はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

四国遍路19日目

2018-03-31 10:00:00 | 四国遍路
           
                          40番 観自在寺

                  雨の中の昼飯(19日目) (2003/3/31)

 宿(6:20)→観自在寺(40)→宿(14:40)             33.4km

 伊予は 「菩提の道場」 と言うらしい。
阿波が 「発心」 で準備。土佐が 「修行」 で、そして今日から 「菩提の道場」 です。
と、言うことはこの伊予で悟りを得ることが出来るのか? 
いやいや出発前と今の自分の違いは体が疲れているだけで、内面の変化など無く悟りなどとんでもない。
ただ自然を見る目が優しく深くなった気がしないでもないが、それだけです。

 伊予の出発は雨から始まった。
阿波、土佐は二日目が雨だったが伊予は初日から雨。
何か良からぬ事がおきる前兆か?

出発のとき宿の女将に今日のコースを聞かれた。
 「松尾大師の峠越えをする」 と言うと女将は雨で危ないから国道を行けと言う。
 「私はトンネルが怖くて嫌いだ」 と言うと
 「他のお遍路さんもトンネルはイヤだけど、それよりイヤなのは人家が無くて人の居ない所。まして山道は道に
迷いそうでとても怖いと言う。今日は雨も降っているから国道の方が安全だ。」
と盛んに国道を行くように進める。
仕方なく 「そうですね・・・・・・」 と言葉を濁しておいた。

 確かにハイキングなどに慣れていない人は山道への不安があるかもしれない。
しかし山道は入口さえ間違わなければ後は道標や遍路札が案内してくれるので、街中を歩くより安心して歩く
ことが出来る。今まで歩いてきた山辺の遍路道でも道に迷う所や危険な場所はなかった。

 ただ山道はトンネルを歩くより大分距離が長くなり、疲れた足にはきつい面もある。
遍路の期間が長くなればなるほど、トンネル派の遍路が多くなるのも道理かもしれない。
私も当初のトンネルを歩くことに対する偏見も大分薄れてきていたが、今日もやはり山道を行く。

 出発時はしとしと雨だったが県境を越える頃は完全な本降りになってしまった。
こんな雨の日は景色も見えずただ歩くだけになる。靴はビショビショだがもう諦めの心境で苦にしても仕方ない。
昼飯のお結びを食べたいのだが適当な場所も無い。
せめて軒先でもと思うのだが何故かどの家も拒絶しているように感じてしまう。
空腹になるとガクンと力が落ち歩く速度も遅くなる。注意力も散漫になり遍路札を見落としたりする。
今日も雨の中、空腹に耐えながらトボトボと肩を落とし俯きながら歩くしかない。

 空腹に我慢できず県道脇の側溝の上にあった庚申塚で昼飯を食べることにする。
ザックの一番上からコンビニで買ったお結びを取り出し食べるのだが、屋根は自分の菅笠だ。
お結びを持った手はいつも顔の近くにしておかないとお結びが雨に濡れてしまう。
食べ終わっても海苔が付いた手を洗う所は勿論無い。
仕方なく雨水が溜まった道路のくぼみに手を広げピシャピシャと舗装面に海苔をなすり付ける。

 それでも空腹が満たされるとまた歩く気力が湧いてくる。
庚申塚に 「南無大師遍照金剛」 を三回唱えて出発だ。

 40番観自在寺を打ち終わり歩いていると霧が出てきて景色は見えなくなった。
潮の香りがしてきたので海が近いに違いないと思ったら、それこそ突然目の前に水面が現れた。
波が無く湖のように感じるが海に違いない。だが霧がかかっていて景色は見えないので何とも言えない。

 その水辺の横に郵便局があった。
今日の宿は郵便局の横のはずと、雨を避けながら地図で確認すると柏郵便局となっている。
看板を確認すると間違いなく柏郵便局だ。宿はと見回すと探すまでもなく隣が宿だった。
これで伊予の初日は雨の中の33kがやっと終わりだ。

宿は新しい建物で1階が食堂になっている。
店内を濡らしてはと思い、食堂の入口で雨具の整理をしてから中に入る。

 「いらっしゃいませ。気を使ってくれて済みませんね」 と外を見ていたのか宿の人が言ってくれた。
こっちが気を使えば相手が感謝してこういう一言を言ってくれる。これだけで雨の中の苦行も半減する。
そして次なる恩恵は、ランドリーで濡れた衣類を洗濯も乾燥も出来た事だ。
洗濯場の横にあった風呂も大きく2回も入る事ができた。
これで明日も元気に出発できる。

新しいと言うものは気持ちが良いものだ。とつくづく感じた一晩だった。

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四国遍路18日目

2018-03-30 10:00:00 | 四国遍路
           
                        39番 延光寺

                  宿の予約(18日目) (2003/3/30)

 宿(6:20)→延光寺(39)→宿(15:20)            38.3km

 今日の39番延光寺で高知県は終わり。
高知は修行の道場と言われているが確かに色々あったが、最大の難関はなんと言っても下痢の襲来だった。
しかしあの酷い下痢が一日で治まったとは不幸中の幸いでした。

当初四国での難所は、阿波と香川の2寺に設置されている空中ケーブルのある札所と、土佐の室戸岬と足摺岬の
長い国道歩きの4ヶ所が難所と想像していた。
そのうち三つはすでに終わり、4国の内の阿波と土佐の2国も今日で終わりだ。
そうして見れば四国遍路も半分は過ぎた事になるだろうから、残りの日数も今日までと同じ位みれば十分だろう。
ならば後18日掛かるとしても40日以下で結願出来そうです。何か先が見えてきたような気がします。

 宿を出てすぐ国道と離れる。
後はダラダラ登りの車道が延々と延光寺まで続いていた。道中変化が有りすぎては疲れるが、こう変化が少ないと
逆に大変に感じてくる。気を紛らわす事があれば、そこで気分も変わるのだが、何もないと疲れた! まだか! と
常に感じていなければならない。それも中々疲れる。

 今まで宿は必ず前日の夜には予約していたのだが、今日はまだ宿を予約してなかった。
それは今夜の宿泊予定地の宿毛(すくも)には、ビジネスを初め何軒もの宿が遍路の本に出ていたので、これなら
最悪のときはビジネスに泊まれば良いと判断して予約をしなかった。

いつもは宿に着くとその日の出来事などをメモしたあと、今日の体の調子から明日はどのくらいの距離を歩けるか
判断して、遍路の本からその距離近くの宿を探し出して予約を入れていた。
四国に来る前はこの予約方法に不安を感じていたが、遍路の本が非常にうまく出来ていて助かっている。

私の予約の方法説明します。
遍路の本に載っている宿の一覧表には、宿や札所や番外の名前の前にAとB距離の二つの距離が書かれています。
A距離は前の札所からの距離で、B距離は次の札所までの距離です。

 例えば先日停まった岩本寺の宿坊、民宿みやこ、民宿星空を例に説明しますと
岩本寺で明日は30kmは歩けるだろうと判断して、岩本寺の先に宿でA距離が30.9kmにあったみやこに予約を入れます。
民宿みやこに着いたら今日は体調は良かったのに30kmしか歩かなかったので明日は40kmは歩こうと、今日の30.9kmと
明日歩く予定の40kmを足すと70kmになるのでA距離が70km前後にあった民宿星空(74.4km)に予約をいれました。
また星空のB距離は15.6kmとなっているのは、星空から足摺岬の金剛福寺までの距離となります。
この作業を毎晩、毎晩繰り返すのですが、宿毛では宿が多かったので予約を入れませんでした。

 延光寺を打終わり宿毛市内に入ると、今日の宿はと、ビジネスの看板を眺めて迷うのだが中々決められない。
いざホテルの前に来ると大きすぎて怖気づいたりして中々決めれません。仕方がない自分で決められないなら他人に
決めてもらおうと、あたりを見回すと中年の男性2人が立話をしていた。
 「済みません。この辺りにお遍路が泊まれるような宿はありませんか?」 と声をかけた。
2人は私の格好をみて少し相談した後
 「ビジネスじゃあ落ち着かないだろうから岡本さんがいい。あそこは商人宿みたいな所だから、きっとお遍路さんも
泊めてくれるよ。」
お遍路さんも、の 「も」 が気になったが話し方から安そうに感じたのでそこに行ってみる事にした。

岡本旅館は民宿より綺麗で(綺麗な民宿もあるが)大きいが旅行者が泊まるといった雰囲気ではない。
確かに仕事関係の人が連泊するような宿で商人宿との言い方が適した宿だった。
料金は民宿より若干高い程度で済んだ。

さあ いよいよ明日からは愛媛県伊予の始まりです。

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 宿の予約は人によって色々だが、一般的に
1. 前日までに予約する
2. 当日宿に着く前に予約する
3. 予約無しで行く   
の3点だ思われるが、
 1の前日までに予約すると、予定が狂い早く着いたり、遅く着いたりする時もあるが当日は安心して歩けます。
私も19番立江寺では早く着きすぎてキャンセルした事もあるが余り気分が良くなかった。それからは早く着いても、
宿の近くでブラブラして時間をつぶし、予約した宿に泊まるようにしました。

 2は立江寺の宿坊を断った時や、ビジネスホテルが沢山があった大洲だったが特段支障は無かった。
だがやはり決めるまで落ち着かなかった。

 3の予約無しで行ったのは今回の宿毛だけだったが、現地で建物等を見ると目移りをしてしまい中々決められなくなる。
また満室等もあるのでお勧めでない。

今回は3月中旬から4月にかけての遍路だったが、満室で断られたのが17番の宿坊と足摺岬の民宿だけだった。
あと遍路宿を廃業していたのと電話に出なかったのが1件づつあっただけだったので予約状態は順調でした。

また遍路宿は相部屋が多いと思っていたが、相部屋になったのは宿坊の3回だけでした。

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四国遍路17日目

2018-03-29 10:00:00 | 四国遍路
           
                         38番 金剛福寺

                  打戻り(17日目) (2003/3/29)

 宿(5:30)→金剛福寺(38)→宿(14:20)           41.2km

 朝5時に起きたらもう朝飯が出来ていた。
何でも同宿の女性が金剛福寺を打って今日中に家に帰ると言ってもう出発したと言う。
そのおこぼれに預かり私も5時半の出発が出来た。

 この日は打戻りと言って38番金剛福寺のあと同じ道を25kも戻り、延光寺に向かうコースだ。
距離も41.2kmあり連日の40k台となるので少しでも早い出発は有難い。

 朝、思わぬお接待を宿の人から受けた。それは荷物を預け出発しようとした時
「昼飯代わりにしてください。」 と包みを渡してくれた。
「今日はこれから先にコンビニも店屋もないので、泊まったお遍路さんに渡している。」 と言うので
遠慮なく頂いた。さらに
「海岸の遍路道はまだ暗くて分かりにくいから車道のほうのがいい。」 と忠告をしてくれる。
実は夕べ地図を確認したところ海辺の遍路道があったので、そこを歩く予定だったが、忠告通り
車道に変更する。

 5時半出発で東側が海なので、若しかしてと期待して歩いていると、期待通りに海からの日の出を
見ることが出来た。
何年振りかの海からの日の出に向かい、般若心経を唱えて結願成就と留守宅の無事を祈った。
早朝から幸先がいい。今日は何か良いことが起きそうな予感がする。

 魚を煮た臭いが漂ってきた。それと同時にカラスの鳴声も聞こえ出した。
それも一匹でなく沢山の鳴き声がする。
朝カラスの鳴き声を聞くと良くない事が起きる、という言い伝えがあるが、こんなに沢山の鳴声では
どんな厄災が待ち受けているのだろか。いやな予感がする。

 魚の臭気とカラスの鳴声は段々強くなってくる。前方の電線にはカラスが鈴なりだ。
何匹くらい居るのだろう? 
野鳥の会の会員ならすぐ数えられるだろうが、生憎私は会員ではない。
それでも100羽以上いや200羽はいるのではないか。
更に近づくと道をピョンピョン歩いたり、空を滑空しているのもいる。
このカラスが襲ってきたらどうしよう! ヒチコック映画の 「鳥」 の恐怖を思い出した。

臭いが更に強くなった所に 「鰹節工場」 があった。
ここが臭いの元凶でカラスを呼び寄せていたのだ。
それにしても利口と言われているカラスが、臭いだけで集まってくるものなのだろうか? 
工場が動き出すと何か餌になる物にありつけるだろうか? 疑問はつきない。
打戻しの時またこの工場の前を通ったが、臭いはしたがカラスは一匹もいなかった。

 足摺岬の38番金剛福寺で納経している時、うしろから奇妙なアクセントで
 「ダレト イッショ デスカ?」 と声がかかった。
振り返ると男性が菅笠の 「同行二人」 を指差している。
顔は日本人だが、姿格好がなんとなく外国人風で、きっと台湾か韓国の観光客だろうと思い
 「仏様と一緒です」 と日本語で真面目に答えた。これには我ながらに驚いた。
照れ屋で無信心の私がこんな答えをするとは考えられない。これも修行の賜物か。

イエイエそうではなく相手が日本人ならきっと馬鹿にされたと思い無視しただろう。
外国人だったから親切にしたまでのこと。まだまだ修行の成果は何もない。

 境内の公衆電話から家に2回目の電話をした。
テレホンカードを使ったが80円で済んだ。この前の860円は一体なんなんだ。
NTTしっかりせい。

 打戻りは楽しい。
38番を打終わり朝来た道を戻りだすと、何組ものお遍路さんにすれ違う。
今まで何故こんなにお遍路が少ないのだろうと思っていたのが嘘のようだ。
確か今日は日曜日なので多いだろうがそれだけだろうか?。
そうだ打戻し以外の遍路道は皆同じ方向に向かって歩いていて、速度も余り変わらないので
会う機会が少なかったのだろう。

 そんな中、ちょっと風変わりなお遍路さんに声を掛けられた。
 「通行止めが解除されたって知っている?」
 「えっ それじゃ迂回路を通らなくてもよくなったの?」 ビックリして聞き返すと
 「今日解除になって、さっき通ってきた」 と教えてくれた。
アー良かった。帰りはあの斜面を通らなくても良いと思っただけで気が楽になった。
更にお遍路さんは話を続ける。
 「私は野宿をしながら一日50kくらい歩いていて、今日で13日目になる」 と言う。
私はもう17日目なので、それに比べると猛スピードだ。凄い人が居る者だと感心して話を聞いていた。
(このお遍路さんには讃岐(香川)の82番で再会した。)

 朝通らなかった海辺のの遍路道を歩いた。
宿の人が 「分かりずらい」 と言っていたが、道は海岸の岩場を通っていて暗ければ危険だし、
道の判断もし難かったろう。素直に宿の人の話を聞いておいて良かった。
でもこの時間になると最高にのんびりした遍路道だった。
近くの岩場では何組もの家族連れが何だろう? 貝か? それとも岩海苔? かを取っていた。

 朝からもう30k近く歩いてお腹も空いてきた。
昼飯は昨日の大岐浜にしようと思っていたが、我慢できず宿で頂いた包みを開けた。
中にはお握り3個とお新香が入っていたが、コンビニのお握りとは違って、それ以上の何かが
入っているような感じがして美味しかった。有難いことだ。

子供が何か見つけたらしく大声を出している。のどかだ。

 宿に戻り昼飯のお礼を言って、ザックを背負うと肩に重みがズッシリと戻っての再出発だ。
大岐浜では昨日と同じように波打ち際を歩いたが、2回目で感動が薄れるかと思ったが、
やはりここは綺麗な所だ。もし妻が遍路の経験をしたいと言ったらここのコースを案内しよう。
・・・・・・ でもそんなことは有り得ないか。

 相変わらずお遍路さんとすれ違う。
高知で一緒になり昨日も会った遍路さんは、足摺岬を一周すると言っていた。
やはり高知で一緒だったご夫婦の遍路さんは今日星空へ泊まると言っていたので、
親切だったことを話すと喜んでいた。
ついでに大岐浜では海に下りて波打ち際を歩くことを進める。

 土砂崩れの現場に着くと、まだ工事用車両は何台も作業をしている。
崩れた場所は岬の一番先の部分で10mもなかった。
歩道は海よりの場所に作られていたが、長さもほんの30mくらいだ。
たったこれだけの土砂崩れで国道が何日もストップになるなんて、自然とは美しいだけでなく
恐ろしいものだ。
それにしてもあの斜面を通らないで済んで本当に良かった。

 高知で一緒だった女性の遍路さんにも会った。
高知では殆ど話しをしなかったが、向こうから懐かしそうに話しかけてきた。
今日は本に出ていた久百々の民宿に泊まると云う。
この民宿は私も昨夜予約を入れたが、満室で断られている。人気のある民宿のようだ。

 打戻しとは中々乙なものだ。
一度会ったお遍路さんとの再会の場所を作ってくれるとは、簡易同窓会のようだ。
しかしこの先はもう今日会ったお遍路さんに会うことはないだろう。
すでに半日から1日の差がついているし、またこんなに長い打戻しもないだろうから。

おげんきで、さようなら。

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ダイラボウから朝鮮岩へ(巻道)

2018-03-28 16:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-3-17(土)
歩行時間:8時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:10時間15分
出発時刻:7時20分     到着時刻:17時35分
歩  数: 35、405歩(推定距離24.43km)    GPS距離km
行程表
 中藁科保育園前BS0:45> 農道終点 0:25> ダイラボウ 0:30> 西又峠 1:00> 野田沢峠 0:45> 谷川峠 0:15>
 ロンショウ 0:30> 鞍部の四辻 0:20> 竹林のピーク 0:20> 宇津ノ谷峠 0:25> 蔦の細道峠 1:05>
 444m峰 0:20> 満観峰 1:00> 朝鮮岩 0:45> 犬居橋 0:10> BS

    
               丸子富士の巻道                                整備されている巻道

  朝鮮岩へ下るとなると忙しくなります。妻に明るいうちにバス停か駅に着くと約束をしてきました。
ヘッドランプを持っているので私としては暗くなってもいいのですが、気持ち良く歩きに出るには約束は守りたい。
それならこの尾根は全て巻道を歩く事にしようと、先ず着いたのは丸子富士の巻道入口です。
この尾根には巻道は何ヶ所かあるが、この丸子富士の巻道が一番楽になる巻道だと思っています。そのためここ巻くと何かズル
した感じになってしまうので、余り巻道を歩いた事はありません。
巻道の入口には 「この先に危険個所があります。」 と静岡市役所の貼紙があった。
これはどういう意味なのか? 巻道が危険なのか、それとも朝鮮岩への道が危険なのか良く分からない。
それでも通行止にはなっていないので大丈夫だろうと進む事にした。
巻道は今まで見た事の無いように整備されていて、途中には補修道具や材料が置いてあるので今補修をしているようです。
作業員は居なかったが巻道の出口には、入口と同じ貼紙があったので巻道が崩れてその補修をしているのでしょう。
この巻道を歩いたので10分は短縮できたかな。

 
               紅葉台の巻道                                次の巻道が続く

  丸子富士の巻道から5分ぐらいの所が紅葉台の巻道だ。ここは丸子富士の巻道と違い余り利用されていないので入口が薄く
目印や標識が本道側にあって巻道側に無いので余計歩く人は少ないようです。
さらに巻道に入ると道はズンズン下りだすので間違えたのか不安になってきます。でも大丈夫です。下りが終わったら斜面を
トラバスするように巻道は続き、広くなった所で本道に合流します。

本道に合流したら本道を横断して次の巻道に入ります。この巻道も余り利用されていないようで入口は薄くなっています。

    
               放置茶畑の道                              目印は無いが左折

  薄い巻道の入口を過ぎると、石垣横のかっては茶畑の作業道だったハッキリした道になります。
道は石垣が終った所で上下に分岐しているので、左の上に行く道を行きます。
下る道にはモノラックのレールがあり、辿って行けば農道に出ると思うが、まだ歩いた事はありません。

この巻道がどのくらい時間を節約できるかは分からないが、ピークは大分上に見えるので節約できることは確かです。

    
             御所の跡分岐の巻道                                  木の根の本道

  小坂の御所の跡からの道に合流します。前回はここで方向感覚を失い、自分がどの道を歩いているのか分からなくなって
しまったので、何時か確認したいと思っていたので丁度良い機会です。

  今も前回も御所の跡からの合流部の先の巻道は、右(南)の道が朝鮮岩からの巻道で、左(北)が芹ヶ谷峠の分岐のある
ピークからの本道だと思っていました。
なので御所の跡の先には直進する登りの道と、平らで左へ行く道があったので南(右)の直進する道を選んだ。
だが巻道なのにズンズン登りピ-クを2個も越えて行く??

 
              巻道と合流                                 芹ヶ谷峠の分岐の巻道

  二つ目のピークを下りだすと下に太くハッキリした道と合流すのが見えている。
そんな馬鹿ナ? あそこが朝鮮岩であるはずがないし、今歩いてきた道が巻道とはとても思えない。

また方向感覚が狂ったのかと思ったが、太い道に合流して何もかもが判明した。
私は御所分岐から1本の巻道で朝鮮岩まで通じていると思っていたが、実際には2ヶ所に巻道があったのです。
そうです。合流した先には見覚えのある分岐があり、左に行けば芹ヶ谷峠の分岐を通って朝鮮岩、右に行けば平らな巻道で
朝鮮岩に行くのでした。

当然右の巻道に入ります。


                           朝鮮岩付近の概略図

  何でこんな簡単な事を前回は分らなかったのだろう。きっと巻道は南側の1本だと思い込んでいたからでしょう。
歳と共に記憶力の低下もさることながら、思い込みの強さも増してしまったようです。

 
                 朝鮮岩                               朝鮮岩から

  満観峰から朝鮮岩までは予測通りに1時間で着く事ができた。これも巻道のお陰だが御所分岐で巻道を間違わなければ
もう少し早く着いたでしょう。
この満観峰から朝鮮岩の尾根の巻道を全て利用したら。下りなら30分。上りならそれ以上の時間短縮になりそうです。
この稜線が大崩山塊の中で巻道が一番多いのは、ピークからの眺めが無いのが一因でしょうね。

    
                  ヤマブキ                                 中電鉄塔

  朝鮮岩を4時40分に出たが妻との約束の5時にはあと20分しかない。とてもバス停までは行けそうもないが少しぐらい
過ぎても文句は言わないだろう。と思いつつも必死に下る。
小野平など朝鮮岩のすぐ下だと思っていたのに中々着かず、ヤマブキの花が咲いていても眺めている余裕が無い

フ~何とか中電の鉄塔まで来た。あと一息です。

 
                 小野寺裏の分岐                             延命地蔵

  朝鮮岩から下がこんなに長かったのかと思うぐらい集落は遠かったが、17時に丁度に小野寺薬師裏の分岐の到着。
エェイ! ここから電話してしまえと 「今民家のある所に着いた。」 と家に電話してしまった。嘘も方便です。
でもこの下からはお寺用の簡易舗装の道になるのだからあながち嘘でもない。なんて言い訳をしながら下る。
勿論小野寺薬師には寄らずに巻道を下ります。


 
                 居尻集落                                 居尻橋

  漸く17時20分に居尻の集落に着いたがまだ充分明るかった。

  今日の予定は蔦の細道までだったが思ったより早く着く事ができたこと、途中すれ違った人の行先を 「満観峰」 と言ってしまった
ので満観峰まで足を延ばすことにした。
満観峰に着くと折角ここまで歩いたのだから、焼津には下らず丸子アルプスの朝鮮岩に下ろうと欲が出た。
それに今日のコースを他人に話す時に 「ダイラボウから焼津を歩いた」 と云うより 「ダイラボウから朝鮮岩を歩いた」 と言った方が
格好良く思えるといった私のミエがある事は確かです。
それとこの機会を逃した二度とダイラボウから朝鮮岩を歩く事ができそうもなく、これが最後の機会だと思う気持ちもありました。

今の私は徳願寺の佐渡山から飯間山、444m峰、満観峰、花沢山、カンポ下の自称静焼アルプスは既に歩けなくなっている。
それでも佐渡山から満観峰、朝鮮岩の丸子アルプスならと思う気持ちもあり、今回のダイラボウからはその丸子アルプスより
楽そうなので当然まだ歩けると踏んでいた。
でも今日歩いて分かったのは、これが私の限度だという事で、これ以上歩けば足の異常や体調の悪化に襲われること間違いなしです。
なので今回無事歩けた事は感謝です。
因みに今日の歩数は3万5千歩で静焼アルプスは4万2千歩ですので当然無理でしょう。

四国遍路16日目

2018-03-28 10:00:00 | 四国遍路
                  土砂崩れ(16日目) (2003/3/28)

 宿(5:45)→宿(14:30)              43.5km

 高知県大方町。初めて聞く地名だ。
昨夜宿の人が 「ここから鯨が見える」 と自慢していたが、確かに道路沿いには 「ホエールウオッチング」 の看板とか
「鯨が見える岡公園」 があった。

 室戸では死んだ鯨を見たが、生きている鯨も見てみたいと海を眺めるが、そう都合よく鯨は現れてはくれない。
よしそれなら困った時の神頼みだと 「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」 と三回唱えて
みたが霊験は現れなかった。

 遍路道は国道を離れて海岸に出る。浜は土佐入野の浜と言うらしい。
白浜が3kmほど続き宿泊施設や大きな駐車場も見える。
夏は海水浴客で混雑しそうな所だが、今はまだ春、しかも6時前なので人影は見当たらない。
ゆっくりしたいが今日の歩行予定は43k強。初めての40k台の強行軍なので白浜を横目で見ながら素通りをする。

 今日は楽しみにしていた四万十川を渡る日だ。
川を渡るのに渡し舟か橋か迷ったが、渡し舟は便数が少なく乗り遅れると大分待たなければならないらしい。
それならと、渡し舟は止めて四万十川大橋を歩くことにした。

 橋から眺める四万十川は水量も多く川幅も広い堂々とした大河だ。
静岡県にも天竜川や大井川それに富士川などの大河があるが、なにせ水が無い。
普段は河原砂漠の状態で川から砂塵が巻き上がる有様だ。
それが台風など大雨になると一挙に濁流となって渦を巻くような流れにと変身する。
それは私のイメージする大河ではなく、私の大河とは川幅は広くて水量が多く、ゆった悠然とした流れを持つ川だ。
そう正に四万十川のような川だったので、渡りながら何度も川を覗き込みながら歩いた。

 四万十川を渡ると国道なのに車が極端に少なくなった。
一昨日岩本寺で逆打ちのお遍路さんが 「足摺岬に行く途中の久百々(くもも)が土砂崩れで通行止めになっていた」
言っていたがその影響だろうか? 静かな国道は遍路には有難いだが車の人は困っている事だろう。
だがそのお遍路さんは 「車は駄目だが徒歩は山道がある。」 と言っていたので心配はしていない。

 中村市と土佐清水市の境に長い峠のトンネルは、普段なら車の往来が多く恐ろしいトンネルなのだろうが
今日は違っていた。何しろ車が一台も走っていなく向かいからは涼しい爽やかな風が入ってくる。
これならトンネルの外を歩くより余程もいい。土砂崩れ様々だなど脳天気な事を考えながらのんびり歩いていた。

 土砂崩れ現場に着いたが緊迫した空気は無く、一刻も早く復旧しなければと言うより、普通の道路工事の
雰囲気だ。元々交通量が少ないのか、回り道があるので余裕があるのか分からないが、私は自分さえ通れれば
文句は無いので軽い気持ちで回り道に入る。

 「ウヘ!」 まさに 「ウヘ!」 の連続だった。これが道? 
50度を超えるような斜面にトラロープを垂らしてあるだけで、腕力で自分の体を持ち上げて登るようなものだ。
距離はさほど無かったが疲れた。正に楽あれば苦有りだった。

 神は見捨てない。苦の次はまた楽が現れた。
今度の楽は風景だ。新緑に輝く久百々の山は柔らかい水彩画のように、色使いが多彩で濃い緑、薄い緑、
柔らかそうな緑に硬い緑。他にも新芽が薄く赤みを帯びた新緑もある。
その赤みも葉によって濃さが違うようだ。色だけでなく形もモクモクと沸きあがるようなもの。スーと横に伸びたもの、
垂れ下がったもの。今が盛りか淡い薄桃色の山桜も点々と咲いている。
自分に絵の才能が無いのが非常に口惜しく感じてしまった。

 そして楽はまたまた現れた。そこが今日一番の景色だった。いやこの遍路の中で一番の景色だった。
場所は久百々を3kほど足摺岬に向かった所で、名前を 「大岐(おおき)浜」 と言う。
1kmほどの浜だが松林から海辺までが広く、その浜が一面白砂で覆われている。
書けばそれだけだが私が今まで見たどこの砂浜より綺麗に見えた。伊豆の白浜や弓ヶ浜もいいが、それよりも一段と
良い。国道からの眺めが浜全体を見下ろせるのもまた良い。

 当然下におりて砂浜を歩いた。
砂浜歩きの大変さは室戸で経験済みだったので堤防の上を歩くことにする。でも何か物足りない。
素晴らしいの白浜の傍に居ながら自身は堤防の上を歩くなん・・・・・
思い切って波打ち際まで行って正解だった。波打ち際は海水で締まっていて歩いても沈まず砂も靴に入らない。

 また脳天気な考えが浮かんできた。
この場面は中々良いじゃない、海をバックに白浜を歩くはぐれ遍路。
題して 「白浜の遍路」 誰か写真を撮ればコンテスト入選間違いなしだ。

 宿の主人に聞いたのだが昔はこの浜はもっと広く、戦時中に米軍の戦闘機が不時着した事もあると言う。
それが最近では年々砂浜が痩せてきているそうだ。
地元では対策を取るよう県に要望しているのだが全然取りあってくれないと言って嘆いていた。

 今朝宿を出たのが5時50分。着いたのは2時30分で9時間弱かかったことになるが、休憩時間等を除けば
実際の歩行時間は8時間もかかっていないだろう。
それが本によればここの距離は43.5kとなっている。時速にすれば5km強! 本当かな?

 そんなわけで宿に早く着きすぎてしまい近所をブラブラしていると、宿の主人が気付いて快く部屋に案内して
くれた。
宿の名前は “星空” とロマンチックな名前だが、建物もロケーションもまるっきりイメージとは違った。
だがご主人が優しく親切で話好きだった。

部屋に上がると 「今日は天気が良いから着ている物を洗濯する」 と言って、私のズボンや白衣を脱がせて
持っていった。乾燥機で乾かすと思っていたら洗濯物を竿に干し始めた。
なにせズボンの予備は薄いショートパンツしかないから心配だ。
 「乾きますかね?」 「大丈夫 今日は天気もいいし時間も早いから夕飯までには乾くよ」 太鼓判を押す。

 干し終わると私の部屋にどっかり座り込んで話を始めた。
大岐浜の事。それにまつわる県知事の話。船員だった頃の話。宗教の話。実はこの宗教の話がが一番面白かった。
主人は以前は天理教等の日本の宗教を次々と信じては改宗していたが、今は 「エホバの証人」 (?)の信者だそうだ。
話は奥さんに 「夕飯の準備だよ」 と言われるまで続いた。

 考えてみると宿の人と話をする機会は余り無い。
今日ま17泊したがじっくり話したのは7日目のあずまの女主人と此処くらいのものだ。
あとは必要最小限度の会話で終わっている。
もっと自分から話しかけなければ、とも思うが中々出来ない。
それも初日の日に見猿、言猿、聞猿を決心したのだから仕方ないか。

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四国遍路15日目

2018-03-27 10:00:00 | 四国遍路
                  菅笠(15日目) (2003/3/27)

 宿(6:20)→宿(13:40)            30.9km

 次の札所は足摺岬の38番金剛福寺。ここ岩本寺と金剛福寺の間は90kmあるが、先日歩いた阿波の薬王寺と室戸の
最御崎寺間は83kmなので、ここが四国霊場の八十八ヶ所の中で札所の間が一番長いようだ。
しかも道は殆どが車道で峠越えのような場所も見当たらない。ただただ歩くだけの “修業道場土佐” の正念場だ。

 天気は晴天が4日も続いていて今日も暑くなりそうだ。ただこの暑さは遍路だけが感じる暑さかもしれない。
何せ町の人の服装はセーターやジャンパーを着て、それでも寒そうにしている人が多い。
私の服装はと言うと半袖下着にブラウス、それに薄い半袖の白衣を着ているだけだが体はポッポと熱い。
更にブラウスは腕まくりをしているので腕は日に焼けてどす黒く汚くなってしまっている。

そんな暑い状態だが頭は案外涼しい。
少しでも風があるとスーと風が抜けて頭が蒸れてこない。原因は菅笠だ。
それは菅笠の笠の部分が直接頭と接触しないため、その間を風邪が抜けていって涼しくなる。
更に庇が長く直射日光を顔から後頭部まで防いでくれる。
雨の日もまた菅笠はすごく快調で手放せない。
先ず傘がいらない。しかも傘を持たないので両手は自由に使える。羽を着ても頭巾は被らなくても雨水は背中に
入ってこない。
そんなこんなで今回初めて菅笠を被ったが、一遍に菅笠ファンになってしまった。

 ただ菅笠にも弱点がある。それは風に弱い事だ。
強風の時やトンネルの中で、車が巻き起こす風に煽われて飛ばされそうになってしまう事もある。
慌てて菅笠を押さえるのだが、何回も繰返すうちに笠と台座の部分がガタガタになり分解してしまいそうになる。

 それを防ぐには三本の紐で次のようにすると良い。
まず台座の側面に紐を結び、その紐を輪になるように少し離れた所に結ぶ。
反対側も同じように輪になるように結んでおく。輪の大きさは輪が耳を囲むくらいにする。
残った紐を輪になった紐に結ぶ。これで一応出来上がり。
あとは菅笠を被ったら、垂れ下がった紐を顎に廻して反対の紐に結ぶ。
言葉で書くと回りくどいが要はヘルメットの顎紐と同じです。

この方法は遍路の本に載っていたので、私も紐を準備していき菅笠を購入した時取り付けた。
ただ紐は顔に接触するので柔らかく幅広のものが良いと思う。

 これで一応台座と頭とは離れなくなったが、更なる弱点は台座と傘の部分にある。
ここは細い針金で縛ってあるが、本数が少ないのか衝撃が強すぎるのか、針金は徐々に外れて無くなってしまう。
ただこの対策は本に載っていなかったので、針金を準備してなかった。仕方なく道々針金を探しては取り付けた。
おかげで菅笠は分解することも無く最後まで爽やかな風を頭に運んでくれた。

今日の歩行距離は31km。昨日より1km少ないだけなのに体が楽に感じる。
朝は30分遅く出たのに宿に着いたのは昨日より1時間30分も前に着いてしまった。
合わせて2時間も少ないことになる。ペットボトルの水も昨日の半分しか飲んでいない。
一体どうした訳だろう? 歩く速度はそんなに違わないと思うのだが?

 本の距離が間違っていて本当は25k位しかないのでは思うくらい快調だった。
おかげで宿には1時40分に着いてしまい、早すぎたので宿の近くで休んでいたらそのまま寝てしまった。
起きたら3時を廻っていたが丁度良い時間だった。

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四国遍路14日目

2018-03-26 10:00:00 | 四国遍路
          
                         37番 岩本寺

                  峠越え(14日目) (2003/3/26)

 宿(5:40)→岩本寺(37)→宿(15:00)(16:50)          32.0km

 足の裏は歩いても痛くはないが貼薬のせいで違和感はある。でも痛くなければもう大丈夫。良かった。

今日は角谷トンネル、焼坂トンネルそして久礼トンネルとトンネルが幾つも続くので、それをを避けて回り道を
するので、朝飯抜きの早朝出発にした。

 最初は角谷の国道のトンネルを避けて旧道を歩く。
旧道は舗装されているが車は殆ど通らずのんびりした道だった。下を見ると急な斜面に枇杷畑が下の国道まで
続いていて、その先には海も見えている。のどかな景色だがその枇杷畑の斜面の急さが尋常ではない。

 私の住む静岡でも山の斜面に蜜柑やお茶を栽培しているが、その傾斜とは比較にならない程の急斜面だ。
しかも段々の巾が狭いので、立って下を見るだけででも怖い。これで枇杷の木に登り実を取るなんて、想像する
だけで身震いが出て後ずさりしてしまう。
こんなに怖く感じるなんて歩き過ぎで自分の感覚がおかしくなっているのかと思ったが、地元の人の話では
 「角谷の人は平気だが、よその人は怖がる」 と言っていた。

 国道に戻り少し歩くと次の焼坂トンネルの迂回路の入口になる。
植林された森の急な山道をフーフー言って登って行くと突然林道に出た。
はっきりしないがそこが峠だったらしく後は緩やかな下り坂になった。
林道には落ち葉が堆積して腐葉土状になったおり、それがクッションの役目を果たしてくれているので
なんとも足当たりがよく気持ちが良い。こんな道ならいくらでも歩けそうに感じる。

途中で地元の狩猟協会の人と一緒になった。
その人は中土佐町の山の中を異常がないか時々見回っているそうだが、一つ気になる話をしてくれた。

 10年程前まではこの峠道は無く、遍路道は国道のトンネルを通るしかなかった。
ある時トンネルを歩いている遍路を車が撥ねてしまう事故が発生した。
事故のあと町では遍路にアンケートを取ると全員が 「トンネルが怖い」 と答えたと言う。
そこで町はトンネルを迂回するこの焼坂峠の遍路道を復元したのだが、いざ復元してみると峠道を歩く遍路が少ない。
大部分の遍路は相変わらず 「怖い!怖い!」 と言いながらもトンネルを通っていると言う。
ウーン遍路として考えねばならない問題だ。

 三つ目の迂回路は 「そえみみず遍路道」 と名の付いた、これも復元された道だ。
入口には記念碑などもあり、そこには毎年草刈もしていると書いてある。感謝!感謝! 

 この道は三つの中で一番長く標高も400mと高い。
疲れている足には登りの大変なのはどこも一緒で、楽なとこは無い。
しかし下りは道の状態でずいぶん違う。舗装の下りは足がガクガクするが、その点ここも焼坂峠と同じで緩やかな
下りなので足への衝撃は少ない。
道のおかげか貼り薬のおかげか分からないが、まめが痛くなくなり違和感も少なくなった。良かった。

 今日の宿は37番岩本寺の宿坊。部屋は新しく広くて気持ちがいい。
私は3時に到着したのですぐ部屋に入れたが、早く着いた人は3時まで入れなかったらしい。
それは当り前で仕方ないと思うがグズグズ言う人もいた(修行が足りないな、と人の事は言える)。
ただ翌朝 「今朝の勤行はお休みです」 と言われたのには驚いた。
勤行って毎日行を勤めるから勤行と思っていたのだが、休むことがあるとは知らなかった。

相部屋の遍路の中に逆打ちをしている70代と思われる人がいた。
4回順打ちをして今回初めての逆打ちだそうだ。話を聞くとそれほど大変では無いと言う。
4回も歩くと道が頭に入っているので分かれ道でも大体見当がつくらしい。
それにしても70過ぎてこの元気には恐れ入った。

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四国遍路13日目

2018-03-25 10:00:00 | 四国遍路
          
                         36番 青龍寺

                  マメが悪化(13日目) (2003/3/25)

 宿(6:40)→青龍寺(36)→宿(15:50)         35.2km

今日は朝から峠越え、標高は190mと高くないが疲れた足には少しの上りでも響いてくる。
今朝は今まで余り痛みは感じていなかったマメが痛くなってきた。
マメが直接靴底に当たらないように足の裏を丸めるようにして歩いていたのだが、山道ではそれも出来ず、
左足が着地するたびに痛くなってくる。
水を抜いたあとの治療はオロナインを塗っているのたが余り効き目は無い。今日は何か薬を買う事にしよう。

 峠を下って出た車道は宇佐大橋の入口だった。
ガイドブックは遍路道は橋の2kmほど手前のスーパーの横に出るとあったので、昼飯はそこで買う予定だったが
当てが外れてしまった。

 宇佐大橋の上を歩いていると、昨日一緒だった男性遍路が空荷で向こうから来る。
アレー? 私は宿の好意で朝飯を早くしてもらい7時前には出てきたのに、彼はもう36番を打ち終えているなんて。
 「早いですね 荷物はどうしたのですか?」 と聞くと
 「車の接待を受けてネ、荷物は橋の袂の食堂に預けてきた」 と軽快そうだ。
車の接待か・・・・・・・・・・・
私はまだその招待を受けてはいないが、仮に受けたとしても断ることに決めている。
しかしいざ誘われたらどうしよう? どう断ればいいのだ。
口下手な私に相手の気分を害さないように断ることが出来るだろうか?

 36番青龍寺の池の畔を歩いていて気がついた。先ほど明徳義塾の看板があったが、確か横綱朝青龍は明徳高校の
出身だ。と言うことは、朝青龍の四股名は、親方の朝潮の朝と青龍寺の青龍で朝青龍と名づけたに違いない。
ウンきっとそうだ。体は疲れているが頭は暇だから色々な事を考える。

 青龍寺を出発する時、ザック、菅笠、金剛杖の指差呼称をする。アレ金剛杖が無い。
そうだ階段の上の大師堂の所だ。
さっき納経所の前にザックと菅笠を置いて、石段の上の大師堂にお参りに行き、そのまま忘れてきてしまった。
アーアまた長い石段を登って取ってこなければ トホホホ・・・
暇な頭は色々考えるけど、どこか抜けている。その抜けた所を補うため指差呼称は中々良い方法だった。
初日に一度忘れただけで今日まで無事来たのだから。

 当初青龍寺からは海を見ながら横波スカイラインを歩く予定をしていた。
だがそこには店屋や食堂は無いらしいので、横波三里の浦の内湾沿いに歩くことにする。

 朝渡った宇佐大橋まで戻り、左に内海を見ながら歩き出す。
出だしは魚釣りを眺めたり余裕もあったのだが、いくら歩いても川か湖のような波の無い海が横から離れない。
日差しも強く体は熱くなり段々イライラしてきた。
腹も空いてきたというのに店も見当たらない。さらに足の裏が痛くて疼いてきた。

 何か一つ悪くなると次から次へ連鎖反応のように悪くなってくる。
こんなに熱いなら雨の日の方がよっぽど歩きやすいなど勝手なことも考える。
ようやくお握りとパンの昼飯にありつくと、とたんに元気になる。
よし!峠でも何でも越えてやる!と。

どうも私は腹が空くとガス欠になった車のように全ての動きが鈍くなってしまうようだ。
腹が空けば歩く速度は当然落ちる。遅くなれば目的地に中々着かない。着かないから疲れる。
疲れるから気分が滅入る。滅入れば体の不具合を探し出して気にする。
もう三段論法のようだ。
 そうならないように食料はなるべく早く調達しているのだが、店が無い事にはどうしようもない。
これからは翌日の道の状態も考え、もっと早め早めと手を打つことにしよう。

 須崎市に入りようやく赤チンを買うことが出来た。
店の人より試供品の貼り薬を何種類かお接待してもらう。有難うございました。

 宿に入り風呂を出たあとマメの手当てをしたが、患部は皮が剥けて赤く爛れている。
これでは痛いわけだ。赤チンを塗り更にガーゼに赤チンを染込ませてある試供品を貼っておいた。
ウン!これで大丈夫。

 今日も昨日に引き続いて35km以上歩いたのだから・・・・・・・・
そんな言い訳を考えてまたビールを頼んでしまった。

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ダイラボウから朝鮮岩(満観峰へ)

2018-03-24 11:53:12 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-3-17(土)
歩行時間:8時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:10時間15分
出発時刻:7時20分     到着時刻:17時35分
歩  数: 35、405歩(推定距離24.43km)    GPS距離km
行程表
 中藁科保育園前BS0:45> 農道終点 0:25> ダイラボウ 0:30> 西又峠 1:00> 野田沢峠 0:45> 谷川峠 0:15>
 ロンショウ 0:30> 鞍部の四辻 0:20> 竹林のピーク 0:20> 宇津ノ谷峠 0:25> 蔦の細道峠 1:05>
 444m峰 0:20> 満観峰 1:00> 朝鮮岩 0:45> 犬居橋 0:10> BS

 
               排煙施設                                宇津ノ山?

 カモシカのくくり縄の場所から2分も歩くと国道1号線の排煙施設に出る。去年暮に用宗駅から赤坂峠を越えるときに
国道150五線の排煙施設に寄ったら施設に近づくと低周波の唸り音が聞こえきた。しかしここの施設ではそんな音を聞いた
事がないが稼働をしているのだろうか? とは言えトンエルの中が煙っていないので動いてはいるのだろう。

  蔦の細道への道は建物の奥を左に曲がるのだが、ここは何時も背の高い雑草に覆われているが今日は除草されていた。
右側にあ階段を登ればアンテナがあり、藪や茶畑の隅を歩いて宇津ノ谷峠上の階段に出る事がでるが、最近は歩いていない。
まして、今カモシカの無残な姿を見たばかりなので、これからもここの藪の中に踏み入る気は起きないだろう。
藪好きのあなた! くくり罠には十分注意してくださいね。 でも注意しきれないかも・・・・・・・・・

  以前宇津ノ谷峠から蔦の細道までは踏み跡が薄い場所もあったが、今は歩く人が増えたのかはっきりしている。
この区間は大変な所も無いので誰でも歩く事ができますが、排煙施設までは農道利用がお勧めです。

 
               蔦の細道峠                              峠から岡部側

  蔦の細道に1時45分着。これで一応今回の目標は達成できた。ここから下れば20分程でバス停に出る事ができる。
サーどうしよう。 ベンチの横に建つ道標が 「満観峰120分」 と誘惑してくる。
今からだと満観峰に3時45分に着くとして、そこからバス停となると石脇登山口が一番近いが、自主運行バスなので本数が少ない。
だがそこから駅まで歩くとなると50分は掛かりそうだ。
さらに満観峰から石脇登山口までの約50分もあり、合わせて100分となって焼津駅到着は5時半ごろになりそうです。
5時半ならまだ明るいので何の支障も無い。ヨシ! 満観峰に行こう。

  
           第1ピーク                  1・2もコル                   第2ピーク  

  満観峰の登山口は幾つかあるが中でも一番きついのは蔦の細道からのコースだと思う。
蔦の細道を出るとすぐ急な上りが第1ピ-クまで続く。ピークからは急な下りが第1と第2の鞍部(コル)まで続く。
コルを過ぎれば、またしても登りだけの坂が第2ピークまで続くが、大変なのはここまでで後は若干楽になる。

    
           2・3のコル                               444m峰(第3P)

  2・3のコルの手前には大きな木が立ち木の根の蔓延る道なのですぐ分かる。
第3ピークへの上りは緩やかにはなるが今度は距離が長く、小さなピークが幾つかありイライラしてくる。

  第3ピークは所謂444m峰で余りピークらしくはないが、ここから鞍掛峠の分岐まで下りになる。

    
              鞍掛峠分岐                                焼津港

  鞍掛峠の分岐に15時20分到着。後10分ほどで満観峰だから想定より早めになっている。ならこのまま進もう。

 
                      満観峰                        フジバカマ栽培中

  満観峰へ13時25分到着。蔦の細道の道標より20分速い到着だ。これなら焼津駅には5時前には着きそうです。
またしてもこれで調子に乘ってしまった。
この調子なら朝鮮岩経由で安倍川駅まで行けるのではないかと・・・・・・
詳しい事は覚えてないが満観峰から朝鮮岩までなら1時間半程度で行けるかな? それに朝鮮岩から民家のある居尻橋までなら
30分もあればいいだろう。
併せて2時間。今出れば5時半には居尻橋まで行けそうだ。それならすぐ出発しないと。

  そうそう満観峰山頂に新し物があったのも紹介しないと。
何かを栽培して虎ロープで仕切ってある所に、サギマダラを呼び込むために好物のフジバカマを栽培していると説明してある。
これは嬉しい試みだ。まだ清々と見た事のないアサギマダラがここを乱舞するなら是非見てみたい。楽しみが増えたな。

四国遍路12日目

2018-03-24 10:00:00 | 四国遍路
          
                         32番 禅師峰寺

                  渡し(12日目) (2003/3/24)

 宿(6:00)→竹林寺(31)→禅師峰寺(32)→雪蹊寺(33)→種間寺(34)→清滝寺(35)→宿(16:50)         37.0km

朝食は8時からと言うので食べずに6時出発。腹は空いていたがフロントにコンビニの場所を確認しての出発だ。
今までは宿で朝食を食べてから出発したので7時過ぎになっていたが、それに比べ今朝は1時間も早い出発になった。
おかげで走っている車は少なくて気持ちがいい。これからはこの手を使おう等考え歩いているうちに町の中に入った。
コンビニはと辺りを見ながら行くが見当たらない。替わりに前方に5・6人のお遍路さんが歩いているのが見えたので
追いついて 「おはようございます。どこかにコンビニありました?」 と聞くが
 「私たちも探しているけど分からない」 と返ってきた。ジャーまだ先かと諦め先を急ぐ。

 次の31番竹林寺は丘の上にあるお札所でなの遍路道も丘に続く細い山道に入って行く。
この先にコンビニはありそうもないので、食料を手に入れる事は出来そうもない。

 山道の脇には白い花を一杯に付けた果樹園が広がっている。何の花なのか?梨も白い花だがどうも違うようだ。
標高が上がると高知の町並みも見えてきた。高知城はと探すが分からない。
今日当たりは高知城の桜が見頃だろうが、この名も知らない白い花も中々のものだ。
と、花に見とれていた分けではないが何か道がおかしい。
辺りに色々な種類の植物が植わり、名札も付いている。更に進むと植物の説明看板もあった。これではまるで植物園だ。

 道は何本にも分かれているし遍路札は見当たらない。
次の札所は丘の頂にあるはずと仕方なく上に行く道を辿る。そして出た所はなんと植物園の出入り口だった。
いつの間にか遍路道を外れ、植物園の中に紛れこんでしまったらしい。
まだ開園前だったので無事外に出ることが出来た。

 竹林寺では僧たちが竹箒で掃除をしている。
綺麗になった石垣の脇には、芽吹いたばかりのもみじが薄赤く色づいていて紅葉のように見える。
竹林寺には途中で追い抜いたはずの遍路さん達がお参りをしていた。やはり道を間違え遠回りをしたのだ。

お遍路さん達は昨夜同じホテルに泊まった人たちだったので、そのまま連立って歩いているとの事。
ご夫婦が一組と一人で来た女性1人と男性2人だった。
群れて歩くのは余り好かない私は当惑したが、ここで 「お先に失礼」 と言って一人先に行く雰囲気でもない。
まあ自然に別れられる所までは一緒に行こうと仲間に加わる。
歩きながら話をすると、ご夫婦は秋田県から来た方で、目標は88番だがともかく行ける所まで行きたい。
男性の一人は2年前通し打ちをして今回は2度目との事。なるべく前回と違う宿に泊まり、朝飯を食べず出て
午前中に距離を稼ぐと言う。もう一人の男性は四万十川までの区切り打ちで続きは来年になると言う。
女性は若しや徳島で接待を受けたとき話に出てきた女性かと思ったが、今回は土佐を歩く所打ちだと言う。
話しながら32番禅師峰寺に向かうのだが、一向にコンビニもスーパーもましてや食堂も出てこない。

 皆お腹が空いてきてホテルへの苦情が色々出たが、最終的に
 「フロントは車道のコンビニを、歩きの遍路道と違う事を知らずに教えてくれた」 となった。
この事をホテルに知らせられれば良いのだが・・・・・・・・
結局食料は32番を打ち、浦戸湾の渡しの手前にあるスーパーでようやく手に入れることが出来ました。

 私は四国では板東駅から板東駅までを人工の乗り物には乗らないと決めてここまで自分の足一本で歩いてきた。
それがここでは船に乗らなければならないとは・・・・・・。
近くに浦戸大橋があるが有料道路で歩行禁止だ。それ以外の道は竹林寺の方に戻り浦戸湾を一周する道はあるが
一日近くかかってしまいそうだ。どうしよう困った! 昔のお遍路さんはどうしたのだろう。

 確か本に四万十川には渡しがあると書いてあったが、ここだってきっと昔は渡しがあってそれに乗ったはずだ。
ならここで渡し舟に乗る事は遍路の邪道ではないと自分を納得させる。
こんな拘りは恥ずかしくて他のお遍路さんには言えなかった。

 渡し船はしっかりとエンジンの船で、船員もマドロス帽を被っている。
船には人だけでなく自転車も乗せることが出来るようだ。
船首に立っていると風が気持ちよく頬に当たる。その風は歩いて火照っている遍路の体には、気持ち良い風だが、
一般のお客さんには冷たく感じるようで、風を避けるようにしている。
自分の足を動かさなくても進んでいく極楽は、ほんの5分程度で終わってしまった。
これで渡し賃は無料とは! 感謝!!

 浦戸湾を渡ると足の速さの違いか出て、ご夫婦と女性のお遍路さんは男性陣と自然と離れしまった。
そのうち男性陣も私だけ違う宿だったので別々になった。

 35番清滝寺は山の中のお寺で、宿に荷物を置いて往復できる。
空荷になった背中は不自然なほど軽く体は自然と前に行くように感じた。
そのせいではないだろうが、また2度も道を間違えてしまった。1度目は広く新しい道に出たのだが
遍路札が見当たらない。仕方なく信号待ちの車の人に聞くと
 「この信号を右に行って、川があったらその川伝いに行けばよい」 と教えてくれた。
その教えの通り川伝いに歩いていた積りだったが、後ろから来た車の人が
 「お遍路さんどこへ行くのかね。清滝さんは谷(や)が違うよ」 と声を掛けてくれた。
 「ほら、あの山の中腹にお寺の屋根が見えるでしょう。あれが清滝さんだからもう一つ向こうの谷を行かなければ」
お寺の方を見ると確かにこの道を進んではお寺と違う方に行ってしまいそうだ。
まだ道ははっきりしないが目標が見えるのでそれを目指して歩き出した。

 宿の夕食時、相客のお遍路さんがビールをうまそうに飲んでいる。
アルコール依存症気味の私が遍路を始めてから今日までズーと我慢してきたのだが・・・・・・ウーン我慢できない
 「すみません。ビール1本お願いします」 13日目の約束違反になった。

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