京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

天龍寺暁天講座2016

2016-07-31 05:25:48 | 坐禅会

今年も天龍寺暁天講座が開催(7/30ー31)され、私は昨日行ってきました。
5時過ぎ車で家をでます。坐禅開始は6時です。

5時半前の嵐山渡月橋です。
朝陽を受けた渡月橋きれいです。





境内の駐車は参加者は無料です。
庫裏に入ります。





受付で資料をいただきます。





坐禅開始までに名勝曹源池庭園を撮影します。













多くの方々が早朝の曹源池の景色を楽しんでいます。










方丈内の坐禅会場です。





6時前坐禅の説明があり、約25分間の坐禅を休憩をはさんで2回行います。
広い方丈内に驚策の音が響きわたります。
今回は特に参加者が多いようで方丈内には入りきらず、廊下でも坐っています。

坐禅終了後、般若心経を読経します。
その後は佐々木容道管長による『夢中問答』32則「公案」の提唱です。

『夢中問答』は天龍寺開山の夢窓国師こと、夢窓疎石(1275~1351)が書いた仮名法語で、 夢窓国師が足利尊氏の弟、足利直義の質問に答えるQ&A形式の禅問答集です。





問 福智をもとむるをば悉くこれをきらへるに、禅家の学者一則の公案を提撕して、悟を求むるはくるしからずや。
(意訳 公案で悟りを求めるのも間違いではないか)

答 ー中略ー
宗師の人に此の公案あたふること、往生浄土のためにあらず、成佛得道の求めにもあらず、世間の奇特にもあらず、法門の義理にもあらず、総じて情識のはからざる處(意訳 思慮分別を越えたところにある)なり。
故に公案となづく。これを鐵饅頭にたとへたり。ただ情識の舌をつくる事あたはざるを處に向って、咬み来り去らば、かならず咬み破る時分あるべし。其の時始めて、此の鐵饅頭は世間の五味六味にもあらず、出世の法味義味にもあらざる事をしるべし。

管長いわく、無門関の無字の公案や白隠禅師の隻手音声などがよく知られているが、無とはなにかということを半年、1年と考えさせるのです。
頭で考えるのではなく、修行や生活を通して考えていくのです。
大学の知識や社会生活の分別は全く通用せす、参禅を通して思慮分別の及ばないところに導いていくのです。
そして厳しい修行のなかで、ある日突然公案一体となって得られる境涯になるのです。
本来の自己を見つけていくのを手助けするのが公案です。

※ 趙州和尚 、 因みに僧 問 う 「 狗 子 (く し )に 環 (か え ) っ て 仏性有りや 也 (ま ) た 無しや 。」 州 云 く 、「 無 」。狗 子は犬です。
※ 隻手音声、両手を打つとポンと音がします 。 その 片手だけの音声を聞けという公案で す 。

提唱が終わるとお素麺の接待があります。
今回の参加者は特に多く、460名だそうです。
雲水さん手作りの素麺がつぎつぎ運ばれてきます。





みなさん曹源池を見ながら素麺をいただきます。




















朝8時過ぎの曹源池





庫裏を後にしますが、もう外はガンガン照りです。





朝顔





帰りに放生池のハスを見ます。
そろそろ終盤です。




















各本山の暁天講座はこれから始まります。
私はもう一ヶ所は参加したいと思っています。







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4 コメント

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Unknown (あゆ)
2016-07-31 15:59:50
暁天講座というお言葉、恥ずかしながら初耳でした。
京都ならではの夏の風物詩なのですね。
折しも先日の新聞で坐禅が大人気ということが取り上げてました。
ストレスの多い時代には、坐禅というシンプルな修行が
余計なものをそぎ落とすのにふさわしいのかもしれませんね。
参加者が多いのも頷けます。
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あゆさんへ (京都で定年後生活)
2016-07-31 21:01:27
こんばんは
他県のことは存じ上げないのですが、末寺での開催は難しいように思います。企画にもよりますが、かなりの人手がかかります。やはり本山開催が無難なようです。
昨日の天龍寺暁天講座は特に参加者が多かったです。
建仁寺も多かったですね。
近年坐禅会の参加は増えているように思います。それは来る者拒まず、去るもの拒まずという基本姿勢だからだと思います。よく耳にする宗教勧誘のようなことは一切ないのです。あくまでも自由意思というのが受け入れられている要素の一つだと思います。
坐禅会は自分を見つめ直す機会と私は位置付けています。
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無心の境地を求めて (カワセミ)
2016-08-01 00:09:31
こんばんは。
●座禅会 ものすごい参加人数なのですね。驚きました。
私は 坐禅を経験したことはないのですが
先日 地元の一言寺での読経会と火焚護摩供に
初めて参加させていただきました。
今 大きな心配事を抱えているため 心の安定を
求めての事でしたが 常連門徒さんの中で まったく初めての私でも 数十分間 とにかく一心不乱に 経本のふりがなを唱えていると その間 無心になれた感覚になり
リアル読経の場の臨場感の魅力に
すっかりはまってしまいました!
人生、現実生活で無心の心境を得ることはできないゆえに
心が苦しいのですね。
もし生まれ変われるなら 仏教の修行の道を、と
願うほどです。
最近 般若心経も含まれた経本のCDを購入しました。


●京都で定年後生活さまの記事を拝見して
「アオノリュウゼツラン」を見に行ってきました!
花の成り立ちや その生態にも ビックリですが
「そんな奇跡のような花を見られたこと」 が感動 です!
数十年に一度 一生に一度だけ咲く花 を見られるなんて
私にとっても 一生に一度のことかもしれませんものね。
開花の情報 ありがとうございました。



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カワセミさまへ (京都で定年後生活)
2016-08-01 06:07:09
おはようございます。
一言寺の読経会の記事拝見いたしました。
貴重な経験をなされたようですね。
日常の生活ではいつも心が乱れがちですが、何かに集中すると気持ちがスッと楽になります。
私は坐禅会に参加して10年以上になります。最初何もわからない坐禅の仕方を教えてもらい、1時間半座りました。慣れない姿勢に足や背中に痛みや疲れがあったのですが、気持ちがずいぶん楽になり、以来気の向くままに参加しています。
私の経験では心が乱れを癒すのは頭でいくら考えても無理です。坐禅は姿勢を保ち座ることで私の場合は気が楽になります。
読経会も同じようなことではないでしょうか。読経中はそれに集中しまうからではないでしょうか。
私の場合は坐禅中もなかなか無心になることはできないですが、、、。
アオノリュウゼツランも見に行かれたのですね。
ほんとうに珍しい植物ですね。しかも2本も咲いたのですから。

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