長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

人は躾けて人になる

2012-10-30 08:09:30 | Weblog
昨日は順受の会だった。この会がはじまって18年になるが、女子の方が
男子の数を上回った。「時代」を感じる。「女時(めどき)」である。

この会は、松田先生が塾頭を務める。九州男子、かごんま
の「よかにせどん」」である。彼の私淑した師が、九州大学の
故・岡田武彦先生。生前になんどか講演を聞いたり、酒席の末席にて
生の薫陶を拝借したりした経験がある。
昨日は女子が多かったので、先生の名著「人は躾けて人になる」
という本を思い出した。
「躾」とは、身が美しい、と書く。所作が美しくなるためには、内面
からにじみ出るくらいのレベルになる必要がある。
つまり、躾け、とは「しつづける」という言霊で、毎日毎日の修行の
たまものだというようなことだろう。
最近親になる人がまわりにたくさんいるので、どうか、この本を参考
にしてもらいたいものだ。

明日は、「ねっと31 ライブ」
シャンソンを聴きながら、名月うかぶ秋の夜をみなで楽しみたいと思う。
この会も、31日、つまり晦日に「つなぐ」ということに感謝しながら
し続けたいと思う。これからの横のつながりには、「信頼」というものが
真ん中にないと、繋がっていかないのではなかろうか。昨日の順受の会
の時、そう感じた。


子猫たちの近況

2012-10-29 07:28:48 | Weblog
チビの4匹生まれた子猫たちは、だいぶワンパクになって、庭の周りを
元気に飛び回っている。少し寒くなったので、夜は毛布を入れた段ボール
の中で、禅の四睡図よろしく、大自然の大地を布団にしたような心境で
すやすやと眠っている今日このごろ。
3匹は里親がきまり、ほどよいところで、新しい家にもらわれていくのがきまった。
それを知ってかさとってか、チビは安心半分、さみしさも半分みたいな顔をしている。
蕎麦とか珈琲とか音楽や芸術を通じて、いろいろな人と縁ができて、こんなにいい仕事
はない、と思っているが、ネコを通じて、新しいふれあいができて、またまた感謝の日々。
お客さんにも、子猫用のエサを頂戴したり、動物病院の先生が、毎週蕎麦を食べるついでに、
猫を見てもらったり、吾輩も猫になりたい、くらい、いいコミュニティーができている。

昨日の朝、かよちゃんからメールで、生まれたての赤ちゃんの写真がおくられてきた。
待望の「ボン」が誕生した。3000gを超えていたのが、やまね家の嫡男らしくて、いい。

今日は「順受の会」
昨日の千里家まんまくんは、この通称「論語の会」にきたのが天真庵デビュー。
昨日の「宿題」という落語は、宿題を解く以上に難しい話ではあるが、若うて
のりのりのまんまくんが、うまく自分のものにしていたように思う。
そろそろ「死神」あたりが、ききたいものだ。その時はやっぱり加茂福酒造の
死神を飲みたいものだ。

明後日水曜日は「ねっと31 ライブ」
えりさんがギターをかかえて、やってくる。いつも大塚から
歩いてくるので、明後日も歩いてくるんだろうか?
なんかすごく楽しみな水曜日。おかげで、満席御免!

気にいらぬ風もあろうに柳かな 堪忍

2012-10-28 08:13:59 | Weblog
仙崖和尚の言葉だ。禅画で風になびく柳がかかれ、落款のところに
「堪忍」と書いてある。出光美術館が保有している代表的な絵。
いろいろな風は、人間関係みたいなものを象徴している。
いろいろな人がいる。付和雷同にゆらゆらしてつくろっているように
みえても、しっかりと太い幹があるので、根幹はブレていない。
「おもねる」ことばかりしていると、やはりブレてしまう。しっかりと
土台をきめることが大事である、という悟りだろう。堪忍、という言葉
がきいているね。

昨日は、柳を寸胴にいけた。竹の寸胴に、くばりをつくて「土台」をつくる。
無心で柳の木を削り、Vの字にする。「無心」というのは座禅なんかによくでて
くるけど、今、目の前にある仕事に集中したり、好きなことをする時、時間を
忘れたりする、あの感覚。やはり好きな仕事をする、やりがいのある仕事をする、
というのは大前提。この「くばり」という土台ができたら、花の仕事の9割は
できたも同然。そこに真になる柳を立てる。「真」というのは、「心」に通じ、
天真というのは、人間の本性のことをいう。真がまっすぐに立つ、というのは
心のおきどころをまっすぐにすると同意語である。そこに、女房役の「副」(そえ)
をたて、真の前後に、前あしらえ、後あしらへをおく。躰(たい)には、りんどう
をおいた。「真」「副」「躰」のバランスが、まんだらの宇宙みたいなバランスを
つくる。日常生活における美意識にもとても大事な感覚。

今日は「落語で蕎麦会」があるので17時に閉店。

明日は、「卵かけごはん」
夜は「順受の会」


今日は花のお稽古

2012-10-27 08:03:59 | Weblog
昨日の夕方、この界隈で一番センスのいい花屋さんが、
花をもって颯爽とやってきた。スカイツリーの足元で、浅草通りに面してしる。
最近そのあたりには、うわついたちゃらちゃらショップがいっぱい並んでいるけど、
その花屋は、どっしりといい感じで営業している。

おまけに、コスモスをもらった。秋に生まれ、秋に死んだ元気の写真に
手向けた。写真の中の元気がニヤッと笑った。そんな気がした。
花とは、本来こんな風に、先祖や家族で、仏さんになった人に手向け、
生前を思い出したり、今、こうして生きている「居」を、感謝することだろう。

明日は「お花のお稽古」
石原さんも80には見えないくらい元気だけど、原田先生も
80になるけど、毎月颯爽と山口からきてくださって、私たちに
お花を教えてくださる。天地自然の理を花を通じて教えてくださる。

明日日曜日の夜は「落語で蕎麦会」
千里家まんまさんが、大阪からやってくる。   2000円(そば&珈琲つき)18:30から
お店は17時閉店。

月曜日は「卵かけごはん」
夜は「順受の会」18年もやっているけど、最近この「論語の会」
に若い人や女性が増えてきているのが、いい。

31日(水)
は「ねっと31 ライブ」
シャンソンのながしを目指すえりさんがギターをもってやってくる。
次の日から、11月だけど、なんかこのライブがひとつの分水嶺みたいな気がする。
とても楽しみ。19時から4000円(そば会つき)

another Door

2012-10-26 08:20:05 | Weblog
そんな不思議な名前の「カフェ」が、恵比寿にある。
正確にいうと、今月いっぱいまで営業している。
家のドアと、会社のドアの往復人生では、無味乾燥でおもしろくない。
人は、いつもanother Doorを求めているし、勇気をもって、扉を開けないと、
新しい人生が開けてこないし、歴のひき出しに、なんの思い出もしまえない。

恵比寿には、いきつけの飲み屋や骨董屋があまたもあり、池袋時代には
庭みたいに遊んでいたことがある。ある日、その行きつけのお店の前を
素通りして、代官山のお店にいこうと、ぶらぶらしていたら、その不思議な
お店を見つけ、勇気をもってanother Doorのドアを開けた。アンティークな
机やイスなどの配置、カウンターの居心地、不思議な照明のゆらぎ・・
「カウンターに座ってエビスビールを飲んだ瞬間に、東京にいる」みたいな
幸せな気持ちになれる。きっとこの感動は、今の天真庵をつくる時の大いなる
参考にさせてもらったように思う。うちではまだ「カウンターに坐って
ほぼぶらじるを飲んだ瞬間に、東京にいる」ほど洗練されていないけど。。

昨日ひさしぶりに煎茶のお稽古をした後、恵比寿のanother Doorのカウンター
にとまって、エビスビールを飲んだ。
「コラ」というアフリカの楽器の話で盛り上がった。最近その「コラ」の奏者
がライブをやっていったらしい。天真庵も来春に、「コラ」をやる。毎日
写真を店内でとったりするお客さんに「コラ」しているけど、アフリカの
コラは、静かなハープ。一説には、不眠で悩む王様を眠らすために作られたらしい。

明日は「お花のお稽古」
石原さんも80には見えないくらい元気だけど、原田先生も
80になるけど、毎月颯爽と山口からきてくださって、私たちに
お花を教えてくださる。天地自然の理を花を通じて教えてくださる。

日曜日の夜は「落語で蕎麦会」
千里家まんまさんが、大阪からやってくる。   2000円(そば&珈琲つき)18:30から
お店は17時閉店。

荻窪に住む

2012-10-24 13:06:31 | Weblog
京都から東京に移り住んだ時、新宿の不動屋さんにいって、荻窪の
マンションを契約した。もう30年近く前の話。
南荻窪という住所だった。そこから毎日市ヶ谷にあった会社に
通っていた。こないだ久しぶりに荻窪のライブハウスでジャズを聴いて
、そのマンションの場所まで歩いていったら、まだ同じ名前であった。
今夜も中央線沿線のライブハウスにジャズをききにいく予定。
受験に東京にきた時、現役で東京の大学に通う友達が荻窪にあこがれていて
(彼は武蔵小金井にいた。)、もしも東京にくるなら荻窪がいい、と力説
していたのが、脳裏に焼き付いていた。荻窪といえばラーメンだけど、
西あからきた人がみな洗礼を受けるように、濃い色のスープに驚いた。

銀座の骨董屋さんから時々ハガキがくる。
こんなのがあった。同窓会にいったら、宮本武蔵の話になって、友達
が「宮本武蔵には、子どもがいたんだろうか?」ということになり
「ひとりくらいいたのでは」と答えたら、そいつが「むさしこがねい」
とつうぶやいた。その骨董屋のオヤジもだいぶ体が弱り、先々週に遊び
にいったら看板がでていなかった。昔は「宮本無茶しぃ」といわれたくらい
やんちゃだったらしいが、寄る年波という自然には逆らえないらしい。
中央線沿線というのは、最近は人身事故が多いけど、それだけ繊細な人が
昔から住んでいるのだろう。

骨董といえば、明日「器をひきとってほしい」という近所のじいちゃんの
ところへいく予定。昔お店をやっていたらしい。
天真庵というところは、置き忘れたもの、捨てられないものとの絆が
強い磁場が宿る場だとつくづく思う。

今日は今年一番の冷え込みになった。ウィンドブレカーをはおり、うな帽をかぶって
朝一時間くらい走ってみた。風は冷たいけど、走ったり、散歩するにはいい季節。


山椒は小粒でぴりっと辛い

2012-10-23 07:31:36 | Weblog
昨日は、久しぶりの音楽家たちがあつまって、わいわいいいながら「鶏すき」
をやった。最近は「わりした」に山椒を隠し味にして入れる。
存在感がしっかりしているので、隠し味、というのには適当ではないかもしれない。
南部鉄のすき鍋もだいぶなじんできた。身土不二というけど、その土地土地で長い
こと育まれた料理と道具も、切り離しては語れないものがある。

ぼくの生まれた北九州には、三つの「ここが発祥」というのがある。
パンチパーマ、皿うどん、競輪。
今朝の新聞に、パンチパーマに関連する記事が大きく取り上げられていた。「震えるネオン」
飲食店が「暴力団追放」とかいう看板をかかげると、その筋の人らの報復を
受け、びくびくしながら営業をやったり、廃業にしたりしているらしい。
ぼくたちも幼いころからも、繁華街の裏手あたりにある、その関係の事務所
あたりの異様な雰囲気とか、その人たちが所有する車なんかには、なるべく
近づかないないようにして、生きてきた。「あと一年」とばかりに、小倉予備校
に通い、関門海峡を渡って上洛してから、小倉では飲んだりしたことがないけど、
昔から日常茶飯に、その人たちと会える街だった。昔「鉄の街」といわれ、
近くに炭鉱もあり、♪月がでたでた・・・と景気のいい時代があり、全国から
人が集まり、一時は100都市だった。今は昔。

今日は火曜日。明日はひさしぶりのなんにもないお休み。
都心のライブハウスにジャズを聴きにいく予定。


今日は卵かけごはん

2012-10-22 07:49:55 | Weblog
昨日は、日中少しあったかくなった。
うちは、蕎麦屋ではないつもりなんだけど、くるお客さん
の9割近くは、そばを所望される。うち9割は、珈琲とのセット。
不思議な組み合わせだけど、そんな感じだ。
気温が寒くなると、「ざるそば」を「ほっと鶏そば」が凌駕してくる。
昨日は、そんな潮目みたいな日だった。
でも珈琲は、けっこうアイスが多かった。潮目というのも、単純ではない。

まかない、というか、夜の勉強会では、寒くなってくると、「おでん」
になる。おでんといったら、やはり豆腐とか、うすあげ(これは京都風?)、
こんにゃくがいいけど、片口の土鍋に蕎麦湯をなみなみはって、そこに豆腐を入れ「そばどん」を
入れると、ほのぼのとした混浴気分で、熱燗を飲みながらやると、このまま天国へいってもいい、
みたいな気持ちになる。さながら「秘湯の白濁豆腐鍋」。酒は「あごの骨酒」がいい。
久保さんの黄瀬戸の片口に、焼いたあごを投げ入れ、ちんちんに熱くした酒をなみなみいれる。
ふぐのひれ酒にも負けないほのぼのとした味になる。

白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

今年は、牧水の碑のある延岡の城山に40年ぶりくらいにいった。

そこから眺める延岡の街がいい。40年かわらず、いい。
昨日延岡出身のこりこりさんにその話をしたら、延岡のいい料理屋を
紹介してもらった。また旅の楽しみができた。うちの家は代々延岡に
墓があり、自分も城山の見えるその墓に入る予定である。




子猫さんたちが・・・

2012-10-21 08:30:03 | Weblog
朝夕はめっきり寒くなってきた。
先月生まれたばかりの4匹の子猫たちは、
寒山・拾得・豊干禅師・虎が寄り添う、いわゆる禅の
世界の「四睡図」のように、寄り添って寝ている。
昼間の行動範囲はだいぶ広範囲になり、そろそろ独り立ち
の準備をしているような気配。
今日は近くの名医さんがくるので、ワクチンやら、避妊手術の段取りを
きいて、そろそろ里親の候補の人たちに、渡す段取りに入る。
ほっとするような、一抹の寂寥感もあるような複雑な秋の空。

昨日はスケッチの会だった。「わかな」さんが持ってきてくれた青森の
シードルを楽しんだ。シードルといえば、ガレット。
蕎麦と同じく、ガレット(そば粉・チーズ・のり、をかえしで喰らう)も
人気がある。うちのは、和的ながれっとなどで、日本酒のつまみにする人も多い。
フランスでは「ぎゃれっと」と発音するらしい。
ときどき試食中の「鶏すき」もだいぶ、きまってきたので、そろそろ5年ぶりに
「新商品」に加えようかと思っている。うますぎて、人が食べているのを見て
がまんできるかどうかが不安だけど・・・

明日は「卵かけごはん」

秋がだんだん深まっていく。政局や世界の経済は混沌としているけど、自然の
いとなみは静かで、さらさらと流れていく。そう生きたいものだ。さらさらと。





スケッチがいい。壊れそうな建物が、魅力的!

2012-10-20 08:10:02 | Weblog
天真庵のHPの表紙に「わかなさん」が描いた天真庵の外観がある。
写真よりも、気持ちがこめられていて、「古色蒼然」というにふさわしい。
昭和20年3月の東京大空襲で焼け、10万人の犠牲者がで、押上から銀座
が見えるくらい焼け野原になった今の場所に、翌年建った建築事務所が、
今の天真庵だ。
当時の商家によくあった看板建築という方式らしい。界隈にはまだこんな建物
がちらほら残っている。みんな0からの再スタートだった時代に、施主もそれを
請け負った人たちも、「これから」の未来に希望をもって取り組んだような魂が
いたるところにこめられれいる。

今日は「わかなささん」がきて、スケッチの会がある。19時から。
いつものように3000円(蕎麦会つき)。ドタサン熱烈歓迎。

昨日は中国からお客さんがきて、ダメ中のメンバーと、蕎麦湯の湯豆腐を
つつきながら、談論風発。
お互いの国の文化とか芸術とかの話をする、というのが、いい。
英語ができる、中国語ができる、というのも大事だけど、「自分の国の文化に誇りをもって、
それを相手に伝えていく」というのはもっと大事。英語の会も、中国語の会も、縁ある人
たちの輪が、優美にヨコに広がっていき、国境も超えていく感じが、すこぶるいい。