長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

しもっこ蕎麦の年越し蕎麦

2010-12-31 07:47:21 | Weblog
一昨日、地方に発送する「年越し蕎麦」を打ち終え、車に
のって千葉方面のよく野菜を買出しにいく市場に、野菜を
買いにいった。(そのまま海を見ていてら、帰りたくなくなって、
南房総の海が見えるホテルに泊まってしまった・・・あいかわらず
放浪癖が消えない。海が見えるところって、いいなあ~)

うちの蕎麦は、千葉の下総農業高校の人たちが手塩にかけてつくって
くれた「しもっこ蕎麦」だ。12月から、新そばになり、毎日元気に
新そばをうっている。女房と畳は、新しいのがいい、と昔から
言われているけど、コーヒーの豆も蕎麦も、新しいのがいい。

今日は「大晦日」。1日さぼった分を取り戻そうと、昨日は
おそくまで焙煎をし、今朝は真っ暗な早朝に、どろぼうみたいに
、ゆっくりとお店を開け、「年越し蕎麦」の予約の分を打ちおえた。
これから朝飯を食べ、今日の分の蕎麦を打つ予定。

千葉から帰ってくるときに、錦糸町で降りて、「すみだ珈琲」
にいってきた。オリナスの前に、古色蒼然とした二階家が
あり、そこの一階が珈琲屋になった。
看板メニューの「すみだブレンド・やや深入り」を頼んだら、
銅のポットでていねいに入れてくれた。
澄んでいたころの隅田川の川端に吹く、清い風のような味がした。
「珈琲の樹」の夏樹くんと同じポット。珈琲の味というのは、
入れる人の「ひとの味」がでる。楽しみなお店がまた一軒増えた。
自分の住む街に、個性的なおいしい珈琲屋がある、というのは、
幸せなことだ。

世相は暗い話ばからり多かったので、年も、新しいほうがいい。
明日から始まる新しい「うさぎ年」が、この星に住む人たちにとって
幸せな1年であることを願いたい。365日分 感謝



すみだ珈琲

2010-12-29 07:55:46 | Weblog
そんな素敵な珈琲屋ができた。
12月22日にオープンした。店主は廣田くんだ。
彼は今年の初めにぶらりと天真庵にやってきた。
ちょうど珈琲豆を焙煎していた。ので
「ちょっと15分くらい座ってまってて」みたいな挨拶をしたら、
背中越しに「いい音でハゼてますね」と、業界用語を使ったので、
「マタリを焙煎してる」と答え、ニハゼ(豆がパチパチ音をたてるとき
のことを、ハゼる、という。ニハゼは、二度目のハゼ。そこからどのくらいで火
を止めるかによって、豆の味がきまる。とても緊張する領域)。そしてニハゼから
10呼吸くらいで、火を止め、マタリをざるにのせ、うちわであおぎながら、
初めて、その青年と対面した。

押上界隈で「珈琲屋をやろうと探している」とのことで、頻繁にくるようになり、
5月の「墨田ぶらり下町音楽祭」では、ボランティアとして、手伝ってくれたりした。
なかなかのナイスガイだ。「縁あってこの地に珈琲屋をやることになりました」
と、下手だけど手書きでハガキに書いてあった。錦糸町に近い大平という町だ。
方向音痴なので、うまくいけるかどうか不安だけど、明日あたり時間がとれたら
いってみようと思う。

いけない・・・今日は朝から「年越し蕎麦」をうっていて、そろそろ
いかないと、今日の発送が間にあわなくなる。
9時には、「自分で年越し蕎麦をうつ」という優秀な弟子がやってくる。

今日明日はお店は、お休み。
31日は通常どおり「12時から19時」まで営業。
さらっと「年越し珈琲」を飲みにおいで!

おやおや おーや おーやー

2010-12-28 08:00:57 | Weblog
今日は、大体の会社が御用納めの日。
一年間、ご苦労様でした、といったところだろう。
十間橋通りの「酔香」も、「spice cafe」も、正月休みになった。
蕎麦屋ではないつもりだけど、「年越し蕎麦」の注文が
あちこちからくるので、当たり前のように大晦日までやって
いる。ただし、明日明後日はお休み。(地方発送の年越し蕎麦・年越し珈琲豆
があるので、仕事はしているが・・・)

法政大学の学生さんたちが、学会発表のため、天真庵のミニチュアをつくって
くれた。カウンターの般若くんがつくってくれた籐のイスや、ピアノや
二階にバンダヂなんかも、うまくできている。何よりびっくりするのは、
貞本さんが書いてくれた看板の字や、升たかさんの描いてくれた裸婦までが、
ホンモノに近いリアル感がある。ちょうど学生さんたちが、もってきてくれた日に
升さんが珈琲を飲みにきてくれて、そのできにビックリしていた。

それを、昨日表のショーウィンドウに飾ったら、大家さん(86歳の女子)が
きた。「素敵なものができたわね。飲みたくなっちゃった」とばかりに、昼間
の女ひとり酒が、始まった。「弱くなった」といいながら、いつも2合半は
飲まれる。この詩を死ぬまで実践しているような人生。

立って半畳 寝て一畳 どんなに飲んでも二合半

するとこんどは、もうひとりの「おおや」さん、ピアニストの
大宅裕さんが、入ってきた。ベルギーを中心に活躍するピアニストで、
来年の1月4日に、天真庵新春コンサートをやってくれる。
いつもなんの前触れもいなく、とらさんが、突然柴又のだんごやに
帰ってくるように、現れる。たぶんベルギーと日本の距離感が、
普通の人が、押上から池袋くらいの感覚なのだと思う。いつも
普段着をきて、自然体の人。ピアノで難しい曲を演奏しているときも、
にこやかに笑っているように自然なひとだ。

1月4日は、恒例になりつつある。
満席だけど・・

1月9日は、ももちゃんの「薩摩琵琶」
3回目になる。能にも似た幽玄な世界を堪能する日。

1月17日は、「クラシックジャズコンサート」
JAZZ十間橋を提案してくれたピアニストの深澤さんが
また天真庵にやってくる。ジャズの原点ここにあり。





染めもんやさんたち

2010-12-27 07:56:37 | Weblog
京都のおやっさん、というか、年上の友だちの野村富造さん
が、店をやることになったらしい。西陣でろうけつ染めをやってはって、
天真庵では秋に「染めもん展」をながいことやってくれはる人や。


ギャラリー&ショップ「TOM」いうらしい。丸太町の智恵光院という
ところにある。御所の近く。

23日~25日 プレオープン

1月15日 スタートに漕ぎ着けました・・・というメールがきた。
こんど上洛したときに、ひやかしにいってみようと思う。

今月お知り合いになったて、こないだ上洛したときに
寄らせてもらった、天然藍染め工房 京都・嬉染居(きせんきょ いいます)さんから
おいしい手作りジャムが届いた。彼らのつくる藍染の作品はやさしくて愛情たっぷり。
「おひとがら」がでるものつくりって、いいな、とつくづく思う。

先日は京都の八瀬から、インド音楽をやっている中村徳子さんがわざわざ珈琲を
飲みにきてくれた。八瀬といったら、出町柳から叡電(叡山電鉄株式会社の略で、
京都では、えいでん といいますねん)でいく。鞍馬とかに行く時にもこの電車を
使う。八瀬といったら、窯風呂の発祥の場所であり、八瀬童子で皇室とも関係の深い
不思議な場所。この霊地みたいな場所で、インド音楽が育まれているところが、
なんとなくぴったりでいい。ここも次の上洛の時にいこうと思う。

昨日の「エリカ庵」だった。
昨日は早朝から蕎麦をたくさんうったけど、3時過ぎに空になった。
夕方、エリカ庵で体をほぐしてもらった。
今週は、「年越し蕎麦」をばんばん打つので、楽しみだ。
「年越し珈琲」も例年になくよくでている。正月くらいゆっくり
家で、おいしい珈琲を飲む・・・そんな余裕がほしいものだ。
今日の夜は「タイムドメインの日」
いつも聴いているお気に入りのCDを持ち込んで、いい音楽に浸る日。
食べ物、飲物も持ち込みOK、という変な日。(陽がくれてから、
適当な時間まで開催)

来年は5日から営業。
4日はベルギーから大宅(ピアノ)さんが帰国して、クラリネットのやまねさん、ヴァイオリン松田と新春クラシックコンサートがある。満席だけど・・

9日は、百ちゃんの薩摩琵琶のライブ。3回目になる。これもまた春から縁起
のいいコンサート。





今年最後の日曜日

2010-12-26 08:17:00 | Weblog
今年最後の日曜日。いつものように5時に起きて
すぐにお店にいって、元気に蕎麦打ち。この2日で
4冊読破したマンガ「そばもん」流で、少しこれまでと
違った蕎麦打ちに挑戦した。ちょとしたところに、「ヒント」
がある、というのは、どの道でもいえることだ。
マンガの中で、ホームレスさんたちと主人公の蕎麦職人が
そばがきを食べるシーンがあった。
炭火で珈琲を焙煎し、石臼で豆を挽いて、珈琲を入れたり、
蕎麦掻をつくったりできるので、大地震がきたり、何かの有事で
ライフラインが止まっても、しばらくは、食っていけそうな体制が
できてきた。

そのマンガに「新そば」のことが書いてあり、蕎麦が大陸から
対馬を経由して由来する話があった。とある新宿の蕎麦屋のおやじ
が(長崎出身)、新年に対馬の蕎麦の原種の玄そばを挽きぐるみで打つ、
という話がでていた。ぼくの友だちも対馬にいて、上京したときは、
ひょいっと隣町からチャリンコでくるように、のれんをくぐってカウンター
に座る君がいる。彼は毎年、その対馬の蕎麦を年始におくってくれる。
お店ではださないけど、勉強会なのでそのまま10割で打って供することが
ある。いや、「蕎麦のふるさと」みたいな素朴な味がする。
最近いろいろ派手な蕎麦や蕎麦屋がめだってきたけど、本来は実に
簡素で素朴な食べ物だと思う。

今日は「エリカ庵」
一年間、丈夫で元気な蕎麦が打てたのも、月に二度
エリカ庵でほぐしてもらったことは大きい。
生活や仕事をそぎ落として、簡素にしていったら、やはり
最後は「ひと」にいきつくし、ひとにとって大切なことは、
一に健康、二に健康、三四がなくて五に芸術・・・
そんなところではなかろうか。

年越し蕎麦

2010-12-25 08:02:48 | Weblog
昨日はクリスマスイブ。プチ贅沢、とばかりに
カウンターに元気な女子たちが並び、そば前(そばがでてくるまでに飲む酒)を、ぐいっとやりながら、粋な「一人酒」といった感じの今どきの風景が潔く、気持ちよかった。

夜は「ねんどの会」だった。小学4年生のみくちゃんのママ
が素敵なケーキを焼いてもってきてくれた。昨日は蕎麦粉で
「そばっこピザ」に挑戦した。シャンパンと赤ワインによくあった。

みくちゃんは今年のお年玉で
ねんどに通った。習い事や、趣味や芸術の世界は、「自腹」を切らなくては
、意味がない。(身銭を切る、いい言葉だ)そんな当たり前のことを、小学生のころから実践しているのは、本人も偉いけど、家族も偉い。最近、蕎麦屋やお店に「小学
生や子どもをお断り」という看板をよく見るけど、あれは躾をしていてない、
バカな親をお断り、と書いてあるのだと思う。「しつけ」とは、いつづける、つまり
家庭の中で連綿と習慣化していくものだと思う。

来週はいよいよ大晦日。
年越し蕎麦の出番だ。先日、カウンターで飲んだ女子のひとりは
宮崎出身。ぼくの両親もそうだけど、宮崎では、大晦日の紅白が
終わるころ、かしわの出汁をつかって、年越し蕎麦を食べる。
普通の家でも普通においしいその「かしわ」は、今から思うと
ブランド化して味も名前も厚化粧した今どきの「地鶏」よりも
おいいかったような気がする。

江戸では、「年越し蕎麦」は大晦日の仕事が終わって、借金の返済
も終わった昼どきか、午後に、つるっと手繰ったことに由来する。
宵越しの金も持たないけど、宵越し時に蕎麦も食べないのが流儀だ。

誰からのエッセーに、「大晦日に年越し蕎麦を蕎麦屋で手繰る。
土産に2人分の蕎麦と、4人分の蕎麦をもらう。その足で、愛人の
家にいき、2人分の蕎麦を手繰る。年末年始は、家族で過ごすので、
日陰の君にすまない、という自責にかられながら、本宅に帰り、
三度目の年越し蕎麦を食べる。同じ蕎麦だけど、最後の蕎麦の
なんとも、むなしいのどご越しの「年越し蕎麦」の味」が、
妙に繊細に書かれてあったのを思い出した。健啖これ名馬?




ゆず湯

2010-12-24 08:15:52 | Weblog
昔から、冬至にはゆず湯というのが慣わしになっている。
近くの銭湯に、「今日はゆず湯」とかいう看板が先日通夜の日の朝
貼ってあった。
言い伝えによると、冬至は「死の日」というようないわれかたをし、
それを守る意味で、ゆず湯の習慣ができたとか。でもほんとうは、寒い
日に血行をよくし、ぽかぽかな気分にするために、使われたのだと思う。今年はかぼすを三昧になるほど楽しんだけど、ゆずもいいものだ。

先日近くにこの春開店した「酔香」(スイカと読む人が多い。スイコウ)のおかみさんが、お裾分けしたかぼすを、ジャムにして、もってきてくれた。今朝蕎麦を打った
後朝食の前に、それにお湯を入れて飲んだ。幸せな朝の味がする。
かえしをさしあげたおかえしに、いくらを漬けてくれてもってきた
友だちがいたり、たまねぎをさしあげたら、カレーになって里帰りしたり、
幸せなリサイクルって、時代的でもあり、こころあたたまる好循環だ。
これからは、こうゆうことが、いっと大事になるのではなかろうかしらん。

今日はクリスマスイブ。金曜日と重なって、盛り上がるのではなかろうか?
天真庵では、「ねんどの会」の後に、みくまま特性のケーキで、クリスマス
を楽しむ予定だ。とても素敵な夜になりそうだ。

日曜日は「エリカ庵」
今年の貯まった疲れをほぐしてもらって、年末の「年越し蕎麦」を元気
に打ちたいものだ。
もなか屋は、先週で今年は店じまい。



聖夜に捧げるトリオ

2010-12-22 10:20:17 | Weblog
いけめん、な、いやつけめんなトリオ 

   平山慎一郎 ヴァイオリン + 江田雅人 チェロ + 赤松林太郎 ピアノ
が、やってくれた正確な音楽会の名前は、それだった。名前はさておき、すばらしい
コンサートだった。ありがとう。親を始めて見送ったかみさんも、素敵な音楽を聴いて元気がでたようだ。まさにカタルシス(癒し)なものが音楽にはある。
明日12月23日の14:00から五反野のわたなべ音楽堂で、同じタイトルの
音楽会をやる。ぜひ縁ある人、!ときた人はいってみてほしい。チケットはほぼ完売
ではあるようだけど・・・
この星の中で一番素敵なものは、芸術であり、その芸術をつくった人間だとつくづく思う。

昨日はカウンターに旧友が二組、音楽を聴きにこられた。最初のご夫婦は、池袋で
画廊を始めたきっかけになった南條先生の 寒山拾得の絵のきっかけになった人だ。
旦那さんは国文学者。寒山拾得の世界を語りながら、よく酒を飲んだ。
もう一組の友だちは、熊本出身で、うちに寒山拾得の絵が入った20年くらい前の
日、その絵を見ながら、ただ飲んだ仲だ。「江戸一」デビューもそのころ、いっしょに
いったけど、まだまだ元気だった女将に「飲みすぎ」だと途中でやんわり追い出された


赤松林太郎くんのニューアルバムの最初の曲は、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だ。明け方に潜在意識が健在意識と交差するあたりに聴くと、いい目覚めになり、
「今日も1日がんばろう」という気になる。だいたい毎朝5時におき、5時半過ぎ
に店を開け、炭に火を入れながら、蕎麦打ちの準備をするころ聴いている。
凡夫なこころには、主の声は聞こえてこないけど、眠った細胞が蘇ってくるような
そんな気持ちになる。けっこう大事な時間体だと思う。その時間体には、ジャズは
ききたくないし、演歌なんかもききたくない。古い時代と新しい時代が交差する
今のような時代には、クラシック音楽はとても大事な音源であり根源ではなかろうか。
2月25日の「林太郎ピアノライブin天真庵」では、浸透圧みたいなピアノを聴かせたい、とのことだが、きっとそのあたりの感覚なのだろうか。楽しみだ。

バッハといえば、そんな名前の珈琲の名店が「泪橋」の交差点の近くにある。
泪橋の近くに明日のジョーのボクシングジムがあった。(もちろんアニメの中
だけのお話し)。
ぼくも小さいころからボクシングが好きで、タイトルマッチがテレビで中継される
時は、塾をさぼって見ていたし、お店を開くまでは、7年間目白のヨネクラボクシングジムに通った。ボクシングは、世界タイトルマッチもおもしろいけど、新人戦も
おもしろい。まだまだ防御の技術も、スタミナの配分もわからない新人たちが、命がけ
でリングで闘っている姿は、すっぱだかの人間だ。でも世界にいくボクサーは、そこからあれよあれよというまに頭角を現し、日本ランカーを破り、日本チャンピオンも
通過点みたいにして、世界へ羽ばたいていく。
昨日の三人衆と「あごの骨酒」を酌み交わしながら、談論していると、そんな元気のいいボクサーみたいなものを感じた。世界へ飛翔していってほしいものだ。





クリスマス

2010-12-21 08:51:50 | Weblog
12月21日(火) 天真庵クラシックライブ クリスマスコンサート

           (つけめん3人衆のメリークリスマス)

   平山慎一郎 ヴァイオリン + 江田雅人 チェロ + 赤松林太郎 ピアノ

   19時開場19時半開演 4000円(蕎麦会含む)

昨日今日と雑誌の取材もあり、なんだか仕込みにおわれている。

町は、クリスマスモードになってきた。
♪もういくつ寝るとお正月・・・モード。

今日は上のコンサートがあるので、15時で閉店します。

明日明後日は休み。


 

気骨の旅

2010-12-20 08:03:11 | Weblog
こないだの休みの日に、銀座の骨董屋で伊藤仁斎の書を見つけた。
京都を1度も離れることなく生涯を儒教の道を究めた一代の儒宗だ。
「文人墨客を語る」の冒頭で紹介されていて、それによると荻生徂徠が
自分が仁斎に劣る点を三つあると記せられて、

1、仁斎の学は、師伝によらぬ独学である。
2、終生何れにも使えない
3、東涯の如き偉い子がある。
とあった。

その書は、晩年の境涯を書いたもので、
「財産になるようなものや、残すものは何もなかったが、
風を感じながら、さらさらと流れる加茂川のように、生きて
これた」みたいなことが書いてあった。よこに東涯の讃も揮毫
されていた。

「銀座の七不思議」の代表みたいな骨董屋のおやじと
四方山話をしながら、ていねいにいれてもらった玉露を
飲んでいたら、かみさんから電話があって、「おとうさん
が危ない」とのことで、大森海岸の病院で末期がんの緩和治療中の
義理の父を見舞う。肺がんの末期は、息が苦しいのと、全身の痛みが
苦痛で、モルヒネのお世話にならないといけない状態。
「年越し蕎麦を食べながら、また酒を飲みましょう」と約束して
病院を後にしたけど、昨日の朝帰らぬ人になった。
おじいちゃんを師とし、生涯を大工で過ごした。天真庵のダムエター
は、おとうさんがつくってくれたものだ。

最後の「自宅外泊」の日は、孫たちのお菓子(いつもひきだしや、おしいれに
かくしていて、孫たちとお菓子のかくれんぼを楽しんだ)を、隠し場所から出し
て、テーブルにおいたり、小さな箱をつくって、自分の荷物を整理したらしい。
今時のおやじにはない、気骨のある男だった。76歳で昇華するまでGパンに皮のブーツをはいて、パンチパーマ、で通した。暴走族に負けない走りで、
ランドクルザーを運転した。整理箱をつくった後は、おぼつかぬ足
にブーツをはいて、いきつけの床屋で毛を染め、パンチパーマをかけた。

お菓子を隠してくれたおじちゃんが隠れてしまって、孫たちはみな大きな声で鳴いた。

先日は、ぬまちゃん(2代目のスケット娘)が、5月に生まれた嫡男をつれて
わざわざ大阪から遊びにきてくれた。昨日は、「英語で蕎麦会」の岩本夫妻が
やってきて、「子どもができた」とのこと。

生きていく命 死んでいく命 みんな生きている命 鎮魂

今日は「順受の会」
月に一度の儒学バーの日

明日は「赤松林太郎一家のクリスマスコンサート」

水曜日・木曜日は、連休をいただきます。家族だけで静かに
なき父を送りたいと思っています。