長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

秋の素敵なライブのため 本日16時にて閉店

2015-10-31 08:32:25 | Weblog

近所にシェアハウス&ゲストハウスができた。明治通りのbunkanの近く。

なんやらいう相撲部屋も近々そのへんにくるというウワサがある不思議なスポット。

そこの住民のひとり、翔くんが今晩二回目のライブをやってくれる。今回も超満席で

お断りがでた。遠くからこられる応援団は、そのゲストハウスに泊る。新しいパターン

のライブだ。トランペットと完治さんは、ながいことイタリアンのお店のオーナーシェフ

だった人だ。今も弟子たちには料理を教えているらしい。人生二毛作の典型を行く人だ。

奥さまも今日も飛び入りで歌ってくれる予定。なんともほのぼのとした仲間たちの愉快なライブ。

シェアハウスのほかの住民の中にも、うちにお仕覆を習いにきたり、蕎麦や茶のお弟子様になったり、

多士済々の人たちが仲良くいろいろな情報や技や人生の楽しみをシェアーしながら共通の「今」

を生きている。ものを持たない、ものに執着しない、お金も家も車も友達や親も、みんな「借り物」で

必要な時に神さまから借りて、必要でなくなったらきれいにして返す、簡単にいうとそんなことを

自然にやっている人たちだ。一般の「ひと」の目で見ると奇人に見えるかもなんばん、神さまの目線

で見ると、とっても自然な人に見えるものらしい。

明日は日曜日なので16時で閉店。それからアメリカのお客さまが蕎麦を打ち、蕎麦会を

やっていく。言葉が通じなくとも、文化、とりわけどんな文化も「食」に通じないものはない。

楽しみだ。

月曜日は朝が卵かけごはん。夜は「長屋で女史会」

火曜日が「英語で蕎麦会」

水曜日から「松休み」12日(木)まで

 

31日(土) スタンダードジャズ

演奏:赤須翔(ギター)・篠原完治(トランペット)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


よばい鍋が美味い!

2015-10-30 08:26:39 | Weblog

「座敷でそば遊び」が水曜日にあった。

だいぶこなしてきたので、お客さんとの呼吸もあうようになり、

お茶会のようでもあり、座ってお茶を飲み、おちゃけも飲み、器や

掛け軸を楽しみ、もちろんそばも楽しみ、しめは下のカウンターで

「ほぼぶらじる」という流れがスムーズになってきた。「知的おとなのそば遊び」

一階で蕎麦打ち&なんとなく蕎麦会を同時にやっていたので、どちらからも

ヘンパイを求められ少し酔ってしまったけど・・

昨日は朝一番に車を走らせ、秩父へでかけた。紅葉はまだまだこれからだけど、都心に

いるのと空気が違う。温泉にゆっくりつかり、山の中のそばやで昼酒をやる。

地酒を所望すると、小松菜のくるみ味噌あえがでてくる。これがそば前の酒肴として最高で、

いつも3合ほど空けてしまう。帰りは助手席でたかいびき。

昨日は夜も変則で「ダメ中」だった。

営業日でないので、鍋にした。「よばい鍋」という、やばい鍋で、昨日は9名でそれを

つつきながら、秩父から買ってきた地酒を久保さんの志野の「燗鍋」で飲む。

あっという間に一升びんが空になった。

よばい鍋・・・・よばいがあったころの話を著した本に紹介されていたものだ。

焼き豆腐と切干大根が入っていて、天真庵ではそこに「そばがき」を入れて、「そばだご汁風」にする。

これから寒さがつのってくると、ますます美味くなると思う。

昨日は「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)を中国語でろうろうと詠んだ。

今の日中関係は微妙で危ういところにきているけど、お互いのDNAの根っこにある

このような風流な詩のふれあいが、まさに「架け橋」になるといいのだが・・

明日は「ジャズライブ」があるので16時閉店。

日曜日はいつも16時閉店。その後は「蕎麦打ち国際大学」 またアメリカから蕎麦打ちをやりたいという奇人

がやってくる。

月曜日は「長屋で女史会」

火曜日が「英語でそば会」

水曜日から「松休み」(九州の実家の松の手入れを伝授されにいってきます。)


湯豆腐や持薬の酒の一二杯

2015-10-28 09:08:13 | Weblog

昨日は書の会だった。

月に一度、一階の土間に毛氈を敷き詰め、半紙を置き、そこに

好きな字を書く。やはり料理といっしょで、「キ、キ、キ」

だ。気持ちが入る、季節を入れる、器(道具)の三つがそろわないといけない。

昔から文人たちは「文房四宝」といって、道具にはとりわけこだわりを持った。

昨日は、友達が球磨焼酎を持参してくれたので、それをロックにして、

今年初めての「湯豆腐桶」に昆布を入れ、お湯をはり、備長炭をおこし投げ入れ、

徳利(酒をいれてよし、出汁をいれてもよし)に昨日は出汁を入れ、みなで

静かに(いや静かではないな)飲んだ。昨日の焼酎は44度の強い球磨焼酎。

その徳利に、「湯豆腐や持薬の酒の一二杯」と書いてある。

昨日はあだっちゃんがその句を書いた。なかなか味わいのある字である。

書というのは瞬間の芸術だけど、そこにその人の人生が吐露されていて、おもしろい。

この句を作ったのが晩年だったらしいが、最晩年に

「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」と詠んだ。

日常的ななんでもない食べ物だけど、酒をかたむけながらゆっくりながめていると、楽しくもあり、

さみしくもあり、だ。

今日は「座敷でそば遊び」があるけど、これから冬にかけては、「湯豆腐」が場を

あたためる。

明日は「ダメから始める中国語」だ。


楓橋夜泊の週間

2015-10-27 08:23:23 | Weblog

昨日は順受の会、通称論語の会だった。

21年目に入る勉強会。最初は渋谷の商工会館みたいな公共の施設で勉強

した後にその近くの居酒屋で二次会、というパターンだった。

1995年ころ寒山拾得の絵をかく南條先生と知り合い、池袋に「天真庵」という

ギャラリーを始めた。少しづつ寒山拾得の絵が増えていった。3年目くらいに、

一双の屏風を買った。「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)」である。蘇州の寒山寺

が世界中の人がいくのは、この詩があったからであり、寒山拾得の世界を求めて

いるからである。日本人の「こころの原風景」もこの詩に含まれていると思う。

西條八十先生が「蘇州夜曲」をつくったのも、もちろんここが原点であり、日本人の原点でもある。

20年近く前の話だが、論語の会の日、松田先生がその屏風を見て、いきなり吟じた。

たぶん一升近く飲んだ後だったけど、まだ40代のはじめだったので、カラオケでおはこの「すばる」を歌う

気楽さで吟じた。昨日は久しぶりに「楓橋夜泊」を吟じてもらった。還暦を過ぎたけど、まるで寒山寺の鐘の音

が客船に届いたように、はらわたに沁みた。

木曜日は「ダメから始める中国語」 まいこ先生が中国語で「楓橋夜泊」をろうろうと読んでくれる予定だ。

意味がわからなくても、読んでいるだけで、ふるさとに帰るような気分になる。

「楓橋夜泊」(張継)

月落ち 烏(からす) 啼きて 霜 天に満つ

江楓(こうふう)漁火(ぎょか) 愁眠(しゅうみん)に対す

故蘇城外の寒山寺

夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る    

 

今日は「書をしよう会」  きっと今日は、楓橋夜泊を書く人がいそうな予感がする。

明日は「誕生日にそば打ちかい」  同時に二階で「座敷でそば遊び」

木曜日が「ダメから始める中国語」

土曜日が「ジャズのライブ」   今月もいろいろ大盛りそばのごとく、もりだくさんだった。感謝。

31日(土) スタンダードジャズ

演奏:赤須翔(ギター)・篠原完治(トランペット)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


卵かけごはんが10倍おいしくなる方法

2015-10-26 07:42:35 | Weblog

今朝はこの秋一番の寒い朝だった。

蕎麦の水は、蕎麦粉に対して約5割くらい入れるのが普通。寒くなるといくぶん多く入っていく。

今朝の蕎麦打ちはそんな感じだった。豆の焙煎もできあがった豆が冷めるはやさがはやくなるので、

少し夏よりも深いポイントで火を止める。どちらも自然と向き合っている感じがしておもしろい。

季語の少なくなった都会でも、目線をかえると四季がある。そして人間にはだれしも死期がある。

昨日は寒い日曜日だったので、ぬる燗でそば前をする人が少なからずいらっしゃった。

ときどき蕎麦を手繰りにくる友達がカウンターの眼の前に座った。「ぬきちょうだい」。

蕎麦屋のメニューに「ぬき」というのがある。あったかい蕎麦のそばを抜いたもので、酒肴としては

最高峰にあたる。「てんぬき」というと、てんぷらそばからそばをぬいたものだ。あったかい汁に、てんぷら

が浮いていて、それをつまみにやる酒の美味いこと。彼は大塚の駅前で「江戸一」というまさに江戸で一番の

お店の主人だ。池袋時代は、歩いていけたのでよく飲ませてもらった。お互いにお店をやっているので、いっしょに

飲んだことがないけど、来年還暦同志なので、少し楽しみながら店をやり、ときどきは外に飲みにいこう、と約束。

そんな話をしていたら、やまね組の組長が珈琲を飲みにきた。もちろん文化人の彼も江戸一ファンのひとり。

来年あたり、江戸一のカウンターの中で、クラシックのコンサートをやろう、ということにあいなった。3年前くらいから

あたためていた企画。明日の書の貞本先生と出会ったお店でもあり、天真庵という文字や、江戸一の「ますます繁盛」

の書も彼が書いた。蕎麦もつなぎを使うので、人と人をつなぐ、酒も人と人をつなげ、音楽はそんな人間の悲喜こもごも

ないとなみを賛歌した芸術だ。芸術の秋は、食や酒ともども素敵な季節である。

いけない、卵かけごはんが始まる。

今日の夜は「順受の会」

明日が「書をしよう会」

水曜日は休みだけど、「誕生日のそば打ち」が入った。産まれた日に、生まれかわり、つまりよみがえる「蘇ば」を打つ。

にぎやかな水曜日。

木曜日も休みだけど「ダメ中」をやります。


長生きのコツは 呼吸と食事やろか

2015-10-25 09:05:40 | Weblog

昨日は月に一度の「イニヨガ」だった。

6人が定員で、月に一度しかスケジュールが組めないため、いつも満席御免状態が

続いている。

ヨガの先生を紹介した女子は、「二階でヨガをやった後に下で酒を飲み、蕎麦で締める・・・て最高と思わない?」

という発想で始めたけど、普段は左党でそば前をやる連中も、ヨガ後の酒を飲もう、っという人はいまだでていないし、

珈琲よりも黒豆茶のほうを体が欲する人が多い。呼吸を整え、精妙で波立たない境地にいくと、旅のように「まだ見ぬほんとうの自分を

見つける」のかもしれない。

「そば前」といえば、先日昔の蕎麦の文献を読んでいたら、江戸時代に浅草界隈のあるそばやが「そばを喰ってそのままに

していると虫になる」というようなことをいいだし、虫にならないためには酒を飲むとよい、ということでそばやで酒を飲む風習

ができたらしい。ただし、飲めない人までむりくり飲むことになったり、飲み過ぎて、虫ならぬ石になったり動かぬ牛になったり

する輩が増えたので、そばを手繰る前に飲む「そば前」が定着した、という話がでていた。江戸時代の話で、今は昔だが・・

今日は日曜日なので16時で閉店。それから「日曜そば打ち大学」

明日は月曜日。「卵かけごはん」夜は「順受の会」

火曜日が「書をしよう会」

水曜日は常連さんの「座敷で蕎麦遊び」が入った。「燗鍋のぬる燗で秋のそばを食べたい」とのことだ。

久保さんの志野の燗鍋で飲む酒をしったら人生が10倍楽しくなる。


九州におもしろいカフェができた!

2015-10-24 09:04:18 | Weblog

昨日そのカフェのオーナーが蕎麦を手繰りにこられた。

「たまな 創生館」で検索すると、新聞に掲載された記事がでてくる。

今年の正月2日は、築100年?のその古民家に泊らせてもらった。

朝起きて、勝手に台所にいき、バロック音楽のCDを聴きながら、

持ち込んだ「ほぼぶらじる」を入れた。

ここの主人は、ぼくのお茶のお弟子さまで(といっても、一回で勝手に卒業した)で

あり、原田先生にいっしょに花を習った同志でもある。

倉庫では70人収容可能なコンサートホールもでき、地元の吹奏楽の人

たちが演奏したり、ギャラリーもできて、いろんな地元のアーティストたち

が展覧会をやる予定になっている。近くには夏目漱石が草枕の舞台した温泉が

あり、「草枕温泉」となってにぎわっているようだ。

地域おこしに人肌ぬごうという意気込みを感じられるネーミングだけど、一度

遊びにいってみたら、「こころが創生」できるような空気感にも満ちている。

地方を活性すると政治家たちがのたまっても、痴呆の叫びでしかない。

ちゃんとその地に足をつけ、その地を耕し汗をかき、人びととふれあい、感動しあい、

ともに楽しみあい、というような自然発生的な文化みたいなもんがないといけないと思う。

今日は「インヨガ」  イガが盛り上がり、 最近定員オーバーでおことわりばかりしていて申し訳ない。

 


鮨はおごられてこそ美味い

2015-10-23 08:28:38 | Weblog

そんなことを言っていた友人がいた。

「ぼくがおごる」とだれかが宣言していくと安心して食べられる。そんなことだと思う。

「誰が払うんだろう?」「いくらくらいかかるんだろうか?」とか思いながら食べるのでは、鮨より

心配を喰っているような気分になる。

そんなこともあって、うちの鮨会は、ひとり8000円。酒は持ち込み。すしは「おまかせ」のみ。という形にした。

昨日は少し肌さむい夜だった。「初孫」をもってきた方がいたので、常温で飲んだ後、久保さんの志野の「燗鍋」

に入れ、人肌にした。信じられないくらい「燗あがり」して初孫が笑ったようだった。大塚に「なべ家」という江戸料理

の店がある。これから冬は「蓬莱鍋」という究極の鍋がでてくる。ここのお酒も「初孫」のみ。

なべ家のおかみさんは、池袋の天真庵の催し、南條先生の寒山拾得展とか久保さんの個展などにも

まめに足を運んでくれた。大塚という街には、そんな精神的文化力の高い主人や女将のいる店があまたあった。

気骨の鮨会のじいちゃんも、若いころか鮨の修行をし、屋台から初めて渋谷のセンター街に店を持つほどがんばった人だ。

昨日は終わって、二階に飾ってある遠山満の書を座ってながめ、「いいな~。こんな国士みたいな九州男児は今はおらんばい。

それにしても、いい字だな~」といいながら、久保さんの斑唐津に注いだ酒を飲みほし、「おれもまだまだがんばらなくては」

といって、天真庵をあとにされた。

「国士」・・・・自分だけ、今だけ、金だけみたいな政治家にきかせてあげたい言葉やね。

 

 


気骨のすし会

2015-10-22 09:08:28 | Weblog

昨日は「おんなかっぽれ」だった。

屋久島に旅した女子が、屋久島の焼酎を土産にくれた。

おとこかっぽれの時は、自分も二階で踊りながら、ときどき下の厨房にいって

蕎麦会の準備をする。今は「ずぼらん」というのを最後にやる。スケベな坊さん

が主人公の愉快な踊り。それをやりだすと一度だけ踊って下に降りる、そんな感じ。

おんなかっぽれと時は、下でゆっくりと酒を飲みながら準備をする。まさに独酌だ。

久保さんの志野の「燗鍋」で剣菱をあたため、愛用の斑唐津のぐいのみでちびりちびり

飲(や)りながら、8代坂東三津五郎さんのエッセーを読む。二階から三味線の音が聴こえて

くる。織部の向附にれんそうのおひたし。こんな幸せな秋の晩酌はない。

しばらくして、二階が静かになると、そろそろおけいこはおしまい。

昨日は「おでん」で飲んだ。独酌で2合。みんなで飲むとまた二合・・・少し飲みすぎが続く。

おでんの締めは、空になったおでんの汁にそばを投じる。変則とうじ蕎麦。これから寒い夜には最高。

最近酒量が増えたのは久保さんの酒器のせいなので、今日あたり電話で「飲みすぎる」と文句をいってみようか。

今日は「気骨の鮨会」だ。月に一度だけ、カウンター席8席で、佐賀のガバイじいちゃんの鮨をつまむ。

久保さんの器がさえわたる日でもある。絵志野の四方皿に葉蘭をのせ、そこに鮨がひとつひとつでてくる。

醤油皿は黄瀬戸。葉蘭を庭からもっていく時、いつも三枚選んで、花器にいける。葉っぱだけの飾りだけど、

華道では「葉蘭に始まり葉蘭におわる」というほど、いろんなことを教えられる。花よりだんご、葉蘭よりすしで

ほとんど気がつかない人が多いけど、波乱万丈な人生においては小さなことかもなんばん。

今日の素敵なすしライブも楽しみだけど、素敵な秋のライブも近づいてきた。

31日(土) スタンダードジャズ

演奏:赤須翔(ギター)・篠原完治(トランペット)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

 


最後の晩餐にはこんな酒宴がいい

2015-10-21 08:29:21 | Weblog

昨日は「タイムドメイン」だった。

池袋時代から続いている月一度の持ち寄りパーティー。

いっしょに飲みたい酒と、いっしょに食べたい酒肴と、いっしょに聴きたいCDを

もってくる日。おいしいものは巷にあふれているけど、「おいしく食べる」という

のにはちょっとしたコツがいる。「気のおけない仲間と食べる」という「しつらえ」が必要だ。

この会では、「マイぐいのみ」と「マイはし」を持ってくるのがならわしだ。

池袋時代から「ほぼ毎月出席される女子」は、10数年久保さんの志野のぐいのみを持って

こられる。その人も美人だけど、もってこられる志野も美人に育ってきた。

昨日は久保さんの燗鍋でいろいろな日本酒をひと肌にして飲んだ。10数年の古色がついて

美人になったぐのみと、やっと出番を迎えた姉妹のような燗鍋が少しはずかしそうに赤らんだように

思えた。やはりいつもよりメートルがあがり過ぎ、みんなの顔も赤志野のように赤らんでいたように思う。

いつも思うけど、「明日で地球が終わる」なんていう日の前は、こんな仲間たちと酒を飲み、最後は

星野村の煎茶を飲んで千秋楽にしたいと思う。

今日は休みだけど「おんなかっぽれ」

明日は「気骨の鮨会」  すしは主人を喰う。というか76歳で余命宣告されたじいちゃんの魂の鮨を

8人で喰う会。