長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

年越し蕎麦

2010-12-25 08:02:48 | Weblog
昨日はクリスマスイブ。プチ贅沢、とばかりに
カウンターに元気な女子たちが並び、そば前(そばがでてくるまでに飲む酒)を、ぐいっとやりながら、粋な「一人酒」といった感じの今どきの風景が潔く、気持ちよかった。

夜は「ねんどの会」だった。小学4年生のみくちゃんのママ
が素敵なケーキを焼いてもってきてくれた。昨日は蕎麦粉で
「そばっこピザ」に挑戦した。シャンパンと赤ワインによくあった。

みくちゃんは今年のお年玉で
ねんどに通った。習い事や、趣味や芸術の世界は、「自腹」を切らなくては
、意味がない。(身銭を切る、いい言葉だ)そんな当たり前のことを、小学生のころから実践しているのは、本人も偉いけど、家族も偉い。最近、蕎麦屋やお店に「小学
生や子どもをお断り」という看板をよく見るけど、あれは躾をしていてない、
バカな親をお断り、と書いてあるのだと思う。「しつけ」とは、いつづける、つまり
家庭の中で連綿と習慣化していくものだと思う。

来週はいよいよ大晦日。
年越し蕎麦の出番だ。先日、カウンターで飲んだ女子のひとりは
宮崎出身。ぼくの両親もそうだけど、宮崎では、大晦日の紅白が
終わるころ、かしわの出汁をつかって、年越し蕎麦を食べる。
普通の家でも普通においしいその「かしわ」は、今から思うと
ブランド化して味も名前も厚化粧した今どきの「地鶏」よりも
おいいかったような気がする。

江戸では、「年越し蕎麦」は大晦日の仕事が終わって、借金の返済
も終わった昼どきか、午後に、つるっと手繰ったことに由来する。
宵越しの金も持たないけど、宵越し時に蕎麦も食べないのが流儀だ。

誰からのエッセーに、「大晦日に年越し蕎麦を蕎麦屋で手繰る。
土産に2人分の蕎麦と、4人分の蕎麦をもらう。その足で、愛人の
家にいき、2人分の蕎麦を手繰る。年末年始は、家族で過ごすので、
日陰の君にすまない、という自責にかられながら、本宅に帰り、
三度目の年越し蕎麦を食べる。同じ蕎麦だけど、最後の蕎麦の
なんとも、むなしいのどご越しの「年越し蕎麦」の味」が、
妙に繊細に書かれてあったのを思い出した。健啖これ名馬?