長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

夜逃げのような夏休

2011-07-31 08:30:49 | Weblog
昨日はお花のお稽古。
宇部から原田先生が、やってきて、すかっと、すぱっと、
した潔い華道の極意を教えてくださった。

今月は「長州な月」だった。
初日が、N響のやまねさんのライブ。彼は山口下関出身。
nobieのライブもやった。彼女のお母さんが下関出身。
国貞雅子とゲルシーのライブ。国貞雅子も山口出身。
そして、大石学さんのソロライブ。大石さん、やまねさん、国貞雅子
が、共通の「音楽の師」をもつ、というほんとうに不思議な「えにし」
で繋がれていた。ピアノを調律してくださったカリスマ調律師も、
下関の出身。そして、昨日が原田先生。

どうだんつつじは、「満天星」とかく。いいえて妙で、枝ぶりが、
みな個性的で、そのまま、信楽や備前の大壷に投げ込んでも絵に
なる。昨日は、それを竹の寸胴に生けた。まず、「真」をきめる。
「真」は天真の真でもある。つまり、自然のまま、ありのまま、という
意味でもあり、「しんがしっかりしている」のしんでもあり、「心」
でもある。「凛」という姿と背反する「やさしさ」も内包する必要がある。
それがきまると、副(そえ)をきめる。これはいわば女房役。真の
向きや形によって、融通無碍に働く、まさに「働き者の女房」だ。
「真」が夫で、これがどんなにえばっていても、副い役(女房)がしっかり
していないと、まとまりがつかない。
お茶やお花のお稽古は、お茶をうまく入れる、とか、お花をうまく生ける、
とかいうハウツーよりも、「どうやって生きていく」みたいな本質的なものを
学ぶことのほうが、多い。

午後からは、戦車くんが花のデビューをした。久保さんの志野や、焼締めの
花器に、自由自在に「投げ入れ」をしていた。投げ入れも、方程式もなく、
ただ花を投げいれているように見えて、なかなか奥深いものがある。見えない
器の中で、茎同士がささえあったり、からみあったり。こたつの中で、中のいい
男女が、足をからませあったりするような艶冶な雰囲気がだせるように
なったら一人前だ。戦車くんは、今日の竹細工にも参加する。はやく天真庵の
近所に越してきたほうがよさそうだ。

というわけで、今日は「竹細工」。
竹は、お花やお茶の世界でもおおいに活躍してきた素材だ。
一般の生活の中でも箸や、ざるや、お猪口や、酒器や・・
いろいろなものに使われてきた。

明日から12日までは「夏休」
本をいっぱい詰め込んで、予定もたてずに、ぶらりと、四国経由で
九州まで、お遍路みたいな旅をしたいと思う。途中何箇所かの旅館に
予約を入れていたけど、しばられるのがいやなので、キャンセルした。
旅は「なりゆき」に任せるのがいい。人生の旅もそうしたいものだ。
風がふいて、桶やが儲かろうが、気にせず、どこかの温泉に入って
湯に酒器の入った桶でも浮かべ、この世ともあの世ともわからないような
境地に身をおくに限る。

8月は1日から12日まで休み。


8月19日(金) ぐりんぴーす 薩摩琵琶とピアノの音色
演奏:榎本百香 (薩摩琵琶)・伊東麻奈 (ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)
9月から「うた小屋」という新しい教室を百香ちゃんがやってくれることに
なった。


8月27日(土) もにじん花火大会 らいぶ(墨田花火大会。浴衣か甚平がドレスコード)
演奏:長澤紀仁(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)
17時開場 17時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲付き)

8月31日は「ねっと31」の二回目。
国貞雅子の弾き語りを聴きながら、酒を飲む。19時から会費4000円。




花のお稽古

2011-07-30 08:35:35 | Weblog
今日は、花のお稽古。昨日、タイムドメインの時に、
花屋さんが、満天星(どうだんつつじ)をもってきてくれた。
昼間でも、満天の星のように緑の葉っぱがキラキラと輝いている。
信楽の大壷に投げ入れるだけで、あたりが凛とした宇宙になる。
さて、今日はどんな風に生けるのだろう。
花を生けるというのは、ある意味、花のお葬式みたいなものだ。
野に咲くものを切り、花器に入れることによって、その花の生命が
消えいくものになるけど、その刹那の輝きは永劫に生きる。矛盾
しているようだし、禅問答みたいだけど、そのとおり。
落飾・・切り落とすことにより、生きる世界がある。

昨日の19時過ぎにJ-WAVEから電話があることになっていた。
すこし緊張したけど、タイムドメインの仲間たちが、気付け?か
度胸付け?か錯乱?のためか、ワインとか日本酒をすすめてくれたので
、すこし飲んだ。ちょうど、「英語の蕎麦会」の岩本先生夫婦が、きた。
「結婚して1年になりました。」とのこと。このふたりを結んだのは、
まちがいなく天真庵に居る神様だ。トイレではなく、厨房あたりにいそうな。
「文膳」を出しながら、四方山話をしていたら、ラジオ局から電話。
締めの蕎麦を急いで食べて、彼らは二階にいって、ラジオをきいた。
いい記念になった。

「ビル・スメール」が「ぼくの名前はビル・スメール。この教室は
ビールとスルメで英会話」という不思議なギャグから始まり、それを
受け継いだ岩本さんになってから、もうかれこれ7年になる。
石の上に3年、英語を習って7年・・どんな道を終わりがない。

明日は「竹細工の会」
文人たちは、号によく「竹」を使ってきた。隠居の場所は
必ずといっていいほど竹林の中。不思議な桃源郷がこの世界にはある。

8月は1日から12日まで休み。

8月19日(金) ぐりんぴーす 薩摩琵琶とピアノの音色
演奏:榎本百香 (薩摩琵琶)・伊東麻奈 (ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)
9月から「うた小屋」という新しい教室を百香ちゃんがやってくれることに
なった。


8月27日(土) もにじん花火大会 らいぶ(墨田花火大会。浴衣か甚平がドレスコード)
演奏:長澤紀仁(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)
17時開場 17時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲付き)




タイムドメイン

2011-07-29 09:09:41 | Weblog
今日はタイムドメイン。
月に一度、CDとか食べ物、飲物を持ち込んで
パーティー。もうかれこれ7年くらいやっている。
不思議な会だ。今日は途中でJ-waveに、電話で生出演も
あるので、はちゃめちゃになるかも。

一昨日の「落語」はおもしろかった。近所に住む歌舞伎役者の
中村さんが、素敵な着物でこられ、雰囲気がいっそうよくなった。
まんまくんも「ちりとてちん」を、とちらず、楽しくやってくれた。
終わった後に、「これ、ちりとてちん」といって、蕎麦豆腐をだした。
もちろん、これは腐っていないけど・・・
まんまくんは、予選を勝ち抜いて、社会人の落語大会にでることが
きまった。壮行会をかねて9月7日(木)にも、「二階で落語かい」
をやることになった。

昨日は、朝起きてすぐに本だけもって、桧原村の温泉にいき、
喜正という地酒を飲みながら、ゆっくり本を読みながら昼ねし、
夕方は煎茶のお稽古。久保さんの斑唐津の茶碗で煎茶をいれた。
御菓子は「旅枕」。

明日は「お花のお稽古」
明後日が「竹細工」

二階で落語かい

2011-07-27 10:37:45 | Weblog
今夜は、二回目。

ぼくのHPに「蕎麦WEB博覧会」?そんなバナーが
貼り付けてある。その中に天真庵が紹介されていて、その写真
は、先月の落語会の写真が貼り付けてある。
ま、それはともかく、ここに紹介されている蕎麦屋を見ていると、
今すぐいってみたいところが、あまたある。
「幸せになれる蕎麦屋」を知っている人(楽しみ方を)は、幸せな
人だと思う。なんでも「使いこなす」という努力がないと、奥深い
幸せは味わえない。
でてきた蕎麦を写真に撮ろうなんていうのは、間がぬけた感じやし、
ほんまに伸びてしまう。いつから日本人はみな間抜けになったんやろ。

そんなわけで、今日も東京に居る。

今日の「ひとりごと」に、天真庵のトイレにある南條先生の絵「居」
について書いた。先日大石学さんのピアノの音に、「居」の意味を
教えられた気がした。
蕎麦の実も、毎日食べるごはんも、珈琲の豆も、ひとつぶひとつぶが、
「命」で、だれかが手をかけて生かし育てたものだ。粒々皆辛苦のたまもの。
だから昔から日本人は、ごはんを食べるときに、「いただきます」と、感謝しながら
命をいただいてきた。
「居」 ここにこうして、生かされている自分がいて、生かされている君と
いっしょに、居て、いっしょに珈琲を飲んだり、ごはんを食べたり、ときには
お酒を飲んだり、音楽を楽しんだり・・・そんな人生の妙な「えにし」に素直
に感謝するような意味が「居」の中に、居る。

昨日は「順受の会」だった。一番古い勉強会。
論語や陽明学やときどきは「禅」みたいなことを、机を並べ
学び、酒を酌み交わしながら談論風発をする日。まさに「共育」。
「喫茶去」や「居」をともに体感しながら、人生の妙味を味わう会。

2010/04/28(723)の「ひとりごと」に登場するピアニストの金崎美和子
さんが、先日旅立たれた訃報がはいる。
酸素ボンベを携えて二度も天真庵でピアノを演奏してくれた。
「何の病気ですか?」と訪ねたら、「軽い肺炎」と笑っておられたけど、
そんなはずはなかった。最後まで、気骨にあふれたピアニストだった。鎮魂。




儒学バー 天真庵

2011-07-26 08:31:56 | Weblog
昨日は、「クラシック寺子屋」だった。
いっけんとっつきにくそうなテーマだけど、元気な女子が
たくさん参加された。林太郎くんの面目躍如。ピアニストは
もてるのだ。一見、関西の下関系の若いもんみたいな風采だけど、
ピアノを奏でる姿は、クレイダーマン?にも負けないくらいカッコいい。

午前中に、ショールームの絵を衣替えし升たかさんの「裸婦」
にした。墨の濃淡で女性の裸の美しさを見事に表現している。
とくに微妙なところが、妙に艶冶に表現されている。
いつもは、二階に掛軸として飾っていたのだが、たまには外を
見るのもいいかと思い飾ってみた。「アート」というのは、人を
寄せ付ける力がある。昨日はこの裸婦にひかれて、いろいろな人がきた。

今日は天真庵の一番古い教室。「順受の会」(論語の会)だ。
世のなか、静かだけど、論語のブームらしい。
「ハウツーもの」もよくでている。
「ビジネスマンの論語」・・・タイトルがいやらしい。「売ろう」
という作為が見える。買うほも「これ読むと給与があがる」
と思って買うのだろうか?
「雑誌にでているお店だから」というような人が集う店は、そこの
お店の料理を食べているというよりも、雑誌を食べているようで
気持ちが悪くなる時がある。

論語といえば「人不知而不慍」(人知らずして、慍(うら)みず)
人に評価されようとか、評判になるためにやっているのではない。
誰が見てなくても、自分自身のためにやっているんだ。そんな気骨
が必要な時代かも知れない。
「順受の会」では、いろいろなことを学ばさせてもらっている。感謝。

明日は休みだけど、「二階で落語かい」
似合いすぎるほど、落語にぴったりな二階だけど、開店して以来、
落語は先月がはじめて。明日で二回目。15年以上続いている「論語の会」
も、はじめは一回目だった。人が数人のときもあった。
「こころざし」さへしっかりしていると、続くものだ。
お祭りの続いている街は、やはりいい街。いい街には、いい人が
いっぱいいる。いい人をいっぱいにするには、まず自分がいい人
になることだ。



クラシック音楽の寺子屋

2011-07-25 07:37:05 | Weblog
昨日、林太郎くんがふらりと珈琲を飲みにやってきた。
全国各地でコンサートやイベントで忙しいみたい。
芸者は呼ばれるうちが花だ。ぼくらの商売とよく似ている?
(ぼくは、呼ばれることはない・・そのうちカッポレで声が
かかればいいけど・・)

彼が主催する「クラシックの寺子屋」が本日ある。
クラシック音楽には門外漢だったけど、2007年の年末、
もういくつ寝るとお正月というころ、ヨーロッパから帰国して、
運悪く押上駅前に「居」をみつけた林太郎くんが天真庵にやってきた。
そののりで数日後には、カウントダウン蕎麦会(だらだら忘年会)に参加し、
くされ縁のように、うちにくる芸術家たちと親交を深め、いっしょにコンサート
やツアーなどをやっていくハメになった。そして、震災の日も、すぐにかけつけて
、その後に、「クラシック音楽の寺子屋をやらせてください」と申し出があって、
今日にいたる。何事も「とりあえずやってみる」ことが大事だ。
なかなかこれができる人が少ないけど・・・

あいかわらず、めどき(女時)というか、夜の勉強会は、女子ばっかり
だけど、楽しい勉強会になりそうだ。

明日は「順受の会」
この会は、「♪女の座る席がない」(我が母校・立命館の応援歌にそんな
のがあった)くらい硬派な会。
幹事になりかわって、「女子も熱烈歓迎」

今日は、10時まで、「卵かけごはん」だ。いかなくちゃ。

礼儀礼節

2011-07-24 08:04:12 | Weblog
昨日の午前中、前日にピアノライブをやってくれた
大石さんからお礼の電話があった。
すごく楽しかったこと、ピアノがよかったこと、普通より
すこし高めのチャージにかかわらずきてくれたお客さんが
みな素敵な方だったこと、などのお礼だった。なんだか
うれしくなった。しかも、カリスマ調律師さんにも電話を
されたとのこと。一流の人は、ちがう。

礼儀礼節というと、硬いけど、あたりまえの「礼」の積み重ね
みたいなものが、大石さんの「今」であり、あの澄み切った
音をひとつひとつの輝きだ。
粒々皆辛苦、ひとつぶひとつぶ、毎日の小さなことの繰り返し、
そしてお世話になった人への感謝の念、どの世界も同じことだと
思う。そんなあたりまえのことが、わからない人は論外。

その後、珈琲を焙煎した後、外でギンピを捨てていたら、隣のトトロ
、ならぬセシルモンローさんが、散歩していた。
大石さんといっしょに、こんどの水曜日、吉祥寺のサムタイムで
セッションをやる。この街はブルックリンみたいな街だ、とセシル
はよくいうけど、芸術家が元気な街は、いい。
ニューヨークのソーホーにいた芸術家たち。その後、そこが再開発され
ブティックとか高級店などが進出して、家賃が高くなり、多くの
芸術家たちは、橋を渡ってブルックリンに移り住んだ。
この街もタワーが建ち、なにかとかしましくなってきて、知り合いの
芸術家もすこし移動し始めたりしている。
諸行無常は、天地自然の理ではあるけど、「かわらないでほしい」
という願いも、永遠普遍だ。

明日は月曜日。月曜日の朝は卵かけごはん。
夕方は「クラシック寺子屋」
ヨーロッパから帰国して、押上に「居」をみつけた
ピアニスト・赤松林太郎くんが塾頭。

火曜日は「順受の会」。通称、論語の会。
今月から「呻吟語」を勉強する。いろいろ毎日、生活や仕事や人間関係などに
悩んだりして、「うーん」とうなりたくなることが多い。震災の後はなおさらだ。
そのウーンというのを、呻吟(しんぎん)するという。
なんだか難しい学問みたいだけど、人間が人間として煩悶してきたことが
書かれていて、おもしろい。

水曜日は「二階で落語かい」
順受の会にくる君が、やってくれる。

土曜日が「お花の会」
山口の宇部から月に一度、原田先生がやってきて、生花とか立花とか
を教えてくださる日。今月はほんとうに長州・山口の人たちにお世話に
なりました。 感謝。
日曜日は、「竹」の日。

8月は1日から12日まで、「夏休」

大石学さんがやってきて カイザーを弾いた

2011-07-23 08:38:53 | Weblog
震災の前に、お隣さんみたいな場所に住んでいるジャズ・ドラマーの
セシル・モンローさんが、大石さんの新しいCDを持ってきて、
「天真庵でいつか演奏したい、とのこと」といわれ、澤野工房が
フランスで「ファツィオリ」というピアノで弾いて録音されたばかりの
CDを聴いた。「WATER MIRROR」というタイトル。フランスの澄み切った
空気の中で奏でられる大石音は、繊細というか、「これジャズ?」というくらい
美しすぎるくらい美しいものだった。そして震災がおき、それ以降も毎日聴いて
いると、美しい中にも、生の力強さとか、自然の畏怖や慈しみ、人間のやさしさ
、そして希望みたいな明るさを、感じた。

なんどか電話で話をしたけど、昨日はじめて「生・大石学」がやってきた。
静かだけど、ボクサーみたいに、鍛え抜かれたオーラをはなっている。
なんでも今回の録音のために、これまでの弾き方とは違った方法をやるために、
体を鍛えなおしたらしい。フランスのリングにあがるために、減量やキントレ
をし、イメージトレーニングやメンタルトレーニングをしたらしい。
同郷のカリスマ調律師が、調律したカイザーを弾いた。弾くまでの一瞬、
目をつむって座禅する雲水のような呼吸をされた。澤野クラブにも書いて
あったけど、ずいぶん禅も勉強されているらしい。
調律をするカリスマさんも、お茶を習い茶禅一味の世界を掴んだように、
このピアニストも一期一会の音の中で、永遠を表現し、それを聴いて
くれるお客と一体となって「居」(今、ここにいっしょにいる人生の妙味)
みたいなことを味わっているように思えた。
「WATER MIRROR」は、まさに明鏡止水の境地だろう。

昨日は、なんだか別の次元にもっていかれたみたいだった。
今日が何曜日で、明日は何をする日?みたいな。
今月は、やまねさん、nobie、国貞雅子、そして大石学さん・・・
下関に縁のあるアーティストが、連弾みたいに演奏してくれた。
永遠に話が尽きない感じだったけど、終電の時間が迫り、
お客としてきていた国貞雅子に「明日5時起きなんで、そろそろ閉店するぞ」
といったら、「え、釣りでもいくの」といわれた。このなんとも、天然な
ところがいい。3人の共通の恩師に電話をし、「私が大きく(ビッグネーム)
なったら、先生を招待するけんね」と、お国訛りでしゃべってる姿が微笑ましかった。


月曜日は、「クラシック寺子屋」
赤松林太郎塾頭の熱い勉強会。門下生も増えてきた。
この講義をきいてクラシック音楽を聴くと、感動の深みが
3倍になる。禅の世界でも「水は深く掘れ」とかいうらしいけど、
そんな世界。

火曜日は「順受の会」
一番長く続いている「論語の会」

水曜日は「二階で落語かい」


魚がかわいそう

2011-07-22 08:44:12 | Weblog
今日は大石学さんのピアノライブなので
16時に閉店します。

昨日はカリスマ調律師がピアノの調律にきてくれた。
彼も下関出身。ヤマハのピアノのタッチをスタインウェーの
タッチにする特許をはじめ、いろいろなピアノの調律の特許を
もっている。調律会のドクター赤松みたいな人だ。昨日はまた
新しい試みをしていた。途中に大石さんから電話があり「調律の彼に
よろしく」とのことだった。お茶人でもあり、器にも興味があり、
話をしていても尽きるところがない。ただ超がつくほど売れっ子で、
ビッグネームのピアニストの調律をまかされているので、ゆっくりと
酒を飲むこともままならない。またいつか、彼が調律したピアノの演奏を
聴きながら、酒を飲みたいものだ。

調律の間、「父・西條八十の横顔」を読んでいたら。西條八十さんが
金子みすずさんと、下関駅で5分だけあったことがある話がのっていた。
そこに、「魚」の詩が紹介されていた。


海の魚はかわいそう

お米は人に作られる
牛は牧場で飼われてる
鯉もお池でふをもらう

けれども海のお魚は
何にも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる

ほんとに魚はかわいそう (金子みすず)


自分でえさを食べ、人間にたべられる魚がかわいそうだけど、
これから放射線に汚染されたえさを食べ、その魚を食べるはめに
なる人間もまたかわいそう。
そんな気持ちで、すしやで「しんこ」をつまみに、白鷹の熱燗を
飲んだ。この季節の「しんこ」を食べる幸せな夏が続くことを
願いながら・・

雨にも負けず 風にも負けず

2011-07-21 09:55:42 | Weblog
台風にも負けず、暑さにも負けず・・・

そんな感じで夕べのライブは盛り上がった。

リハーサルの時も、雨が降っていた。いつもマイクを使わず
に歌う国貞雅子が、めずらしく「今日はマイクを使おうかなっ」
というので、マイクを使って歌ってみたけど、やはり「生」のほうが
いいので、そのまま本番は「生」でいった。ビールは「生」より「ビン」
のほうがキレがいいけど、歌は「生」のほうがいい。

昨日は、ピアノの森下滋、通称ゲルシー(しげるの逆読)が天真庵デビュー。
彼は若いころ(今も若いけど・・)、六本木のスウィートベイジルで聴いた
ことがある。まだそんなに売れていないころ綾戸智恵さんのライブで
金髪の青年ピアニストが、オーラいっぱいの綾戸さんに負けないくらい
光っていた(髪もだけど、ピアノの音が)。それがゲルシー。
天才・国貞雅子と、ゲルシーが天真庵で聴けるとは、その時は夢にも
思っていなかった。

当時はよく、六本木で飲んでいた。スウィートベイジルの近くに「フォルテ」という素敵なママのいるお店でよく飲んだ。彼女がマラソンにはまり、「フォルテ・マラソン倶楽部」ができて、昨年旅立った吉若徹(ワカ)も、その一員だった。みなでホノルルマラソンにも参加した。ママが「綾戸さんのライブにいかない」と誘われ、ゲルシーと出会い、ワカが国貞雅子を天真庵につれてきた。これも、不思議な「えにし」だ。

明日は、大石学のジャズライブ。
大震災の前日ころ、町内会のジャズマン、セシルモンローが
「これ大石さんから頼まれた」といって、彼の新しいCDを
もってきた。お礼に珈琲を飲みながら話ていると、
「こんど天真庵でやりたい、といってたよ」といった。
ありえないないような話だけど、CDを聞いていて、
「実現すればいいな」と思っていた。地震があって、その後にも
毎日聴いていたら、「やはり天真庵に呼ぼう」という思いが強くなった。
そしてメールをしたら、「いいですよ」と返事がきた(正確にいうと電話がきた)
ので、やることになった。3月の終わりくらいだと思う。その時点で「こんど
・・・」という話をしたら、日にちも決まらないうちに満席になった。

N響のやまねさんの高校時代の先輩であり、その音楽の師が、その後
国貞雅子の音楽の師になった。あおげば尊い音楽の師の恩の、恩返しみたいに
今月は、その三人が天真庵でやってくれる「天恩」に恵まれた。ほんとうに感謝。
明日は16時で閉店になります。
今日は「うなぎ」の日。近所の国宝的な経師やの黒崎さんが、「うなぎを
ごちそうしたい」といっていた。口は悪いけど、いいひとだ。今日はとくに
いい人だ。