長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

カキ氷

2007-06-30 06:48:49 | Weblog
今日で6月も千秋楽。今年もあと半分。

昨日はあいちゃんの誕生日。
お祝いに、お友達が何人かで、中古のカキ氷の機械をおくった。
それが、明日から登場。
週末だけだけど、天真庵のオープンスペースで、「カキ氷」をやるのだ!

先週彼女の夫君のふるさと、群馬で、山葡萄を調達してシロップをつくっている。
そのほか、「お楽しみ」が数種類用意されている。

天真庵では「手作り」「自然」を基本にしている。彼女の生き方も、子育ても、環境もそんな理念にピッタリな感じがする。
海斗君も一才をすぎ、自己主張がではじめて、おもしろい。

升さんの個展も盛況みたい。明日まで!

半蔵門線

2007-06-29 06:42:14 | Weblog
これまではあまり使ったことがなかった。
けど最近よく使う。とても便利な線。

昨日は半蔵門線の表参道でおり、青学の前を通って、炎色野(ひいろの)
さんへいく。日曜日まで「升たか」さんが作陶展をやっている。
彼は、天真庵から徒歩5分の京島というところの長屋をアトリエにしている。
ので、よくフラリとコーヒーを飲みにこられる。

いつもそうだけど、今回の個展は、また新しい「升ワールド」が展開されていて、
楽しかった。少し話しこみすぎて、煎茶の教室に遅刻した(常習だけど)。
でも玉露がうまくできた。先人たちが、せっかく「茶」というすばらしい文化を
残してくれた。これを、伝えていきたいと思っている。
升さんにも、今後は煎茶道具を作ってもらいたい、と思う。
彼は最近少なくなった「文人」タイプの人だ。

夜は蜃気楼。このピータンの美しさ!こんな透き通った
ものは、この店でしか食べられない。
最近「中国製」の問題が、あちこちで噴出しているけど、
お茶にしろ、食材にしろ、奥が深い。



篠笛のルーツ

2007-06-28 09:32:38 | Weblog
ネパールの横笛バンスリというのがある。日本の篠笛のルーツだと言われているもの。そのバンスリの達人インドラに昨夜あった。
シャーマンの血をひく彼の目は、すごく透明で、彼の奏でる音楽のレベルの高さみたいなものが、瞬時に伝わってきた。
彼の「また会いましょう」という曲を始めて聞いたとき、人間があの世とこの世を
なんども往復するような悠久な自然みたいなものを感じた。
秋くらいに天真庵でライブをやりたいと思う。

今日は朝から、たまった仕事を片付けている。
今日は、午後升さんの個展に顔をだし、煎茶のお稽古にいって、
夜は蜃気楼で定例会。よく天真庵にもくる健啖家のおねえさんたちと、究極の四川料理をむさぼり喰う予定。(店主がわざわざ食材の調達に中国にいっている)
この店を知ってから、他の店の四川料理は食べれなくなった。

でも基本は「おいしいものを食べる」より「おいしく食べる」
気のあう友達と食事をすると、おいしい。



煎茶

2007-06-27 08:36:04 | Weblog
昨日は着物の仕事をしている近所の着物美人が「長屋の夜話膳」を食べに(飲みにきた)。傍らで「英語で蕎麦会」。彼女たちも火曜日は、「着付け教室」みたいな
勉強会の日。火曜日はカルチャーな日。

「今日はガレットが食べたい」といわれた。けど、いつものようにきままに、
違うものを創ってだした。料理もお酒も「おまかせ」。二人とも陶芸をやっているので、ついついその世界の話
に没頭してしまうことが多い。昨日は煎茶の話で盛り上がった。
「長屋の夜話膳」のしめくくりは、コーヒーか煎茶。いつも玉露を所望されるので、
「ゆざまし」にお湯をいれて、久保さんの斑唐津の煎茶椀で丁寧にだした。
急須・ゆざまし・茶碗の順にお湯をはる、のが織田流。

すると、「私たちも煎茶をやりたい」という話になった。

黒船が来た時、アメリカ人たちは「長屋の子供たちが縁台でままごと(煎茶)をやっているのに驚いた」らしい。
この街で「煎茶」・・・なんともいいかも?
日本人が、この20年間で、便利を追求したり、ボーダレスなことを
取り入れた結果、日本が日本でなくなり、日本人が日本人でなくなったような
気がするのは、私だけだろうか?

英語で蕎麦会

2007-06-26 06:34:38 | Weblog
昨日は順受の会。橋本左内の「啓発録」の最終回だった。
天座よろしく厨房の中で、蕎麦会の準備などをしながら、学んだ半年だった
けど、こころに染みるものが多々あった。
来月からは四書五經のひとつ「大学」を勉強する。
大学や会社では勉強することないけど、昔からこころざしをもった日本人
が諳んじたもののひとつ。順受の会では、2回目になる。

今日は「英語で蕎麦会」。
月に一度は岡倉天心の「茶の本」を勉強している。
昨日、松田先生にきいて驚いたけど、岡倉天心の師が、
橋本左内の姪っ子さんらしい。

最近英語の岩本先生が、酒が強くなった。
「お酒を飲みながらの英会話」で先生が下戸だとつまらない、ので、
ひそかに特訓をしているのかも・・・?

「茶」「書」「四書五経」・・・「火曜日はカルチャーの日」

明日・明後日は連休にします。決算月なので、山のように仕事がたまっている。
今日から「升たか作陶展」が渋谷の「炎色野」で始まる。
こんなコーヒーカップなどが、並んでいると思う。

順受の会

2007-06-25 05:19:21 | Weblog
今日は「順受の会」(人間の根っこを勉強する会)。
橋本左内の「啓発録」を有志で勉強している。
もう10年くらい継続している。小学校と大学を足すと
10年なので、10年続けて勉強しているのは「すごい」と思う。
後半は「大学」を勉強する。天真庵では、いろいろな「学びの場」
があるけど、個人的には、この会が一番好き。

昨日若い常連さんがきて、ホワイトボードに書かれた消えかけた文字を見て
「順愛の会?って、次々に愛を語り合う会なんですか?」と真顔で聞かれた。

人間の根っこを学ぼうとすると、たしかに「愛」にいくかも?

各地で「ワークショップ」とかカルチャーセンターなどが盛んだ。
相変わらず「自己啓発セミナー」や、問題になった英会話・・
いろいろあるけど、「人間」がベースになったような「学び場」が
少ないように思う。会社にも「人間」がいなくなりつつあるけど・・

今日の勉強会は「平成の寺小屋」みたいな感じ。
先生を含め、酒豪があまたくる!

骨とう市

2007-06-24 06:37:21 | Weblog
いろいろな場所で骨董市がある。
よく護国寺の骨董市にいった。煎茶の道具とか蕎麦猪口などを買った。

昨日、骨董好きの三上君が、「開店祝い」に、黄檗ものを持ってきてくれた。
宇治の黄檗山は、お茶と禅にかかわりが深く、歴代の老師たちの「揮毫」は、
すばらしいものが多い。
いただいたものは「洗心」と揮毫されている。
見ているだけで、心が表れるような感じ。

毎日、シャワーとかお風呂に入ることで、体はきれいになるけど、
心を洗うようなことは少ないのではなかろうか・・?

今日は門前仲町で骨董市がたつ。

碧雲荘

2007-06-23 06:03:42 | Weblog
南禅寺の横にある野村別邸。
南條先生が秋に、京都の野村美術館で「南條観山展」
をやってきたので、非公開のこの庭を毎年見学した。
これは昨年のもの。先生が個展をやめたので、残念ながらこの「大人の修学旅行」
も、今年からなくなる。

京都もいくたびに新しくなり、景観もきたなくなるばかりで、最近あまり魅力を感じなく遠のいてきた。秋だけは、碧雲荘を見るのを楽しみにしていたけど・・

「日本人のこころのよりどころ」みたいな街は、もっと大切に保存していかないと、日本人のこころがなくなるし、日本人がこの国にいなくなる、そんな気がする。



寒山拾得

2007-06-22 06:24:18 | Weblog
天真庵のきっかけになったのが、寒山拾得(かんざんじゅっとく)
の絵を描く南條先生とであったこと。15年くらい前のお話。

三越で個展をやっていた時。ちょうど雨がふってきて、雨宿りに
入ったら、作務衣をきた先生が声をかけてこられた。
先生「どこかでお会いしましたね」
小生「?」
先生「京都かどこかでお会いしませんでしたか?」
小生「京都時代は絵を鑑賞するような余裕はなかったです」
先生「では、前世であっていますよ」

そんな会話から、始まって、天真庵で12年も個展をやった。
2000年には、ニューヨークでもやった。

この春に体調をくずされ、今後は個展はやらない・・・
というハガキがきた。
晴耕雨読の生活をされるとのこと。
「この12年間は、宝物のようでした・感謝」と書かれていた。

お金には還元できない「宝」を、寒山拾得の世界からたくさんいただいた。
天真庵の一階に彼の書を飾ってみた。なかなか味わいのある書。

東京大空襲!

2007-06-21 07:43:12 | Weblog
昨日は朝焙煎をした直後に近所の「洗張り屋」さんの女将が遊びにこられ、
「ほぼブラジル」を飲んでいかれた。
たぶん天真庵で一番いい時間帯。夜に焙煎をすると、朝はやくに
くる必要はない。けど、焙煎はどうしても朝やりたい気分。

その直後におばあちゃんが来店。東京大空襲の時に、近くの川に死体
がたくさん浮いていた「地獄」みたいな話をしていかれた。本所で
食べ物やをやっていたそうだ。4ヶ月働くと一年遊んで暮らせるくらい
繁盛したけど、空襲で焼け、千葉にいってお店を再生して、それから東京へは
こなかった、らしい。戦争の傷跡というのは、今もいろんな形で残っている。

駅から新あずま通りを歩いていると「東京大空襲遺族の会」みたいな看板がある。
昭和20年3月9日の空襲は3時間で10万人の命が失われた。

昭和も戦争も遠くになってきたけど、世界の動きはまた、微妙な時を
迎えているように思う。

今日は定休日。
朝から仕事をかたずけ、戦闘モード。今日は銭湯でもいきたい気分。