はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

しばらく休みます。

2014-05-19 09:43:17 | その他
 夫婦揃って古希を迎えた今年は、妻のご機嫌取りを兼ねて遊びに行ってきます。
そしてどうせブログを休むなら、以前から宿題のホームページも前進させようと、続けて休むことにしました。
再開は「海から富士山」に挑戦する時からにしたいと思っています。

satoさんに約束した遠江49薬師の続きは、果たしてどうなるか・・・・・・・・ ご免なさい。





八高山3

2014-05-16 21:59:55 | 低山歩き
 歩行記録      歩行月日2014年5月10日
歩行時間:6時間55分 休憩時間:1時間20分 延時間:8時間15分
出発時間:7時10分   到着時間:15時25分
歩 数: 29、185歩   GPS距離:19.0km
行程表
 福用駅 1:30> 馬王(まおう)平 0:35> 白光神社 0:10> 八高山 0:30> 大垂(おおだる)滝 0:35>
 風倒(カザンタオ)峠 0:45> 天狗の座敷 1:10> 川近(かわちか)神社 0:05> 泉集落 1:35> 丹間バス停

観歩記
 
 昼飯を食べていると小さな標識に気が付いた。「←小天狗の峰・日当山。掛川市泉」ん?これと同じ標識は白光神社の
奥の院でも見ていた。早速デジカメで確認すると、こちらは「五差路・掛川市泉・居尻キャンプ場→」となっていた。
掛川市泉の場所は知らないが居尻キャンプ場は以前歩いた事がある。それなら泉は居尻に行く途中にあるだろう。
そうだ風倒峠にあった案内板に居尻キャンプ場の上の方に神社があってバス停のマークもあった。
それならここ天狗の座敷から小天狗の峰を歩いて行けば居尻に抜けられる。しかもその手前にはバス停もある。
尤も最近の山奥のバスは自主運行バスで、日に数本しか走っていない所もあるが、それでもないよりマシだろう。
そんな迷いが生じた時、もう一つの標識が目に入った。ここから八高山まで5分?か500m?と書いてあったと思う。
それを見てそれならわざわざ八高山まで行く事はない。ここから泉集落を目指して下ってみようと決めた。

      
                天狗の座敷の標識                      白光神社奥の院の標識

 天狗の座敷はその名の通り座敷のある建物があっても不思議でないくらい広々としていて、そこに「炭焼窯の跡」
表示があった。ウン!山の頂上に炭焼き小屋? では炭の材料の生木は下から運ぶのか? そんな馬鹿な。
普通なら炭焼き小屋は雑木林の中腹にあって、重い生木は下に降ろして焼くのだろうに。
イエイエそんなに疑ってばかりではいけない。きっとこの天狗の座敷には雑木が沢山あったのだろう。そうしておこう。

 どうやらこの山域の斜面は傾斜が急な所が多いようだ。だが八高山からの下り坂に比べればまだ楽なもので、
途中の林の道には電光系のジグザクな道もありホッと一息つけた。
 小天狗の峰のピークは少し丸みのある頂で、視界も効かず見る物も無いピークだった。ここで昔は新米の修験者が、
麓の神尾から食料を荷揚げするための修行を積んでいたと思えば・・・・・・別に面白くもないか。

 このルートも文字の表示板は少ないが要所要所の分岐には「さくら咲く学校」と書いてある茶色の標識があった。
目印は30mおき程度にピンクのテープが結ばれていたので、迷う事も悩む事もなかった。
以前このピンクのテープを購入しようとホームセンターに行くと、測量の資材売場にあったが値段か高く、普通の赤い
ビニールテープの何倍かしていた。ケチな私は当然ピンクは諦めて赤にしてしまった。
山ではビニールテープは長くしておいても風には余り揺れないので目立たない。その点ピンクテープは軽いのでヒラヒラ
してよく目立ってくれる。ただ難点は色が抜ける事でピンクが徐々に薄くなり最後は完全に透明のテープになってしまう。
この点が改善され、更に値段が下がると良いのだが。

  
                 小天狗の峰                           標識

 東の方角が開けている場所に出た。方角的に経塚山や神尾山の稜線と思うが分からない。こんな時は地理院の
地図を買ってくればと思うのだが面倒くさくて買った事がない。
北の方にも尖山が見えているが八高山なのか小天狗のピ-クなのか分からない。矢張り地図は必要かな。

         
                 経塚山の稜線?                  八高山か小天狗の峰か

 さっきは電光系の道で歩きやすいと言ったが、そんな道はホンの一時で、直にほぼ直線の急斜面の道になった。
道を覆っているシキミの葉は、脂分を含んだような感じで、普通の広葉樹の葉と違いツルツルして滑りやすい。
お蔭で2度も転ばって手や肘に擦り傷を作ってしまった。
疲れが増した最後の方は座るように片膝を曲げ、もう一方の足は前に伸ばし滑りながら下った。尻セードならぬ
片足セードとでも言うべき恰好だった。
 天狗の座敷から1時間も歩いた前方に、また登りの斜面が見てきた。それでも道はズンズン下る。下ればそれだけ
登らなければならないので、少々嫌気がさして来たとき、太めの山道に合流した。しかもその道は正面の斜面でなく
沢に沿って下りだした。フーどうやら前の山は登らないで済みそうだ。

 道の真中に白いお化けのような物が生えている。ギンリョウソウ(銀竜草)だ。最初見た時は何とも気持ち悪く
感じたが何度も見ているうちに慣れてきて、最近では可愛く感じてきた。名前の銀は白い色からで、竜は頭の部分が
竜に似ているからだろう。写真のギンリョウソウはまだ幼いのか、頭の部分が垂れているが、これが成長してくると
正面を向くようになる。すると釣鐘を横にしたように見えるから不思議だ。
別名を幽霊草とか、茸に見立てて幽霊茸と呼ぶのもうなずける感じがする。

         
                 急な山道                    ギンリョウソウ

 前方に神社が見えてきた。だが道は神社には向かわず下って行く。
若しこの神社が白光神社なら私の妄想的歴史観は間違いだという事になるので是非とも神社には寄りたい。
そこで仕方なく林の中を神社に向かった。
神社の由緒書によると 「川近神社 掛川市黒俣字北澤 祭神譽田別命牛頭天王 文明六年(1851)両神を
奉勧請ス往古ハ川近八幡神社と稱ス」

何だ面白くない、譽田別命(ほんだわけのみこと)が祭神なら八幡神社と同じようなものだ。だが矢張り私の妄想通り
白光神社ではなかったのだ。

 神社の先は舗装された道と合流し泉集落には5分も掛からずに着いた。今の時間は1時45分で広場の前にあった
バス停の時刻表は・・・・1時40分の掛川行があった。ウワー止めてくれよ、5分前に出てしまった。神社に10分も
寄っていなければ間にあったものを。エー次のバスは・・・・・ なんと2時間後の3時30分だった。
山道が神社に通じていなかったのは私をバスに間に合わせる為だったのだ。その神意を無視して道ではない所から
神社に行ったので罰が当ったのか・・・・・・・・・ などとは思わなかったが、こんな所で2時間もいるのは詰まらない。
少しでも先のバス停に行けばバス代が安くて済む。と川沿いの道を居尻キャンプ場に向けて歩き出しました。
 
 泉地区の広場にあった案内板を見ると風倒峠の所に「富士山の眺めがすばらしい」と書いてあった。
シマッタな、あの峠自体からは景色は見えなかったが、もう少し家山の方に行けば富士山が見えたのか。
惜しい事をした。でもそれなら峠にあった立派な案内板にも一言書いてくれればと恨めしく思ってしまった。

          
                川近神社                泉集落にあった案内板
               泉集落の地図
 山間の僻地にしては立派な道たが車は殆ど走っていない。お蔭で日影を求めて右に左にと移動しながら歩けた
ので涼しくてよかったが。
 川沿いにオオカメノキの花が咲いていた。この花は時々見かけるので名前は知っていたが、今回植物辞典を
開いてみるとオオカメノキは別名で、本来はムシカリと言うようだ。名前の由来は葉を虫が好むためで、別名の
オオカメノキは葉が亀の甲羅のようにも見えるためと載っていた。
私の記憶ではオオカメノキに対しカメノキもあったと思って探してみたが見つからない。思い込みが激しいのか、
それとも痴呆が始まったのか、少々心配だ。それにしてもムシカリか。ムスカリと勘違いしそうな名前で覚えられ
そうもない。今までのオオカメノキと覚えておこう。

 今度は赤いウツギ(空木)の花が咲いていた。と、当然のごとく思った。だがこの花も植物辞典には白花の事しか
書いてない。ではこの花はウツギではないのか? 茎の先端を折って見ると白い髄のような物が入っていた。
これは白いウツギもそうだったが、若い木はこの白いものが詰まっていて、太くなると空洞になる。と思っていた。
これも私の思い違いか? どうもよく分からなくなってしまった。

 
                オオカメノキ                       ウツギ?

 泉地区から大尾(おび)山入口がある居尻に50分ほどで着いた。この大尾山にも真言宗の顕光寺があり、古くは
山伏の修験道場だったと伝えられている。ここと八高山とは余り遠くないのできっと修験者の往来があっただろう。
こうして見ると遠州地区には山上に多くの寺院があるが駿河はどうだろう。島田の千葉山位しか思いつかない。
遠州には秋葉さんがあた影響で山伏の修験者が多かったのだろうか。

 
                大尾山入口                        大尾山

 日帰り温泉の「ならここの湯」を過ぎると「さくら咲く学校」の看板があった。山にはこの学校の標識は所々にあったが
何の学校なのだろう。看板には「原泉地域立」と書いてあるが・・・・・・・ 調べた見ると
廃校となった原泉小学校を利用するNPO法人で、目的は地域を見つめ直し、小学校跡地の有効活用を核に、地域の
新たな価値を創造していくことを目的としている。のだそうです。
その一環として山に道標を建ててくれたのだろう。

 原野谷ダムは底に細い流れを見せていた。前回歩いたときも底を見せていたが今日も又空っぽ何故だろう?
調べてみると原野谷ダムは防災ダムで普段は水を貯めておかず、洪水や川の増水に備えているのだそうです。
しかし防災だけでなく灌漑用にも利用するので、春には水をためる事もある。と、あるが・・・・・・マーいいか。
本来ならダムの近くから写真を撮りたかったが、こちらもマーいいか。

 道路標識の所の左側にバス停があり、その道路標識には直進が掛川市街で、右折が森になっている。当然直進だと
思うのだが走ってる車の大部分が右折している。ウーンバスはどちらの道を走るのだ。次のバス停はどっちの道だ。
バスの時間まではまだ20分以上あるが、もし道が違ったら掛川駅まで歩かなければならない。
距離はまだ19kmだがもう大分疲れてしまった。それにここまで歩いたのだからバス代も大分安くなったと思う。
止めよう、ここ丹間が今日の終点だ。と、珍しくバス停がゴールになってしまった。

 掛川駅でバスを降りるとき気になっていた料金を見ると、始発の泉から掛川駅までが300円。そして丹間から
駅までも300円と同じだった。しかし一律300円ではなく近距離は200円だ。それにしても安いので、距離を
調べてみると泉~掛川駅が18.4kmで、泉~丹間7.8kmあった。8km近くも歩いたのに料金が変わらないなんて
嬉しいような詰まらないような変な感じだった。

         
             丹間のお地蔵さん                   丹間のバス停

八高山2

2014-05-15 11:29:49 | 低山歩き
 歩行記録      歩行月日2014年5月10日
歩行時間:6時間55分 休憩時間:1時間20分 延時間:8時間15分
出発時間:7時10分   到着時間:15時25分
歩 数: 29、185歩   GPS距離:19.0km
行程表
 福用駅 1:30> 馬王(まおう)平 0:35> 白光神社 0:10> 八高山 0:30> 大垂(おおだる)滝 0:35>
 風倒(カザンタオ)峠 0:45> 天狗の座敷 1:10> 川近(かわちか)神社 0:05> 泉集落 1:35> 丹間バス停

観歩記
 大札山に登った後、十年以上前に購入して本箱の隅に眠っていた「花に出合う山旅」を取り出し見てみると。
何と!何と!この八高山が載っていた。その表題は「白光神社のシキミ林を歩く」となっている。それによると
「白光神社の奥の院から八高山頂にかけての林は、殆どの樹木がシキミなのだ」と紹介されている。
 奥の院に来るまでの林の中にも「シキミ」(樒)とか「サカキ」(榊)と木の名前を書いた札があったが、どちらも
似たような感じの葉だった。それにここには「ミヤマシキミ」(深山樒)もあるというが区別がつくだろうか。
 シキミは香りが良い事から別名「香花」とも言い、枝を仏壇や墓に供えたりする。また、樹皮や葉は線香の材料
だったと紹介しているHPもあった。
それ程よい香りがするのかと、葉を丸めて鼻に持っていくと、微かに良い香りがする。でも沈丁花や金木犀の
ように自然に香りが漂ってくるわけではなく、同じように葉を丸めると香ってくるハーブには、とても敵わない。
それでもこのシキミを香花と呼んだり線香を作ったというのだから、昔は臭いはあっても香りは少なかったのか。

 サカキの札を付けた木は、高くて葉も取れず見る事も出来なかった。だが低い所にあったシキミと葉が似てるが
蕾がシキミと全然違う木があった。多分これがミヤマシキミなのだろう。
その葉をむしって鼻に近づけると良い香りではないが悪臭でもない、マー普通の葉っぱの匂いがした。
ただ葉の形はシキミは若干丸みを帯びていて、ミヤマシキミとおぼしき葉は細いようだった。
尤もそんな違いを書いた植物図鑑はなかったので、確かではないが・・・・・・・・・

 
             シキミ(大崩山塊撮影)                   ミヤマシキミ?

 林が終わり尾根に出るとすぐ山頂だった。この山頂にある三角点は静岡県内に19点ある一等三角点の一つだという。
この三角点について「花に出合う山歩き」では、こんな風に紹介している。
「一等三角点の標識は花崗岩が多く用いられている。標柱の1辺は18cm、長さ81cm前後、重さは約90kg一般的には
文字を刻んだ面が南側になっている。これは南面には陽光が当たり、苔が付きにくく発見が容易だとだと言われている。
従って標石を見れば東西南北の方位が分かると言うことになる。」

成程と納得したいのだが、「文字が刻まれた面が南側」という説はうなずけない。以前にこの説を聞いてから三角点の
上に方位磁石置いて方角を調べたが、1/4程度は南ではなかった。ましては苔が付かないので見つけやすいと言うのも
眉唾のような気がするが・・・・・・・・・・・

 山頂は尾根が続く南北の景色は見えないが、東西は樹木が伐採されていて景色が見えていた。
アッ!富士山が見える。最近余り富士山を見た事がないが今日は久しぶりの対面だ。エッ見えないって?

       
                               八高山山頂

 ご免なさい。見えると言っても霞んでいるので、肉眼では見えてもカメラではズームにしないと見えなかった。
これでどうでしょうか、薄っすら写ってますよね。
 まだ時間は9時40分でこのまま帰るにしては当然早すぎる。予定ではこのまま尾根を北上して風倒峠に行く
予定だが、山頂にあった「大垂滝・林道」の標識を見ていて気が変わってしまった。
この大垂滝は厳冬期には氷結する滝とネットに出ていたので、今回場所を確認しておこうと思っていた。
だが若し厳冬期に来る気になっても、この長い尾根歩きに不安を感じていた。それが山頂から直接下るコースが
あるなら確認しておいても損ではない。そんな事を考え休んでいて、西の方角の景色を見るのを忘れてしまった。

 
           八高山より富士山                       八高山より南アルプス

 山頂の山名表示から下る笹薮の中の道は急だった。まるで滑り台をイヤ滑り台より急な下りで、笹の軸を掴み
ながら下った。とてもこんな道は登る気にはならない、そんな感じの道だった。
 笹が終わると今度は、左が杉林で右が雑木林の境を下る道になった。雑木はシキミやアセビが多く特にシキミは
いたる所にある。そのシキミの葉が道に落ちていて、まるで滑り台に蝋を塗ったようによく滑る。おかげで真っ直ぐ
立っては歩けないので、膝を少し曲げ中腰になって下るしかなかった。
今日はストックを持ってくるのを忘れていた。最近は使う使わないに関係なく、転ばぬ先の杖として持ってきていた
のに情けない。だいたい杖は突くだけではなく単独行の時には、獣に対しての武器にもなるし、蜘蛛払いにもなる。
以後は忘れないように気をつけよう。

 日の当たった所に赤いドウダンツツジが咲いていた。赤いからサラサドウダン(更紗満天星(灯台))だが山で
赤いドウダンを見るのは初めてだ。家で確認のため調べてみるとサラサドウダンは赤いと言っても、更紗模様
(濃いピンクの縦じまが入る模様)で全体が赤いわけではない。
さらに調べるとベニ(紅)サラサドウダンという種類もあったが、これもサラサドウダンに比べ赤みが強いが
全体が赤いわけではない。
さらに追及していくと、有りました。多分これだろうという花が。名前は「チチブ(秩父)ドウダン
「サラサドウダンの変種で赤花のベニドウダンが中国、四国、九州地方に多いのに対して、やはり同じ赤花の
チチブドウダンは関東地方が中心で、秩父の山地に多いのでチチブの名が付けられまた。」

ここでは一先ずチチブドウダンとしておこう。

 白い釣鐘状のアセビと赤い釣鐘状のチチブドウダンが一杯咲いていれば見事だろうが、残念ながらチチブ
ドウダンの木は3本しか見当たらなかった。

 
           チチブドウダン                          チチブドウダン

 滑り台のような道は何時までも続く。大分嫌になってきたが救いは道がハッキリしている事。踏み跡?イヤ
滑り跡はしっかり付いているし途中の木にはペンキで印も付いている。でも間違う心配はないが登りには使い
たくない道だった。厳冬期にこの道を下る? 嫌だ!嫌だ! これで雪でもあったら最悪だろう。

 25分掛かってようやく林道に到着。その山道入口にあった標識には、八高山まで1時間15分となっていた。
下り25分で登り75分。マーそこまで行かなくても1時間は十分かかりそうな道だった。

         
              目印のある山道                      山道入口

 標識には林道を右に行けば馬王平、左に行けば家山となっている。しかし大樽滝の表示は無い。持参した地理院の
地図には八高山から直接林道に下る道はないが、大垂滝は八高山より大分北(左)の方角にある。ここは左で間違い
なそうだし、家山に抜けるのもいいかもしれない。と言う分けで林道を左に進む事に。

 案ずるより産むが易し、ものの3分ほどで大垂滝に到着。滝は水量が少なくて淋しいが、写真では見えない上の方
にも滝が続いている。冬なら木の葉が落ちて滝の全体が見えるかもしれないな。でも厳冬期にぜひ来てみたいと思う
ほどの物でもない。

 林道といっても舗装がされているわけでもないし、車も全然走っていない。勿論歩いているのも私一人だ。
今日は八高山までの間で4人の単独の人とあったが、これからはどうだろう。多分貸切の山になりそうな気がする。
 林道が白っぽく見えるのはコンクリを細かく砕石した物を敷いてあるからで、その為かどうか雑草が生えていない。
特に道脇などは舗装された林道でも雑草が押し寄せてくるが、ここでは生えていない。何故だろう?
コンクリに雑草を押さえる成分が、いやそんな筈はない、それならコンクリ舗装の道は雑草が生えない事になる。
ウーン不思議だ。

   
            大垂滝             大垂滝               林道
               大垂滝の地図
 林道がチエーンで閉鎖された先が風倒峠だった。峠には「掛川のやまっぷ 林道原の平周辺」と書いてある。
中々立派な案内板で、どうやら林道を管理している元の営林署が建てたようだ。それによると今歩いて来た林道は
「原の平林道」で、この峠を右に行けば川根町で、左に下れば掛川の居尻キャンプ場に続いている。その途中には
神社があって、よく見ればバス停のようなマークもある。
峠からは南北にハイキングコースも延びていて、南が八高山、きたが?川根となっている。そして実施の山道はと
確認すると、南北の山道の入口はすぐ分かったが、どちらも標識は無かった。

 さてここから先はどうしよう。「花に出合う山歩き」では八高山からここまで尾根を縦走してきて、ここからは川根
家山を案内している。その道でも良いが残りが全て林道歩きというのも面白くない。それは掛川に下る道も同じだ。
かと言って今から更に北に向かうのは恐ろしい。なら尾根を歩いて八高山に戻るしかないな。
全く馬鹿なコースを歩いたものだ。これなら予定通り風倒峠まで尾根を縦走して、大垂滝を見ながら馬王峠まで
戻れば良かった。だが後悔先に立たずでどうしょうもない。マーチチブドウダンを見た事で良しとしよう。

 
             風倒峠                           山道入口
               風倒峠の地図
 峠から山道の取っ付きは急だったが林の中に入っても中々急な道が続いた。山道には文字の標識は無いが
目印のテープが時々あり、それにもまして白い棒の先に赤い鉄板の付いた「境界見出票」が先々にあったので
不安なく歩けた。
地理院の地図では4個目のピークが八高山になっていて、まず最初のピークに来たが表示は何もない。
ただ境界見出票がポツンと建っているだけだった。
 ピークから5分も下った所で左からの道が接近してきた。その道の方がしっかりした感じの道だ。そういえば
風倒峠の手前に八高山への標識があったが、峠に行ってみたかったのでそのまま通り過ぎてきた。きっとその
道と合流するのだろと思ったが、道は合流せず別々に続いていた。
しばし考えて峠からの道は尾根の完全縦走で、もう1本の道はピークを避けた巻道なのだろうと考えた。
ならもうピークには用はないと、楽な巻道を歩く事にした。
巻道は少しガレていたり倒木もあったが傾斜が緩く楽に歩く事が出来た。

        
                  ガレ状の巻道                       倒木があった巻道

 次のピークを巻いた先で縦走路と合流し、その場所にあった標識には、今歩いて来た道を差して「家山」とあり
尾根の道の先は「女小天狗の峰」を越して林道となっていた。
何故女小天狗の峰なのだろう? ただ小天狗ならともかく女小天狗とは・・・・・・・
 合流してからの上りの急な事、急な事、10歩歩いては立止り、また10歩歩いては立止りの連続だった。
この辺りもシキミとアセビの木が多い。そうかアセビは馬酔木と書いて動物がアセビの葉を食べると酔ったように
フラフラする事から名前が付いたと言う。そのため鹿の多い奈良公園では、鹿がアセビを食べないので公園には
アセビだけが残っているという。
ならこの山にアセビが多いのも同じ理由だろう。それに更に毒性の強いシキミは残って当然だ。となるとこの山は
毒気が充満している事になる。その為に発光現象が起り白光と・・・・・・・・・・。またいい加減な事を。

 三つ目のピークに12時丁度に着いた。標識にはこの場所を「天狗の座敷」と書いてある。さっきは女小天狗の峰で
今度は天狗の座敷。標識にはここから西にある峰を「小天狗の峰」と書いてあり、やけに天狗が多い。
この辺りで天狗と云えば秋葉山の三尺坊だが、マテヨ!天狗を修験者の事とするなら、この少し平らな天狗の座敷に
修行所(寺院)があり、小天狗の峰は新参の修験者の訓練場所。では女小天狗の峰は・・・・・・ウーン!分からない。
その当時の山岳寺院に女性の修験者がいたとは思えないし、ウーン仕方ない、では女と付くのだから優しいと場所
として、女小天狗の峰は本当の新米修験者の修行場所だ。そして小天狗の峰は女小天狗の峰を卒業したが、まだ
一人前ではない修験者の修行場だ。としておこう。

 妄想的歴史観は次から次へと湧いてくる。ここ八高山の尾根を北上して行くと大日山金剛院に続いている。更に
北上すると春埜山大光寺がある。これらの寺院は火伏で名高い秋葉山秋葉寺の修験者が修行で回った道でもある。
当時人里離れた山岳寺院でも味噌醤油米などは麓から仕入れるしかなかったろう。その仕入先は秋葉山は塩の道や
天竜川がある。だが秋葉山と離れている春埜山と大日山は、天竜川より大井川の方が近いので、大井川で荷揚げ
された物資を調達したと考えられる。そのルートが春埜山、大日山、八高山、経塚山、神尾山、地蔵峠ではないか。
そして地蔵峠がある集落は大井川に面した神尾集落です。勿論神尾とは神の最終で、所謂神の道の終点と考えれば
ドンピシャ収まりますよね。
ただこうなると八高山の名前が気になる。何しろ春埜山は883m、大日山は881m、そして八高山は813m。
これでは辺りで一番高い山と名乗るわけにはいかないだろう。だから当時は八高山ではなく白光山と呼んでいた
のではないかな。

 馬王平で修験者が麓の用事の帰りにウトウトした話は、食料を仕入れて神尾から帰る途中の修行者が、疲れから
眠ってしまったのでしょう。そして馬に乗って探しに来た先輩修行僧に注意された話が変化したのです。
エッ!注意したのが先輩ではなく王様だった? それは相撲界でも言いますよね「一枚違えば天と地の違い」とか
「虫けら同前」と。当時の修行僧も先輩後輩の違いは「王と奴隷の違い」があったのでしょう。

と、マーそんな妄想をしながら天狗の座敷で昼飯を食べました。

 
              分岐の標識                         天狗の座敷
               天狗の座敷の地図

八高山

2014-05-12 18:08:14 | 低山歩き
 歩行記録      歩行月日2014年5月10日
歩行時間:6時間55分 休憩時間:1時間20分 延時間:8時間15分
出発時間:7時10分   到着時間:15時25分
歩 数: 29、185歩   GPS距離:19.0km
行程表
 福用駅 1:30> 馬王(まおう)平 0:35> 白光神社 0:10> 八高山 0:30> 大垂(おおだる)滝 0:35>
 風倒(カザンタオ)峠 0:45> 天狗の座敷 1:10> 川近(かわちか)神社 0:05> 泉集落 1:35> 丹間バス停

観歩記
 大井川鉄道の新金谷駅に6時30分に到着。駅の入口は開いていたが切符の販売機も停止していて駅員もいない。
ほどなく駅員がきて開業の準備を始めたが、一向に切符の自動販売機を動かさない。余り急かせてもと思い黙って
いたが、電車の発車時間が迫ってきたので 「切符はどこで買うのですか?」 と聞くと 「こちらでどうぞ。お客さんは
6時39分の家山行に乗るのでした急いでください。すぐ出発しますよ。」 
だって。
自分が後から来て、客が待合室にいるのに挨拶もせずいて、何が急いでくださいだ。腹が立ってきた。
出発のアナウンスも合図も無く、電車は私が乗ったと同時にドアが閉まり動き出した。

 何となくスイスを感じさせるような福用駅の建物は、大井川鉄道がスイスの「ブリェンッ・ロートホルン鉄道」
姉妹鉄道だからのようだ。ブリェンッ・ロートホルン鉄道とは、小さな機関車が前のめりの格好で急峻な草原を
登っている事で有名ですよね。
そこで思い出した、ヨーロッパの鉄道は発車のアナウンスやベルもなく、突然静かに動き出すとか。大鉄もそれを
採用しているのかしら。客の自主性を尊重して・・・・

 
               大井川鉄道                           福用駅

 駅の掲示物の中に「福用」の謂れが書いてあった。
「福用とは榛原郡誌によれば、初倉を拓いた帰化人「秦氏」ゆかりの「福与氏」がこの地に移住し、川を納め、
集落を形成したと伝えられている。」
 成程福与が福用に変化したのか。
そういえば焼津近辺には福与姓が多いが、これも秦氏のゆかりの名字なのだろうか。
福の字を服に置き換えれば「服与・服用」になる。こうなると何となく織物関係の渡来人のイメージが湧いてくる。

 駅前を右に曲がりの県道を北に向かうと直に八高山の案内があった。この調子で案内が続けば、今日は道で
悩むことは無いだろう。
茶の新芽の緑、山の椎の木の緑、常緑樹の緑と、この時季の緑は変幻自在に何種類もの緑を見せてくれる。
今日もその緑の中を白光神社を目指して歩く。

 白光神社で写真を写していると何となく違和感を感じた。何だろう?
そうかこ白光神社は神社なのに鐘突堂があるんだ。寺に鳥居があるのは良く見かけるが、神社に鐘突堂は初め
てのような気がする。この風景も明治の廃仏毀釈の前の、神仏混淆時代には当り前の風景だったのだろう。
ところでこの神社の「白光」と山の「八高」の違いがあったので、気になって調べて見たが分からなかった。
同じような感じで「二荒」「日光」もあるが、これは弘法大師が「二荒」に「日光」の文字を当て地名にしたとか。

 では何故 「はっこう」に2種類の漢字が付けられたかと言うと・・・・・・久し振りの妄想的歴史観が湧いてきた。
まず「八」とう字を考えてみると、四方八方や八里四方、八百八町、八方塞りなど「八」は辺り一面とか多い事を
意味する言葉です。すなわち「八高」とは、この辺りで一番高い山と解釈できます。それが証拠には八高山のある
掛川市や旧金谷町では一番標高の高い山だし、更にここから海までの中でも一番高い山だ。
 では「白光」はというと。白光神社には水分神(みくまりのかみ)が祭神として祀られています。この神は読んで
字の如しで、水の分配を司る神で水源地や水路の分水点などに祀られています。(大崩山塊の日本坂峠と満観峰の
間の頂にも祀られている) また水に関わる神ということで祈雨(雨乞い)の神でもありました。
ある時、八高山で福用の住民が雨乞いの儀式をしていると、空は晴れているのに白い稲妻が走り、雷が鳴り
響き福用のだけに雨が振りました。これを感謝して福用の村人は白光神社に水分神を祀り、神社の名前を白い
稲妻から白光神社としました。だが雨の降らなかった他のは白光神社を祀りませんでした。
そのため白光神社があるのは、ここ福用だけなのです。
どうですか今回の妄想的歴史観は、誰です嘘八百だと言っているのは。

 
               茶畑の緑と山の緑                        白光神社

 登山道の取っ付きは急斜面で驚いたが、少し登ると遍路道でよく見かける切通しとも沢ともいえるような道になった。
その道には赤い目印の杭が数m置き位に差さっている。場所によっては道の両側に差さっていて、目印にしては
多すぎる気がしたので、近寄って見てみると杭には「地籍調査」と刻印されていた。
地籍調査はわが家も去年行ったが、その刻印は隣家の境に取り付けられた。要は境界を表示する物だから、こんなに
頻繁にあるのはおかしい。きっとこれは余った地籍調査杭を、登山道の目印に流用したのだろう。これはこれで良いが
もう少し間隔を開けて差していかないと最後までもつか心配な感じもした。

 
               朱い目印のある登山道                     地籍調査となっている

 神社から40分ほど歩くと南の方角が開けていて近くに経塚山が見えた。その場所から少し行くと道は平坦な杉林に
入り分岐点があった。案内板には今来た道は「急斜面コース福用駅1.5m」とあり、もう一方には「なだらかコース
福用駅2.2km」
とあった。どうりで傾斜が急なはずだ。帰りはこのなだらかコースを歩くのも良さそうだ。
 今日のコースの予定は福用駅から馬王平経由で八高山へ登り、そのまま尾根を風倒峠まで縦走する。
そこで一転して尾根の中腹にある林道を引返して、途中にある大垂滝を見て馬王平に戻る予定だ。
そこから先はその時の雰囲気で決める積りだったので丁度よかった。
 
 杉林の中には時折モミの大木がある。モミの木と云えばクリスマスツリーを思い浮かべるが、ここのあるモミの木は
下枝が無く上の方に枝があるだけなのでクリスマスツリーには使えそうもない。気になり調べてみると
「樹幹は通直で、太い枝が下部では水平に近く張り出し、梢に近い枝はやや斜め上向きに立つ。若い時の樹冠は
整った美しい形の円錐形で、老木になると、やや拡がった広卵状円錐形となる。」
とネット木の図鑑にあった。
では、ここの樅の木は周りの杉の木と同じように下枝刈をしているのだろうか。

 林道に合流する所に案内板があった。だがこの案内板は福用駅に行く案内で八高山の案内にはならなかった。
その林道を10mも行った左側に目印のテープが2本付いていて、いかにもここが山道の入口だと誘っている。
確認のため中に入ると薄い踏み跡はあるが、明らかに今まで歩いて来たハイキングコースとは違いすぎる。それに
さっきまで多すぎるくらいあった赤い杭の目印も無かった。多分この踏み跡は林道が出来るまでの山道で、林道が
出来てからは利用されていないのだろうと判断した。
その林道を5分も行った左側に「経塚山へ」の標識が出てきた。これを見てさっきの踏み跡はこの道に通じていたの
だと一人納得した。

         
                  経塚山                         林の中の登山道

 林道が広々とした所に出た。そこが馬王平だった。馬王平とは案内板によると、
「修験者が里からの帰り道に、ここでウトウト眠ってしまった。すると夢枕に白馬に跨がった王様が現れ修験者に
「お前は何の為に修行をしているのだ。怠らず精進せよ」と言った。我に返った修験者は、聖なる山を仰ぐこの
場所を「馬王平」と名付けました。」

確かに馬が走ってもおかしくない広い場所だが聖なる山の八高山は見えなかった。

馬王平は林道が交差していて、真っ直ぐ行く林道は大垂滝を通り風倒峠に通じていて帰りに歩く予定でいる。
左に行く林道は掛川の「ならここの湯」を通り天浜線の原田駅に行く道だ。
この道も歩いてみたい気もしているが、すべてその時の雰囲気にしよう。

 馬王平は東側が開けていて富士山も見えるらしい。だが今日も空は霞んでいて富士山は見えなかった。
景色はこの馬王平より急な斜面の登山道を登ってからの方が良かった。そこからは南東の方向には海も見え
高草山らしい山頂に鉄塔のある山も見えていたが、その右にある筈の花沢山や虚空蔵山が見えていない。
では高草山では無いのか?次回は双眼鏡を持ってこよう。
この馬王平の斜面にはタラの木が沢山ある。もう一ヶ月も前だったら土産ができただろう。

 
              馬王平                            馬王平の眺め

 馬王平の急斜面を登りきり、林の中の道になると2基の反射板があった。案内板には「昭和37年静岡放送が
日本平から浜松の電波の中継基地として取付けた。」
とある。
反射板は花沢山と同じような作りだが、こちらは反射板の周りは金網を張り巡らせていて中々厳重だ。しかも
案内板まであるのだから気配りもある。JRさんんも花沢山に案内板でも建ててくれないかしら。尤もここの
案内板はSBSが立てたのではなく、金谷町観光協会が立ててくれた物だが。

 白光神社奥の院に9時20分に到着。麓の神社から2時間5分掛かった。
戦時中には、武運長久を祈る人々の信仰を集め、白光神社の奥の院に祈願登山する人も多かったと云われる。
先月登った竜爪山の穂積神社も、戦時中は弾除けとか徴兵逃れの祈願登山が多かったとあったが、山頂に
寺ではなく神社があると、このようは祈願登山が盛んに行われたのだろうか?
マテヨここで閃いた。白光、八高と並んで八紘もはっこうだ。だとすれば戦争中は「八紘神社・八紘山」としても
信仰を集めたに違いない。
その割に奥の院は粗末な建物だったが、太い杉の社叢は当時の隆盛を示しているように見えた。

 
              SBSの反射板                        白光神社奥の院

清水山から蓮華寺池

2014-05-05 12:02:05 | 低山歩き
 歩行記録      歩行月日2014年5月4日(日)
歩行時間:3時間40分 休憩時間:0時間50分 延時間:4時間30分
出発時間:8時45分   到着時間:13時30分
歩 数: 21、652歩   GPS距離:15.0km
行程表
 藤枝駅 1:20> 清水山 0:20> タンク場 0:40> 古墳広場 0:55> 田中城下屋敷 0:25> 西焼津駅
観歩記
 風薫る5月の知人ウォークは手近な清水山へ。
このコース最近TVで紹介されたようで、折からの連休で混雑を心配しながらの出発だった。
風がソヨとも吹かない街中で、早速ジンワリ汗が出始めたものの、瀬戸川の桜トンネルでは爽やかな風が吹き出した。

 今日の目的の一つは蓮華寺池の藤を見る事だったが、どうやら盛りはとうに過ぎて既に散り終わっているようだ。
ところが日頃の行いのせいか清水寺の藤棚には、若干の香りを漂わせながら藤の穂が垂れ下がっていた。
フー良かった。今日の案内に「藤の花を見る」と書いたので、これで面子を保つことができた。

  
      ヒッソリとしている藤枝総合運動場                       清水寺

 清水寺から清水山・蓮華寺池ハイキングコースは何度か歩いているが、実は清水山が何処にあるのか知らない。
麓の瀬戸川から稜線を見ると、一番高い瘤のようなピークを下がった平な所にタンク場が見えていて、農道は
そのピークには登らずに、頂にある茶畑の下を巻くようにタンク場に向かっている。
地理院の地図では最高点を農道が通っているようになっているが、これは実態に合っていない。
でもそんな事は大した事ではない。道の最高点から下ったタンク場が一番眺めが良いので、ここで休憩になる。
生憎今日は霞んでいて眺めは良くないが、タンク場からの眺めは雄大で360度の展望があると言いたいところだが、
ピークのある西の方向が隠れていて見えない。それでもここが藤枝市の眺めの一番良い所ではないかと思っている。

 
              タンク場から南方面                     タンク場から東方面

 タンク場から農道を少し下がった所で農道と別れ山道になる。最初は急な下りだがそこを過ぎると起伏の少ない
山道になりのんびり歩く事が出来る。
「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか  あかねだすきに菅の笠」
今日は5月2日の八十八夜。茶摘歌ではないが、あちこちで茶刈が行われている。だが今では歌の後半は 
「あれに見えるは茶刈ぢやないか  機械操作の夫婦連れ」になっている。さらに大規模な茶園では
「運転席の 一人旅」になってしまっている。
集団作業が二人になり、更に一人でも可能になってしまった。

 眼下に蓮華寺池が見えてくればハイキングコースも終了で、見頃の終えた石楠花林の所で公園の遊歩道に合流。
TYで紹介されたばかりで混雑を心配をしたハイキングコースだが、会ったのは5組程度と少なかった。
中高年の山歩きは増えても、若年層は疲れる事には興味を示さず「笛吹けど踊らず」か。

 
           茶畑の横のハイキングコース                    蓮華寺池

 ハイキングコースの人では思ったより少なかったが、蓮華寺池公園は混雑していた。藤の花は終わりツツジも
それほど咲いていなかったが、中々どうして池の周りの散策路は早足では歩けず、池のボート乗り場は順番待の
人で溢れていた。

 蓮華寺池公園から田中城跡までは太い車道を歩かなければならない。ならここからバスで藤枝駅に戻れば
歳より仲間は疲れないで済むのだが・・・・ 私が計画すると、それでは終わらない。(若しかすると同行者は恨んでいるかな)
さらに足を延ばして田中城址に寄ってから西焼津駅ゴールとしてある。

 田中城といっても今は案内の杭が所々にあるだけで、城址に興味の無い人には詰まらないようだ。
誰も杭の案内に興味を示していないので、仕方ない一部建物が再現されている下屋敷に行こう。
屋敷に中にはアヤメや芍薬、蓮などが咲いて、丁度良い時季だが見学者は誰も居なかった。
徳川家康が鯛のテンプラで食中毒になり死んだとされている城だが、余り人気は無いようだ。
通りの途中の小学校にあった田中城の再現模型等を置けば、もう少し見学者は増えるのではないだろうか。

 1時30分余裕を残して西焼津駅に到着。一人ではないので乾杯は出来なかった。
 
         
                 小学校にあった田中城                  田中城下屋敷

大札山のアカヤシオ

2014-05-02 17:27:12 | 低山歩き
 歩行記録      歩行月日2014年5月2日(金)

歩 数: 6、144歩   GPS距離:3.0km
行程表 (案内板にあった時間です)
 肩登山口 0:25> 肩コース分岐 0:10> 大札山 0:05>
 北尾根コース分岐
 0:45> 北尾根登山口 0:20> 肩登山口

 アカヤシオで有名な大札山だが、そこに行く林道のガタガタ道が億劫で最近トントご無沙汰だった。
その林道が舗装されていると聞いて、久し振りに行く気になり、4月に予定したが、結局天気やなにやかやで
今日(2日)になってしまった。すでに5月に入ってしまい、アカヤシオの時季は過ぎたかもしれないがともかく
行ってみる事にした。

国道1号線バイパス向谷ICから大井川左岸を遡行して川根本町の田野口のガソリンスタンドから林道に入る。
林道入り口・川根本町田野口の地図
以前も天文台などがある「ウッドハウスおろくぼ」までは舗装されていたが、今はその先も舗装されていた。
所々に落石はある物の支障なく走れる。イヤ尾呂久保までの道より太く、見通しも良いので快調だった。

     
                   大札山のハイキングコース案内

 大札山肩登山口に7時20分に到着。すでに車は5台以上停まっていた。
登山口の案内板でコースを確認して、連れにのんびりコースか手軽コースか確認すると手軽コースで良いと言う。
実は連れとは妻の事で、今日は何年ぶりかの夫婦登山としゃれ込んだが、こうなれば主導権は全て妻になる。
これも今年は花沢山で二輪草を何度も見たご利益なのだと諦めるしかなかった。
本来なら今日は尾呂久保の先の南尾根登山口から大札山を目指す予定だったが、たまたま昨夜「明日大札山へ
アカヤシオを見に行くけど行く?」
と声を掛けた。当然断られと思ったら「あの山は楽だし、トイレもあるので行って
みる。」
とのたまった。こうなっては連れて行かない訳にはいかない。余り張りきられてお花見弁当を作られても困る
ので 「昼前には川根に戻れるので弁当はいらない」(昼飯をおもらしちゃおう)と断った。

そんな訳で今日の行程表は、余りに遅すぎて参考にもならないので記載するのは止めました。
何か聞き慣れない鳥の鳴き声を聞きながら、肩のコース分岐に着くと、左側にピンクの花がついた木が見えた。
道標の横には「アカヤシオ群生地」の標識がそちらをさしている。慌てて行きたくなるが、ここはぐっと我慢をして
花とは反対側の山頂方向に向かいましょう。ノンビリコースならまだこれ以上の花を見る事が出来るし、手軽コース
なら帰りにあの道は通るのだから。ここは一先ずアカヤシオは見れないが山頂に向かう事をお進めします。

 
           大札山肩登山口駐車場とトイレ                  肩コース分岐道標

 ここの登山道は木の幹に表示板が付いているので名前を知る事が出来る。中でも目に付くのは木肌が赤褐色で
ツルツルしたヒメシャラ(姫沙羅)の木で、姫とあるのから細い木をイメージするが、中々どうして直計30cmはある
立派な木だ。
で、何故姫なのか調べてみると「ツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。ナツツバキに似るが花も葉も小ぶり」とあり、
多分幹が姫ではなく、花や葉が姫(小さい)なので名付いたのだろう。
それとシャラ(沙羅)とはナツツバキの別名がシャラノキ(娑羅樹)で、それを引きついているようだ。
何とも自主性の無い名前かと思うが、木肌からサルスベリと呼びたいが、それは百日紅の事だし・・・・・
 高度が上るとアセビが増えてきた。まだ花を一杯つけているが、白いので目だたないのが可哀そうだ。
途中から出始めたアルミの登山道が終わると、視界が開け小さな社の前に南尾根が見えている。
チラホラピンクも見えるのでアカヤシオも咲いているのだろう。
さらに右手には大井川の流れも見える。だが今日も遠くはぼやけていてハッキリ見えない。

 
           アセビ                             南尾根

海抜1373.6mの大札山山頂。景色は南側より北の方角の方がハッキリ見えていて、扇形の見やすい山名表示で
南アルプスの聖岳と上河内岳が判別できる。その左方向には三角形の黒法師岳がやけに近くに見えていた。
だが、残念な事に富士山の方向は霞んでいて近くの山も余り見えなかった。

 
            大札山山頂                          聖岳と上河内岳

 山頂辺りからアカヤシオはチラホラ出始めて、北尾根コース分岐の道標を過ぎると登山道脇にはあちこちに
咲いていた。時季は今が丁度良いがこれが目一杯で、これからは花が傷つき散るばかりだろう。それでもこの
連休までは何とか持ちそうなので、アカヤシオを気にしている人は少しでも早く出かけて下さい。

 
              アカヤシオ                      アカヤシオ三姉妹

         

 

とそんなわけで今回はアカヤシオを堪能できました。これも妻のお蔭か私の心掛けか良い所為か・・・・・
途中で会った毎年来ているという人が言うには「今年のアカヤシオは、いつもの年より多い」との事でした。

 
              アカヤシオとミヤマツツジ                 ヒメシャラ

肩登山道からでは短すぎてわざわざ行く甲斐が無いと思っている人は、南尾根登山口からがお進めです。
私はまだ歩いた事はないが次回は歩こうと思っています。登山口で写真を写していた時、下山してきた人がいた
ので話を聞くと 「登山道はハッキリしていて迷う所は無い。」そうです。
因みに案内板等による行程は
 南尾根登山口 1:40> 大札山 0:50> 北尾根登山口 0:20> 肩登山口 1:10> 南尾根登山口 です。
北尾根登山口からは林道歩きです。