長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

なんとなく散歩日和

2015-09-30 13:48:40 | Weblog

今日はひさしぶりの休み。

論語の会・書の会で飲みすぎた。というのは、昔から文人墨客たちが清貧の中で、

酒を酌み交わし、飯を喰い、茶を酌み交わし、談論風発を楽しんだ

「浅酌(しゅしゃく)」に似ていて実におもしろしし、人生の深みを感じる会である

昨日はおまけに、友達が山梨のワインを持参してくれて、またそれが「なんやら」

いうワインで一本8800円らしいけど、フランスワインに負けないくらい美味く、

ジャズを聴きながら飲みほした後は、ウィスキーをロックで飲み・・・なんて

やったから、さすがに酒豪さんたちも、千鳥足で帰っていった。

お抹茶の世界ではそんな酒席を「懐石」という。煎茶では、普茶料理とか卓袱料理が中心で、

肩肘はらずに自由な傾向がある。二階の「普茶料理風そば膳」は、そんな

ものを根底におきながら組み立てている。かちっと決めると、堅苦しいので

その場の雰囲気で融通無碍にやらしてもらっている。

今朝は天気がいいので、亀戸天神界隈を散策。亀戸ぎょうざでビールを

飲みながら、ぎょうざ3皿を平らげた。

これから近所のお寺さんで珈琲を20杯入れるので、その準備にかかる。

けっきょく、少し仕事もするけど、いい一日。


論語にあうお酒  書家の好きなぽん酒

2015-09-29 08:09:39 | Weblog

時々近くに住むおばあちゃんが、地下鉄なんかに置いてある「フリーペーパ」を

ポスティングしてくれる。「籠の鳥みたくいつもお店の中にいるのでかわいそうに思って」

という理由だそうだ。お礼をしようとするといつもおこられる。ある時、天真庵のポストケードを

渡したら、「私はハガキなんかださないわよ」という。久保さんの器をさしあげるとにっこり笑って

「素敵な黄瀬戸ね」ときた。黄瀬戸がわかるのがうれしい。その後間髪をいれず「そろそろ断捨離なので、

今後のお礼は無用よ」とのこと。でも創業から9年間、週に最低一度のペースで入れてくれるのだ。

昨日は「メトロmini」が入っていた。この雑誌には、「元気シールのなぞとき会」というフリーエネルギーの勉強会

の様子を紹介してもらったことがあり、たいへん気にいっているフリーペーパのひとつ。

最新号は「日本酒」の特集。10月1日は「日本酒の日」らしい。九州で産まれたので中学3年くらいから酒を飲んで

きたけど、そんな日があるとは、しらなんだ。

最近の日本酒のトレンドは、ワイングラスで飲む、らしい。その国国で、長い時間をかけて、食べ物や酒の

文化が育っていく。だれが仕掛けるのか知らないが、ボージヨレよろしく、ねこやしゃくしもワインを飲む日が

あったり、せんずり祭りのような日本酒のイベントがあったり・・・というのには、どうもなじめないタチだ。

10月の13日(火曜日)から、青山の「炎色野」(ひいろの)というギャラリーで、素敵な陶展があり、

天真庵の「ほぼぶらじる」の珈琲カップをはじめ、ほぼ9割の器を作ってくれている久保忠廣さんの

イベントがある。魯山人さまがいうように、器と料理、器と酒は、ひとと着物の関係と同様、一如、切り離せないのである。

おいしい酒を飲む、よりもおいしく酒を飲む、ほうが10倍楽し。おいしく飲むコツは、いい友達と飲むことだ。

いい友達を持つコツは、まず自分がいい友達になること。つまり、米をよく磨いた酒がうまいごとく、自分を磨く、ということだ。

昨日は「順受の会」だった。鹿児島出身の松田先生が、20年前から論語を教えてくれる。この会では、

焼酎のそば湯割が定番。昨日は奄美の黒糖焼酎を飲みながら、詩吟の話をしたり、世相を語りあったり。

今日は「書をしよう会」。貞本先生とは、大塚の「江戸一」という日本酒のお店で会い、意気投合して、天真庵の

看板を書いてもらったり、書の指南をお願いするようになった。彼は「白鷹」という伊勢神宮のお神酒のぬる燗が好きだ。

酒飲みのことを「左利き」という。大工が金鎚を右手、左手に蚤をもつ。その「のみ」と「呑み」をかけた洒落だ。

酒を注ぐ器のことを「徳利」という。お金がなくても、人に好かれたり、徳がある人が持つ器、という意味だ。

ワイングラスに注いだ酒をどこかでにわかに仕入れた臭いうんちくなどをほざきながら飲む酒は、さしずめ「うんこ酒」

みたいなものではなかろうかしらん。

井伏鱒二先生の訳で有名な「勧酒」というのがある。味わい深い酒と人生の詩。

「このさかづきをうけてくれ どうぞ なみなみつがしておくれ 花に嵐のたとへもあるぞ さよならだけが人生だ。」

昔から酒飲みのあこがれは「備前の徳利に斑唐津の猪口」というのがある、どうやら井伏さんがいいだしっぺらしい。

たんなるうすっぺらいトレンドではなく、そんなしつらいで飲ませるお店には、人生とおなじような深み風格みたいなものが

宿っているように思う。湯豆腐をゆっくり楽しみながら、その傍らに「ひとはだ」の燗酒を楽しむように、ゆるりと人生ともども

歩いていきたいものだ、と最近よく思うのである。年をとったかもなんばん。感謝。

 

 

 


月を見る君を思う

2015-09-28 07:00:43 | Weblog

お彼岸の時、三線のタケシーが押上の名刹・春慶寺で200人の前で

ライブをやった。その帰りにうちによってくれ、新しく吹き込んだCDを

置いていった。ハーモニカをマツモニカさんが演奏し、「月を見る君を思う」

というタケシーのオリジナルソングが頭に入っている。名曲だ。

昨日は「仲秋の名月」。先週は月を意味するLUNAさんたちがライブ。

昨日は、お弟子さまたちが、仲秋の名月に手向けるような見事な蕎麦を打った。

今日はそれを持参して、風光明媚な群馬の山奥で奉納舞いとともに蕎麦をふるまうらしい。

今日は「スーパームーン」で順受の会。

これから「卵かけごはん」

明日は「書をしよう会」

火曜日は「書をしよう会」    最近お花の先生に掛け軸をいただき、二階にかけてある。

明治維新の動乱期を生き、自由民権運動にも尽力し、最後はお寺で絵を描いている最中に筆をもったまんま

天国に召された、という気骨の人の絵。藤森桂谷先生が描いたものだ。生きていた人の生きていた息吹の瞬間が

永劫の力を持っている。それを見る人に人生観を変えくらいの力がある。まさに芸術。その絵にも「月」がある。

生きている間は、美しいもの、音、こころを感じ取れる感性の鏡をさびないように磨き続けていたいものだ。

 

 

7日(水) Cocolo‘ne らいぶ

演奏:水谷美月(ヴォーカル・ヴァイオリン)・塙 一郎(ギター・ヴァオーカル)・鈴木豪志(ヴォーカル・パーカッション・フルート)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

31日(土) スタンダードジャズ

演奏:赤須翔(ギター)・篠原完治(トランペット)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


芸術の秋とかスポーツの秋とか・・・サンマを喰う秋

2015-09-27 08:11:49 | Weblog

こないだまで暑い暑いとうだっていたけど、一年のうちで、一番過ごし

やすい季節になった。昨日はネットで注文した炭が、まとめておくられてきた。

10月の末くらいから、炭で暖をとる、のがならわしである。もちろん真冬は

石油ストーブも使用し、ながらで、湯を沸かしたり、2月は大豆を炊いたりしながら

一石多鳥のエコ生活。今年の冬は炭であぶったもんを、メニューにない商品にしたい、

などと考えたりしている。

珈琲を供する店なので、匂いのきついものは遠慮がちになる。池袋時代は、かぼす

が手に入り、魚屋の店頭にさんまがでまわる今ごろの季節には、炭でさんまをあぶり、

だいこんをやまんごとすり、かぼすをしぼり、酒のつまみにしたもんだ。

恵比寿のテナントビルの一角にへんなお店があった。主人ひとりでやっていたけど、手間を惜しまない人で、

契約上は微妙というか違反だったと思うけど、ビルの階段に七輪を置いていて、秋にはサンマをそれで焼いてくれた。

ただし、サンマを焼く時間はお店の番がいないので、それを注文した人が、主人になりかわって、お酒やつまみの追加に

追われたり、新しいお客さんがきたら、席に誘導し、つきだしをだしたり、飲み物を用意したりするのがならわしだった。

酒好きの主人はそれがもとで60の坂をこせずに逝ってしまい、店もそれきになったけど、自分の中では、東京の店で

3本の指、いやいちばんだったと思う。一代限り、マニュアルにもならない、70億の一の「個」を全うした人生だったと思う。

さて、今日は日曜日。日曜日は16時で閉店。それ以降は「日曜蕎麦の会」

最近の蕎麦のお弟子様たちは、農業をやり始めたり、ほんとうに田舎に住みはじめたり、蕎麦を自分で栽培するような

人が増えてきた。10月には、八郷の「暮らしの実験室農場」で蕎麦の収穫祭をやる予定。11月29日はそこで「蕎麦打ち」を

やる。蕎麦打ちは自分が教えさせてもらったけど、生き方全般は、学ぶこと多し、である。

明日の朝は「卵かけごはん」  手前味噌がゆっくり広がっていくように、月曜日の朝もファンが少なからず増えてきた。

炊きたてのごはんに、ちゃんとした飼い方をした鶏の卵を割り入れ(天真庵では、少しちがった究極の食べ方をすすめていますが・・)

、遺伝子組み換えとかでない国産大豆をつかった醤油をかけ、具だくさんの味噌汁、米編に健康の康がついた糠につけた漬物や

ちゃんとした野菜の漬物を食べる、という日本人が昔から続けてきた「簡素な朝餉(あさげ)」。

夜は「順受の会」 20年続いている「論語の会」。人生には、30の坂、40の坂など坂もあるけど、大きくわけて

「上り坂」「下り坂」「まさかの坂」があるらしい。上り坂と下り坂は、なんとかなる坂で、上手にやるとどちらもそれなりに

楽しい。でも「まさかの坂」を迎えたら、ひごろの「友達つきあい」とか「人間力」の問題になるらしい。そしてこれから

東京オリンピックあたりまでは世界中で「まさかの坂」になりそうな気がする。

火曜日は「書をしよう会」    最近お花の先生に掛け軸をいただき、二階にかけてある。

明治維新の動乱期を生き、自由民権運動にも尽力し、最後はお寺で絵を描いている最中に筆をもったまんま

天国に召された、という気骨の人の絵。藤森桂谷先生が描いたものだ。生きていた人の生きていた息吹の瞬間が

永劫の力を持っている。それを見る人に人生観を変えくらいの力がある。まさに芸術。

生きている間は、美しいもの、音、こころを感じ取れる感性の鏡をさびないように磨き続けていたいものだ。

 

 

 


豆の旅

2015-09-26 08:47:49 | Weblog

京都の花見小路にあった料理屋の持ち帰りメニューにそんなんがあった。

藤山寛美さんが南座で公演をやるとよくいっていたお店で、彼が湯葉をつかった

その料理の命名親だった。

昨日は「倍音の森」だった。まるで「音の旅」やし、人生の「出会いの旅」やと痛感しながら蕎麦をだした。

セシル・モンローが生前に共演するアーティストに、

「うちのすぐ近くにライブができる変な蕎麦屋ができた」と宣伝してくれていて、

大石学さんもその悪魔のささやきみたいな声に騙され?て、うちでライブを

やることになったり、昨日のメンバーの歌姫の「LUNA」も同じ穴のむじなよろしく

やってきたのが縁だ。コントラバス奏者の田嶋さんも「まる」というユニットで

天真庵でライブをやってくれた。みんな無駄のない縁で繋がっている。

彼らがレコ発ツアーで今月20日に春日村のガラス工房でライブをやった。昨年

春日茶を積みにいった場所だ。22日は京都三条の「いとやの娘」もとい、

アバンギルドでやった。そこは、うちで「染めもん展」をやってくれていた富夢さん

こと野村富造さんがよくかよったライブハウスだ。

みんな「根っこ」が繋がっている森に住んでいて、じっと精妙に息を整えていると、

森の精たちの歌声が聴こえてくる。まさに「倍音の森」の音楽はそれやね。

10月4日は関内の馬車道・横濱エアジン  11月3日が西荻・音や金時

12月4日が四谷三丁目 ホメリ

人生は旅 旅は哲

月曜日は「順受の会」  21年目の「論語の会」は、銀河鉄道の旅よろしくロマンチックな学門道

を邁進しております。

火曜日が「書をしよう会」   家に飾っている「人寿」という老師の書に毎日喝を入れられているようだ。

※「京都三条の糸屋の娘」で検索したら、見覚えのある文章がでてきた。何年か前に自分が書いたものだった・笑

♪ 京都三条の糸屋の娘(起)姉は十八 娘は十五( 承) 諸国大名は弓矢で殺す(転)糸屋の娘は目で殺す(結)

起承転結という言葉を習った時に、福田先生から教わった頼山陽の詩。これをきっかけに、京都の大学へいこうと

きめた。その後、煎茶をやるようになったのも頼山陽の影響はおっきい。

 


土を喰らう日々

2015-09-25 08:58:18 | Weblog

昨日は「気骨の鮨会」だった。学習院にいった友達が宮内庁御用達?

の酒を持ってきてくれたので、みんながめいめい持ち寄った酒といっしょに

それも鮨といっしょに楽しんだ。それにしても日本は魚が美味いし、鮨は美味いし、

日本酒は鮨とあわせると、別ものみたいに味がひきたつ。

ごはんは、ちゃんと合鴨農法でつくったお米だし、醤油も遺伝子組み換えのない国産の大豆

でつくられたもの。もちろん酢も「富士酢」という古式ゆかしく丹後でつくられた逸品であり、

すし酢はそれに、藻塩と洗双糖をあわせて作る。それをお櫃にいれると「日本一のすし米」になる。

八郷(やさと)で、今年も蕎麦を打つことになった。11月29日。

「暮らしの実験室農場」と検索すると、まじめに土や自然に向き合っている若者のいとなみを

垣間見ることができる。実験室は「まじめな卵」をつくることを目標に40年前につくられた。

まじめな卵をつくるのは「えさ」ではなく、ちゃんとした無農薬や有機でつくる野菜を自分たちもいただき、

鶏にも食べていただくことが必然なので、まじめに野菜をつくるようになり、経営効率を優先に狭い小屋に

入れて、ただ死ぬまで卵を産ますような「卵工場」ではストレスがたまるので、平飼いにし、ときどきは

まぐわる楽しみも必要なので、雄鳥ともいっしょに暮らす、というあたりまえの自然にのっとった暮らしをさせている。

九州から京都の大学で勉強するために上洛した時、学生には評判の「ぎょうざや」があった。その当時は新しいお店

ができるときに「ぎょうざのただ券」をくばっていて、貧乏な学生たちにはありがたい存在だった。

ぼくは北白川にある「天下一品」のラーメンが好きで、その今でも有名なぎょうざにはいったことがなかったが、

一度友達がむりやり連れていった時、ただのぎょうざを並んで食べている自分が、えさをただついばむブロイラーのにわとり

になったような気分になり、そのことを横にいた友達に大きな声で伝えたら、店員がへんな目線をこちらに投げたような記憶がある。

でもよくよく考えてみると、朝は「何カ月も腐らないような食パン」を食べ、昼は工業製品みたいな弁当を食べ・・・など「えさ」をくうような空な

食事が日常になっている私たち現代人は、ブロイラーと変わらないかもなんばん。ブロイラーさんたちは、最後は肉として、使命を全う

するけど、人は鳥葬にしても、鳥が食べてくれないらしい。それだけ人の肉が薬や化学食品漬けで、食べられるレベルにもないらしい。

今朝、有名な女優さんがガンで召された。代々木に会社を持っていた時、神宮のゴルフ練習場でときどき見かけた。

二人に一人はガンで死ぬ時代を迎えているけど、まじめな食をこころがけると、人間は180日で別の人間になれるらしい。

毎日、生・滅・生・滅を繰り返し、毎日が一生みたいなもので、この瞬間瞬間が人生。大事にしたいものだ。

今日は素敵なコンサートがあるので16時閉店。

25日(金) 『倍音の森』 ライブ

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


みみずを食べる

2015-09-24 08:24:19 | Weblog

昔、ファーストフードのお店をやじったりするとき、「あのお店の肉はみみずをつかっている」

なんてことをよく聞いた。九州では流行っているラーメン屋のことを「ねこをだしにしている」ような

ことをいう人も少なからずいたように思う。昨日の午前中は、庭の土いじりをした。

猫のひたいほどに庭だけど、池もあれば、槇の木に巣箱がかかっていたり、みょうがや大葉など

自給自足率を少しあげるような野菜を植えたり、つばき、葉蘭、木賊(とくさ)や、矢羽薄など茶花も

生息しているし、今は「ほととぎす」の楽園よろしく淡い紫色の花が庭いっぱいに咲き乱れている。

槇の木の横に、生命力豊かな木があって毎年枝を切る。昨日はその作業をやった。秋とはいえ、

藪蚊が集まってきて、冬に向けての吸いだめ?をする。

中国語で蚊のことを「チースウ」という。ミャンマーは反対で「スーチン」。どちらも銀座の骨董屋から聴いたジョークだけど・・

昨日は二枝ノコギリで切って、それを東京都の燃えるごみに入れると、5袋になった。この葉っぱたちが二酸化酸素を吸収し、

酸素を作っていると思ったら、「ごくろうさん」といいたくなった。

まわりの雑草もとったので、少し木の配置がえをする。スコップで土に入れるとき、みみずを何匹も発見した。

昔から「みみずが土をつくり、そこでできる野菜を人間がいただく」という。つまりは私たちは、みみずさんのおかげで

おいしい野菜を食べさせてもらっているのではない。ましてや、お金で買ったから喰えてる、というものではけっしてない。

もう少し時代がせっぱくしてくると、そんな当たり前の「天地自然の理」がわかりやすく浸透するのではなかろうか。

今日は19時から「気骨の鮨会」

76歳の佐賀のがばいじいちゃんの気骨の鮨をカウンターで食べる会。夏場はじいちゃんの体調管理

のためお休みにしたけど、今月からまたスタートする。こころがこもったものを手でにぎり、それをまた手

で食べる。すしというのは、不思議とこころふれあう食事やと思う。

明日は「素敵なコンサート」がある。

25日(金) 『倍音の森』 ライブ

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


ちょっといい話

2015-09-23 08:33:25 | Weblog

先日、いきつけの骨董屋の主人が蕎麦を手繰りにやってきた。

休みでお店がにぎわっていたので、ゆっくり話ができなかったが、どうも

いい京焼きの煎茶道具が入ったらしい。このお店の主人も、銀座の書専門の骨董屋も

「京都コンプレックス」みたいなものをもっていて、京都の話になると、どこか一目

置いて言葉使いも「みやび」な江戸弁になる?

学生時代に、東山の珈琲屋で出会った不思議な青年がいる。ある超有名な日本画家の孫

にあたる人で、南禅寺の近くのあまり大きくはないけど、ちゃんとした庭があるお屋敷に住んでいた。

ある日、そのお屋敷に呼ばれ、下宿先の下賀茂界隈からチャリンコにのって哲学の道あたりを

通って遊びにいった。

客間にお客さんがきていて、友達のお父さん、つまりその有名な画家の息子さんが

相手していた。お客が風呂敷包みから日本の掛け軸の箱を取り出す。

「先生、これどうでしょう?」と頭を下げる。親父さんはその箱から軸を取り出し、

床の間にかけ、畳の上に正座して、ていねいに軸に一礼してから、軸を上から見て、

落款あたりを見たりして、わずか一分。「ちょっと」といった。

お客さんは、頭を少したれ、がっかりした感じだったので、「ちょっと」に含まれる意味を悟った。

お客さんは「いかほど?」というと、親父さんは「こころずけでよろし」みたいなことをいい、

そのお客さんは懐紙につつんだ「こころずけ」を置いて、玄関をでていった。

つまり、お客さんはその主人の親父である有名な画家の掛け軸の鑑定にきたのである。

テレビの鑑定団はエンターテイメント制が強く、あまり見ることはないけど、若かりしころの

あの東山のお宅での思い出は、とても印象深く、今でも骨董屋さんたちとやりとりする時に、

その呼吸みたいなものが蘇ってくることがある。

その青年も絵描きになり、銀座あたりで展覧会を数年やるようになった。

おじいちゃんにはまだ及ばないけど、雅な日本画を描く。

一度彼の絵を見て、「ちょっと」といってみようか?などと思うが、

できないでいる。そんな「いちびり」な話を愉快に思うところは、わたくし

も「京都コンプレックス」の持ち主だと思うことしきり。

明日は「気骨の鮨会」

 

 


大根を調達に走る これもご馳走?

2015-09-22 08:42:13 | Weblog

異常気象などの影響か、野菜が高騰している。

昨日なんて近くのスーパーで256円也。これから活躍する季節なのに

大変だ。うちの「ざるそば」は、辛み大根を使う。この夏からメニューにない品

として「梅おろしそば」を始めた。京都の蕎麦屋なんかにいくとよく見かける一品。

近くのスーパーや、スカイツリーの中の八百屋にいくと必ずといっていいくらいそろってあるし、

毎週休みになると車で買いにいく千葉の八百屋などにも年中おいてあったけど、最近調達が

むずかしくなった。昨日は卵かけごはんが終わって、11時休憩の50分の間に、チャリンコに空気をいっぱい入れ、

競輪の選手よろしく浅草まで全力で走った。うんこビルから吾妻橋を渡って、神谷バーあたりを見ると、世界中からきた

人人人・・・・じっと手をみる・・・手を見てもしかたないので、チャリンコを押しながら、そこのけそこのけチャリンコが通る

式に目指す八百屋に到着。チャリンコを置くスペースもなく、おばちゃんに、辛み大根5本(7本あって全部ほしかったけど、

同じおもいをして買いにきた人ががっかりせぬよう)を買った。「最近こんなにこむの?」と聞くと、「浅草は寺が多いので、

お彼岸の時はこうなのよ」とのこと。さて踵をかえすのはいいが、自転車の向きをかえすのは一苦労だった。

おばちゃんが背中ごしに、「気をつけておかえりよ。最近は自分が痛い目にあうのはいいけど、人に痛い目をさせると

ほんとうに痛い目になるからね」という声。もう80はとっくに越えたばあちゃんだけに、哲学的なことをゆう。

昨日は朝からばんばん打った蕎麦が2時に売り切れた。苦労して大根を買いにいったのがむくわれた。

客人がきて、畑に走って野菜を調達するのを馳走といい、それが「ごちそう」の由来である。

連休中は地方からいろいろ奇人がこられて楽し。こちとらはそろそろ痴呆になりそな今日このごろだが・・

 


朝めしをちゃんと喰う

2015-09-21 07:33:22 | Weblog

これから「卵かけごはん」

ちょうど2011年の震災の年の一月から始めた。味噌作りは池袋時代から

だから15年以上なる。時代は移り変わり、おひとりさまや、共働きの家庭や、

80歳以上の人が1000万人を突破する時代を迎え、朝は簡単にパンという

ほうが内閣の不支持くらい多くなっているらしい。

へんなダイエットブームで、炭水化物の「お米」が敬遠されつつあるみたい。

よくよく考えてみたらわかると思うけど、一番のダイエットは「食べ過ぎないこと」だ。

海や山で遭難して何日も水とビスケットやチョコレートだけでがんばった人は、みな痩せている。

好きなものを、これ美味し~ボリボリいいながら喰らい、楽して暮らした~いぼりぼりしながら

生きていて、そのうえもっとやせた~い、なんていうのは愚の骨頂もいいところだ。

お米、とくに玄米というのは、世界に誇るべきダイエット食品。昔に比べ、咀嚼する数が半分(60回が30回以下)

になっているため、「満腹感」を出す信号がおくれるらしい。徳に玄米を食べる人はよく噛まないと、内臓に傷

がついたりして、逆効果らしい。ごはんに味噌汁を基本にしている日本の朝飯は、天下無敵の朝餉だと思う。

「具だくさん」というけど、大豆そのものに栄養のバランスがふくまれているので、三種類も具(ぼくの師匠は、身といっていた)

があれば充分だ。さきほど蕎麦を打ちながら、今日の味噌汁の作り方を見ていたけど、オクラとじゃがいもとあと一品だと思った。

充分である。

今日の香のものは、妹がつくる「たくあん」

昨日は、「暮らしの実験室農場」からおくられてきたゴーヤを、このたくあんと、煮て、かつおぶしと蕎麦汁で

味つけして、酒肴をひとつつくった。昼酒を休日に楽しむ左党さんたちにとてもうけた。

25日(金) 『倍音の森』 ライブ

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)