長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

みそかに縁担ぎ?これやると、良縁に恵まれる!

2016-10-31 07:20:04 | Weblog

今日で10月は終わり。京都の商家では、みそかの日に「きらず」を

食べる。「おからさん」ともいう。今月いただいた縁がきれませんように、という縁起から

そのような風習ができた。京都でやると、なんやら本流みたいやけど、博多の商人も

「うちもやるばい」といっているし、かごんまでも「おいどんとこもやるおます」とおっしゃっている。

つまりは、日本人が縁を大切にしてきたということ。

大みそかには「年越しそば」を食べるのも、おなじく「つなぎ」を使うそばを食べて、縁を切らさない

ようにという願かけやね。ほんとうに、日本人というのはすばらしい。そんないい習慣とか、日本人

そのものが絶滅危惧種になりそうやので、きらさないように、みんなでがんばっていかんとあかんばい。

昨日は、織田流煎茶道の仲間と来月のお茶会の打ち合わせをした。今月昇華されたお花の師匠・原田先生

のありし日の茶会のビデオをみながら、煎茶を楽しみ、偲びましょう、という企画。すすり茶でいくことになった。

ちょうど「珈琲ドリポット」と同じタイミングで久保さんがつくってくれた「すすり茶碗」を使うことになった。

だいたい話がきまって、いつものように、焼き締めの「珈琲ドリポット」で珈琲を入れていると、

「珈琲のお手前みたい」と、美しい笑顔でおっしゃる、ので、「そうや」と答えた。昨日のシアトルから

きた人のように、「これうりもんですか?」という。「わしは、みせもん。これはうりもんやで」というと、

「ゆずってくれはりますか」というので、茶箱に入れて、長崎にもっていく予定の「秘蔵の愛用品の焼き締めの珈琲ドリポット」

が、煎茶の先生とこへ嫁いだ。しかたないので、島原のそば会&茶会には、南島原のなつき君とこへ嫁いだ

ものを借りるメールを打つとしよう。

旅するときに、昔はお茶道具をいっしょに同行した。「旅ちゃわん」なんて風流な言葉や。

これからは「珈琲ドリポット」とちっちゃいミル、車がある人は「珈琲の石臼」もっていくと、旅が10倍

楽しくなる。今回はそれに、蕎麦道具、茶道具を入れて、明日の夜から「旅人」になる。

これから「卵かけごはん」  

明日は「英語で蕎麦会」


珈琲ドリポット 本場のシアトルに渡る

2016-10-30 08:57:01 | Weblog

珈琲の本場、というとシアトルである。あのスタバの発祥地。

石臼と珈琲ドリポットを持って、リアカーかなんかひきながら、シアトルの街で

「売茶翁」よろしく歩きまわるような生活もいいな、と思っていた。

ときどきシアトルから蕎麦を手繰りにくるご夫婦がいる。昨日こられた。

ご両親の墓を長崎の対馬にたて、法事をかねてこられたらしい。一週間

ずれていたら、こちらも長崎ぶらぶら節だったのでほっとしながら談論風発。

締めの蕎麦を手繰られた後、焼き締めの「珈琲ドリポット」でほぼぶらじるを入れていたら、

「これなんや、ワンダフルヤナー」と、英語と関西弁まじりの言葉がでた。今ネットで話題の「ピコ太郎」

みたい。アイハブ ア ペン・・・のあれ。

「これうりもんちゃうでしょ」というので「うったるで~」といって、焼き締めのドリポットをお買い上げ。

本場のシアトルに、ぼくより先にいくことになった。うらやましい。なんやら、いろいろなところに嫁いでいかはるわ。

「天真庵」のHPに珈琲ドリポットがでている。陶芸家の久保忠広さんの傑作。写真では重なって

見えへんけど、ちゃんと乳首のような急須のふたもついていて、珈琲を抽出したあとは、乳首をつまんで蓋

してあげると、おっぱいぴたいな丸い急須の中で、珈琲が熟成されていく。しろうとさんには、わかりにくい

かもしれへんけど、急須とは、もともと女性のおっぱいをモデルにつくられたものである。まるみ、とか、ぼっちとか、

肌あいにひかれるのは、だから「本能」であり、「天真」なんや。

今日は日曜日なので16時閉店。今日はある音楽教室の生徒さんの発表会がそれからある。芸術、音楽

にふれてますか?上野の美術館もおもろい企画をやってるみたいよ。

明日の朝は「卵かけごはん」

火曜日が「英語で蕎麦会」

次の日から、しばらく旅烏。

 

 


♪小倉生まれで玄海育ち

2016-10-29 08:21:50 | Weblog

昨日はルナが素敵な歌を届けてくれた。いつものように、無駄のない縁で集まった人

たちのこころまで、感動が届き、つながり、共に楽しむ時間がもてた。

ピアニストの黒田京子さんは、天真庵では初めてのライブ。ジャズとかクラシックとか「枠」

を決めず、演劇や朗読、無声映画の音楽などをライフワークにしている。

珈琲を飲んでいて、カウンターの中に反応。「ゲンカイがありますね」と目を丸くされた。

♪小倉生まれの玄海育ち・・・

ではない。「言海」(言葉、言霊の海、という意味)。大槻文彦さんが、生涯かけてつくった日本で最初の国語辞書。

彼の感動的な一生を綴った名作「言葉の海へ」というが公演されるらしい。11月23日(水・祝) 14時・18時

予約問い合わせ先  アトリエ花習 090 9676 3798

音楽は、もちろん 黒田京子さん。素敵な縁をいただいた。しかも水曜日。さっそく申し込んだ。

お客さまの中で、初めてこられて、少し「北九州顔」のダンディーな人がいた。聞くと、やっぱり

「八幡(やはた)」という。ぼくらの年齢だと、年齢がひとつ違うと「奴隷と王様」の関係になる。昭和29年

と答えられたので、その瞬間からぼくが奴隷になる。ぼくがいった小学校は北九州市立「天神小学校」で

彼はそこから徒歩10分くらいの隣の小学校、共にいまは廃校になったけど、ぼくがソフトボールを

教わったのも、自転車にのったのも、その小学校の校庭だった。桃園球場とか、まるぶつデパートとか、

到津動物園(いとうず、と呼ぶ)など、その地に住まないとわからん言葉が、お互いに機関銃トークになる。

リハーサルの前に「からすま気功師くん」が挨拶にきた。目がだいぶ悪くなったので、今のお仕事をやめた、とのこと。

来月の中旬から、週にニ度のペースで二階でやってくれるようになった。いろいろな意味で、人生がいい方向に

かわっていける人の縁が広がっていくのではなかろうか。

明日は日曜日なので16時閉店。その後は「ピアノの発表会」だ。

月曜の朝は「卵かけごはん」

火曜日が「英語で蕎麦会」

水曜日からしばらく「松休み」  6日は島原のお寺で「蕎麦会&お茶会」

 

 

 


本日は素敵なライブがあるのです

2016-10-28 08:18:25 | Weblog

だから、16時閉店。

ルナがやってくる。そもそも彼女は大石学さんが連れてきたのがきっかけ。

最初のアルバムが、大石学トリオといっしょに収録されている。でだしが

セシルモンローのドラム。2011年の夏に千葉の海の事故で召されたけど、

若手のジャズマン、ウーマンに魂をバトンタッチしている。大石さんは毎年

海の日に天真庵でピアノ・ソロライブをやってくれる。最新アルバムで、札幌の

ギャラリーで収録された音が、澄み切った調べで、こころが浄化されるようだ。

北海道といえば、日ハムが勢いついてきた。

来週は島原で蕎麦会をやるので、なにかと、毎日が気ぜわしくなった。

昨日は、なつき君とこへ、勝手に生豆と、生そばの材料をおくった。

島原の海風の中で焙煎される「ほぼぶらじる」の味が楽しみだ。

28日(金) LUNAライブ

演奏:LUNA(歌)・黒田京子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

 


論語とそろばん

2016-10-25 08:36:32 | Weblog

渋沢栄一翁の座右の銘、みたいな言葉。

昨日は21年目の「論語の会」。正確には順受の会、という。

夕方ゆみちゃんが遊びにきた。というか、かりすまくんが渡してください、と本を

置いていったので、それをとりにきた。論語の会のメンバーが続々とやってくるのを

見て、目を丸くしていた。確かに彼女たちの親よりも高齢の人のオンパレード。

最近、また女子がひとりふえたので、少し会は若返り、明るくなった。おじさんたちの頭

もだいぶ薄い人が増え、LEDよろしく一灯照隅の感もあるけど・・・

「論語読みの論語知らず」という名言はあるけど、知らないよりもふれておく、くらいのことは

必要ではないだろうか、と思う。

若い人たちの6割が結婚しないまま生涯をおくる、というような時代。間違いなく

日本人が絶滅危惧種になりそうな未来。

今日は「書をしよう会」

ぼくは、知り合いのボクサーがリングにあがるので、夕方から後楽園ホールで出向く。

東京に初めてきた日にいった場所。ボクサーたちが、裸ひとつで命をかけて闘う聖地。

サラリーマンも、正社員でない人も、フリーターも、主婦や退職した人たちも、生きて

いる間は、体ひとつで闘うボクサーみたいなもんや。逃げ出そうと思っても、生きて

いる間は、四角いリングの上でファイティングポーズをとっていないと、倒れてしまう。

倒れてしまったら、おしまい。死んだら、死にっきり。生きている間に、したいことせんとね・・

28日(金) LUNAライブ

演奏:LUNA(歌)・黒田京子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

 

 


ありえないような不思議な蕎麦会になった。だkら、ありがとう、なんや。

2016-10-24 07:21:51 | Weblog

おいしいものを食べる、というのに躍起になっている感がある。

なんとかログやら、ミセランカ?や、テレビや雑誌も、そんなものを

競って紹介する。

おいしいものを食べる、よりも、「おいしく食べる」ほうが、豊かな気がしている。

そしておいしく食べるコツは、「気のおけない仲間と楽しく食事する」に勝るものはない。

だから、ネットやテレビや雑誌を探すより、「いい友達」を探すほうがいい。いい友達を

つくるのは、まず自分がいい友達になることだ。

昨日は二階でワークショップをやった。ときどきエステをやってくれるゆみちゃんと、

元気のお守りをつくってくれるみさとちゃんが講師。ふたりと「天真庵元気ガールズ」の中心的メンバーだ。

3時から5時までニ階でワークショップをやり、それから蕎麦会。そばを茹でようと、ゆで太郎になろうとしたら、

ゆみちゃんが「かりすまさんがきた」と叫んだ。今月からつきいちで「ニ階で気功」をやってくれているっこ。

ゆみたんが、目の見えない彼をやさしくサポートして、椅子まで誘導してくれた。こんなことを何もいわずに

できる子が、身近にあまたいるのがすごい、と自分で思う。

いっしょに蕎麦会を楽しむことになった。その後、「ドタサンの縁」で、彼が女子たちに「気」を入れてくれた。

ここでは、書けないくらい、すごいサプライズがあった。

人ははやくもおそくもなく、必要な時に、必要な人と出会うようになっている、のだ。

いつものように、近くのバス停までおくった。こないだの水曜日の会は、不思議な人といっぱい

あったので、感動で眠れなかったらしい。「今日も素敵な縁をいただきました」という彼の見えない

目に涙が浮かんでいる。たいへん厳しい修行をされるために生まれてきた人だけど、これから世界中の

人をいろいろ救っていくに違いない青年である。

これから「卵かけごはん」夜は「論語の会」

明日は「書をしよう会」

 


石臼を積んだ変な車がとまった?

2016-10-23 08:54:46 | Weblog

「長崎ナンバー」の不思議な車がやってきて、中から日焼けした若者がおりてきた。

なつき君だ。この春に、南島原に移りすみ、「くちのつ巷珈琲焙煎所」を

準備中。近所の漁師に誘われて、船にのり、ビギナーズラックで、ヒラマサを

釣りあげた写真を見せてもらった。なかなかのもんだ。

彼は、天真庵を改装するメンバーのひとりで、その縁で、キラキラ橘商店街の

「ぶんかん」の店長になりこの街を盛り上げてくれた。開店前に、焙煎道具をかかえ、勝手におしかけて、

焙煎の極意を伝授した。いい迷惑だったと思うけど、名にしおう焙煎師になった。

蕎麦打ちも二年続けて、大みそかと、旧正月のおおみそかに伝授した。都合5度ほど

やったので、なんとか自分で楽しむくらいのレベルにはなった。

珈琲の石臼にも興味をしめしたけど、天真庵の石臼をつくってくれた名人さんは、311の震災で

体調をくずし、その後復帰しなかったため、かなわなかった。天草に名人がいる、というウワサを

きいたので、それを伝えると、さっそく何度か通ってゲットしたらしく、今回はそれの披露をかねて

関東の何か所かで「珈琲会」を催したらしい。天草は昔から陶器の釉薬に使う長石など、「石」

の産地として名高い土地である。立派な墓石になりそうな黒光りする石臼だった。

11月6日に、島原のお寺で「蕎麦会」をする。そこで今話題のイタリアンのシェフとコラボ

の形になったが、なつきくんも石臼をもって参加することにあいなった。昨日は「珈琲ドリポット」

も購入してくれ、ぼくより10日ほどはやく、関門海峡を珈琲ドリポットが渡ることになった。

珈琲を日本ではじめて飲んだのは、鎖国時代の唯一の港、長崎の出島の遊女ということになっている。

煎茶と禅を日本に伝えた隠元和尚が、最初にきたのも長崎で、興福寺にしばらく滞在し、お茶とか、禅を

ひろめた形跡がある。普茶料理が「しっぽく料理」として定着したのも、その縁である。

蕎麦も大陸から長崎の対馬を経由して日本に伝わった。そういう意味では、長崎は原点である。

こないだ紹介した南画家の釧雲泉や、木下逸雲なども、長崎出身であり、煎茶に造詣が深かった文人

である。そんな土地に縁あって移住した人と、いっしょに「蕎麦会」ができるなんて夢のようである。

今朝は、もっていく釣り竿と、のし棒を磨いた。感謝。

今日は、日曜日なので16時。それから「日曜蕎麦道場」

女性のワークショップも2階であります。

 

 

 

 


しまばらさん、のとさんが遊びにこられる

2016-10-22 08:36:45 | Weblog

昨日は、島原に今年移住したさん、と、能登に移り住んださんが、遊びにこられた。

能登さんは、せんせん月、あたりに遊びにいった。能登の海を見ながらの蕎麦会は、

この世のものとは思えないくらいよかった。地元のおばちゃんがつくってくれた「なれ鮨」

が「魚が旨い」という言霊のように沁みた。彼らは、「農家民宿」を準備中だ。

島原さんたちは、来月に島原のお寺で開催される「蕎麦会」でまたあう。奇しくもその人の名字にも「寺」がつく。

島原さんたちは、天草が見える海のほとりで「喫茶店」を作ろうと計画中。

ときどき、東京のカフェなどで「茶会」ならぬ「珈琲会」を開催している。

蕎麦とか珈琲の焙煎ができ、釣りができ、魚をさばける、できたら、鮨をにぎる・・・・

そんなことができれば、これからの田舎暮らしは、どこでも楽園になる。なお、

能登さんたちが「梅林ガールーズ」の名付け親。今年に引き続き、来年の梅が楽しみだ。

今朝は島原の蕎麦会にもっていく、「珈琲道具」を整理してみた。もちろん「珈琲ドリポット」

が、初めて関門海峡を渡り、島原で披露。

23日(日) 布ナプキンのワークショップ

布ナプキンの作り方や使い方をやさしく学びます。

15時開始 ¥3,000(蕎麦・珈琲・付き)

 

28日(金) LUNAライブ

演奏:LUNA(歌)・黒田京子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

 

 


そばも酒も美味い季節

2016-10-21 08:17:25 | Weblog

水曜日は「おんなかっぽれ」だった。

前日の「タイムドメイン」の日は、ポーランドで「お茶会」をやってきた友人

が土産にウォッカをぶらさげてきた。それを、能登の梅でつくった梅シロップで

カクテルにした名付けて、「うめーっか」。40度もある危険な酒があっという間に

からになった。「茶」もこころざしのある人たちによって、世界に静かに優美に拡がっていくイメージ。

かっぽれの後は冷たいものがうまい。蕎麦焼酎に梅シロップを入れ、それを

炭酸で割る。これを飲むと、夏バテもいっぱつで解消する気分になる。

昨日はひさしぶりに何もない休みだったので、千葉に野菜を調達にいき、

温泉にいく。途中、天真庵のそばをいただいている畑の前を通過。そばの

白い花が咲いている。秋は新そばの季節。そばと酒が一段と美味くなる季節でもある。

千葉のその温泉施設は、日替わりで男と女風呂がいれかわる。

昨日は大好きな「天真の湯」に入れた。露天風呂が、五右衛門風呂

のようにひとり用に釜のようになっている風呂。風がある日は、目隠しに

なっている竹がゆらゆらゆれて風情があり、その先の里山の風景がいい。ちょうど

稲刈りが終わった田園風景。反対側の露天風呂からは印旛沼がかすんで見える。

とくに、これから秋、冬枯れの景色もまたいい。垣根越しにみる自然は

人知を越えていい。人知を越えたところに、自然の神さまがいらっしゃる。

23日(日) 布ナプキンのワークショップ

布ナプキンの作り方や使い方をやさしく学びます。

15時開始 ¥3,000(蕎麦・珈琲・付き)

 

28日(金) LUNAライブ

演奏:LUNA(歌)・黒田京子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)

 

 


♪長崎から舟にのって、神戸についた

2016-10-18 08:52:02 | Weblog

そんな歌を、五木の子守唄みたいな名前の歌手がうたって大ヒットしたことがある。

子守唄といえば、♪おどま、し~まばらの・・・の島原の子守唄がいい。

♪なんのなしやら な~んのなしやら 色気なしだよ ほろろんバーイ・・

少し多めの休みをとって、九州の宗像の実家にいき、「松の手入れ」を伝授してもらう「松休み」

が来月ある。島原で蕎麦会をやるので、けっこうハードスケジュールになった。帰りは大分かどこからからフェリー

にのって帰ろう、と思いついたとたんに、この歌が浮かんできた。

「珈琲ドリポット」が大フィーバしているおかげで、珈琲豆の出荷も忙しくなってきた。からすま気功師のおかげで

五十、もとい六十肩もだいぶ調子がよくなり、精神年齢の20才にもどりそうな今日このごろ。

珈琲の味というのは、入れる人の人生やら、歩んできた人間味みたいなものが吐露されるけど、焙煎も

瞬間瞬間の刹那の中に、焼いている人の「今」が反映されるものだと思う。そして、珈琲の味というのは、

その生きている「今」の瞬間の「味わい」であり、その連続が人生の妙味というものではなかろうか、と、思う。

だから毎朝、「おいしい珈琲(もしくはお茶)を飲む」というのは、生きているを喜び、感謝することではないかしらん。

「喫茶店」のもとになった禅語の「喫茶去(きっさこ)」というのは、「まあ、どうぞお茶でも一服」

というように解説されているけど、もう少し加えると、去、つまり「そしてたちされ」という意味でもある。

命短し、恋せよおとめ、そしておっさんもうかうかしていたら、うきうきする感動なしに、人生の舞台から

去る日も近いかもなんばん。

今日は「タイムドメイン」 気のおけない仲間たちが集まって、わいわいやる会。

みんなで聴きたいCD、食べたいもの、酒を持参する「持ち寄りパーティー」。もちろん

語りたい「今」も持参。今日あたりだれからボブデュランを持ってくるかもなんばん。

明日は「おんなかっぽれ」

23日(日) 布ナプキンのワークショップ

布ナプキンの作り方や使い方をやさしく学びます。

15時開始 ¥3,000(蕎麦・珈琲・付き)

 

28日(金) LUNAライブ

演奏:LUNA(歌)・黒田京子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲・付き)