今日で10月は終わり。京都の商家では、みそかの日に「きらず」を
食べる。「おからさん」ともいう。今月いただいた縁がきれませんように、という縁起から
そのような風習ができた。京都でやると、なんやら本流みたいやけど、博多の商人も
「うちもやるばい」といっているし、かごんまでも「おいどんとこもやるおます」とおっしゃっている。
つまりは、日本人が縁を大切にしてきたということ。
大みそかには「年越しそば」を食べるのも、おなじく「つなぎ」を使うそばを食べて、縁を切らさない
ようにという願かけやね。ほんとうに、日本人というのはすばらしい。そんないい習慣とか、日本人
そのものが絶滅危惧種になりそうやので、きらさないように、みんなでがんばっていかんとあかんばい。
昨日は、織田流煎茶道の仲間と来月のお茶会の打ち合わせをした。今月昇華されたお花の師匠・原田先生
のありし日の茶会のビデオをみながら、煎茶を楽しみ、偲びましょう、という企画。すすり茶でいくことになった。
ちょうど「珈琲ドリポット」と同じタイミングで久保さんがつくってくれた「すすり茶碗」を使うことになった。
だいたい話がきまって、いつものように、焼き締めの「珈琲ドリポット」で珈琲を入れていると、
「珈琲のお手前みたい」と、美しい笑顔でおっしゃる、ので、「そうや」と答えた。昨日のシアトルから
きた人のように、「これうりもんですか?」という。「わしは、みせもん。これはうりもんやで」というと、
「ゆずってくれはりますか」というので、茶箱に入れて、長崎にもっていく予定の「秘蔵の愛用品の焼き締めの珈琲ドリポット」
が、煎茶の先生とこへ嫁いだ。しかたないので、島原のそば会&茶会には、南島原のなつき君とこへ嫁いだ
ものを借りるメールを打つとしよう。
旅するときに、昔はお茶道具をいっしょに同行した。「旅ちゃわん」なんて風流な言葉や。
これからは「珈琲ドリポット」とちっちゃいミル、車がある人は「珈琲の石臼」もっていくと、旅が10倍
楽しくなる。今回はそれに、蕎麦道具、茶道具を入れて、明日の夜から「旅人」になる。
これから「卵かけごはん」
明日は「英語で蕎麦会」
楽しかったです。昨日、野村さんのところから、無理やりお嫁に奪ってきたドリポットで珈琲を飲みました。おいしすぎて、飲みすぎました。残っていたかなり深炒りの豆でいれましたが、かどがとれて、まろやかなお味になりました。せっかく譲って頂いたので、大切にいたします。
なんか南の国で育った珈琲豆みたいで、いいね。
「珈琲手前」を真剣につくって、世界にいこね。
ぼくの名は・・・・南九・・・サンキュー・感謝