長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

明日から10月

2011-09-30 08:33:24 | Weblog
昨日はお茶のお稽古日。
いつものように、ヒルズ、こと表参道ヒルズの裏の教室にいこうと
歩いていたら、りんちゃんに出合った。ぼくのお茶の先生の娘さんで
あり、西條八十のひ孫さん。ときどき天真庵で、バイオリンをひいて
くれたりする。すれ違いさまに、「12月に野村さんの紹介の本屋さん
で、演奏会をすることになりました」とのこと。「?」と思っても
なかなか、ピンとこない。「何という本屋さん?」ときいたら、
「押上にある本屋さんじゃないんですか?」と来た。そこでやっと
「ピン」ときて、「ああ、押上文庫ね。あれは本屋ではなく、ピアノ
がおいてある日本酒クラブ」と答えた。12月になんやらあるらしい。

10月は、かよちゃんたち21日(金)がコンサートをやってくれる。
22・23日は、トムさんこと野村富造さんの遺作展をやる。
30日(日)が二回目の「JAZZ十間橋」
31日が「ねっと31」ジャズの歌姫、国貞雅子さんがくる日。

「竹の展覧会」は今日まで。昨日青山ブックセンターで「ものづくり生活」
という雑誌を買った。天然生活の別冊。そこに木曾で竹をやっている飯島正章さん
が紹介されていた。うちにも彼の作品が何点かあるし、般若くんたちが二階で
展覧会をやったときに、だしてもらった。彼の愛用品が紹介されていて、
巣山定一さんの塗り椀がいい感じにうつっていた。巣山さんたちの展覧会は
11月のはじめにある。いろいろ楽しみが多い秋。

明日はいきなり「エリカ庵」
いいスタートをきるのには、いい。

ムラの生命をマチの暮らしに、マチの活力をムラの正業に

2011-09-29 08:52:14 | Weblog
「九州のムラへ行こう」という雑誌がある。
今年の夏休に、福岡の星野村の宿で見つけた。
その理念が今日のタイトルだ。「いいな!」と思った。
エコだのロハスだの、マチのマスコミとかマチの人が声高に叫んだ
ところで、なんとなく空虚で、内容がともなわない流行り言葉程度
にしか感じない。小さなトレンドの浮き沈みの中で、ピーチクパーチク
口をあけるのではなく、はらわたにしみこむような「言葉」を発したいし、
そんな生き方をしたいと思う。

昨日は、いつもの休みと同じように、朝起きて、お店の掃除を簡単にすませ、
焙煎を一回し、それを石臼で挽いて、珈琲を入れ、それをポットにいれて、
マチを離れた。
向かうは茨木縣石岡。筑波さんの景色も秋めいて、道にはすすきや、ときどき
いがくりなんかが転がっていて、農家の軒先には「かき」とか「なし」
とかの看板が目立つ。田んぼはもう稲が収穫されていた。すっかり秋だ。
いつもいく農家を訪ねる。まだこちらがマチの時間で、ナシだけ買って
先を急ごうとすると、「ま、座ってお茶でも飲んで」と茨木弁のイントネーション
でいわれる。車のエンジンを切って、座ってお茶をいただく。昔から「喫茶去」
(きっさこ・まあお茶でも一服)という茶道の真髄は、こんななにげない日常の
中にこそ生きる。しわだらけで、腰もまがったおばあちゃんに、茶道のこころを
教わった気がした。つくばさんからの風も心地よい。まさに清風なり。

そのおばあちゃんの家から5分ほどで、町営の温泉がある。そこの露天風呂に
つかりながら、山を眺めていると、いつも「ふるさと」をくちずさんでいまう。
♪山は青きふうる~うさあと 水は清き ふ・る・さ・と~

ムラの生命をマチの暮らしに、マチの活力をムラの正業に

いい言葉だ。温泉につかっていると、もうひとりのおばあちゃんに会いたく
なった。そこから車で15分くらい走る小山の中にある「そばや」の
おばあちゃん。「手打ちそば」という看板をナビでたどりつくと、ときどき
猪の毛皮(とれたての)なんかが干してある。お店の外にスピーカが設置されていて、
村田英雄や鶴田浩司の歌などが、大きな声で聴こえている。不思議なお店だ。
名物は「猪そば」(1500円)。店主が命がけで、しとめた命を大事にいただく。
帰りにのれんをくぐると、つい毛皮に手をあわせてしまう。ここで蕎麦を担当
するおばあちゃんも、腰がまがり、しわだらけだけど、いつも元気をもらう。
年をとっても、若い人たちに元気を与えられる老人力を持ちたいものだ。

夜は「順受の会」
大分から送られてきた「かぼす」を焼酎にしぼって飲む。
先生の松田さんは鹿児島の人だ。幹事の清水さんが長崎。
蕎麦を担当するぼくが福岡。
みんな「でかせぎ」みたいに東京で働いている。でもときどき
大分の人がきて、竹を教えてくれたり、鹿児島の人や沖縄の人がきて
薩摩琵琶や三線をひいてきれたりする。マチとムラが、うまく交流
するのは、とても大事なことだと思う。

「竹の展覧会」は明日まで。9月(ながつき)も、明日まで。




竹がおもしろい

2011-09-27 08:23:17 | Weblog
昨日から「竹の展示会」の第二段。
竹細工の教室は、銀座と押上にある。
銀座のほうが歴史がながく(うちは1年)、10年以上
通っている人や、先生たちよりも年上の人たちも多い。
昨日は、そんな先輩たちがあまたこられた。
竹と同じように、人生の節目もいっぱい越えてきたような人たち。
今回の大震災は、あまりにも「節目」にしては大きいけど、きっと
ここからみんなの人生が、新しく開けていくに違いない。

人生には、「のぼり坂」と「下り坂」と「まさかの坂」があるそうだ。
最初のふたつは、経験でどうにか対処できるけど、「まさかの坂」
つまり、今のような時代の坂は、ひごろの「人間力」とか、ひごろ
の「人間関係」が問われるらしい。

明日は「順受の会」(19時から 会費3000円・蕎麦会つき・ほぼセルフ)
この会の先生の会社の名前は「人間力」
この会の最初から参加し、30日には「タイムドメイン」を
主催しているイワジーの会社が「ありがとうございます」
不思議で多士済々な面々が、月一の「順受の会」に集まる。

ひごろ・日常が問われる時代。

なおらい

2011-09-26 07:41:58 | Weblog
お祭りなんかで、終わったあとに飲む行事を「なおらい」という。
「直会」と書く。
昨日は、大分の竹の匠さんたちの展覧会が終わり、片付けが終わったあとに、
ささやかな「なおらい」をカウンターでやった。

今日からは「その弟子たち」の展示会。大分市長賞に輝いた小野塚さんの
作品も飾ってある。彼も途中から「なおらい」に参加して、楽しく
談論風発。気のおけない仲間たちと飲むことほど楽しいものはない。

白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり

だけど、たまには、ワイワイ飲むのもいい。

さて、これから「卵かけごはん」(500円)
これから、焙煎した豆を石臼でひいて、珈琲の準備。
月曜の朝は、デミで「自家焙煎石臼珈琲」を100円で洪している。
月曜の朝用に、すこし濃いめの「ほぼぶらじる」

そろそろ、石臼で挽いた豆を、サイフォンで入れてみようとも思う。
その時に使う竹を、昨日飲んでいて、ひらめいた。

水曜日は「順受の会」
月にいちどの「論語の会」
自彊術体操が毎週水曜日にやっているので、来週こそは
そこにいきたい。

今日まで

2011-09-25 08:33:56 | Weblog
大分の竹の匠さんたちの展覧会も、はやいもので
今日まで(3時まで)。
明日からは、弟子(東京教室の人たち)の展覧会になる。
ので、今日の夕方は搬出と搬入が同時におこなわれる。

竹はいつも竹だけしく生命力にあふれ、いくつもある節目を堺に、
また天に向かって元気に伸びていく。そんな姿を見て昔から、正月
が縁起のいい時に、松竹梅をめでてきた。

昨日は「葉蘭」をずんどうに生けた。最初に習う基本の生花だけど、
ひさしぶりにやると、「基本ができていない」ことを痛感する。
なにごともそうだけど、土台(基本)ができてないと、砂上の楼閣だ。
今の日本の政治も、だれがやってもすぐにメルトダウンしてしまうのは、
根本ができていないからだろう。どじょうもいいけど、いろいろな土壌の
汚れをなんとかしないと、この国の未来が危ういな~。

明日は「卵かけごはん」

水曜日は「順受の会」
月に一度、天真庵に不思議な論語好きの面々がやってきて、
ろうろうと論語を読んだり、そろばんなしの気楽な勉強会。
ほかのどの会も、男子禁制みたいな会だけど、この会だけは、
♪おんな~の座る席がない
と硬派をきどっているようだ。みんなもてたいおじさんたちだけど、きっと?

ないもの買い

2011-09-24 08:14:38 | Weblog
昨日の「二階で落語かい」の演目は、それだった。
ないものねだり、ではないけど、昔からないもの、人が
もっていて、自分がもってないものを、人はほしがってきた。
「ないもん買い」は、もう少しニュアンスが違っていて、
自分がもってないもん、ではなく、ぜったいにそんなもんはない、という
ものを所望して、お店の人を驚かす、というようなお話。
話の筋は、単純なんで、話手の熟練の技を必要とするネタかも。

今日は、お花のお稽古。
昨日、近所のお花やさんが葉蘭を届けてくれた。
釣り師が、いろいろな釣りをして、最後に鮒釣りに戻るように、
生花の基本は葉蘭かもしれない。
簡素なものの中にこそ、ホンモノがあると思う。
でも簡素というのは、ごまかしかきかずに、のっぴきならぬものがある。

今日は朝から秋の気配が感じられる。
春に地震があって、猛暑と大きな台風がきて、やっと
ほっとする季節がやってきた。
花を愛でる刹那を、茶でも飲みながら、ゆっくり楽しんでみたいものだ。

新メニューの玉露の「すすり茶」は、人生観がかわるくらい、いい。

秋分の日

2011-09-23 08:35:56 | Weblog
今日は全国的に秋分の日。
昨日まで台風で、帰宅難民になったり、かさがとばされそうに
なったり、家が浸水しそうになったり、いろいろと今年は、
想定外のことが多くて、休みの日は、どっと疲れがでそうな人が
多いかも。

今朝、ニューヨークで活躍しているジャズピアニスト・平木かよさんから
メールがきた。もうすぐニューヨークを旅立ち、8週間の日本・香港ツアー
にでるらしい。人ごとみたいやけど、天真庵でも11月5日に、ライブを
やってくれることになった。「うちでいいの?」と聞くと、
「あの蕎麦を食べさせてくれるならやってあげる」とのこと。すごく元気な女子だ。

二日休みだったので、今日は5時前から、蕎麦をばんばん打った。
これから、珈琲の焙煎。
蕎麦も珈琲も酒も美味しくなる秋。

今日の7時からは「二階で落語かい」
千里家万馬くんが、三回目の小話をやってくれる。
すごく楽しみ。

明日は「お花のお稽古」
たがをしめる・・・・この会があるから、いろいろな会との
調和ができる。「和」というのは、調和が大事。

台風一過

2011-09-22 17:53:10 | Weblog
昨日の夕方、台風が首都圏を直撃した。
お店の建物は古くて、最初は雨漏れもすごくて、屋根を屋根の
上にもう一枚つくって、なんとか雨露をしのいでいる。
風もふく方向によっては、微妙に店まで吹き込まれるのでは?
という心配もあるけど、昨日の台風の被害は、ほぼゼロな感じだ。
ただし、朝一番にお店にいったら、枯れ葉が、やまにようにたまって
いて、それを拾得よろしく、箒で掃いたけど、小一時間はかかった。
お店は休みで、蕎麦打ちはなかったけど、箒を一時間も使うのは、
一汗でるもんだ。

そのまんま、車にのって千葉に野菜の買出しと、温泉。
帰ってきてから、焙煎をしようと思っていたら、また雨が降り出して
きた。今日は家にこもって、たまった本を読むことにする。

昨日は、吉祥寺のサムタイムに大石学トリオのジャズを聴きに
いく予定だったけど、台風でいけなかった。トリオのひとり、
セシルモンローを先月飲み込んだ千葉の舘山の海の前で、合掌をしてきた。

明日は、「二階で落語」
千里屋万馬さんが、笑わせてくれる日。7時から、2000円(蕎麦・珈琲つき)
NK細胞を活性化させると、生命力がたかまり、健康でいられる。

明後日は「お花の教室」
二階では「竹細工」の展示会をやっています。


君の文章は、チンポがたつみたいに、元気になる。

2011-09-21 11:34:00 | Weblog
そんなことを昔、九州の先輩にほめられた。

昨日は「書の会」だった。
いつものように、禅僧のようなふうたいの貞本さんがやってきた。
ちょうど、同じタイミングで陶芸家の渡辺愛子さんがカウンターに
とまって、蕎麦を手繰っていた。
そこに、竹信堂の黒崎さんがやってきて、大きな額縁をくれた。
そこに、貞本さんの揮毫した「白雲幽石を抱く」に落款をして、
額に入れた。愛子お嬢が、「ええ字ですね」と、口の落款を押して
くれた。

「白雲幽石を抱く」は、寒山詩の代表的な詩。
池袋で寒山拾得の画廊、つまり天真庵をつくった時に、岐阜の陶芸家・
青山禮三さんを訪ねたことがある。あることで、自分が悩んでいる時に、
そのころ80歳を超えた老僧のような翁に、この詩をしみじみ味わって
みろ、と渇をいれられた。
深山幽谷の岩山を白い雲が抱く。人生にはいろいろなことがあるが、
あの自然のように、一物一体、というか、清濁併せ呑む大きな懐、
みたいな心境になれ、みたいなイメージを浮かべ、自分の悩んでいる
ことの小ささを恥じた。

そんな話をカウンター越しに、お嬢と話ていた。貞本さんとすこし
飲んでいたので、舌が饒舌になり、「福」と「寿」の話をした。
昔、この「ひとりごと」に書いたのいで、あとは、昔の自分の文を
引用する。

・・・(略)「草の頭窯」の青山禮三さん(86 歳)の個展に10月10日、台風が夕方上陸した日の昼に訪ねた。彼は煎茶茶碗によく 「百福文字」や「百寿文字」を書く。「福」という字は、「田んぼの上に一口と書い てある。示偏 は、神様にお供えする棚を表す。自分が耕す田んぼの恵がたとえ少なかろうが、一 口、神様に感謝の意をこめて捧げられれば、幸福」というような意味らしい。「いい 字だな~」とうなった。86歳でペースメーカを使っている禮三翁が饒舌になった。 「野村さん、寿という字はもっといいよ。あれは田んぼの上に男が立ってる象形文字 なんじゃ」と言うので、また同じような縁起の話だと思って黙ってうなずいている と、「男が立っているといっても、意味が深いんじゃ。つまりチンポがたっているん じゃ」ということだった。「瑞宝単光章」という勲章をたまわった人の言葉だけに 「ありがたく」、そのままご紹介した。そんな話を昼間から大きな声で話していたの で、伊勢丹の女性の店員さんたちが、聞こえぬふりして、近くで噴出しながら話を聞 いていた。やはりチンポがたつような話は「寿」(おめでたい)。し、ひとつのこと を極める人たちにふれることは、学ぶこと多し。

90歳を超えても、矍鑠と生きておられる「力」の源が、このへんにある。感謝。



今日は書の会

2011-09-20 08:21:45 | Weblog
昨日は連休の最終日。なんとか天気ももって、朝から
大忙しで、竹の展覧会にも多くの人が足を運んでくださった。
夜は赤松林太郎くんの「クラシック寺子屋」

遊び仲間に 酒飲み仲間 苦労しとげて茶の仲間

ではなけど、人生の後半戦は、「音楽を楽しみたい」と
なんとなく思っていた。池袋時代の天真庵でも、ときどき
フルートとか、篠笛とか、尺八、ポルトガルギターなどのコンサートを
やっていたけど、年に数回程度のことだった。
今みたいに、月に3度くらいライブを楽しむようになるとは、ほんとうに
想定外のことだ。しかも赤松・山根さんという天真庵と無駄のない縁で繋がった
音楽家たちと、お茶を飲んだり、いっしょに花を習ったり、書を習ったり・・
不思議なことになっている。

今日は「書の会」。昔から、書のことを「墨蹟」(ぼくせき)などという。
とくに坊さんが書いたものを、そのように表現してきた。
毎日毎日お経をあげるように、電車にのって、職場へいって、いやな人間関係
の中にあっても、家族や人のため、いや、自分のためであっても、がんばって
いる人も、立派な修行であって、ぼうさんよりも、ある意味では、厳しい修練を
しているのかもしれない。そんな意味では、凡夫ではあるけど、生きている人が、
生きている間に、墨で書いたものは、「墨蹟」だと思う。

貞本さんが、3月の震災以降、何枚か作品を揮毫した。それを、近所の竹信堂の
黒崎さんが、裏打ちしてくれた。今年中に天真庵で個展をやる予定だ。

23日金曜日は、祝日だけど、「二階で落語」をやります。
千里家万馬さんが、三回目の落語。2000円(蕎麦・珈琲つき)

24日は、「花のお稽古」