長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ときどきよがりにくる美人?

2016-01-31 08:22:52 | Weblog

昨日は味噌の寒仕込み。

夕方カウンターに、常連の美人さんが3人とまった。

ときどきヨガりにくる人、時々二階の座敷の蕎麦会にふる人、ときどき蕎麦を打ちにくる人。

そば打ちにくる人が「蕎麦打ちでいっしょになった二人も美人でしたが、天真庵は美人が多いですね」とぼそっという。

密かに、「奇人変人の会員制純喫茶」だと思っていたけど、よくよく見たら、そうかもなんばん。

ちょっと動揺しながら、3人ともくるたんびに名前を聞くに右同様、「名前を教えて」と問い、3つ覚えた。また忘れるかもなんばん。

その後、味噌つくりの家族がきた。3歳になる「ゆうなちゃん」は、ぼくとドラエモンと同じ誕生日。

昨年から味噌作りのお手伝い。今朝の天声人語に「おにぎりと味噌汁のつくれない人が多くて、おにぎり塾を主宰する人」

の話がでていた。ゆうなちゃんはその源流の「味噌作り」ができる。昨年おねえちゃんになったので、一段と「女子力がアップ。

今日は日曜日なので、16時で閉店。それから「がんばれオヤジ!鬼の蕎麦打ち特訓教室」

山登り、山菜料理の師匠が蕎麦打ちに参加することになった。ぼくが蕎麦を打ち始めたころ、水上温泉近く

のキャンプ場に蕎麦をもっていった時に出会った。そばはまだまだ三流だったけど、彼らが採ってきたキノコや山菜

の料理が超一級だったので、蕎麦も同じ舞台にのせてもらって、なんとか形になった思い出がある。

能登に移りすむくんと、養蜂にはまっているふくちゃん。山海の珍味よろしく愉快な蕎麦打ちになりそうだ。

今日の味噌作りは二階の座敷。

明日から2月。2月1日(月)、長屋で女史会からはじまる。

火曜日が「英語で蕎麦会」  おなじく山で知り合った女性が初登場する。またまた「ポンビキ」の

パワーが大幅アップしそうだ。

4日(木)が「おとこかっぽれ」

5日(金)が、ねんど。ほぼ毎日が味噌作り月。

 


よがりそば

2016-01-30 08:44:26 | Weblog

昨日はインヨガ。人数が多くなってきたので、この会

だけは「つきに」になった。陰陽の陰ヨガ。みんなで「よがって」、

それから蕎麦を喰う。動脈硬化やお肌にやさしい「ルチン」がたっぷりの

蕎麦湯を飲むと、空っぽになった体の中の宇宙に気が充満するような感じになる。

締めは珈琲か黒豆茶。ポルフェノールたっぷりの黒豆茶の方が、よがった後の

体が要求するようだ。ヨガとか坐禅なんかすると、聞こえないものが感じられ

たりする。見えるもの、記号化されたもの、マスコミや人がいいというものだけに、

「いいね」というような主体性のない生き方をしている人には、いしょによがることをおすすめする。

今日は4人が味噌作りにくる。冷たい雨が降る朝だったけど、寸胴に一晩つけた大豆を

石油ストーブにのせて、滋味深い香りの中で蕎麦を打つ。もともと蕎麦は精進料理のように

お寺で始められたという説がある。「寺方蕎麦」なんてことをいった。その時代は、

大豆の煮汁に醤油を入れて蕎麦を食べていたという文献が残っている。

豆腐や湯葉、味噌などは精進料理にはかかせない。精進料理、は、

まさに一生懸命生きる人たちの為にある料理。お豆のひとつぶひとつぶ、の

命に感謝しながら毎日を生きていくものだ。「粒々皆辛苦」という言葉を体で

噛みしめるようなものかもなんばん。

明日は日曜日なので、16時に閉店。それから「蕎麦打ちの仕上げ」

能登に移り住むお弟子様の仕上げ。養蜂をやりはじめたお弟子さまもくる。

来週の蕎麦打ちの後の「なんとなく蕎麦を喰う会」は、「まじめに鮨を喰う会」になった。

今年は「精進鮨」をみんなで勉強してものにしたいと思っている。

月曜日は2月1日(月)、長屋で女史会からはじまる。

火曜日が「英語で蕎麦会」  山で知り合った女性が初登場する。またまた「ポンビキ」の

パワーが大幅アップしそうだ。

4日(木)が「おとこかっぽれ」

5日(金)が、ねんど。

申年は始めったばかりだけど、一月はいく、二月は逃げる、しっかりと

一瞬一瞬をつかんでいかないと、つきにも逃げられるヨ。

 


押し売り で 代金をいただかない・・・おしあげ という。

2016-01-29 08:29:23 | Weblog

昨日はお休みだったけど、昼に「味噌作り」の第一弾。

そばのお弟子様の最高齢の方と、その友達が味噌に挑戦。

さながら「さわやかおじさん料理教室」だ。その友達も手際がよく

「そばも必ず習いにきます」とのこと。元気なおじさんに出会うと元気がでる。

夜は「福の会」   精進鮨をつくろうとしていたら、気骨のすし会の米(合鴨農法米)を

提供してくれてた友達から電話。「酒粕が20kあるけどいる?」

とのこと。イエス、と返事をすると同時にチャリンコにまたがり、彼女の家にいき、

20kの酒粕を積み、bunkan、押上猫庫にいって、「おしあげ」。

原始的ぶつぶつ交換や、おしあげで成り立つ押上界隈。

今朝のちゃぶ台ごはんに、たっぷりの酒粕をいれた具たくさんの味噌汁がでた。

雨になろうが雪がふろうが、ぽっかぽっか。まじめにつくった味噌汁を飲むと、免疫力もアップする。

夜は「福の会」だった。今月誕生日のできの悪いがかわいい妹みたいなんがいたので、お祝いに

ミルキーのロールケーキをもってきてくれた、これまたできの悪いがかわいい妹がいたので、珈琲を

入れて祝った。♪ミルキーは母になっても母の味  な感じでうれしそうだった。

その後も、先生がまったく登場せず、電話をしても留守番になっていたので、「精進鮨会」

になった。来月から「鮨の勉強会」を始める。そばと鮨がにぎれたら、けっこうこれからの人生が

楽しくなる。珈琲とお茶とお花が加わると天下無敵な素敵な毎日になるかもなんばん。

今日は「インヨガ」。味噌作りもある。

 


bunkanのカレー 喰いおさめ

2016-01-28 08:22:08 | Weblog

2007年の春に天真庵が押上に生まれた。

改装中に、近所の人に声をかけられ、「てふうきん?」とかいう

喫茶店の跡地がしばらく空いているので、よかったら使いませんか?と

いうことで、改装隊長の中西くんが、天真庵改装であまった材料などを使い、

その建物が生き帰った。一階が「bunknan」というカフェで、なつきくんが店長、

夜が「ゆーほーくん」が店長で始まった。生まれては消え、また生まれ・・みたいに

輪廻転生の激しい業界にあって生き残るには、最低自家焙煎は必要だと思い、

使わなくなった焙煎の道具をあげて、焙煎のコツを指南した。器用な子でそれから

上手に焙煎をし、珈琲のお弟子様もたくさんできて、カフェを始めた人もいる。

また蕎麦のお弟子様のひとりでもあり、旧暦の大みそかには、こそっと年越し蕎麦

を打ちにくる。今年も2月に、年越しそばを打ちにきて、その後引っ越しそばを打ち、

3月あたりにどこかの町か村に移住する計画だ。

夜の店長の「ゆーほーくん」も震災を機に、熊本に移住して、自給自足の生活に入った。

昨日は「カレーの日」(日替わり店長制)で、カレーを食べにいった。店長の中根さんは

お花やさんでもあり、ぼくの煎茶のお弟子様でもある。彼女も2月でカレー店長の

役割を終えるので、そして今日から2月まで毎日のように「味噌作り」があるので、

「食べ納め」になった。

最近話題になったSMAPでさへ、独立しようとすると、いろんな圧力がかかる。

一億総活躍とは名ばかりで、雇用関係という奴隷制度みたいな中で一億の人

が窮屈に暮らしているのがあぶりだされた。

「人間として自由に生きる」という基本的人権のひとかけらもない世の中で、小さな一歩

を踏み出そうという若者が、身近にでてきたことがうれしい。よくいわれた「大輪の花を咲かせる」

ようなことは考えず、「世界にひとつだけの花」をどこか縁のある土地で咲かせてほしいと思う。

筆始め、姫始め、味噌始め・・・いろんな始めがあるけど、それぞれが持つ天命を信じて、

何かを始める、そんな年になるかもなんばん。感謝。

今日はぼくの蕎麦のお弟子様が友達といっしょに味噌を作りにこられる。

夜は「福の会」。昨日も書いたけど「福」という文字には、「人間のゆたかさ」の

根源的なものが入っている。


筆おろし そして 筆始め そして姫始め

2016-01-27 08:19:03 | Weblog

昔から、正月に新しい水を汲んで、書をかく習慣があり、「書き初め」(かきぞめ)と

いった。昨日は「書をしよう会」で書き初め。「筆始め」ともいう。

またまた、股の話をすると、男子が童貞を捨てるお手伝いをすることを、「筆おろし」

といった。遊廓とか花街のおねえさんたちが、一役かってくれた。そして、男と女の

事始めのことを「姫はじめ」という。仕事始めといってもPCなど無い時代は、田んぼ

にいって神様をお祭りする儀礼から始まった。ゆかしき時代である。

ギャラリー・アビアントで先週まで「すみだで墨だ」?そのようなイベントがあり、

貞本先生の「赤い雪」と「赤」という字が、お歴々の書といっしょに展示されていた。

昨日、先生がいつものようにゆっくりと深い呼吸をしながら、「赤」を書いた。

あたり前だけど、+と-、土から書く。プラスとマイナス、陰陽であり、大地と太陽の光を

現す象形文字でもある。いい字を床の間(死語になりつつある)、か、それが輝く場所

に飾り、それを見つめているだけで、幸せな気分になる。できたら洋間より和室がいい。

日本人は、「坐る」という生活の中から、いろいろな文化を育んできた。床の間は

その集大成であり、小さな美術館。どこの家にも美術館があった。

坐るという字は、土の上にふたりの「人」を現す。自我と自己。その調整をするのが坐る。

禅林や書家や画家や陶芸家たちは、坐して、寒山拾得を書いたり、円相を書いたり、

茶を飲んだりしながら人格を陶冶し、たかみを目指しながら生きてきたのだ。

明日から天真庵の「味噌始め」だ。夜は「福」の会。事始め、筆始め、姫始め、味噌始め・・・

人間のほんとうの幸福、というものは、ほんの小さな一歩から始める。


論語と読み書きの手習いをする場を寺子屋といった。

2016-01-26 08:19:50 | Weblog

昨日は「論語の会」。正確にいうと、「順受の会」という。

21年も続いている勉強会。昔は各地に読み書きそろばんや手習い

を教える寺子屋があった。天真庵の住所・墨田区文花・・からとって

「文花的な寺子屋」と称して、いろいろな勉強会をやっているけど、

順受の会が、その真ん中にある。読み書きの「書き」が今日ある。「書をしよう会」だ。

天真庵の玄関横に風雪に耐え、古色蒼然たる建物と同化している看板の字

を書いてくれた貞本さんが、月に一度やってきて書を指南してくれる日。

論語の会と書の会の人は、二階の厠にいく時に、床の間の軸を見て

いろいろな感想をいう。

今年は申年なので、正月に中川宗淵老師の軸をかけた。

坊さんであり俳人であった老師の俳句が揮毫してある。

「申年の ひゆく人寿 無量かな」

人寿の二文字が真ん中にどーんと力強い。混沌とする世の中の真ん中に

泰然自若とした「人寿」  そうありたいものだ。

明後日は「福の会」 示す、とは、神棚の象形文字。田んぼで採れたお米、畑で採れた

野菜を、神に手向ける、のを「福」とした。そんな根源的な「ゆたかさ」を勉強させてもらっている会。

ちょうど、その日から「味噌作り」が始まる。口の中に入れるものから、命が紡がれていく。

その根本を大事にするには、ただぼんやりと「おいしいぼりぼり・・:とやっていってもだめだ。

米の一粒一粒、大豆の一粒一粒、そばの一粒一粒に、気をこめてみると、その一粒一粒の

命の輝きが伝わってくる。「粒々皆辛苦」という禅語も、読めば読むほど、米を噛みしめるような滋味

が感じられる。そんなことがわかってくると、酒がもっともっとおいしくなる。これも天地自然の理。

料理とは、その末席に鎮座する命のもとかもなんばん。

 


人生の楽園

2016-01-25 07:35:46 | Weblog

そんなテレビ番組がある。一度話があったけど、まだそんな境地ではないし、

端っこやけど、東京の真ん中でそれは?と思い断ったことがある。

昨日は「蕎麦打ち特訓」と「なんとなく蕎麦を打つ会」。

能登に来月移りすむことになった若夫婦が、最後の仕上げにきた。

夫婦ともに、師範代レベルの蕎麦も打てることになったし、そのまわりにある

普茶料理みたいなこともだいぶできるようになってきた。

囲炉裏もある古民家らしく、昨日は「そば鍋」の作り方の指南をした。

海が眼の前の写真を見て、カウンターに座って珈琲を飲んでいた「やまね組」の組長さん

が「きっといきます」といって目を輝かせた。彼は海釣りの名人でもある。

今年の「大人の修学旅行」の行き先が決定した。鮨道具と釣り道具もっていかなくては。

これから「卵かけごはん」 大寒の卵は、体にいいらしい。にわとりさんだって、寒い朝にひんばるのはつらかろう。

夜は「順受の会」 21年目の論語の会のことはじめ。みんな21年年をとった。

明日火曜日が「書をしよう会」  表の「天真庵」という表札を書いてくださった貞本さんがやってくる。

彼と大塚江戸一で会ってから、はや20年。ほぼ毎日彼は江戸一で白鷹を飲んでいるらしい。すごい。

木曜日が「福の会」

金曜日が「インヨガ」(まだ少し空きあり)

 

 

 


眠れるない夜には

2016-01-24 09:07:22 | Weblog

大石学さんから新年のご挨拶の電話がある。

毎年海の日に天真庵でライブをやってもらっている。

今年は7月18日だ。

昨日新しいCDが届いた。ピアノのソロで「心象風景」。

しんしんと寒い冬の静かな空間で聴いていると、瞑想しているような感じになる。

昨年は3回もいった彼の故郷の山口の日本海側の海なんかが瞼に浮かんでくる。

夜は「インヨガ」だったので、さっそくこのCDを流してみた。それぞれのこころに、

いろいろな「こころの原風景」が浮かんだに違いない。

メラトニンなどか加齢によって少なくなり、眠れない人なんかには、おすすめ。

五感を研ぎ澄ますには、こんないい音楽を聴いて、さびない感性を持つことが大事だと思う。

今日は日曜日。日曜日は16時まで。それから「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」

今日くる人らは、来月あたりから田舎に移住予定の方。今日は仕上げの蕎麦打ち。

目標をしっかりもって蕎麦打ちやまわりの料理の勉強をされているので、こちらも教えがいがある。

明日の朝は「卵かけごはん」 大寒の卵は、体にいいらしい。にわとりさんだって、寒い朝にひんばるのはつらかろう。

夜は「順受の会」 21年目の論語の会のことはじめ。みんな21年年をとった。

火曜日が「書をしよう会」  表の「天真庵」という表札を書いてくださった貞本さんがやってくる。

彼と大塚江戸一で会ってから、はや20年。ほぼ毎日彼は江戸一で白鷹を飲んでいるらしい。すごい。

今日と同じ明日はこないと思っているけど、毎日続けられるもの、や、ことをもっている人は素晴らしい。

 

 


今話題の春画の酒器で酒を飲む

2016-01-23 08:30:08 | Weblog

今日も全国的に寒くなり、雪がふるかもなんばん。

昨日は「さわやかおじさんたちの蕎麦会」。3年ぶり。

その会長で、ぼう石油会社の社長であったNさんが脳卒中で倒れられた

ので、ひさしぶりの会になった。Nさんは、池袋の天真庵の「南條観山展」に

よくこられ、押上に越してからも、元気な蕎麦会を続けてくれた人だ。

この会のマドンナ的な存在のO女史も来月に古希を迎えるとのこと。

彼女とはニューヨークで南條先生が2000年に個展をやった時の縁。

「めぐりあわせ」の妙に感謝、健康に感謝、今ここに居ることに感謝、そんな気持ちで飲む。

Oさんが宴たかなわになったころ、着物の懐から、懐紙に入った杯を取り出して、見せてくれた。

なんと、今世界中で話題になっている「春画」が描かれている杯だ。彼女のおばあちゃんは、

「よしちょう」の茶屋の女将だった。吉原が今の地にくる前、つまり元吉原、という花街で、今では人形町になって

いまったけど、芳町、と書いた。かっぽれの「深川」にも、お坊さんがこっそりと「芳町よしちょーう 通い あらよっ」

というのがある。これから、という前戯の前の余興に、こんな杯で酒を酌み交わす、三味の音や、帯をほどく艶冶な

絹づれの音などが聞こえてくるようだ。こんな遊びこころさへ、抑え込まれるような昨今。もっとおおらかに、悠々と

人生を謳歌できるように、各地で「さわやかおじさんの○○会」などが生まれてくるといいな。

今日は「インヨガ」 この世は、陰陽で成り立っている。男と女もそうだ。「陰ヨガ」

静かなヨガだけど、体の中の宇宙を旅するような気持ちになる。「體中玄」という禅語を体で感じられる日。

 

 

 


温泉が沸いた?

2016-01-22 08:17:07 | Weblog

水曜日は「おんな かっぽれ」だった。

下で蕎麦会の準備をしながら、飲んでいても、二階の雰囲気が

伝わってきて(もっとも、三味線とか踊りのドタバタは下の方がにぎやかかもなんばん)、

元気になる。先生は齢70を少し超えておられるけど、浴衣姿で自転車にのって颯爽と

やってくる。昨年は年間100を超える数の「老人施設の慰問」もなさった。怪物のように

元気で陽気な女性である。かっぽれの後の酒のことを昔から「かっぽ酒」という(ウソ)。

そんな名前をつけたくなるくらい愉快な酒宴なのだ。元気のない日も、元気でない人も元気になる。

昨日は休み(しばらく味噌つくりのため、休みがない)なので、千葉の温泉にいき、時々いく

イタリアンで昼飯。よくいく温泉は、印旛沼近くにあって、ときに冬枯れの里山の風景をみながら湯

につかると、生きているのか死んでいるのか、どちらでもいいような、そんな気分になる。

そこから10分くらいのところに、若いシェフがやっている「なんやら」いうイタリアンのお店がある。

地元の野菜を使っていて、ときどき朝採れの野菜を販売したりしている。にんにくの芽なんかがあると、

うれしくなってしまう、そんなお店だ。まだできて3年もたっていないけど、店に「改装する」という張り紙。

こそっと教えてくれのだが、「その敷地内に温泉が沸いた」らしい。横に野菜の販売所があるのだが、

そこも改装を始めた。「温泉」とは書いてないので、内緒かもなんばん。

最近はお金にものいわせて、どこでも温泉を掘って、大きな施設をつくり、「ねこそぎ温泉」

みたいな外観をしたものがあちこちにある。あまり人に知られていないが、そこの里山の風景とか、

地元の野菜などを使っているお店などがあったりしたほうが、ほっとする。

明日は「インヨガ」  ヨガをする人たちの意識が変わってきた。そうすると習慣もかわり、

いい循環で毎日を過ごす人が増えてきた。この人たちが「黒豆茶」をたくさん飲んでくれる。

ぼくは、不健康ながら、「黒豆焼酎」を仕込もうとしている。

日曜日は「大寒過ぎの蕎麦打ち道場」&「なんとなく蕎麦喰う会」

いよいよ縄文の里に移住するご夫婦の最終仕上げの蕎麦打ちになる。

月曜日は、二週続けて雪になりそうだけど、朝は「卵かけごはん」

(大寒あたりに採れた卵は、寒の水と同じく、力がつく卵になるらしい)

夜は「順受の会」

火曜日が「書をしよ会」 ギャラリーアビアントの「墨田の墨?」をおえた貞本先生がやってくる。