はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国19番光照院

2015-10-05 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                         H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時20分
歩  数: 33、879歩(推定距離25.4km)    GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
 
0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅

                                  19番光照院(抱き大師)

 
                  光照院山門                               光照院本堂

 18番から県道261号に戻り後を振り返ると直線の道路が続いていた。この辺りが次郎長が久六を討った 「乙川畷」 かもしれない。
この “畷(なわて)” とは、東海道を歩くと時々見かける地名だが、辞書には 「1・田の中の細道。あぜ道。なわてじ。なわて道。
2・まっすぐな長い道。」
と書いてあるのが多い。
字面からいくと1の田圃の細道が合っているように思えるが、地名になった畷は2の真っすぐな長い道、が多いようだ。
東海道浜松にある 「八丁畷」 は、直線道路が八丁(約800m)も続いている事から地名になったという。
19番光照院(こうしょういん)は、その県道261号から262号になった先の県道沿いにあった。

 山門を潜り本堂を眺めると建物の左右につっかい棒がしてあるのが見えた。地震対策の倒壊防止用だろうが、大きな本堂に対して
つっかい棒は細くチャチに見え、その効果のほどは知れていそうだ。

 
                  弘法堂                                  抱き大師

 どこかで見たと云うより、さっき18番で見た観音堂と同じ二層宝形のお堂だった。マテヨ18番の寺号は光照寺で、ここは光照院、
どちらも似たような名前だが関係があるのかな、早速手持ち資料で宗派を確認すると、光照寺は時宗で、光照院は浄土宗だった。
だが時宗だって昔は浄土宗の一派だったのだ。それなら光照院は浄土宗から時宗に改宗した可能性はある。
久し振りに閃いた妄想的歴史観は、「かって光照寺の住職が隠居して光照院を興したが、一遍上人の踊念仏に魅了され時宗に
改宗した。」
とはなりませんかね。聞いてみたいが聞きずらいな。

 弘法堂に抱き地蔵ならぬ 「抱き大師」が安置されていた。内容は抱き地蔵と同じなのだろうが、ここの抱き大師にはこんな事が
書いてあった。 「抱き大師様は、抱き上げられるかどうかで願いの成就をねがい うらなうお大師さまです。『抱き大師さまの結縁
申込用紙』にてお志し(百円位)を添えてお申し込みください」
とある。
これでは抱き上げれば願いが叶うのか、叶わないのか分からない。それななら抱き地蔵のように、抱き上げて軽く感じたら願いが
叶い、重く感じたら叶わない方のが明確で良い。
若しかして心願成就の結果は寺で判断してくれるのだろうか。それで志納金がいるのかな。

 
                 地蔵堂                                  千体地蔵

 地蔵堂には小さな焼物に彩色した地蔵が千体、いや五百体ほど並べられていた。この千体地蔵も今日の朝1番に寄った福住寺
にもあったが知多半島には焼物の本場常滑がある。その影響でこのような仏像を並べやすいのだろうか。
まだ2回しか歩いていないが、知多四国霊場には似た物を安置して札所が多いと感じた。
先ずはおびんずる様、次いで抱き地蔵や千体地蔵。水屋の手水鉢の横に石仏を安置してある所も多かった。
そう云えば五鈷杵も一ヶ所ではなかったような気がする。これは大師信仰の影響なのか、それとも地域的特色なのか。
イヤイヤただ単なる真似なのかもしれないな。

              
                                              境内の石仏

 いろいろケチを付けてしまったが光照院は木陰も多く、境内に置かれた石仏も風情があって良い雰囲気だった。
木陰のベンチで少し休ませてもらおう。

                              18番から19番光照院への道