長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

論語の会・・・来年は、二十歳の誕生日

2013-04-30 08:52:00 | Weblog
昨日は休日だったけど、「論語の会」だった。池袋時代、正確に
いうと、渋谷の公共の施設「商工会館?」で勉強をし、近所の
「がんこおやじ」とかいう居酒屋で、薩摩白波の一升瓶を酌み交わし
ながらやっていたのが原点。昔、我が母校の先輩が書いた「二十歳の原点」
という本が話題になったことがあるが、来年はこの論語の会(順受の会)
も二十歳の原点。紆余曲折はあっても、続けていくことの大切さをしみじみ
と感じる。昼間はてんてこで、蕎麦も珈琲豆も空っぽになったけど、清貧を
旨とする会なので、クロキリと花(そば焼酎)の蕎麦湯割りを飲みながら、
薩摩の黒豚の角煮や、ぜんまい、菜の花、長岡京の筍の土佐煮などを酒肴に
有意義な夜を堪能した。
天真庵の「文花的な寺子屋」の原点でもある会。教育というのは、お互い
が研鑽しあう「共育」でなくてはいけないし、これからはその中に「食育」
があたりまえのように鎮座しているのではなかろうか。

今日は狭間の平日で雨がふるらしいから、ゆっくりと大石さんの新しいCD
でも聞きながら、近づいてきた「ホーチミンで蕎麦会」の準備でもしたいと思う。

明日は「かっぽれ」
明後日にホーチミンからお客さんがきて、打ち合わせ。



男子厨房に入り、びん棒を振り回し、蕎麦を打つ

2013-04-29 07:42:13 | Weblog
昨日は天気もよかったし、うらぶれた十間橋通りにも人がでて、
てんてこな一日だった。
日曜日は16時で閉店し、その後は「蕎麦打ち」や「ライブ」などをやること
が多い。昨日は「男子の蕎麦打ち教室」

「英語で蕎麦会」の岩本先生と戦車くんが蕎麦打ちに挑戦。
うたりともに共通点がある。
ひとつは、天真庵出会った女性と結婚をし、しかも、美人ときている(少し嫉妬するくらい)。
嫡男、嫡女が生まれたばかりで、イクメン中。
お茶や書の会やライブに通ってきたり(このあたりが、縁のはじまり?)、趣味嗜好に幅がある。
くどき方をみたわけではないが、今日の「草食系」よりは、肉食の野趣みたいなものが潜んでいる。
やはり「狩」をやったり、それを野趣ある料理をしたり、ときどき獣になるような元気がないと、
嫁や子には恵まれない、というのが自然の理というものだ。

いっとき、定年前や定年後のおじさんの「蕎麦打ち」が流行ったけど、やはり
若い時に覚えたほうが、いい。文房四方よろしく、やれ
どこの包丁だの、駒板やのし棒の材質が何で、蕎麦粉がどこどこさんのなんじゃら・・・
とか気負っていても、社会や家にはすでに居場所がなく、ぬれ落ち葉状態のから元気では、
びん棒を振り回す元気も、珍棒も立つ元気も残っていなく、そばもきりっと切り立つという
具合にはならなかろう。頭で覚えたものはすぐに忘れてしまう。
お茶やお花もそうだけど、体で覚えられる時に挑戦したほうがよさそうだ。
あとは「もてなし」の心を、それぞれの立場で勉強することだ。

今日はこれから「卵かけごはん」
夜は「論語の会」・・・順受の会、という。
休日しかも、ゴールデンウィーク中にやるのは、19年やってるけど始めてかも。
「どたさん」も熱烈歓迎。19時から3000円(そば会つき・・・昨日の男子が打った
そばは残念ながらでませんが)


浮気ものの四芸

2013-04-28 08:28:00 | Weblog
昨日は四君子、君子が好きな草木4種のことを書いた。
今朝、蕎麦を打って、ひさしぶりに書をしようと思ったら、筆
のありかがわからない。♪さがしものはなんですか・・・
と歌いながら探したけど、見つからなかった。

「文房四宝」というのがある。紙、墨、筆、硯の4種をいう。文房四友ともいう。中国人は日本人
が忌み嫌う「九」という数字が「永遠」の意味をもつらしく好むらしいが、「四」も好きみたい。

「四芸」というのもある。「琴棋書画」といって、文人たちが浮気者のように多芸にいそしむことを
よしとした。なかでも、琴をひき、碁を打ち、書画を友にし、文房四宝を浮気者よろしく愛する。

さて今日は男子の「蕎麦打ち教室」が始まる。
珈琲を最初に飲んだ日本人は、鎖国時代に唯一開かれていた長崎の出島に出入りしていた芸者
というのが定説。案外蕎麦を打って麺にしたのも、となりの佐賀あたりの「がばいばあちゃん」
あたりかもしれない。

明日は祝日の月曜日だけど8時から10時まで「卵かけごはん」
19時からが「論語の会」
四芸に、「論語」が加わると、人生の味わい深い、深い部分の「余白」がぐっと幅ができる。


今日あたりからゴールデンウィーク

2013-04-27 08:18:54 | Weblog
ラジオでは、渋滞予想なんかのニュースが流れている。
らじるらじるからは、ボブデュランの懐かしい歌が聞こえている。
昨日の「ダメ中」には4歳のかわいらしい女の子が天真庵デビュー。
今朝の朝刊に「家族は意志でつくるもの」という特集記事があり、
寅さんの家族、つまり血縁はうすいが、いろいろな人生を経験しながら、
「家族になっていく」ような話が興味深く書いてあった。
所有するよりも、シェアーする時代になった。ある意味、古くて新しい
日本人が理想とする「家族像」がそこにあるような気がする。
あいかわらず、「所有」にこだわる人もあまたいるみたいだけど、
家族、親や兄弟や相方や子ども、家や車やお金・・・みんな「借り物」
だと思ったほうが気が楽になる。必要な時に、必要なだけ神さんに借りて
いて、必要がなくなった時に、お返しすればいい。つきつめていくと、
「原始的ぶつぶつ交換」の世界が理想郷かも知れない。

今日から「たて花教室」が始まる。
IT企業の社長で、昔から公私とも、物心両面でお世話になっている
先輩が「たて花」を始める。肥後もっこす。
熊本では昔から細川さんあたりの影響で、花菖蒲やあさがおを床の間
に飾るような華道がある。家臣たちに「花芯をみよ」と命じた殿の風雅
を偲ばせる。これから百花繚乱の季節。
花を愛で、一服の茶を飲むひととき、を毎日もちたいと思う。

昨日の「ダメ中」は、京都の長岡にあった「天真庵」からおくられて
きた筍を「土佐煮」にして食べた。
中国では、君子が愛する花を「四君子」とした。
蘭・梅・竹・菊のよっつ。

明日は「蕎麦打ち」(男子の日)。
イクメン中で、普段はスーツきてバリバリ仕事をしている君が、
「びん棒」を振り回して、蕎麦打ちをやるらしい。
また新しい時代の一ページを感じるような日。

29日は「論語の会」
堅気ばかりではないけど、格子の中に入ることもなく、孔子や老子
などを勉強して19年になる。
論語読みの論語しらず、というけど、読書というのは、どこかで
また読みたくなったりした時に、本箱の片隅にでも鎮座してくれてる本が
「たからもの」なんだ。

急須でお茶を淹れるという大事件

2013-04-26 08:22:16 | Weblog
そんなフレーズのパンフを、織田流煎茶道の家元にいただいた。
今年は、売茶翁(ばいさおう)がの没後250年になるらしい。
江戸時代に佐賀で黄檗の僧だった翁が、60を目の前にしたころ上洛
して、京都の糺の森や東山界隈でお茶を振る舞い始め、そこに池大雅、
伊藤若冲、上田秋成ら文人が集まってきて、煎茶とそれにともなう清貧で
神仙思想的精神が、優美に広がっていった。貧しくても「美」にこだわり、
風雅にこころを寄せる日本人の原点みたいなものがそこにある。

最近は急須が家にない、という人が多いという話をよくきく。
無駄なものは身のまわりにおきたくないけど、急須や宝瓶は
おいておきたい必需品にしたい。
本はいつか読みたいので買う、でいいが、お茶は「宝」
出会った人に感謝しながら一服。みんな刹那だけど、だから
こそ美しい。そこをつかむと、永遠がわかる。
売茶翁を物心両面でささえた書家・亀田窮楽という人もいた。
ときどき彼の書をかけて煎茶を楽しんだりしている。
日々是好日。

昨日は煎茶のお稽古の後、いそいで帰ってきて、「インヨガ」の人
たちの蕎麦の準備をした。ささくれだったような話が多い昨今、
一日に「こころを波立たせない時間」を持つのは、ほんとうに大切
なことやね。

今日は「ダメ中」
なんかひさしぶりな感じ。

明日は「立花教室」
また新しい教室が始まる。
花をいけたり、たてたりすることは、人生の立命
みたいなもんやね。「こころざしもたたないようなことでは、
どうしようもない」わね。

立花の教室が始まります

2013-04-25 07:35:05 | Weblog
昨日、bunknanのモーニングを食べにいったかえりあたり
から雨が降りだし、一日雨だった。
今日は朝から快晴のお天気。温度も上がりそうだ。
散歩をしていたら、シジュウカラが気持ちよさそうに
けやきの木の梢で囀っている。春を喜ぶ声だ。
ホオジロ、という頬の白い鳥は「一筆啓上つかまつり候」と鳴く。
メールは便利だけど、やはり気持ちは、自筆で書いたほうが伝わりそうだ。
時々、電脳空間の情報を「断食」(だんじき)するのも、断捨離みたいに
脱糞したような爽快感がある。

さて、今日の夜は「インヨガ」
呼吸を波立たないように整えて、自分の体と素直に対峙する時間の
大切さを痛感する日。終わった後の蕎麦湯を飲む姿の慈悲深さを
どう説明したらよいか。これも電脳空間では伝えにくい。

明日は「ダメ中」
先生がしばらく、外国へ出張していたので明日はそんな土産話を
聞きながら、おいしく酒が飲めそうだ。

土曜日から「立花の教室」が始まる。
花は昔から「イケル」というし、「タテル」ともいう。
今回からは、「タテル」の立花をやる。

花は黙っている。しかし静かに語りかけようとしている。うれしい時
も、悲しい時も、花は、人の心に近寄ってくる。(西堀一三)

今日の落語は中止

2013-04-24 07:33:54 | Weblog
昨日、まんまくんから電話があって、少し風邪
ぎみでふらふらしている感じだった。
それでは「笑い」にならないので、急遽中止となりました。
予定していた方には、大変申し訳がありません。

明日は「インヨガ」をやります。
やはり体調を整える、とか健康管理は大事なことです。

金曜日は「ダメから始める中国語」

28日は「蕎麦打ち」男子厨房に入る、の編。

29日が「論語の会」

そのあたりから世間でいう「ゴールデンウィーク」

今朝は卵かけごはん  夜のロンゴの会は29日に変更

2013-04-22 07:30:20 | Weblog
昨日、関西の小雑誌を読んでいたら、「男はどうでも
いいような細かいところにこだわりすぎる」
みたいな一文があった。思わず@「そうだ」とうなずく。
こだわる部分にもよるけど、いろいろな分野で「座標軸」
がしっかりしていないため、言ったものがち、や、無手勝手流が
横行しすぎてることは否めない。そんな中にあって、天地自然の理(ことわり)
みたいなことを直感を信じてすすんでいくことが、なんやら大事なことでは
なかろうか、と思う今日このごろ。
3日間、京都の人らと終日(ひねもす)お話をしていたら、若いころに
下賀茂のお店で珈琲の勉強をしていたころを懐かしくなった。

今日は「卵かけごはん」
あまりこだわりはないけど、お米のとぎ方というのは、諸説あるけど、
水で洗う、という簡素な所作の中に、日本人が大切にしてきた「理」がある。
「料理」とは、よくいったもんだ。お米には七つの神様があいるらしい。
お米ばなれに歯止めがきかないみたいだけど、こんなに美味い食べ物は、この
星にふたつとない。いつものように、静岡の名水「硯水泉」で炊いた。
押上界隈の珈琲は、この水を使っているとこが多い。うちの水だし珈琲
もそう。

今日は「論語の会」の予定だったけど、先生の都合で29日(月)
に変更。

明日は「お仕覆」

水曜日は「落語」
木曜日が「インヨガ」

なんやかんやで、休みなしの春うらら。

春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな  蕪村

着物はええね 日本人の力を感じる

2013-04-21 08:18:01 | Weblog
河野さん夫妻の「染めもん展」が今日まである。
昨日は着物美人や着物が似合ういい男たちが集まった。
金曜日の投扇興は、上位が押上の女子になった。
「投扇興の聖地・押上」になるのでは?座る文化が
絶滅危惧種になりつつあるが、日本の文化は座ってこそわかるところが多い。

河野さんの京土産がぼくの大好物の「かわみちやの蕎麦ぼうろ」。
マルコポーロではないが、ぼうろは、ボーロでカステラと同じように
南蛮渡来のお菓子。素朴な中にも、京の雅も練りこまれているようなお菓子で、
煎茶にもあうし、蕎麦焼酎の蕎麦湯割で飲んでもいい。
京都ではお菓子屋さんが、副業で蕎麦屋をやる、というスタイルが昔からあった。
お菓子、お茶、その先に自然と「そば」があったのがうれしい。

かわみちやの親戚筋の「そばや」が、♪あねさん、ろっかく、たこにしき・・
の姉小路にある。両方とも近くにある。その名も「晦庵 河道屋」さん。
そこの名物が「芳香炉」。さすがに京都は、和、というかごちゃまぜながら
調和されているところが、ええ。
中国の鍋を使った投じ蕎麦みたいなもの。しんじょう、しいたけ、ゆば、かしわ、京
やさいなどを投じて、最後の締めが蕎麦。蕎麦は「江戸の粋」とかいうけど、あんがい、
京都あたりのほうに、軍配があがるのでは?と思うことしきり。
京都に住んでいたころは、ときどき食べにいってた。ひょとしたら、蕎麦打ちやろうと
思ったのは、このお店に原点があるかも。かもではなく、このお店は「かしわ」がうまいけど。

今日はお店は16時で閉めるけど、二階の「染めもん展」は19時まで。
年に一度くらい天真庵のまずい蕎麦を喰いたい、という人がいれば、18時半までは
釜に火を入れておきます。お酒が飲みたい、という人がいれば、三杯までは、ただ注ぐだけ
なのでOKです。ほぼぶらじるが飲みたいいう人にも応対いたしまっせ。おおきに。


染めもん展が始まる

2013-04-19 08:55:41 | Weblog
明日明後日、京都から染色家の河野さんがきはる。
池袋時代から続く「染めもん展」だ。京都のおっちゃん、こと野村富造さん
が二年前に旅立った後、意志を受け継ぐように河野さんが続けてやってくれて
いるのが、なんともありがたい。かっぽれをやる時に絞める帯は野村さんが
描いてくれたものだ。自分は「着物が似合うようになるには腹がすこしでんとあかん」
といいながら、ぼくが太ると「超えすぎちゃうか」と、たしなめてくれた。そのせいか?
彼がつくってくれる帯は、普通より短い?のではと思うことしきり。
かっぽれをやる時も、茶会で袴姿になる時も、京男の粋を通して生き抜いたおっちゃんの
魂みたいなものを感じながらやれるのが、いい。生きているうちに、何か美しいものを
残せる人は幸せな人やと思う。ジャズが大好きだったので、大石さんのライブあたりを
いっしょに楽しめなかったのがこころ残り。

そういえば、大石学さんから新しいCDが届いた。水木とそれを聴きながら、珈琲の焙煎教室や
二階で「無茶しぃの会」を楽しんだ。タイトルには「永遠」がはいっているし、一番最初の曲
が「KU」。?と思って、手紙を読んでいたら、「空、とか永遠とか、禅の世界みたいになりました」
と書いてある。澄んだ音にこころをあわせてみると、なんだか思わず涙があふれてきた。色即是空、未来永劫・・・
なにごとも美しくありたいものだ。

今日のオープニングは投扇興。
京の雅をみんなで楽しみたいと思う。