長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

たまちゃんのデビューライブがきまり

2014-05-31 08:39:54 | Weblog

かっぽれなど、座敷芸のことを幇間芸(ほうかんげい)という。

カラオケやキャバクラもない時代、旦那衆は三味とか小唄やかっぽれ

などを勉強しながら、座敷遊びに興じた。そこで、間をもたせる芸、招かざる客

でありながら、その場を盛り上げる「たいこもち」なる役割を果たしたのが幇間芸

である。「たまちゃん」こと悠玄亭玉さんは、最後の幇間といわれた悠玄亭玉介さんの弟子

で、85歳になる今でも現役で、浅草界隈の座敷に招かれると、三味線かかえて参上つかまつる。

そばと珈琲が大好物で、ほぼ毎日のごとく天真庵ののれんを、トレンドマークの赤く染めた頭を

にじり入るごとくくぐり、蕎麦を手繰り、珈琲を飲みながら風雅な道を歩いているかっこいいばあちゃん。

水曜日に蕎麦会をやった草庵に住むことになった若くて綺麗なTさんも、「三味線を習いたい」

という。たまちゃん昨日話したら「ウェルカムよ・・」と笑顔で答えてくれた。

そのたまちゃんの天真庵デビューライブがきまった。6月18日(水)。19時  2000円(蕎麦&珈琲つき)

本日が「インヨガ」で、5月が終わる。

6月1日(日)は「蕎麦打ちの会」&「普茶料理を楽しむ会」

6月2日(月)「長屋で女史会」

6月3日(火)「英語で蕎麦会」

6月4日(水)「かっぽれ」

6月7日(土)はももちゃんの「薩摩琵琶のコンサート」

薩摩琵琶とか三味線の音が、長屋に鳴り響く。

6月18日(水)は座敷芸のたまちゃんライブ。

 

 

 


佐賀のがばいじいちゃんのすし会

2014-05-30 08:21:31 | Weblog

昨日で6回目が無事終了。6月は19日(木)。

少し暑くなってきた。昨日は近所で古本屋カフェ準備中の

Mくんが銀座の古本屋で見つけた魯山人の古くて厚い本を

もってきてくれた。陶器のことや料理のこと書に関しての

彼の文集?みたいなものだ。

器と料理は、ヒトと着物の関係、といういいえて妙な名文が冒頭に書かれてある。

下戸の彼がキンキンに冷えた、いや凍ったお酒を

「すしのじいちゃんに」と差し入れもくれた。感謝。夏の鮨会の食前酒にはピッタリだった。

ちょうど鮨の名人のKさんがきたので、3人でぼくの「鮨」(そばと卵焼きを海苔巻にする)

をつまみに、ビールを飲みながら談論風発。Mくんは飲めないので「春日茶」を飲む。

昨日は春日村の茶摘みでお世話になった「だいき君」や30歳前半の若いくん、最高齢は91歳の

おじいちゃんまで、幅広い層の人たちが鮨をつまんだ。佐賀のがばいじいちゃんも器好きで、

魯山人の器ももっている。昔の鮨屋さんとか飲食店の主人は、器とか絵とか茶道華道や座敷芸

にいたるまで造詣の深い人が多い。魯山人翁が今生きていたら、最近の飲食店の連中は、着物

どころか、下着もふんどしも身につけていないような輩ばかりだ、といわれそうだ。

今日は「ダメから始める中国語」

明日が「インヨガ」で、5月が終わる。

6月1日(日)は「蕎麦打ちの会」&「普茶料理を楽しむ会」

6月2日(月)「長屋で女史会」

6月3日(火)「英語で蕎麦会」

6月4日(水)「かっぽれ」

6月7日(土)はももちゃんの「薩摩琵琶のコンサート」

薩摩琵琶とか三味線の音が、長屋に鳴り響く。

6月は座敷芸のたまちゃんのデビューライブも企画中だ。

 

 


うそみたいな話

2014-05-29 07:42:18 | Weblog

今日は「気骨の鮨会」がある。19時から。

昨日はその仕込み。元気なKさんがやってきて、江戸前の鮨の仕込みを教えてくれる。

午前中に、近くの老舗の材木屋さんにいったら、そこの社長が「びわとたらのめの木を

もっていかない」というので、スコップで掘ってかかえて歩き、庭の片隅に植えた。前日の雨

で土が湿っていて作業はスムーズにいった。界隈の土地がスカイツリー効果?で値上がりし、

新しい建売住宅になっていく。そこも今月いっぱいで住宅工事が始まるらしい。

そのびわの木は、20年以上まえに「鷽(うそ)」がやってきて、

フンをして、その中にあった種が発芽し、大きくなったものらしい。東武曳舟線の線路脇なので

日当たりもよく、人も通らないので、すくすくと育ち毎年たくさんの実がなって、ときどきご相伴に

なったりしたものだ。うちの庭で命を紡いでいってもらいたいたい。そのうち鷽が遊びにくるかも。

夜は近くの80年くらいになる古民家を改装して住み始めた女子の内にそばを持っていって

「引っ越しそば茶会」をやる。狭い部屋だけど、ずっと住んできた人の品のいい「いとなみ」が随所

にあって、時間を忘れてしまうような住居だ。土間に靴脱ぎ石があり、畳の部屋の隅には炉がきられて

いて、昨日はそこで沸かした湯で、春日茶を飲みながら、談論風発の時を過ごした。

古色蒼然としたたたずまいの中に床の間があり、京都の茶人が書いた掛け軸がさりげなく

飾ってある。「茶が香り、風雅にそれを楽しんでいるような漢詩」だ。これからここに集まる

人たちとの縁の広がりを見ているような茶掛けである。ただおいしいお茶やお菓子を食べる

、のではない、お互いの肝胆相照らすような語らい、なかでも寒山拾得のような世俗や利害得失

を超越したふれあいが、この押上のあちこちで邂逅し熟していくといいなと思う。


恵みの雨

2014-05-27 08:53:08 | Weblog

昨日の夜から、天気予報どおり「雨」

昨日は「順受の会」(通称・論語の会)だった。今年で20年。

前半が「孟子」を勉強していて、後半は「孫子」をやる。孫子の兵法・・・

戦わずして勝、という極意の哲学。世界的に戦争がじわじわと始まって

いるようなモードだけど、できたら日本は「戦わず」に勝つ、というか、無駄

なことをしないほうが賢明なような気がする。

夕べから降り続く雨で、庭の南天の木が、門柱のところに酔っぱらって肩をかりてるような

風袋で寄りかかっていたので、切ってお店の信楽の大壺に投げ入れた。昔から「難を転ずる」

という縁起で、庭木として喜ばれる木。京都あたりの精進料理の胡麻豆腐なんかに葉がちょん

とのっていたりする。漆の器で供されると、まことにすがすがしい気持ちになる。八重のどくだみ

もトイレの花器に投げ込むと、浄化される気分がいい。すべてが恵みの雨のおかげ。

28日(水) 古民家への引っ越しそば会

29日(木)「気骨の鮨会」 月に一度、佐賀のがばいじいちゃんが来て、ホンモノの鮨を食べる会。

30日(金)「ダメ中」月に一度、名古屋からまいこ先生がやってきて、楽しい中国語講座。

31日(土)「インヨガ」

もうすぐ5月も終わる。

6月1日(日)は「蕎麦打ちの会」&「普茶料理を楽しむ会」

6月2日(月)「長屋で女史会」

6月3日(火)「英語で蕎麦会」

6月4日(水)「かっぽれ」

6月7日(土)はももちゃんの「薩摩琵琶のコンサート」

薩摩琵琶とか三味線の音が、長屋に鳴り響く。

いいネ!より100倍いい。

クリックよりスナック。スナックのカラオケよりチンチトンシャン。


格好から入る  のも大事かもなんばん

2014-05-26 07:31:28 | Weblog

昨日は「日曜 蕎麦打ち大学」だった。毎回そば粉の状態や天気や体調

などが違うように、この教室の名前も違う。そのうち格好のいい名前にしたいと

思っている。先月は3度目にして、親戚、正確にはこんど結婚したら親戚

になる人たちの蕎麦会をやった君がいた。人間おわれると、鼠が猫を噛む

以上の力を発揮するもんだ。それに挑発されたわかではなかろうが、

昨日4度目のEくんも、気合いのはいったいい蕎麦を打った。

終わったあとに、「あと二人分の蕎麦汁をください」という。

その足で、千葉に住む両親に届けるらしい。蕎麦は「つなぎ」が必要だけど、

人と人を繋ぐ役割もするようだ。今週の水曜日に、とっても美人さんが近くの

古民家に移り住むことになり、お披露目会で「蕎麦会」をすることになった。

ぼくの主催する「無茶しぃの会」にも参加したことがあり、今後「日本茶を優美に広げる会」

の会長になって活躍を期待したいものである。

これから「卵かけごはん」夜は「順受の会」 孟子を勉強中。

「自暴自棄」になっている人が多いが、この言葉は孟子の言葉。

「良心」というの彼の言葉で、生涯性善説を唱えた人。

28日(水) 古民家への引っ越しそば会

29日(木)「気骨の鮨会」 月に一度、佐賀のがばいじいちゃんが来て、ホンモノの鮨を食べる会。

30日(金)「ダメ中」月に一度、名古屋からまいこ先生がやってきて、楽しい中国語講座。

31日(土)「インヨガ」

もうすぐ5月も終わる。

6月7日(土)はももちゃんの「薩摩琵琶のコンサート」

薩摩琵琶とか三味線の音が、長屋に鳴り響く。

いいネ!より100倍いい。

クリックよりスナック。スナックのカラオケよりチンチトンシャン。


生きた英会話 日本語の会話

2014-05-25 08:17:26 | Weblog

近所に元・浅草芸者の「たまちゃん」が越してきた。

齢(よわい)85歳。まだまだ現役で浅草の演芸場や寄席などから声

がかかると、戦闘服よろしく着物に、鉄砲、もとい三味線をかかえてどこでも

飛んでいく。ちゃきちゃきの江戸っ子で、蕎麦の手繰り方も粋だ。

先日は「大向こう」について話してくれた。歌舞伎で「成田屋!」とか「音羽屋!」

という掛け声。お彼女も歌舞伎座でよくやるらしく、「おとわや」の場合、「お」を飲みこみ、

「◎っとわや!」とやるのが通人の掛け声らしい。

今でも通人をうならせる、という意味で「大向こうをうならせる」というのがあるが、

この辺から慣用句になったに違いない。

日本料理にも「向附け」というのがあるが、いろいろ和の文化の大切なものがなくなりつつある。

そんな話をしていたら、カルフォルニアからスティーブがやってきて、元気に蕎麦を手繰りながら、

「イサキが美味い季節になってうれしい」と、流暢な英語でのたまわった。

日本に出張、といっても真夏をのぞいて毎月のようにやってくるけど、東京では目黒のホテル

を定宿にし、朝は築地のぼうすし屋で(棒鮨ではない、ある鮨屋)鮨をつまみ、昼飯を天真庵(本人はテンチーン、という)

で蕎麦を手繰る。彼がやってくると、お店の中が「英会話学校」になる。

明日のフライトで帰るので、今回は木曜日の「気骨の鮨会」には参加できないけど、「サムデイ・・・」

を楽しみにしておられる。

日曜日は16時閉店。夕方は「がんばれ若者!鬼の蕎麦教室」

月曜日は朝が「卵かけごはん」夜は「順受の会」 孟子を勉強中。

「自暴自棄」になっている人が多いが、この言葉は孟子の言葉。

「良心」というの彼の言葉で、生涯性善説を唱えた人。

29日(木)「気骨の鮨会」 月に一度、佐賀のがばいじいちゃんが来て、ホンモノの鮨を食べる会。

30日(金)「ダメ中」月に一度、名古屋からまいこ先生がやってきて、楽しい中国語講座。

31日(土)「インヨガ」

もうすぐ5月も終わる。

6月7日(土)はももちゃんの「薩摩琵琶のコンサート」

杜子春といっしょに、耳なし芳一も読み返した。日本の民話

や古典はほんとうにおもしろい。日本人の情操哲学を育んできたもの。

これを読んでももちゃんの薩摩琵琶を聴くと、日本人に生まれてきて

よかったと思う。菊池寛の「三人兄弟」もよかった。直木賞、芥川賞をつくった人でもある。


♪バーラが咲いた・・・

2014-05-24 08:37:19 | Weblog

人間も花も、適当な放射能がないと生きていけないのかもしれないけど、

庭のバラも例年になく見事に咲いている。今朝の新聞でも渡り鳥さんたちの

羽の具合がおかしい、との記事。人間も、鳥も動物や虫や植物・・・

生きとし生けるものみなこの星の上で、同じ空気や水を飲む仲間。

先週に「マチュピチュ」みたいな春日村で過ごしてきたので、まだ細胞の中に

澄んだ空気や清らかな水や、小鳥の声なんかがしみ込んでいるらしく、とても

体の調子がいい。

この週末はお天気もいいらしい。

明日の夕方は「がんばれ若者!鬼の蕎麦教室」

月曜日は朝が「卵かけごはん」夜は「順受の会」

29日(木)「気骨の鮨会」

30日(金)「ダメ中」

31日(土)「インヨガ」

もうすぐ5月も終

6月7日(土)はももちゃんの「薩摩琵琶のコンサート」

杜子春といっしょに、耳なし芳一も読み返した。日本の民話

や古典はほんとうにおもしろい。日本人の情操哲学を育んできたもの。

これを読んでももちゃんの薩摩琵琶を聴くと、日本人に生まれてきて

よかったと思う。

 


蕎麦汁料理

2014-05-23 08:28:15 | Weblog

水木と、「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」だった。

「天真庵」のHPの「無茶しぃの会」のところをクリックすると、今回の

岐阜の春日茶のお茶会の写真がでてくる。いっしょに参加した仲間が、

知らぬ間に撮ってくれたものだ。ベトナムの蕎麦会の写真もそうだけど、

知らぬ間に写真係を担当してくれている。感謝。棚田のような傾斜地で

お茶畑がある様子が伝わると思う。だから「やぶきた」なる新種ではなく、

在来茶を無農薬、無消毒の自然のままで作り、機械ではなく手摘みにこだわっている。

その滋味は、筆舌が及ばないけど、縁ある人にはぜひ味わってもらいたい。

毎年の恒例行事にしたいと思う。

ほんとうに安全なものを食べたり飲んだりするためには、時間や手間はかかるけど、

自分でできることは自分で責任をもってやる、に限る。

世界中でクーデターとか、戦争状態になったり、混沌としてきたけど、政治が

いきづまっているのは、従来型の経済では、この地球がなりたちにくくなっていると

いうことだと思う。

昨日の朝、世界少年少女文学全集の中にあった芥川の「杜子春」を読み返してみた。

今年から中学にあがった「ゆず」にあげようと思ってカウンターに置いてあったものだ。

自分も中学一年のころ読んだ。

主人公の「杜子春」が仙人にあって、お金持ちになるんだけど、そこには本当の

「豊かさ」がなく、人間本来の生き方とは何か、が書いてある。半世紀近くぶりに読んだ

けど、また新しい感動があった。ほんとうによい本は何度読んでもいいものだ。

自分のお稽古にいく前に、古本屋でいい本を見つけ、紙袋を二重にしてもらって二袋、

リュックに詰めるだけつめて、また青山通りをホームレスのようにトボトボ歩いた。

隠居しても一生何度も読めるくらいの本がいっぱいになった。押上には「古本屋カフェ」

を準備中でいっこうに始まらないけど、本は増え続けている友達もいる。

 


新芽は鼻血とは無関係だが・・・

2014-05-21 08:12:08 | Weblog

昨日は「書をしよう会」だった。

その前に歌舞伎を見た後にいつも着物でそばを手繰りにこられる素敵な先輩(彼女のお父様

の花の本でぼくはお花の勉強をした)が遊びにきて「芸十夜」の話などをしながら、そば前を楽しんでおられると、元・浅草芸者

のたまちゃんが浅草でお仕事を終え、舞台衣装のまま蕎麦を手繰りにこられ、その磁力

に引きつけられるような感じで、おばあちゃんが湯島の芸者だったというK君が、珈琲豆を

買いにきて、「芸」の話に花が咲いた。

時々花を持ってきてくれる煎茶の先輩が「今年は花や新芽が異常に元気」だという。

確かに、うちの小さな庭の中でも今年は、バラがいっぱい咲いたり、八重のどくだみもまるでどきだみ畑

みたいに異常に元気だ。お店の前に植えてある「お茶の木」も、新茶よろしく一針二葉がみごとに

芽吹いた。今の朝日新聞は、「吉田元福島第一原発所長」(その後、ガンで死去)による検察調書を入手して

それを公開している。この国の在り方の「?」がよくわかる内容で、ひょっとしたら、「おいしんぼ」の鼻血事件以上

に異常な事態が発生しているのではなかろうか、なんて心配になってきて、今年の植物の緑の深さが、そんことを

無言のうちに訴えていなければと思ったりする。

「鳥鳴いて山更に幽なり」

そんな心境で自然を愛でるような平和な環境に戻すことが目先の経済よりも大事だと思う。

今日はこれから「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」(明日も)

岐阜の春日村に新茶摘みを誘ってくれた「だいきくん」というぼくのお茶の弟子が、

「サスケ式手もみ茶」を持参してくれた。「しのより」という、茎と葉を分ける名人

の技の話を昨日のブログで書いたけど、手揉みの名人のサスケさんと出会い、秘技を教わった

らしい。お手前の手順よりも、ずっと手前の「自然とお茶」の根源的なものにふれられたことに意義

ある八十八夜だった。これもまた「芸十夜」に繋がる。

 


岐阜には、「しの」がふたつある

2014-05-20 08:13:17 | Weblog

昨日は「易の勉強会」

岐阜で新茶を一針二葉(いっしんによう)を手摘みし、浅蒸しにした後、

手で揉む。それを窯煎りし、また揉む。煎る、揉むを繰り返すこと、約

3時間くらいで、新茶ができあがる。

その一針二葉の後、「しのより」という作業を昔はしていたらしい。

茎の部分を「しの」と岐阜の人はいう。同じく美濃焼の白い器を「志野」という。

昨日は「しのより」した新茶を使って「茶飯」をつくった。

「ごはんを炊く。そこに新茶を入れる」

どんなあやうげな「料理研究家」とかいう類の人が考えても、簡素なレシピである。

ごはんの炊き方、お茶の入れ方。古来から毎日のように繰り返されてきた、毎日毎日

の作業だけど、100人いれば100通りの味になる。

おいしいお米を炊ける人、おいしいお茶を入れられる人が増えてくると、日本も明るくなる。

今日は「書をしよう会」

連日出席の女子がふたりもいるけど、今日も「茶飯」をつくろうと思う。

明日明後日は「無茶しぃの会」&「卒啄焙煎塾」(順序が反対だけど・・・)

美濃といえば、友人で陶芸家のTというのがいる。時々美濃から上京した

時に蕎麦を手繰ってくれる。彼は早稲田の剣道部のキャプテンで、その前の

キャプテンは、宗像高校の同級生のTだ。

先週お茶摘みの後に一泊した下呂温泉の湯宿の主人も剣道の達人で、その師の思い出

や禅問答みたいなものを綴った本が先日送られてきた。大好物の「ケイチャン」(ご当地グルメ)といっしょに。

「素質より努力」(山中無一文) 昨日の「易の勉強会」の時に、一気呵成に2冊読んだ。

「道」を求める人には共通の「哲」がある。精進していきたいと思う。「百尺竿頭進一歩」

という禅語が紹介されていた。天真庵のカウンターは、近くにあった「百尺」というお店で

60年使われていたものを譲りうけたものだ。「どこまでいっても終わりがない」のが「道」で

あり、迷った時は原点に戻ったりしてまた一歩踏み出せばいい。一歩一歩進んでいくのがいい。

東京にでてきて知り合った熊本の先輩で同じ山中さんという剣士がいた。

彼の早稲田の剣道部のキャプテンで、山岡鉄斎の本などを著した。彼の書斎

があった奥多摩の家にいって、山をいっしょに登ったりしたことをふと思い出した。