長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

昼行灯(ひるあんどん)

2010-12-12 07:52:30 | Weblog
昔から、役に立たない人のことを、「昼行灯」といった。
行灯、つまり足元を照らす道具は、夜にこそ役にたちが、
昼間は何の役にも立たない、という意味から使われた。
でも時代が変わって、行灯は夜も役にたたない。都会では
行灯がなくても真夜中でも歩ける。

先週の旅の途中の中仙道の骨董やで「行灯」を買ってきた。
きっと、素人さんが作った、というより、生活必需品だったので
どの家でも作ったのだと思う。そのいがんだ具合が、李朝家具のバンダヂ
みたいで、とてもいい。和紙はきっと美濃和紙に違いない。大福帳みたいに
ものの値段などを、細い筆で書いた和紙が貼られている。「みせよう」という
作為がなくとても自然な字だ。表の紙を1枚、霧吹きで吹いてはがしていたら、
国宝的にめんどうみのいい、経師やさんが珈琲を飲みにきた。その行灯を見て、
飲みかけのほぼぶらじるを半分残して、家にもどり、5分後に、品のある和紙を
もってきてくれた。さっそく、ごはんに水をたし、のりをつくる。
その和紙には、もなか屋の女将のみっちゃんが、「てんしんあん」
とひらがなで揮毫してくれた。太田垣蓮月みたいに、やさしい字だ。
陽が落ち、その灯篭に灯りをともしたら、えもいわれぬ風合いになった。
その姿をみながら、みっちゃんと、久保さんの斑唐津で祝杯をあげて
いたら、夏樹くんがやってきた。「珈琲の樹」の店長だ。
「石臼で珈琲豆を挽いてみたい」というので、やらせてみたら、あまりに
自然にいくので、「お互いにこれを、押上珈琲とかいって、押上げるか」
という話になった。
和紙の行灯といい、石臼といい、「今は昔」に使われてきた道具だけど、
気がついたら、時代の先端にいた、というくらいすぐれた道具だ。
道具・・・道を具える・・・・いい言霊だ。

スカイツリーが、東京の街を照らしはじめ、界隈はなにかとけぜわしく
なってきたが、それぞれの足元を、しっかり見つめないと、来年あたりは
みんなたいへんな時代になりそうだ。禅寺の玄関には「脚下照顧」と
かかれているが、行灯みたいに、やさしい灯りで、足元をみつめていきたいものだ。

今日は、プライベートなジャズライブをやるので、お店は16時で閉店します。
3日前にきまったライブだけど、2日で満席になった。

明日は「クラシックコンサート」
石岡の蕎麦の名店「まんまや」の嫡男が、クラリネットを演奏してくれる。
昔から蕎麦屋の二階で、落語などをやる(逢引もある)とかいう文化が
あったが、これからは、「ジャズ蕎麦」や「クラシック丼」など、音楽と
からめていくのが、いい。来週は、赤松林太郎組の「つけめん三人衆」の
コンサートがある。今年の千秋楽みたいな音楽会。
みんなおかげさまで満席だけど、また来年もよろしくお願いします。

1月は4日にベルギーからピアニストの大宅さんが帰国して、新春コンサート
をやります。
9日(日)には、「薩摩琵琶とピアノのライブ」
17日(月)は、「クラシックジャズのライブ」
盛りだくさんの新春シャンソン、もといジャズやクラシックの会。 感謝。