長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

春慶寺

2010-12-02 08:51:45 | Weblog
押上にそんな古刹がある。池波正太郎の小説にもでてくる。
歌舞伎役者や、四谷怪談を書いた鶴屋南北もここに眠っている。
王選手のお父様がやっていた中華屋「50番」も、もともと、その敷地内だったらしい。ときどき、ここの老師さんが珈琲を飲みにこられる。言葉好くなめだが、
ひとことひとことが、重みがあって、いろいろ教わること多し。

天真庵の前に、町内会のお知らせの看板がたっている。お店を改装するときに
勝手にはずした(景観があわないと思って)のに、強引にまた建てられた。
しかも、勝手に抜けないようにコンクリートで頑丈に固められた。
そこには、お祭りとか、ゴミの日の変更とか日常のお知らせなんかが、
貼られたりする。五月の「墨田ぶらり下町音楽祭」なんかも貼られた。
時々、訃報と葬儀の案内なんかが貼られる。先日は十間橋通りの床屋の
オーナーの訃報があった。53歳で旅だたれ、葬儀は春慶寺ということだった。
今朝ジョッギングしていて、その店の前で立ち止まり、うなぼうを脱いで
合掌。

今年もこの季節になると、「年賀状は遠慮します」みたいなハガキがくる。
年々ますます多くなる。その中に「ワカ」の細君と熊本の実家から
もきた。食道ガンになった後も、ひんぱんに足を運び、コンサートは
ぜんぶきた。2月3日に、55歳で昇華した。
「人生2度なし」という絶対的な哲を、徹頭徹尾貫いて生きた55年の太く短い人生。

先月のある日の昼さがり、やさしい陽だまりが、窓からさしこむような
日に、ひとりの女性がカウンターに座った。
神楽坂から、末期ガンの父親を近くの病院に救急車で運んだ、ということだった。
どこの病院も末期がんの患者のベッドが足りないらしく、治療のかいもない
末期の患者は、自宅にもどるか、高いお金を出してホスピスにいくか、緩和治療
をしてくれる町医者のところへいくか、という選択肢にせまられる。彼女は
押上のT病院を選んだ。それから、毎日病院に父親をお見舞いにいった帰りに
立ち寄ってくれて、珈琲を飲まれた。10日くらいたったある日、「しばらく
これなくなるので、最後に珈琲をください。」といった。あちらの世界に
いかれたのがわかった。ていねいに「ほぼぶらじる」を入れ、それを飲みほすと、
一礼してお店を後にした。その父親は、全盛のころには、よく向島「なみむら」で遊んだということだ。そして、彼女は三味線と琴の奏者。父親の誕生日の来年3月の初め
に、天真庵でライブをやることを約束した。「父が天真庵との縁をつけてくれた」という言葉が染みた。こころから、ご冥福をお祈りしたい。

そして、そのお父様と同じような状態にある義理の父を見舞いにいった。
できたら、3月4日のライブに招待したいけど、微妙な状態だ。
みんな生きている間は必死に毎日毎日を懸命に息しながら生きていく。
そして、みんな100%あちらの世界にもどっていく。息をしている
つかの間の時間の中で、生・滅・生・滅をくりかえしながら、生きている。
それだけのことだけど、そこが素晴らしい。天恩感謝。