フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

雪の歌

2017-01-21 22:53:05 | Weblog
「♪~犬は喜び庭駆け回り猫はコタツで丸くなる~♪」雪の日はこの歌が口をついて出ますが、最近はこの歌詞は正解か?と思うほど我が家に来る犬は雪の中を走りませんし、外へも出ません(笑)。
雪の日、広場を見ましたが、子供達が雪合戦している姿を全く見ませんでした。確かに都市化の波が押し寄せて原っぱや空き地などの自由に走り回れる遊び場が消滅してしまったこともあります。しかし子供達から時間、仲間、空間の3間が失われてしまったからだからでしょう。塾へ通い、放課後のスケジュールが過密化して自由な遊び時間が失われたせいもあります。もちろん遊びの種類が激変しましたからね。子供は外で群をなして元気に遊んでいる姿をみたいと思っているのですが。
私は子供の遊びに発する声が大好きなんです。そうそう、そういう集団の声が騒々しいと近くに幼稚園の建設を反対する声もあるんですね。

北海道ツアー

2017-01-20 23:34:12 | Weblog
昨年の外国観光客が2000万人の大台を超えたわけですが、どこの国も東京を訪れる人が圧倒的に多いようです。その中でオーストラリアの人は雪景色に興味あるようで、北海道を多く訪ねます。
白一色の世界といえば、かつてのヒット演歌、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色ツアー」の龍飛崎が人気でした。青森県にある龍飛崎は海鳴り、強風、地吹雪と演歌を地で行くツアーでした。こうした激しいツアーが好きな人も多く人気でした。中年の夫婦やシニアのグループが参加しました。当時、参加の若い女性は大抵一人旅でした。ツアーの添乗員に聞きましたが、その女性は龍飛崎に立って演歌のヒロインに自分を重ね合わせることで、失恋の痛手を癒しているように見えたそうです。
ヒット曲にはこうしたエピソードがつきまといますが、最近は演歌ファンが年齢を重ねてきたので、こうしたヒロインにはならないのかもしれません。いや歌っている間はまだまだ若い自分がいるのでしょう。

寒雀

2017-01-19 22:35:09 | Weblog
寒い朝が続いています。なかなか温かい布団から離れられずうつらうつらしていると雀の鳴き声が聴こえてきます。季語でいえば「寒雀」です。寒雀はふくら雀のことで寒い冬に羽毛を膨らませて丸くなっている雀のことです。鳥インフルエンザが流行っている昨今、鳥達が厄介ものに思われるとしたら残念です。鳥や動物達がすごいのは、寒くても暑くても自分で温度調整が出来ることです。
古来日本人は鳥を大切にしています。俳人、小林一茶が「雀の子そこのけそこのけ、お馬が通る」と詠んだように鳥に愛情を注ぎました。特に江戸時代ですね。東西に飛鳥の森と鈴が森に囲まれていた江戸は鳥が多く生息していました。そして一緒に生活していたものです。黒船が浦賀沖に現れた時に黒船の水兵があまりにも鳥を撃ち落としたので江戸市民が怖がったのも鳥が大好きだったからでしょうか。季節の暦にも鳥達はなってくれます。

男女

2017-01-18 22:58:53 | Weblog
日本の政治の一つのテーマに働き方改革があります。特に女性の働き方に工夫をと政治改革を政府は考えているようです。男女を全て一緒にというのは永遠のテーマかもしれません。「近くて遠きは男女の仲」というように似ているようで似ていないのです。基本的に「脳」が違うようです。脳には男型と女型があるらしいのです。男の脳は論理型、女の脳はフィーリング型と分類されるようです。この男型、女型は胎児の時につくられるんだそうです。
このように脳の仕組みが違えば、コミュニケーションにも影響します。単純にこの仕組みを信じるとすればフィーリングに強い女性のほうがKYになりにくいのかもしれませんね(笑)。男は論理的に過ぎて、鈍感でその場の空気が読めないことが多くあります。これも持って生まれた脳のせいでしょうか。子供の心が読めない男親なんてレッテルが貼られるのもそのせいかも…。いやいや、仕事にかまけすぎたのですね。

愛情チケット

2017-01-17 23:35:02 | Weblog
新しい年の一月半ばを過ぎると、もうバレンタイン商戦がピークを迎えようとしています。それより後のお雛様のCMさえどんどん流れていますし、つくづく一年が早く過ぎる感じがします。それだけにバレンタイン商戦のアイディア合戦は凄まじいでしょう。
かつてあるデパートでは「愛情チケット」なるものを無料配布したことがありました。このチケットは「お弁当を作ってあげる券」とか「なんでも承ります券」など14種類があったと記憶しています。子供の頃は、愛情チケットは各家庭の中で良く使われていましたね。例えば「お手伝い券」とか「肩叩き券」「お掃除券」など沢山ありました。何かを親に買って貰うときの代償にこの「愛情チケット」を乱発したものです。そうそう、おばあちゃんやお母さんの誕生日プレゼントとして使用した子供達もいましたね。
こうしたチケットは風に吹かれて飛んでいってしまったのでしょうか。愛情チケット、復活して欲しいですね。

2017-01-16 23:36:40 | Weblog
昨日、各家庭でつくられた雪だるまが今日の日射しでちょっとくたびれてきました。雪だるまといえば、昔は炭の目にバケツの帽子が相場でした。今どきの帽子や目は何でつくったのでしょう。バケツはともかく、炭は今、なかなか家庭の中では少ないですからね。
炭といえば話は飛びますが、私は焼き肉では炭焼きがお好みですね。なかなかそんな焼き肉屋さんは見つかりませんが。たとえあったとしても、備長炭を使っているところはないでしょうね。
紀州の備長炭はリラックス作用があります。備長炭には無数の穴があいていて化学物質を吸収します。また、備長炭のマイナスイオンが気分を和らげ空気をきれいにする作用があります。ある会社では工場の下に備長炭を敷き詰めて空気浄化に努めています。古来の日本の大切な資源にはこうしたメリットが数多くあります。これらも日本の文化です。ですから、日本文化の素晴らしさを国中で見直す機運を高めたいですね。

女正月

2017-01-15 18:41:14 | Weblog
今日15日は、松ノ内に働いたお母さん達に休んで貰う女正月です。まあ、こうした言い方はほとんどしなくなりました。それだけお正月の意味も感じることなく、新年を迎えることが多くなりました。
お正月は昔は数え年だったので、誰もが正月でひとつ年を取ったのです。家族や親戚が揃って年を取り、無事を確認し合う喜びがあったのです。それだけに正月だけに使う道具があります。例えば割りばしも普通の割りばしは「先細り」になっているので縁起悪いので真ん中が太くなっている箸を使うのです。お年玉も、福を人に分け与える為の風習です。そうそう、江戸時代、武士の家では雑煮を食べる時に葉っぱをつまんで顔の前まであげました。これもひとつのゲン担ぎで名(菜)を上げるという意味があるのです。さらにその葉っぱを食べてはいけないのだそうです。名(菜)を残す為にです。
このようにお正月は、一年の区切りを大切にしてきたのです。ですから、今日の「女正月」女性の皆さん有意義に!。

外国人観光客

2017-01-14 10:46:20 | Weblog
昨年の日本を訪れた外国人は何と2400万人を超えたそうですね。ここ数年の伸びは物凄いものです。政治の力は中々実感出来ないものですが、この数字だけは政治の力が大きく働いたと実感できます。アベノミクスとかなんとか、まだまだ実感がわかない中で、これだけは肌で感じられます。私の住んでいる名古屋の繁華街では、外国語が飛び交っています。
中国人観光客の「爆買い」という言葉がここ数年よく使われましたが、彼達は旅の楽しみをどこに求めているのでしょうか。私達は旅の楽しみは一粒で三度、あるいは四度などと言っています。それは「計画」「実行」「思い出」さらに加えると「同窓会」です。これは日本人の楽しみ方なんですが、外国人観光客は買い物が楽しみ一色になっているのでしょうか。いや、それぞれの国によって違いがあるでしょう。
いつも思うのですが、日本へきて、沢山の日本人と触れあう中で「おもてなし」はじめ、和の心を土産としてお持ち帰り頂けたらと。

冬の日射し

2017-01-13 10:58:31 | Weblog
朝起きて、ガラス越しに太陽の日射しを顔に受けると、何とも言えない幸せな感覚になりませんか。これが夏場だとそうは思わないので不思議です。やはり冬は普段、木枯らしに首をすくめ、最近は少なくなったものの霜焼けに指を赤く染めることのある人間に一時の安らぎを与えてくれるからかもしれませんね。それほど冬の日射しは慈悲深いのです。
それとは逆に重く垂れ込めた雪雲の下では、何とも言えない重苦しさが漂います。北国での長期の生活経験はありませんが、毎日そうした状況に置かれると太陽の日射しが積もった雪に反射している様はどんな風に感じるのでしょうか。
我々は科学や技術の進歩という名を借りて自然をないがしろにしてきた歴史が今、歴然とあります。自然との共生と唱えながら自然を破壊する矛盾だらけの生活でした。今こそ、自然がもたらしてくれる恵みのおさらいをして、共生の道を探らなくてはなりません。これは地球規模の体制で挑まなくては。

一字違い

2017-01-12 16:52:33 | Weblog
ギリシャに一番早く年をとるのは何か?という格言があります。その答えはわかりますか?答えは「感謝する心」です。うなずくところがありませんか。若い頃にはあの先生のお陰でこの大学に入れたとか、両親のお陰なんて思いは100%ではないにしろ心の片隅に置いていたものでした。それが確かに年をとってくるとそんな思いも薄れ、自分一人でここまで来たと思いがちです(反省)。自分を引き立ててくれた先輩が必ずいたろうし、背中を押してくれた友人もいましたものね。何故、こんな気持ちになったかと言うと、一年に一度の年賀状の交換でそんな懐かしい名前があったからです。
さて、どうも年をとると考えが下向きになることが多くなりますね。余生というか、人生が残り少なくなったとマイナス志向に陥るからでしょうか。いつの間にか「今さら」という言葉を使うことが多くなっています。しかし、いくつになっても今さらの「さ」を「か」に変える気持ちで進みたいとふと思いましたね。