長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

てんちゃん しんちゃん あんちゃん

2015-05-31 08:35:27 | Weblog

野良猫のてんちゃんが、どこかで子供を産んだ。

道路を朝渡ってくるので、アッチガシ(江戸弁)かな、と思ったら、

近くの空き地、ほとんど近所の人もきずかないような小さな空き地で

子供を育てている。前回のチビが子供を連れてきたのが、台風がくる日

だった。ラジオの天気予報は理解できないけど、動物的なカンがわれわれよりも

すぐれている。昨日の地震だって予知していたに違いない。

最近は住宅ラッシュで空き地も少なくなり、猫ちゃんの生きる場所も少なくなり、

路地裏のひだまりでまどろむような光景をあまり見れなくなってきた。

昨今のペットも「いいネ!ぼりぼり」効果で、人気が集中するため、ブリーダーたちも

無理してそれをつくるので、先天的に病気の犬やネコが多いらしい。どの業界も

似たような現象だ。「なんとなくフラクタル?」な時代。

今日は日曜日なので16時閉店。19時から三輪福さんのライブ。otosoba2.

明日の朝は「卵かけごはん」  早朝蕎麦打ち体操もある。

夜は「長屋で女史会」

火曜日が「英語で蕎麦会」

 


幻のなめこおろしそば

2015-05-30 08:19:03 | Weblog

昨日はアメリカからツキイチペースで蕎麦を手繰りにくるカーボーイくん

がいつものようにカーボーイハットをかぶり、静岡の和菓子をみやげにやってきた。

なめこおろしと、そば豆腐と、煎茶が大好物だ。

ときどきなめこのいいのが手に入ると、さっと塩をいれた湯に入れ、それを水

にさらし、ビンにいれ、ひたひたの蕎麦汁を入れておく。器に辛み大根をすって、

それをのせると、なめこおろができあがり。酒肴に最高で、2合くらいがグビグビいって

のどちんこの先を落ちていく。梅おろし蕎麦があるので、「まぼろし」になってるけど、

そばにそれをのせ、蕎麦汁をかけてぶっかける蕎麦が美味い。とくに夏が美味い。

昨日のタイムドメインでは、その幻を出した。それを酒肴に日本酒を飲む。

日本の夏はキンチョーもいいが、これがいい。

明日は不思議なライブがある。三輪福さんは、ぼくのそばのおでしさまのひとり。

いろいろな人が蕎麦を打ちにくる。土を喰らう、というのは、自然とよりそうことだと思う。

 

 


本日もまたまた酒持ち寄りパーティー

2015-05-29 08:46:38 | Weblog

昨日は「気骨の鮨会」だった。月に一度カウンター8人限定の会。

お酒は各自持ち寄り。だいたいみな日本酒の4合瓶を持ってこられる。

魚、とくに白身魚には日本酒があうような気がする。

ちゃんとした修行をしてきたじいちゃんの鮨は、凛としていて美しい。

今日は「タイムドメイン」。池袋時代からだからかれこれ12.3年は続いている。

各自が、好きなお酒、つまみ、聴きたいCDを持ち寄る会。酒好き、喰うこと好き、音楽好き

な仲間が集う会なので、天真庵を運営する土台みたいな役割をはたしてきた。

「無用の用」とはよくいったもので、遊びの中や、いっけん無駄だと思うようなところに

大切な「何か」が潜んでいる。

日曜日は16時で閉店。その後は三輪福さんのライブ。

6月は、ソバリエみたいなアーティストが初登場。蕎麦屋でライブをやるのが夢だったとか。

「蕎麦屋の二階」というのは、江戸時代から「あいびきの場」であり「文化を育む場」であった。

6日(土) ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)

 

13日(土) タケシィ 三線(サンシン)らいぶ

演奏:タケシィ(三線)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


江戸一の江戸前鮨を喰う日

2015-05-28 08:26:43 | Weblog

朝散歩をしていると、スマイルキッチンのママさんが、「おはようございます、こないだのめっちゃうまかったです」

と屋号よろしく満面笑みで挨拶をしてくれた。朝掘りのにんにくの芽を千葉の蕎麦屋の近所のイタリアンから

調達して、彼女にもらった「こごみ」のお返しにしたものだ。この街は、同業者であっても、こんな「原始的ぶつぶつ交換」

が日常茶飯だ。先日新しくできるマンションのパンフに弊店が紹介されるというので取材を受けた。「この街のいいところは?」

と聞かれて、「マンションなど、つまらない建物が少ないこと」と答えた。それと、住んでいる人のいとなみを五感で

感じられるのがいい。先日の真夜中近所で火事があった。

「木密地帯」といい木造の長屋や古い古民家が密集することの地は、災害の時に危険だというのと、来るかこないかピン

とこない二回目の東京オリンピックのためにいろいろ変化しそうである。空き家も全国に800万戸あるらしい。

でもどう考えても、少子高齢化で多死の時代、自殺者も順番のように三〇〇〇〇人が毎年でているような国に、新しい家、

しかも縦長のものが必要なのか?と思ってしまう今日このごろ。

先日友達から紹介された物件(田舎暮らしの典型みたいな家)に住みたいという「おでしさま」が真剣モードになってきた。

蕎麦打ちにも真剣にとりくんでおられる。兄弟店に続き、姉妹店ができる日も近い?

今日は「気骨の鮨会」

火曜日にあいちゃんががKさんと築地の買い出しに同行した。彼女もお店をやっていて、築地には明るい

ほうだけど、じいちゃんが闊歩するそこは別世界だったらしい。どの道にも達人がいる。

今日はそんなわけで、月に一度の「気骨の鮨会」8000円・酒持参。しばらくは空いた席がない状態。


ぼーずがこわれた

2015-05-27 09:28:47 | Weblog

正確にいうとBOSEが壊れた。

1996年にギャラリーを池袋で始めた。その時に買ったオーディオ。

カタログも製品名もなく、世界限定5000台、25万円、1円もまけません、

というものだった。IT業界の先輩が、業務用にオーディオルームを2000万くらい

かけて作った時に遊びにいって、ホイットニーヒューストンを聴きながらワインを

飲んだ。「いいネ」ボリボリではない、感動をどう伝えていいいかわからないほど臨場感の

ある音だった。だがその先輩は浮かぬ顔をして、「これ聴いてくれる」といって、彼の社長室に

いって、ホイットニーを聴いた。「どう?」というので、「かわりませんね」と答えた。

25万のBOSE。お店で売ってはいなかった。縁とは不思議なものでそれから何日かして

営業マンがやってきた。寒山拾得の絵しか飾っていない、線香くさいギャラリーにぼーずが鳴る。

昨日はクラシックのコンサート。やまね組の天真庵ライブも22回目を数える。人生にこんなに幸せ

な日は、3日もあればいい、というような日を20回以上もいただく。ありがたい、とはこんなことだろう。

素敵なコンサートをやった次の日は、お店の空気が浄化されている。今朝そこでラヂオを聴いて

いたらモーツアルトが聴こえてきた。あまりに素晴らしいので、CDの部が壊れたぼーずを抱えて

家にかけていき、続きを聴いた。休日の朝がバラ色に輝いている。こんな朝に、煎りたての珈琲

や今なら新茶をゆっくり飲む。「そのくらいの贅沢」は、だれにでもこころの持ちようでできるのでは

ないだろうか。

31日は「三輪福」さん、というぼくのお蕎麦のおでしさまが、クリスタルボールを奏でてくれる。

福、という字は、田んぼで採れた成果物を、神に手向けるという象形文字。

根源的な幸せとは、そんなことだとつくづく思う。


ゆずの大バカ18年!柚子胡椒も土を喰らうであ~る

2015-05-26 08:43:35 | Weblog

先週見にいった物件をどう使うか、いろいろな人の意見を聞いている。

昨日は天真庵の改装を手伝った縁で、この街に住むようになり、またその縁で

近くの長屋を改装中のくんが蕎麦を手繰りにきた。ぼくのそばの「おでしさま」であり、

お茶のおでしさまでもある。今回の田舎物件は、茶畑もあり、おじいちゃんが茶畑をやっていた

彼には魅力的に!とくるものがあるらしい。

木曜日に「気骨の鮨会」をやってくれるおじいちゃんに、「今回も満席なんでよろしく。」

と電話したついでに、田舎物件のことを話たら、「柚子の木はあった?」

と聞かれたので、「なかですばい」と答えたら、「あれば楽園になるばい」とのこと。

彼は柚子胡椒の名人でもあり、この秋に近くの名刹・春慶寺で「作り方教室」をやる予定だ。

昔から、桃栗3年、柿8年梅はすいすい13年、 ユズは大バカ18年、 りんごニコニコ25年、 女房の不作は60年、 亭主の不作はこれまた一生。

という言葉がある。「あ、これうま~い。ボリボリ」なんていうのは一瞬だが、そこまでにいろいろな人の手がかかっている。

今日は、素敵なコンサートがある。16時で閉店。

木曜日が「気骨の鮨会」  佐賀のがばいじいちゃんは、がんこでおもしろい。今日は築地に買い出しだけど、あいちゃんが

お手伝いをしてくれることにあいなった。彼女は天真庵のステンドグラスを作ってくれた子。その縁でこの街に住むようになった。

「ひとり」のあの人がいるだけで、その街がキラリと輝きだすことがある。そんなあの人にみんながなれば、まだまだ素敵な街が

いっぱいできるかもなんばん。夏は「梅おろし蕎麦」


なんとなく蕎麦を喰う

2015-05-25 07:36:38 | Weblog

昨日は、どたさん、の蕎麦打ちもあり、その後の「なんとなく蕎麦を喰う会」

もあり、二階で「座敷で蕎麦遊び」もあり、どうやってこなそうか・・・などと

思いながら日曜営業をしていたら、蕎麦もなくなり、なんとなくどころか、けっこう

てんやわんやの一日だった。でもみんな家族みたいな人たちだったので、最後は

カウンターで、宮崎の37度もある米焼酎をロックでグラッパのように飲んでお開きにした。

これから「卵かけごはん」

夜は20年続く「論語の会」だ。論語読みの論語知らず・・・といわれようが、かたぶつと

よばれようが、そんな風評どこふく風の人たちが元気にやってきて朗々と論語を読む。

それが20年も「続いている」というのが、スゴイ。先生も生徒にも感謝。

今週はふたつコンサート。どちらも満席ゴメンだけど、これからも続くので、ご案内。

26日(火) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・宮坂拡志(チェロ)・藤田朗子(ピアノ

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)

 

31日(日) OTOSOBA2(おとそば)

演奏:三輪福 (本水晶の響き)

19時開場 19時半開演 ¥5,000 (蕎麦・蕎麦豆腐・珈琲・チーズケーキ又はぜんざい 付き)


畳のない和室

2015-05-24 08:29:45 | Weblog

もともと、畳は「床の間」しかなかった、というのが通説。

そしてその他は板張りだった。そのうち床の間に、花を手向けるようになり、

それに伴い、軸をかけたり、茶道具を飾ったりするようになり、日本の床の間は

私設美術館みたいになっていった。そして板の間に、移動式の畳を敷くようになり、

いつしかそれが固定式になり、和室の形が形成されるようになったらしい。

天真庵の二階は、竹を輪切りにしたものの上に板ガラスをおいて「置き床」にし、

板の間に畳半畳を敷いて、茶室風にしている。そこの畳は、義理の弟(任侠の世界ではない。

妹の夫くん)が作ってくれたものだ。福岡で「小西畳店」といえば、泣く子も黙る(どうもその世界へあこがれがある?)

老舗で100年の歴史を有す。

先週畳変えのために、畳を里帰りさせた。しばらくは二階の座敷は、HPのように、囲炉裏に

丸い座ぶを敷いてやることにあいなった。畳のない和室もまたオツなもんだ。

今週はふたつ大きなライブがある。来月は、自分たちが里帰りをする。90になる父親に

「松の手入れの仕方」を伝授してもらうことになった。ぼくではなくカミサンだけど・・・

伝えていくもの、伝えていく人がいて、伝統や文化が紡がれていく。

しばらく天真庵では、南條先生の寒山拾得が、座敷わらしのごとく飾ってある。表のショールームは

もちろんのこと、トイレの入り口なんかにも飾った。座敷わらしがいるごとき家になった。

今日は16時まで。それから「蕎麦遊び」に共が遠方より来る。

にも飾った。


大鷲もこのはなさくや姫もいる山

2015-05-23 08:45:18 | Weblog

昨日は肝心な大鷲のことを書かなかった。

先日見にいったあたりには、大鷲が住んでいるらしい。

道すがら、「新東名」いや第二東名?の通る予定みたいな看板があった。

どうもその予定らしい。しかし環境保護や動物愛護のために、大鷲の生育している聖地には

そんな人工物は立てない、みたいな法律があるらしい。ダムや原発を、こんなに「やりっぱなし」

に建設してきたわりに、そんな「まともな法律があった」んだと不思議な気持ちがした。

そこに姉妹店を誰かが作るにして、高速のインターができたら、たぶん高速道路以上に渋滞が

できるお店ができそうやけど、そんなもの真面目に考えたら、いいことではないし、あまり意味をなさない。

なんとか「鷲」さんにがんばってもらって、現世の利益を求める、「わしだけ」「今だけ」「金だけ」とは

対岸にあるようなことをやっていきたいと思う。

富士山の神域には「このはなさくや姫」が祀られている。「わしだけ」という個人主義ではなく、

鷲も小鳥も虫や魚や生きとし生けるものをみな家族だと思えるような日本人にもどれるような

「個の花」を咲かせるような生き方をしたいとつくづく思う。

明日は日曜日。日曜日は16時まで。それから「田舎蕎麦を打ちませうの会」

最近ぼくのそばのおでしさまに、農業関係の人とか、自然に向き合って生きている人

たちが集まってきた。たぶんそんな人たちが、姉妹店みたいな変な「居場所」を開拓していくに

違いない。不思議なことがいっぱい起きている。今に始まったことではないが・・・


大鷲を見にいく。

2015-05-22 09:05:16 | Weblog

何日か前、友達からメールがきた。

なんやら写真が添付されている。田舎の古民家と畑。

これの使い手をさがしている、と書いてあった。

ちょうど「ながや」にいく途中の秦野市あたりなので、昨日見にいった。

茶畑がいっぱいあり、昨年いった岐阜の春日村に通じるところがある。

今年は春日村の主が、近所の長屋を改装していて、茶摘みツアーはなかったけど、

茶畑で新茶を少しつんだ。土の恵みを感じた。古民家も主が病気で帰りを待っているがごとく。

「ながや」にいって主人と話たんだが、やっと兄弟店ができ、ここで誰かが「姉妹店」を

やったらどうか?と。週に一度「海の日」があって、長屋くんが「魚料理」を出す。

週に一度ぼくが「山の日」にいって、普茶料理の会をする。そんなことができたらいい。

いつも冗談みたいなことをいっていると、それが現実になるから、おそろしい、いや

おもしろい。

昨日は朝6時におきてそんなことをしていたので、今日は仕込みがいっぱい。

ながやくんところに、高橋師匠の色紙がおいてあった。

「上求菩提 下化衆上」  上も下もいるけど、人はみな孤独な存在。だから「個の花」を

咲かせようと思う。そのためには、人と比べないことが大事だ。人のせいにしないことも大事だ。