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さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

ご意見のある方はayushirokun☆hotmail.comへ、☆を@に変えてメール送信してください。
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母が亡くなりました

2025年06月10日 22時55分00秒 | たわごと

gooブログでの最後の記事になるかもしれません。

先月末、母が亡くなりました。

白血球200の時には、退院できたら奇跡と思いましたが、

血液内科の主治医の尽力のおかげでなんとか回復し、

5月中旬に退院できました。

退院時には、もうこれ以上できることはないので

あとは家で自由に過ごしてくださいという内容を

「退院カンファレンス」という名目で

病院スタッフ10名ぐらいに囲まれて1時間半ぐらいありました。

最近はこういうことをやらなければならないのでしょうかね。

もうすぐ死にますよ、と婉曲に何度も言われて、母は涙をぬぐってました。

とはいえ、母の場合、

何度も何度も余命宣告をされながら生き延びてきたので

そうはいっても数カ月は生きてくれると思ってました。

 

姉が介護休暇を取って、母を家でみることになりましたが、

気丈な母は1週間で姉に仕事に復帰してもらうつもりで

当初は自力でトイレにもいき、食事も一緒に取れていました。

だんだん回復してくれるのかと思っていたら

1週間後から急に悪化し、食事がとれなくなり、

歩けなくなり・・・と急速に悪化し、

二人がかりでないとトイレにいけないのに

ふらふらになりながら、ポータブルトイレには自力でいって

オムツになったのは最後の1日のみ。

それも「今からするからオムツかえて」と言ってしてくれました。

亡くなる前日は少し落ち着いてみえたので、私は仕事にいっていたのですが

急にシバリングがきて、40度の発熱。

敗血症か感染症か。

どっちにしても助かりません。

オムツ交換等で体を移動させるときには反射的に「痛い」と言っていたけれど、

それ以外の時には痛いとも苦しいとも言わず、

ひたすら我慢して、子供に心配をかけないようにしていたようです。

急に悪化した翌日に少し落ち着くという日が二度あり、

その間に親戚、友達にすべて挨拶をすませ

死に装束も葬儀のやり方も相続も事前に全部伝えて、

「葬儀場を自分で下見にいけなかったのだけが心残り」というぐらい

すべての始末は自分でつけて、

子ども三人に見守られた最期でした。

いつも忙しい弟が奇跡的に時間的余裕のある時で

きちんと時期を選んで旅立ったようです。

母の遺言で死に装束は訪問着、

棺は赤いバラをいっぱい敷き詰めました。

母が亡くなった日の訪問看護の方がなんと着付けのできるかたで

帯まできれいにしめてくださいました。

最後まで完璧な母で、不肖の娘と息子は喪失感が半端ありません。

 

危篤になったときにお別れに来た母の友人がみんな口をそろえて

「あなたがいなくなったらどうするの!?」

といい、

葬儀後は形式的におまいりにくる(ことが多い)親族のお嫁さん方も

みなさん号泣してくださり、

私の友人も姉の友人も一緒に泣いてくれて、

母の偉大さを亡くなるときにまた思い知りました。

 

コロナでだいぶ簡略化されましたが

私の一族では七日参りはきちんとやるので

四十九日の間はなんだかんだとバタバタ過ごしています。

叔母が私たちを心配して、四十九日の間は

基本的に毎日、お経をあげに来てくれています。

四十九日が終わったらすぐに初盆になるので

9月頃にまた淋しくなるのかもしれません。

 

家にいるとどうしても考えてしまうので

仕事にいっているほうが気が晴れますね。

いつもなら毎月2日ぐらい観劇予定が入っているのに

どういうわけか1カ月半ほど全く予定がなく、

私も私で無意識に準備していたのかもしれないです。

生あるものはいつか死を迎えるし、

親が先に逝くのは当たり前のことなのですが、

それでもやっぱり淋しいこと、この上なしでございます。


gooブログが終了するらしい・・・

2025年04月29日 22時29分00秒 | たわごと

今月初旬から母が入院してます。

IgGが8000を超えたため、アルケランを2ミリ/日という少量で

3週間ほど服用したところ、白血球が下がってきたため休薬。

休薬後も白血球やヘモグロビンが下がり続けたためまず輸血。

そしたら輸血の翌日、肝性脳症になり、昏睡状態になってしまいました。

血中アンモニア値が下がって意識は戻りましたが、

白血球は200(好中球48)まで下がり、

相変わらず血液の状態が悪いので、面会はできず、

本人から『残念、しにそう』というラインも届き

今回はいよいよと覚悟しましたが、

なんとか本人の気力でだいぶ持ち直してきたところで、

白血球は600まで回復し、食事も7部がゆで食べているようです。

 

・・・というわけで、だいぶ落ち着いたので、久々にブログを見たらば

gooブログサービス終了のお知らせが。

マジ⁉️

ワタクシ、最近こそアップしてませんが、

20年近く記事を書き続け、

病気に関しては完全に備忘録になっているのです。

検査いつやったっけ・・・?

・・・自分のブログ確認する。

みたいな感じで。

いやー、なくなったら困るー。

amebloとかに引越しできるみたいな案内はありますが、

この大量データが引っ越しできるんですかね?

不安っす。


相変わらずバタバタ

2025年03月23日 17時37分34秒 | たわごと

相変わらずバタバタの日々を送っております。

先月の下旬、母が緊急入院しました。

昼に私が仕事に行く時には元気だったのに、

夜に帰ってくると、『寒い寒い』と言いながらぐったりしていたため、

救急車でいつもの病院へ。

 

朝は平熱、夜7時には38度、病院到着時には39度超え。

風邪はひいてなかったのに急な高熱だったため、

コロナかインフルかと思いました。

・・・が、どちらもマイナスで、CTを取ると肺炎です、と。

風邪もひいてないのに肺炎になることがあるのか⁉️

年寄りはよくわかりません。

 

『入院ですね。』

と救急担当医言われて、抗生剤の点滴が始まりました。

点滴が始まってまもなく『暑い』と言い出し、

熱が下がってきているようでした。

ところが、病棟に上がるのを待っている間に

母がつけている機械から、ピコーンピコーンと警告音が鳴り始めました。

血圧が下がっていたのです。

80-40ぐらい。

 

でも、熱が下がって楽になってるみたいなのになぁ?

と思いながら、母を見直したら、大問題を発見。

母はセーターの上から分厚いカーディガンを着て病院に行きましたが、

そのカーディガンの上から血圧を測ってました。

看護師&臨床検査技師の姉と

「アレで正解な血圧測れるのか?」

「知らん😩」

 

いやいや、どう考えても、正解じゃないだろう。

と思うのに、救急スタッフたちは深刻になり、

姉と私は救急担当医に呼び出されました。

 

曰く。

血圧が下がってますが、昇圧剤を使いますか?

でも、昇圧剤を使ったところで先に未来があるわけでもないし、

本人が苦しいだけですよ。

使わないほうが楽に逝けますよ。

もう十分頑張られましたし。

 

と言われ、昇圧剤を使わないことを了承させられました。

 

母は本当に危篤なのか?

どうみても、そうは思えない娘二人。

(一年半ぶり2回目の経験)

 

深夜2時ごろにようやく病棟に運ばれ、

呼び出しがあるかもしれない、と言われて帰宅しました。

 

本当にやばい血圧なのか?

我が家の母系は家系的に血圧が低く、

私も入院中は85-50とかはよくありました。

低い血圧が熱で少し下がり、

カーディガンが正しく測れてないだけでは?

うーん。

 

翌朝。

大丈夫なのかしら、と心配していたら

母から思いの外元気な声で電話が掛かってきました。

朝食は完食したと。

座ってご飯を食べていたら、昨夜の救急担当医が現れ、

『うわ、元気になってる?😐』

とびっくりしていたそうです。😆

先生はそろそろご臨終かと予想しながら来られたのでしょう、多分。

 

原発性胆汁性肝硬変を30年患い、

多発性骨髄腫が発覚してからでも10年以上、

そんな高齢患者が肺炎で血圧下がったら、

普通はそのまま逝くと思いますよね。

残念ながら、母には常識は通じない。

加えて、カーディガン上からの血圧。(笑)

 

シベリア帰りの祖父も102歳か103歳のときに心不全になり、

入院計画書に

『看取りのため。入院期間、2、3日』

と書かれたことがありますが、治療なしで自力で回復し、

生きて退院しました。

さすがは、あの祖父の娘。

 

その後、多発性骨髄腫の抗がん剤治療を経て、

無事に家に帰ってきました。

 

生還したとはいえ、だいぶ弱ってはいるのですが、

ここから先は全部ボーナスステージ。

楽しいことだけして生きてほしいものです。

 

そんなこんなで、家はバタバタ、推し活も仕事も忙しく、

相変わらず慌ただしい日々を送っております。

 


膵の会10周年zoom相談会実施

2025年02月09日 01時44分28秒 | 膵の会

是非、ご気軽にご参加ください。


水道管爆発

2025年02月06日 23時46分43秒 | たわごと

今日は大寒波襲来。

朝、起きたら、タイマーを設定してるはずのエアコンがついていません。

正確には、スイッチは入るのに、動いてません。

Why❓❓❓

 

取扱説明書を見てもよくわからず、

ただ、寒すぎると凍てついて動かないことがあるとか、なんとか。

それで、室外機を見に、外に出たらば、まあびっくり。

家の前がアイスバーンのように凍っているのです。

Why❓❓❓(2回目)

 

朝早く我が家の前を通った従兄弟からの電話で謎は判明しました。

この寒波で我が家の前の家の水道管(水道栓)が破裂し

我が家の家の前&外の室外機が水浸しになり

室外機が凍って動かなくなっていたのです。

 

致し方なく、ファンヒーターを出してきて動かしていたら

昼前にはエアコンが稼働いたしました。

 

今回の件で改めて思いました。

よく言われることではありますが、

リスクは分散しておくべきですね。

電気だけに依存すると、停電のときに困ります。

ファンヒーターも停電になると使えないので、

我が家には石油ストーブがいまだに置いてあります。

 

今日の寒波は強烈だったようで、

知り合いの家では、なんと日中に!水道管が破裂したそうです。

水道屋さんに電話したら、あちこち破裂したらしくて

いつになるかわかりません、という返答だったけれど、

頼み込んで今日中に直してもらったそうです。

大雪の被害も気掛かりですね。

早く、寒波が通り過ぎてくれますように。🙏