長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ちい散歩   今日は5時閉店。

2012-06-30 08:06:15 | Weblog
地井さんがなくなった。
数日前のブログで、「えいいちい散歩」みたいなことを、なんとなく
書いたけど、いい人がいなくなった。
2007年の3月、つまり天真庵ができる一月前に「ちい散歩」から電話があって、
出演依頼があった。テレビは見たことなかったけど、おもしろそうな番組だった
ので、でようかと思っていた。でも「何か、食べ物をだしてください」とのことだった。
その時は、まだ厨房が完成していなくて、二階が飯場になっていて、コンロで飯を炊き、
ほぼぶらじるの試行錯誤を毎日やっている時だったので、丁寧にお断りしたことを
思い出した。何事も一期一会。ご冥福をお祈りしたいと思う。


昨日は「ダメ中」だった。元気な女子たちが、ニーハオよろしく楽しい中国語。
男はぼくひとり。蕎麦会の準備がおわると、そうろうと、酒席に加わるのだが、
みんなが主席みたいに存在感があり、こっそりと混浴の露天風呂のはじっこに
前隠しながら入る、みたいな感覚で、酒を飲み始める。
この会の女子たちと話をしていると、「これから」の世の中がよく見える。

会の途中に電話があり、「被災地に、ほぼくらじるを10袋もっていきたい」
とのこと。元気なおじいちゃんが、定期的に被災地をお見舞いにいき、ほぼぶらじるを、
ふるまっているらしい。元気な人がひとりいると、元気の輪が、よこに広がっていく。
ひさしぶりに夜焙煎をした。いい話の、小物に「ほぼぶらじる」が採用されてうれし。

今日は「お花の教室」
宇部から原田先生が颯爽とやってきて、凡夫なぼくたちを指導してくださる。
春に福岡の星野村で生けた花のことが、まるで夢のようだ。
星野村の玉露を飲むたびに、夢のような「花の茶会」が思い浮かぶ。

明日の夜は、「ライブ」なので5時にお店は閉店。

「 百夜月コンサート」
演奏:榎本百香(薩摩琵琶)・川俣夜山(尺八)

19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)   おかげさまで満席。



今日は「ダメ中」 だめから始める中国語

2012-06-29 08:20:32 | Weblog
名古屋から月に一度、まいこ先生が、風きってやってくる。
TQの山田さんも名古屋だし、先日spice cafeをテレビに紹介してくれた
シナリオライターのゆずさんも名古屋やし、うちの改装をやってくれた、今雑誌に
でまくりの建築家・中西くんも名古屋。尾張名古屋は人でもつ。やはり「ひと」だ。
七夕に結婚式をやる「戦車くん」も名古屋だ。

昨日は「FMえどがわ」に出演した。初めて小岩にいった。懐かしいアーケードの商店街などを
散策しながら、楽しんだ。その前に、八広のイル・フィオレット(bunkanの水曜日の中根さんのカレー屋)さんに初めていった。
無茶しぃの会で、まじめに煎茶を習いにきてくれている素敵なママさん。
お花やもやっているので、花の匂いに包まれていて、いい。八広の街は、道に私道が多かったり
して、なかなか目的地にたどりつかない。それもまた楽しい。工場や家や商店の看板が手づくり
のものが多く、見ていてあきない。メニューにはアルコールはないのだが、アル中のぼくのために
特別にスーパードライを出してくれた。蕎麦がでる前に飲る酒を「そば前」というなら、「かれ前」。
まだまだ枯れてはならない、みたいで、いい。

昨日は、たてつけが悪くなった玄関を、街の匠がきて、なおしてくれた。自動ドアみたいに、
軽くなった、ほんと。
職人の技、を、いろいろな分野で蘇らせていくと、ほんとうに日本は元気になると思う。
便利さや安さだけで、自分のまわりにをかためていくと、人生がチープになる。
そんな話を匠としながら、サイフォンで入れた珈琲を飲んだ。
石臼の台も、そのまた下の台も、匠がつくってくれた。「こんなものを」という要求を
「あうん」でやってくれる。
久保さんがつくってくれた黄瀬戸のドリッパーもだいぶ手になじんできた。
サイフォンの竹べらを、清水先生が「竹の一日教室」でやってくれるらあ
しい。それで、道具類は、ほぼ完成。

明日は「お花の教室」
宇部から原田先生が颯爽とやってきて、凡夫なぼくたちを指導してくださる。
春に福岡の星野村で生けた花のことが、まるで夢のようだ。
星野村の玉露を飲むたびに、夢のような「花の茶会」が思い浮かぶ。

明日の夜は、「ライブ」なので5時にお店は閉店。

「 百夜月コンサート」
演奏:榎本百香(薩摩琵琶)・川俣夜山(尺八)

19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)   おかげさまで満席。





ええいチー散歩!

2012-06-28 07:33:58 | Weblog
昨日は浅草橋に小用があったので、ソラマチ経由で、歩いていった。
先々週、展望台にのぼった後に、ソラマチはすこし散歩したけど、今回は
ゆっくり見た。今発売の「HANAKO」に、ソラマチのお店が詳しく紹介されている。
(買ったわけではない。天真庵も紹介されたので、きのう届いた)
中に入っている本屋さんをのぞいた。毎週のようにいく青山ブックセンターと、
これまでの押上駅前の本やでは、その雑誌はあまりおいていないので、うれしくなった。
月に一度は、ソラマチの本やにいくことになりそうだ。
そんなことに喜んでいたら、傍らにいたかみさんが「そんなら定期購読にしたら」
といった。でもやっぱり、本屋で好きな本や雑誌を見つけた時の感動は捨てがたい。

途中でかみさんと別行動になって、かっぱ橋を散策。お店をやっていると、何かと
この街には、お世話になる。昨日は、ユニオンで、サイフォンを調達した。
卒啄珈琲塾の来月のテーマが「ミス・サイフォン」。
ぼくは、京都の「からふねや」で珈琲を学んだ。そのころは
サイフォンで入れていた。ゆっくりとした時間を過ごすには、いい。
その後、それをかかえて、いきつけの珈琲屋にいって珈琲を飲む。

ここのお店は、焙煎機も珈琲のブレンドも、言葉(関西弁)も同じ匂いがするお店。
時々、マニアックに「このプーンと薫るのは、なんの豆を、どのへんであげたんや」
みたいなことを聞いたりする。カウンターのは端に座るのがならわしだが、うちにきても
そこに座る常連さんが、先に座っていた。ボクシングマガジンを読みながら、珈琲を
飲んでいたら、その人が「うちの父もボクシングをやってました」とのこと。
こぶしひとつで、東京にでてくる・・・・いいな~。
これからの時代はまた、そんな時代がくればいい。職人の技を磨く、自分の体を鍛える、
心も鍛える。「ほんものは、簡素な中にこそある」。なにもかもがデジタルになり、暮らしも
便利さや効率ばかりを追い求める結果として、原発事故がおきたり、金融がおかしくなったりして、
世界中が混乱している。「平成」とは、なにもかもが、「平たく成る」という言霊らしいが、
神さま大掃除もそろそろ佳境を迎えそうだ。

今日は、ラジオの生番組?に出演する。スタジオにいくので、何を話すとか・・
そんな打ち合わせもないので、いいたいことをしゃべってみたい。
リクエスト曲だけ打ち合わせをしている。大石学さんの「セシル」
そう、あの天才ドラマー、セシルモンローを追悼した曲だ。
セシルが時々天真庵のカウンターに座って話たこと・・・などを話すと、
一時間では足らなくなりそうだ。

明日は「ダメ中」
明後日が「花のお稽古」夜が「ライブ」(5時閉店)

テネシーワルツが染みる

2012-06-27 07:53:20 | Weblog
昨日はタイムドメインだった。
それぞれが持ち寄った酒を、まいぐいのみになみなみついで、いろいろな音楽
を聴く。発売になったばかりの大石学さんの「gift」も、yoshii9で聴くと、
一段といい。7月19日のライブが楽しみだ。毎日のように「空いてますか」の電話
を頂戴するけど、おかげさまで、満席御免!です。

江利ちえみさんのCDを聴いた。とても懐かしい。若い友達に
「この人知ってる?」と聞いたら、「名前くらいは・・・」と
友達がいった。イワジーが「映画のさざえさんの役をした人だよ」といっても
「・・・?」という感じだったので、「高倉健がだんなだった」というと、
「え、高倉健が、ますおさんの役だったんですか」ときた。
「な、わけないだろう!」という話になったけど、昭和は確実に
遠くなりにけり。

大塚に素敵な骨董屋さんがあった。天真庵の二階に飾ってある「バンダヂ」(李朝ダンス)
はそこから、譲り受けたものだ。主人が足腰が弱って、家の倉庫に大事に保管していたものを
誰かに譲ろうか、と悩んでいた時に、こちらから拝みたおして、いただいたものだ。
もちろん、いただいた、といっても、「ただでもらった」わけではない。上場企業で上場廃止
になりそうな会社員の夏のボーナスくらいの値段はした。

そのお店の片隅に、蓄音器が置いてあった。ぼくが遊びにいくと、主人は小さな宝瓶に
玉露を入れてくれて、井上春峰の白磁の玉露茶碗に注いでくれた。時々、その蓄音器
を鳴らしてくれた。ぼくのおきにいりは、江利ちえみさんのテネシーワルツ。
押上に天真庵をつくる話をした時も、「それは、うきうきするね」と目を輝かせながら、
ふたりでテネシーワルツを聴いた。寄る年波にかてず、今年の賀状で、骨董屋を閉めたとの
近況を知った。池袋の天真庵の近所に、その骨董屋がなければ、たぶん、押上にはこなかったし、
煎茶の先生になることもなかったような気がする。その主人が夏の暑い日に入れてくれた
冷たい玉露の味も忘れ難き一杯。そんな「忘れがたき一杯」の珈琲や煎茶を供するお店に
したいものだ。まだまだ精進せねば。

きっと懐かしい未来は、こんな持ち寄りパーティーや原始的ぶつぶつ交換が、あたりまえ!だのクラッカー

2012-06-26 08:28:52 | Weblog
あまり告知していないし、なりゆきにまかせているけど、今日は「タイムドメイン」
の日。かっぽれのあいかたでもあるイワジーが、北区から不思議なオーディオ「yoshii9」
をかついでやってくる。池袋時代からやっているので、かれこれ10年くらい続いている
不思議な会だ。昨日の順受の会にもイワジーは参加されているので、彼がからんだ勉強会は、
長く続く。「健康で持続可能な生活」というのが、これからの日本のキーワードになりそう。
「継続は力」よりも、力がぬけていて、好きな言葉。でも持続可能で、安全な生活を日本で過ごす
には、原発はないほうがいい、と思う。

参加されたい方は、「聴きたいCD」「飲みたい酒」「食べたい酒肴」を持参して、7時くらいに
くる。それだけ、営業時間内であれば、珈琲など有料だけど優良なドリンクくらい頼む、というのが、
こちらが頼まなくても、当たり前の、「ならわし」になっている。

お店をやっている側としたら、毎日こんな会をやっていたら、つぶれていまう、と思う。
でも、人にもらったネクタイが、自分のセンスをぐっと変えてくれたりするみたいに、
知らない音楽、知らない食べ物、酒・・・この会では、そんなことをたくさん教えてもらったし、
今の天真庵の「てん」くらいは、この会で吸収したものだ。そんな意味では別名「ぼろもうけの会」
なんでもお金に換算して考えると、今の資本主義みたいに、追いつめられる。
持続可能な社会は、きっと、「原始的ぶつぶつ交換」が、自然におこなわれるのではなかろうか。

明日明後日は定休日。
金曜日は「ダメ中」  だめから始める中国語。
土曜日は「お花の会」
夕方はライブ。  5時閉店!

今日は儒学バーの日。朝は朝定の卵かけごはん

2012-06-25 07:36:47 | Weblog
昨日、開店前に「みかみくん」が、自分が企画した「みかみかん」さんのライブの
チラシをもってこられた。ふたりとも、不思議な「みかみ」だ。
はやく、古本屋カフェを開店しないかな・・・と  ♪思い続けて もう二年(やしきたかじんの歌にそんなのあった)

開店と同時に満席になって、犬屋敷のオープニングにきた「生やまだ」(TQ技術の先生)くんがひとりで蕎麦を
食べにきてくれたのに、座れなかった。ゴメン。最近はうれしいことに、不思議な無駄のない縁でつながった人たちが、
いろいろな地方からやってこられる。蕎麦・珈琲・お茶・お花・陶器・音楽・芸術・・・・奇人が好きそうなものが、いっぱい
あるからね~。

今日は月曜日なので、これから10時まで、「卵かけごはん」、TKG。
AKBもいいけど、TKGは、朝ごはんの王様。
女王様は、やまかけごはん。おでんの王様は、こんにゃく。
蕎麦の王様は、ほっと鶏蕎麦。珈琲の王様は、やはり「ほぼぶらじる」
昨日も夕方に、ほぼぶらじるが、ほぼ空になったので、閉店後も豆を
ガラガラと焙煎した。うれしい悲鳴。でも五十肩も完治したし、また最近は
ジョッギングを始めたし、いつでもリングにあがれそう。

夜は「順受の会」
論語を勉強する会。もう17年もやっている。継続は力なり、というけど、
ほんとうに長く続いていくのは、えらいこと。
先生もえらいけど、ついてくる生徒もえらい。教育とは「共育」でなくては
いけないと思う。お茶も、亭主とお客が、肝胆相照らすような気持ちがないといけないし、
習い事のみならず、ひごろの付き合いや人間関係もそや。
今週末の薩摩琵琶のライブもそやけど、音楽も、やっぱりお客さんと音楽家が、五感を
響きあわさなければ、あまり意味がない。順受の会の先生も薩摩。
今日は薩摩芋のサラダをつくらなくては・・・

30日(土) 百夜月コンサート

演奏:榎本百香(薩摩琵琶)・川俣夜山(尺八)

19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)   おかげさまで満席。


犬屋敷に幽霊がでた・・

2012-06-24 08:40:40 | Weblog
天真庵の照明を担当してくれた「たけちゃん」と、bunkanの「なつきくん」
が共同で、古い家を改装して、「犬屋敷」なるサロン?を完成させた。
今日のお昼に「お披露目会」をやる。土日は、しょんべんにいけないくらい忙しいので、
一升瓶をぶらさげていった。「夢かなう」の吟醸酒。味もいいけど、名前がいい。

犬屋敷の家主は、鳥取り名人だった人。今は天上界にいらっしゃる。色とりどりの鳥の剥製や、目白籠、山雀(やまがら)籠
などが、あった。最初にその屋敷に入った時は、鳥たちの声、聞こえてはいけない声が聞こえてきた。
屋上にはハト小屋もあった。伝書鳩も飼っていたらしい。
改装を始めて、いろいろな人が訪れ、珈琲で清められ、音楽も聴かせたりしていくうちに、不思議だけど、
霊気というか冷気というか、そんなものがだいぶ薄れてきた。今日は酒がいっぱい集まるだろうから、本格的に
清められると思う。

目白籠をひとつもらったので、カウンターの中のダムエターのところに飾った。2007年の春から、5年ちょっとの間、
ほぼ毎日、この天真庵の中に「籠の鳥」よろしく、居つづけるので、まるで自分の家みたいに思えてくる。
小さいころ近所に鳥屋(とりや)があった。幼稚園にいくまでは、毎日が暇なので、よくそこにいって遊んだ。
酒好きで腹が丸々太ったじいちゃんは、鳥かごを作ったり、とりもち(今は禁止)をつくったり、とってきた目白に
菜っ葉や魚のほしたものを摺って「餌つけ」などをやっていた。夕方になると、九州なのに「目白オタク」が、遊び
にきて、鳥自慢をしながら、酒を酌み交わしていた。男たちは飲んでしょんべんがしたくなると、お店の外で
タチションをしていた。それがまだ許された時代。「酒飲みは、小便の時間が長い」という勉強や、目白の産地、
えさ入れは、九谷焼や有田の花やいだものを好んだ。緑色の目白が、白い竹の中で、左右に自在にはねる。そこに
辰砂みたいなちょこが、ちょこんとおいてある。子供ながらに「美しい」と思った。ぼくの骨董病は、このころ
発症したに違いない、と時々思う。

いや、いけない、お店にいかなくては・・・
昨日は5時から打った蕎麦が、12時開店後、一時間半で完売した。
半年間、スパーリングやランニングやキントレをして、リングにのぼったボクサー
が、1ラウンドでKO負けするような感じ?
おかげで、それ以降にくるお客さんの半分以上が、踵をかえして帰っていった。
今日も天気がいいので、長いラウンドではなくKO負けしそうだ。でも、老体に鞭うって
リングへいかなくては・・・

素敵なgiftが届いた。

2012-06-23 08:36:38 | Weblog
お中元でない。昨日「gift」という、大石学さんの新しいCD。
昨年に続き、フランスで録音されたものだ。新しい時代を生きる「想い」
みたいな直筆の手紙つきだ。ひとつひとつの音を、まるで、野良仕事みたいに、
丁寧にピアノの上で耕し、種を植え付ける、彼の「音」には、そんな大地に
根ざした自然な調べがある。
一日かけていたけど、まったく疲れない、どころか元気をもらう。

夕方に著名な作家の友人が蕎麦を手繰りながら酒を楽しんだ。「大石さんの
ピアノは、キースジャレットに似ているな~」
似て非なるものだと思う、と返事した。
京都の大学時代に学校のすぐ近くに「シアンクレール」という名にしおうジャズ喫茶の
名店があり、そこではじめてきいたのがキースジャレットで、その後もよく聴いた。
でも大石さんのピアノは後にも先にも、「おおいしまなぶ」なのだ。

19時になって、看板とのれんを入れ、カウンターの電気を消し、
薄めのバーボンを飲みながら聴いてみた。目を閉じると、大石学トリオでドラムを
やっていたセシル・モンローが隣に座ったような気がしてきた。
「やっぱ、この街はブルックリンだ」と笑いながら、いっしょにバーボンを飲んだ。

昨年の夏に千葉の海で、セシルは死んだ。けど、どうしても、まだこの街にいて、
生前そうしていたように、ひょこっと天真庵ののれんをくぐり、笑って「はーい」
といいそうな気がする。

あの世にいった人には、自分もあの世にいかないと会えないものだと思っていたけど、
天真庵で会った人たち、とくに、何か美しいものを残していってくれた芸術家みたいな
人たちとは、いつでも会うことができることを知った。
だから「芸術」とはすばらしい。

大石さんのライブが7月19日に、天真庵である。残念ながら、一日で満席。「gift」という題名のジャズコンサート。
天から与えられた才能(gift)や、天が与えたもうあまたの試練(gift)、そんな一期一会の
身にふりかざすことは、みんな素敵な「gift」なのかもしれない。   天恩感謝。


幽体離脱をした・・・?

2012-06-22 08:14:06 | Weblog
昨日も朝から「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」。
昨日も、手回しの焙煎機を、元気な女子たちが、がらがらまわす。
「ほうろく」で、基本を教えてあるし、みなセンスがいいので、飲みこみ
がはやい。これまで自分以外が、この焙煎機をつかっていないので、ほかの
人が焙煎しているのを、後ろから見ていると、幽体離脱を初体験している
ような気分になった。

以前、変わった友達がアメリカで、ドルをはらって、幽体離脱をした話を聞いたことがある。
そのまま、日本の自分の家にもどって、家族に手を振ったけど、気がつかなかったらしい。
でも飼い犬に同じことしたら、気がついて、しっぽをちぎれるほどふったということ。
「おー、そうか」と感動したことがある。犬が死ぬと、虹の橋を渡って天国にいく、という話も
まんざら嘘ではないのかもしれない。いつか元気と会えたら、聞いてみたいものだ。

星野村の新茶の煎茶を飲みながら、無茶しぃをやった。掛け軸や器の話に盛りあがり、
あっという間に時間が過ぎた。でもサービス残業でもないし、いやな仕事でもないから、
疲れないし、反対に元気や活力をもらえる。「そんな時間」が過ごせることは、とても
大事なことだと思う。

仕事や人生に息詰まっている人があまたいると思う。
少し大きな深呼吸をして呼吸を整え、自分の天真(本性)と向き合う時間を
一日10分でもいいから、もってみることを、おすすめする。
座禅でもよし、茶を飲むのもよし、好きな音楽や本を読む、のもいい。
「これをすると、時間をわすれる」とか「気持ちがよくなる」状態にもどれる原点を
もっている人は、「つよい」。

今日も卒啄(そったく)珈琲塾

2012-06-21 08:03:35 | Weblog
少し曇りだけど、今日も午前中は卒啄珈琲塾で、午後は無茶しぃの会。
夏の昼に、ときどき「冷たい玉露」を飲む。ガラスの急須に玉露を入れ、
ぬるめのちょうどいい加減のお湯を注ぐ。その急須のまんま、冷蔵庫に
入れる。それを冷蔵庫からだしてこぶりの斑唐津の玉露茶碗で飲む。
涼やかな清流の音を聴きながら、貴船かなんかの川床にでもいるような風情がある。
風鈴の音が聞こえたりすると、あとは何もいらない。

昨日は女子たちに、手回しの焙煎機で焙煎の仕方を伝授し、ダッチ珈琲の
仕込みを教える。「ふ~ん」と納得すれば、それまでの話だが、奥の奥は深層水
よりも深い。

先日ヨッシーのお父様の訃報が入る。つい最近彼女が演奏のため上京し、
「父から電話があって、NHKの番組のことをしりました」などという近況を
きいたばかりなので、言葉がみつからない。人の生き死にの問題は、人知を超えた
領域の世界なのでなんともならないが、川の流れのように、無常を感じる。
人生は楽しいことばかりではない。つらいこと、悲しいこと、人を好きになったり、
好かれたり、憎まれたり、いろいろしながら、さらさらと、たださらさらと流れて
いくものなんだろう。心からご冥福をお祈りいたします。鎮魂。

卒啄・・・卵からかえろうと、ヒナが卵の中からコツとつつく。それを卒(そつ)
という。ま、そろそろか、というタイミングで親が、そこをコツとたたく。啄(たく)
という。そのふたつがはやくもおそくもない間で行われ、新しい命が誕生する。
禅の世界では卒啄同時、とかいう。人と人の出会いもしかり、生きたり、死んだり
する時もしかり。そうしてヒナは羽をばたばたさせ、巣立つ。習うというのは、
そんなヒナのひたむきな姿を現す象形文字。
最近界隈の家の軒先から、巣立ったばかりのつばめを見る。
彼らの巣くうような家もすくなくなり、絶滅危惧種の仲間入りになることが心配だ。
午後からやる「お茶」や、「お花」も絶滅危惧種になりつつある。
日本人にもどれる巣づくりも大事やな、と、つくづく思う今日このごろ。