長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

聖夜に捧げるトリオ

2010-12-22 10:20:17 | Weblog
いけめん、な、いやつけめんなトリオ 

   平山慎一郎 ヴァイオリン + 江田雅人 チェロ + 赤松林太郎 ピアノ
が、やってくれた正確な音楽会の名前は、それだった。名前はさておき、すばらしい
コンサートだった。ありがとう。親を始めて見送ったかみさんも、素敵な音楽を聴いて元気がでたようだ。まさにカタルシス(癒し)なものが音楽にはある。
明日12月23日の14:00から五反野のわたなべ音楽堂で、同じタイトルの
音楽会をやる。ぜひ縁ある人、!ときた人はいってみてほしい。チケットはほぼ完売
ではあるようだけど・・・
この星の中で一番素敵なものは、芸術であり、その芸術をつくった人間だとつくづく思う。

昨日はカウンターに旧友が二組、音楽を聴きにこられた。最初のご夫婦は、池袋で
画廊を始めたきっかけになった南條先生の 寒山拾得の絵のきっかけになった人だ。
旦那さんは国文学者。寒山拾得の世界を語りながら、よく酒を飲んだ。
もう一組の友だちは、熊本出身で、うちに寒山拾得の絵が入った20年くらい前の
日、その絵を見ながら、ただ飲んだ仲だ。「江戸一」デビューもそのころ、いっしょに
いったけど、まだまだ元気だった女将に「飲みすぎ」だと途中でやんわり追い出された


赤松林太郎くんのニューアルバムの最初の曲は、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だ。明け方に潜在意識が健在意識と交差するあたりに聴くと、いい目覚めになり、
「今日も1日がんばろう」という気になる。だいたい毎朝5時におき、5時半過ぎ
に店を開け、炭に火を入れながら、蕎麦打ちの準備をするころ聴いている。
凡夫なこころには、主の声は聞こえてこないけど、眠った細胞が蘇ってくるような
そんな気持ちになる。けっこう大事な時間体だと思う。その時間体には、ジャズは
ききたくないし、演歌なんかもききたくない。古い時代と新しい時代が交差する
今のような時代には、クラシック音楽はとても大事な音源であり根源ではなかろうか。
2月25日の「林太郎ピアノライブin天真庵」では、浸透圧みたいなピアノを聴かせたい、とのことだが、きっとそのあたりの感覚なのだろうか。楽しみだ。

バッハといえば、そんな名前の珈琲の名店が「泪橋」の交差点の近くにある。
泪橋の近くに明日のジョーのボクシングジムがあった。(もちろんアニメの中
だけのお話し)。
ぼくも小さいころからボクシングが好きで、タイトルマッチがテレビで中継される
時は、塾をさぼって見ていたし、お店を開くまでは、7年間目白のヨネクラボクシングジムに通った。ボクシングは、世界タイトルマッチもおもしろいけど、新人戦も
おもしろい。まだまだ防御の技術も、スタミナの配分もわからない新人たちが、命がけ
でリングで闘っている姿は、すっぱだかの人間だ。でも世界にいくボクサーは、そこからあれよあれよというまに頭角を現し、日本ランカーを破り、日本チャンピオンも
通過点みたいにして、世界へ羽ばたいていく。
昨日の三人衆と「あごの骨酒」を酌み交わしながら、談論していると、そんな元気のいいボクサーみたいなものを感じた。世界へ飛翔していってほしいものだ。