麦会」

この会の先生に嫡男が生まれ、一歳になった。「ママ」よりも先に先生に「とんしゃん」と

いったらしい。前世で界隈の花街で三味線でもききながら酒を飲んでいたのでは

なかろうか?♪向島 風に吹かれて チン・トンシャン


盗み喰い

2013-09-28 08:15:16 | Weblog

昨日は「古典華道入門」の勉強会。

先生は栃木から、生徒さんも静岡あたりからあまたこられる。

お茶やお花を今どきやる人は「奇人」が多い。人間の目から見ると奇人

ではあるけど、自然の視線で見ると実に個性的でおもしろい人たちが多い。

昨日は、華道ができる以前、床の間などの発展につき、花の生け方も進歩していった話

の中で、「くばり」など、いわゆる「花をどうとめるか」といういう「花留め」についての話が実に

おもしろかった。くばりは、たとえば草木でつくる場合もあるし、竹を削って井筒にする場合もある。

水仙を井筒のくばりにして生けると、部屋中が凛然とした空気に包まれる。

天真庵の中にも、いろいろ花を投げ入れる。個人的に「生ける」よりも「入れる」という所作のほうが性に合って

いるので、ねこやん(ねこの花器)や、窓際にある農具の上においた蕎麦猪口には、石ころを入れて花留めに

している。よく古道具屋で見かけるかにさんや、かめさんも水盤の「花留め」として使われてきたものだ。

会の途中、「nusumigui」の主人がふらっと遊びにきた。先週オープンした小村井(おむらい)のショップ。

名前の由来は「盗み喰い」。名前を漢字で書くと、ただぐいみたいな罪悪を感じるけど、肩肘張って

フレンチ、の対岸にある「台所でおふくろのつくった肉じゃがをぬすみ喰い」といった感じ。名前から「食堂」

と間違えることが多いらしいが、ちゃう。「nusumigui」で検索してみると、素敵な世界が広がる。

昨日は「オープンに関していろいろ尽力いただいたおかえし」といって、手作りの素敵なものをプレゼント

された。原始的ぶつぶつ交換が最高の「つながり」だと思うけど、ほんとうにそこに「手作り」のものが

はいると、こころまで繋がってくる。吾以外皆師ではないけど、いろいろな人に学ぶこと多し。日々是道場。

今日の夜は「スケッチの会」(そば会付き3000円)

庭に「ほととぎす」の花がたくさん咲いている。今日はこれを飾って、モデルにしてもらおうか?

咲かざれば 咲くまで待とう ほととぎす


古典華道入門   18時閉店 

2013-09-27 08:07:49 | Weblog

昨日は声ヨガだった。かっぽれの先生と兄弟弟子が参加し、その弟子の声の

よさにビックリ。女子の中の逆紅一点の声というのも、なかなかいいもんだ。

今日は、「古典華道入門」の日。会場が二か所でやっている関係で、2か月か3カ月

に一度のペースで天真庵でやっている。18時閉店。

ヨガも古典のインド音楽を勉強した中から生まれたものだし、華道も「道」がつくまでの

自然発生のところあたりから歴史を学ぶと、「なるほど」とストンと体の中に落ちるようなところがある。

月曜日の「順受の会」も式年遷宮みたいに20年目を迎えられるのは「古典」を中心に勉強しているから

だと思う。人生の「イザ」という時に役に立つのだと思う。でも昔から論語読みの論語知らず、という

くらいいい得て妙な言葉があるくらいだから、古典を勉強しているからって、鼻にかけたりしていると、

コテンとやられるかも。

明日の夜は「スケッチの会」

芸術の秋であり、実り多い食欲の秋でもある。感謝。


声ヨガ

2013-09-26 08:01:37 | Weblog

昨日は一日雨。読みたい本がたまっていたので、一日中本を読む。

みかみくんに借りている「澤木興道老師」の本は手ごわいけど、雨の日に

読むにはうってつけの本だった。

禅の坊さんといえば、表参道の「大坊珈琲」の大坊さんが今年一杯で表参道のお店に緞帳を下ろす、

という記事が先週の新聞にのっていた。表参道の交差点のところで、38年間、茶人か禅僧みたいな風貌で

ただ珈琲を入れている奇人いや貴人だ。織田流煎茶道の教室がヒルズの近くにあるので、ときどきお稽古

の前に立ち寄る。階段をあがって二階のお店に入ったとたんに、凛然とした茶室みたいな空気に包まれる。

20g100cc、15g150cc、25g50cc・・・いろいろなこさの珈琲が楽しめる。少しの量を注文すると、

升たかさんのデミに入れて供される。うちのカウンターのところにも升たかさんの珈琲カップがおいて

あるけど、2007年にオープンした記念につくってもらったものだ。「大坊珈琲さんのカウンター

に坐ると、東京にきた、という気分になる。どうか天真庵もそんなお店にしてほしい」とのことだった。

大坊さんの足もとにも及ばないけど、大坊さんが追い続けているものを、追っているような手ごたえは

ある。一度大坊さんが、天真庵あんに珈琲を飲みにこられたことがある。お客さんとして坐っておられても

独特の雰囲気がある。お茶でいう、主客一体といった感じ。

今日の夜19時半から、「声ヨガ」。インド音楽をやる中村徳子さんがやってきて、指導をしてくれる。

彼女は京都の八瀬という不思議な場所に住んでいて、京都、東京、スペインをいったりきたりしながらン祭

インド音楽の演奏や、声ヨガを広めている。ぼくが修行した「からふねや」の一号店が、「むぎ」という

喫茶店になって、そこの主人との交流があったり、蕎麦の修行中に黒谷のお寺の梅見の会で蕎麦

を打った場所で、演奏会をやっていたり・・・ちょっと不思議な「えにし」を感じる女性。

10月は、天才歌姫が二名やってくる。

5日(土) les・KOMATIS ライブ

演奏:Nobie (ヴォーカル)・片倉真由子(ピアノ)・太田朱美(フルート)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

31日(木) 天真庵ネット31ライブ“ 「国貞雅子 Solo」

演奏:国貞雅子(ヴォーカル&ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


阿闍梨 餅

2013-09-24 08:09:38 | Weblog

「 千日回峰 ( せんにちかいほう ) 」 を2度達成した 大阿闍梨 ( だいあじゃり )の酒井さんの訃報

が朝刊にあった。生きているうちに仏になるのうなこの星の中で一番厳しい修行を2度も体験された

すごい人だ。きっとこの世(現象世界)とあの世(実相世界)を自由に往復していてに違いない。鎮魂。

千日回峰行で最後に断食をやるとき、「そばがき」を食べるらしい。死ぬ覚悟で、知人たちを集めて

最後の晩餐よろしく、とろとろのそばがきを食べるのだそうだ。ルチンやビタミン類は水溶性で、蕎麦

を茹でる時に、お湯に流れてしまう。だから「そば湯」を飲むことによって、それを補う。その点、そばがき

は、一物一体、そのものをあるがままにいただくという天地自然の理にかなった食べ方だ。

これから「そばがきぜんざい」もたまらなく美味くなる。

京都に住んでいた時から、阿闍梨餅が大好物だった。三条河原町を下がったあたりに、古色蒼然とした

たたづまいのお店があった。今は、けっこういろんなところで買えるようになったけど、京都のお土産

には一番。

また台風が近づいているみたいだけど、だいぶ過ごしやすい季節がきた。

今日の夜は「タイムドメイン」の日。イワジーが、不思議なオーディオを、売茶翁よろしく

ぶらさげてやってくる。ただ以下にはならないけど、CDやお酒や酒肴を持ち込めば、

お金はいらない日。

明後日は「声ヨガ」  京都から中村さんがやってきて、二回目になる。


じょあん  

2013-09-23 07:28:30 | Weblog

昨日は日曜日なので、16時に閉店し、それから男子の「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を食う会」

だった。期待の新人さんは、昔ラグビーをやっていたらしく、筋骨隆々の体からしなるような美しい蕎麦

ができるのも、近い将来だろう。最初は、菊練りやねこ手の洗礼を受ける。ダメ押しのように、大きな包丁

でも「切り」が締めくくる。水回しをして、練って、伸ばして、たたんで、切るだけの「簡素」なものだけど、

この星の上にある「ホンモノはみな簡素」の極みみたいな料理かも。

続いて、3回目になるボサノバ歌手のMさん。Mさんは、11月30日(土)に天真庵で「ボサノバライブ」が決定。

天は二物を与えず、に反し、甘いマスクに負けない甘い声で、ボサノバを歌う。

昨日彼が蕎麦を打っている時に、ラジオからジョアン・ジルベルトの歌が流れた。彼は蕎麦に集中していたが、

少しからかって、「ライバルの歌が聴こえてくると、手元が狂わない?」といったら、ラジオに耳を傾け、

「あ、ジルベルトですね。ライバル・・・とんでもない。彼はボサノバの神様です」と甘辛い声で答えた。

Mさんの芸名は「松庵」ひょっとしたら松庵ジルベルトの縁起かも。その後の「なんとなく蕎麦を食う会」

の時に聞こうと思っていたが、飲みすぎて聞くのを忘れた。

ジョアンといえば、「如庵」。私が修行している織田流煎茶道の祖、織田有楽斎が作った茶室の名前。

京都の建仁寺の中に立てたのだが、今は愛知県犬山市の有楽苑の中にある。

ボサノバといえば、天才ノビが10月に天真庵でライブ。美人3人の「小町」

5日(土) les・KOMATIS ライブ

演奏:Nobie (ヴォーカル)・片倉真由子(ピアノ)・太田朱美(フルート)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


今日は日曜日蕎麦打ち学校 &なんとなく蕎麦を食う会

2013-09-22 08:45:00 | Weblog

今月は日曜日が5回ある。うち3回が「日曜蕎麦打ち教室」

まじめに蕎麦打ちを習いに、多士済々の人らが集まってくる。

昨日は、南條先生が2000年にニューヨークのソーホーで「寒山拾得(かんざんじゅっとく)展」を

やった時に、いっしょにニューヨークまでいった「あまりにも美しすぎる茶人」みたいな女性が

8人の「蕎麦会席の会」をやってくれた。お父様が来ていた着物を洗い張りをし、ご婦人用に仕立て

なおし、お母様の来ていた羽織の裏地を帯にして、颯爽とやってこられた。さすが茶人だ。さりげない御洒落を感じる。

会の終わりに抹茶をたててくれる。いつもは「こぼし」に使わせてもらっている久保忠廣さんの志野の抹茶茶わんに

薄茶をたてていただき、一服。「たいへんけっこうなおかげんで・・・」。まさに体の中に清風が吹く。

歩歩起清風  どんな道も、ひとつごとを一歩一歩すすんでいくと、清らかな風がふくもんだ。

あまりおどろいたえもいけないけど、このブログのところに「カフェの学校」の広告がのっている。

ケチをつけるわけではないけど、そんなとこいってもあまり効果がないんとちゃうやろか?

老舗の喫茶店やお店たちも、苦戦をしいられているような時代。通り一辺倒のマニュアル化されたような

ことを教えられてうまくいくほど甘くないと思う。唯一無二、人が逆立ちしても追いつかないレベルのもを

やらないと、これからはあかんやろね。消費税もあがるしね。

明日は祭日だけど、朝8時から10時までは「卵かけごはん」

明後日火曜日は「タイムドメイン」(好きなCD 好きな酒 好きなおつまみを持ち寄りパーティー)

木曜日は「声ヨガ」

 


皮から始める水餃子

2013-09-21 08:14:01 | Weblog

昨日は「ダメから始める中国語」だった。二度目の「皮から始める水餃子」

皮は、強力粉200g に水100ml  加水率は蕎麦と同じく50%。

餡は、豚バラ薄切肉200g 白菜3枚  にら半把 生生姜 そこに調味料(塩・胡椒・酒・醤油・サラダ油・ごま油)

これをベースに、プレーンと、卵・きくらげ、厚揚げ・蓮根の三種類の餃子を、参加者8人で手分けしてつくり、

蕎麦を茹でる釜で茹でて、ポン酢で食べた。40個できたので、ひとり5個づつ。あまりに美味くて「押上餃子」の

お店をだそう!なんていう勢いだった。ちょうど「かぼす」が手に入ったので「旬」を感じた。秋はいいね!

今日の夜は「茶人」たちがあまたやってきて、蕎麦会席。まだ何をやるか(お茶と蕎麦まわりはきまっているが)、

秋がきたので、それらしき雰囲気の蕎麦会にしたいもんだ。

これから「お花の教室」。秋の花を投げ入れるだけで、部屋の中も秋色に一瞬にしてかわる。

季語が失われた都会では、季節の変わり目が一番わかる瞬間。

明日は「蕎麦打ち教室」と「なんとなく蕎麦を喰う会」  蕎麦が打てて、蕎麦をなんとなく、かっこよく手繰り、

酒や器や人生を語る・・・ま、そんな会。


ダメから始める中国語

2013-09-20 08:38:10 | Weblog

今日は「ダメ中」こと、ダメから始める中国語。みんなで水餃子を皮から作って食べる予定。

餅つきもそうだけど、気のおけない仲間たちと、わいわい協力していっしょにつくったものを

食べる、というのはこのうえもなく楽しい宴になる。「おいしいものを食べる」よりも

「おいしく食べる」ほうがだんぜん愉快でいい。これからの時代のキーワード。餃子の皮を作る所作は、蕎麦打ちと共通

するものも多く、アジアンなDNAが不思議な反応をする。今朝蕎麦を打ちながらそんなことを思った。

昨日は天気があまりにもよかったけど、新しい珈琲豆がいっぱい入荷して、いろいろ焙煎していると、

気がついたら16時ころになっていて、自転車でイルフィオレットさんにいき、カレーのスパイスをわけて

もらって、カレーを仕込んだ。「とんさま」をつくる時に、豚のバラ肉とをそばの「かえし」と「たまねぎ」で煮る。

その豚とかえしのしみ込んだたまねぎを使ってカレーを作ると、美味い。蕎麦をカレー南蛮にして、角煮と半熟

の卵を上にのせてやると、それだけで3合は飲める。ただし、メニューにはないけど・・・

明日は昼間は「お花のお稽古」夜はお茶人たちがきて「蕎麦会」をやるそうな。もう5・6回会目になるけど、いろいろ勉強になる会。

日曜日は、男子の「蕎麦打ち」&「なんとなく蕎麦を喰う会」 期待の新人さんも参加。いよいよこの会も

盛況になってきた。びん棒を振り回し、蕎麦という素食と酒を味わう。文人墨客の歩んだ道みたいな粋な世界を堪能する。