長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ひよこ ひよ いよいよ目白

2015-01-31 08:37:56 | Weblog

今朝は蕎麦打ちの時に、大豆を浸した寸胴をストーブにかけた。

味噌作りが本日は4人也。蕎麦打ちの時には、蕎麦粉に水を入れ、水回しという作業を

していると、ぷーんと蕎麦粉の土のような香りがする。続けて打っていると、ストーブの上の

寸胴から、豆腐やのようないい香りが漂ってくる。ああ、たまらない。

蕎麦はお昼か夜に食べるのが普通の人の感覚で、味噌汁は朝食べるもの、というのが常識

になっているけど、味噌汁の中に蕎麦を入れて食べる、というのは、最高の美味にて、栄養学的

にもすこぶるいいらしい。ぼくの蕎麦のお弟子さんたちには推奨している。

それから、「ほぼぶらじる」の豆を焙煎。ブラジル、コロンビア、ガテマラ(でかまら、と呼ばないで)、

モカという順。大豆の香りと、珈琲豆の香りを楽しんでいると、ラジオからチェンバロのジャズが聞こえて

きた。まさに、まめまめしいジャズみたいな雰囲気に包まれる。こんなに楽しい仕事場は、丸の内にもマンハッタンにも、

パリにもたぶんないのではないかしらん。知らんけど・・

それから朝飯を食べに家に帰る。庭に置いた「ぽんかん」をひよどりが啄(つい)ばんでいる。

義経さまが、一の谷の戦いでやった奇策に「ひよどり越え」というのがある。義経さん人気に乗じて

ひよどりも、英雄みたいになったけど、姿といい鳴き声といいい、さしたる特徴はない。はっきりいってかわいくない。

だからコマドリは採用されたけど、「ひよどり姉妹」なるユニットなど聞いたことがない。

ひよどりが去った後、槇の木で順番待ちしていた目白のツガイが、ぽかんとした顔してぼんかんを啄ばむ。

この「ぽんかん」は愛媛の先輩の家から毎年おくられてくる。もう10年くらいなるけど、50の坂を越えた

ころ昇天された。先週は親友の奥さまが還暦を前に旅立たれたという寒中見舞いが届いた。

多死の時代だけど、順番ではなく、いい人が先にいったりするのは、今だけの偶然の話ではなく、

ある意味、天地自然の不条理なる摂理かもなんばん。

ぽんかんぽんかんと書いていたら、ふいに昔よく食べた「ボンタンアメ」が食べたくなった。

あれは九州でしか売ってないのかしら。

 


気骨の鮨会 二年目に突入

2015-01-30 08:29:30 | Weblog

昨日は「気骨の鮨会」。昨年の一月から始めたので一周年になる。

昨日アマゾンから本が届いた。

佐賀に住む96歳の物書き・じいちゃん。奥さんに先だたれ、ひとり暮らしだけど、

珈琲を入れたり、買い物に前が二輪、後ろが一輪の自転車で自分でこいでいくらしい。

めんどうくさいけど、毎朝珈琲を入れて、「のほほんという時間」を味わうのが幸せな時間で

あるというくだりがあり、まるで仙人のようで、酒脱で飄々とした文章を読みながら珈琲を

飲んでいたらこちらも「のほほん」としてきた。幸せの極致は、そんな些細な瞬間にあるのかも知れない。

鮨会の準備をしながら、佐賀弁まじりのじいちゃんのエッセーを読んでいたら、鮨職人の

「佐賀のがばいじいちゃん」が颯爽とやってきた。76歳。

開口一番、「最近106歳のガールフレンドができたばい」という。

「しかも現役のOL」らしい。「・・・?」という顔をしていたら、

「93歳の時に再就職のお願いをある会社にしたら、「うちは養老施設ではない」と断られ、

その会社にいき、社長に直談判して「テストをうけさせて」といい、再就職がきまり、13年その会社

のOLをやっているらしい」。がばいじいちゃんが「子供さんはいるの?」

と聞くと「86の青二才が生きている」と答えたらしい。

「六十・七十は鼻たれ小僧、八十がきて迎えにきても、百まで待てと追い払う

」みたいな言葉があるが、まだ上がある。なんだか元気つけられる話だ。

今日は「福の会」。易学を学んだ先生を囲んで、これからの生き方を

模索する会。今朝の新聞に「降りていく生き方」という映画が紹介されていた。

これも「これから」を考えさせられる映画だ。


手前味噌つくりが始まる

2015-01-29 08:06:32 | Weblog

味噌を自分で作り始めて15年くらいになる。

遺伝子組み換えをしていなくて、国産の大豆を使い、塩も納得するものを使い、

一日がんばって、あとは麹くんたちの発酵の力を借りてつくってもらう。

天真庵を押上に結んでから、「味噌作り教室」を始めた。今年は50人を超えた

ので、昨日からはじまりはじまり。昨日は蕎麦の弟子が初体験。「きくねり」で鍛えて

いるので、つぶした大豆を混ぜるのは、まさにお手のもの。「手」というのは、ほんとうに

すごい。それが終わると、テレビ番組の収録。お昼にやっている「昼めし旅」(テレビ東京)。

来週の木曜日に放映される予定。ぼくがよく食べるまかないの「昼めし」が紹介される。

夜は「かっぽれ」。元気な女子たちが集まってくる日。この会のおもしろさは、「踊らにゃ そん そん」

で、自分で体験しないとわからない。情報が洪水のような世の中で、いつもだれかと繋がっている・つもり、

になったり、知っている・つもり、になっているけど、その実、なんにも中身のないようなやからが、あふれている。

今日は「気骨の鮨会」。なんとか次郎や太郎みたいな有名な鮨職人はこないけど、まじめに鮨を握ってきた

佐賀のがばいじいちゃんが、元気な鮨を握ってくれて、カウンターに座るお客さんたちと、お茶会のようなスシライブ。

明日は「福の会」 易の先生と、これからの人の生き方を模索する会。19時から3000円(そば会付き)


天下無敵の台所

2015-01-27 09:01:00 | Weblog

昨日は「論語の会」だった。順受の会、といい今年は21年目になる。

20周年をお祝いして、春に小川町で祝賀会をやることにあいなった。

経世家とまではいえないけど、ちゃんと「今」のことを本音で語りあえる友が

いるのは幸せなことだとつくづく思う。

今日は書の会。「道」とつくと少し重たいし、肩肘を張ってしまうけど、この会は

精妙にこころを落ち着かせ、酒脱な気持ちで「自分と向き合う」ような会。

文花という我が町に、文人墨客たちが集まってきて、陽気に書をたしなみ、酒を飲み、談論風発。

世界中の人たちが、今のままの働き方をして、今のような生活をして、今のような政治をして・・・

では、先がない、となんとなく明日に「不安」な気持ちになり、挫屈感みたいなものを味わっている。

こんな時は、これまでの経験やうまくいってたことをいったん忘れて、こころを「空」にして、自分を

見つめることなんかが、必要かもしれない。

この文を書いている文机の前に窓があって、その向うに小さな庭がある。つわぶきの横に道祖神

が座っている。中越地震の起きる半年くらい前に新潟の十日町の骨董屋から買ったものだ。

その前にリンゴを置いているので、ただいま、四十雀のツガイが遊びにきた。

日本人になじみのある鳥だけど、昔から「目白」みたいに家で飼うことはなかった。「始終空」

という言霊を嫌ったから。日本人は昔から貧乏で、家の中や財布にお中が空であることをいみきらったのか?

でも仏教の一番伝えたかったものは「空」の精神だし、禅も「無」を大切にしてきた。

これからは「無為自然」という、自然に逆らわない、小さなトレンドに一喜一憂しない生き方がよろし。

明日は「かっぽれ」。味噌作りもスタート。お米と味噌と醤油が「これ」というものを具えていれば、不足はない。

そば粉があれば天下無敵の台所。


論語知らずがどうした会

2015-01-26 07:41:37 | Weblog

今日はこれから「卵かけごはん」

先週は、9時ころ女子3人がべつべつにカウンターにとまって、卵かけごはん

を食べていたら、卵ではなく「たまちゃん」の話題になり、食べ終わったとき、

「たまちゃんを紹介してください」という話になって、その3人が2月からたまちゃんの三味線

を習うころになった。今年は難しいが、来年の今ころは、♪梅はさいたか~ 桜はまだかいな・・・

なんて歌いながら三味線を弾く女子が3人増えた。たまちゃん効果といえば、今週の水曜日

の「かっぽれ・女子編」も、大盛況で組を分けるかどうかの瀬戸際になってきた。

とうの本人は昨日もお座敷の後立ち寄ってくれて、「しゃくえんの自動販売機で水を買った」

といつもの江戸弁で機関銃トーク。

今日の夜は「論語の会」。21年目になる。論語読みの論語知らずというけど、知る知らないは問題

ではない。人生の「まさかの時」や分岐点で、ものいわぬ神の声が聞こえてくるように、なにかのささえにでも

なればいい。自分のふるさとでもないのに、どこか懐かしいと思ったり、ここに住みたいという場所がある。

理屈でもなく、そこにここちいい「こころのふるさと」みたいなものを感じる場所。21年も続く会、というのは

そこに「居場所」を感じる人たちがいる、ということだろう。これからの時代の「寺子屋」のモデルでもある。感謝。

明日は「書をしよう会」   書家の書というのは、作為が見え見えで、あまり感心するものがないけど、しろうと

が無心で書いたものは、いいものがある。

水曜日が「かっぽれ」

木曜日が「気骨の鮨会」  佐賀のがばいじいちゃんが元気な鮨をにぎってくれる。初煎会みたいなものだ。

ライブであり茶会やねこれは・・ウン。

 

 

 

 


骨まで揺らいで、こころまで癒してくれる音楽

2015-01-25 08:29:24 | Weblog

昨日は、ぼくの蕎麦のお弟子さんの三輪福さんが、水晶で作った不思議な楽器で

こころまでゆらぐような体験をさせてもらった。

夜コンサートの時は、いつもより多めに蕎麦を打つのだが、3時ころ売り切れて、

4時になってまたバンバン打っていたら、彼女がやってきた。「蕎麦打つ?」と冗談でいったら

、目をキラキラ輝かせながら笑った。水晶を再結晶させてつくったボールのようなものを、茶箱のた

上に置いて音をだすと、天真庵の中が伽藍のように、静謐な空気が流れてくる。予想はしていたけど、

こんなにカタルシスを感じる「音」は、この現象世界にはなかなかないような、そんな神のはからいの

ような世界。

前日ヨガの世界でちょっと名の知れたお方が蕎麦を手繰りにきた時、「人のツボというのは、筋肉ではなく、

骨にある」というようなことを言われた。「だから、「骨まで愛して、という歌が大ヒットしたのですか?」と

冗談でいったら、真顔で「そのとおり」とのこと。

骨まで愛されるような、音楽、や芸術が、今の時代は必要なのかもなんばん。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち無門塾」

明日の朝は「卵かけごはん」先週たまごかけごはんにきた3人がたまちゃんに

三味線を習うことになった。ほんとうに、不思議なことがおきる月曜日。

夜は21年目になる「論語の会」(順受の会)

火曜日が「書をしよう会」 先週大塚で飲んだメンバーの書き初め

水曜日が「かっぽれ」

木曜日が「気骨の鮨会」・・・3月まで満席で、少しこまっている。


今日は不思議なライブがある

2015-01-24 08:19:39 | Weblog

今日は三輪福さん、というぼくの蕎麦のお弟子さんが天真庵初ライブ。

なので、16時に閉店。すぐに満席になったので「満席御免」の毎日だった。

また次回も企画したいと思う。こんどは、彼女の蕎麦を食べる会にしようかしらん。

いろいろな縁ある場所で、奉納舞いなどをやっている素敵な女性だ。

京都生まれで、ぼくが京都で初めて下宿したところの同じ街で産まれたらしい。

日本舞踊や能や歌舞伎の「まう」という所作は、頭がぶれず、体の真が

お花のそれと同じように中心になっていて、真善美を目の当たりにするような

ところがある。天地自然の理を、科学や文明が発達する前、猿からホモサピエンス

になったばかりのころから、われわれの先祖さんたちは、そんなことをわかっていたのだと思う。

彼女は時々大塚の「ますみ」で踊っているようだ。そこの主人はぼくが天真庵を池袋で

始めたころからお世話になった人で、南條先生の絵の表装もやってもらったし、

天真庵に飾ってある白井晟一さんの「生」の額装もそうだ。まったく縁とは妙なものだ。

無駄のない縁で繋がった人たち、根っこがいっしょの人たちが毎日どこからとなく

やってきて、お茶を飲んだり、酒を飲んだりして、共に楽しんだり、育ったり・・・

教育というのは「共育」であるべきだとつくづく思う。感謝。

 

 


便秘が治る料理 ほれぼれうんこの会

2015-01-23 08:27:37 | Weblog

今日は「ダメ中」だ。

まいこ先生が月に一度名古屋からやってきて、ピーチク、ニーハオ、パーティク、

中国語を楽しく教えてくれる。時々カラオケを中国語でやったり、餃子をみんなで作ったり・・・

不思議な会だ。一度NHKが取材にきた。あまりにおもしろい光景に、カメラマンの方に載せたカメラ

が、ブレブレだった。勉強の後の「蕎麦会」もまたおもしろい。撮影の日は、伊佐美をみんなが割らず

に飲んでいたのが忘れられない。いろいろな顛末がその後にあったけど・・・

今年の「味噌作り」は約50人。その分の大豆と麹が昨日届いた。この人数の増え方に「時代」を感じる。

命は「口」から入ってくる。世界中からいろいろなものが入り、コンビニに象徴されるように、便利に、

自分で作らなくても、なんでも食べられたり、飲んだりできる時代になったけど、失うものも多い。

「くそみそ」とかいうけど、ちゃんとした味噌を食べていると、ちゃんとしたくそがでてくる。

便秘の人も多いらしい。繊維質がいっぱいの「もち麦」をごはんに入れて、カレーにしたり、

お粥にするといい。この界隈だと、ブンカンの水曜日のカレー、イルフィオレットのカレー、押上猫庫

の昼ごはんに登場する。時々まかないで「もち麦そば」を食べる。これは筆舌を越えたうまさだ。

 


大塚で酒を飲み、目白でリンゴ

2015-01-22 13:46:16 | Weblog

昨日は大塚のカッチャルバッチャルで新年会。

そこのチーズなんちゃらをお土産に「江戸一」で二次会。20年以上前から

そこで「白鷹」を飲んできたけど、ひさしぶりだったので、同窓会みたいに

話も酔いも盛りあがった。今日は東京は朝から雨。

少し遅くまで寝ていたら、目白におこされた。最近この界隈には野良猫

も減ってきたような気がする。野鳥も同じように餌や水飲み場が少なく

なったのか、毎朝リンゴやミカンをおすそ分けしている、その喰いっぷりがいい。

リンゴを半分切って、庭の道祖神の前においた。

さきほど、手あぶりの炭火でおもちを焼いて食べた。十間橋通りの「ながしま」さん

の「きび餅」と「黒ゴマ餅」。休みなので、焼いた後の炭の上にやかんを載せ、

そこにチロリを入れ、白鷹をぬるかんにしてチビリチビリやりながら、魯山人の散文を

読んでいる。

江戸一をこよなく愛した高橋義孝先生は、酒の最高の酒肴は「水」だ、といっていたらしい。

何度も読んだ安岡章太郎先生の「父の酒」には、リンゴを薄切りにして醤油をかけて酒肴にしていた

父上の話がでてくる。その話を思い出すたびに、同じことをやってみる。けっこういける。

今日の白鷹の友は、残った半分のリンゴ。わびしい独酌に見えるかもしれないが、元気な目白

たちと、まだこぬ春を待ちわびながら、夢みる宴である。こんなに楽しい酒はない。

 

 


蕎麦豆腐の作り方

2015-01-20 08:11:59 | Weblog

二日続けて、カリフォルニアのカーボーイ、スチーブが蕎麦を手繰りにきた。

日本にいる時は、だいたい朝が築地で鮨、昼が天真庵の鶏そばというパターンらしい。

いつもは「倍セット」なんだが、昨日は「トリプルでお願いします」とのこと。

ペロリとたいらげ、いつものように煎茶を3煎飲んでかえった。今日は両国で相撲を観戦

して帰国するらしい。彼にとっては太平洋は、「池」か「湖」みたいな感覚かも。瀬戸内海

が「川」だったりして・・

蕎麦豆腐は、おいしい豆乳500ccに、いい蕎麦粉を5gくらい入れ、いい葛を

40g水に溶いて、それを鍋に入れ、弱火で木のへらをつかって、とろとろと

なるまでかき混ぜ、それを流し缶に入れ、冷蔵庫で固める。

朱塗りの器に入れ、柚子胡椒とかえしで食べる。酒肴としても最高峰。

明日は「書の会」の新年会。久しぶりに大塚で飲む。