麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

安吾忌

2019年02月17日 | 身辺雑記
今日は安吾忌

明治に、新潟で生まれた坂口炳五
(へいご※1)は、中学の漢文教諭に
「暗いからアンゴ」と板書されたのが
筆名の由来とも言われるが、
大正末期に荏原尋常高等小学校の
分教場(※2)で代用教員を務めた頃、
短歌の筆名を「安吾」としたのが、
いわゆる公の始まりだそうだ。

翌年、職を辞し東洋大学文学部
印度哲学倫理学科(※3) に入学。
昭和5年3月卒業後、作家の道へ。

不条理の先端と称された『風博士』で
注目されたあと、戦争を挟み、
1946年『堕落論』『白痴』で無頼派
(太宰治ほか)と呼ばれ寵児となり、
47年には推理小説『不連続殺人事件』、
代表作『桜の森の満開の下』を発表。

そんな安吾が没したのが55年2月17日。

       

[※1]
1906年の丙午(ひのえうま)の年に
五男として生まれた故〈炳五〉。
奇しくも筆者が1966年に生を受けた
丙午。血液型も同じAなのだ。

[※2]
安吾の赴任先は下北沢にある
代沢小学校(現在は工事中)。
私の前任劇団から程近く、実際に
朗読会や稽古で関わった場所。

[※3]
〈 諸学の基礎は哲学にあり〉を
標榜した東洋大学にあって、
西洋・印度・中国の「三哲」は、
花形学部でもあったのだけれど……
様々な変容を踏まえて、現在は
「哲学科」「東洋思想学科」に
統合されています

      

時を経て・・・
千葉県産まれの野球選手
片岡治大が結婚した件が話題だ。
彼の誕生日が奇しくも今日。



話は戻る。
写真は、新潟出身の安吾の命日に
大学の後輩が献盃すべく、地元の
「鶴齡」「越後鶴亀」……と思いきや
長野の「大信州」です。

来月の芝居が、信濃から満州へ、
多くの開拓民が海を渡った。
そんな作品をこさえているので。



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