
◼️「ノーコメント by ゲンスブール/ Je suis venu vous dire...」(2011年・フランス)
監督=ピエール・アンリ・サルファティ
出演=セルジュ・ゲンスブール ジェーン・バーキン ブリジット・バルドー ジュリエット・グレコ
セルジュ・ゲンスブールは憧れの不良老人。後世に影響を与えた音楽の偉業はもちろん、関わった様々な女性の魅力を開花させたことにも憧れる。一方で、人を不快にさせることでリアクションを引き出す彼の表現は数々の物議を醸してきた。フランス国歌をレゲエにアレンジして右翼の反発を招いた件、Je t'aime... moi non plusに代表されるスキャンダラスな楽曲の数々。大胆な行動とは裏腹に、本当は人との接し方が下手でシャイな素顔を持つ男。
本作「ノーコメントbyゲンスブール」は、生い立ちから晩年までを追ったドキュメンタリー。面白いのは、セルジュ本人のインタビュー音声をナレーションとして使用して映画が構成されていることだ。発言を裏付ける場面やライブ、監督や出演した映画、イメージ映像が散りばめられている。右翼団体の圧力でコンサート会場が囲まれた際に、騒ぎを鎮めるために拳を突き上げて正調でフランス国歌を歌う映像も出てくる。
本作はセルジュ・ゲンスブールをよく知らない人には向かない作品だ。出自や両親についてなど伝記として語られそうな最低限の話は出てくる。だが、それらはセルジュの目線で嫌だったことが羅列されるのみ。父親の厳しいピアノのレッスンでクラシックを叩き込まれる。泣くまでやらされるから、必ずハンカチが置かれていた。普通のドキュメンタリーなら、"その経験がクラシックとシャンソンを融合させた美しい楽曲のルーツとなっている"などと客観的な目線で語られることがありがち。だが本作でそれは全くない。
本作を伝記として観ることはお勧めできない。ちょっと女性関係に重きを置かれた内容ではあるが、映画「ゲンスブールと女たち」を観る方が無難かもしれない。
本人が亡くなってから、楽曲が再評価されたり、美化されたエピソードもあるだろう。本作はそんな世間が自分について評していることに、セルジュ自身が化けて出て
「それは違うぞ、メルドゥ(糞ったれ)」
と文句を言ってるような映画に思えた。それもインタビュー嫌いが渋々答えてるから、ボソボソした喋りが続く。ファンでなければ退屈を覚悟することが必要かも。
しかし。楽曲にまつわるエピソードは、映画を観ている僕らを惹きつけて離さない魅力がある。名曲Initials B.B.のアレンジ場面、ドヴォルザークの「新世界より」のフレーズがピアノリフに加わった瞬間のカッコよさ。「なんて暗い曲だと罵られたけど、オレは全てをこめた」というManonに込めた思い。幼いシャルロットのピアノ練習を見守る優しい父親目線。バンブーとの子供ルルとステージにあがる場面。ジェーン・バーキンの名曲Baby Alone In Babylonに代表される韻や言葉遊びへのこだわり。この辺りは何度でも観たい。
そして名曲La Javanaiseを歌うライブ場面。観客と共に歌う姿は冒頭に登場する。シャイで人嫌いなセルジュが照れくさそうにしているのが感動的だ。そして映画の後半でLa Javanaiseは再び流れる。何かのステージでセルジュを讃えるような場面。バネッサ・パラディがLa Javanaiseを歌いながら客席からステージに登り、頬の緩んだセルジュ(ロリータ好きだもんね♡)の隣に立つ。
「キスはダメですよ!」
と司会者に注意されるw。やっぱり不良老人。
僕は自分の葬式にLa Javanaiseを流して欲しいと常々思っている。マジだぞ。
本作「ノーコメントbyゲンスブール」は、生い立ちから晩年までを追ったドキュメンタリー。面白いのは、セルジュ本人のインタビュー音声をナレーションとして使用して映画が構成されていることだ。発言を裏付ける場面やライブ、監督や出演した映画、イメージ映像が散りばめられている。右翼団体の圧力でコンサート会場が囲まれた際に、騒ぎを鎮めるために拳を突き上げて正調でフランス国歌を歌う映像も出てくる。
本作はセルジュ・ゲンスブールをよく知らない人には向かない作品だ。出自や両親についてなど伝記として語られそうな最低限の話は出てくる。だが、それらはセルジュの目線で嫌だったことが羅列されるのみ。父親の厳しいピアノのレッスンでクラシックを叩き込まれる。泣くまでやらされるから、必ずハンカチが置かれていた。普通のドキュメンタリーなら、"その経験がクラシックとシャンソンを融合させた美しい楽曲のルーツとなっている"などと客観的な目線で語られることがありがち。だが本作でそれは全くない。
本作を伝記として観ることはお勧めできない。ちょっと女性関係に重きを置かれた内容ではあるが、映画「ゲンスブールと女たち」を観る方が無難かもしれない。
本人が亡くなってから、楽曲が再評価されたり、美化されたエピソードもあるだろう。本作はそんな世間が自分について評していることに、セルジュ自身が化けて出て
「それは違うぞ、メルドゥ(糞ったれ)」
と文句を言ってるような映画に思えた。それもインタビュー嫌いが渋々答えてるから、ボソボソした喋りが続く。ファンでなければ退屈を覚悟することが必要かも。
しかし。楽曲にまつわるエピソードは、映画を観ている僕らを惹きつけて離さない魅力がある。名曲Initials B.B.のアレンジ場面、ドヴォルザークの「新世界より」のフレーズがピアノリフに加わった瞬間のカッコよさ。「なんて暗い曲だと罵られたけど、オレは全てをこめた」というManonに込めた思い。幼いシャルロットのピアノ練習を見守る優しい父親目線。バンブーとの子供ルルとステージにあがる場面。ジェーン・バーキンの名曲Baby Alone In Babylonに代表される韻や言葉遊びへのこだわり。この辺りは何度でも観たい。
そして名曲La Javanaiseを歌うライブ場面。観客と共に歌う姿は冒頭に登場する。シャイで人嫌いなセルジュが照れくさそうにしているのが感動的だ。そして映画の後半でLa Javanaiseは再び流れる。何かのステージでセルジュを讃えるような場面。バネッサ・パラディがLa Javanaiseを歌いながら客席からステージに登り、頬の緩んだセルジュ(ロリータ好きだもんね♡)の隣に立つ。
「キスはダメですよ!」
と司会者に注意されるw。やっぱり不良老人。
僕は自分の葬式にLa Javanaiseを流して欲しいと常々思っている。マジだぞ。