長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日の元気

2009-03-31 07:15:28 | Weblog
毎日、立花にあるマンションから、北十間川沿いの道を散歩しながら
お店にくる。2011年に完成する「東京スカイツリー」も、だいぶ土台が
できてきた。完成したら、この道の向こうにそびえているはずだ。
先住民?みたいなねこちゃんたちににらまれながら、路地裏を散歩して
お店に登場。お水を飲むと、蕎麦打ちが始まる。主人が仕事している時
に、かたわらで眠っているのは、気がひけるのか、少し離れた場所で
ウトウトしている。ねこといっしょで、この季節はひだまりが大好き。
まるでそこに座布団でもあるように、ここちよく眠っているネコのDNA
を持つ元気でした。感謝。

今日で3月は終わり。近くのSPIC CAFEで、今日まで「鯛カレー」
があるらしい。今晩予約しているので、その不思議なものを楽しみに
している。

明日は、「すみだトリフォニーフォール」で赤松林太郎君のピアノリサイタル。
今夜は眠れそうにない・・








マタキタクナール

2009-03-30 06:19:50 | Weblog
先週は神戸のお坊さんが、クッキーをお土産に
遊びにきてくれた。この人は、ときどき、遊びにきて、
「東京にきた時は、あそこの蕎麦がむしょうに食べたい」みたいな
話をする。ときどき、おんなじ店がったりすると、うなずきながら、ふたりで頭の中でよだれをごっくんしたりしている。
とくに京都には、「ときどきどうしようもなく、行きたくなる店」が多い。
そんなお店を「あのお店のあの料理には、マタキタクナール、というエキス
が入っている」と思う。
世界的に景気が後退して、これからは、お店であれ、企業であれ、個人であれ、
どこかに「マタキタクナール」を持っていなければ、生き残りは難しいのでは
ないかと思う。「御用達経済」のキーワードは、マタキタクナールではなかろうか?

おいしい、だけではだめ。クセになるくらいのレベルでないといけない。
いい人だけではだめ、枕元にたつくらいの魔力が必要かも。

今日は、「順受の会」。
論語や大学などを10年以上勉強している。自分を磨く場所。
自分の肝をつくるところ。自分のこれからを模索する時。

この会から巣立ちして沖縄で農業をしている友達からトマトが届いた。今日はこれをみんなで食べようと思う。友だちと大地の恵みに感謝。

3月も明日まで。


彼岸桜

2009-03-29 06:17:59 | Weblog
花冷えが続き、花見の高揚を少しそがれているような日々。
でも、「よー、まってました!」と一気呵成に満開になりそうな感じ。

昨日は、彼岸桜を生けた。中心になる「しん」は、まっすぐの真であり、
こころの心でもある。それを見つけ、無駄なものを切り落とし、「くばり」
という土台を同じ桜の木でつくる。
「土台があるから真がたつ」と昔からいわれる。その通り。
親から教えられたこと。これまで友だちや先生から教えられたこと、道すがら
で経験したことの積み重ね。それらがみんな土台。
常に気持ちをおおらかにもって、やさしい気持ちで接していく、そんな気や
心持を「花」は教えてくれる。18歳から60年間、お花の道一筋の原田先生が
山口から毎月こられて、教えていただく。一挙手一投足がぼくらの土台になる。
先週から始まった升さんの個展にもいってくださったそうだ。

「うら死神」は、赤松林太郎君が封をあけた。4月1日の「すみだトリフォニーフォール」の本番をひかえて、必死に練習をしている休憩の時に、自転車できて一服。
いつもは、3本くらい、キューと飲んでいくのだが、練習があるので、一合できりあげた。さすがプロのピアニスト。

書をやっている仲間たちがふたり、着物をきてやってきた。
そのあと、なおやに散歩にいった。ふたりとも着物も、近くの
「張福」さんに習っている。とても上手になった。習いごとは
やはり、土台が大事。土台がないと、着物にきられてしまうし、
「どう私って美人でしょ」という浅はかで上っ面だけの化粧みたいな
いやらしさだけが目だって、安っぽい女優かホステスみたいに見える。
煎茶もやっていて、今日は表参道でお茶会。真もできてきた。


明日は「順受の会」。これもやはり「土台つくり」のひとつ。
沖縄で農業を始めた仲間が、「みなに食べさせて」と土のやさしさ
がいっぱいのトマトをおくってきてくれた。 感謝。



きのも なかむら・・・東京日和

2009-03-28 06:11:39 | Weblog
今月から金曜日も19時で閉店になった。
地球のためにも、自分のためにも、たいへんいい感じ。
連休中の水曜日にポストの中に、神戸のクッキーが入っていた。
友だちの坊さんが、わざわざたずねてくれたのだ。
おいしいクッキーを食べながら、お礼とお詫びの電話をする。
夕方には、沖縄からトマトが届いた。二年前に沖縄に農業を
するために引っ越した友達からだ。お礼の電話をしたら、
「食べてみて」といわれたので、会話中に食べた。
沖縄の土を喰らう、みたいな慈悲深い味がした。
4月18日にジャズピアノのライブをやってくれる馬場和子さんも
彼の紹介で天真庵にきた。いろいろ感謝。

閉店後、小雨もようの中、タイトルの個展にいく。
お店からたから通りをまっすぐ歩くと、ヨーカドーがある。
そのまま進むと、お好み焼きの「三好」が右手にある。
そこを右折すると、開場の「直や」がある。福岡出身で
和裁をやっている女性の主がやっているちっちゃなギャラリー。
奈良の生駒からきた「きもの なかむら」さんが、花のお江戸
で花見のようなあざやかな着物の展覧会。
偶然、散歩していて、そんな路地裏の小さなお店が見つけられるなんて、
とても幸せなことだと思う。明日まで!(今日は午前11時から午後7時。明日は
最終日なので4時まで)

今日は「お花のお稽古」。春なので桜を生ける予定。
生徒さんが、増えてきたので、花を運ぶのもご苦労なのだ。
「あたりまえ」なことって、なんにもないね。いろいろ感謝。
花見の季節にあう日本酒もいっぱいそろった。
「うら死神」・・・どんな味がするのだろう。


顔施

2009-03-27 06:12:24 | Weblog
昨日伊豆から帰ってきて、お店によってみたら、
店の前の石仏に、お賽銭?がのせてあった。
11円。
この石仏は、中越地震の3週間くらい前に、新潟の骨董や
でゆずってもらったものだ。たぶんそのままにしていたら、建物の
下敷きになるかして、なくなっているかもしれない。
不思議な仏縁みたいなものを感じてい、以来、池袋時代も天真庵の
玄関に鎮座して、道ゆく人に、慈悲深い顔して笑っておられる。

よく神社とかにいって、お賽銭がなく、ポケットの中をさがしたり、
よこにいる友だちや家族に、「こまかいお金ない」とかいっている人
がいる。
神さまは、お金は要求していない。気持ちが大切なのだ。
10円を賽銭箱にいれて、「受験がうまくいきますように」とか
「会社がもうかりますように」・・・なんていうのは、政治家に献金して
「これだけわたすので、なんとかもうけさせて」という下世話な下ごころ
とあまりかわらないような気がする。

お金ではなく、「おかげさまで元気にさせてもらっています。ありがとうございます」といって、笑顔でおまいりする。その笑顔の施し、を、昔から日本人は「顔施」といった。お願い事があるときだけお参りするのではなく、道すがら神社やお寺があれば、お参りするのが自然のような気がする。

思いを成就させるためには、毎日しっかりとしたこころざしをもって、
過ごしていくに限る。思いを「過去完了系」でこころをこめて、発すると
いい、と、ある人にきいた。
病気に悩んでいる人は、「おかげさまで、病気が感知しました。ありがとう
ございます」。でもこんなのはだめ。
「おかげさんで、宝クジがあたりました。」
欲深いものは、色即是空で、空になる。



ゆずと伊豆

2009-03-26 20:49:02 | Weblog
姪っ子の「ゆず」を伊豆の温泉に連れていった。
彼女は昨年小学校のピカピカの一年生。お店が
忙しかったので、一年越しの彼女の入学祝い。
彼女は一才の時に母と死に別れ、おじいちゃん、おばあちゃん
たちと住んでいる。でも、そのぶん、普通の子どもたちより、
たくましく、より明るく育っているように思う。

昨日から小学校は春休みになる。そんなせいか、または伊豆は桜が満開なのか、
想像したよりも車は多かった、でも「売物件」みたいな看板がやたらと目についた。高速料金が週末に「1000円」になるけど、やはり温泉に泊まりにいくと、
ひとり「まんさつ」が最低一枚は必要になる。
今回の世界的な不況で「一万円の価値」がずいぶん変ったように思う。
日本の観光地で「温泉」というキーワードは残ると思うけど、内容
はだいぶ変更していかないと、未来がないように思う。
高級旅館もペンションも、今のままでは、時代おくれになりそうだ。
主要な温泉街の道路際のチェーン店も、なんとかせんとあかんかも。

いろいろあるけど、江戸の桜もどうやら、満開をむかえそうだ。





路地の散歩

2009-03-25 07:03:48 | Weblog
お店の近くの路地裏を小学生たちが集団で
登校する。下町の子どもたちは、親がそう育った
ように、当たり前のように、元気に「おはようございます」
と挨拶をする。それが当たり前になったけど、最初は小泉さん
よろしく「感動した」。どんなに運動や勉強ができても、礼儀礼節の
ない子どもは人間ではない。
「おはようございます。」「いってきます」「ありがとうございます」
をしっかり、こころからいえる子どもたちが、未来をつくる。

この子どもたちといっしょに歩く元気も、こころなしか元気。
気持ちのいい朝の風景。

スケッチ

2009-03-24 06:32:29 | Weblog
きのうは、「花冷え」といった感じの寒さだった。
ひさしぶりに炭をおこした。静寂な空気の中でパチパチ
という音が凛とした空気を醸し出すし、部屋の中の香りが
森林浴のそれと似ていて、気持ちがいい。

花冷えとはいえ、春は花がきれいだ。きれいにみせようとか、
どうだきれいでしょう、といった気負いがないのがいい。
ただそこに咲いている、その、ただ、がいい。
昨日は花を、砥部焼きの器に投げ込み、スケッチをした。
絵をかく人のこころが、紙の上に吐露される。
それも、ただ、がいい。
その後、蕎麦会。できたら、蕎麦代も、ただ、がいい。

先日近くの「燕京亭」にぎょうざを食べにいった。
この界隈では、一番おいしいぎょうざ。燕京とは北京の旧称。
表のイスに「いなくなった犬を探してください」みたいな張り紙があった。
よく読むと、犬でもねこでもない。
「ここにいた「つる」という名前の亀がいなくなりました。
亡き母の形見みたいなもので、家族もショックをうけています
見つけた人はご連絡ください」とのこと。

おめでたい亀が、悲劇の主人公になった。こころあたりがある人は
かえしてやってほしい。

今日は「英語で蕎麦会」。明日明後日は連休。
2007年の昨日、オープニングのタコパーをした。
いよいよ3年目がスタート。石の上にも・・・だ。

今日から4月4日まで、京橋の
「SILVERSHELL京橋」(3535-0677)で、升さんの個展「金曜日の犬」をやることになった。今日は18時からアーティストトーク。


もちつき

2009-03-23 07:11:33 | Weblog
昨日は東京マラソンだった。昨年は7倍という狭き門をくぐり、
ワカが4時間ちょっとで完走した。今朝のメールで「同窓生と還暦に
なったら、ホノルルマラソンに挑戦」と書いてあった。

クジにはずれた斉藤さんが昨日蕎麦を手繰りにきた。彼もワカと同じく
六本木のバーのママが主催する会もメンバー。今年71歳になる。
先月の「ランナーズ」にそこのメンバーが写真で紹介された。「もう
片足が棺おけに入っていて、いつ蓋がしめられてもいい状態」と、
花泉の燗酒を飲みながら笑っていたが、この人は、およびがきても
「あと3回走ってから迎えにこい」とでもいいそうなくらい、元気だ。

夕方は「もちつき」をした。あいにくの天気だったが、10人くらいの
愉快な仲間たちが集まった。初めてあった人たちも、初めてあったとは
思えないくらい、根っこが繋がっている。そんな「無駄のない縁」で
結ばれた人たちと、いっしょにもちをつき、それを食べる。
赤松林太郎君もさすがピアノで鍛えた腕力がものをいったし、
ビオラのヨッシーも杵をつくリズムが音楽的だった。書の貞本さんも
大筆のかわりに杵をもって、元気についていた。

今日は「スケッチの日」。これから界隈の散歩も
楽しい季節。明日は「英語で蕎麦会」。





飛鳥のとんかつ

2009-03-22 06:43:27 | Weblog
昨日ひさしぶりに林太郎君が東京にもどってきた。
一昨年の暮れの「カウントダウン蕎麦会」で知り合った
「たろまろくん」とまやちゃんが明治神宮で結婚式をあげ、
そのお祝いにピアノをひくために、忙しいスケジュールの中
急遽上京してくれた。二人の門出に、彼のピアノを聴けるなんて、
ふたりも、そこに出席した人たちも、幸せだったことだろう。
ワグナーの「愛の死」。結婚式で使うには縁起がよくないけど、
結局音楽そのものが、人の悲しみや悲恋を表現しているんものが多い。
そんなことを乗り越えて、感動的な人生がある。さすが林太郎、
選曲がにくい。

赤松林太郎君は4月1日に、墨田トリフォニーホールでピアノリサイタル
をやる。

夕方、東あずま駅前の「飛鳥」で、いっしょにとんかつを食べた。
ここは、N響のやまねさんも大好きなお店。さくっとしたひれかつ
が美味いし、そこに添えてあるキャベツが、やまんごと(たくさん、という
熊本弁)あって、気持ちがいい。ビールは一番絞りのみ。酒も器も銘柄も
まったく無頓着。「ただおいしいとんかつをだす」という一点に集中した
頑固なオヤジの姿が、いい。

今日の夕方は「タイムドメイン」。
聴きたいCDをもちより、食べたい食べ物、飲みたい飲物をもちこんで
楽しむ日。恒例のもちつきもやる予定。