長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

水仙をいける。

2010-01-31 07:08:56 | Weblog
昨日は、お花のお稽古だった。
今年初めてなので、花の事はじめだ。
11月に続いて、水仙をいける。

竹の寸胴(ずんどう)に、青竹で「くばり」という
台をつくる。11月にやった時よりも、スムーズに
竹がけずれた。刃物の使い方がうまくなったよいうな
気がしたら、みんな同じことを考えていた。前日に
竹を水にぬらしていたらしい。ちょっとした下準備で
物事の進め方がかわってくる。
水仙のくばりのいありかたは「井筒くばり」
といって、井筒型、つまり4本をつかってやる。
このくばりが「土台」になる。その土台がしっかり
できないと、どだい無理な話、になる。

真になる水仙をきめ、それを「はかま」をぐしゅぐしゅと
指でほぐして、花のあるくきを、そうろうとはずず。
その後は、二枚づつ対になった葉をはずす。
はかまに、真になるいちばん長い葉をいれ、対になっている
二枚目をいれ、それに長さをきめて、対になる葉を
斜めに葉を切っていれる。難しいのは、最後にはずした花
をいれる。その時は4つの葉を左手にもちながら、いれる。
入らない場合は、またはかまをぐしゅぐしゅしながら、いれる。
いれる、と簡単に表現するけど、夜のいれる、という行為より、
はいらない。

副(そえ)になるのは、つぼみ、みたいなものを選ぶ。
同じ手順で、ぐしゅぐしゅして、5本をはずす。
こちらは、互い違いに長さをきめる。副(そえ)は
真の一番短い葉よりも、少し短い感じまでして、
それを後を、ちょんと削って、それをさしこみ、
井形のくばりを完成させて、できあがり。

水仙ができると、「達人」の領域に入った気になる。


陽だまりの座布団みたいなやさしい時間

2010-01-30 07:06:16 | Weblog
今日は、月に一度、原田先生が宇部からやってくる日。
先月の湯河原の石葉でやった「青竹」は、まだ青々しく
信楽の大壺の中に立っている。
「和」の文化というのは、いろいろな「調和」を教えて
くれる。最近、界隈でカフェをやりたいという若者が
増えている。コーヒーやパンやスイーツがうまくできる、
くらいでは、人がこない時代だ、ということを、始める
前に自覚したほうがいい。「もてなすこころ」といのは、
マニュアル化されないし、ハウツーの領域ではない。
お茶とかお花とかは、最低やっておくものではかかろうか。


来週、2月5日(金)は、マリオネットコンサート。

2月6日(土)の午後一時から「お座布団づくりの教室」
が始まる。5000円(一枚分の材料こみ・茶・菓子付)
ゆっくりとした時間を過ごすのに、座布団は不可欠な道具かも。
手作りの座布団が陽だまりに鎮座していて、傍らにねこが昼寝
している・・・そんな幸せな生活をしたいなんて思っている方には
朗報かも。向島の長屋で、着物の仕立てをやっている「直や」
さんが講師になって、座布団の作りかたを伝授します。
興味のある方は、ご一報ください!


2月7日(日)は「エリカ庵」
ストレスなどで、体がコリコリの人はぜひ1度お試しあれ。

2月8日(月)は、臨時休業させていただきます。
親友のワカが千葉の病院から武蔵小金井の家まで
車で搬送する予定。



石臼でほぼぶらじるを挽く

2010-01-29 07:45:42 | Weblog
二階へあがる階段のところに、石臼が置いてある。
四国の南條先生の家で代々使われたものを譲り受けた。
池袋でギャラリーをやっていたころは、茣蓙をひいて、
蕎麦の実をいれて、ゆっくりと蕎麦を挽いていた。

先週、陶芸家の久保さんと電話をしていたら、石臼の話になった。
「茨城県に石臼つくりの名人がいて、珈琲豆を挽く石臼をつくったらしい」
とのこと。さっそく、ほぼぶらじるをもって、昨日筑波山ろくに
ある名人の工房にいってきた。
石臼をつくることに命をかけてきたその名人は、見るからに
匠のオーラにつつまれていて、あったその瞬間に「ほんもの」
だとわかる翁みたいな人だった。挨拶もそこそこに、ほぼぶらじる
の豆を石臼に少しづついれ、半時計回りに、ゆっくりと石臼を
まわしてみた。臼の横から、琥珀色した粉がでてくる様は、その香り
とともに感動ものだ。
それをペーパドリッパーに入れ、ゆっくりと抽出してみた。
囲炉裏のテーブルに座って、名人とコーヒーと石臼談義。

つくりかけの「珈琲の石臼」があったので、それが完成したら、
いただくことになった。
朝出かけ際にSPICE CAFEの伊藤シャフに、そんないきさつ
を立ち話してたら、「お店でだすといいですね」といわれた。
が、はたして、そんな余裕はあるだろうか?とも思うが、
とにかく、「ゆっくりな時間を過ごす」時の大切な小道具みたいな
コーヒーには、かかせないような道具になりそうな気がする。
機械でつくるおむすびと人が結ぶおむすびと味が違うように、
ミルで粉砕する粉と、石臼とでは、大きな違いがでる。
どちらにしても、おいしいものをつくったり、ほんものを追求
していくのは、骨が折れる。
「粒々皆辛苦」・・・米や蕎麦の一粒一粒、珈琲の豆の一粒には、
みなそれにかかわる人たちの辛苦がかかわっているのだ。
だから昔から食事の時には、「感謝」の気持ちをあらわすのだ。


2月5日(金)の夕方の「マリオネットのコンサート」
は、すでに満席になっていて、おことわりした人もいたけど、
一組のキャンセルがでたので、縁がありそな人があったら、
ご一報くだされ。池袋のギャラリーのころからやっているコンサート。
ポルトガルギターとマンドリンが奏でる不思議なワンダーランド。

梯子酒

2010-01-28 08:19:01 | Weblog
昨日は休みだった。
ひさしぶりにカッパ橋にいこうと思って浅草を歩いていたら、
近所に引っ越してきたけど、まだ落ち着いていない
古本屋かふぇ準備中の友だちが気になり電話をしたら、「ろっく
の近くのカフェにいる」ということがわかり、ふたりで
観音裏のよくいく「かまめしや」で昼食。そこに、近くの
酒屋を改装して、「二丁目のポンシュバー」(仮称)を予定
しているマスターが合流して、飲み会になった。
このお店は、釜飯やだけど、ほとんどの人が、昼から飲んで
いる。仕上げに釜飯を食べるのがならわしだけど、ぼくは
ほとんど酒を飲むだけで、釜飯を食べた記憶がほとんどない。
そのポンシュバーをひらこうとしているマスターは、
ぼくと同じ立命館大学の後輩でもある。

そういえば、さきほど大学のサークルの仲間から「同窓会の知らせ」
のメールがきた。「立命館大学法律相談部
」・・・そんなまじめに勉強を志した?ころもあった、ことを
30年以上ぶりに思い出した。

観音裏で飲んだ後は、池袋の中華やで、書の会のメンバー
と新年会だった。ひさしぶりの「ぶくろ」を満喫した。

草食系男子に麦とろ飯!

2010-01-27 07:51:22 | Weblog
昨日は「英語で蕎麦会」だった。
久しぶりに、生徒が男子中心だった。
前日の「順受の会」では、少しへたった団塊世代の男根
を元気にしてあげようと、やまいも料理を出したら、うけた。
昨日は、草食系男子に、精をつけさせようと、麦とろ飯を
最初に出した。

鳥取砂丘でとれた山芋のひげを、火であぶり、
皮つきのまま、すり鉢の側面のぎざぎざで、おろしていく。
時間がかかるが、山芋をおろすのは、この方法が一番。
そこに玉子を一個落として、すりこぎで、する。
胡麻すりはみっともないが、大きなすり鉢を、すりこぎで
する、という行為は、天座(てんぞ・お寺で雲水たちの料理を担当する僧)
にでもなった気分になる。そこに、そばつゆをながしこみ、またひたすら
する。その間に、伊賀の土鍋の中のお米ともち麦が、香ばしい香り
をただよわせてくる。3合炊くのに、わずか15分でOK。その後蒸らしが10分。
大きめの久保さんの「皮くじら」の茶碗に、できあがったとろろをかける。
漬物は、手作りの「いぶりがっこ」だ。
昨日は、韓国人の生徒がふたり参加してくれたけど、うまそうに、たいらげた。

その後は、素面で一時間くらい、英会話をして、それから、熱燗とおでんで
英会話。前回はフィンランドのヨーコ君が、熱燗をえらくきにいってくれたが、
今回は韓流のイケメン男子と燗流の飲み会を楽しんだ。
「日本では、おでん・熱燗・昔の女・・・というのが組合せになっている。
ので、これから、「昔の女」の話を英語でするように・・」
と、いったら大いに盛り上がったけど、まだまだみな若くて、おでんの
種のほうが主役になった。

今日はお店は休み。明日も休み。
書をしよう会の貞本さんたちと、今日は「ぶくろ」で
新年会。明日はお茶の日。





今日は英語で蕎麦会

2010-01-26 07:14:36 | Weblog
昨日は「順受の会」だった。
中江藤樹の本を素読(そどく)する。
肩の力を抜いて、尻をひいて座り(背骨をたてる)、
臍下丹田(せいかてんでん)に、気をこめて、大きな
声を出して読む。
最初は、そろわなかった声が、最後の方は、息が
ぴったりして、天真庵が、さながら「文花的な寺小屋」
になった。41歳という短い一生だったけど、近江聖と呼ばれ
熊沢蕃山など後の人に影響を与えた彼の功績は、人生の長短では
計り知れないものがある。

今日は「英語で蕎麦会」
最近、カウンターに座り、日本酒の勉強をするわかものが
増えてきた。英語の岩本先生も、最初は下戸だったけど、
今では2合を飲むようになった。今年は、住んでる長屋の
前で餅つきをやり、近所の人たちにも溶け込んできた。
「ひとり」の人が、志をもって、動いたら、町も少し
変ってくる。「ひとのおもい」というものが、
静かによこにひろがっていく。そんな風になっていけば
いいと思う今日このごろ。

明日・明後日は連休。



来月は先生の都合によりなくなり、3月の8日(月)
と29日(月)になった。


停電

2010-01-24 07:18:10 | Weblog
昨日の朝、カウンターの上の電気四つが、停電した。
調光器が、カウンターの下にあり、そこに水が入って
ショートしたのが原因らしい。
開店直前だったので、「今日は電気なしでいこう」と、きめ、
予備の街灯をカウンターの上に吊るしてみた。
「うらびれた中近東のカフェ」みたいな雰囲気になった。

先月は、コンロの電池が突然きれて、ガスコンロひとつで、蕎麦と
コーヒーをいれたり、ゆでたりしたことがある。

その気になれば、カセットコンロひとつあれば、なんとか、かふぇは
できるのではないかしらん。
最近、界隈で、カフェを始めたり、計画をたてたりするひとが多く、
よく相談を受けることがある。
ある意味「人生の勝負」をかけるときだけど、身のたけにあった
ものをやるのに限るような気がする。
なるべく経費をかけなくて、メニューもあれやこれやと欲張らなくて、
営業時間や休みも、慣れるまでは、体や心に負担がないように、
「自分も楽しむ」くらいの余裕がないと、息切れしてしまう。

明日は「順受の会」
中江藤樹が始まる。


大型新人が鮮烈なデビュー

2010-01-23 07:22:33 | Weblog
福島から、友だちの奥様と、その奥様の友だちが遊びにこられた。
生前の元気をとてもかわいがってくれた。元気に手向けるお花と、
彼の大好物だったブロッコリーをお土産にいただいた。
お友だちが、カウンターのところに飾ってあるコーヒーカップ
を見て、関心していたら、そのカップをつくった「升たか」さんが、コーヒー
を飲みにきた。時々、こんな不思議な偶然がおきる。
升さんは長崎生まれ。天井桟敷にいて、その後、イラストライター
になって一仕事して、50になって陶芸家になった。
最初は陶芸のルーツを探るため、韓国の千漢鳳先生のところで修行した。
そして、最初は象嵌とか李朝っぽいものをつくっていた。その後は
陶芸家がやったことのない絵付けや、漆を陶芸の中にとりいれたり、
古いものと新しいものを融合させるような挑戦を重ねている。

夜は、「ねんどの会」。
未来ちゃんと、ゆきちゃんが鮮烈なデビューを飾った。
ちょうどまた升さんが、遊びにきて、未来の女性作家?
になる可能性を秘めたデビュー作をみて、目を細めていた。
未来ちゃんに「将来何になるの?」ときいたら、
「チーズ専門店をやりたい」とのこと。
二次会の蕎麦会で、いぶりがっこにマスカルポーネを
あえたものを出したら、おいしそうに食べていた。
明確な夢をこころに抱いていると、人生は半分成功したようなものだ。

ねんどの先生も、近日中に近くにお店を出す予定。
界隈がいよいよにぎやかになってくる。
今日は近くに「フンド」というバーがオープンする。




つちこねーる

2010-01-22 07:27:45 | Weblog
今日は「ねんど」の会がある。
ゆきちゃん、みくちゃん、というふたりの大型新人が
参加を表明したので、とても楽しみだ。
ぼくがボランティアで参加している日米陶芸コンテスト
の会で、ニューヨークにいった時、向こうで陶芸を
始めた人たちの中に、「ツチコーネール」(土を捏ねる)
とアダナがついた女性がいた。今は日本に帰って
きて、筑波でギャラリーをやっている。

大型新人の彼女たちも、今日から「ツチコネール」になって、
何か将来美しいものを残すような人になってほしいと思う。

昨日はひさしぶりにワカとあえて、30分くらいいろいろな
話ができた。食べることが充分にできないので、だいぶ痩せて
いたけど、「生きる」という気持ちがしっかりしているので、
安心した。何度も「お茶はいいね」と、いっていた。
年末にプレゼントした久保さんの宝瓶(ほうひん)がお気に
いりのようだ。またよくなったら、お茶会をやろうと約束。

今日は大学時代の友達たちが、蕎麦会をやってくれる。
京都時代の友人と話をしていると、天真庵が京都になってくる。
いっそのこと、また京都で庵を結ぶか、みたいな気持ちに時々
なる。

あなたのこころの芯は、発火してますか?

2010-01-21 08:36:17 | Weblog
「江戸楽」の2月号に天真庵が紹介された。
江戸でお茶が気楽に飲める茶房として、うまく紹介された。
角居君のつくってくれた錫の茶合(さごう)や茶托、久保さん
の煎茶茶碗、みゆきさんの豆皿なんかが、気持ちよく写真になっている。

今日は休みなので、少しおそめにおきて、
近所を軽くジョッギングしてみた。
この界隈は、8時前後に緑の服をきたボランティアの
人たちが、小学校の登校を、親鳥のようにあたたかく
見守ってくれている。だから子どもたちも安心して
自分の小学校に、先輩が先導しながら、鴨のこどもたちみたいに
並んで歩いていくのが、毎朝の日常だ。
子どもたちもみな元気に「おはようございます」と挨拶する。
その中にいて、帰りにも、わざわざ玄関のガラスごしに、
「ただいま」と挨拶をしていた近所のゆみちゃんも、今では
小学校の6年生になって、後輩たちの先頭になって毎朝お店の前を通る。
勉強が多少だめでも、「あいさつ」ができる、というのは、大事なことだ。

昨日かっぽれの前に、あいかたと「副小町」のぬる燗を飲みながら、
ウォーミングアップをしていたら、近所に住む小学生の未来(みぐ)ちゃんが
目を輝かせて入ってきた。「お年玉が入ったので、金曜日のねんどの会に参加
させてくだい」とのこと。
最近は大人になっても、「こころの芯が発火していない輩」が多いが、
みぐちゃんのこころの芯は、きれいに発火している。

路地裏で遊ぶ、自然の中で遊ぶ、土やねんどをこねて遊ぶ、
自分の手で筆をもって字を書く、絵を描く・・・・
パソコンやゲームで遊ぶよりも、ずっとずっと、大切なことだ。
未来ちゃんの視線の向こうに明るい未来がキラリと垣間見れて、おじさん
ふたりは、とてもいい気分になって、その後かっぽれを興した。

金曜日は、「ねんどの日」。ねんど、スケッチ、書、花、蕎麦、珈琲、お茶、
論語、英語、中国語・・・寺小屋の内容も充実してきた。

来週の25日(月)は、順受の会。いよいよ中江藤樹が始まる。
「こころの芯火がついてないひと」「昔はついていたけど、しらぬまに消えたひと」
などが、自然に発火できる「学び場」になれば、そんなにうれしいことはない。

今日はおやすみ。月曜日に千葉の病院に入院したワカにあいにいこうと思う。
いつまでも、ワカらしく命の灯が発火していてほしい。