はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩山塊富士山眺望比べ3

2015-10-11 15:55:49 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-10-7(水)
歩行時間:8時間30分   休憩時間:2時間00分   延時間:10時間30分
出発時刻:6時00分     到着時刻:16時30分
歩  数: 36、350歩(推定距離25.8km)    GPS距離23.3km
行程表
安倍川駅 0:55> 丸山花木展望台 0:10>  徳願寺 0:20> 佐渡山下 1:10> 平平農道出合 0:35> 芹ヶ谷峠 0:25> 
朝鮮岩 1:20> 満観峰 0:40> 日本坂峠 0:30> 花沢山 0:35> 314m峰 1:20 簡保入口 0:30 焼津駅

 
          朝鮮岩のロープ場の捲き道分点                          溜め壺の網

 朝鮮岩から満観峰まではハイキングコースなので特に説明はいらないでしょう。
ただ、このコースには標識のない分岐が多く、初めて歩く人は迷うかもしれないが、標識のない分岐は高い方に向かって行けば
間違いはありません。ようは一般コースは頂から頂に続くピークハンターが好む道になっています。

 その頂から景色が眺められれば良いが、残念ながら朝鮮岩から満観峰までの間で眺めの良い場所はありません。
否、あえて言うなら視界が開けた所がありません。
そうなるとわざわざ頂を登らないで捲き道を造りたくなるのが人情で、その結果分岐が増えたようです。
 今日は富士山を眺めるのが目的なので、あえて頂には拘らず捲き道と思われる道を歩いてみました。
捲き道の入口は全部で6か7ヶ所あって、その内2ヶ所は初めて歩く道でした。その2ヶ所、駄目なら戻れば良いとは思って
入ったものの、標識のない初めての道は若干の不安があり、それなりに緊張もします。と、同時にこの道が何処に出るかのと
好奇心も湧き嫌いではありません。
結果、歩いた道全てが捲き道でピ-クらしいピ-クは無く満観峰に着いてしまいました。20分以上は短縮したでしょうか。

 途中にあった溜め壺に網が張ってありました。こんな山の中なのに蚊の発生を防いでいるのでしょうか。でもその横にある
水の入ったタンクはそのままで、これでは意味が無いと思いつつ、タンクを覗くと金魚が何匹も泳いでいます。流石!

 
          四阿の撤去された満観峰山頂                          満観峰から焼津港

 柱が腐って立入禁止になっていた満観峰の四阿が撤去されていました。人口減で財政不安のある静岡市の事、四阿の再建は
無理だと思っていたら案の定でした。しかしいつまでも虎テープで立入禁止にしてあるより、この方がよっぽど良い。

 満観峰から花沢山の区間は東海自然歩道のバイパスコースで、道標もしっかりあり悩むような所はありません。

     
   (ヤマ)(ジノ)ホトトギス?               トリカブト                     マムシグサ

道端にホトトギスの花を見つけた。と思ったがこ、の花の正式な名前が思いつかない。
ヤマホトトギスでは “初鰹” と続いてしまいそうで変だ。ではミヤマホトトギスか? 調べてみるとホトトギスと名の付いた
花は何種類もあり、その内似ていたのは 「ホトトギス・ヤマホトトギス・ヤマジノホトトギス」の3種類だった。

 
           ヤマホトトギス                          ヤマジノホトトギス

 
       ホトトギス                            花沢山で見た花

特徴としてヤマホトトギスは 「花弁は白色で紫色の斑点が少数あって、裏側に反り返る。」
ヤマジノホトトギスは 「花弁は白色で紫色の斑点があり、下部に黄色の斑点がない。普通に山道に咲く。」(山路のホトトギス)
ホトトギスは 「花弁は白色で紫色の斑点が多く、斜めに半開する。」

 こうして比較してみると、花沢山に咲いていた花の特徴は 「紫色の斑点が多く、下部に黄色の斑点がある」 となる。
すると紫の斑点の少ないヤマホトトギスは除外され、黄色い斑点の無いヤマジノホトトギスも違う事になる。
すると残ったのはホトトギスになるので、一先ずこの花の名は 「ホトトギス」 としておこう。

 トリカブトの花を大崩山塊で見たのは初めてだったが、大崩山塊の植物を紹介した鈴木紳弌氏の 「低山の四季博物誌」 には
 「ヤマトリカブトは高山植物なのでこんな低い山にあるのは珍しい。」 と紹介されていた。
この花の近くには他にも3株ほど咲いていたが、誰かに採られないか心配だ。それにしても花の色が薄いのは何故だろう。
低山の四季博物館に掲載れている写真の色も紫が薄いが、これはこの山特有種なのか、それとも気温が高いせいなのか。
 トリカブトの名前も何種もあって 「トリカブト類は日本産だけでも30種以上もあって同定は容易でない。」 そうなので、一先ず
ここでは 「トリカブト」 としておきます。

 最後の手榴弾やモロコシにも似た実は 「マムシグサ」 の実だが、これがあの食虫植物のような花の実とは想像がつかない。
もう少し寒くなると粒々の実が全て真っ赤に色付いてきます。しかし春にはアチコチに咲いていた花なのに実を見るチャンスは
非常に少ない。若しかして雌雄異株なのかと思い調べると、案の定雌雄異株でした。

 花沢山直下の展望台から富士山方向を眺めていて気が付いた事がある。今日見た富士山は全ては静岡の街を懐に抱いた
富士山の景色で似た感じになっていた。これでは芸がなさすぎる。ならば若干景観は落ちても違う眺めの方が良い。例えば
満観峰の上に浮かぶ富士山が見える高草山や、尾根越しに富士山の上だけが見える富士見峠の眺めも面白いかもしれない。
次回の冠雪した富士山の眺望比べは、花沢山を止めて高草山に変更しようかな。

 
         用宗・簡保分岐の猪が採餌跡                            314峰入口

 花沢山からの写真を撮り終え今日の目的は終わった。あとはどの道を歩いて帰っても良いのだが、さてどうしよう。
来た道を日本坂峠に戻るのは馬鹿らしいし、かと言って用宗に向かうバイパスコースは電車賃が高くなるし氷結を売っている
店が無いかもしれない。と、なればカンポの尾根を下るしかないが、その尾根を何処で下るかで迷ってしまう。
尾根の終点のカンポ下も、砂張屋道標も、石部峠からも何度も歩いているので食指が動かない。さてどうしよう。

 そうだ思い出した。この尾根にはもう一つ石部峠から314峰に行き兎沢遺跡に抜ける下山道があった。
ヨシ!、久し振りにそこを歩いてみよう。コースが決まると少し足が速くなった。

 用宗と簡保下の分岐の所が、辺り一面耕したように黒土が顔を出していた。どうやら猪の仕業のようだ。
そんな状態な場所が長い階段の所までアチコチに見られた。
猪のミミズを取った跡は何度も見ているが、これ程広範囲に掘り返されていたのを見るのは初めてだった。

 314峰への入口は2ヶ所あるが、今回は石部峠を少し水車小屋方面に下った所にある入口から入った。
石部峠から100m程度下った左の杉の木に、ペンキで赤丸を書いた所が入り口です。他にも赤いテープの目印もあり
注意して歩けば見落とす事はないでしょう。
この入口からはハイキングコースではないので地理院の地図を貼りつけました。



 入口からの細い道を緩やかなに登って行くとすぐ稜線の道に出合います。稜線を上から来る道が、もう一つの入口からの道です。
合流したら稜線を右(北)方向に向かう尾根に、314峰への道があります。
314峰で道の向きが南方向に変わり、そこから急な斜面を下ります。その急斜面も15分も下れば農道に出合います。

    
                      314峰への道                                 314峰の祠
 
 314峰に続く短い稜線の道は、中々ワイルドな道で、大崩山塊では数少ない雰囲気を味わえる道です。
目印も少なく、瘠せ尾根(怖くない)や岩(石)を通り越え、時々道を塞ぐ(小さな)ブッシュを避けて歩いていると興奮してきます。
若しここを初めて歩く人なら不安も生じてくるでしょうが、入口から15分も歩けば314m峰の祠に着きます。
ただここで注意するのは、踏み跡の薄い時は必ず稜線に向かう事です。稜線さえ外れなければ必ず314m峰に着きます。

 
               農道が下に見えた                              314峰入口

 祠の所で向きを南にとるが、目印があるのを確認してから進んで下さい。
後は林の中の急斜面を下るだけですが、ここでの注意点は稜線の所より目印が少ないので踏み跡を確認する事です。
また途中で右(西)に向を変えるが、ここでも基本は稜線歩きですので、稜線を外して下に下らない事です。
右下に農道側面の擁壁が見えて来たらワイルドな道も終わりです。
 この道は444㎡峰や北のピークに比べても荒れているので、この様な道に慣れていない方は入らにない方が良いと思います。
                            農道出合からから簡保入口までの道

 
                農道土砂崩れ現場                          花沢山の懐に入る

 山道が農道に出た所は農道の最高点で、北に下れば花沢の水車小屋方面。南に下れば兎沢遺跡、小浜方面に下ります。
始めは兎沢遺跡に行く積りだったが農道の分岐点で気が変わり、そのまま直進する農道を終点まで行く事にした。
と、書くとあたかも距離を延ばしたみたいだが、本当のところは花沢の里か石脇口までの所謂 「やきつべの道」 のアップダウンを
避けたに過ぎない。どうやら平気なように書いた314m峰の道で、大分体力と集中心を消耗したようだ。

 兎沢遺跡への分岐から更に農道を直進して行くと、前方に倒木が見えてきた。どうやら土砂崩れのようだが人は何とか通り抜け
できそうだ。いつ崩れたか分からないが復旧の気配はない。ここが通行止でも前後の畑には迂回路があるので良しとしているのか。

 気分は既に終盤モード。のんびり、いやダラダラと焼津駅に向かって歩くのでした。
                                 簡保入口からから焼津駅までの道

大崩山塊富士山眺望比べ2

2015-10-10 09:11:58 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-10-7(水)
歩行時間:8時間30分   休憩時間:2時間00分   延時間:10時間30分
出発時刻:6時00分     到着時刻:16時30分
歩  数: 36、350歩(推定距離25.8km)    GPS距離23.3km
行程表
安倍川駅 0:55> 丸山花木展望台 0:10>  徳願寺 0:20> 佐渡山下 1:10> 平平農道出合 0:35> 芹ヶ谷峠 0:25> 
朝鮮岩 1:20> 満観峰 0:40> 日本坂峠 0:30> 花沢山 0:35> 314m峰 1:20 簡保入口 0:30 焼津駅

 今回の道順はYAHOO!の地図で指定できる所はその地図を参照してください。
安倍川駅から円山花木展望台までは特に注意する個所はありませんが、農道入口になる神明神社を見落とさないこと。
展望台入口は農道が合流する手前に看板が立っています。

 円山花木展望台は安倍川の展望地でもあり、上流は新東名の辺りから駿河湾の河口まで一望できます。

                              安倍川駅から円山花木展望台の道

 徳願寺には農道合流部を左に進んで行きます。
途中に静焼アルプス徳願寺尾根の梵天山の入口があります。
                              円山花木展望台から徳願寺への道

 佐渡山には徳願寺から農道を下り、分岐地点に出たら直進する登り方向に進みます。
佐渡山からの眺めを省略する時は、右折して丸子方面に下れば距離が大分短縮されます。
 直進してすぐ右の畑の横から稜線に延びる道は、尾根伝いに手児の呼坂を通り、佐渡山の登り口に出る道です。
この道は距離は短く農道よりも起伏が少なくて良いのですが、人が余り歩かず蜘蛛の巣がが多いのが難点です。特にの時期は
蜘蛛の巣のオンパレードでしょう。よって今回は農道を歩く事にしました。
 上から下に延びている農道に合流しますが、左に下ると20m程で朝歩いた道に出ます。佐渡山はここを右折して上に登ります。
右の法面の階段上に 「手児の呼坂」 のブリキの看板が辛うじて見えています。ここが万葉時代の東海道の入口です。
農道の最上部の合流場を左に入った所から富士山を眺める事ができます。
                               徳願寺から佐渡山下の道

 農道を合流部まで戻り、下りの農道に入ると上に延びている道が左右にあります。右が手児の呼坂、左が佐渡山への道です。
今回は佐渡山からも農道からも同じような眺めなので、上には行かずそのまま農道を下ります。



 佐渡山巻く道を下って行くと西方面が開け、芹ヶ谷峠や朝鮮岩が見えてきます。
本来なら左の朝鮮岩から右方向にある満観峰への尾根を歩くのですが、今日は芹ヶ谷峠下の平平農道に出なければならない。
そこで一旦は麓の丸子川を沢川橋まで遡り、橋を渡って平平農道を芹ヶ谷峠に向かいます。
写真では芹ヶ谷峠が満観峰に続く稜線に見えるが、満観峰はこの山の奥の尾根になり写真では見えません。

 佐渡山を巻いた道の右手に 「佐渡山古墳群」 の記念碑がある。その先の下に下る細い道は西宮神社の前を通り国道1号の
佐渡交差点に出る近道です。
 記念碑の山側が佐渡山の南側の登山口で通常はこちら側から登ります。佐渡山の北からの道は、畑の中を歩くので一人なら
遠慮しいしい通れるがグループのでは歩き難いでしょう。山頂の畑では早朝から作業をしている人に何回か会いました。

 古墳から先はまだ歩いた事のなかった農道を下ったが、何とも大回りで神社経由の道の数倍の長さに感じました。

 佐渡山下の佐渡交差点から平平農道の入口には、旧東海道を1.3kmほど西に行き、丸子川の堤防が接近してきた水神社の
所から堤防の道に入ると距離は近いのですが、今回は丸子川の堤防を歩いて農道入口に向かいました。
 農道入口の沢川橋の袂にはベンチを置いた空地があるので一休み。
休んだ後はここに有る丸子西・四等三角点標高21mの所から橋を渡り、農道合流場の標高150mを一気に登ります。
農道の両側にはミカン、カキ、茶畑が続いて、色付き始めたミカンをみると ------
 
                               佐渡山下から平平農道出合までの道

 農道合流部で写真を撮っていると近くにいた農家人が話しかけてきて色々教えて貰った。
まず農道の名前を聞くと
 「農道には名前は付いていないが、このへんはヒラダイラと呼んでいるからヒラダイラ農道だろう。感じは平平と書くかな」
農道はどこまで続いているのですか。
 「ホラあの西の高い所にあるアンテナの所が終点で、あの裏は赤目ヶ谷の砕石場で崖になってしまった。昔はもっと高い山
だったけどなぁ」
と、西の高台にあるアンテナを指しながら教えてくれた。


 

 合流部から200mも農道を登った所に芹ヶ谷峠の入口がある。左の法面の防護壁に付いた斜面を登ると、中電の点検路標識
があり「NO23」 となっていた。
                            平平農道出合から山道入口までの道

                
                      農道入口から芹ヶ谷峠経由朝鮮岩への道

          
 山道の入口から農道終点のアンテナがよく見えていた。あの山の裏が砕石所何てチョット信じられない気がする。
入口にある茶畑の縁を通り上に向かうと、右側の林の中に歩きやすそうな所に設置されたにモノレールが見える。
だがそちらには行かないほうが良い。茶畑の縁を行けば山林の中の歩き易い道になるので。

 
 視界が開けた所からアンテナ裏の採石場が見えていた。写真では緩やかな傾斜に見えるがとても下れるような所ではない。
今立っている場所も10mも西に行けば砕石所の上部になる。桑原桑原。
 アッ! ダイラボウが見えている。あの山は山頂の斜面が剥げているのと、紅白の鉄塔ですぐ分かります。


 パノラマ写真にしてみました。アンテナが中央に見えています。その奥の山脈は徳願寺の尾根で右の下った所が徳願寺。
最初の頂きが仏平で次が梵天山。一旦歓昌院坂に下って再度駿河峰、大鈩山、飯間山と続いています。
富士山も右端に薄っすら見えていました。

     
 眺めの良い所は陽が射して雑草が生える。春来た時は背の高さほど雑草が延びていて嫌な思いをしたが、今日は登山道の
草が刈られていて歩きやすかった。
しかし蜘蛛の巣攻撃は山道になった所から続いていて、蜘蛛の巣払いの小枝を丸く回しながらゆっくり歩くしかない。
ピッチが速いと切れた蜘蛛の巣の両端が顔を襲ってくる。

 ここで注意です。今日のように雑草が少ない時は良いが、前方が草で見えないときは余り西に向かわない事です。
先程の砕石場の上に出てしまいますので。
この雑草地帯は2・30mで終わりまた歩きやすい(?)林の中の道に入ります。

 
 1個目のピークを越し、2個目のピークに芹ヶ谷峠の三等三角点丸子宿があります。ここの標高は307mなので沢川橋から
286m上った事になる。何時もここで疑問に思うのは、何故山の頂が峠なのかという事だが、何ででしょうね?
大分疲れてきたがこの峠で休む気にはなれない。視界も効かない林の中という事もあるが、ここには写真のように不気味な
石碑が林立している。これも芹ヶ谷峠の謎ですネ。

 芹ヶ谷峠から下った所に、麓で見えた送電線があります。そしてそこの鞍部から小野寺薬師寺に続く道があります。
この小野寺薬師は今では無住の寂れた寺だが、以前はご利益のある人気の寺だったようだ。縁日には芹ヶ谷や舟川の人が
山越えをして参拝に来ていたと、何かで読んだ事がある。今でこそ西の舟川への道はないが、当時は舟川からここの鞍部(峠)
まで登り小野寺薬師に行ったのではないだろうか。そうなればこの鞍部が峠のような気もするが。

 鞍部を登り返したピ-クが朝鮮岩-丸子富士-満観峰の縦走路の合流点で、ここを左折してロ-プ場を下れば朝鮮岩になる。

 
 どうやら私は朝鮮岩からの眺めが一番好きなようだ。静岡の街とも遠からず近からずで、ジオラマを見ているようで幾ら
居ても飽きる事はない。
ただ珠に傷は小野平の先端が視界をジャンしている事で、これが無ければもっと素晴らしいだろう。

大崩山塊富士眺望比べ

2015-10-09 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-10-7(水)
歩行時間:8時間30分   休憩時間:2時間00分   延時間:10時間30分
出発時刻:6時00分     到着時刻:16時30分
歩  数: 36、350歩(推定距離25.8km)    GPS距離23.3km
行程表
安倍川駅 0:55> 丸山花木展望台 0:10>  徳願寺 0:20> 佐渡山下 1:10> 平平農道出合 0:35> 芹ヶ谷峠 0:25> 
朝鮮岩 1:20> 満観峰 0:40> 日本坂峠 0:30> 花沢山 0:35> 314m峰 1:20 簡保入口 0:30 焼津駅

 大崩山塊から富士山の見える場所は何ヶ所かあるが、中でも眺めの良い場所を挙げるとなると
1・丸山花木展望台 2・平平農道出合 3・朝鮮岩 4・満観峰 5・花沢山 を挙げる事ができる。
これらの山の全てを歩いているが、一日で全ての場所から富士山を眺めた事がなかったので、秋晴れの日の一昨日(7日)
歩いてきました。
しかし結論から言ってしまえば失敗で、秋晴れなのに富士山は霞み写真では薄くしか写りませんでした。
矢張り富士山は冠雪した冬が一番のようです。

それでも一応写真を撮ってきたので紹介します。

1、円山花木展望台

ここからの特徴は安倍川の流れがよく見える事です。余り知られていない穴場です。

番外、徳願寺

円山花木展望台と同じような眺めですが前の岡が邪魔をしています。
徳願寺は今川義元の祖母でもあり北条早雲の妹(姉とも)北川殿の墓もある古刹なので見学がてら訪れる人が多いようです。

番外、佐渡山

万葉時代の東海道、手児の呼坂にあります。下向きに移すと人家が近くに入ります。

2、平平農道出合

標高が上がってきたので下に山が写るようになりました。
前方に見える低い山並みの右端が佐渡山で、左端付近が徳願寺です。あそこを歩いてここに来ました。

3、朝鮮岩

大崩山塊で富士山と云うと、何と言っても満観峰が人気の一番でしょうが、ここ朝鮮岩も見劣りしません。
賑やかな満観峰と違い朝鮮岩は訪れる人も少なく雄大な展望を独り占めにすることができます。
新幹線、東海道線、東名高速、更には海を行く船をまるでジオラマのように眺める事ができます。

4、満観峰

お馴染みの満観峰山頂です。この日も平日なのに20人位のハイカーが休憩していました。

5、花沢山

生憎富士山は肉眼では見る事ができなくなっていました。写真を拡大したら右側に薄く薄く写っていました。
花沢山と書きましたが写真は花沢山山頂ではなく、山頂から日本坂峠に1,2分下った所です。

どうですか、あなたが気に入った場所はありましたか。富士山が冠雪したらもう一度歩こうと思っています。

明日は歩いた道等を紹介します。

知多四国22番大日寺

2015-10-08 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時20分
歩  数: 33、879歩(推定距離25.4km)    GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
 0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅

                                  22番大日寺(ご本尊)

 
                  大日寺山門                               弘法堂

 21番から22番大日寺(だいにちじ)への道は、国道247号を南下した場所にあったが、何故か手元の地図は途中にある名鉄
青山駅の横を通るようになっていた。多分この方のが距離が若干短くなるのだろう。

 大日寺は青山駅から更に国道を南下して 「上ゲ駅」 の近くにあった。「上ゲ」 って何て読むか調べると 「あげ」 だそうです。
そんな事なら “上” 一文字の「上駅」方が読みやすくないか 。駄目かこれでは知らない人全員が 「うええき」 と読んでしまう。
やはり “上ゲ駅 ”の方が、私のように “何て読むのか” と興味を持つ人も出てくるし、そんな人の記憶にも残るだろう。

 ウィキペディアに 「上ケ」 の地名の謂れが載っていた。
 「上ケ付近はかつて存在した長尾城西方の城内居住区画に当たり、ここに住んでいた農民が 『城(本丸)を見上げる地』
尊称していたことに由来する」
とあったが少々苦しい気がする。
さらに地図上の表示は “上ケ” と濁らないが、読み方は “あげ” とルビが振ってあった。そうなると駅名の“上ゲ” は間違っている
事になるが、 “上ケ” では地元民以外は誤読をしそうなので、あえて “ゲ” にしたのだろう。

 大日寺の名前は四国を歩いた時も三寺あり、いずれの寺も真言宗でご本尊は大日如来だった。しかし今回訪ねる知多四国の
大日寺は、ご本尊は大日如来だが宗派は浄土宗だった。少し違和感を感じて調べてみると
 「戦国時代の戦で被災した寺の本尊の大日如来像を池に沈めて難を逃した。100年後に発見された大日如来は近くの寺に祀り、
寺の名前を大日寺に改めた。」
そうです。

 私が違和感を感じたのは宗派とご本尊の組み合わせです。尤も私の知っている組み合わせは真言宗のご本尊が大日如来で
脇侍が不動明王と云う事だけです。でもその僅かな知識の網に引っ引っ掛かったのだから素晴らしい。
 22番大日寺は浄土宗にも係らず大日如来を御本尊として寺号も大日寺と改めたようです。きっと大日如来のご利益が大き
かったのでしょう。しかしそれなら宗派も真言宗にすれば良かったのにとも思いますが------

 ついでに主な宗派の本尊を調べてみました。
○真言宗 - 大日如来   ○天台宗 - 釈迦如来・阿弥陀如来  ○禅宗(曹洞宗・臨済宗) - 釈迦如来
○浄土真宗 - 弥陀如来  ○浄土宗 - 弥陀如来  ○日蓮宗 - 曼荼羅?

 一応書いては見たが日本の仏教は宗派間内の決まり事は少なく融通無碍のようです。江戸時代以前は権力者や有力檀家の
威光に逆らえず、ご本尊などはそのままの状態で改宗したり、明治時代の神仏希釈では宗派に属していなかった寺は、とりあえず
似通った考えの宗派や、入りやすい宗派に入ったようです。

            
                     ぴんころ地蔵                             みたけ観音

 境内にまだ新しい 「ぴんころ地蔵」 と名の付いた地蔵像が建っていた。横にあった立札には 「“健康長壽” ぴんぴん元気に
命終には “ころりん” 往生  PPK発願主 住職」
だって。
 PPKは老人なら、いやもの思う人、全ての願いだろう。だれも管に継がれたり胃瘻に頼ってまで長生きはしたくない。

 「みたけ観音」 には何の案内も無いので謂れは分からない。だが大日寺の山号が 「御嶽山」 であるの見ると、これから名を
付けたのだろう。すると “御嶽” は “おんたけ” ではなく “みたけ” と読むのか。
 読み方ではぴんころ地蔵の立札に 「命終」 なる言葉が書いてあったが、その意味は説明がなくても何となく分かる。
ただこの言葉は聞いた事がないので住職の造語と思っていたが、辞書には 「命終(みょう じゅう)→命が尽きること。死ぬこと」
とあった。他にも 「臨終(りんじゅう)とは、死を迎える直前の時期をいう。臨命終時(りんみょうしゅうじ)の略語。」 とある。
ならば命終も同じようにこの言葉からきた略語ではないだろうか。

                                   21番から22番大日寺への道


知多四国21番常楽寺

2015-10-07 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時20分
歩  数: 33、879歩(推定距離25.4km)    GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
 0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅

                                  21番常楽寺(五条筋)

 
              塀の定規筋(コピー)                               常楽寺山門

 20番から21番常楽寺(じょうらくじ)へは、名鉄知多半田駅を通り国道247号を南下する道だった。半田駅の横を通りながら
今の体調を考えたが、当然疲れはあるものの足も体もまだ何の変調は無い。これなら遍路を続けても大丈夫だろうと判断した。

 常楽寺は国道沿いに長い築地塀を持つ大寺だった。寺の由緒書には 「當山八世は家康公の従弟たる因縁をもって、公自ら
三度にわたり当山に逗留。その後慶長七年寺領五十石のご朱印受領。」
とある。
ここに書かれている従弟とは、ウィキペディアによれば於大の妹の子となっていた。
更に常楽寺は 『尾張藩初代藩主の徳川義直から 「浄土宗西山派知多一群の総本山」 のお墨付を得たとされる寺院である。』
中々由緒ある寺のようである。

 更にネットを見て行くと 「常楽寺築地塀の五条筋」 等と紹介されているが意味が分からない。さらに調べると五条筋とは正確には
 「定規筋(じょうぎすじ)」 と言われ 「御所や格式の高い寺院では、壁面に定規筋と呼ぶ白色の横筋を入れる〈筋塀(すじべい)〉が
使われた。筋の数は格式によって異なり,最高は5本であった。」
 
これを読み慌てて常楽寺の写真を確認したが塀の写真は無かった。仕方なくネットの中から見付けた写真を紹介します。
 “百聞は一見にしかず” ですね。この塀の横を歩いている時は “長い塀だ、早く終わらないかな” と思っていたのだから情けない。
しかし総本山でもない常楽寺が何故最高権威の “五条筋” を許されているのだろう。それにこの許可は幕府が出したのか、それ
とも皇室が出したのか疑問は残ってしまった。
寺の縁起書にはこれらの事は全く触れておらず、次にあった仁王門の扁額の 「天龍山」 の山号の謂れも分からなかった。

           
                        本 堂                             お接待の数珠

 本堂正面に置かれた賽銭箱に葵の御紋が彫られている。これも徳川家の縁がある事から許されたのだろう。
だが賽銭箱には貼紙が2枚もしてあり、葵の紋は半分以上隠れていた。これではまるで掲示板だ。

 常楽寺の境内は6000坪もあり疲れている身には全てを回るには辛すぎた。木陰のベンチに腰を下ろすと動くの億劫になって
しまう。それでも気を取り直して納経所に行き呼鈴を押すが誰も出てこない。イライラしながら中を覗きこむと、知多四国霊場の
遍路地図が2種類も置いてあった。これら地図を購入すれば昔の遍路道も歩く事ができそうだが、この霊場は遍路道自体が
衰退し昔の道標も少ない。果たして私の手作り地図と比べてどっちの方が歩き易いだろうか。

 私の地図の利点は道が最短距離な事と、道の周辺状況が最新版だという事だ。弱点は手持ち地図の枚数を少なくしたいため、
ついつい地図の尺度を大きくしてしまい、実際現地に来てから分からなくなる事がたまにある事だ。
 そんな事を考えつつ待つ事数分、やっとお婆さんが 「お待たせしました」 と言いながら出てきた。一言言いたい気持ちを押さえて
納経料を治めると 「どうぞお使い下さい」 と表面に 「御数珠」 と印刷されたピンクの包みを手渡してくれた。
納経所を離れ早速ピンクの包みを開け見ると、小振りながら25個の数珠玉の数珠が入っていた。小さくても房の付いた大きめな
珠や、中間には2個の透明な珠も付いている。紐はゴムなので手の大きい人でも使えるようになっていた。
更にピンクの包みには 「親玉の中に弘法大師の御真影」 とも書かれているが意味が分からない。
親玉? 弘法大師が宗教家の親分なので、宗祖の集まったときでも弘法大師の御真影があると云う事か? 
疲れは肉体だけではなく頭にも来ているようで本当の意味は分からなかった。
だが家に帰り妻にこの数珠を見せているとき閃いた。親玉とは弘法大師の事ではなく数珠の一番大きい玉の事ではないかと。
数珠を手に取り大きい球を見てみると、玉の前後にガラス状の物が付いている。若しかして、と大きい穴を覗いて見たが青く見える
だけだった。今度は反対の小さな穴を覗くと何か見てきた。向きを明かりの方に向けると椅子に座った僧侶と、その頭上には天蓋が
見えた。そして像の左右には 「知多四国 21番常楽寺」 の文字も見えた。

 常楽寺さんありがとうございました。でも私は数珠は使う気はない。
何故って? それは数珠の意味や使い方も分からないのに、格好で使うのに抵抗があるからです。
それにしても常楽寺は色々気なるものが多く楽しかった。矢張りありがとうございました。

                                 20番から21番常楽寺への道

知多四国20番龍台院

2015-10-06 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時20分
歩  数: 33、879歩(推定距離25.4km)    GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
 0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅

                                  20番龍台院(お地蔵さん)

 
                   参道                                   龍台院本堂

 19番から20番龍台院(りゅうたいいん)へは半田市の中央部を歩くようだ。19番の近くにはJRの半田駅があり、20番の近く
には名鉄の知多半田駅がある。若しこの辺りで体調が悪くなったらこの半田駅から引き返そうと思っていたが、まだ大丈夫そうだ。
疲れは勿論あるが距離はまだ18km程度。あと5kや10kは大丈夫そうだ。

 知多半島で知っている町は常滑市と半田市があり、その内常滑市は常滑焼とセントレアへの入口と知っていた。だが、半田市は
名前だけは知っていたが、何故知っていたのか分からなかったので半田市のHPで調べたが、知っている事は何も無かった。

 19番と20番の間の距離は短く10分ほどで着いてしまった。
20番龍台院には山門は無く2本の石柱の間から延びる緑の間の参道を行く。
本堂正面に 「萬松閣」 の金色の扁額が掛かっている。萬松閣?と思ったがすぐ気が付いて山号を確認すると 「万松山」 だった。
万松山が万松閣? 何か万松閣では料理屋のような名前のような気もするが精進料理でもやっているのだろうか。

 
                 弘法堂                                    境内の置物

 ここの弘法堂にもオビンズル様らしき仏像が安置されていた。隣の観音堂に貼ってある縄に色紙のような布を結んである。
何だろうお詣りが済んだら確認しよう。と思っていたが忘れてしまった。逃がした魚は気になるものだ。

 鶴と亀の置物が草の上に置かれていた。長寿を願って飾ったのだろうが、寺の置物としては似合ない。安っぽい料理屋なら
置きそうな置物なので矢張り精進料理を ---------

 
                                     境内の石仏

 龍台院の境内には多くの石仏が安置されていて、例によって石仏には前掛けや帽子が被されていた。
だがここの石仏たちの前掛けは、石仏の集まり毎にお揃いの前掛けや帽子で統一されていてスッキリした感じに見える。
いつもだと一体の石仏に何枚もの前掛けを掛けたり、中には石仏全体を覆ってしまい、仏様はほんの一部しか見えないような
前掛けもある。それでは本末転倒と思うのだが、お供えする人は不自然とは感じていないようだ。

 何故石仏、特にお地蔵さんに前掛けや帽子をかぶせるようになったのか調べてみた。
 「地蔵菩薩は、幼い子供が親より先に世を去ると、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいないことから、三途の川を渡れず、
賽の河原で鬼のいじめに遭いながら石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされている。地蔵菩薩は賽の河原に率先
して足を運んでは、鬼から子供達を守ってやり、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていく。
このように、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となった。
この様に地蔵菩薩は子供の守護尊とされ、子安地蔵や水子地蔵と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあらわれるようになった。」


 前掛けや帽子の風習は、当初は親よりも先に世を去った幼子が少しでも楽に成仏できるようお供えしていたが、次第に現世の
子供の成長と無事を祈ってお供えするようになった。それが最近ではまた先祖返りなのか、早世したこのためと云うより水子の
供養のためにお供えをするようになったと感じる。そのため新しい地蔵尊は水子地蔵が多いようだ。
ここ龍台院にも水子地蔵が祀られていた。

 そうそう前掛けの色は、赤は女の子、白は男の子用だそうです。ではここの黄色は?

                                 19番から20番龍台院への道

知多四国19番光照院

2015-10-05 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                         H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時20分
歩  数: 33、879歩(推定距離25.4km)    GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
 
0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅

                                  19番光照院(抱き大師)

 
                  光照院山門                               光照院本堂

 18番から県道261号に戻り後を振り返ると直線の道路が続いていた。この辺りが次郎長が久六を討った 「乙川畷」 かもしれない。
この “畷(なわて)” とは、東海道を歩くと時々見かける地名だが、辞書には 「1・田の中の細道。あぜ道。なわてじ。なわて道。
2・まっすぐな長い道。」
と書いてあるのが多い。
字面からいくと1の田圃の細道が合っているように思えるが、地名になった畷は2の真っすぐな長い道、が多いようだ。
東海道浜松にある 「八丁畷」 は、直線道路が八丁(約800m)も続いている事から地名になったという。
19番光照院(こうしょういん)は、その県道261号から262号になった先の県道沿いにあった。

 山門を潜り本堂を眺めると建物の左右につっかい棒がしてあるのが見えた。地震対策の倒壊防止用だろうが、大きな本堂に対して
つっかい棒は細くチャチに見え、その効果のほどは知れていそうだ。

 
                  弘法堂                                  抱き大師

 どこかで見たと云うより、さっき18番で見た観音堂と同じ二層宝形のお堂だった。マテヨ18番の寺号は光照寺で、ここは光照院、
どちらも似たような名前だが関係があるのかな、早速手持ち資料で宗派を確認すると、光照寺は時宗で、光照院は浄土宗だった。
だが時宗だって昔は浄土宗の一派だったのだ。それなら光照院は浄土宗から時宗に改宗した可能性はある。
久し振りに閃いた妄想的歴史観は、「かって光照寺の住職が隠居して光照院を興したが、一遍上人の踊念仏に魅了され時宗に
改宗した。」
とはなりませんかね。聞いてみたいが聞きずらいな。

 弘法堂に抱き地蔵ならぬ 「抱き大師」が安置されていた。内容は抱き地蔵と同じなのだろうが、ここの抱き大師にはこんな事が
書いてあった。 「抱き大師様は、抱き上げられるかどうかで願いの成就をねがい うらなうお大師さまです。『抱き大師さまの結縁
申込用紙』にてお志し(百円位)を添えてお申し込みください」
とある。
これでは抱き上げれば願いが叶うのか、叶わないのか分からない。それななら抱き地蔵のように、抱き上げて軽く感じたら願いが
叶い、重く感じたら叶わない方のが明確で良い。
若しかして心願成就の結果は寺で判断してくれるのだろうか。それで志納金がいるのかな。

 
                 地蔵堂                                  千体地蔵

 地蔵堂には小さな焼物に彩色した地蔵が千体、いや五百体ほど並べられていた。この千体地蔵も今日の朝1番に寄った福住寺
にもあったが知多半島には焼物の本場常滑がある。その影響でこのような仏像を並べやすいのだろうか。
まだ2回しか歩いていないが、知多四国霊場には似た物を安置して札所が多いと感じた。
先ずはおびんずる様、次いで抱き地蔵や千体地蔵。水屋の手水鉢の横に石仏を安置してある所も多かった。
そう云えば五鈷杵も一ヶ所ではなかったような気がする。これは大師信仰の影響なのか、それとも地域的特色なのか。
イヤイヤただ単なる真似なのかもしれないな。

              
                                              境内の石仏

 いろいろケチを付けてしまったが光照院は木陰も多く、境内に置かれた石仏も風情があって良い雰囲気だった。
木陰のベンチで少し休ませてもらおう。

                              18番から19番光照院への道

ビク石周回-3

2015-10-04 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-9-29(火)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間45分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時25分     到着時刻:16時35分
歩  数: 29、039歩(推定距離21.2km)    GPS距離18.0km
行程表1
玉露の里 0:25> 不動の滝 0:20>  新舟駐車場 1:10> びく石山頂 0:45> 地蔵峠 0:30> 新舟駐車場
行程表2
新舟駐車場 0:30> 地蔵峠 0:20> 農道合流 0:45> 下大沢 0:10> 西方八幡宮 1:10> 中里橋 0:20 ゆらく

 
                        赤線が歩いた道 黄線が歩く予定だった道。
                         下大沢からおとみ坂経由ゆらくの道

 当初の予定では新舟駐車場から地蔵峠に戻り、そこから春に歩いた道を稜線伝いに一宇戸峠まで行き、更に天王山に上って
西方の白藤会館に下る予定だった。だが結果は方向違いの下大沢に着いてしまった。

 
                新舟駐車場                              駐車場上の分岐

 駐車場で昼飯を食い終り便所に入って驚いた。山の中の公衆便所なら蜘蛛の巣や枯葉が舞い込んだ汚いトイレを想像していた
のに、トイレの中は今掃除をしたばかりのように綺麗だった。便器も決して新しくないが茶色の染みも無く駅の便器より綺麗だった。
集落の人が毎日掃除をしてくれているのだろうがありがたい事だ。

 道標のある分岐を今度は左の道を登って行く。

  
              十四地蔵尊の分岐                                十四地蔵尊

 道標から100m程先の分岐を右に下る道は十四地蔵尊へ行く道で、地蔵峠には左の道を登って行く。
十四地蔵尊については一昨年の駿河百地蔵に詳しく書いたので こちら を参照してください。
 地蔵尊の分岐から左前方の電信柱には 「水玉神社」 入口の看板が見えている。
なので、地蔵峠にあった水玉神社への表示も、山道の入口にあった駐車場への表示も、どちらも間違っていなかった事になる。

 
                3番目の分岐                                登山道入口

 地蔵尊の分岐から更に20mほど上ると、また分岐に出る。そこは左の橋を渡って人家の見えない農道に入る。
(右のガードレール沿いの道は、今日断念した駐車所への道が続いているのだろうか)
橋を渡ると左側にナンバープレートのない廃車が置いてあり、その先の右上には栗の木が2本か3本生えている。
その栗の木の手前を登って登山道に入るのだが、入口には良く見れば赤い目印が付いている。
ここまで駐車場から5分も掛からないので通り過ぎないこと

 
             山道に入ってすぐの眺め                          林の山道入口

 農道から山道に入り栗の木の上から後ろを見れば、こんな景色が見えている。右は栗の木でその下には農道も見える。

 栗の木の上から林に入る山道が幅広になると、すぐ左上に林の中に入る道の分岐がある。写真では左下の少し草が無い所が
そうで、赤い目印もあるが細く葉の付いた枝ばかりで見分けにくい場所です。
一番目立ったのは氷結の空缶を枝先に突っ込んである奴です。(氷結が思わぬ大任を果たしている)
幅広の道は更に緩やかな傾斜で林の中に直進しているので注意が肝心です。
栗の木の上から1分以上歩いても分岐に気が付かなかったら、再度栗の木の上まで戻ってやり直してください。

 この道を下る時は下に下にと歩けば自然に駐車場に着いてしまいます。上りの場合はこの分岐さえ分かれば、あとは林の中の
道で、赤い目印を注意して行けば、難なく地蔵峠に着いてしまいます。              

      
     地蔵峠から天王山への道                         倒木に付いたキノコ

 地蔵峠の地蔵に無事駐車場へ行き着けたお礼をして本日の最終章の開始です。
 地蔵峠から天王山への道は登り勾配の軽いアップダウンのある道で、途中には大きな木が生えていた。
これもキノコだろう。倒木にビッシリ付いたキノコは、形はキクラゲに似ているが色が違う。キクラゲは黒かったがこれは白くて
まだ成長過程のキクラゲなのだろうか。

 
        林の出口に天王山の標識が有った。                     林から出た茶畑 前方に天王山

 道が平らになったので、そろそろ春歩いたとき迷った場所辺りだと思ったが、稜線の道はよく踏み込まれていて、これを外すのは
勿体ない。多分この道が天王山に続いているのだろう。

 林が終わる手前に大崩山塊でよく見かける木札の道標が杉の木に取り付けてあった。ウン!これで一安心だ。
この道標は大崩山塊のハイキングコース以外の場所で良く見かける道標で、私はこの道標が有ったお蔭で大崩山塊の全ての
道を歩けたと云っても過言ではないと信頼をしている。
この山域でも天王山から地蔵峠の間で見かけていたので、この道標さえあれば天王山に行けるだろうと自信を持った。

 道標を見て林を出るとそこは予想外に整備された茶畑になっていた。春歩いた時は林の横は放置された茶畑で、背の高さ以上に
伸びた茶の木が遮っていたので、仕方なく林の中に入ってしまい道を見失ったのだが ---------
マー今考えても仕方ない。道標を信じてもう少し行ってみようと、茶畑横の空地を下る事にした。

 
       農道の左前方に天王山が見えた                   荒れている農道の先に天王山が

 茶畑が終わると南に向かう急斜面の農道があった。南には余り行きたくないが仕方ない。多分この先に分岐があるのだろう。
雑草も生えていない急斜面だった農道の傾斜が緩くなると、向きが東になり、その先に天王山が見てきた。
写真では木に隠れて見えないが、天王山から続く稜線は、もっともっと左の方に延びていた。ここからその稜線に向かうには、
一度谷に下りなければならない。
そんな馬鹿な。道標の有った場所からまだ5分も経っていない。若し道標を見落としたなら茶畑の空地の斜面だろうか。
でもあそこも注意しながら下ったが目印も道標も気が付かなかった。
アーア 嫌になるなぁ 時間はまだ2時前なので戻っても大丈夫なのだが。しばし考えて止めることにした。
次回は一宇戸峠から再度登り、林の中の道に入ったら、西(左)側を注意すれば、きっとさっきの茶畑に出るだろう。
そんな言分けを考えて農道を下り始めてしまった。

 最高部にあった茶畑の下の農道は草が生えていなかったが、この辺りの農道は草が茫々で利用されている気配が無い。
では、何故上の方の道が整備されているのか、車はどこを通り茶畑に行くのか不明だった。

 天王山を諦めてしまえば後は気楽なもので、下りの農道をのんびり歩いていた。
右(西)に鋭角に合流する未舗装の道があったが無視。直進する舗装された農道を下る。
次の分岐は左に側に未舗装の農道で、直進は舗装された農道だった。サーどっちを下ろう。なんか直進する道は幅が狭い
気がする。それなら左の道を行こう。どっちを行っても麓に通じているだろう。

 前方に軽トラが停まっていたので、この道が何処に下るのか聞いてみようと、近付くと農道はそこで終わっていた。
その先を見てもミカン畑で細い山道も無かった。
ヤイヤイついてないなと思ったが、ミカンの木の間から人の乗ったモノラックがこちらに向かって来るのが見えた。
モノラックに乗っていたのはミカン畑の持ち主の老夫婦だった。
挨拶を交わすと 「何だねあんたは。ここに何しに来たんだ。」 と警戒気味に聞いてきた。ミカン泥棒が下見に来た思ったのかな?
あわててビク石から地蔵峠を通り天王山に行く予定だったが、ここの来てしまったと説明し、ここから麓への道を聞くと
 「昔は尾根には道が付いていたが、今は車で動くからみんな歩けない道になってしまった。ここから下に行く道は俺が二十歳の
頃はミカンを天秤棒で担いで下ったものだ。だが今じゃぁ藪になちゃってとても歩けたものじゃない。」
との事でした。
奥さんも 「私が嫁に来た時は、家からここまで歩いて来たので、それだけで疲れてしまった。」 と愛想よく話してくれた。
私に対する警戒心も解けたのか、和気藹々と話を続けてしまった。時間に余裕があると楽しいものですね。
ここで聞いた話を箇条書きにすると。
・獣除けの電気柵は12Vの車のバッテリーで4000Vに変圧して使うが、半月ぐらいしか持たないので充電して使う。
・4000Vといっても人間にはピリッてくる位だが雨の日に触るとビリって痺れる。
・獣も勉強していて、兎は線の下から、猪は最近飛び込む事を覚えたので柵をもっと高くしなければならない。
・猿は困りもんで人間がいても木の上からこっちを眺めている。脅かしに流星を猿に向けて打ったが、最初はびっくりして逃げた
けど、今じゃぁ木の上でギャァギャァ叫んで笑っている。
そうそうこんな話もしてくれた。
・ミカンの木の下に白いシート敷いてあるのは、ミカンに水を与えないでストレスをかけて甘くさせている。
業者はあれをやれやれって言うけど、あれをやると100年もったミカンの木が30年しかもたない。俺は絶対やらない。

ところでこの下の何処かと聞くと
・俺たちの澄んでいた下大沢に出るが、昔は下と上の大沢で55軒あったのが、今じゃ5件5件の10軒しかない。
・本当は下大沢でも良かったが、市役所が60万円出すから麓に下りろとうるさく催促に来た。息子夫婦も下に住みたがったので
今は西方に家を建てて住んでいる。
・市から60万円貰うには、家はこわさくてもいいけど、畳は上げて泊れないようにしなければならない。
・強制ではないので下に住むのが、どうしてもやな人はそのまま住んでもいい。

下大沢に下る道も確認した。
・この上の直進する舗装道路は行き止まりだから、その上の舗装されていない道を行くと下大沢に出る。
アレアレさっきはあの道は絶対下に通じていないと思った道が正解だとは。俺の勘も当てにならない。
 等々30分ぐらい話をしていたかな。

 
               下大沢の合流部                         瀬戸川上流の中里への分岐

 話をしている時間が長かったので、農道に出合ってから下大沢までの正確な時間は分からなくなってしまったが凡そ45分位か。
下大沢のどの辺りに合流するのか興味があったが、合流地点は庚申塔などの石仏を祀ってある所に合流した。
 この農道なら上大沢まで行かずに地蔵峠に行く事ができるので、利用価値があるかもしれない。道は確か上に上にと向かって
行けば標識の有った茶畑に出るから間違いにくい。
(農道は国土地理院の地図でも正確に表示されていないし、ましてやお気に入りのYHHO!の地図も駄目だ)

 下大沢集落を下る途中に先程話に出た家があった。まだ新しいその家は何処かの社長が別荘用に建てたのだが、市の言い分に
従って畳を上げて泊れないようにしてあるらしい。だが正月には集落の人を呼んで宴会を開くそうだ。
ミカン山の持ち主の人も毎年参加するのを楽しみにしているが、宴会が終わると参加者全員引上げるそうだ。

 西方八幡宮を過ぎ西北(間違いではありません)小学校前の分岐でしばし考えた。このまま前進すれば何度も歩いた道になる。
今日は天王山に行けなかったのだから新しい道を歩いたらどうだ。と。
          
                     嫌な奴がいた                            おとみ坂の記念碑

 この道の1本下(南)には石仏隧道のある県道が走っている。そこは“石仏隧道” の名に惹かれて歩いてみたが名前負けを
する峠道だった。ただその道は両側から山が迫り暗い細い道だった覚えがある。
それに比べこっちの道は、広くて平で明るく歩き易いというか何も見る物も無い道だった。畑もないので車も殆ど走っていず
只々テクテク歩くのみだった。それにしても道が平らすぎる。まさかこのまま峠越えしないで瀬戸川流域に出てしまうのかと
思ってしまうくらい平らな道が続いた。
しかしそんな事は無く、最後はしっかり上り坂になった。その峠と思われる所に 「おとみ坂」 の記念碑が建っていた。
案内文には 「農免農道 昭和56年完成 おとみ坂の由来は、かってこの峠にあった茶屋の名前をとる」 のだそうです。

 ところで 「農免農道」 という言葉は時々聞くが、今までは農業用道路として免許(許可)が降りた道路かと思っていた。
ところが今回調べてみると、農免農道とは 「農林漁業用揮発油税財源身替農道」 の略称というが “免” の言葉が入っていない。
これは 「通常ガソリンの取引には揮発油税がかかるが、農業用機械に消費されるガソリンについては免除することになっている。
しかし、取引の際にそのガソリンの使用目的を確かめるのは現実的ではないため、農業用機械に消費される分の揮発油税に
相当する額を財源として道路を整備することで、揮発油税の免除に代えている。」

要は “揮発油税の除” から農免農道の言葉が生まれたらしい。フーン
しかし、こんな制度ができため不要不急の農道が造られた可能性もある。

 昔この峠に茶屋があったとか。足の達者な昔の人が、この位の峠で茶屋によって一服したか眉唾物だと思うが
「お富さん」 なる女性が峠で --------

 
            着いた先の中里地区                             ゆらく

 着いた先は先週歩いて橋の名前が分からなかった “中里橋”の袂だった。
瀬戸川沿いの農免農道の入口に立つ道路標識は、全て瀬戸川上流を指す物ばかりで西方方面の物は何も無かった。
せめて西方方面とか岡部方面とかがあっても良さそうだが。

 久し振りに営業している日帰り温泉の “ゆらく” に着いた。
今の時間は時間は4時35分だが、このまま歩いて行くとゴールの藤枝駅に着く前に真っ暗になりそうだ。途中でバスに乗っても
始発のここから乗っても400円のバス料金は変わりない。それならここからバスで帰ろうとバスを待つことにした。
 

ビク石周回-2

2015-10-03 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-9-29(火)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間45分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時25分     到着時刻:16時35分
歩  数: 29、039歩(推定距離21.2km)    GPS距離18.0km
行程表1
玉露の里 0:25> 不動の滝 0:20>  新舟駐車場 1:10> びく石山頂 0:45> 地蔵峠 0:30> 新舟駐車場
行程表2
新舟駐車場 0:30> 地蔵峠 0:20> 農道合流 0:45> 下大沢 0:10> 西方八幡宮 1:10> 中里橋 0:20 ゆらく

      
            山頂広場の四阿                          下・上大沢分岐

 昼飯にはまだ早かったので一服して山頂を出発した。上大沢コースの入口にある四阿は、真ん中に桜の木がありその部分の
屋根は無い。きっと花見の時に桜がチラチラする光景を想像して建てたのだろう。
しかし四阿の中のベンチは何時使ったか分からない状態で、とても座る気にはなれない。春の桜の頃だってどうだろう、きっと
このベンチで休憩する人はいないと思う。

 山頂広場から3分ほどで上大沢の沢ルートの分岐に着いた。
今日は直進する剣ヶ峰コースの稜線を地蔵峠まで下るのだが、こちらのコースには 「中堅者」 と注意書きがあった。
私はとても中堅者とは言えないが、この道の登りは何度か歩いているので不安は感じなかった。
ただこの周回コースが初心者でも歩けるなら、それこそ山の初心者ばかりの近所の仲間と歩こうと思っている。
今日はその下見も兼ねたルート探索だ。

 春には椿の花を求めて歩いた尾根道は、今はキノコの盛りの時季なのか、アチコチにキノコが目に付いた。
登りは巨岩を見ながら、下りはキノコを撮りながらのんびり歩こう。

      
   落葉に半分埋もれて肉厚で柔らかそうだが                 すくっと立った軸に節が、笠は平らで中央が薄茶色

      
  これで笠が茶色ならチョコにある。だが笠には棘が      アケビの皮のような色で食べられそう

      
   茶色で薄い笠は如何にも脆そうだ                           一方こちらは木の根にしがみつき堅そうだ

  
   最初のキノコと同じかな?                        このキノコは群生している

 
   まるで花弁のように笠が裂けている。 右のキノコと同じ種類? 軸も写したいが横になるのがつらい。

 
   肉厚の傘にポツポツ斑点が。毒キノコかな              オヤ!これはナメコかシメジか

 
   アップにするとこんな感じ。右のキノコはまだ成長過程のキノコ   大木の根元にあった

 キノコ撮りをしながら歩いていた尾根道だが、確かに山歩きが苦手な人には向いていない。登りでは感じなかったが、急斜面の
堅い土の上に乗った砂利が、滑りそうで怖く感じるかもしれない。近所の人と歩くのは止める事にした。

                 
              地蔵峠の祠が見えた                        地蔵峠の石仏
 
 キノコ撮りをしながらゆっくり歩いので45分掛かって地蔵峠に到着。
地蔵尊の光背の右には 「文政元寅年 笹川村中」 の文字が見え、左には 「七月吉日 大澤村中」 の文字が見える。
文政元年の西暦1818年には、この峠を通じて笹川と大沢は交流があったのだ。だがそれから190年経った今、果たして
道は残っているのだろうか。

 問題は峠から新舟への道が、新舟の何処に出るかだが、 「■■大典記念 昭和三年十一月 新■」 と書かれた駐車場の
上の道標の所に出れれば最高だと思っている。。
ただあの道標は昭和3年に道を開通させたのか、それとも道標を建てたのかハッキリしない。若しかすると文政年間の道と
昭和の道とは違うという事も考えられる。
しかし、いずれにしろ昭和3年には峠から駐車場までの道はあったのだから、その痕跡は今でも残っていると思いたい。

 
              地蔵峠にあった標識                   上大沢へのハイキングコース(標識が見える)

 地蔵峠の祠の横に手製の標識が取り付けてある。これは以前来た時にも有ったが、その時は良く見ていなくて四辻だと思っていた。
今回実際に歩くのでよく見ると標識は五辻になっていて、しかも今まで気付かなかった道には 「笹川八十八石駐車場」 と書いてある。
ラッキー! これで新舟の駐車場に着いたも同然だと気が楽になった。

 五辻の紹介をします。先ずビク石山頂から下って来た剣ヶ峰コースの道は祠の前を通って南西に下ります。

 
左がびく石への剣ヶ峰コース(標識が見える)右が駐車場への道        駐車場への道にあった朽ちた小屋

 次に山頂に行く剣ヶ峰コースは今歩いて来た道で北に向かって登って行きます。写真では左の上りの道です。
右の平らな道が今回分かった駐車場の道で標識には点線で書かれていました。

 駐車場への道の入口は踏み跡もハッキリとした道だったが、少し入ると道が崩れていて注意を要した個所があった。
だがそこを過ぎると又しっかり踏まれた道になったので、気を良くしながら5分も進んで行くと赤い目印も付いていた。
更に進むと今度は朽ち始めた作業小屋が現れ、道はその小屋の前に通じていた。
だが、だがです。小屋まではあった道が小屋の先には無くなっていた。
じゃぁ道は下の林の中に入るのかと見るが、何処を見ても道のようでもあるし、道では無いような気がする所だった。
目印はと探すが見当たらない。
さてどうしよう。まだ他にも本命の道があるのだから決断すのは早い方が良い。と、引返す事にした。

                 
                  天王山への道                      水玉神社への道

 地蔵峠の五辻に戻り分岐の説明を続ける。上大沢に下る左の南に登る道は、春に歩いた天王山への道だ。
最後に残された本命と思っている水玉神社と書かれた道は、多分国土地理院の地図に出ていた不動の滝に続く道だろう。
本当は駐車場へ直接出る道を歩きたいが、今回は水玉神社への道を歩き駐車場への道は次回再挑戦しよう。

    
                  標識にPの文字が                            水玉神社への道

 駐車場へと書いてある道を歩き始める時は地蔵さんに手を合わせただけだったが、今度を地蔵菩薩の真言を唱え
 “無事駐車場に行けますように” とお願いをしてから水玉神社への道に入った。
こちらのの道も入口はしっかりしているが油断はできない。だが入口にはまだ新しい赤い目印が2ヶ所も付いていて、
更に30mも入った所には、ナント!ナント! 「2015.2.10 八十八石(P) 笹川→」 と書いてある標識もあった。
なんでだ? 地蔵峠の標識には駐車場への道は北東に延びる道とあり、今引返してきたばかりだ。
こっちの道は水玉神社と書いてあったのに ------
親切で標識を付けてくれるのは分かるが、行先の書き方は付けてくれた人の解釈で変わってしまう。
この道は多分水玉神社経由駐車場なのだろうが、問題は水玉神社が何処にあるかと云う事だ。
この標識は今年2月に付けてくれたばかりなので悪くても踏み跡はあるだろう。

 写真のような道を歩き、傾斜のきつい林の中に入ると下の方に人家の屋根が幾つか見えた。なんか簡単に着いてしまったと
歩き易そうな所を右に向かった。アレー?道が無い。慌てて目印の所まで戻り次の目印を見つけて無事下る事ができた。
どうやら人家の屋根を見て気が緩んでしまったようだ。
この林の中は目印の間隔が広い所もあるが、先、先と目印を確認して行けばどうという事のない道です。

 林を出ると農道と民家がすぐ近くにあったが、この集落が何処の集落なのか分からない。朝歩いて来た道ではなかったので
一先ず下り始めた。でも変なんです。朝歩いて来た道に民家がこんなにあった所は無かった。
変だ!変だ! と思いながら下って行くと、右に水玉神社の看板が見えた。成程これなら峠の祠の横にあった標識が正解だ。
問題は駐車場までどのくらい戻るかだ。など考え神社の入口から5mも下ると左側に見た事のある風景が現れた。
しかも看板には 「十四地蔵尊」 の文字が見える。なんだぁーここは一昨年 「駿河百地蔵」 で寄った場所だ。
確かここから駐車場まではホンの数分で着くはずだ。

 地蔵峠から道標の横を通り駐車場には30分で着きました。
この道は林の中で目印を見落とさないようにすれば他には危険な所は無く、山頂から地蔵峠までの尾根道の下りの方が、
よっぽども注意が必要だった。

 この道が文政年間に歩いていた道かどうかは分からないが、私としてはこれで満足です。
もう地蔵峠から、もう1本の駐車場への道は歩く気はなくなっていた。
これで入舟駐車場を起点とした 「びく石周回コース」 は完成としよう。

びく石周回

2015-10-02 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-9-29(火)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間45分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時25分     到着時刻:16時35分
歩  数: 29、039歩(推定距離21.2km)    GPS距離18.0km
行程表1
玉露の里 0:25> 不動の滝 0:20>  新舟駐車場 1:10> びく石山頂 0:45> 地蔵峠 0:30> 新舟駐車場
行程表2
新舟駐車場 0:30> 地蔵峠 0:20> 農道合流 0:45> 下大沢 0:10> 西方八幡宮 1:10> 中里橋 0:20 ゆらく

 出発はもっと早くしたいのだがこれ以上早いバスが無いので仕方ない。駅からをモットーにしている私だが藤枝駅から玉露の
里まで歩くとなると14kmもあり3時間以上かかってしまう。びく石に登るだけならそれでも良いが、今回のように初めての道を
探そうと思っている時は所詮無理だ。それに出発地に戻れる保証もないので車でも来れない。そこでバスを乗り継いて来たの
だが矢張り不便で料金も高かった。

 玉露の里辺りの地名は 「新舟」 と書いて 「にゅうふね」 と読むが、まるで英語(NEW)と日本語が合わさったような読み方だ。
興味を感じ調べてみると、地名の由来は「昔、大地震が起きたとき、津波によって舟がここまで流されてきた。」事によるらしい。
こんな山奥まで津波が、と驚いてしまうが、藤枝には他にも先週歩いた不動峡磨崖仏のある滝沢まで、津波が押し寄せ住民は
高台の桧峠まで避難したとの言い伝えもある。あながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。
特に新舟の場合は、朝比奈川を遡った津波が焼津の舟をここまで運んで来る事は考えられるのかもしれない。
しかし “新” を “にゅう” と読む謂れは分からなかった。これが舟が流されてきたことにより 「入舟」 なら理解できるが。

           
           不動の滝(男女の滝)                             新舟駐車場


 玉露の里から新舟駐車場に行く途中に 「新舟山岩滝不動尊」 の看板があり、先週藤枝四不動を歩いた私として無視はできない。
分岐から7・8分で滝の入口に着き案内板を読むと
 「不動の滝(男女の滝) 不動の滝は水枯れのしない滝で、不動尊が祀られています。古くから雨乞いの行事が行われていて、
干ばつの時には、滝つぼを干して清めれば雨が降ると言われています。(要約)」

滝つぼに下りて不動尊を探したが供え物を置く台はあったが、肝心の不動明王は見つからなかった。
石仏が多い岡部なので、不動明王の石仏は何処かにあると思うが残念だ。
ところで不動明王は雨乞いにもご利益があるのですね。あの恐ろしい形相から相手を懲らしめる願いごとは分かるが、“雨よ降って
ください” とお願いするような願い事は似合わないと思うが。

 

 新舟駐車場にあるハイキングコースの案内板を見ると楽しくなってくる。大きな石に色々な名前が付いているが、果たして
どの位が名前と形が一致するのだろう。
 “心の澄んでいる人は納得するが、心が汚れている人はその形に見えない” とも云われるが私はどうだろう。
案内板の右下に不動尊の祠や、のぞき地蔵の絵が紹介されているが、どちらも見る事ができなかった。
(早、心が汚れている)
 
 びく石登山ではバスを利用すれば縦断や横断ルーも取れるが、残念ながら本数は少なく時間も登山に適していない。
その点、マイカーなら各登山口に駐車場があるので便利が良い。ただ、車だとスタートとゴールが同じ場所になるので、勢い
往復コースとなるが出来る事なら周回コースの方が歩き甲斐がある。

 瀬戸川沿いのコースは、びく石ふれあい広場の駐車場から山頂に登り、帰りはびく石他山口側に下山し県道を2km弱下る
コースが良い。逆コースだと疲れてから県道を登らなければならない。
 葉梨川上流の上大沢コースなら、行きは剣ヶ峰コースで登り、帰りは沢コースを下る周回コースが可能だ。
ところが私がびく石登山のメインコースとして押す朝比奈川上流の 「笹川八十八石」 は、周回ルートの案内が無く
同じ道を往復しなければならない。これでは楽しみも半減してしまうので藤枝市のハイキングコースには指定されていないが、
上大沢の剣ヶ峰コースの途中にある地蔵峠から新舟集落に向けて下ってみました。

                                  新舟駐車場からびく石周回ルート


 私が「笹川八十八石」 を一番だと押す理由は、何と云っても巨岩を下から仰ぎ見る事ができる事。
巨岩を見比べながら登れば立止る回数は多くなるが、疲れの感じ方が少なくて済みそうです。
これが下りだと足元を気にしながらなのでツイツイ見逃してしまうケースが多くなってしまいます。

          
                    駐車場上の分岐                          分岐に建つ大沢への道標

 駐車場の上の分岐には、びく石登山の道標と下には石の道標が建っていた。石の道標には 「葉梨村上大澤に通■」とある。
今日のコースの理想は地蔵峠からこの道標に下って来れば理想だが、国土地理院の地図には(上記地図参照)地蔵峠からの
道は不動の滝入口に延びている。今日は駐車場までの道を歩きながら、その道の入口を探しながら歩いたが、それらしき道は
分からなかった。果たして地蔵峠からの道は何処に出るのだろう。

 
 表石(何が表か分からないが、どうせなら迎え石にしたら)    おむすび石(右の三角の石か、それとも左の丸い石か)

 
 赤石・黒石(どちらも同じようなものだが、命名者はスタンダールの愛読者なのかな)

 
 なめくじ石(八十八石の中で一番納得)                 ねむり石・あんどん石(皆目見当がつかない)

             
五色石(水に濡らすと五色の色が出るそうだ。水が流れていたが掛けなかった)     座禅石(座禅する台に見えた)

 
 らくだ石(確かに出っ張りは二つある)                   なだれ石(なるほどネー)

 
 菊石(ウソー何処が菊の花だ。若しかして白い模様が?)    コウモリ石(これは石の形ではなく洞窟状の所に蝙蝠がいる)

         
    想像石(名前を付けるの疲れ勝手に考えてくれとサ)      腰叩き石(ここまでご苦労さん。腰でも叩いてくれとサ)

 ようやく山頂に到着。山頂にも巨岩がゴロゴロと
 
 大名石(意味不明。大きいからか)                   平石(ゲイも無い、相撲石か土俵石ではどうだ)

 どうやら私の心は棲んでいないようです。せかっく知多四国八十八霊場を遍路しても何もな変わらなかった。
途中でも人に会わず、山頂にも誰も居なかった。またしても貸切の山となる。