長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

味噌汁とそばの時間差攻撃

2017-02-28 08:52:07 | Weblog

昨日は「卵かけごはん」だった。南島原のなつきくんのところへ遊びにいき、

はまってしまって、また来月いく、という女子がきた。「島原病」。

といいながら、ぼくも11月に島原の住職に頼まれてお寺で蕎麦打ちをやったのが縁で、

3月に二日続けて蕎麦会をやることになった。そのままいついてしまうのではないかというくらい、素敵な場所だ。

昨日はまーくんの「満つまめの会」だった。一昨日はじめてこられたおばあちゃんが、二日続けてうけられた。

終わったら、一階で「論語の会」が始まっていて、大塩中斎の話をかたわらにききながら、そばがきぜんざいを食べて

いたおばあちゃんが「この会素敵ね。ぜひいちど勉強にきたい」とのたまった。齢80にもうすぐ、といったおばあちゃんだけど、

ファッションは「ぬすみくいくん時代」やし、知的好奇心と精神的文化力が、女子大生みたいで素敵。まーくんの施術も気

にいって、「毎週くる」とのこと。「青春とはこころの若さである」・・・「そのとおり」だ。

昨日の論語の会は、豚汁にそばどん(そばの平打ち)を入れて食べた。味噌汁は朝、そばは昼、というイメージ

があるので、味噌汁&そば、という組み合わせは時間差になる。でも栄養学的には最高のコラボらしい。

今日で二月がおわる。一月はいき、二月は逃げる。しっかり時をつかまえていないと、どんどん流されていく。

今日の夜は「書をしよう会」

明日は「英語で蕎麦会」

明後日は「おとこかっぽれ」です。

 

 

 


今日の卵かけごはんには、あのうわさの海藻が・・

2017-02-27 07:42:02 | Weblog

だいぶ春めいてきた。昨日の東京マラソンは汗がいっぱいでたでしょうね。

56歳で旅立ったマラソン仲間のワカと「還暦になったらまたホノルルを走ろう」と約束

したけど、時が勝手に追い越していく。時は、おおいなる自然だ。どうすることもできない。

古希になったらひとりで走るとするか・「古希だと、コケるか?」

これから「卵かけごはん」。にさんにち前に紹介した能登の「ぎんばさ」を味噌汁にいれて出すみたい。

銀歯ではないよ、義馬藻。

その土地土地に、昔から伝わる伝統的な食材とかその料理法などがあって、楽しい。

ネットでクリックするとすぐに自宅に届く便利な時代だけど、あまりにその便利さになれて

くると、いろいろなところにしわ寄せがきて、倉庫が火事になったり、宅急便の人たちが疲弊してきているみたい。

自分の足で、いろいろな土地にいって、その土地の風土とか人にふれあうほうが100倍楽しいのに。

いよいよ来週は3月。南島原で「そば会」をやる準備に忙しくなってきた。簡単にいけるところではないけど、

一度いくとその「楽園度」の高さにびっくりする。今回も釣りをする時間はなさそうだが、釣り竿はしのばせていこう。

今日は「満つまめの会」もある。口コミで「まーくん」の気功のすごさが広がりはじめている。ネットではなく、「あのひと」

が教えてくれる情報の確かさと、あの人に繋がる「この人」と、繋がっていく出会いが素敵だ。

夜は「順受の会」 今年から22年目になる通称「論語の会」。今年は大塩中斎をお勉強している。

明日は「書をしよう会」


♪おどみゃ島原のおどみゃ島原の梨の木育ちよ

2017-02-26 08:46:19 | Weblog

♪何の梨やら 何の梨やら 色気なしばよ しょうかいな はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ 鬼( おん)の池ん 久助(きゅうすけ)どんの 連れんこらるばい

ヨーロッパなどのクラシックの子守唄に比べて、物悲しい気はするけど、全国的に知られた唄だ。

昨日、島原から来月のそば打ちがある廃校になった小学校を背景にしたパンフがなつき君から届いた。

それを見ていたら、「島原の子守唄」が自然にでてきた。前世があるかどうかしらんばってん、島原にいくと、

不思議ななつかしさがある。ひょっとしたら、島原の乱に参加した貧しい農民のひとりが、前の人生だったりして・・

旧搭ノ坂小学校、というところだけど、「懐かしい未来」みたいなものが浮かんでくる。

ぼくは、北九州市立天神小学校に入学。♪南風吹く皿倉山の~

から校歌が始まり、その唄のとおり、北九州の人のふるさとの象徴みたいな皿倉山の麓にあって、遠足

はきまって皿倉山だった。小学校3年のとき、城山小学校に転校。♪昔をしのぶ 秋月の 屋敷の後や城の後・・・

まさに城下町だったけど、高度経済期に、公害がはげしくなり、廃校になった。天神小学校も廃校になった。

北九州の「鉄の街」の栄枯を象徴している。学校もなくなったけど、途中で君津などに転校する友達もあまたいた。

だから、小学校時代の友達との交流がまったくない。ただ例外なんが笠間くん。城山小学校の時は、ソフトボールをしていて、ぼくがピッチャー

で、笠間くんがキャッチャーだった。彼は長崎大学をでて東京の大手出版会社に勤めていて、一度池袋にあった

ぼくの会社をたずねてくれた。その時は池袋の居酒屋でたらふく飲んで、「草野球チームをつくろう」という話で盛り上がったけど

、酒の上のたわむれにおわっている。そろそろ定年だろうから、またこの話をぶり返しにきてくれないかな・・

今日は「満つまめの会」 「味噌作り」もある。昨日から「幼稚園つながり」のお母さんたちが続いている。

「食育」には、味噌作りがいい。説明や理屈がいらないくらい、いい。

明日の朝は「卵かけごはん」 明日も「満つまめの会」夜は「論語の会」(順受の会9

火曜日は「書をしよう会」

水曜日は定休日だけど、島原の蕎麦会があるので、来月は変則で「英語でそば会」

木曜日が「おとこかっぽれ」  いなせで粋な江戸の遊びでっせ。

 


♪奥能登どこさ ぎんばさ 

2017-02-25 08:50:39 | Weblog

♪熊本どこさ 肥後さ 肥後どこさ・・・

能登に移りすんだ三輪福さんが、こないだの「無茶しぃの会」の時に、奥能登の海藻を

干したものを土産にもってこられた。「ぎんばさ」というらしい。京都を兄からおわれた義経は、

弁慶らと奥州まで逃げた。北海道に渡った、とか、大陸に渡ってジンギスカンになったとか・・勧進帳とか各地に義経の伝説が残っている。

能登にもそんな伝説が残っていて、「義経の馬の藻」を詰めて「義馬藻」(ぎんばそ)となったらしい。

三輪福さんの説明をきくと、みな疑いもなく、「そうに違いない」と思うと思うので、ぼくも素直に納得した。

けさのわがやの朝食は、一汁一飯。具だくさんの味噌汁に、義馬藻が泳いでいた。ロマンいっぱいの味噌汁でもある。

昨日は同じく石川県の代表的なお菓子・「愛香菓」をヨッシーが土産にもって遊びにこられた。京都の「あじゃり餅」と金沢の「愛香菓」と、

ガーナチョコレートが、ぼくてきには三大お菓子。おかえしに久保さんの織部の笹皿をあげた。

笹の舟を川に流す。さらさらとたださらさらと流れている様子が人生みたいでよろし。

料理屋では、笹皿の方向で「出舟入船」のお祝いをした。たとえば東京から福岡の支店長になるお祝いでは、笹皿の帆先は左にして

「出舟」を祝い、えらくなって東京本社にもどってこられる時は、帆先が右になって「入船」を祝った。

笹と川。ぼくにゴルフを仕込んでくれた笹川さん(仮名)さんは飲むたびに「恩は石に刻め、恨み妬みは水に流せ」というのが口癖だった。

昨日は若いカップルくんが味噌作りにこられた。別別のほうろうに、別々の大豆と麹でつくってかえっていった。でもきっと、味噌が

できあがる今年の暮れか来年には、ふたりはいっしょに暮らしているのではなかろうか、そんな気がなんとなくした。

今日も味噌つくり。あと7つで二月の大仕事がおわる。

 

 

 

 

 


梅林ガールズ 梅仕事 はじまり はじまり

2017-02-24 08:43:25 | Weblog

「梅」

庭では、枝垂れ梅が満開。春を一番かんじさせる花。

天真庵のHPのリンク集のところに「梅茶翁」(ばいさおう)というのがひとつ加わった。

能登に移りすんで、梅仕事を始めている三輪福さんの部屋。プロフィールの「梅茶翁」の字は

南條先生がかいたものだ。いよいよ「梅林ガールズ」が動きはじめる。

彼女は毎月能登から「無茶しぃの会」に参加され、煎茶を勉強されている。

煎茶の世界の土台をつくってくれた人に、「売茶翁」(ばいさおう)という人がいた。

二月は「味噌仕事」6月が「松仕事」と「梅仕事」9月が「柚子仕事」11月にまた「松仕事」

東京にいながら、田舎暮らしをしているような日々是好日。

なんやら、世の中物騒で、生きにくい時代を迎えているけど、「梅」の言霊ように、「産みの苦しみに耐えて、

新しいことを産みなさい、はじめなさい」というような生き方をする時代かもなんばん。今NHKFMから

ドボルザークの「新世界」が聴こえている。朝蕎麦を打っている時、営業時間がおわり、くつろいでいる時、

99%NHKFMを聴いているけど、この曲が流れるのが多くなってきたように思う。

家族の不幸がかさなり、生きる希望を失っていたドボルザークがヨーロッパからアメリカのニューヨーク

に移りすみ、毎日のようにジャズバーに通っている時代に造ったものだ。だからこの曲は、ジャズである、

といった音楽家がいた。

梅の素敵な漢詩がある。いつも厨房の中に貼っていてときどき読む。

「一番の骨に徹する寒さを経ずして 安(いづく)にか 梅花の鼻に噴く香りを得んか」   これを読んだ後に「そのとおり」

と叫ぶ。感謝。

 

 

 


とっておきの桜の名所

2017-02-23 10:36:38 | Weblog

東京でいちばん長く住んだ場所が、上池袋。JR埼京線の板橋駅の東口。

そこから、滝野川市場通り商店街がある通りは、「桜のトンネル」ができる。

平成8年からはじまった南條さんの「寒山拾得」の展覧会は、毎年桜の咲く3月の終わり

から4月にかけて二週間くらいやっていた。そこの商店街には、飯田百貨店というスーパー

があった。今は「コモディー イイダ」となって、向島にもあるけど、滝野川が発祥の地である。

昨日はその近くの歯医者にいった。2月22日、2時20分と、診察券に書いてあり、20分くらい

余裕があったので、コモディーの近くにできた「珈琲ショップ」に入る。できて3カ月で、その場

で生豆を焼いてくれ、焙煎中に珈琲をだしてくれる、というスタイル。33歳の店主は、埼玉から

埼京線にのって通っているらしい。いきのいいなままめのように、若くて元気な男子だ。

ガテマラなんやらかんやら、という珈琲を頼むと、ていねいにいれてくれた。

「このへんに住んで、画廊をやっていた」「寒山拾得という線香くさい絵をあつかっていた」などと話を

していると、店主はさりげなくスマホを操作しながら、できたばかりのおしゃれなお店のカウンターに作務衣

をきて、サンタのようなうな帽をかぶった不思議な男の正体をつきつめたらしく、「このブログですね」

というので「ピンポーン」といって、「長屋茶房天真庵」の話をしながら談論風発。お店の名前は横文字で

失念したけど、「コモディー・・」から少し坂をのぼった角のお店。とても素敵なお店なので、おすすめです。

それから、友達の会社が池袋の東武デパートで伝統工芸の出店をやっていて、樺細工(さくらの皮でつくった茶入れなど)

の茶入れを見に歩いていった。案内のカウンターできいたら「昨日まででした」とのこと。残念。

夜は「おんなかっぽれ」

その前にひかりちゃんが「味噌つくり」にやってきた。4月1日の「10周年記念コンサート」でボサノバをやってくれるアーティスト。

おんなかっぽれーなの人たちとは、「おでん・熱燗・昔のおとこ」シリーズの談論風発をして、また中国語に続き、メートルが

あがりすぎた。今日もこれから「味噌つくり」


そばの名古屋打ち!

2017-02-21 09:04:07 | Weblog

昨日は「ダメ中」だった。

ダメから始める中国語。先生は名古屋の大学で勉強をしていて、

月に一度上京して、中国語を教えてくださる。時に中国語で演歌を歌ったり、

水餃子を食べる会をやったり、いろいろ工夫をしながら8年くらい続いている「寺子屋すくうる」

の人気講座のひとつ。昨日は名古屋でなにしおう「そばもんどん」をつれてきた。

そばもんどんは、朝打ったそばを持参して上京。昨日は「名古屋式」の蕎麦会で盛り上がった。

中国語の勉強中は、いつも仕込みが終わると、カウンターで独酌するのがならわしになっているが、

昨日は名古屋のそばもんどんと、花泉のにごり酒を久保さんの黄瀬戸の片口で飲んだ。

ぼくもそばを打ち始めのころ、名古屋から蕎麦をおくってもらい打っていた時期がある。

ざるそば(800円)を食べ、ホボブラジル珈琲(500円)を飲む、というセットは、珈琲の値段が

半額になり、1050円。ホボブラジル珈琲を飲み、おかわり珈琲を所望されると、二杯目が半額になり、

750円也。これも喫茶文化の王様のような「名古屋式」を採用している。

「ときめいてキュン」のTQ技術も、名古屋で産声をあげたものだ。天真庵で使っている久保さん

の器で、織部、黄瀬戸、志野というものも、桃山時代に美濃で始まったものだ。

天真庵を改装してた3人の中の中心人物が名古屋出身、もひとりが岐阜の関市。いろいろ不思議。

酔った勢いで、女子たちが「5月のダメ中は、名古屋のそばどんちでやろう」ということになった。

奇人が酔うと、変態になることが、ままある。でもそのままなりゆきで前にいくところが、天真庵流かもなんばん。

今日は「味噌作り」&「満つまめの会」&「タイムドメイン」

今日は、美濃賀茂市から味噌をつくりにくる女性がくる。なにをかくそう中国語のまいか先生のねえちゃん。

なんやかんやで、その界隈と濃い関係。ついでにいうと、満つまめの会で、いろいろな人の体の調整を

やってくれている「まーくん」も、名古屋でオギャーと生まれた人だで。天恩感謝。


おしゃれな着物でそばを喰う!

2017-02-20 07:15:03 | Weblog

昨日は、そば雑誌が、「ゆさそば」の取材にきた。

YOU TUBEで「ゆさそば」を検索すると、天真庵でもライブの模様がでてくる。

3人が「そばや」の格好をして、オリジナルのそばソングを奏でる。悲しい恋愛の歌もあるぞ!

昨日はCDを持参してくれたので、さっそく聴きながら取材。タイトルは「ゆさそば一杯」という。

スーパーなどで♪さかな さかな さかな さかなを食べるぞ~ みたいな音楽がよくながれていた。

あの音楽を聴くと、魚の売り御揚げが大幅にアップするらしい。

ぜひ、「そばや」の人たちには、この「ゆさそば一杯」をBGMにして、いっぱいそばをひろげてほしいものだ。

「おまけ」みたいに、天真庵のそばも、その雑誌に紹介されるらしい。

来月の「南島原のそば会」用に、久保さんがつくってくれた「黄瀬戸のそばちょこ」をつかって撮影。

黄瀬戸(きせと)の器は、黄色の少しざらついた肌(油あげて、なんて粋人はいう)に、胆礬(たんぱん)という緑もほのかに染み込んでいる

のがいい、とされる。それに土色した「おこげ」みたいなのが少し入っていると、「いいね」とこころからいわれる。そこに蕎麦汁を入れ、そばを手繰る。

春風駘蕩とは、こんなことをいうのだろう、というような香りがかすかにする。そば通は、そのへんのところがたまらないらしい。

昨日の記者には、そのあたりのことを説明しなかったけど、日本一の蕎麦雑誌の記者さんだから、きっとわかっていたに違いない。

魯山人翁が「器は料理の着物」という名言をはいた。けだし名言である。ぼくは、久保さんの器を20年くらい使わせてもらっているけど、

花も器に教えてもらい、そばも珈琲も、器に「こんなものつくったら」と教えてもらっているように思う。

今朝は庭に咲いた椿を、久保さんの古瀬戸の花器に投げ入れて、床の間の「江南春」の軸のところにおいた。

これから「卵かけごはん」。夜は「ダメ中」今日は名古屋のそばもんが、そばを担当してくれる。

 


ゆさそば  と検索すると、不思議な蕎麦メルヘン♪

2017-02-19 09:01:27 | Weblog

すると、You tubeのライブがでてくる。

2015年の6月の彼女たちのファーストライブを今朝はじめてみた。

蕎麦屋でライブができる場所を探していたら、天真庵にたどりついたらしい。

そこからスタートして、台湾でもライブをやったり、かなり知名度があがってきた。

なによりも、3人がまじめに「そば」が好きで、音楽が好き。このスタイルで、一生懸命

やっているのが、なによりもいい。

最近蕎麦の雑誌に続けて取材を受けた。「珈琲と蕎麦」の組み合わせの妙がおもしろいらしい。

40年前から珈琲をやり、15年くらい前から蕎麦道にはいり、10年前にお店を始めた時から、この二枚看板。

でも、ほんとうにここでやりたいのは、お客さんと音楽など芸術にふれあいながら、「共に楽しみ」「共に育つ」ような「共育」をめざした「寺子屋スクーリング」

が根底にあり、お茶やお花の文化とも切ってもきれないようなものが、こころの底にへばりついているように思う。

いろいろなライブを10年やってきたけど、この「ゆさそばライブ」は、毎年すぐに満席になるし、その人たちの9割が「マタキタクナール」

という素敵な菌に感染しているので、きっと今年ももうすでに満席状態だと思う。

そんな「ゆさそば」をそばの雑誌が見逃すはずはない。

本日は日曜日なので16時に閉店。それから、ぼう有名な蕎麦雑誌が、「ゆさそば」の取材にくる。

二階では「お花のお稽古」&「味噌つくり」。

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」夜が「ダメ中」こと「ダメから始める中国語」。

 


普茶料理の会

2017-02-18 08:36:31 | Weblog

昨日は、IT業界の重鎮さんたちが「普茶料理の会」をやってくれた。

その中のふたりは、池袋時代からぼくの蕎麦を食べているオールドフレンド。

普茶料理とは、「普く大衆に茶を施す」といういう意味があり、黄檗山万福寺を開いた隠元和尚

が、禅と茶と普茶料理を日本にもたらした。「普茶一如」とかいって、ひとつのお皿に盛られたものを、

みんなで取り分けて、仲良く食べる、というのを基本にしている。だから、二階でやるこの会は、そばも

久保さんの備前か伊賀焼の大皿にのせて、みんなで食べる、というのを基本にしている。

公私ともに、迷惑をかけあってきたきくじーが、床の間の「江南春」をいきなり吟じる。

「千里鶯鳴いて・・・」なかなかいい声だ。彼は、大学時代に「詩吟倶楽部」に属していた。

「無法松の一生」を吟じてから、九州病にとりつかれた、という奇人だ。小倉の祇園祭り、戸畑の提灯まつり、

博多の山笠もいっしょにいったことがある。熊本の「ぼした祭り」もいった。お互いに「祭り」にとり付かれたころがあった。

久保さんを知るきっかけをつくってくれたのも、きくじーだった。昨日もいつものように、タクシーを十間橋あたりで降り、「ながしま」で

お菓子を買って、「現地調達のもので失礼します」といって、やってきた。二階にあがるやいなや「久保さん、こんなものつくったか。

ぼくも最近バリスタめざして珈琲を毎日いれとるんや」といって、「珈琲ドリポットをいっこちょうだい」ということになった。

業界の今昔物語みたいな話もはずみ、楽しい「普茶の会」にあいなった。

この会には、京都のたる源の豆腐樽で、湯豆腐をだすのがならわしになっている。そこにふたつきの織部の酒器(醤油をいれる場合もある)

がついていて、久保田万太郎 の湯豆腐の句がかいてある。

♪湯豆腐や 持薬の酒の 一二杯

江戸一で徳利をいっぱい並べたころに比べ、酒量は半分になったけど、この句のような、奥深い酒の世界を逍遥する

ような領域に入ってきた感もある今日このごろ。