麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

きのうべんきょうしたこと

2015年02月21日 | 鑑賞
昨日、勉強したのは、
武者小路実篤と郡虎彦。

日本演出者協会主催
「日本の近代戯曲研修セミナー
in東京」の第十二回目。

白樺派を代表する作家の一人、
武者小路と
学習院閥の同派にあって異端、
袂を別つように外国に渡り、
三十四才の若さで亡くなった郡。

二人の作品のリーディングを見て、
その後のシンポジウムも拝聴。
ま、実態はシンポジウムというより
アフタートーク的な短いものだった。

両作品の演出家を知り、出演者九人中、
浅い深いない混ぜで八人を知る顔触れ。

とてもインタレスティングだった。

特に郡は名前すら知らなかった。
そんな方は多いと思われるので
彼について少し書こう。

郡虎彦(こおりとらひこ)
1890年(明治23)年東京生まれ、
三歳からは神戸で育つ。

1902年、学習院中等学科編入。
1910年、学習院高等学科二年時、
最年少で『白樺』の同人に参加。
筆名は萱野二十一。

翌年、東京帝国大学文科英文科入学。
『幻想曲』『鉄輪(かなわ)』等発表。
1912年、『清姫若くは道成寺』の改作
『道成寺』を『三田文学』に発表。
自由劇場にて上演される。
しかし評判は思わしくなかった。

1913年、大学を中退。渡欧。
パリ到着。のちミュンヘンに移る。
翌年、第一次大戦の戦火を避け、
オランダ経由でイギリスへ。
1917年、戯曲『鉄輪』を自ら英訳。
ロンドンにて上演。
翌年、英語版の『鉄輪』『王争曲』刊行。
1920年、健康を損ね一時帰国するも
翌年、再渡欧。スイス、独、仏、伊を転々。
1922年、『義朝記』英語版刊行。
同作品は三週間リトル・シアター
(ロンドン)で上演され高評価を得る。
1924年、結核のためスイスの療養所で病死。

武者小路に関しては省略するが、
本名は「むしゃのこうじさねあつ」
ながら筆名としては「むしゃこうじ」と
「の」が入らないことを昨夜初めて知った。

会場は、中野テルプシコール。
ダンス、しかもコンテンポラリー系に
特化した、味わい深い小劇場。
桟敷席も出すほどの盛況。

盛況といえば、同じ日の昼に見た
翠座の『33女』も満席だった。
が、その話は明日ゆっくりと……。

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