はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

ハイキング調査・双子山

2016-11-30 09:38:20 | 低山歩き
歩行記録   H28-11-29(火)
歩行時間:6時間45分   休憩時間:1時間35分   延時間:8時間20分
出発時刻:8時10分     到着時刻:16時30分
歩  数: 37、494歩(推定距離26.6km)    GPS距離24.8km
行程表
 藤枝総合病院バス停 0:05> 登山道入口 0:45> 六合合流 0:45> 山道入口 0:15> 心岳寺出合 0:30> 心岳寺 0:45>
 心岳寺出合 0:50> 双子山 0:50> 中山バス停 1:10> 谷稲葉IC前 0:50> 藤枝駅

 藤枝市のハイキングコースの調査のため双子山に行ってきました。
双子山にはこれまでも数え切れないほど来ているが、不思議と藤枝側から登る事は少ない。
今回登った駿河台からのコースも、数年前に歩いたとき余りの蜘蛛の巣の多さに閉口してしまい、以後は六合駅からのコースを歩く
ようになってしまった。
また、心岳寺のコースも1度ピストンで登ったが、出発地の心岳寺が駅より遠いのでその後は歩いていない。
更に中山コースに至っては、そのコースを歩くメリットを感じなくて一度も歩いていなかった。
そんなわけで元気な頃の歩行データしかなく、また道の状態の確認もあって3コースを一度に歩く事にしました。

 藤枝市のハイキング案内では、駿河台コースと心岳寺コースを登りとして、中山コースを下りとして紹介している。
そこで今回は駿河台を出発して心岳寺出合から心岳寺に下り、再度出合まで戻って双子山に登る。そして中山に下って、時間的
余裕があれば、前回見つけた 「峠の地蔵」 の “嶺の道” を探してみようと思っています。

 
          県営西団地(他山道入口の標識)                            登山道入口

 ハイキングの案内の通り藤枝総合病院までバスを利用した。その楽な事、楽な事。病みつきになってしまいそうです。
登山口は病院から更に車道を直進した二つ目のアパートの入口に 「双子山遊歩道➜」 の標識が建っていた。だが標識は小さく
あまり目立たないので注意が必要です。その標識に従いアパートの間の中庭を進むと、山の付根に大きな案内板が建っています。
但しこの案内板は名前こそ “双子山コース案内図” とあるものの、殆ど用をなさないような代物でした。

 
              団地裏の登山道                               展望台より藤枝市街

 登山道に入ると早速階段になるが良く手入れがされていて、まさに “遊歩道” の名の通りです。
階段が終わった所に展望台が設けられていて藤枝市街が眺められるようになっていました。

 
              あの小屋を目指して                               ゴルフ場

 団地のすぐ裏なのに快適な山道が続いていて、蜘蛛巣もないので気分は良好です。
林道に合流して上に向かって歩いて行くと分岐があります。始めてここに来た時は、分からないまま分岐を上に向かって歩いて
失敗してしまったが、2回目の時は林道途中の草叢に埋もれて朽ち始めていた道標を持ち出して分岐点に置いてきた。
あれから数年経っているが、あの道標はどうなっているか・・・・・
一見したところ見当たらない。再度丁寧に探すと、草の下に隠れていた道標があったので、それを草の上に移動しておきました。
こんな風に書くと以後も道に不安を感じさせてしまいそうだが、そんな事はありません。駿河台コースで迷うのはここだけです。
後は山頂までまで要所要所には道標があるので迷う事はありません。

 因みにその分岐点の前から右手の奥に作業小屋が見えてきます。登山道はこの小屋の後ろを入るので小屋を目指してください。
分岐した後の林道からは左側にゴルフ場が見えています。

   
                                       山道3種

 余りに蜘蛛の巣が多くて敬遠していた道だったが、今日は思った以上に歩き易かった。

 
               大崩山塊が見えた                              手にしたくなるミカン

 眼の毒が始まります。私は公徳心が薄いのか、こんな物を見ると手を出したくてたまらなくなります。
今日も自分を抑えるのに大変でした。

 
           切通しの先は六合からの合流部                        合流部からの西の眺め

 切通しの先が明るく開けていた。あそこが島田の六合駅からの道との合流部だろう。
最近は双子山には殆どの六合からの道を利用しているが、そのメリットは眺めが良い事と、山を下ったあと駅までが近い事。
デメリットは道の全てが舗装された農道と云う事だが、私にはメリットの方が勝っていた。
一方駿河台コースは、久し振りに歩いて歩きやすく気持ちの良い道だと再認識したし、駅から離れているが本数の多い病院への
バスを利用すれば解決できそうだ。これからは蜘蛛の巣が無いときは駿河台コースも利用しよう。

 
             農道から藤枝・焼津市街                            登山道の分岐

 西側の景色を眺められたのは合流部付近だけで、その後は東側の景色が見えてくる。
合流部から10分も行くと道が3本に分かれている。登山道は左の細い道だが勿論道標はあるので心配はない。

           
                     林道から山道入口                              傾斜が強くなった山道

 この農道歩きが長い。景色も見えずただひたすら歩くのみなので飽きてくる。
途中10mほど道が細くて車が通れなくなる所があるが、崩れた気配はないので当初から農道は無かったようだ。
ではなぜ前後に道は延びているのだろう? ここを歩くたびに感じる疑問だった。
その細い道から暫く行くと道の左右に道標が建っている山道の入口に出る。そこでやっと長かった農道ともお別れだ。

         
                    心岳寺からの合流地点                                地蔵尊

 自然林の中の道は今日一番の登りだが、そこを越せば心岳寺との出合に着く。双子山はここを右折して登っていくが、心岳寺は
左折して下って行く。そのなだらかな道を5分も下ると 「段の地蔵尊」 が安置されている。
 “段” の地名は “山犬段” など山地では時々聞く名前だが、意味は 「尾根の広くなった場所」 らしい。この地蔵が安置されている
場所も平になっていて “段” に間違いなさそうだ。でも “段” だけとはズバリ過ぎてで味気ない。ならば 「地蔵段」 とでもしたいが
 “地蔵段の地蔵尊” ではくど過ぎていただけないな。

 先月高尾山の帰りに心岳寺上の 「峠の地蔵」 を見たが、地蔵の案内板に 「地蔵の舟形には、左千葉道・右高根道の表示があり、
心岳寺の修行僧が越えた峠道」
とあった。
ならここの地蔵も千葉山に抜ける道だろうと文字を探したが無かった。でもやはりこの地蔵は千葉山への道しるべだと思う。


         
                     心岳寺への道                                心岳寺の墓地が見えた
                    
 地蔵から道は下り坂になり、折角登ったのに何とも馬鹿らしいと思ったが、調査だから仕方ないと、自分を慰めながら下った。
道は太くなり舗装はされていないが農道のようで、駿河台の道に比べ随分農道が上まで来ている。などと思っていると民家風な
建物も現れて道は舗装された農道になった。
放置された茶畑が続き、やがて手入れをされている茶畑が出てくると下に墓地が見えてきた。多分心岳寺の墓地なのだろう。

 
                花の咲いた茶畑                                 茶の花

 普通茶畑の花はチラホラ程度か、咲いていない方が多い。だがここの茶畑では花が沢山咲いていて、しかもその花が大きい。
以前読んだか聞いたかした話で、茶の木は挿し木で増やすので花や実はいらないと聞いた事がある。また農家の人が実ををもいで
いるのも見た事がある。なのにこの茶畑では大きな花を咲かせ放題にしている。栄養充分なのか、それとも実生で育てる種を栽培
しているのか? 聞いてみたいが辺りには人はいない。
今日も登山道入口からは、人の姿を見ない貸切の山が続いている。

 
              心岳寺はもうすぐだ                                心岳寺

 時々心岳寺が見えていたので道標も気にならないで歩いてしまった。それが登り返す時に失敗の元となるとは・・・・・・
心岳寺の定規筋の塀が見える。この謂れも聞きたいが寺の境内は無人だった。

カテゴリーに「メニュー」を追加しました

2016-11-26 16:29:23 | ウォーキング
                      カテゴリーの 「メニュー」 について

  ブログを初めた当初は 「観歩」 で得た知識や情報を、備忘録のように記入して次回の歩きの参考にする積りで色々書いてきました。
ところが記事の件数が多くなり、検索機能を使っても過去のデータを探すことが難しくなってきてしまいました。
本来ならカテゴリーを最初から細分化しておけば、こんな検索不能には陥らなかったのですが今更どうにもなりません。

  そこで今回 「メニュー」 カテゴリーを作成して、過去の主な記事を容易に閲覧できるようにしました。
使用方法は、左枠 「カテゴリー」 欄の 「メニュー」 をクリックすると、 「はぐれ遍路のひとりごと主要ブログ検索」 が開きますので、
後は目的項目をクリックするだけです。
現在作成中の “藤枝市認定ハイキングコース” の紹介も、この機能を使えばいつでも簡単に検索できますので利用してください。

藤枝ハイキングコース案内NO14

2016-11-24 08:12:39 | 藤枝ハイキングコース




                                                    ↑藤枝市HPより
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                   1・近又バス停                            2・県道分岐
 
 1・静岡鉄道バス中部国道線 “岡部支所前” 下車。自主運行バス朝比奈線に乗換えて “近又” バス停下車。
 2・朝比奈川に架かる橋を渡り、県道210号と分かれ青羽根・藤枝方面に直進する。 


                    3・青羽根川                                  4・キノコ
       
 3・朝比奈川支流の青羽根川沿いを上流に行く。


           5・朝比奈川                            6・青羽根スポーツ広場(駐車場)
       
 6・近松バス停から50分ほど進むと、右側に青羽根スポーツ広場(駐車場)がある。
   車利用の場合はここの車を置ける。

              7・集落分岐                                  8・コースの始終点
 
 7・直進側に民家が見えるが、ハイキングコースの標識や道路標識藤枝方面に従い右に向かう。
 8・7から6分も行くと道が分離している。正面の支柱にハイキングコースの標識があり、矢印が上・右を指している。
   ここがハイキングコースの始終点で、右に行けば大井神社から、直進すれば林道経由のコースとなる。

              9・案内板                                 10・コース(トイレ)入口
 
 9・分岐から少し直進した所にハイキングコースの案内板が建っている。 「健脚1時間半~2時間 家族2時間半~3時間」 とある。
10・右に分岐してすぐの所を更に右下に進む。(標識有)
   写真の右端に見える建物はトイレ。トイレの前には車数台置ける空地がある。

              11・大井神社へ                                 12・林道終点
 
11・トイレの先の道(標識有)
12・トイレの先で道が終わるので、道の終端にあるフェンスの間を下り、先方に見える鳥居を潜っていく。

                13・和合の樹                         14・和合の樹
                
13・大井神社の参道の階段の途中に 「和合の樹」 がある。

                   15・大井神社                                   16・御神木
       
15.青羽根集落の先祖が建てた神社。
16・神社後ろにあるご神木の横を通り林の中の道に入る。

            17・木橋                               18・林の中の道
       
17・沢には木橋が架かっており安心して通る事ができる。

               19・長塚石                                 20・長塚石
 
19.富士川の戦いの落武者が隠れたと云う大岩。
20・道は長塚石沿いと石を巻く道がある。

            21・木橋                               22・カーブする道
       
22・直進側にも踏み跡があるが標識に従い左に曲がり登っていく。

             23・マンガン鉱へ                              24・マンガン鉱案内板
 
23・マンガン鉱への標識に従い右に行くと案内板が建っている。坑道跡は見当たらないが鉱石らしきものが落ちている。

             25・マンガン鉱跡                                26・稜線の道
 
25・案内板を見たら元来た道を標識まで戻ってから先に進む。しばらくしてマンガン鉱の坑道入口ら跡しき穴がある。
26・坑道跡から5分くらいで稜線に出たら左折する。右にも薄い踏み跡があるので注意を要す。合流した数m先に標識がある

                     27・稜線沿いの道                            28・町民いこいの森
       
27・28・稜線沿いの林の中の道を5分も行くと、株立ちの幹の下に 「町民いこいの森」 の案内がある。
   どうやらここがガイドマップにある “長塚峠展望台” らしい。

               29・木製ベンチ                                30・びく石が見える
 
30・長塚峠展望台からビク石が南の方向に見える。

               31・ちびっ子広場                             32・ちびっ子広場の案内板
 
31・長塚展望台から5分も行かないでベンチらしき物もある草地の広場にでる。
32・案内板も朽ちているのでハッキリしないがここがちびっ子広場と思われる。

             33・麦地峠のベンチ                                34・麦地峠
 
33・尾根の南側にベンチがあるが、前方は木の枝が伸び視界は塞がれている。
32・ 〃 北川に麦地峠の標識があり北の山が少し見える。

             35・尾根の道                                36・北側の山
 
35・36・峠からは北側が伐採された尾根を行く。北方向が開け景色が見える。

               37・林道合流                                38・林道の道
 
37・北側が開けた尾根の道から林の道になり、5分も行くと林道と合流する。
38・前方、遠くに見える道はビク石に続く林道。

             39・高尾山と高根山                                40・竹林の中の道
 
39・林道の右側には高尾山と高根山が見えている。

             43・コスモス峠                                44・コスモス峠の石仏
 
43・コスモス峠には峠の標識も案内板もないが、林道に合流して最初の分岐が峠なので迷う事はない。
   パノラマコースは峠を左折して下るが、直進する登りの道はビク石と市ノ瀬(瀬戸川沿)に行く道。

             45・銀杏                               46・パノラマコ-ス案内板
       
46・コスモス峠から車道を10分ほど下ると、行きの時に見たパノラマコースの案内板の前に出る。
   近又バス停はそのまま車道を40分も下る。そのコース案内は出発時の1~8を参照してください。
   案内板から近又バス停までをYahoo!の地図で示します。こちら

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景  色 = ★★    パノラマの名前ほどではない
登山道 = ★★★★  整備されていて危険な場所は無い。
道  標 = ★★★★ マンガン鉱から稜線に出た所と、コスモス峠に標識が欲しいと思っただけで後は整備されている。
見  所 = ★★★  大井神社、長塚石、マンガン鉱などがある。
総  評 = ★★★  歩行距離10.1kmのうち、近又バス停からコース入口までの車道歩きの往復で7.2kmと7割以上に
             なっているため、大変な割に面白味の欠けるコースになっている。
             車利用にするか、バス利用ならコスモス峠からビク石あるいは市ノ瀬に下るコースの方が面白い。
難易度見直し =  上級認定となっているのは車道歩きが長いせいか? それでも中級でよい。車利用なら初級。




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青羽根からビク石へ

2016-11-21 16:42:45 | 低山歩き
歩行記録   H28-11-18(金)
歩行時間:5時間30分   休憩時間:1時間05分   延時間:6時間35分
出発時刻:8時35分     到着時刻:15時10分
歩  数: 26、640歩(推定距離18.9km)    GPS距離18.0km
行程表
 近又バス停 1:00> パノラマコース入口(青羽根) 0:30> マンガン鉱山跡 0:10> 展望地(町民いこいの森) 0:10> 麦地峠
 0:15> びく石分岐 0:10> パノラマコース入口 0:15> びく石分岐 1:15> びく石山頂 0:45> 登山口バス停 1:00> ゆらく

 パノラマコースを一周して青羽根集落まで戻り、再度コスモス峠(ビク石への分岐)を目指して歩き出したのが11時25分だった。
想定3時間のコースを2時間50分。はぼ完璧だ。なんて勘が良いのだろうと自画自賛しながら下った道を今度は登り返す。

      
       ここから尾根に入った             踏み跡と目印リボン                  何でしょう?

 青羽根からビク石の間は林道が続いているが、その林道がほぼ尾根と平行に走っている。
なら稜線にはピークハンターの歩いた踏み跡がある筈なので、その道を確認したいと思っていた。
問題は踏み跡を見つけることで、茶畑があったり、稜線が広いと中々見つけにくい。それに道から稜線が高いと登るのも大変だ。
そんな我儘な条件を満足するような取付き口は見つからず、林道は瀬戸川とビク石への分岐まで来てしまった。

 分岐を過ぎ暫く林道を進むと道路の法面に階段があり、その上の立木には青色のリボンが巻いてある場所があった。
更に法面の上を見れば樹木の間からは空が見えている。ここなら例え踏み跡が無くても引き返す事は容易だ。

 階段を上り林の中に入るが踏み跡らしきものない。いや何処もが踏み跡に見えるような所なので登るのには支障がない。
稜線へ出てみると、有りました!!ハッキリ踏み跡と判断できるものが稜線伝いに続いている。
踏み跡は薄い所もあるが尾根を外さなければ、また出てくるので不安はない。
目印のリボンは階段の所にあっただけで踏み跡には付いていなかったが、ようやくリボンも出てきてホッとする。

 杉の木に何かが垂れ下がっている。何だろう?
地上2m位の所から柔らかいバネのスプリングが50cmほどあり、その下はタコ糸に繋がっている。タコ糸の途中には10cm位の
細い枝を結びつけてある。さらにその下は細いビニール管に繋がっていて、その管は地中に入っている。
管が地中に入っている部分には、小糠らしき物が撒かれている。
何でしょうね、これは? 小糠を撒いてあるという事は猪の調査なのだろうか? だがこんな細い物では猪が通れば一遍に切れて
しまうだろう。
では、小糠の下は落とし穴か? それも考えられない。こんな木の根元に猪が落ちるような穴は掘れっこない。
では何だ? 想像力いえ妄想力が強いと自負している私ですが皆目見当がつきませんでした。

 その摩訶不思議な物体は林道の少し入った所にあり、踏み跡も林道と合流していた。
踏み跡に入ってから15分も経ち、時間も12時10分を過ぎている。そろそろビク石に着かないと予定したバスに間に合わなくなる。
丁度踏み跡は急な登りになっているし、踏み跡の状態も大体分かった。それならここからは林道を歩こうと簡単に方針変更をした。

 
           広場から(右端にダイラボウ)                            市民の森入口

 林道を歩き出すと何度か踏み跡が合流している。これでは踏み跡を歩いても遠回りで時間も掛かるだけだ。と、林道を歩きだして
しまった自分を慰めながら歩く。
林道沿いには青いテープが時々出てくるが、このテープは山道に入った階段の所にもあったやつだ。そうなるとこのテープは山道の
目印ではない事になるが、では一体何なんだ? 分からない。

 何の目的の広場なのか分からないが、林道側にロープを張った広場があった。今日歩いて来たパノラマコースが見えないかと思い
入ってみたが残念ながら、その方向は見えていない。

 「市民の森」 って今までビク石の所かと思っていたが違っていた。ビク石の手前にビオトープなどのある施設のある所でした。

            
               ビク石への標識                            ビク石山頂

 やっとビク石山頂の標識が出てきた。時間は既に12時30分。昼飯を食べる時間が無くなってしまう。急がなければ。
フ~ビク石に着いた。山頂にはバスを降りてから初めて会う人が3人、四阿で食事をしていた。休日ではないのでこんなものかな。


                     ビク石山頂広場から(天柱山は天王山の間違いです)

 山頂から広場に降りて景色を見ながらの昼飯にしようと思ったが、残念ながら今一、今二の景色で富士山も見えなかった。
それでもここからの眺めはパノラマコースよりパノラマ的かな。
 今年中には歩こうと思っている天王山までの稜線も見えているが、林道工事が再開したかどうか分からずコースが決まらない。
何か一つ障害があると決断できない弱気な私だが、年寄りの山歩きにはそれで丁度良いのかもしれない。
何れにしろ今年中には歩いてしまおう。

  昼飯が終わると時刻は1時20分でバスの時間までは丁度2時間になってしまった。想定では登山口まで1時間、ゆらくまで
1時間の計2時間としたが、余りギリギリだと乗り遅れる心配もある。少し急ごう。

 
              整備されている登山道                         登山道入り口近くの吊橋

 ビク石から一ノ瀬登山口への道は以前下った時は、途中で道を間違え峠バス停に出てしまった。そのため今回は間違った地点を
確認しながら登山口に出ようと思っている。
 さすが人気の登山口で要所要所には標識もあり迷う所はない。エッ! ではなぜ前回間違えたのだ!
原因は最初の林道に合流した時に、前回はそのまま林道を歩いてしまったのだが、林道を4分も下った所に再度山道に入る標識が
建っていた。前回はそれを見落として林道をバス停まで歩いたしまったとは、何とも情けない話だ。

            
              登山道入口                                 板状節理

 登山口に2時5分到着。ここからは県道をゆらくまで下るだけなので1時間あれば行けるので、バスには悠々間に合うだろう。
 洒落た建物の汚水処理場の近くに板状(ばんじょう)節理の岩盤があった。これは私の勝手な解釈で、岩が横になっていれば板状、
縦の物は柱状と区分している。この解釈が正しいかどうかは分かりません。
ウィキペディアによれば 「節理とは、岩体に発達した規則性のある割れ目のうち、両側にずれの見られないものをいう。
板状節理は岩体が板状になった節理。、柱状節理は岩体が柱状になった節理。」
だそうです。
では斜めの節理はどっちだろう。ここの岩は斜めに伸びているが、やや平らに近いので板状としたが、果たしてこれで合っているのか?

 
        峠駐車場からビク石ふれあい広場への道                     ビク石ふれあい広場

 峠BSには大きな駐車場がありトイレまで備えてある。この設備は何を目的に造られたのだろう? ビク石に登るための駐車場は
板状節理あった汚水処理場の橋を渡った先にある。良く分からないが、この駐車場に何台もの車が停まっているのを見た事がない。

その駐車場の横で畑仕事していた人がいたので聞いてみた。いえ駐車場の事を聞いたのではなく、道の事を聞きました。
 「この橋を渡ってビク石牧場の方に出られますか?」
 「あー行けるよ。途中で広場が見えたら、そこを下ればいい」
 「県道を行くのとどっちが近いですか?」
 「そーだなぁ 同じくらいかな」

同じくらいなら歩いてみるかと “新ビク石橋” を渡って初めて歩く道に入る。

 県道から5分歩くて右下に芝生の広場が見えてきた。あそこがビク石ふれあい広場なのだろう。

 
           ビク石ふれあい広場裏入口                        ビク石ふれあい広場・売店

 広場の入口に貼ってある 「ペット持込み禁止」 の貼り紙を見て、こんな話を思い出した。
 『橋の前に「このはし渡るべからず」と記載のある看板がある。一休さんは端を渡らず、真ん中を渡ったという。』
ならここではこんな話はどうだ。
 『門の入口にあった 「ペット持込み禁止」 の貼紙を見た一休さんは、ペットを曳いて門の中に入ったという』

 ペットを殺したり傷つけると “器物破損罪” になるとかで、法律ではペットを “物” とみているようだ。
その所為かどうか分からないが “ペット持込み禁止” の貼り紙を時々見る。この表現の貼紙を見ると何となく不自然に感じてしまう
のは私だけですかネェ。だって普通の会話で “犬を連れてきた” と言っても “犬を持ってきた” とは言わないでしょう?
何かと煩い動物愛護団体が黙っているのが不思議だ。

 上の駐車場から約10分で県道に合流。県道と比べ距離はどっちもどっちだったが、今歩いた道の方が変化が合って楽しそうだ。
県道にあったゆらくの案内には、ゆらくまで3kmとある。すでに時刻は2時半を過ぎているのでバスの時間までは50分しかない。
少し急がないと。

          
             馬頭観世音菩薩                               ゆらく

 道脇に新しい馬頭観音が祀られていた。馬頭観音は古い石仏が多く、像容などが鮮明でない物が多いが、ここの馬頭観音は
新しいのでクッキリしている。
私の持っている “石仏探訪ハンドブック” には馬頭観音についてこのように説明している。
 「頭部は一面または三面。三目、馬の頭部を戴く忿怒相。印相は馬口印または合掌。四譬、六譬、八譬」 とある。
ここの馬頭観音は 「馬の頭部を戴く忿怒相で三面、双眼。印相は合掌で八譬」 でした。
今朝、今日の無事を祈った馬頭観音は古くてハッキリしないが 「馬の頭部を戴く慈愛相で一面、三目。印相は馬口印で二譬」 でした。
合掌印と馬口印の違いは、合掌印は両手をピッシリ合わせていて、馬口印は掌は合わせ、人差し指は合わせず膨らみをもたせています。

 ゆらくに3時10分に到着バスは22分発ですので何とか間に合った。
今朝は藤枝駅から乗るバスの時刻を勘違いしていて、必死に自転車をこいで乗ったバスは予定していた次のバスだった。
半分諦めて別の山を考えながら乗換えの岡部支所前に着いたのは次のバスの発車時間。
お陰というか乗換えバスは3分ほど遅れてきたので何とか間に合い、ホッとしながら近又に向かいました。
そして帰りのバスも少々忙しかったが何とか間に合った。今日のバスは最後にはつきがくると思いながら駅に向かいました。

 藤枝駅までのバス料金は400円だが、途中の谷稲葉BSまでは各駅停車で200円。そこから先はノンストップで藤枝駅まで行き
400円になる。その谷稲葉BSに着くと車内放送が 「終点です」 と流れている。
エッ! 藤枝駅まで行かないの、それじゃぁ家に5時前には着かないヨ。ショック!
それでも藤枝駅までを50分で歩いて駅に着いたのが4時35分。朝と同じように必死に自転車をこいで家に着いたのが5時10分。
お陰で豪栄道と白鵬が敗れた相撲を見る事が出来ました。
やはり今日は最後はついていたようです。バス代200円が浮いて、目的の取組みを見る事ができたのだから。

藤枝ハイキング・青羽根パノラマコース

2016-11-19 16:47:52 | 低山歩き
歩行記録   H28-11-18(金)
歩行時間:5時間30分   休憩時間:1時間05分   延時間:6時間35分
出発時刻:8時35分     到着時刻:15時10分
歩  数: 26、640歩(推定距離18.9km)    GPS距離18.0km
行程表
 近又バス停 1:00> パノラマコース入口(青羽根) 0:30> マンガン鉱山跡 0:10> 展望地(町民いこいの森) 0:10> 麦地峠
 0:15> びく石分岐 0:10> パノラマコース入口 0:15> びく石分岐 1:15> びく石山頂 0:45> 登山口バス停 1:00> ゆらく

 藤枝市の認定コースを紹介したいので、今回はまだ歩いた事のない旧岡部町の 「青羽根パノラマコース」 に行ってきました。
藤枝市の紹介ではこのコースは上級コースで、距離が10.1km、所要時間が4時間5分となっています。
当然私の事ですので、せっかく出かけてきたのに、これだけでは勿体ないと+αの欲張ったコースも考えます。
ただ家には5時前には帰りたい、できれば4時半には家に着きたいと思っています。何故ですって? 
今月は奇数月なので、月の内の2週間は私の楽しみがあるのです。

 そこで思いついたルートは、パノラマコースを歩いたあと続いてビク石に行ってから瀬戸川沿いの市の瀬に下るコース。
そこから更にゆらくまで歩いて、ゆらくからバスで藤枝駅に戻るコースです。
早速ゆらくからのバスの時間を調べると3時22分発のバスがあり、これなら青羽根コースを3時間、ビク石まで1時間、下山に1時間
ゆらくまで1時間として、合計6時間みれば充分歩けそうです。
朝は近又バス停の1番バスが8時27分着なので、そこから6時間とみても2時半ごろにはゆらくに着きそうです。
これなら途中も、のんびりパノラマの景色を楽しめそうです。

 
                 近又バス停付近                              馬頭観音

 予定通り近松バス停に8時半前に到着。近くにあった道路標識には、パノラマコース入口の青羽根集落まで3kmとあり、40分も
あれば行けそうです。
道端にあった馬頭観音に今日の無事を祈り  「南無観世音菩薩  オン アロリキャ ソワカ 」 と真言を3回唱える。
尤もこの真言が馬頭観音で良いのかどうか分からなかったが。

         
              キノコ                        渓 流                     山茶花

 枯れていない生木の幹にキノコが密集していた。白く硬いキノコではなく、少し色の付いた柔らかそうなキノコで、食べられそうな
感じもする。勿論取らなかったがキノコは1本の木に生えていただけだった。

 普通の川だったのが徐々に川幅は狭くなり、白く光る川の流れが渓流ぽさを感じさせてきた。
生垣でもない所に山茶花が咲いていて、下には既に散った花びらもある。
山茶花って童謡の ♬さざんか、さざんか咲いた道 たき火だ たき火だ 落葉焚き♬ の山茶花ですよね。
その冬の花がもう咲いて、しかも散り始めてもいる。この辺りは市街地より標高も高いので気温が大分下がるのだろうか。
それにしても早い気がする。

 
                青羽根集落                                パノラマコース案内

 パノラマコース入口の青羽根集落に1時間かかって到着。3kmの舗装道路を1時間? でも手持ちのGPSはジャスト4kmだ。
どっちが正しいのやら。(後でYahoo!の地図で距離を測ると3.5kmとなった)
 写真の交差点がコースの始点と終点で、右に行けば大井神社からマンガン鉱へ行く山道。左の道は林道を歩いてから山道に
行くコースです。今日は藤枝市のハイキングマップの紹介通り左回りの道を行きます。

 道の先に大きな 「青羽根ハイキングコースと周辺案内」 の案内板が建っている。それにはコース一周を健脚だと1時間30分から
2時間。家族連れだと2時間30分から3時間となっている。因みに市のマップの所要時間は56分となっている。
この所要時間の表現は歩行時間だけなのか、休憩時間が入っているのか判然としないが、多分歩行時間なのでしょうね。
ここを私が歩いたら果たして何分かかるか? 見学、休憩を入れて多分2時間から2時間半程度で、健脚と家族ずれの中間位かな。
ようは一般並みだと思うが、果たして・・・・

         
             ???                      納 得                    大井神社の御神木

 大井神社の鳥居を潜り参道を行くと 「和合の樹」 の表示が。見れば納得。
大井神社の案内に
 「青羽根地区は、今から800余年前、平家が滅亡して、氏族の存続を願ってこの地に隠れ住んだ人たちの集落と言われています。
中本、村上、京、羽山、永井二家、清水の七家が集落の起源で青羽根七人衆と言われ、現在でもその子孫が家系を継承しています。」

こういう案内を読むとすぐ疑問が湧くのが私の悪く癖で、今回も “平家が滅亡して、この地に隠れ住んだ” ことに納得できなかった。
確かに大井川奥なども平家の落人説があり、そのこと自体はありそうな説とも感じるが、その落人が “平家が滅亡して” から落ち延びて
きたとする事が腑に落ちないのです。
大体、東国は源氏の縄張り下で、しかも伊豆、相模はお膝元。その隣の駿河に平家の落人が好き好んで逃げ込んでくるだろうか。
京からここまで落ち延びる途中には、大和や伊勢、美濃や飛騨など隠れ組む山間僻地はいくらでもあるのに・・・・
これが同じ平家の落人でも、富士川の戦いで水鳥の羽音に驚いて潰走した平家の落武者ならまだ理解できそうです。
ただ富士川の戦いの落武者だと、水鳥の羽音で逃げた軟弱者と見られかねないので、平家が滅亡した際に落ち延びたとしたのでは
ないかと思ってしまうのです。神社の案内板はまだ続きます。

 「大井神社は集落の護り神として、青羽根村に居住していた藤原永泰の寄進により、応仁元年(1467)願主の藤原二郎衛門によって
収蔵された。また、御神木の大杉は推定樹齢700年以上、町指定天然記念物になっています。」

ここでも疑問が湧いてきてしまう。
最初の疑問は平家の落人たちが、何故近郷のしかも大井川の守り神である大井神社を祀ったのか分かりません。
平家なら厳島神社の分霊を祀るのではないかと思ってしまうのです。
これが同じように平家の落人伝説のある隣村の笹川集落のように、自分たちの守り神として “水玉神社” を祀るなら分るのだが。

 次の疑問は大井神社の願主や創建した “藤原さん” が、何故 “青羽根七人衆” の仲間に加わらなかったのだろうかということ。
貴族出身で神社を寄進するほどの財力もあった藤原さんは、この集落のリーダーだったと思われるのに。

 くだらない疑問の連続で、ずいぶん時間を取ってしまった。次に進まないとビク石に行けなくなっらしまう。

          
                       長塚石                                    木 橋

 次に現れたのはビク石の近くの山らしき巨石だった。岩には 「長塚石」 の名が付き、案内板には
 「治承4年富士川の合戦に敗れた平家の落人が追っ手を逃れて、ここに外敵から身を隠した。
出入口は狭いが奥は当時10人ほど入ることのできる広さがあったといわれる。」

オット! こちらにははっきり “富士川の戦いに敗れた平家の落人” と書いてある。これなら私の妄想的歴史観と合っている。
思わずニッコリ。
岩の横を歩いたがそれらしき入口も分からず上に出てしまった。マーいいだろう。
 登山道は整備されていて、要所要所に標識もあり迷う所は無い。沢には木の橋も架けられているので不安なく渡る事ができた。

 
               マンガン鉱?                                   坑道跡

 興味のあったマンガン鉱山採掘跡に到着。
マンガンと言えば私は 「マンガン乾電池」 が浮かぶだけで、他の知識は無かったので、果たしてどんな物なのかと思っていた。
現地は案内板が建っているだけで坑道らしきトンネルの入口は無い。しかたなく案内板を読むと
 「江戸時代には銅の採掘が盛んで、一時期は大勢の人夫で賑わいを見せたという。鉱石は美しいが銅の含有量が少ないため、
明治25年に閉山となった。しかし大正時代にマンガン鉱として再び採掘が始まり、鉱石は精錬する事なくかますに詰めて搬出された。
鉱山は昭和の初期まで採掘されていたものと推測されます。
この辺りには幾つかの廃坑が今でも残っていて、なかには蝙蝠が多数生息しています。」

ウーン!良く分からないが “銅の採掘” とか “鉱石は美しい” “精錬することなく” など気になる言葉が散らかっている。

 案内板の周囲には全体が黒っぽい石が幾つも転がっている。最初はこれがマンガンの鉱石かと思ったが、決して “美しく” はない。
で、調べてみたが良く分からないので、山口大学のHPをそのまま引用させてもらいます。
 「マンガンは,鋼(はがね)の強度や硬度など諸性質の向上に欠くことのできない重要な金属で、粗鋼生産の際、マンガンの中間
製品であるフェロマンガン(高炭素および中・低炭素)やシリコマンガンの形で,脱酸・脱硫剤として必ず添加される。・・・・」

これでは難し過ぎて私には理解できない。もっと簡単に説明した物はないかと探すと
 「マンガン鉱は銀鉱山や銅鉱山で副産物として産出する。」 とか 「マンガン鉱の色味が美しいものは半貴石として宝飾用途や収集
目的で取引され、珍重されている。」
ともあるが、一方で 「空気や湿気によって酸化しやすく、屋外に置いたり、特に雨に打たれると
黒色化しやすい。硬度が低く、脆く、壊れやすいのも特徴であり、この観点から宝飾用としても装身具には向かない。」
などがあった。

 これでも理解できないが、この鉱山では江戸時代には銅を目的にの採掘していたが含有量が少なくて止めて、大正時代に入ると
今度は銅ではなくマンガンを求めて採掘を始めた。この採掘が装飾品を目当てにしたのか、金属を求めたのかも分からない。
しかも精錬もしないで持ち出している。これはマンガンの含有量が多かったからなのだろうか? 含有量が少なければ輸送費が
掛かり過ぎて、更に採算が合わないのではないのか。疑問ばかり湧き出てしまう。

 採掘が終わったのが昭和初期なら、まだ当時の事を知っている人がいるのではないか。せめてその時に掘りだしたマンガンは、
装飾品目的なのか、何の材料だったのか、例えばマンガン電池の材料だったのかを案内板に書いてくれると更に興味が湧くだろう。

 案内板を読み終えて登山道を進んでいくと、廃坑らしき穴があった。特に案内は無かったが多分廃坑跡なのだろう。
この中に蝙蝠がいるのかと思うと気味が悪く、とても中を覗く気にはならない。

 
         長塚峠展望台?(町民いこいの森)                           ビク石が見えた

 尾根筋に出るとパノラマコースは左に進むが、右にも薄い踏み跡がある。若しやこれが朝比奈山に続く道かと思ったが、その方向は
低くなっていて、先の方もここより標高が低そうだ。
朝比奈山はパノラマコースから外れているが、“雪月風花” のittaさんのブログに、三角点のある青羽根山が紹介されていたので、
行ってみる気になっていた。しかし右の稜線側は低くなっているので朝比奈山ではないと、左方向に進む。、

 広場にあった株立ちに木の幹に 「町民いこいの森」 と書かれた古い看板があったが、ガイドマップにはそのいこいの森の表示は
なく 「長塚峠展望台」 と表示されている所だろう。
長塚峠?そうだ長塚石と同じ長塚だが、これは名字なのだろうか? 富士川の戦場から逃げてきた長塚何某が、大石の穴に隠れた
あと、この峠を越えて更に山深く逃げて行ったのだろう。それで “長塚” なのだろうと勝手に解釈。

南の方向に三つの丸いピークが見えるが、これから行くビク石はこの辺りで一番高い山なので、あの三つ目のピークがそうなのだろう。
青羽根からは簡単に行けると思っていたが、見る限りでは遠くに見える。
ここでガイドマップを取り出したついでに青羽根山の位置も確認すると、何と何とこの辺り標高より低く、先程の稜線に出た所を右に
行く方向だった。。ブログを見た半年前に印を付けておいたが、肝心の歩く頃に確認してないのだから呆れてしまう。
それからこの辺りではビク石が一番高いといったが、今いる所は標高が560mもあり、ビク石より30m高かった。
するとビク石と思ったピークはこちらよりも高く見えるので、どの山がビク石なのか自信が無くなってしまった。

 
                ちびっ子広場?                                 ちびっ子広場?  

 場違いな所に広場が出てきた。表示板はあったがすでに表面は朽ち果てなんて書いてあるか分からない。使えるかどうか分から
ないがトイレらしい物やベンチもあったので多分そうだろう。
それにしても昔のちびっ子はこんな山の中に来て遊んだのだろうか。いや遊びに来ると思ったのだろうか?

 
                 麦地峠                                      遠くの紅葉

 麦地峠からは南の景色は樹木が伸びて隠されていたが、北の方向は開けていた。山は見ているが名前も知らない近い山ばかりで
余り興味も湧かない。ただ条件さえ良ければここから富士山が見えるのかもしれないな。
確かコース入口の案内板に “富士山ビューポイント” の表示があったので。

 
                林道合流                                 コスモス峠(ビク石分岐)

 見学したり、イチャモンを付けたりしながら歩いていたので、疲れも感じないで山道は終り林道に出てしまった。
あとは林道を青羽根まで歩けばパノラマルートは終わりになる。ところで何が、何処がパノラマだったのだろうか?
前回の山行が本栖湖のパノラマ台だったので、ここも若干の期待もあったのだが・・・・・
ここなら同じ山域の椿山の方が余程もパノラマに相応しいと思う。

 コスモス峠? 止めましょう。下に見える三叉路を直進していけばビク石に向かうようです。

         
             リンドウ                       公孫樹                      ?

 三叉路を直進してビク石に向かうか、それとも右折して青羽根まで戻るか若干悩みました。このコースが市の認定コースでなければ
びく石に向かってしまうが、紹介する以上何があるか分からないのでと10分かけて舗装路を下りました。

 青羽根集落の三叉路に11時20分に到着。パノラマコースを1時間40分で一周してきた事になる。
これなら一応は健脚に属する。と、ニヤニヤする子供です。全く。
オットもう一点、案内板には “富士山ビューポイント” の位置が、ちびっ子広場よりマンガン鉱方面の尾根に書いてあるので
多分 “町民いこいの森(長塚峠展望台)” がそうだと思われます。自信はないが。

本栖湖一周・竜ヶ岳3

2016-11-12 10:56:17 | 低山歩き
歩行記録   H28-11-6(日)
歩行時間:7時間40分   休憩時間:1時間50分   延時間:9時間30分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時30分
歩  数: 31、232歩(推定距離23.2km)    GPS距離16.5km
行程表
 本栖湖P 0:20> パノラマ台入口(本栖隧道前) 0:50> 烏帽子岳 0:15> パノラマ台 0:50> 中之倉展望地(分岐・峠) 0:55>
 中之倉山 0:25> 佛峠 0:25> 湖畔車道合流(憩いの森キャンプ場) 0:15> 竜ヶ岳登山口 1:05> 端足峠 0:55> 竜ヶ岳
 1:05> 湖畔車道 0:20> 本栖湖P

          
                  竜ヶ岳登山口(端足峠側)                          竜ヶ岳への標識

 湖畔の車道を15分も歩くと道がカーブしている所に標識が見えてきた。どうやらあそこが竜ヶ岳の登山口らしい。
標識には竜ヶ岳までは2時間となっているが、道々眺めた竜ヶ岳は高草山程度の山に見える。
標高は竜ヶ岳が1485mで本栖湖が900mなので標高差は585mと500mの高草山より2割程度高いが大した事はなさそうだ。
今日はここまで快調に歩いて来たが、ここで疲れを取っておこうと10分余も腰を下ろして休憩をした。

          
                  最初の林道分岐                                 注意書
                      
 林道を歩きはじめると平らに延びる道と山に登る道が分岐していた。雰囲気的に峠は真っすぐ延びる道だが少々不安になった。
実は登山口を歩きだしてからすぐの所に標識が建っていたが、意識せず真っすぐの林道を来てしまった。
若しかして上に延びる道が端足峠に行く道だったのかと不安を感じ始めたのです。
だが平らな林道の先には道の脇の太い木にピンクのテープを巻いてあるのが見える。あのテープは道案内のテープだろうか?

 以前塩の道の分岐で、ここと同じように太い木にテープをピシッと巻いてあった場所に遭遇した。その時はテープを道しるべ
だと判断して登って行ったのだが、そのうち同じテープが林の中の木にも巻いてあるようになった。
どうやらこのテープは道しるべではなく、伐採予定の木の印のようだったので慌てて引き返したことがある。
それ以後、太い木にテープがピッシと巻いてあるものは疑問を持って眺めるようになっていた。

 ここのテープもピッシと巻いてあるのでその疑いが強い。ここで道を間違えた大変だと、さっきの標識まで戻ることにした。
戻った標識は何の事はなく、上に行く道には “本栖湖湖畔歩道” とあり、平らな林道側には “端足峠・竜ヶ岳” となっていた。

 分岐までに戻り一先ずテープまで行ってみようと歩いていくと・・・ 何だぁ道の反対側には標識が建っていた。
ホッとすると同時に少々腹も立ってきた。この標識を分岐に建てれば誰もが安心て歩けるのに、と。

 ピシッと巻かれたテープはその後も道脇に出てくるので、どうやらこれは目印なのだろう。更に進むとまた道は分岐していて一方の
先に何か紙が貼ってある。近づいて見て見ると
 「登山者の皆様に 登山道は、立木にピンク色の樹木テープが巻いてある所がルートになっています。」 と親切に書いてあった。
でも、でもですよ。この注意書きを竜ヶ岳の登山口に貼ってあれば何の問題もないのに、と思うのは身勝手でしょうか。

 
               やっと竜ヶ岳が見えた                                 端足峠

 山道に入ると下に見える本栖湖が右に見えたり左に見えたりしながら高度を上げていく。峠に行くにしては中々厳しい登りが続く。
私の想像では佛峠とこの端足峠は朝霧方面と本栖を越えて下部に通じる旧道だったのではと思う。
今は石仏は見当たらなかったが “佛” という旧字体を使ったり、端足はどう読めば分からないような峠名だったりするのが根拠だ。
そうそうその端足峠だが、初めは適当に “たんそくとうげ” と読んでいた。それが標識のローマ字表記には “hasita toge” となっていた。
端足峠を “はした峠” とは中々読めませんよね。いや短足な私には全然読めなかった峠名でした。

 更に今日見た標識で読めなかった地名に釜額と三方分山があった。釜額には矢張りローマ字表記があったので “かまびたい” と
分かったが、三方分山の標識にはローマ字もカナも無かったので読めなかった。この標識のあった場所はパノラマ台を過ぎた精進湖
への分岐にあったので御坂山地にある山なのだろう。と地図で確認して場所は分ったが読みは分からなかった。
ネットで検索して “三方分山(さんぽうぶんざん)” だと分かったが、最初は三方五湖の影響で “さんぽう” とは読めませんでした。

 登山口までの快調さが嘘のように疲れが出てきた。確か峠までは50分とあった筈なのに50分過ぎても峠らしき雰囲気はない。
それに下の方では3組のハイカーとすれ違ったが、そのあとハイカーに会っていない。
道は鞍部を目指す感じではなく山頂を目指しているような道が続いている。まさか雨ヶ岳への道に迷い込んだのかと一瞬思ったが、
そんな訳はない、分岐場所は無かったし、道はしっかりと太い道だ。

 登山口から丁度1時間ほどの所で正面に竜ヶ岳と思われるとんがり帽子の山が見てきた。
しかし変だな? 今いる場所は竜ヶ岳の鞍部より高い所まで上がって来ている。峠は鞍部にある筈なのに変だなぁー?
またもや不安の芽が醸し出したその時、茶色の標識が目に飛び込んできて、そしてその先には色こそ違えど竜ヶ岳と同じような
とんがり帽子の富士山が見えていた。

 
               端足峠の紅葉                                  端足峠の裸木

 フ~標識にあった50分を越えて1時間5分も掛かってしまったが、何とか端足峠に到着。ウーン!疲れた。
端足峠は尾根伝いに東西に竜ヶ岳と雨ヶ岳を結び、峠道は南北に富士宮市根原と本栖湖を結んでいる。ただ峠の場所は竜ヶ岳と
雨ヶ岳の鞍部ではなく、雨ヶ岳側に少し登りかけた所にあった。きっと鞍部の沢が急峻かどうかで峠にならなかったのだろう。

 ここからが今日本来の目的の霧氷見学のコースになる。
霧氷コースは本栖湖-石仏-竜ヶ岳-端足峠-根原を考えていたので、当初は端足峠で時間が有ったら根原側に少し下って
みようと思っていた。だが今は疲労困憊でとてもそんな気は無くなっている。
マー東海自然歩道に行く道だから、しっかりしているだろうと思う事にする。

 端足峠で座りこんで休んでいると雨ヶ岳の方から60代と思しき男性が下ってきた。何処から来たのか尋ねると
 「竜ヶ岳から雨ヶ岳をピストンする予定だったが、疲れたのでここから下る」 と言っていた。
雨ヶ岳の道を聞くと 「上りは良いが下りは危ない所が何カ所かあった。」 だそうです。やはり私には無理だ。

 
              竜ヶ岳中腹から                                  雨ヶ岳

 竜ヶ岳と雨ヶ岳の鞍部は笹が広がった広い所で危なそうには見えない。下る道があるかと眼で探したが分からなかった。
鞍部は安全そうでも下ると危ない所があるのだろう。
富士山が大きく見えてきたが、既に12時を過ぎているのでスッキリとは見えない。それに天子山地から見る富士山は、正面にドカンと
見え過ぎで余り好きな富士山ではない。と贅沢を言えるほど今日は富士山が見えていた。
後ろを振り返ると雨ヶ岳が見えるが右の鞍部が佛峠だろうか? 良く分からなかった。

  
                リンドウ                                     もうすぐ山頂

 笹原を切り開いた登山道脇に小さなリンドウが咲いていたが、貴方はリンドウの花の色を聞かれたら何色と答えますか?
青色とか、紫色、両方を合わせた青紫色が多いと思いますが、私は濃紫(こむらさき)と答えたい。
何故か。それは、🎶 リンリン りんどうは濃紫 ♬ と歌う島倉千代子の “りんどう峠” が若いころ流行ったからです。
ここまで書いたなら序に蘊蓄も。
リンドウは漢字で書くと 「竜胆」 竜の胆と書くが、これはリンドウの根の部分を噛むと、熊の胆より苦いそうです。
その苦さが最上級と言いたいがため、最高の生き物とされる竜を引っ張り出し、その胆と同じくらい苦いといとして “竜胆” と書く
ようになったとか。また “リンドウ” は “竜胆” の音読みの “りゅうたん” がいつの間にかに 「りんどう」 になったとか。本当かな。

 ようやく山頂に近づいた感じの景色になってきたが、確か標識には峠から1時間10分で山頂とあった筈だ。それがまだ40分も歩いて
いないのにもう山頂? イエイエ笹原になってからが山頂までが遠かった。普段なら軽い傾斜の歩き易い道なので快調に歩けそうだが、
今は端足峠までの疲れが残っていて四苦八苦の状態。早く山頂よ来い、と祈りながら歩いた。

          
                      山頂広場                                   山頂標識

 峠から55分掛かり1時15分に竜ヶ岳山頂に到着。標高1485mで本日の最高峰だが三角点は無い。
山頂広場には大勢の人が休んでいてベンチには座れない。とは云え段差のない地面に座るのは苦手な私は、周りを見回したが
適当な場所は無かった。と、隅の方で数人の人が寝転んでいるのが見えた。シメタとその近くに行って恥も外見も無く横になって
しまった私です。何とも情けない話です。
しばらく横になって休んでいると隅のベンチが空いたので移動して残りの昼飯を食べたが、それにしても疲れた。
だがそれにしてもおかしい? 峠から山頂までが1時間10分の所を55分で歩いた事になるが、その時の歩きは疲れ果てたヨロヨロ
歩きに過ぎなかった。それが標準より速かったとはとても思えない。ここの標識の時間が遅い設定なら、登山口から端足峠までは
50分のところを1時間5分も掛かっているのが理解できない。正に???でした。

 山頂からの景色は富士山側は見えているが、今日歩いて来た本栖湖側が全然見えなかった。この先見える場所があるのだろうか、
是非とも本栖湖とその周りの山々を見て見たい。

 
                 八ケ岳                                       笹 原

 山頂で25分も休んで歩き出すと、アレ-元気が戻っている。道が下り坂になったのもあるが、普通に歩けて何組かのグループを
追い抜く事も出来た。
八ケ岳らしきものも見えたが霞んではっきりしない。笹原の向こうに雪山らしきものも見えるが何処だろう。
それにしても竜ヶ岳は名前に反しておとなしくなだらかな笹山だ。これで霧氷は何処に付くのだろう? だいたい霧氷の付く木が無い。
竜ヶ岳の霧氷は昨年ブログの写真で見てあの山ならと、こうして下見に来たのに肝心の霧氷が付く木が無いなんて・・・・・
私が何処かの山と勘違いしたのだろうか変だなぁー。


                       本栖湖と歩いた稜線。その奥に御坂山地

 本栖湖が見える場所に来て気が変わった。このまま木のない笹山を歩くより今日歩いた稜線を一望できる場所に行ってみたい。
それにはこのまま笹の尾根道を石仏の方に下っても富士山は見えるが本栖湖側は見えないかもしれない。
富士山も霧氷ももうどうでもいい。それより稜線の一望だ。確か途中から湖畔に下る道があった筈だ。

 
              石仏・湖畔ルート分岐                              何キノコ?

 山頂から8分ほどの所に石仏と湖畔への分岐がありそこを下りだす。少し下ると林になったがここに霧氷が付く?って感じ。
道は笹の所より急になったが、この際長い道を歩くより少しでも短い方がありがたい。
だが林の中の道で景色は見えそうもない。どうやら湖畔まで下らなければ今日歩いた稜線は見えそうもない。

 
               下りの雑木林                                   湖畔に着いた

 佛峠からの下りも長かったが、ここの下りはもっと長く感じた。竜ヶ岳の標高は1485mなので、そこから本栖湖の900mまで
500m以上を下るのだから長くて急に感じるわけだ。ただ道は整備され歩き易かったが最後には飽きてしまった。
高草山と同程度だろうと甘く見ていた事を反省した。

 登山道が太め目の遊歩道に合流したが、このまま遊歩道を行くと湖畔に出そうもない。それでは稜線一望が出来なくなってしまう。
エーイいいや。と遊歩道を突っ切り私有地ぽい草原を湖畔に向かった。その出口には鎖で封鎖されていたが鎖を跨いで車道に出る。
車道の先は廃車のバスが置いてあり、その中には人の姿もも見えていた。湖畔の入口には “釣船専用駐車場” とあり、湖畔には
何艘ものボートが船腹を上にして置いてあった。
注意されたら注意されただ。とそのまま湖畔に向かった。


                                 良く歩いたなぁ~

 どうですか、佛峠までは見えなかったが午前中に歩いた山波です。歩き終わった場所をこうして眺めるのが大好きで、歩いて来た
事を色々思い出しながら満足感に浸ります。
今日歩いたコースは今までの歩いた低山の中でも最高の部類に入るコースだと思う。眺めも良し道も良し距離も良かった。
今日のコースを簡単に説明するなら、
湖畔から烏帽子岳、パノラマ台、お札の展望台、湖畔までは誰でも歩ける初心者コース。
更に展望台から中之倉山、佛峠を越して湖畔に出るコースは薄い踏み跡を苦手としない人向きの一般コース。
私が歩いた端足峠、竜ヶ岳、湖畔コースは健脚コースになるだろう。
そして佛峠から雨ヶ岳を越えて竜ヶ岳に至るコースは、ベテランでしかも豪脚の持ち主か歩けない特別コースだ。
紅葉はもう過ぎているが、これからは雪を被った富士山が見える時期です。ここを歩いていない方は一度歩いてみてください。

 湖畔に出てからはもう完全に終盤モードのダラダラ歩き。車を置いた駐車場に着いたのが3時30分で、歩きだしから9時間30分
過ぎていた。最近の私の足では10時間は掛かるだろうと思っていたのでまずまずの歩きだった。
満足感一杯で帰路についたら、国道も新東名も紅葉狩りの車で渋滞の連続。行きの倍近い時間でようやく家に到着。車は嫌いだ!


(竜ヶ岳登山口からの標識と自分の歩行時間に納得できず調べてみたら、何の事はなく私の勘違いだった。
登山口の標識は 「竜ヶ岳2時間 端足峠1時間10分」 とあったのを、私は竜ヶ岳までを1時間10分、端足峠までを50分と思い込んで
いたのでした。結局私は 「端足峠1時間5分 休憩10分 竜ヶ岳55分」 の計2時間10分掛かっていました。)

本栖湖一周2

2016-11-10 11:14:17 | 低山歩き
歩行記録   H28-11-6(日)
歩行時間:7時間40分   休憩時間:1時間50分   延時間:9時間30分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時30分
歩  数: 31、232歩(推定距離23.2km)    GPS距離16.5km
行程表
 本栖湖P 0:20> パノラマ台入口(本栖隧道前) 0:50> 烏帽子岳 0:15> パノラマ台 0:50> 中之倉展望地(分岐・峠) 0:55>
 中之倉山 0:25> 佛峠 0:25> 湖畔車道合流(憩いの森キャンプ場) 0:15> 竜ヶ岳登山口 1:05> 端足峠 0:55> 竜ヶ岳
 1:05> 湖畔車道 0:20> 本栖湖P

          
              超ミニ岩場                                佛石?

五千円札(千円札)の展望台が立入禁止なのに、どうやって写真を写したかって?
深く追及はしない。 自己責任ですよ。自己責任!

 展望台までの道はハッキリしていたが、そこを過ぎると踏み跡が薄くなってきた。早速本栖湖側に下る鉄枠の横の踏み跡に
向ってしまったが、よく見ればこれはモノラックのレールだった。
オッといけないと向きを右に移動して、尾根筋についている踏み跡を下る。
踏み跡は時折薄い所もあるが、一番高そうな所を歩いていていれば、また踏み跡は出てくるので特段の不安はない。
写真のような岩場紛いの場所もあって楽しみながら歩く事が出来る。

 佛峠と書かれた標識はここまでにもあったが、ここの標識の先にはお地蔵さんが立っていると見紛うような石があり、てっきり
ここが峠かと思ったら仏とは関係ないただの石だった。

 パノラマ台を過ぎてから人に会っていない。紅葉の時季の日曜日、しかも展望も良く歩きやすいコースなのに何故だれもいない
のか? パノラマ台では何人もいたが、そこから先は展望のない長い下りが続くので人気がないのだろうか。
しかし少し我慢すれば “お札の展望台” があるし、ここまで歩けば湖畔に下ることもできる。勿体ないなー。

     
            標識1                      マムシグサ                     標識2

 ここのコースの標識は、写真のような標識が建っているが、中には “登山道” とあるだけの物もある。
それでもあれば、ここが登山道だと確認できるが、やはり前後の行先が書いてある方のが安心する。

 
                                       石割ブナ?

 石の間に根を下ろして成長した木は今までにも見た事があるが、写真のように水平の石の間に根を張って伸びた木は初めて見た。 
この石割ブナの場所も自然林の中の尾根道で歩いていて気持ちが良い。
そう云えば今日は歩き出してから全て自然林の中を歩いている。これが静岡県なら植林された造成林のオンパレードだ。
この違いは県民性か?それとも終戦時の県の方針の違いか? 
そうか戦時中に空襲で被災した都市の多い静岡県は、復興のため木材の需要が多く、植林できる場所は所構わず植林したのだ。
一先ずそうしておこう。

 
                共同アンテナ?                                中之倉山

 朝が早かったので大分腹が減ってきた。時間的には中之倉山にはまだ着きそうもないので、丁度見えてきたピ-クに着いたら
昼飯にしよう。なんて思って歩いてピ-クに着くと、少し上にも次のピークが見える。エーイ序だと次を目指すことに。
ピークに近づくと踏み跡が尾根を外れて左側に続いている。ここで間違えてもたかが知れていると踏み跡を辿っていくと、木の間から
パイプを組んだ枠が見えてきた。何だろうと近づくとどうやらテレビの共同受信アンテナの様だった。
だが、アンテナがVHFの長いアンテナなので今は使っていないのかもしれない。
前方を透かして見ると竜ヶ岳が見え、その横に半分隠れた富士山が見えていた。

 9時40分中之倉山に到着。標高1247m三等三角点 “中之倉” が設置されている。ここにも白い杭は無い。
展望も効かない山頂で、今までの標識に中之倉山と書かれてなかったのが理解できる感じだ。
この印象も薄く人気もなさそうな山で昼飯とした。

 
               モグラの道案内                               本栖湖への分岐

 中之倉山から10分も下ると、踏み跡は左に下る向きになった。少し心配で尾根筋を見たが急斜面の下りで踏み跡らしきものもない。
左の踏み跡の周囲には、猪が蚯蚓を捕食して掘返した跡が、まるで道案内のように続いていた。
この山以外でも山道を歩いていると道沿いに猪が掘返した跡を見かけるが、踏固められた固い場所を何故掘返すのだろうか?
人が歩くと人の匂いがして蚯蚓が多い? 聞いたことはないな。でも何故だろう?

 山頂から20分ほどの所に、本栖湖畔にある “いこいの森キャンプ場” の分岐に出たが佛峠はまだ先だった。
一瞬ここから下ろうかと思ったが、佛峠の “佛” の文字が気にかかる。文字も旧字体なのだから昔からの峠で、石仏が祀ってあると
思う。なら行かなければ後悔をしそうだ。

          
            雨ヶ岳の階段                                   佛 峠

 分岐からまた10分も歩くと峠らしき鞍部が見えた。鞍部の先は急な上り坂になっていて階段が見えている。
あの階段を上るのは嫌だなーと感じながら下ると、杭の道標に 「佛峠」 とあった。アー助かった。
杭には左が “本栖湖ニ至ル” 、右に “釜額ニ至ル”(かまびたい) 、北の尾根側に “佛峠 標高1130米” と書いてある。
そして正面の階段側はと見たが行先は書いてなかった。いつもならこの先は何処かな?と思うだけで終ってしまうが、今回は事前に
ittaさんのブログで得た予備知識がある。この階段の先は雨ヶ岳に通じているので、雨ヶ岳から端足峠に出て竜ヶ岳に向えば、車道を
歩かないコースが設定できるようだ。
そのブログを読んだときは一瞬その気になってしまったが、すぐ冷静になり、雨ヶ岳に行かなくても竜ヶ岳に登れるか不安な者が、
考えるだけでもおこましいコースだと気がつきました。

 さて問題の石仏だが付近を探したが見当たらなかった。実は竜ヶ岳を下って湖畔で出会った地元の人に佛峠のことを聞いたら
 「佛峠の付近は、昔は金が取れたので人が集まってきて、この辺りは 「本栖千軒」 と云うほど賑わっていた。」 と教えてくれた。
 “本栖千軒” とは聞いたことがあるが再度調べてみると
 「富士山では金(黄金)が採れた。それもかなり大量にだ。
俗に、「富士金山」 と呼ばれたのは、甲斐と駿河の国境、本栖湖の西にある山々だ。ここには竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山、長者ヶ岳、
天子ヶ岳と、山々が峰を連ねている。この峰はさらに本栖湖の北に回り込む御坂山地につながっているが、じつはこの両山岳地帯の
古生層に、砂金の大鉱床が眠っていたのである。
全盛時にはかなり景気も良かったようで、金掘りの家が1000軒もひしめきあっていたといわれているのが、「本栖千軒」と呼ばれた
金山だ。」
(富士山の秘密がわかる本)
成程と納得できる話と共に、こんな説もあった。
 「千年以上も前から、甲斐の古道に発展した本栖の宿場、「本栖千軒」。 この古道は、源平の富士川の合戦の際、武田信義らの
甲斐源氏一族も利用したといわれています。 そもそも、本栖という地名は人々の生活の根拠地の意味があり、往還の宿場として
栄えていた歴史を物語ります。 夏でも涼しいので、生鮮魚介類を運ぶ「魚みち」として明治以降まで賑わいました。」

サー貴方ならどちらの説をとりますか、私なら・・・・・・・・・・・

 ついでに 「本栖」 の語源については、こんな話もありました。
 「富士山の噴火で下部村に避難していた村人が、噴火も治まったので村に戻ってみると、湖には魚が泳ぎ、山には獣がいるのを
見つけ、ここに住みつく事を決意し、元の巣に帰ってきたので、村の名も「本栖」と改めた。」
のだそうです。

 峠の話がとんでもない方向に行ってしまったのでこの位で止めます。ともかく峠には “佛” を示す物は見当たらなかった。

 
                 少し黄葉                                  何でしょう?

 峠を下りだすと先程の分岐の標識から下ってきた道に合流した。ここには何の標識も無く、これではこちら側から登ると佛峠には
行きつけないかもしれないな(尤も地図を持っていればそんな心配はないだろうが)。

 今日も紅葉には恵まれなかったが、この辺りには黄葉が少し残っている感じだ。でも左程の物ではない。
 道に落ちていたこの標識?は、ここまでも何カ所かにあったが一体何なんでしょう? 鳥、月(日)、富士の三題噺の道しるべなのか?
何かの行事で使った物だろうが、意味が分からなければゴミでしかない。主催者は行事が終われば片づけるべきだ。

 佛峠の標高が1130mとあったが、本栖湖の水面は900m。となると230mの下りなのだが、いささか飽きてしまった。
途中のまだ成長していない桧林に 「赤松 11600本 昭和44年4月30日植付」 とあったのを見つけ、付近を見回しても細い桧が植林
されているだけ。変だなーと思い桧林の中をよく見ると直径30cm以上はありそうな松の木が所々に生えている。
昭和44年なら既に50年近く経っているのであの松がそうだろうか? それにしては1万本も植えたのに少なすぎる。多分植林した
赤松は殆どが枯れてしまったので桧を植え直したのだろう。いや成長した赤松を伐採した跡に桧を植えたのだろうか。
などと暇っ潰しなことを考えながら下った。

 
            いこいの森キャンプ場                                車道合流

 ようやく建物の近くに来た。道が何本かあるが下りなら標識が無くても湖に出さえすれば車道に出るので困る事はない。
だがここを佛峠に向かう時は悩むというより困るだろうな。あの家に人がいれば聞く事も出来るが、いないとなるとどうするだろう。
こういう所はたとえ地図を持っていてもどうしょうもないだろうから、一周コースを歩くなら時計の逆回りの方がよさそうです。

 写真に写っている家の間を下ってきたのだが “いこいの森キャンプ場” に人影はなかった。レンタサイクル用の自転車が何台も
置いてあるので廃業とは思えないが、この紅葉の時季の休日に休業とも考えられない。
(後でHPを確認したらしっかり営業していました。)


     **********************************************************
 今回で終わらせる予定が、妻から 「温泉に行こう」 と誘われて袋井の温泉に行くことに。なのでお後は “つづき”です。


本栖湖一周 1

2016-11-08 09:16:15 | 低山歩き
歩行記録   H28-11-6(日)
歩行時間:7時間40分   休憩時間:1時間50分   延時間:9時間30分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時30分
歩  数: 31、232歩(推定距離23.2km)    GPS距離16.5km
行程表
 本栖湖P 0:20> パノラマ台入口(本栖隧道前) 0:50> 烏帽子岳 0:15> パノラマ台 0:50> 中之倉展望地(分岐・峠) 0:55>
 中之倉山 0:25> 佛峠 0:25> 湖畔車道合流(憩いの森キャンプ場) 0:15> 竜ヶ岳登山口 1:05> 端足峠 0:55> 竜ヶ岳
 1:05> 湖畔車道 0:20> 本栖湖P


                             夜明け前の富士山(朝霧高原)

 霧氷が手近な愛鷹の越前岳や本栖湖の竜ヶ岳で見えると聞いて一度は見て見たいと思った。
だが私の車にはスノータイヤもチェーンも無い。となるとバスを頼るしかないが、越前岳の登山口十里木にはバスの便が無い。
一方竜ヶ岳には富士宮駅からバスの便があるので何とかなりそうだと思っていた。
それにしても雪のある時期に一度も歩いていな山に入るわけにはいかないと、雪の前に竜ヶ岳の下見をすることにしました。

 霧氷見学のコースは既に頭に描いてあり、国道139号の “本栖入口” でバスを降り、本栖湖湖畔から石仏経由で竜ヶ岳に登る。
帰りは端足峠から静岡県側に下り “根原” バス停に戻る予定だ。
ただ今回の下見で同じコースを歩くにしても、このコースでは距離が短く他県までわざわざ足を延ばした甲斐がない。
それなら以前から考えていた本栖湖の周りの山を歩く 「本栖湖一周」 をやってみる事にしました。

 コースは本栖湖P-烏帽子岳-パノラマ台-中之倉岳-仏峠-湖畔車道-端足峠-竜ヶ岳-本栖湖Pとしたが、距離はともかく
結構時間が掛かるようで、私が参考にしたネットには7時半に本栖湖を出発し、半周回って最後の竜ヶ岳登山口に着いたのは2時で
6時間30分掛かっていた。
ネットの人はそこから竜ヶ岳に登ると駐車場まで4時間は掛かるとみて、竜ヶ岳は諦め湖畔の車道を歩いて駐車場に戻っていた。

 なら私もこの登山口を最後の関門として、ここに1時までに到着しなければ竜ヶ岳を諦める事とし、それから出発時間を逆算して
6時30分とした。そうなると家から本栖湖までは新東名を使っても2時間程度は掛かるので、家の出発を4時とした。

 天気は最高。今日のコースは富士山がメインだが、その本命もバッチリ見えている。幸先良さそうだ。


                      パノラマ台入口付近の本栖湖湖畔から(右端は竜ヶ岳)

 本栖湖の駐車場に5時50分に到着。
パノラマ台の登山口までは車道を歩けば近いし楽だが、平地から見る本栖湖と富士山を見たくて、湖畔を通る東海自然歩道の
標識に従い遊歩道に入ったが、その思惑は成功した。

 
                パノラマ台入口                              烏帽子岳の道

 東海自然歩道が車道に合流した所にバス停 “北の山” があり、そこからも樹林の中に道は続いているが、烏帽子岳には次の
バス停 “本栖隧道” の所から入った方のが近いようだ。入口には大きな看板もある。
イラスト部分が外れ落ちた看板と標識の所で東海自然歩道と別れ、烏帽子岳は左に鋭角に曲る。
大きく九十九折に登っていく雑木林の道は、枯葉も柔らかく歩き易く思ったより容易に烏帽子岳山頂に着いた。

        
                   烏帽子岳の三角点                           烏帽子岳のNHKのアンテナ

 標高1257mの烏帽子岳山頂には三等三角点の 「烏帽子ヶ岳」 があったが、三角点に付き物の白い杭は見当たらなかった。
その隣のNHKのアンテナ塔はあまり高くなく小型なアンテナ塔だが、これが思いのほかに竜ヶ岳や本栖湖畔から良く見えて
場所の確認に役にたった。

 
                 ススキと富士山                             御坂山地と西湖

 こんな景色を独り占め。誰かが “富士には月見草が似合う” と言ったが、ススキも似合っている。
御坂山地の下に湖が見えているが多分あれは西湖だろう。もっと近くに精進湖もある筈だが木などに邪魔され見えなかった。
その方向に下る道が付いているが、これが湖周りの尾根の道だろうか? それにしては向きが違うと方位磁石で確認すると。
えー!富士山が南にある。そんな馬鹿なと再確認しても南で、西湖は西の方角だった。
頭で考えると富士山は東か北の方角にある筈で、南にあるとは考えにくいが、地図を持っていない悲しさで確認をしようがない。
で、私の進む道はこの西への下り坂? 方角はともかく西湖の方に向かって下るのはおかしい。と更に道を探すと、登ってきた道と
反対側の北に延びる尾根道があった。北に延びる道が一周コース?と思うもののこの道しかなさそうだ。
標識はないがこんな事で悩むのは私ぐらいなものだろう。情けない。
 (家で地図を見れば何のことはない。ここは山梨県で富士山より北に来ているので、富士山は南か東に見えるのだった。)


                  パノラマ台                             御坂山地と西湖・河口湖

 烏帽子岳を出ると正面に小高いピークが見えた。あれがパノラマ台かと覚悟を決め鞍部に行くと、道はピ-クを避けて左に向って
行く。二つ目のピークのコルに着くと今度は道はピークに向かって行く。いつかはピークに行かなければならないので早く登った方が
良い。それにしてもここの道も烏帽子岳への道と同じように、自然林の中の明るく歩きやすい道だった。

 パノラマ台も思ったより容易に到着。山頂の標高は1328mで烏帽子岳より高いが三角点は無かった。
山頂には早くも2組の男女のパーティーがいたが、その内に次々とハイカーが来る。それも私が歩いて来た道とは逆からだ。
この人たちは私とは逆方向の本栖湖一周をやるのだろうか? それにしても登山口は何処だろう? 途中に中之倉峠があったが
そこから登ってきたのだろうか? 理解はできなかったがそのままに。中之倉峠に行けば分かるだろうと。

 富士山のパノラマ台は、ここと山中湖のパノラマ台の二つがある。山中湖の方は “富士山麓道” で歩いた時に寄った事があるが、
眼下に山中湖が見え、その横に聳える富士山の景観は見事だった。それを見ているのでここのパノラマ台の景色に興味があった。
で、感想は・・・・・


                                子持ち富士(大室山)と富士山

 富士山が子を抱いているように見えるということで「子持ち富士」と呼ぶそうです。
フーンという感じ。


                                御坂山地と精進湖

 烏帽子岳では分からなかった精進湖が、こんな近くに見えていた。

 
                精進湖への分岐                            ここも気持のよい道

 パノラマ台を出てすぐに 「精進湖」 の標識があり、さらに2分も行った分岐に 「三方分山・精進湖」 の標識があった。
道はそっちの方が太くてはっきりしていて、下から登ってく人もいる。どうやらパノラマ台に次々と登ってきた人たちは、ここから来た
ようで、多分本栖湖一周はやらないのだろう。

 これから行く一周コースは、標識の 「下部町」 の方に行くしかないが、下部町ではなんとも分からない。そのためか新しい標識が
建っていて 「見延町中之倉」 とある。更にその下には 「千円札の逆さ富士展望地」 ともある。
そう云えば本栖湖にはお札の図案になった場所の展望台があると聞いた事がある。果たして今日その場所を通るのだろうか。
縦走路に面していれば眺めてみたいが、離れていたらどうしよう? 俺の事だ多分行かないだろう。

 ここからの道も気持よく歩きやすい道が続き、しかも下り坂ときている。
最近は歩き出しからだるさをを感じ、不調の歩きが多かったが今日はすこぶる快調だ。その原因らしき事が一つある。
私は古希を過ぎた今になっても初めての所に行く前日は、その期待と不安で 「遠足の前の日」 状態が続いている。
前回の大谷嶺も殆ど “起きては現 寝ては幻” 状態で一晩過ごしたための不調ではないかと考えていた。
そこで今回は寝る前に睡眠導入剤を服用してみると、結果は大成功!で、目覚ましが鳴るまで熟睡する事が出来た。
マーそんな事も快調の原因なのだろう。それに今日は肌寒いのも良いのだろう。

 
                本栖湖への分岐                                中之倉峠

 思ったより長い下りが続き、今に湖畔に降りてしまうのではないかと心配になるくらいだった。
ようよう湖畔への道の分岐に着いた。そこの標識には 「千円札逆さ富士の展望台」 の案内と、上には 「中之倉峠・佛峠」の表示に
なっていた。
そうですよ、こうじゃなきゃぁ山の標識はね。さっきの下部町とか身延町中之倉では正直分かりにくい。

分岐から少しの登った所に 「中之倉峠」 の小さな標識が取り付けられていて、その峠名の下にこんなことが書いてあった。
 「(奥)旧五千円札の富士山撮影場所」 エーェ! チョッと待った。下の標識は五千円札だったのに、ここでは千円札になっている。
果たしてどちらが正しいか楽しみが出来た。それにしても最初に書いてある(奥)とは何だ? 奥にその場所があるということか?
ならこの尾根筋に展望台はありそうだ。最初良ければ全て良しだ。

         
                   南アルプスが見えた                               展望台の表示

 稜線の右側には南アルプスらしき雪を被った山が見えている。パノラマ台からも雪山は見えたが遠くて上の部分しか見えないので
余り魅力は感じない。以前は雪山が少しでも見えただけで興奮をしたが、最近は見慣れたせいかこの位では感じなくなってしまった。
慣れとは恐ろしものだ。

 展望台の表示がありその奥には人工物が見えていた。

                  
             更にこんな案内も                              アレー!!

 アレー!! 入口が封鎖されている。貼紙には 「関係者以外 立入禁止」 となっている。 そんなー
さっき最初良ければ全て良しと感謝したばかりなのに・・・・・  奥にはがっしりした木造の展望台が見えているが・・・・・・

        
                 千円札                                  旧五千冊
 
 ここから見た景色が千円札に似ているか、旧五千円札に似ているか気になりますよね。   では、下の写真と見比べてください。
 (貨幣の複写は問題が生じそうなので、ネットから見本とされるものをコピーしました)


                           逆さ富士は無いけど似ているかな?

大谷嶺 2

2016-11-03 12:00:00 | 低山歩き
歩行記録   H28-10-31(月)
歩行時間:4時間20分   休憩時間:1時間15分   延時間:5時間35分
出発時刻:7時45分     到着時刻:13時20分
歩  数: 10、296歩(推定距離7.3km)    GPS距離3.0km
行程表
 大谷崩P 0:20> 扇の要 1:20> 新窪乗越 0:50> 大谷嶺 0:40> 新窪乗越 0:50> 扇の要 0:20> 大谷崩P 

 
                 山梨県側の山                                 山 伏

 遠くに見える山の名前は分からないが、唯一分かったのは昨年登った隣の山伏だけだった。
山伏の標高は2013mで大谷嶺の2000mよりは高い。名前のイメージからすれば大谷嶺の方が高そうに感じるが意外な感じだ。
2000mとか2013mならその年の年賀状の写真に使えたのに惜しい事をした。来年は2019年なので2019mの山が近くにないかしら。
いやいやそれより喜寿に合わせて770mか777mの山があればもっといいのだが、近くにないだろうか。

 
                静岡県側の山だが・・・・                          竜爪と花沢山が見える

 山梨県側の山には色が付いていたが、静岡県側の山はすべて墨絵のような黒っぽい色だった。
遠いからなのか、それとも光線の加減か?
 
 新窪乗越で聞こえてきた女性2人を含んだ4人のパーティーが登って来た。山に詳しい人がいるようで山を指しては説明している。
その内 「あれが花沢山と高草で、こっちが竜爪だ。」 の声が聞こえたので慌てて見たが、どこが花沢山か高草山か分からなかった。
そこで何処が高草山なのか聞いてみました。
右の写真の中央の平らな部分が静岡市街と海岸線。その左の最初のピークが高山で、次の双耳峰が竜爪だった。
更に海岸線の右に見えるピークが花沢山だが、高草山は写っていなかった。
何しろアップにすると、どちらに焦点が向いているか分からなくなるので、アップ写真はなかなか難しい。

 4人組のパーティーは焼津在住の60代で、毎日のように満観峰に登っている仲間だという。そこで思い切って聞いてみた。
 「満観峰のポストに、あの辺りの山の所要時間を書いた案内が入っていたのを知ってますか?」
 「アー知ってるよ。前にコピーしたのが何枚もポストに入っていたので1枚貰ったよ。」 
おッ ラッキー。だが違う人が
 「あれは山と山が直線で書いてあるので方向が分からないし、距離も分からない。」 ガクッ。
 「前に花沢山にも入っていたけど誰が入れたのかなぁ。俺たち仲間じゃないけど飯間山なんかもあって結構歩いている人だよ。」
 こうなると正体を明かせなくなり 「私も1枚欲しくて」 とお茶を濁しておいた。


                                  山頂からパノラマ写真

 
                 富士山が見えた                                 アップ

 山の名前を教えていた人に富士山は何処から見えるか聞いてみた。すると
 「ここから富士山は見えないよ。富士山なら山伏からのが綺麗だ。」とおっしゃる。
アレー確かネットに大谷嶺山頂からの富士山の写真が紹介されていた筈だが、変だなぁ?。
余り自信だなかったのでそれ以上聞くのは止めて、山頂付近をウロウロしながら富士山を探してみた。
先ずは東側の八紘嶺に向かう感じの良い道を少し下ったが、林が続き富士山が見える気配はない。
また元に戻り今度はロープを跨いで林の中をうろついていると、辺りと違った色の物体が目に入ってきた。オッ富士山かと目を
凝らすがハッキリしない。木の枝の少なそうな所に移動ししてやっと富士山を確認できた。
ネットに掲載されていた富士山の写真は、木の上に大きく聳えた富士山だったが、今更怖い場所に探しに行くのも嫌なので、この写真で
ヨシとしておこう。

 
                   降り口                                   巻 道

 4人パーティーに 「満観峰で会いましょう」 と挨拶をして先に下りだした。
林の中の巻道はハッキリしていて危険な所は無く、それにこのコースの危険度も分かったので安心して歩く事が出来た。

 
     扇の要への道(手前の斜面に電光形の道が見える)                  雨畑林道への標識

 崖の縁に出ても景色を見て写真を写す余裕も出てきた。扇の要からのガレ場に電光形の道が見えている。
歩いている時はそれほど感じなかった傾斜だが、ここから見るとその凄さが分かる。富士山より急かな?

 「林道 井川・雨畑」 と書かれた標識が建っていたが雨畑林道に行く道なのだろう。
踏み跡はついているが、ここを歩く人はどんなコースを取るのだろうか? 雨畑に行くにしろ、井川に行くにしろ、長い林道を歩かな
ければならないのに何が面白いのだ。など考えていてハタと気がついた。
そうか、林道に車を置けば大谷嶺には一番短い距離のコースになるのではないかと。(想像です)
こんな事を考えなら歩くので一人でも全然淋しくならない。

  
               ルビーのような木の実                               リンドウ
  
 余裕が出てくると植物にも目が行くようになった。だが紅葉は終っていて花も少ない。
時折道に落ちていたルビーのように赤く輝いている実は何の実なのだろうか?
リンドウも一輪づつ淋しく咲いていた。

 新窪乗越からの最初の小手調べと感じた場所が、帰りにはどう感じるか興味があって、まだかまだかと思っているうちに
新窪乗越に着いてしまった。何でしょうね一体。恐怖感は自らが作りだす部分もあるのですね。

 新窪乗越で休んでいると4人組が下ってきて、休みもせずに扇の要に向かって行った。
そう云えば駐車場から大谷嶺迄2時間25分で歩いたと言っていたが、さすが毎日のように満観峰に登っているだけの事はある。

  
     マムシグサの実                行きに撮った場所から                       標高表示

 扇の要への下りで単独の男性2人に追い抜かれる。彼等の足取りはまるでステップを踏むようにヒョイヒョイと下って行く。
私も若い頃は上りよりガレ場などの下りが得意で、岩から岩へピョン、ピョンと渡ったものだが、今は既に夢のまた夢。
それどころか扇の要に着く前に休憩をする始末だった。

 去年山伏の下りでは、新窪乗越から西日影沢の駐車場まで一度休んだだけだったのにえらい違いだ。
因みにその時のデータと比べてみると、山伏の帰りの時の新窪乗越までの歩数は19、378歩で、今回は4、652歩だった。
そして乗越から駐車場までの所要時間は去年が1時間丁度で、今回は1時間18分。
昨年の1/4しか歩いていないのに今年は3割も増えてしまった。これが悲しい現実か、それとも今日の体調せいか。

 マムシグサの実は緑や赤は見た事はあるが、こんなのは見た事はない。
よく見ると赤い実が落ちた後のようだが、何れにしろ珍しい姿だった。

 行きには青空だった景色が、帰りにはどんより曇って乗越辺りは雲に隠れている。
今日一日半袖の下着に、上は長袖のYシャツの腕まくりで過ごしたが、風のあった乗越では少し寒く感じた。ガスが出始めた
今はきっと寒くてジャンパーを着こんだことだろう。何は兎も角早いゴールで良かった。

 駐車場近くに 「ここは標高 1247m」 の標識が建っていた。今日の最高峰の大谷嶺が丁度2000mなので、その差は753m。
持っているGPSの距離計はたったの3.0kmと悲しい数値だが、これは多分上り下りを無視した平地を歩いた距離なので
標高差の行き返りの分を加算すれば4.5kmになる。それでも短い距離なのにフ~疲れた。

大谷嶺

2016-11-02 15:25:32 | 低山歩き
歩行記録   H28-10-31(月)
歩行時間:4時間20分   休憩時間:1時間15分   延時間:5時間35分
出発時刻:7時45分     到着時刻:13時20分
歩  数: 10、296歩(推定距離7.3km)    GPS距離3.0km
行程表
 大谷崩P 0:20> 扇の要 1:20> 新窪乗越 0:50> 大谷嶺 0:40> 新窪乗越 0:50> 扇の要 0:20> 大谷崩P

 安倍奥の大谷嶺に土曜日・日曜日と天候の状態が余り良くないので見送り、月曜日(31日)に行ってきました。
天気を待ったせいで出発時の天気はバッチリ、富士山もクッキリ見えています。
今日は大谷嶺のピストンだけなので、私の足でも上り3時間下り2時間半の5時間半ぐらいでは歩けそうです。
それなら8時に歩き出しても2時前には戻ってこれそうなので、新東名は使わず国1バイパスで行くことに。

 
                大崩駐車場                      工事現場の展望台から

 ここが駐車場かな?と悩みながらもゲート前の広場に車を止めると、後から来た車がゲートあげて登っていく。
私も後に続こうとすると 「一般車はここから立入禁止です」 と言われてしまった。 
どうやらここから先は工事関係者だけが通行できるようです。
それにしても時間は7時40分なのに1台の車が停まっていない、という事は平日からなのか、それとも人気のない山なのか。
いや人気が無いってことは無いだろう。静岡市民なら大谷嶺は知らなくても大谷崩れの名前は知ってると思う。

 工事現場の箱番の前にトイレや展望台を作ってくれてあった。展示されている写真と同じアングルで写してみたが、大谷嶺は
左から1つ目と2つ目の鞍部に少し盛り上がった辺りがそうだそうです。 ???

 
                 扇の要                                   残っていた紅葉

 扇の要の名前からは、幾条かの沢が集まり、そこから1本の沢になる場所をイメージするが、ここは林の中で全然そんなイメージは
湧いてこない。北アルプスの涸沢カールと比べようとする事自体が無理な話なのだ。

 紅葉は少しは期待しながらも多分遅いだろうと覚悟はしていた。
案の定この辺りの紅葉は “散り始め” 状態は過ぎていて、所々に名残の紅葉があるだけだった。

 
                 水 場                                       アザミ

 水の流れに樋を設け、コップまで準備をしてくれてあった。登山に水分は取り過ぎという事ないそうなので1杯よばれた。
美味しいかって? ウーン不味くはないがおいしいかどうかは・・・・・・・・・・・・・

 
           前をみれば新窪乗越(左鞍部)                      後ろを振り返れば安倍東山稜の稜線

 前方は雲一つない空が広がっている。この調子で行けば大谷嶺の頂上から富士山が見えるかもと期待が湧いてきた。
後ろを振り返れば安倍東山稜の稜線が見えているが、どれ一つとして山名は分からない。一つでも登ったことがあって、山名が
分かればもっと愛着が湧くだが。

 ガレ場状態の中々厳しい上りを歩いていて昔を思い出した。
実は半世紀以上前にここを歩いた事がある。高体連の夏か秋の合宿で1日目に扇の要に露営し、翌日は大谷嶺、八紘嶺、梅ヶ島へ
縦走した。当時の重くかさ張るテント、炊事用具などを背負った縦走は厳しく、乗越への登りと倒木の多かった稜線歩きには閉口した。
あの頃のザックはキスリングという縦長のザックと、スターリンという横長のザックだったが、そのザックの先端が倒木に引っかかり、
何度も転倒した覚えがある。
ようよう八紘嶺に着くころになると 「東海道線から乗り換える学校は、終電車に間に合わなくなるので、このまま休まず梅ヶ島に行き、
路線バスで静岡駅に行ってください」
と案内されてしまった。
たしかその時は御殿場高校と伊東高校か下田高校が対象になって、最後の最後まで絞られてしまった。
終電車に間に合った電車の中で “前衛の山でこんな状態なら、更に奥の南アルプスは行きたくない” と話をした覚えがある。
ただそんな思い出の中に “怖かった” という思いではない。

 ここ2年ほど前からブログ仲間のあやさんの影響を受けて、志太の低山歩きから安倍奥等にも興味を抱き、少しづつ歩き出した。
そこで思い出の八紘嶺から大谷嶺を歩いてみる気になり 『安倍山系』 調べてみると、この区間を “みどりの道” と表現していた。
みどりの道が何を表現しているのか分からないが雰囲気的には易しそうな道に感じる。
だが怖いもの見たさなのか更にブログを検索していくと、危険度について何も触れてない記事や、かなり頻繁な箇所に “痩せ道” 、
 “崩落” 、 “脆い” 等の言葉が出てくるものもある。

 恐怖心は人によって違うので仕方ないが、怖がりの私としてはそんな言葉を見るだけで恐怖心が湧いてきてしまう。
例え半世紀前に感じなかった恐怖心も、歳と共に強くなってきているので、八紘嶺と大谷嶺は諦めの境地だったのですが・・・・

 それが私の愛読している “賢パパさん” と “ittaさん” の先週のブログに、相次いで大谷崩れが登場したのです。
そうなると今年行かなければチャンスはなくなると猛然と燃えてきました。更にittaさんの 「現地判断で撤退しても」 のアドバイスに
そうだ縦走ではないのだから怖かったら、その時点で引き返せばよい、と気づき兎も角行ける所まで行ってみようと出かけてきました。

        
                      新窪乗越                              新窪乗越から大谷嶺への入口

 後ろから熊除けの鈴の音が聞こえてきたが、何とか追い抜かれないで新窪乗越に到着。
ここでしっかり疲れを取ってから難所に挑もうと20分近くも休憩してしまった。
鈴の音は男性2人組で山伏往復だと、後からきて先に出発。さらに下から女性の声が聞こえてきたので重い腰を上げて出発する。

  
           最初の小手試し(渡った後で写す)                        ホットした所にリンドウが

 登りだして直ぐに右が大谷崩れに落込んでいる所が出た。ウーンこれが最初の小手試しの場所だろうと慎重に通る。
その時は渡り終わった所に咲いていたリンドウを座り込んで写す余裕があった。
だが、これから先はもっと怖い所が出てくるのだろうと気を引き締める。
 (実際はこれが良くないのですよね。慎重になるのは良いが、自ら恐怖心を培養しているようなものだ)

              
              ウワー!痩せ尾根だ                          近づいて見たら

 最初のピークを越えて下りだすと、次のピークへの痩せ尾根と、崩壊場所の崖の縁を通る道が見てきた。ウワー! 嫌だな。
どうやらあそこが今日の最終地点か、など考えながら痩せ尾根に近づいて見ると・・・・・・・・
なんだー 右は崩れているが左はどうと言った事のない木の生えた斜面だった。これなら小笠丘陵の方が怖いと余裕をもって通過。
サー次は崖の横の道だと身構えながら行くが、道は林の中の安全な道が続く。やっと(?)崖の縁に出たがどうと言う事はない。
2つ目のピークに着いたが、さっき見えた崖っぷちの怖そうな道はなかった。多分巻道が林の中を通っていたのだろう。

 三つ目のピークはピークと言えないような小さなもので、越したと思ったら登りだし上には山頂表示らしきものが見えてきた。
とすると最初に出合った所が最大の難所なのだろう。アー良かった。

 
                 大谷嶺山頂                                 大谷嶺山頂

 10時40分に標高2000mの大谷嶺に到着。
駐車場から3時間で到着と言う事は想定通りだったが、想定はゆとりを持った時間の積りだったので、少々ガッカリ。
天気は晴朗で眺めは最高。だが景色を見る前に山頂にある筈の三等三角点を探してみるが見当たらない。
地理院の “基準点成果等閲覧サービス” によれば、この山頂の1999.78mの所に 「行田山」 という三等三角点がある事になっている。
それが安倍山系にこんな事が書いてあった。 「三等三角点『行田』は、昭和40年代に前半に消滅したと考えられている。」 とある。
三角点は無くなれば直ぐ立て直す物だと思っていたので、消滅したままの筈はない、きっと今はある筈だと探したのだが、結局
見当たらなかった。では三角点の横にある白い杭に 「大切にしましょう三角点」 とあるのは一体何なんだ。

 山名表示は山梨県早川町の建てた立派なものがある。「南アルプス連峰 ▽△山(2000m) 早川町」 とあるのだが山の字の上の
二文字が見ずらく削られていて判読できない。
ブログなどにはここに 「行田」 とあったとあるが、地理院の三角点名は “行田”で、設置場所は  “山梨県甲斐 ■南巨摩郡硯島村
大字雨畑 字南■■・■行田” となっているのを見ても多分間違いないだろう。
早川町とは昭和に入り周辺六ヶ村が合併して誕生したようだ。硯島村とは雨畑硯名前で知られている硯石が取れたからだろう。

 山梨県側ではこの山の事を “行田山” と呼び、静岡県側では大谷崩れの上にある山として “大谷嶺” と呼ぶようになったのだろう。
そんな事を知らない静岡県人の登山者が、行田山では間違っていると思い “行田” の二文字を削ってしまったのではないか。
このままでは静岡県民の民度が疑われてしまう。できる事なら削られた場所に “行田” と再度彫り直してもらえないだろうか。
そして静岡県側の景色を見るのに邪魔にならない所に 「安倍奥山稜 大谷嶺(2000m)」 なんて標識があればうれしいのだが。
                                                                つづく