はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

我家の太陽光発電

2016-08-28 11:40:12 | その他
                          我家の太陽光パネル

                     東の方向には大崩山塊の北のピ-クや高草山、花沢山が見え、その後ろには富士山も顔を出している

 「10年で元が取れる」 と業者の誘いに言葉に乗せられて、我家の屋根に太陽光をパネルを設置してから4年経ちました。
今回は畑違いの話題ですが、太陽光発電に興味を抱いている方の参考になればと紹介します。

 面倒くさい事には手を出さない私ですが、
◯1・屋根が陸屋根である。
◯2・日照時間が長い。
◯3・太陽光を遮る物が無い。
の設備上の条件が揃っている上、
◯4・市から補助金が出る。
◯5・発電電力の販売単価が高い。
などもあったことから、2012年8月に設置に踏み切りました。

◯1・屋根が陸屋根である。
 我家のある焼津市(旧大井川地区)は、マグニチュード8クラスの巨大地震が発生する東海地震の震源域にあり、
20年前に家を新築するときは、耐震を主体とした陸屋根で箱型の家を建ててしまった。
当初平らな屋根の上にはバーベキュー場や物干し場にする予定だったが、階段や手摺などを設置するの多額の金が掛かる
事が分かり、結局手付けずになっている。

◯2・日照時間が長い。
 太陽光発電を設置するにしても日照時間が短ければ発電量は少なくなってしまう。そこで全国の日照時間を調べてみると、
静岡県は7位で、年間日照時間は2215時間と中々の物だった。
更に焼津市を調べてみると全国の自治体の中の53位で日照時間は2094時間となっていた。
これは焼津市の平均値なのか、それともどこか基準点の値か分からないが、私の住む旧大井川地区には山も岡も無く、当時
町内で一番標高の高い場所が、平地に埋土した東名高速道路だった位なので、我家でもこの数値を下回る事はなさそうだ。

◯3・太陽光を遮る物が無い。
 いくら日照時間が長くても、近くに高い建物や建造物、それに森や林で太陽光を遮る場所では発電量は少なくなってしまう。
幸いな事に我家の周りに太陽光を遮る物と言ったら、天空に浮かぶ雲くらいの物で、太陽さえ出ていれば発電は可能だ。
しかし日照時間は長いと言っても太陽が顔を出していなければ発電量は下がってしまう。そこで年間好天日数を調べてみると
静岡県は案外低く全国で33位だった。これには少々ガッカリだが、同じ統計資料の中の “年間快晴日数” は全国3位と
奮闘している。一見矛盾しているようにも感じるが都合の良い事は信じておこう。

◯4・市から補助金が出る。
 平成24年では焼津市から補助金が40万円弱交付されていたが現在は無いようだ。ただこれは自治体によって違いがあり
多くの自治体は今も補助金を出しているので調べる必要がある。

◯5・発電電力の販売単価が高い。
 平成24年の中電の電力買い取り価格は10年固定で1KWH42円だったが、今は31円と12円も下がっている。
パネル設置を健闘している時、この販売価格と補助金が減額になる情報があったので、設置を決断する後押しとなった。


 次に投資資金だが、これは設置する人の方針でそれぞれ違ってくる。そこで今回は太陽光パネルとその設置費用のみを
計上することにした。(自己資金を定期利率、ローンの借入利率、補助金の有無などは夫々違う)

◯太陽光設備費用 4,263,000円  太陽光販売単価 1KWH42円


 設置時には業者は10年で元が取れると誘惑したが、諸経費や利子など一切の経費を除外し、純粋にパネルの材料費と
設置費だけにしても元を取れていない。
グラフの残額が65%となっているが本来ここは60%以下になっていなければばらない。
この調子で行くとなると10年ではなく11年か12年で一応設備費は償却できる計算になる。

こんな結果になったのは業者の推定発電量が高かったのか調べてみた。


 すると推定発電量より低かった月は、12月の2ヶ月だけで後の46ヶ月は全て推定量より実質発電量は多かった。
これなら10年以内に償却できそうだが? 業者の計算違いと思われるが、今更言っても仕方ないな。

 月別の発電量を比較してみると


 一年で一番発電量が多い月は5月だったが、これは何となくわかる。
本来なら日照時間が一番長い夏至の近くの6月と7月が発電量が多い筈だが少なくなっている。これは梅雨の影響かな。
逆の冬至に当たる12月の低いのは分かるが、その割に1月が健闘しているの何故だろう?


 条件の良かった我家の太陽光だが、それでも10年では元は取れそうもない。それが電力の販売価格や補助金の減額で
更に償却期間は長くなりそうだが、パネルの価格が下がっているようなのでどうだろう ・・・・・

 計算通りではなかったが太陽光発電を設置した事を後悔はしていません。その理由は
◯1・水の予備タンクが出来た。(震災時用)
◯2・昼間の停電なら太陽光で料理はでき、TVを見る事が出来る。(震災時)
◯3・オール電化にしたためガス代を払わなくなり、毎月の光熱費は大幅に減った。

 以上は太陽光を設置すれば、どの家庭でも受けられる利点だが、我が家には他にも大きなメリットが生じた。
それは最初に紹介した我家の屋根の形状が陸屋根で、天井裏が無い事が影響していた。パネル設置前は
◯1・雨音が煩い
   雨音の煩さはTVの音声が聞こえないくらいだった。
◯2・熱気がもろに2階の部屋を籠る、
   夏は太陽光をもろに受けた屋根の鉄板は、そのまま熱を2階の室内に伝えてしまうので、夏の間の午後は
   2階に上がりたくない状態になってしまう。
   冬も冷気が下がりやすいのだろうが、これはストーブなどの暖房の所為で余り気にならなかった。

 以上の2点は屋根に太陽光パネルを設置した事により大幅に改善され、今は特に支障を感じなくなった。
ただ一点、以前より不便になったのは風呂の全自動機能で、以前はガス釜だったので追い炊きも短時間でできたが
電気となると再度湧き上げるには、時間も金も掛かるようになってしまった。
マーこれも私が妻に続いてサッサと風呂に入れば済む事ですが ・・・・・・・・・・・


 太陽光を検討している人の参考になったでしょうか。

竜爪のチャボホトギス

2016-08-23 16:29:19 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-8-21(日)
歩行時間:2時間20分   休憩時間:0時間40分   延時間:3時間00分
出発時刻:9時50分     到着時刻:12時50分
歩  数: 5、189歩(推定距離3.7km)    GPS距離2.6km
行程表
 穂積神社 1:00> 薬師岳 0:20> 文殊岳 0:20> 薬師岳 0:40> 穂積神社

       
                               竜爪薬師岳のチャボホトトギス

 月1回歩く仲間ウォークは、例年8月は熱中症が怖くて休んでいたが、今年は竜爪にチャボホトトギスなるものが咲くと聞いたので
コースを短くして穂積神社から文殊岳のピストンとして決行することにした。
これなら10日前に転倒して胸を強打した私でも何とかなるだろう。ならなくても往復コースなので途中で待つこともできる。

 仲間ウォークの参加者は私を含め6人で、全員70歳以上の高齢者だ。と書くと “ふじのくに型 「人生区分」” に反してしまう。
何しろふじの国では76歳までは壮年で、77歳から80歳までを初老と区分している。
なので仲間ウォークの仲間は全員壮年と云う事になる。
70歳過ぎてもまだ壮年と聞けば嬉しい気もするが、何やら尻叩きの感がしないでもない。早速一人が
 「要は年金支給期間を短くして社会福祉費を減らしたいがための詭弁だ」 と手厳しい反論。
 「でも壮年として喜寿まで働けるならいいけど、70歳以上の求人が実際あるの?」
 「俺は来年後期高齢者になるので、もうお終いって感じなのに、急に壮年って言われてもなぁ」
 「何かクラブに入りたくても、70歳以上の新規会員は受け付けないクラブが多いらしいよ」
とか色々姦しい。

 机上で人生区分を変更するだけなら誰でもできる。問題は古希まで壮年とするなら、それを認知する社会を作ることだ。
静岡県のように 「お達者度」とか 「富国有徳」 とか実態が伴わない言葉遊びをする傾向が強い気がする。
仲間を元気づけるため紹介した “ふじのくに型 「人生区分」” が思わぬ方向に進んでしまった。

 今日の目的はチャボホトトギス(矮鶏杜鵑)なので事前に知識を仕入れておきました。先ず名前の謂れは
 「花片内側に紫褐色の斑点がまばらにあり、これが鳥のホトトギスにある胸の斑紋に似ている事から “ホトトギス” となった。
 “チャボ” は、本種がキバナホトトギスの矮性種である事から、鶏の矮性種チャボに例えたとされています。
 花柄は短く15mm程度で、花と葉に隠れてなかなか見えません。花は一日花です。」
だそうです。

                    
                                  ヤマホトトギス(山杜鵑)?

 穂積神社の裏に回って最初の見つけた花は、ホトトギスはホトトギスでもヤマホトトギス(?)でした。
しかしここのヤマホトトギスは一輪で自立しているが、以前花沢山で見かけたヤマホトトギスは蔓状になった茎に何輪もの花が付いていた。
別種かと思い家で調べてみると、似た花に “ヤマホトトギス” と “ヤマジホトトギス” があり、主な違いは
 「ヤマホトトギスは、花被片が強く反り返るり、ヤマジノホトトギスは、花被片が平開し、反り返ることはない。」 とあるが、蔓状か自立かの
違いはなく、いずれも成長すると何輪もの花をつけるらしい。
で、ここにある花は、花びらが反り返っているのだろうか? それとも反り返っていないのだろうか?
写真を見比べたが判断は付きませんでした。

 
                              チャボホトトギス(矮鶏杜鵑)

 そのヤマホトトギスの近くに、地面に伏した色の濃い葉の中央に小さな黄色の花が目についた。葉が春先に見た斑入模様の葉に
間違いはない。いとも簡単にチャボホトトギスを見つける事ができた。
ヤマホトトギスに比べて花の斑点の数は極端に少ないがある事はある。それに六弁の花弁の中央から高く立った花芯の形は、さっき
見たヤマホトトギスにそっくりだ。これはチャボホトトギスに間違いないだろう。
思っていたより花が小さいが、これはまだ出だしのなので、もっと高くなれば花も大きくなるだろう。と、期待は高まる。

                    
                               フシグロセンノウ(節黒仙翁)

 階段と山道の分岐に出て、階段では花を見落とす可能性があると思い山道を選択したが、花に出合う事は無かった。
出発がどこでも山道を歩けば疲れることに変わりはないようで、途中でも休んだのに真富士への分岐に着くと自然に足は止まる。
雑草を伐採した所にまるで花壇に咲くようなフシグロセンノウ(節黒仙翁)の花が咲いていた。
 茎が黒いのでフシグロらしいので確認すると確かに黒っぽい。忘れないため写真に写したが技術下手のためハッキリしなかった。
センオノウの名も意味ありげなので調べてみると、京の仙翁寺にあったからその名が付いたとか。
この花は今では森林の伐採や園芸採取などによる減少が危惧され、所によっては絶滅危惧種に指定されていると云う。

 
                薬師岳山頂                               ムサシアブミ(武蔵鐙)の実

 展望が効かない薬師岳山頂には誰も居なかったが、疲れている我々には丁度良い休憩場所だ。
休みがてらに薬師岳に直登する踏み跡を探して林の中に入ると、沢山のマムシグサの実が目についた。
だがここにある実はマムシグサの実ではなく、ムサシアブミ(武蔵鐙)の実だと云う。その根拠は葉の枚数が3枚の物はムサシアブミ
らしい。ではマムシグサをと探すが、この辺りの葉は3枚の物ばかりだった。
確かにいつも見るマムシグサノ葉は3枚きりではなく何枚も付いていたので、ここのテンナンショウは別種の物だろう。
因みに名前の謂れは仏炎苞の形が武蔵の国で作られた鐙に似ていることからとあった。

 これでは花を確認に来なければならないが、今年は4月23日に梶原山・賎機山縦走で歩いたが、ここのテンナンショウには気が
つかなかった。
それもそうだろうあの時は竜爪の階段の上りで、半分ばてていて花を探す気力は無くなっていたのだから。

 

 
                             チャボホトトギス(矮鶏杜鵑)4枚

 薬師岳と文殊岳の間で何株ものチャボホトトギスに出合う事が出来て満足だったが、他の花を目にすることは無かった。

 
                  文殊岳山頂                                清水港遠望

 仲間ウォークでは1000m越えの山に行く事は少ないので、貴重な証拠写真です。
山頂かは清水港もはっきり見えていて駿河湾越しには伊豆半島も浮かんでいた。
山頂広場は雑草に覆われて下にあるベンチは雑草に隠されていた。その代り雑草の中には色々な花が咲いていた。

 
             ギボウシ(擬宝珠)                                オトコエシ(男郎花)

 ギボウシとは分かるが何ギボウシかは分からない。マーギボウシと分かれば良しとしよう。それにしてもこの花がどこが擬宝珠に
似ているのかと思ったら、蕾の形が擬宝珠に似ているかららしい。
これもいつか確認しなければならないが宿題ばかり増えてしまう。(尤も忘れる事が多いので左程の事はない)

 オトコエシ(男郎花)の名はオミナエシ(女郎花)に対立させる形で、より強豪であることを男性にたとえたものとあった。
確かに粟粒状の花は、色の違いはあるもののオミナエシに似ていなくもない。ウィキペディアに面白い説が載っていた。
 「オトコエシは本来の名がオトコメシであったろうとの観測もある。オミナエシは女飯であり、これは黄色の花を粟飯に見立てての
名であり、それに対して本種の白い花を白飯に、白米をたたえてオトコメシとしたものであるという」
       
 
 
              キンセンビキ(金水引)                             オニユリ(鬼百合)

 本来のミズヒキの花は、花の付き方も紅白の色も本物水引に似ているが、このキンミズヒキは花が固まり過ぎていて水引には
使えそうもない。調べてみたら案の定、ミズヒキはタデ科で、キンミズヒキはバラ科だった。花房が細長いのから名付けたのかな。

 鬼百合は良く見かけるがそれほど大きくないのに何故鬼百合と呼ぶのだろうと、以前から思っていた。丁度良いので調べてみたら
 「花の色が赤鬼を連想させることから」 とあったが、それでは赤い花はみんな “鬼◯◯” になってしまう。
他には 「草丈は1~2m程となる大型のユリ」 とあったが、それで鬼百合? 大きさはヤマユリだって負けていないと思うが ・・・・・・・・

 
                                 アサギマダラ(浅葱斑)

 アサギマダラ(浅葱斑)の名前はよく聞くが、まだ見た事がなかった。
それが文殊岳山頂のベンチで昼飯を食べているとき 「アッ! アサギマダラがいる」 と仲間の一人が声を上げ指さした。
慌ててそちらを見ると白い花の先に蝶が2匹(頭)とまっていた。それに近づいて写した写真です。
蝶の羽に個体番号が書いてないかとカメラをズームしてみてが書いてなかった。残念。
この小さな体と薄い羽で海を渡って台湾方面に飛んで行くとか、凄いものですなぁ。あやかりたいものだ。
台湾に行ったら玉山(新高山)に登りたいのが、私のバケットリストの一つだったが、最早実現不可能だ。

 ところで名前の語源になった浅葱色は、どの部分指すのだろう? 今見る限り黒入りの縁どりの中は灰色ぽい白色と、後の羽は
褐色で何処にも浅葱色と言われる青緑色、あるいは緑がかった薄い藍色らしき部分は見えない。
それにマダラ(斑)とあるからには斑点があるはずだが・・・・・・・
あるHPには
 「黒と褐色の模様と、ステンドグラスを思わせる透けるような薄い浅葱色の斑(まだら)紋様の羽を持っています。
胸にも特徴 ある斑模様があり、これが名前の由来です。」
とあるので白っぽく見える部分が浅葱色と言う事か?
一時は仲間が間違えて教えてくれたのかとも思ったが、ネットのある写真と同じだったのアサギマダラに間違いはないようだ。

 昔読んだ時代小説に 「浅葱裏(あさぎうら)」 話がでていたが、これは
「殿様の参勤交代で江戸に出仕した地方の下級武士の着物の裏地は安価な浅葱木綿が多かった。それを馬鹿にした江戸っ子は
彼らを “浅葱裏” と呼んで野暮の代名詞にしていた。」
らしい。
アサギマダラの名前を聞くと何故かその事を思い出してしまう。

 脱線ついでに蝶の数え方は一匹ではなく一頭と数えるとも言われているので、謂れを調べてみた。
これには色々説があるようだが、一般的なのは
 「英語では牛などの家畜を “head” で数えていたので、蝶を紹介するときも “head” で数えるようになった。
そのうち、昆虫学者が論文など発表する時も蝶の個体を “head” で数えるようになり、それを20世紀初頭に日本語に直訳した
ものが広まった。」
だろうか。
 でもこれだって納得はしがたいな。だってトンボなどの他の昆虫は何故一匹なのか分からない。
私のような素人は知ったかぶりをせずに蝶は一匹・二匹と数えた方が無難なようだ。

      
                     静岡市街遠望                                 長い階段

 文殊岳山頂から清水港は見えていたが、富士山方面は雲が発生していて見る事が出来なかった。
山頂を下る前にカモシカが居ないかと反射板に向かいかけた時に、南西の方向に静岡市街や安倍川、それに大崩山塊が見えていた。
ここから大崩山塊を見たのは初めてなような気がするが、いつもは先に気を取られ見逃していたのだろう。
あの憎っくき花沢山も見えているが、あんな低い山で怪我をする自分自身が悪いのに、すぐ責任を転嫁したくなってしまう。
肝心のカモシカ君は残念ながら顔を出してくれなかった。

 薬師岳の下りは、登りと道を変えて長い階段を下った。こんな階段でも若し頭から転げ落ちたらどうなるのだろう。
一応左手は手摺に掴まりながら下ったが、そんな慎重な気持をいつまで持っていられるやら、困ったものです。

 たった2.6kmしかない低山歩きだったが、チャボホトトギス、フシグロセンノウ、アサギマダラと初見の物を三つも見る事が出来て
大満足なゴールでした。
これからは長距離に拘ることなく、今回のように見所を押さえた短いコースも楽しそうだ。


    *******************************************************************************

 色々心配をおかけしました胸の怪我ですが、9日経っても咳やクシャミをすると凄い痛みに襲われ、寝返りや横になる事も
ままならなかった。余り正直に痛さを表現すると妻に 「山行禁止令」 を出されてしまう恐れがあるので我慢の日を送っていた。
それでも余り痛みが続くとなるとittaさんの言う “内蔵損傷” の心配も考えられる。
そこで日曜日の仲間ウォークの結果によって病院に行こうと決断をしました。

 深呼吸をすると痛くなるので竜爪では大きく息は吸い込まないようにしたが、急な登り道はハーハーしながら登った。
更にザックを背負っても痛みは感じなかったので、山歩き自体は怪我の影響はなさそうだ。

 ゴールして仲間に傷跡を見せたが、右胸が少し膨らんで変色しているだけだったので 「どうってことないよ」 と相手に
されなかった。そこで胸の倒木の根が当たった所をさすりながら
 「こんなに膨らんでしまったが、骨にもたん瘤ができるのかなぁ。それとも骨格が変形してしまったのだろうか?」
仲間が 「どう?」 言って胸に触ると
「アッ! 本当だ。ぐりぐりがある。でもこれは誰だってあるじゃない」 と言いながら自分の胸を押さえて 「ないなぁ」 と言う。
他の仲間も私の胸を触りながら
 「ウーンこりゃぁよっぽどひどくぶつかったようだ。これじゃ少し位置がづれていたらあばら骨が何本も折れる大怪我だ。」
脅かしてくる。
 
 グリグリは丁度て手首にあるグリグリと同じ位の大きさで、今は押さえても痛みは感じない。
そこで仲間に病院に行くべきか聞いてみると
 「痛みを感じないなら、もう治ったのじゃないの」 とか 「あばらが変形したとしても今更治らないじゃない」 と他人の事だと
思って簡単に言う。それでもそんな素人診断でも気は楽になるものですね。病院に行く気は急に薄れてしまった。

 竜爪の翌日、わざと咳ばらいをや深呼吸をしてみたが特に痛くない。ただ横になる時はまだ痛みは残っていたが受傷当時に
比べれば何十分の一の痛さだ。これならもう少し我慢すれば痛みは治まるだろう。よって病院は止めにしよう。

 勝手な素人判断が後々影響を残さなければよいが、マー私の場合先は知れている。オッとそんな事は言ってはいけない
72才はまだ壮年なのだから、まだ先はある。とは云え今更変形してしまった骨はどうしょうもないだろう。なるようになれだ。

山の日の焼津3山

2016-08-13 16:17:35 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-8-11(木)
歩行時間:6時間15分   休憩時間:1時間10分   延時間:7時間25分
出発時刻:6時25分     到着時刻:13時50分
歩  数: 10、632歩(推定距離11.4km)    GPS距離10.1km
行程表
 花沢駐車場 1:35> 高草山 0:45> 鞍掛峠 0:35> 満観峰 0:50> 日本坂峠 0:35> 花沢山 0:20> 石部峠
 1:30> 水車小屋 0:05> 花沢駐車場

 前回7月8日に富士山須走口コノスジ中途道に行ってからひと月以上経ってしまった。
あのコースは海抜2千m以上あったので左程暑くもなく普通に歩けたのだが、その後中々疲れが抜けず体調不良に陥り、
睡眠導入剤のお世話になるようになっていた。
とは言え、睡眠導入剤と言っても弱いやつで、しかもそれを1/4に割って飲むのだからお呪いのような物だと思っているが、
それでも効果あるのだから不思議だ。

 そんな日々を過ごしていると7月末から猛暑が襲ってきて、更に体調不良(単なるブラブラ病だと思うが)は進み、昼間から
エアコンの中でオリンピックや甲子園のTVを見るか小説を読んだり皆さんのブログを見る日々を送っていた。
そんな生活を送っていると効果はてき面で、体重が64kgと6年前の歩きはじめる前の体重に戻ってしまった。
歩き出してからの平均体重は60kg前後で推移していたので、私の適正BMIの60.6kgを満足していた。
それが歩行距離の減った昨年は61.1kgと増えてきたが、まだ普通体重範囲内だったの余裕があった
それが6年ぶりの64kgとなってしまったので慌ててBMIを計算すると、23.22とまだ普通体重範囲内でホッとしたが
このまま自堕落な生活を続けているとじきに肥満体重になってしまいそうだ。

 何とかしなければと、山の日に合わせて高草山、満観峰、花沢山の焼津3山を歩く気になった。
あの山なら体調によってどこからでも下山はできるし、何度も歩いているの以前と比べての体調も判断できるだろう。
それと以前作成した 「大崩山塊ハイキングコース・タイム表」 が残っていたので、これを満観峰の山頂に置いてこよう。

                 
                 高草山山名表示                            高草山三角点

 花沢観光駐車場に停まっていた車は1台だけ。時間は6時半前だが幾ら何でも少なすぎる。きっとこの先にある臨時駐車場が
解放されているのだろうと、先にある臨時駐車場まで行ってみると案の定、駐車場には車が10台ほど停まっていた。
たった300m程の距離なのに、少しでも距離を短くしたい自分の気持ちが分からない。

 ここから花沢城址の下まで行き、そこから石脇口と合流する地点まで農道をさかのぼる。後は石脇口を高草山頂まで行けばよい。
山道に入った次の農道から焼津港が見えるのだが、霞なのか視界はハッキリせず紹介できるような写真は撮れなかった。
途中では早朝登山と思える身軽な格好の人、5人とすれ違う。

 タイムは兎も角無事高草山山頂に到着。神社の温度計は25度で涼しい筈だが風が無く朝がベタベタと暑っ苦しい。
山の日なのに山頂には誰もいないのは何故だろう? 時間が8時なので早すぎるのか、それともこんな猛暑なので低山歩きを
する人はいないのか? 

 高草山の標高は何M? 
最近はドコモの中継所の横に建った山頂杭にある 「502.9m」 が増えてきていると思うが、以前は戦死者の慰霊碑の後ろにある
二等三角点の 「501m」 が主流だった。これからは果たして・・・・・・・・・・

 

 今日はいつもとコースを変えて、山道でなく中継所用の舗装路を初めて下る事にした。
道が太いせいか今まで感じなかった風を感じるのだが、蚊の飛ぶ音が耳元でひっきりなしにするようになった。手に持っていた汗拭き
用タオルを振り回しながら下るのも中々煩わしい。防虫スプレーでもかければ良いのだろうがそんな洒落たものは端から無い。

 時季外れ?のアジサイが所々に咲いている。正確な名前は分からないヤマアジサイの一種だろう。
蚊音の余りの煩さに途中にあった山道への抜道からいつものハイキングコースに戻る事に。

  
             マムシグサ                                    コアジサイ

 春に沢山見たマムシグサが実を付けていた。あの食虫植物のような袋の中に、こんな実があると想像できない実の形だ。
実はまだ青いがこれが秋になれば真っ赤になり、増々マムシグサノ実だとは思えなくなる。

 今度はコアジサイがあったが、花の時季は終っているので付いているのは実?なのか。まるで春先の蕾のようにも見える。
今年は高山南峰のコアジサイを見る事ができなかったが、来年こそ必ずあのコアジサイの群落の中に立ってみよう。

 今日の山行は調子見のなのでいくつかの離脱地を考えていた。その最初の場所が舗装路と山道が最接近した所で、多分ここが
昔の花沢集落と岡部の旧東海道を繋げる街道だったと、勝手に思っている場所だ。
地理院の地図には今も破線で書いてあるが歩く人は少ないようだ。道に入ればお馴染みの手作りの道標もあり迷う事はない。
でも体の調子はまだ大丈夫そうなので、次の離脱地の鞍掛峠に向おう。

 
                踏み跡の出口                                   満観峰山頂

 鞍掛峠はでは3組7人が休憩していたのを見ると、どうやら高草山より満観峰の方が人気があるようだ。特に真夏は陽射しをもろに
浴びる高草山より、日影が多い満観峰の方が人気が高いのだろう。

 蔦の細道への分岐の手前に斜面を登る踏み跡が目に入った。この辺りは地図上では満観峰と日本坂峠を結ぶ尾根に接近している
所なので多分その尾根に向かう踏み跡だろう。
今日のコースは無難なモデルコースなので面白みが少ない。ならこの踏み跡を辿るのも面白いかもしれない。と踏み跡に入った。

 踏み跡を少し登ると左右に続く太い踏み跡があり、そこを左に曲がると虎ロープが張ってあった。危ない場所はないで誘導用の
ロープなのだろうか。道が放置茶畑の小屋の所から、平らに左に向かうようになったので、これでは尾根には出そうもない。
案の定合流した場所は蔦の細道分岐をすぎた満観峰直下の階段の所に出た。
たった6分のアバンチュールは終ったが、近道だったのか遠回りだったのかは分からない。

 満観峰には3組6人が日陰を求めて木陰に休憩をしていた。山の日なのにここも登山者は少ないのも熱中症を恐れてなのか。
私も調子に乗らず無理をしないで止める時は潔く下山しよう。

 
        「大崩山塊ハイキングコース・タイム表」                      案内板と山頂ノート保管箱

 以前徳願寺の尾根の梵天山や大鈩山、飯間山にも置こうと思っていた 「大崩山塊ハイキングコース・タイム表」 が、そのままに
なっていたので山頂ノート保管箱に入れてきた。凡そ40枚ほどだが誰か利用してくれればありがたい。

 
                一の谷四等三角点                                   日本坂峠

 3カ所目の離脱予定地は一の谷の四等三角点から鞍掛峠に下る道なのだが、以前は途中までは茶畑への道があり、それが
過ぎると薄い踏み跡程度の道が三角点のピークまで続いていた。三角点の近くには花沢集落で安置した石の祠があるので、多分
集落の人がたまに利用するだけの道だろうと思っていた。
それが最近尾根から踏み跡に入る入口がやけに太くなっていたので、近いうちに歩こうと思っていた。この道は上りも下りも余り
メリットを感じる事がない道なので、こんな時でもないと歩けないと思っていたが、まだ体調は大丈夫だ。ここもパス。

 最後の離脱予定地の日本坂峠に着いたがまだ大丈夫そうだ。先に進もう。

 
            静岡市街と富士山                                 富士山アップ

 焼津の展望地を過ぎ、静岡の展望地まで来れば山頂は近い。この展望地は静岡市街の上に富士山を望める場所で、カメラを
構えると富士山の白い山頂が見えていた。
ズームでもう一枚写して山頂に向かう。

 
                花沢山山頂                                日本坂三等三角点

 時々コメントを書いてくれる松理さんのブログで三角点を特集していた。その中に三角点の保護の形態がいろいろ紹介されていたが
花沢山山頂の日本坂三等三角点はどうだろう。
現在北側は板根に覆われているが、あと何十年もすると後ろの根も成長して三角点の標石を囲んでこないか。そうなれば珍しいと
名所になるかもしれない。タイのアユタヤにある 「木の根に埋まった仏頭」 のように・・・・・・・・

 今時富士山が雪に覆われているわけはない。私も一瞬勘違いしてしまいました。(前項の富士山)

                 
            この根の先で止まった                             落ちた斜面

 今日は調子が良くても花沢山下の石部峠から先には行かず、峠から花沢の水車小屋に戻る事にしている。
石部峠では若干未練を残しながらも下り道に入った。二輪草やクマガイソウの咲く場所を探しながら歩いたが見つからない。
私の探し方が悪いのかそれとも花の場所が土砂を被ってしまったのか見つける事ができなかった。

 そんなとき突然頭から斜面に落ちたようで、慌てて草や枝を求めてたが何も手に触れない。ガツンと胸に衝撃を受けて落下は
止まったが行きが停まるほど胸が痛い。
ジワジワと手を動かしてみるが痛みはなく、足を動かしても痛みは感じない。ではと体を起こそうとすると胸に痛みが集中して
動かすことが出来なかった。
胸の下には古い木の根の先が見えるが、これが刺さったのかと恐る恐る胸のあたりを触るが手には血は付いてこない。軽く
胸の回りを押さえてみるが痛みは感じない。どうやら木の根は刺さっておらず骨折もしていないようだ。不幸中の幸いだ。

 いつまでもこんな不自然な恰好でいると誰かに見られれば遭難者と思われてしまう。とは云え動くと痛いので暫くそのままの
恰好で動かないでいて、気分が落ち着いてからジワリジワリと態勢を整えた。足を下にして斜面に腰かけて下を覗くと草や木の
無い斜面が3mほど続きその下は河原で石がゴロゴロしていた。
胸は痛いがこの木の根があったお陰で下まで落ちずに済んで不幸中の幸いだったろうか。それとも斜面もそんな急ではないので
落下は途中で止まったのだろうか。どっちが幸いだか今は分からない。

 上を見ると矢張り左程急でもない斜面が5m程続いていた。ここを落ちたのだろう。見た目には何も怖さを感じる斜面ではない。
しかし今は直登は出来そうもないので山道が下る方向に歩きやすいルートを求めた。
落下してからどのくらいたったのか正確には分からないが、石部峠から水車小屋は常なら40分もあれば十分行けるのが、今回は
1時間30分も掛かってしまった。単純計算なら落下して50分ほど動かずいた事になる。
幸い誰も来なかったのでみじめな格好を見せる事がなく本当に良かった。

 落下地点と思われる場所に立ったが全然怖い場所ではなく、若し尻から落ちたなら摩擦で自然停止してしまうような斜面だ。
問題は何故頭から落ちたのか分からないことで、落下直前躓いた記憶はない。小砂利で滑ったなら尻もちを搗くだろうに何故だ。
道が狭くて踏み外したのだろうか? 加齢現象でいや老化現象で反応感覚が鈍ってきたのだろう。困ったものだ。

 胸の周りを動かすと強烈な痛みが走るので、なるべく体を動かさない様に水車小屋を目指して下ったが、誰にも会わなかったのは
幸いだった。こんな格好を見ればきっと寝違えて首を動かせないのに山に来たと思われたに違いない。

 何だか石部峠から無理をしないで下ったのが良かったのか、次の道標の峠を下った方が良かったか分からない状態になって
しまったが、様子見の山行は思わぬ結果になってしまった。



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 翌日になっても痛みが引かないようなら整形外科に行こうと思っていたが、翌日痛みは変わらないが多分打身だけだろうと
湿布を張って誤魔化す事にした。
打った場所は胸と胸の真ん中で、胸の谷間が一番深い所だった。3cm四方が赤くなっているが腫れてはいない。
寝返りや咳やクシャミをすると体が熱くなるほどの痛みはあるが、これも2・3日の我慢だろう。

これに懲りず21日は知人ウォークで竜爪にチャボホトトギスを見に行く予定です。
あの階段から落ちないようにですって、そうですね、注意します。でも恐れてばかりいたら何処にも行けなくなってしまいます。