スマホなどで見ると「見にくい!」とかいう意見もあり、新しくブログを引っ越しました。
「長屋茶房天真庵」のHPの「庵主のブログ」から、入ってみてください!
先週の「英語で蕎麦会」は、ロシアの3人の若者をポンビキして始まった。
「日本でなにを食べましたか?」とおばさまが若いイケメンで背の高いくんに声をかけたら
「すし、てんぷら・・・ボリボリ」と答えたらしく、「では、今日はそばを食べるといいわね」みたいなことを
いったら、「OK」になったということだった。三種の神器のように、世界に広がっているようだ。
昨日は「蕎麦打ち大学」と「鮨をにぎる会」だった。先月の南島原の蕎麦会にお手伝いで参加してくれた
かすみちゃんが、たおやかな蕎麦を打ち、その後、鮨をにぎった。白身はいきのいいイナダを出刃でおろし、
柳包丁でそぎぎりをし、それをにぎる。すしやのたまごやきとそばやのたまごやきは、少し違うけど、そばや
の卵焼き、まぐろ、みょうが、そして旬の菜の花のおひたしをにぎる。この春のえぐみのあるものを、わさびとすめし
で食べる、一瞬の旬の味は、日本人にお繊細な自然感があみだした味ではなかろうかしらん。
閉店まじかにこられた銀座のワインバーのママさんが、かすみちゃんの技にひとめぼれして、この秋に銀座で
「新蕎麦とワインの会」をやることになった。またおもしろい目標ができて、楽しみであーる。
今日はこれから「卵かけごはん」。今日の味噌汁には、旬の菜の花を入れるみたい。
卵は埼玉の平飼いの卵。香のものは大根をきのう、梅酢につけていた。菜の花、梅酢は能登からおくられてきた。
優秀なお弟子さまが、島原や能登に移りすみ、いろいろ新しい人や食や文化の交流が優美にひろがっている。
昨日まで代官山で個展をやっていた般若くんのねえちゃんも金沢から遊びにこられ、「ほぼぶらじる」を飲んでいかれた。
新幹線で金沢までいけるようになったので、ほんとうに近くなった。
夜は「福の会」
遠山の金さんの記念館ではない。日興証券の創立者の遠山元一翁の記念館が埼玉にある。
昨日はボストンから、桐谷さんが遊びにやってきた。先月読売新聞の「一期一会」というコラム
に絵とコラムが紹介された。14年も続いている人気コラムなのでファンも多い。あちらでは売っていないので、読売新聞を
2部とっていてそれを渡すことができた。昨年暑い夏の日に、何度も足を運んでいただき、お店のスケッチと煎茶教室の取材などをやって
いただき、いい感じに紹介された。「今日は花見にきました」という。
さすがに画家。お店の前に一本の桜の木があることを掌握されている。「花さくら」という酒で再会と桜を楽しんだ。
そのだれが植えたかわからない桜の枝を一本拝借して、小さな花器に投げ入れたら、「いや、ではこれを見ながら
もう一本」ときた。
風流とか風興とかいう日本人が少なくなったなか、稀有な風狂な人である。
その後も知り合いの画家が花見をかねて、蕎麦を手繰りにきた。雨模様ではあったけど、桜はウキウキさせるものらしい。
その画家と談論風発していたら、若いボンがカウンターにとまった。そのボンが「遠山記念館」のパンフをもっていて、それに
のっている京焼の「道八」の焼き物を喰いいるように見ていた。「陶芸が好きなの?」と尋ねると、「大好きです」というので、
道八の煎茶椀と急須をだしたら、30分くらい無言で見ていた。ただものではない非凡なぼんだ。
名前は?と聞くと「ジョーです。20才です」という。「あしたのジョーやな」というと、「父がボクサーだったので・・・」という。
今月22日からパラオに移住して、あちらの伝統的な木工職人の家の庭にテントを張って住みこみ、弟子入り
するという話をした。その20才のジョーの木工と絵と陶芸の作品の写真をスマホで見た。
「あしたのジョーは世界チャンピオンになれなかったけど、君はこのままいくと、世界で活躍できるよ」といった。ひさしぶりに
才能豊かな若い芸術家に会えた。
今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち大学」&「すしをにぎろう会」
日中は「満つまめの会」
明日の朝は「卵かけごはん」夜は「福の会」
お江戸は桜が満開。「花冷え」で、しばらく凍ったように咲いているし、今日明日が
花見のピークだろうけど、雨が降っている。でも、それもまたおつである。
豚もおだてりゃ木にのぼる、ように、人の暮らしも木の高さや、それ以上のところに住むようになり、
桜や、花火まで目線より下で愛でることがあたりまえになった。でも昔から、桜を一番楽しむコツは
「美人の膝枕」で見る、といわれている。今日は雨。雨の日は、外出せず、家で雨音ききながら、
美人の膝枕で、酒でも飲む、というのは如何。
今朝の蕎麦打ち時は、けっこう降っていた。お店にいくのに♪だけども問題は 今日の雨 かさがない
状態だった。しばらく庭をながめていた。著莪(しゃが)が、姫のような可憐な花を咲かせ、白雪芥子も白い花いっぱい
に雨露をたたへ踊っているようだ。草木というのは、雨の日にこそ、天からの恵みに感謝しながら光輝いている。
あかちゃんの顔と同じように、「たくらみ」や「計算」がないものの輝きは花や草木といっしょで、美しい。
昨日は「ダメから始める中国語」だった。先生も生徒も女子ばかりで、いつも蕎麦会の時は「ハーレム」状態だ。
昨日は天真庵10周年の祝いと共に、8年続く不思議な家族のような宴でもあった。この会では、よく漢詩の朗読を
する。「楓風夜泊」や「江南春」などは、みな中国語でシャーシャー、シェーシェーと自然体で詠む。
論語の会では、それらを日本語で詠み、ダメ中では中国語で詠む。
5月9日(火)から、新しい寺子屋が始まる。「漢詩を詠む会」。先生はお茶仲間の南甫先生。
織田流煎茶道は、先生になる資格がとれた時に茶名をいただく。「南」に好きな漢字をひとつ加える。
ちなみにわたくしの名前は「南九」。すわりはわるいけど、奇僧が好みそうな名前で気にいっている。
南甫の甫は、彼が敬愛する中国の詩人「杜甫」に由来するものだ。
5月9日は杜甫の代表作「春望」をやることになった。国破山河在 国破れて山河在り・・・
の「春望」。
なかなかこの星の上では争いごとが絶えず、ほんとうの平和みたいな春の訪れはこないけど・・
「せくなあせるな世間のことは しばし美人の膝枕」
そんな心境でしばしの春を楽しんでみたいなんて思う雨の朝。天恩感謝。
昨日は「満つまめの会」と、夜は「おとこかっぽれ」だった。
陶芸家のあいこさんが、時間をずらして、との依頼があり、ひさしぶり
に朝一番にまーくんに「気」をいれてもらった。昨年の6月に初めて
やってもらった時、あまりに体が楽になり、自転車をわすれれ帰ってきた。
昨日もそんな気分になり、パンクの修理した自転車もうっちゃったまま、歩いて買いだしにいく。
夜は「かっぽれ」だった。かっぽれ、深川、ずぼらんのみっつを練習している。
終わった後は「おでん」をつまみながら蕎麦焼酎を飲む。しめは「おでんのつゆのぶっかけめし」。
平井に時々いくらーめんやがある。「やなか草」という。和風のだしで、健康志向のラーメン党の支持を
得た人気店。ここのラーメンのしめが、麦飯にラーメンのだしをぶっかけて食べる、というものだ。
あまり行儀のいい食べ方ではないけど、ときどき食べたくなる。
今朝の新聞にパオスの中西さんの記事が大きくのっていた。ぼくが主宰していたねっと21の「無門塾」
で一度講演していただいたことがある。CIの大家。新宿の街を昭和のころから定点で撮影してきた。
その写真の展覧会があるらしい。普通の街のように空の広がる新宿に抗争も構想もないまま、高層ビル
や都庁が立ち、街の風景やそこに住む人のこころも変わっていった。そんなことがその写真を見たらよくわかる。
今日の夜は「ダメから始める中国語」 来月のこの会は、名古屋の蕎麦屋でやることになった。
加川良さんの名曲「下宿屋」のまくら。昨日69歳で旅立たれた。
♪京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで 丘の上の下宿屋はいつもふるえていました。
から始まる「語り」がすばらしかった。ちょうど昭和51年に京都で初めて下宿をしたころだったので、
よく聴いたもんだ。
♪一杯飲み屋をでていくあんたの後姿を見ていたら・・・というくだりがあると、一杯飲みたくなり、
京都御所の近くの荒神口にあった「安兵衛」というおでんやによくいった。「うすあげとこんにゃく」
を頼んで、名誉冠という伏見の女酒を燗にしてもらって飲んだ。
うすあげには、九条ネギがいっぱい刻んではさんであり、そこにからしをつけて食べると、少し甘口の
名誉冠とあって、今流行りの「ペアリング」のはしりみたいなもんやった。
ぼくが最初に住んだところは鳴滝本町というところ。右も左もわからず、不動産屋にいって「立命館に近いとこ」
といって紹介してもらった。ところが、ぼくのいった法学部と文学部は、御所の横にあって、通学がすごく大変やった。
でもいろんな友達がいっぱいきてくれて、あまりに毎日どんちゃんさわぎをやるので、すぐに追い出され、
次は松ケ崎のボロボロの一軒家を借りた。ノートルダム女学院の運動場がある崎で、幽霊がでるとかいううわさの深泥池
も近い場所。これを「みどろがいけ」と読める人は、京都にくわしい人やね。今でも心霊スポットらしい。
京都に6年いる間に、もう一回引っ越しをした。そこが「下賀茂西本町」。
頼山陽という人も引っ越しが好き?なのか、そうゆう運命にあったのか「山紫水明処」という書斎に落ち着く前は
京都の中を転々としたらしい。大学のすぐ近くに今でも、その建物が残っていて、煎茶人たちのあこがれの「しつらえ」
として加茂川べりに立っている。京都にいた時は「珈琲」のみだったので、訪れたことはなかった。ただタクシーのうんちゃん
と話をしている時。「りっちゃん(当時、ぼくたちの大学はそんな風によばれた。)やったら、サンシスイメイドコロ、に一回は
いっといたらエエデ」といわれたことが頭に残っていた。
時々、お茶会をやるとき、頼山陽の軸を掛けたりするけど、その時は、なぜだか「安兵衛」で飲んだひとたちの
ことを思い出したりして、「ああ、あの人はいまごろどこで何をしているのだろう」とか思ったりする。
その掛け軸は、頼山陽が鳩居堂の主人に「甘酒の作り方を教えてください」と書いた手紙を軸装したものだ。
今日は「満つまめの会」をやっている。夜は「おとこかっぽれ」。かっぽれの後は「おでん」で一杯やることにしよう!
明日は「ダメから始める中国語」
昨日は「英語で蕎麦会」だった。スカイツリーで先生と生徒が待ち合わせをして、
外国人観光客に声をかけ、蕎麦屋に連れ込んでチョメチョメ、という怪しい会だ。
昨日性交もとい、成功すれば、20勝目か、という節目。
5時過ぎに岩本先生がカウンターの端に座り、「チーズケーキセット」を所望。
これをやっていくとたいがいがうまくいく、という縁起かつぎの意味もある。
待ち合わせは6時。6時すぎに電話がきて「3人ゲット」。餌をつけ、海に投げ込んだら、いきなり鯛が喰いついた、
そんな感じだ。2m近いハンサムな外人さんたちを3人連れて、もどってきた。ジャイアント馬場とボボ・ブラジルを連想させる。
釣りあげた女性のひとりが、「日本にきて何がうまかったですか?」と英語で話しかけたら、
外人さんが「すしとてんぷらがうまかった、ボリボリ」と答えたらしい。間髪をいれずに「あとは、そばね。いい店あるわよホイホイ」
といって誘ったらしい。なかなか、ポンビキ術も上級者コースになってきた感がある。青年たちは、ロシアのIT技術者だった。
11人の蕎麦会になった。生徒さんの女性の年齢は、恐れ多いので、聞くのをはばかっているが、アラコキに限りなく近いような
気がする。この会も、「男」というのが絶滅危惧種になるのではないか、と危惧している今日このごろ。
明日は「おとこかっぽれ」 この会の男子は元気であります。昼間は「満つまめの会」 元気なまーくんが、気功整体を
やってくれる。この会も女子が9割。世の中、どこを見渡しても、「女時」(めどき)だ。
昨日は「長屋で女史会」だった。今年は一年かけて「本能寺の変」にまつわる武将ならびに
彼らとふれあう女性たちの歴史を勉強している。文部省が推薦する教科書で習ったことを
そのまま頭に入れているだけでは、歴史のほんとうのおもしろさはわからない。ときにはかたく
なりつつある頭の柔軟体操をしながら、視点をかえたり、時間軸をずらしてみたり、男と女、つまり
陰陽のバランスを逆にしたりしてみると、おもしろい世界にたどりつくことがある。
この会も論語の会と同じく、先生と生徒の平均年齢がアラカン、つまり60歳くらいだと思う。
そのあたりの男子は、「巨人大鵬卵焼き」世代で、卵焼きとかポテサラが好きな人が多い。
蕎麦焼酎で蕎麦会をやるので、ポテサラに角煮なんかを入れると、栄養学的にもかなり高いレベルになる。
勉強中、仕込みがおわると、独りでカウンターに座り、酒を飲む。昨日はそのポテサラを食べながら、
「花」の蕎麦焼酎を飲んだ。片手には「典座教訓」。昼間、カラスマ料理人くんがもってきた本。
道元さまが書いた本だけど、典座つまり、お寺ごはんをつくる人たちの「こころえ」を書いたもの。
少しむずかしい本だけど、てにおはがなく、本質をとらえているので、読んでいてここちよい。
今日は「英語で蕎麦会」。ときどきカウンターに座って、そば前を飲(や)り、蕎麦を手繰る素敵な女性
が初参加することにあいなった。
昼間は「満つまめの会」 この会も8割が女性。昨年の夏にほかの場所でやっていた時は、
8割が男性だった。この会にまじめに参加している女性たちは、悲鳴をあげたりしているけど、
降りてくると、背筋がピンとし、血色のいい顔をしていて、軽やかに踵を返して、シャバにでていかれる。
木曜日は「おとこかっぽれ」 この日も「満つまめの会」 かっぽれは先生から生徒までみな「満つまめの会」のメンバーだ。
月曜の朝は「卵かけごはん」。2011年から始めた。
地味だけど、滋味で長く続いている。アドマチでスタジオまで運んで、テレビで紹介されたこともある。
これに感化されたわけではなかろうけど、菌活(みそつくり)も93人まで参加者が増えた。
卵は「暮らしの実験室」さんからおくられてきたり、休みの時に、田舎の方にいって「平飼い」の卵
を調達してくる。香のものは、自家製のたくあんとか、その季節の野菜をつかったものになる。
ふりかけは、そばの出汁をとったかつおぶしを粉砕して、フライパンで煎る。
味噌はもちろん自家製。天真庵には、味噌部屋があるのであーる。
今日は「ごじる風」(味噌&そのまんま大豆)なもの。み、は、なんと「かじめ」。
はじめてかじめが登場。能登半島に移り住み「梅茶翁」なるふしぎ宿を準備中のお弟子様から
、「かじめ、めかぶ、わかめ」がおくられてきた。「しりとり風」に覚えるとふたつは楽に覚えられるけど、
都会ではなかなか「生」では登場しないので、区別がむずかしい。
原発がまた再稼働されはじめ、いろいろ不安なことも多くなっているけど、とにもかくにも、
「海藻の入った味噌汁」を毎日食べているといい、のは、70年前の広島や長崎でも証明されている。
左党には拍手ものだけど、お酒もいいらしい。飲めない人も、味噌汁に少し酒粕を入れて飲むといい。
あ、時間。「安心だ。あ、死んだ」が飾られているお店にいくことにする。
今日は「長屋で女史会」
明日は「英語で蕎麦会」昼は「満つまめの会」
木曜日が「おとこかっぽれ」
昨日は「おかげさまで、天真庵10周年の記念ライブだった。bcnからまた素敵な花が届いた。
酔香のすがちゃんが、一本ぶらさげて祝いにきてくれた。彼のお店も7年。大学も同じ、店を
はじめた年も50歳と、同じ。彼の店が10周年を迎えた時は、いっしょにベロベロに飲んで「立命館寮歌」を歌って、
十間橋から飛び降りて、川の中で「グレーター立命」を歌う予定だ。
昨日は山本ひかりさんが、ギターつま弾き、ボサノバを奏でてくれた。
天真庵の一周年2008年4月1日。ワカの企画でピアニストの荒武くんがジャズをやってくれた。ピアノがなかったので電子ピアノを持参して
やってもらった。BCNという会社のオクジー(社長やけど)、大きな花が届き、そこの専務だったのが吉若さん、ことワカだ。ワカも七回忌がおわった。
その会でみんなが酔いにまかせて「天真庵をニューヨークにもっていこう」とか「みんなでカンパしてピアノを買おう」とか叫んだら、
その声を聞いた近所の奇特な方が「うちのハハが使っていたカイザーのピアノをよかった天真庵においてください」という声にあまえて、
すぐに「ピアノがおいてあるそばや?」みたいになった。その年の花火大会の時から、もにじんさんたちの「墨田花火大会ゆかたライブ」
が始まり、もにじんのギタリストじんじんさんが、有る日ひかりちゃんを連れてきてライブをやった。ひかりちゃんはまだ早稲田の大学生で
「のざわな」なる源氏名で活動していた。10年というくぎりは、短いような長いような不思議な時間割。じんじんさんのおじょうさんも、
そんも当時は押上小学校に通っていて、毎朝かるがもの親子のように上級生を先頭に並んでお店の前を歩いていた。その子が今年の成人式に
着物をきてそば前を飲み、そばを手繰っていかれた。これもまた10年。サティーのジムノペティーを優美に弾いているミエさんにひとめぼれした
せんしゃくんがプロポーズし、先日は3歳になったみこちゃんと3人で蕎麦を手繰りこられた。そんなこと、あんなこと、この場にいろいろな人が
集まり、いろいろな縁がひろがっていった。
5月5日も「ブラジル音楽」をやります。ギターの富川さんが、福岡に住んでいる素敵なアーティスト(ピアノ・うた・おどり)を連れて
やってくれます。
5月19日が「やまね組」 一番天真庵でコンサートをやってくれている。この界隈の音楽レベルの舟底をとてつもなぐあげて
くれている「ノアの方舟軍団?」みたいな。
5月20日が「タケシィの沖縄の風ライブ」 毎年彼の誕生日であり、スカイツリーの誕生日なのです。
今日は日曜日なので16時閉店。いつもは最初の日曜日は「蕎麦打ち道場」の後に「すしのにぎり道場」があるのですが、
来週に延期。「すしのにぎり道場」は、先月は南島原の「くちのつ巷焙煎所」でやってきた。昨日もそこのじゅんちゃん
がライブにきてくれたので、酢飯をつくる飯台をもって帰ってもらった。これから南島原では「なんとなく鮨をにぎる会」
が町内会を巻き込み、盛んになりそうだ。その後にかの地を訪れたなつきくんのおとうさまが「あの家は、海つきで
素敵なところだね」と感想を述べた。そこの海の景色を「青一髪」とうたった頼山陽より上手をいく、けだし名言だ。
昨日こんなメールがきた。北九州の小学校の校長をやっていた友達から。
35年教職につき、昨日で退職。今月からカンボジアのプノンペンの日本語学校で
日本語を教えるつもりです。末尾に、「お近くにお越しのときは、ぜひお立ち寄りください」で結ばれていた。件名が「転居します」
彼とは、中学の生徒会の運営をいっしょにやっていた。中学2年の時、「生徒会長に立候補するので、応援演説を頼む」
ということになり、二つ返事で快諾した。その時の最大のライバルが、のちに衆議院議員になる末松義規くん。
どんな作戦をたて、どんな演説をしたなど、記憶にないけど、もちろんお金やわいろなどは使っていないけど、
接戦の末、彼が生徒会長になり、執行部に入れさせられた、そんなことを思い出した。
5年前に新宿で、往年のライバルの末松くんと三人で飲んで、そんな昔話を酒肴にした。今は昔の四方山話。
3月までは、1(行く)、2(逃げる)、3(去る)で、あっといまに4月。いろいろな人生のスタートの季節。
天真庵も昨日でまる十年が終わり、今日から11年目。それを祝う「おかげさまで10周年コンサート」。
山本ひかりさんが、ボサノバの弾き語りをやってくれる。
押上天真庵が10年。天真庵が20年。蕎麦打ち15年。煎茶道20年。珈琲道40年。酒道45年(ちょっと法律に抵触する?)
まだまだどの道も、道半ばであるけど、毎日毎日を「今日が一生」だと思い、一生懸命すすむだけ。日々是好日に感謝。