長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

あずま町

2011-04-30 08:29:20 | Weblog
この界隈は昔「あずま町」といっていたらしい。
神話の一節からなずけられた。ゆかりの神社が近くにあったり、
吾妻橋、きらきら橘・・・とか、そこから命名されたものが多い。
今日の「アド街っく天国」は上野だけど、来週は「東あずま」らしい。
それを見ると、「歴史」がわかる。
5月15日(日)の「墨田ぶらり下町音楽祭」のこともでる予定。
3000円のチケットのうち、500円は、震災の義援金にした。
みんなへこんでいるけど、いつまでもへこんでいてもしかたがない。
いろいろな「たてなおし」「いきなおし」のヒントが音楽とか音楽祭には
いっぱいあるので、ぜひ多くの人にきてもらいたいと思う。
自然災害になったり、限界集落になったり、シャッター通りになったりしても、
そこに「音楽」があったり、ときどきお祭りがあったりするのは素敵なことだ。

この音楽会があったり、ときどきクラシックやジャズのライブがあったりして、
自分もお客さんも、日常と非日常をいききしたり、体内時計を調整したり。
こころを波立たなくしたり、して、バランスをとっているように思う。
そんなことがなくなったら、とっくに、天真庵は緞帳を下げていると思うし、
これからも、そんなことを大事にしながら、生きていきたいと思う。

今日は「お花の会」
山口の宇部から80歳になる原田先生が、花を教えにきてくださる。
こないだ、虚無僧の人が、「たむけ」という曲で、震災にあった魂を
鎮魂してくれたが、花もい、もともと「神に手向けた」ところから
始まる。夏祭りや盆の行事も、そういったことだ。仏教が入って
くる前から、われわれの先祖たちは、そうして連綿と「生」と「死」を
繰返してきた。

明日は「易占神社」
自然や神の畏敬の前で、謙虚に生き暮らしてきた人間の智恵
みたいなものが、集約しているように思う。
「明日」が見えるヒントがいっぱい。


こんな蕎麦屋がある。

2011-04-29 08:30:23 | Weblog
今日からゴールデンウィーク。
会社をやっていたころは、毎年のように東北を旅していた。
どじゃっこもふなっこも、桜も、いろいろな花も一気呵成に
春を楽しんでいるのがいい。とくに岩木山界隈の春は、縄文時代から
同じ景色に違いなく、こころの原風景みたいなもんを感じる。

岩木山もそうやけど、熊野も縄文とかかわり深い修験の地だ。
水曜日にbunkanで、チキンカレー(日替わり店長制で、水曜日はチキンカレー)
を食べていたら、霊験あらたか?な不思議な青年が入ってきた。天真庵にも
きたことがあるその青年は、熊野古道を歩いてきたらしい。都埃によごれた
我々にはないオーラにつつまれていた。うちの店も坊さんや、虚無僧や、役行者(えんのぎょうじゃ)の末裔みたいな人たちがときどききたりするけど、bunkanも
「奇人の会員制倶楽部」といっていいくらい、不思議な人が集まる。

水曜日の夜は「ピアノとチェロの調べin天真庵」で、チェロの竹本聖子さんと、
ピアノの野代奈美さんが、ハイドンやシューベルトの難しい曲をみごとに
演奏してくれた。最後はメンデルスゾーンの「チェロ・ソナタ」で〆ようと
思ったらしいが、鎮魂の意をこめ、ハンガリーの作曲家・コダーイの「アダージョ」
で締めてくれた。前回はもちろん311の前だったので、演奏も聴いているお客さんも
理屈ではなく、違う空間の中で音楽を聴いているようだ。これからも復興に時間がかかるし、われわれの生き直しにも、膨大な時間がかかりそうだけど、毎日毎日、
繰り返しの中で新しく身につけていくしかない。

昨日は朝起きて、ブログもかかず、車にのって、桧原村の新緑を見にいった。
昨日は二時間かからずに、東京の酸素をつくってくれている深い森の中にいけたけど、
今日いくと、5時間以上はかかるだろう。
教えたくない行き着けの蕎麦屋のおやじに、「たらの芽」「こしあぶら」「山うど
の葉」などのてんぷらをあげてもらい、それで地酒を飲み、〆の蕎麦を手繰って
かえってきた。
看板も目立たないし、営業日もきまっていない。壁に「もりそば700円」と書いて
あるだけ。でも山菜やきのこ摂りの名人だし、渓流つりもくろうとはだし。
そばうちも自己流の生粉うち。一回、20人分をうち、売り切れじまい。東京の酸素をつくってくれる豊かな新緑や、涼やかな風、うぐいすが、歌い始め、ホオジロが「一筆啓上、仕りそろう」と鳴く。自然はみんなごちそうだ。蕎麦屋をやるなら、こんな蕎麦屋
にしたい、と思う。

明日は「お花の会」
明後日5月1日は「易占神社」朝は「卵かけごはん」

来週は水曜日・木曜日は休まず営業。かわりに金曜日をお休みにします。
5月7日(土)の「アド街っく天国」は「東あずま町」。
この界隈のこと、5月15日の「墨田ぶらり下町音楽祭」などが、紹介されます。
チケットは、はやめに購入しとかないと、売り切れになるかも。

ゴールデンウイーク

2011-04-27 07:45:10 | Weblog
そろそろゴールデンウィークだけど、今年はどうやって過ごすのだろうか?

311以降に自分の生活で変ったこと。
炭を焚かなくなった。あまり寒くなかったけど、生きた竜の
背中の上で生活していることを実感し、すぐに消火できないものは敬遠ぎみ。
二階や、いらない電気は消しているので、「やってますか?」といって入って
くる人が多くなった。公共のトイレみたいに、玄関から入るときに、電気を自分
でつける式のカフェができたりして?先月のお店の電気代が7000円をきった。
化石エネルギーをなるべく使わず、つかうところはLEDにしたり、した結果。
石臼をひいたり、手回し焙煎にしたり、夏は「水出しコーヒー」にしたり、けっこう
低エネルギー・ローテクなお店だ。

3月から水木が連休になり、毎週のように東京を離れて、茨木や千葉
へ買出しにいっていたが、最近は近辺にいることが多い。
飲食店の売上も、どこも下がっているので、なるべく近くの、一生懸命に
がんばっている個人経営のお店にいって、食べるようにしている。先週は
「ポカポカ」(正式にはなんていうのかしら?)、開店した押上文庫にいったり
した。5月には「東京スコーン」が近くにできる。bunkanで月曜日にやっていて、
昨年の秋の「JAZZ十間橋」や5月15日の「墨田ぶらり下町音楽祭」
にも協力してくれてる子。

震災の後、自分の体をもう一度鍛えようと思い、散歩やジョッギング
にプラスして、ストレッチやヨガみたいなことを取り入れたりしている。
先々週のある日、東向島界隈をジョッギングしていたら、怪しげ?な看板を
見つけた。「玉ノ井」といわれた花街の中で30年近くやっている不思議な
治療。1日4人くらいしかみれないらしく、なかなかいけないけど、
霊力みたいな不思議な力をもった老人がいた。ぼくのまわりの、そんな世界に
興味がある人が何人か、そこにいった。どうやら「ほんもの」たしい。
でも、万人が「ほんもの」と感じるわけではない。
どの世界も「わかるひとはわかる。わからないひとはわからない」
昨日の順受の会にきた、Tさんも今日いくらしい。彼とはホノルルマラソン
もいっしょに走った。あまり懲りすぎると、マラソンも体に悪い?
「なにごとも中庸が大事」なことを、順受の会で勉強している。

温故知新・・・古いものには、学ぶところが多い。今回の地震で福島から仙台
にかけて、江戸時代につくった街道は、津波がきていないらしい。
もっといえば、縄文人たちも、津波のこない高台で生活していたらしい。
昔、本で読んだけど、日本人には、縄文人のDNAをもった人と
弥生(大陸からきた)のDNAをもった人に、大きくわかれるらしい。
東北の人は縄文のDNAをもった人が多いらしい。縄文の人は「耳垢がじとしと
している」、弥生の人は「耳垢がかわいている」らしい。
どうも、ぼくは縄文系かも?

今日の夜は、「ピアノとチェロの調べ」(超満席になった。今日も元気に蕎麦をうとう)

ピアノとチェロの調べ vol.2 at 天真庵


・ハイドン=ピアティゴルスキー:ディヴェルティメント 二長調

・シューベルト:アルペッジョーネ・ソナタ イ短調 D.821

―――――――――――――

シューベルト:美しき水車小屋の娘より「どこへ?」 D.795-2
       夜と夢 D.827

メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ 第2番 二長調 op.58

コダーイ:アダージョ



[チェロ] 竹本聖子
[ピアノ] 野代奈緒

5月15日(日)は「墨田ぶらり下町音楽祭」
お祭りは自粛ぎみだけど、日本人は縄文の時代から、
「お祭り」によって、日常と非日常、この世とあの世、
自然に感謝したり畏敬したりしてきた。









染めもん展

2011-04-26 09:26:25 | Weblog
先日、からふねやの後輩もきたけど、京都からもうひとり、
河野さんがこられた。京都弁では「きはった」。
池袋時代から秋に、「染めもん展」をやってくれていた「とむさん」
こと、野村富造さんが、3月に突然旅立った。
病院からメールがきて、「生きてる間は、ずっとやるつもりでいたけど、
そろそろ緞帳を下ろす時がきたかもしれんわ」みたいなことが書いてあった。
「そんなへこんだこといわんと、しっかり生きてや」みたいな変事をしてから
しばらくして、訃報が届いた。まだ自分の中では、消化されていないことやけど、
秋に予定していた染もん展を、彼の遺作展にしようということになった。
とむさんが残してくれた「美しいもん」を見ながら、みんなでおいしい酒でも
飲みたいと思う。昨年のオープニングに演奏してくれたかよちゃんたちの「バロック」
を聴きながら、飲もう。年を重ねてくると、友だちも増えるけど、減ったらあかん
友だちも昇華していくことも多く、寂しいもんだ。

今日は「順受の会」
月に一度、天真庵が「儒学バー」になる日。
論語や東洋思想を勉強している。今は王陽明を勉強している。
へんな会だけど、一番長くやっていて、メンバーも健啖家や酒豪ぞろい
だけど、まだ鬼籍に入った人はいない。誰が一番やろう・・

明日明後日は連休。
明日の夜は、「ピアノとチェロの調べ」

ピアノとチェロの調べ vol.2 at 天真庵


・ハイドン=ピアティゴルスキー:ディヴェルティメント 二長調

・シューベルト:アルペッジョーネ・ソナタ イ短調 D.821

―――――――――――――

シューベルト:美しき水車小屋の娘より「どこへ?」 D.795-2
       夜と夢 D.827

メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ 第2番 二長調 op.58

コダーイ:アダージョ



[チェロ] 竹本聖子
[ピアノ] 野代奈緒

5月15日(日)は「墨田ぶらり下町音楽祭」



京都からふね屋

2011-04-25 06:47:07 | Weblog
ぼくが珈琲を修行したとこ。
昨日そんときの部下だった子が遊びにきた。
最初にあったときは、美大を卒業したばっかりのころで、
おぼこい子だったが、今は昔や。お茶の教授になり、文人
みたいに悠々と暮らしている。

お店がひけた後、押上文庫にいった。開店して初めて。
玄関には、酔香さんが贈った花が春爛漫と咲いている。
カウンターの上には、京都の陶芸家・三浦竹軒の書が
飾ってある。煎茶道具の大御所・初代三浦竹泉の三男。
煎茶では、結界と掛軸があれば、基本的には「茶室」とみなす。
スタインウェイのピアノが結界となり、竹軒の書を飾るところが
床の間、という配置だ。

広島の亀齢を所望すると、吉野さんの新作の絵唐津のぐい飲み
がでてきた。にくらしい演出だ。徳利は赤織部。
久保さんの志野の筒むこうに、もずくが盛られてきた。
そのうちに、備前の陶芸家の森本良信さんがやってきた。
もうすぐ青山のギャラリーで個展をやる。彼の酒器は、大きすぎず(
最近の作家のものは、大きすぎていけないものが多い)、いい感じだ。
酒を飲むときの、「味」をひきたてる。若いけど、有望な作家だ。

今日は「卵かけごはん」。
少しはやめにくるお客さんがいるので、いそぐとするか・・・

夜は「墨田ぶらり下町音楽祭」の打ち合わせ。
みんなで協力しながら、文化的なことを発信できる、そんな
幸せなことはない。このお祭りが、秋にジャズ祭になり、また
南千住とか、いろいろな町に静かに、優美にひろがっていくことを
願う。
今回は現代音楽ブースに、「やまねさん」が演奏。震災の後の
N響の演奏は、鎮魂の演奏というか、やはり日本を代表する音楽家たちが
命がけで演奏していて、素晴らしい。そんな「魂」をもった音楽家たちが
5月15日に、演奏してくれる。
明後日のクラシックの演奏会も、きっと素晴らしいものになるだろう。
とっくに満席ではあるが・・・



年に5日くらい

2011-04-24 08:18:04 | Weblog
しかないくらい、爽やかな風を感じる朝。
昨日が一日中雨だったので、よけいに感じる。

掛軸を整理していたら、南條先生の「月取り」と箱書きした
ものがでてきた。2000年にニューヨークで個展をしたときに
もっていったものだ。久しぶりに飾ってみた。押上天真庵では
初めてのものだ。拾得(じゅっとく)が、月をみつめ、箒で
それを掴もうとしている。まさに「つきとり」。日本人が
みんなへこんでいるときだから、ぴったりの絵かも。
「つきをとる」「ついてる」と思っていたほうがいい。
生きている間に、時代の断層みたいなものと出会え、生き方を
かえることができる、というのも、「ついてる」と思えばついてる。

良寛さんが、新潟で大地震に遭遇した時も、「災難にあうときは、
あうのがよろし。死ぬときは死ぬのがよろし」と、いったらしい。
「任運 」運を天にまかせて、生きている間は、生きて生きて
生き抜く。寒山の詩をときどき読んでみると、生きていくヒントが
いっぱいつまっている。

今日は「エリカ庵」
自分の体も宇宙、天みたいなもんやね。最近つくづくそう思う。
五十肩が重症にならず、毎日元気に蕎麦を打ってられるのも、
ふたりのお陰だ。

5月15日(日)は「墨田ぶらり下町音楽祭」
明日の朝は「卵かけごはん」
夜は、ぶらりのミーティング。

火曜日は「順受の会」
論語の会。無事これ名馬、みたいに長く続いている勉強会。

水曜日は「休み」だけど、夜が「ピアノとチェロの調べ」
演奏:野代 奈緒(ピアノ)・竹本 聖子(チェロ)
19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)



人間 本来無一物

2011-04-23 08:23:44 | Weblog
梅雨がくる前に、掛軸の虫干しをする。
余震も続くので、昨日は、九州の実家に
一部を避難させた。南條先生の「寒山拾得」の軸
なんかを中心におくった。将来どこかの田舎で隠居するときに、
それを眺めながらお茶でも楽しめたらと思う。
パソコンをおいてあるこの部屋の上に、寒山拾得と寅にのった豊干禅師
の絵が飾ってあり、そこに「本来無一物」と書いてある。

人は裸ひとつで生まれてくる。そしてひとりで何ももたずに帰っていく。
本来無一物。お金や家や車は、借り物。友だちや、親や女房、子どもも
借り物。必要な時に、神さまが貸してくれて、必要がなくなると、返す
ようなもの。そんな気持ちになると、乞食みたいな豊かな気持ちになれる。

昨日の「ダメ中」で、まいこさんが、仙崖和尚の詩を紹介した。
その中にも、「一椀の飯と一杯の茶がありさえすれば充分」
というのがあった。和尚が最初に博多の聖福寺に来たとき、
博多の坊さんたちが、托鉢をいやがったという話が残っている。
その時に和尚は、「人間は、誰ひとり、ひとりでは生きていくことが
できない。いろいろな人に食わせていただいている。まさに乞食みたいな
もので、托鉢して、施しをいただくという行こを、大切な修行である」
みたいなことを説いたらしい。仙崖さんも、もちろん好んで「寒山拾得」
を描いた。「寒山」は洞窟の中に住み、ぼろを着て、詩を書いたりした。
文殊菩薩の化身といわれ、絵の中では蒔絵をもっている。拾得は、お寺に
拾われたので「じゅっとく」と命名され、絵の中では箒をもって描かれる。
普賢菩薩の化身である。この風狂で世俗を超越した境涯を「寒山拾得」の
絵をかくことにより、禅林や画家たちが、登竜門としてきた。

昨日、升たかさんから電話があった。「最近、寒山拾得の世界を表現したくなった」
とのこと。アバンギャルドな寒山拾得が、この混沌とした世界の中で、またちがった
かたちで暴れまわるのが楽しみだ。

生かされていることを謙虚に思い、いろいろな人に食わせてもらっていることに
感謝していく。毎日1歩1歩、そんな繰り返しの托鉢をしながら、みんな生き暮らして
いけばいいと思う。今日も一服の幸せがある。喫茶去。



今日はダメ中

2011-04-22 08:19:27 | Weblog
昨日は午後から煎茶のお稽古にいった。織田流煎茶道は
東北を中心に活動してきたので、今回の震災で存亡の危機にある。
家元は、仙台の自宅で家も体も無事だったが、その後自宅で心労も
重なり、静かに昇華された。まだ葬儀もできない状態で、家元継承
の手続きなど、いろいろ問題も山積み状態。でもこんな時ほど、煎茶
を楽しむような余裕が必要だと、多くの弟子たちが、表参道に集い
お茶のお稽古に励んでいる。

昨日は「かぼす大使」が大分からぼんたんの御菓子をお土産にもって
きてくれたので、それで、宇治の上林の煎茶を飲んだ。彼女の紹介で
大分の竹の人たちが天真庵にやってくるようになった。おかげで
「大分病」に感染している人が多い。豊後(ブンゴ)、昔から大分は
豊(トヨ)の国と呼ばれている。昔の外国の地図では、九州を「ブンゴ」
と表していたらしい。押上にも「ぶんご」くんが、押上文庫を開いて、
スタインウェイのピアノがあって、文化度を押あげてくれた。

今日は「ダメ中」こと、ダメから始める中国語の日だ。
まいこ先生が学問を究めるために名古屋に移り住んだので、
月に一度、名古屋からきてくれるようになった。
名古屋といえば、「ラブリー」という老舗のジャズライブハウスがある。
4月16日には、「天才nobie」がライブをやった。6月4日には、
大石学さんがライブをやる。その大石さんが7月に天真庵デビュー。
元気シールの「TQ技術」も名古屋で生まれたものだ。

日曜日は「エリカ庵」
余震があったり、いろいろ心配してコリコリになった体を
ほぐしてもらおう。

26日火曜日は「順受の会」
論語の会が、時代に近づいてきた。


27日(水)は、天真庵のHPの表紙の写真のひたりのコンサート。
マスコットガールズみたいな、娘みたいなふたりだ。

「ピアノとチェロの調べ」
演奏:野代 奈緒(ピアノ)・竹本 聖子(チェロ)
19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)

5月15日は「墨田ぶらり下町音楽祭」。25日(月)の夜に
二度目の打ち合わせ。




頼山陽と田能村竹田

2011-04-21 07:49:35 | Weblog
田能村竹田という、文人がいた。昨日彼の掛軸を飾ってみた。
文人たちが、山紫水明の里で、煎茶を楽しんでいるような絵だ。
大分が産んだ巨匠だ。「亦復一楽帖」という画帳は国宝だが、
頼山陽との交流や書簡のやり取りがもとになっている。それが煎茶を
隆盛にした大きな要因でもある。日常の中に宝ものみたいな「楽」を見出し、
「これも、またまた一楽」なんていいながら風流を楽しんだ。

先週紹介した、頼山陽の詩に、
「京都三条の糸屋の娘、姉は十六、妹は十五、諸国の武者は弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺す」というのがある。中学一年生に教える先生がいるのがうれしい。
頼山陽といえば、「川中島」の詩吟がある。どうしてか?がわからないけど、
北九州の小学校では、5年6年になると、騎馬戦をやる。川中島とはゆかりの
ない土地だけど、昔から「ならわし」になっている。運動会のクライマックスだし、
停学年のころは、将来のために、(白)(紅)にわかれて、「いざ、このたーびは、
信玄を・・・」なんて練習する。本番になると、どこからか詩吟の名人がやってきて、
川中島を歌う。


♪鞭声粛々 夜 河を渡る
 暁に見る 千兵の大牙を擁するを
 遺恨十年 一剣を磨き
 流星光底 長蛇を逸す♪

そして、低学年のころより頭にたたみこまれた歌を、歌いながら
戦場を浄化していく。

(白)いざこの度は信玄を ( 僕は、「この旅は」と長いこと勘違いしていた。)
(紅)いざこの度は謙信を

(白)打ちはたさんと甲斐路より(これも、内畑さん・・人の名前と思っていた)
(紅)打ちはたさんと越後より
(白)信濃に出でし謙信の
(紅)信濃に出でし信玄の
(白)率いる兵は八千騎
(紅)率いる兵は二万余騎
(白)隊伍正々堂々と
(紅)川中島に出でし時
(白)秋の日は早暮れ果てて
(紅)水の音のみいや高し
(両軍)水の音のみいや高し

きっと、教育委員会かそこらに、頼山陽とか田能村竹田の熱烈な
ファンがいたのだろうと思う。
そんな因縁がどう作用したのかしれないが、木曜日は「煎茶」
を楽しんでいる。この秋には、看板をいただく予定だ。
「長屋茶房・天真庵」と命名したのも、そんなことがきかけ
でもある。「喫茶去」(きっさこ)・・みんな元気がなくなって
しまったけど、この気持ちを大事にしたい時でもある。

明日は「ダメ中」
ダメから始める中国語。まいこさんが京都、もとい名古屋から
やってきて、中国語を教えてくれる。中国の文人たちの詩も
紹介されたりして、とても内容のある勉強会だ。

日曜日が「エリカ庵」
整体というのも、東洋の神秘というか、悠久の時間をかけて
つくってきた人間の体の宇宙を探索するような楽しみもある。
人間の智恵で、原発なんてつくってみても、自然の大きさから
いったら、はなくそにもいたらないほど小さいものだ。
今回の地震で日本列島が東へ少し動いたみたいだけど、もともと、
ユーラシア大陸から分離したものだ。自然の力というのは、計りしれない
くらい大きい。「命」をもう一度、大切なものとして、とらまえたい今日このごろ。

かじかむような朝

2011-04-20 08:45:02 | Weblog
昨日かっぱ橋に買出しにいってきた。
雷門の前に外人がいない。まるで「鎖国」になったみたいだ。
カッパ橋も人が少なく、ひさしぶりに骨董やをのぞいてみたら、
「東北からものがはいらないので、困っています」とのこと。
今後5月から夏にかけて、全国どこの街も、観光をはじめ、飲食や
どんな産業も、開店休業みたいな状態に陥る覚悟が必要かもしれない。

昨日は「書」の会だった。「天真庵」の看板を書いて以来、ひさしぶりに
貞本先生が、「今日は作品をひとつ書きたい」というので、久保さんの
「筆洗」(ひっせん)をかした。
薄墨で、「南無阿弥陀仏」を書いた。とくに、「南無」をごく薄に書いた。
「南無」というのは、表札みたいなものだ、と学生時代に大徳寺の坊さんに
きいたことがある。訪ねていきたい場所があり、やっとたどりついたら、
そこに、自分の表札があった。つまり、いきついた場所、帰っていく
場所みたいなものだろうか。多くの仲間たちの命が、阿弥陀如来の懐に
いだかれる、そんな願いが込められている、みたいな意味だろうか。
久しぶりに、少し余計に酩酊しながら、そんな談論風発の夜だった。

さっそくさっき、隣の隣の隣にある、この街のコンシェルジュの
経師やさん、黒崎さんに、裏打ちを頼みにいった。
「あいよ」と、快諾してくれた。

今日は「卵かけごはん」の収録が某テレビ局であるので、朝から
その準備におわれている。
5月以降は、「そばや」でも「喫茶店」でもなく、「卵かけごはんの天真庵」
になるかも・・・・ぼくも、開店休業みたいな状態になるかも・・・
そしたら、どかか旅にもでようかしらん・・