はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

仲間ウォーク:山伏

2017-08-29 11:37:00 | 低山歩き
歩行記録                                                           H29-8-26(土)
歩行時間:1時間30分   休憩時間:0時間50分   延時間:2時間20分
出発時刻:8時40分     到着時刻:11時00分
歩  数: 5、282歩(推定距離3.75km)    GPS距離2.4km
行程表
 百畳峠 0:35> 西日影沢ルート合流 0:10> 山伏山頂 0:25> 山伏小屋 0:20> 百畳峠 

                                   林道 勘行峰線 案内図
 

  今月の仲間ウォークは2000m峰の山伏です。
と言うと平均年齢74歳の年寄りが大丈夫? と案ずる向きもあろうかと思いますが、そこは心配性の案内人の設定するコースです。
誰もが歩けるルートを選択してあります。
出発地の百畳峠にあった案内図の拡大図を見てください。その赤線の部分をピストンするだけです。
コースタイムは片道1時間になっていますが、当然下りはそんなにはかかりません。要はのんびり歩いても1時間半もあれば往復
できる山なのです。しかも危険な場所は皆無で誰でも歩ける超初級のコースです。
しかし2000m峰である事は間違いありませんヨ。

 
                百畳峠の地層                                  百畳峠

  焼津市の団地を6時に出て、千頭経由で百畳峠に着いたのが8時30分でしたので、2時間30分も掛かりました。
距離は110kmでしたので平均時速は44kmと遅めですが、擦れ違いの出来ない山道が多かったことを考えればマーマーの
速度でしょう。尤も出発時間が早かったので対向車が少なかった事も影響していますが。

  百畳峠の名前の如く広い駐車場には、2台の車が停まっていただけなので登山者は少ないようです。
尤も山伏は安倍川側の西日影沢からがメインコースなので、山頂にはそれなりの登山者がいると思いますが。

  車を降りて目についたのが林道横の崖の地層です。
岩の塊がてんでにバラバラの方向を向き、しかも薄い岩が重なった岩なので下には薄く剥がれた岩が落ちている。
オニオンクラック(玉葱地層)とも違うようだが、知識のない私には分かりません。プラタモリのタモリさんなら即答してくれるかな。

 
              草原の道                                      分 岐(上から)

  入口からの取っ付きはかなり急な上りになっていた。
 「アレー 案内には高草山より楽だと書いてあったが本当かなぁ?」 と早速文句が出たが、暫くしてなだらかな草原の道になると
仲間の愚痴は出なくなった。アー良かった。

  写真右から登ってきて、分岐を上に登ってきたが、標識の左に気持ち良さそうな道が続いていた。標識は山伏方面だけしか
案内していないが、あの道を行けば笹山にいけるのだろうか。いつかは歩いてみたいな。

   
           ミヤマオダマキ                   ???                      グミ?

  気持のよい道には気になる植物も生えている。薄い色で上品なミヤマオダマキ、名は分らないが葉は無く茎の先が軍配のように
広がっている羊歯の仲間、葉も実もグミのようなので実を少し噛んでみたら、苦酸っぱい味がしたのでグミに間違いなさそうな実。

          
                   杉苔?とキノコ                            エノキのようなキノコ

  柔らかそうな杉苔の中の白く丸い傘を持つ小さなキノコが見える。横から見るとエノキ茸のように見えたが多分違うでしょう。
勿論噛んではみませんでしたよ。

 
             西日影沢コース合流                              2015年の富士山

  草原の道を歩いて気が治まったのか、その後の少しの上りには何の苦情も出ずに西日影沢コースとの合流点に到着。
ここまで駐車場から35分掛かっていたので 「後25分で頂上か、案外楽だったな」 何て余裕な声も出ので
 「ここから25分も掛からず10分位で着くよ」 と言うと
 「エ~ それじゃ榛原のお高根さん(高尾山)より楽じゃんか」 と今までで一番楽だった山の名前が出た。

 事前に渡してた山伏の案内には “2000m級の南アルプス前衛の山” や “高草山より楽なコース” なんて、脅したりすかしたりした
文句を書いたので、どっちを信じていいのか分からず、仲間には不安な気持ちが少しあったようです。
更に案内には “富士山展望の絶景地” と、山伏から見る富士山の姿の良さをアピールして写真を掲載したり、 “山頂で風に揺れる
ヤナギランは涼を呼ぶ” なんて気をそそるような事も書いて誘ったので “あと10分” と聞くと興味はそちらに移ったようです。

  しかし幾ら富士山の絶景地でも肝心の富士山が見えなければ如何ともしがたく、せめて大谷崩の崩壊地でもと思ったが大谷嶺の
山頂は見えるものの崩壊部分は白い霧で見る事ができませんでした。

 
             ヤナギラン群生地                            一輪残っていたヤナギラン

  アラ-群生地に近づいても赤ぽくなってこない。という事はヤナギランも駄目か。
今年は色々の花が遅いのでヤナギランもと態々月末に設定したのが裏目だった。咲き終わったヤナギランの茎は以前より少なく
なっているが、それでも群生地らしい趣はある。アーァ!
 「先月の富士山の石楠花は一輪も咲いていなかったが、ここはヤナギランは一輪咲いていたのだからいい方だよ。」
慰めにもならないような事を言われ 「誰か心掛けの悪い人がいるじゃない。」 なんて言い返すのが精一杯でした。

 
                山伏山頂                              南アルプスもハッキリしない

 それでも一応証拠写真を写して南アルプスを見に行ったが、こちらもはっきり見えません。それなのに仲間は 「雲海が見える。」
なんて喜んでいる。私に言わせればただの雲でしかないのだが興味は人によって夫々なのですね。

  昼飯にするには早すぎるので、山頂の木道を歩いたりしたが百畳峠で昼飯にする事にして下り始めました。

 
                 山伏小屋                                    山伏小屋内部

  今回は私のコース設定では殆ど無い往復コースなので、仲間も下りの道の状態は分っていて雑談をしながら下る事ができた。
普段なら態々遠回りをする事はない途中にある山伏小屋や水場に寄ったりもした。
写真で見る山小屋の外観は普通に見えるが、入口の引き戸は中々開かず内戸もあってそれよりの中に入る気にはならなかった。
こんな出発地に近い小屋を利用する人なんかいないだろうなんて話していたら、昨日チェックしたブログの中に8月20日にここに
泊まった方がいた。それも小屋には他にも単独行の人もいたというのだから驚いた。私の認識不足でした。

  のんびり下ったが駐車場には11時に着いてしまった。丁度陽が射して日影が無かったので昼飯はスキー場で食う事にして
車に乗って出発。
しかしスキー場も手頃な場所はなく富士見峠に目的地を変更。

 
               富士見峠                                     固いキノコ

  富士見峠の高台でようやく昼飯を食べる事ができた。座った台には 「昭和39年6月1日 南アルプス 国立公園指定記念 静岡県」
彫られている。だれかが「へ~ ここも南アルプスかぁ」 と言ったが多分違います。ここは南アルプスが見える場所なので記念碑を建て
たのでしょう。
昭和39年と云えば既に53年も過ぎているので、記念碑はボロボロになっているが何の手入れもされていない。
静岡県は一時、南アルプスも世界遺産になんて旗を振りだしたが今は治まっている。どうする気なのでしょうかこれから。

 
               大無間・小無間                                 聖・赤石

  記念碑の建つ高台からは木が邪魔をして南アルプスは見えなかったが、駐車場の横の展望台からは良く見えた。
左に大無間が聳え、稜線を右に行くと小無間が見える。手前に見える三角の山は卯山と書いてあるが聞いた事はない。
山伏では判断できなかった聖も赤石も、ここには山名表示板があるので一目瞭然。
卯山の稜線の後ろから延びたピークが前聖で、斜めに下って奥聖らしいです。赤石は更に右の雲がかかっている山のようです。

                   
                                      福養の滝

  帰途も千頭経由で帰る予定だったが、富士見峠まで来ているなら静岡経由のが近いだろうと県道を静岡に向かって下りだした。
暫く下ると分岐がありメインは直進する玉川経由静岡だが、右も日向経由で静岡に行ける道です。
日向経由は時間が掛かるが途中の大間に福養の滝がある筈なので、まだ歩き足りなそうな中を滝に連れて行こう。と気を回し
急遽右折して福養の滝に向かいました。
皆には余り期待を抱かせないように 「駐車場から結構奥で滑滝のようだった。」 と説明したが事実そんな感想しかなかった。
しかし現れた福養の滝は、過去の記憶より数段素晴らしい滝で態々寄った甲斐がありました。

 「信州高遠から逃れた三人の落ち武者が、この地に住み生活をはじめました。この滝に毎年5月5日になると1頭の馬が滝壺に
つかり毛並みを整えいました。この馬は後に宇治川の先陣を争った駿馬 「磨墨」 となりました。
村人は、このことからこの滝を 「お馬が滝」 と呼ぶようになりましたが、 明治43年に当時の安倍郡長が郡内踏査に来た折、 滝の
確かな名がないことを残念に思い、岐阜県養老町の養老の滝に似ているので 「福養の滝 」 と名付けられました。」
とさ
私が名付け親なら 「薄墨の滝」 としたのだがな。

  福養の滝から日向に下り静岡に向かうつもりだったが、藤枝蔵田にある宇嶺の滝に向けて方向を変換した。
そうです藤枝の名瀑でもある宇嶺の滝を案内したくて。
やっと細い道が終り擦れ違いができるようになったと思ったら、又もや片側1車線の道に突入するのだか仲間もあきれたでしょう。
しかし態々行った宇嶺の滝だったが、見学希望者はいなく、そのまま通過することにしました。全くの草臥れ損でした。

  帰りはさんざん遠回りをして出発地に戻ったのに、往復の距離は丁度200kmでした。行きが110kmでしたのでそれより短い
ことになります。
本当でしょうかネ。自分でメモした数字が信じられなくなりました。

5年経った太陽光発電

2017-08-24 12:00:00 | その他
                          我家の太陽光パネル

                     東の方向には大崩山塊の北のピ-クや高草山、花沢山が見え、その後ろには富士山も顔を出している

  「10年で元が取れる」 と業者の誘いに言葉に乗せられて、我家の屋根に太陽光をパネルを乗せてから、丁度半分の5年が
経ちました。果たして計算通り経費の半分を売電できたかどうかを紹介します。

  設置経緯などは4年目と同じですが再度紹介します。

面倒くさい事には手を出さない私ですが、
  ◯1・屋根が陸屋根である。
  ◯2・日照時間が長い。
  ◯3・太陽光を遮る物が無い。

の設備上の条件が揃っている上、
  ◯4・市から補助金が出る。
  ◯5・発電電力の販売単価が高い。
などの好条件が揃っていた事もあって2012年8月に設置に踏み切りました。

◯1・屋根が陸屋根である。
  我家のある焼津市(旧大井川地区)は、マグニチュード8クラスの巨大地震が発生する東海地震の震源域にあり、
25年前に家を新築するときは、耐震を主体として陸屋根で箱型の家を建てました。
当初平らな屋根の上にはバーベキュー場や物干場などにする予定でしたが、階段や手摺などを設置すると多額の経費が
掛かる事が分かり、結局手付けずになってしまいました。

◯2・日照時間が長い。
  太陽光発電を設置するにしても日照時間が短ければ発電量は少なくなってしまう。そこで全国の日照時間を調べてみると、
静岡県は全国7位で、年間日照時間は2215時間と中々の物だった。
更に焼津市を調べてみると、全国の自治体の中の53位で日照時間は2094時間となっていた。
これは焼津市の平均値なのか、それともどこか基準点の値か分からないが、私の住む旧大井川地区には、山も岡も無く、
当時町内で一番標高の高い場所が、平地に埋土した東名高速道路だったので、我家でもこの数値を下回る事はなさそうです。

◯3・太陽光を遮る物が無い。
  だが山や岡が無くても、近くに高い建造物や森や林などがあれば、太陽光を遮り発電量は少なくなってしまいます。
幸いな事に我家の周りに太陽光を遮る物と言ったら、天空に浮かぶ雲くらいで、太陽さえ出ていれば発電は可能です。
しかし日照時間は長いと言っても太陽が顔を出していなければ発電量は下がってしまいます。
そこで年間の好天日数を調べてみると静岡県は案外低く全国で33位だった。これには少々ガッカリしたが、同じ統計資料の
中の “年間快晴日数” は全国3位と奮闘している。一見矛盾しているようにも感じるが都合の良い事は信じておきます。

◯4・市から補助金が出る。
  設置当時の平成24年では、焼津市から補助金が40万円弱交付されていましたが現在は無いようです。ただこの補助金は
各自治体によって違いがあり、他の自治体の現状は調べなければ分かりません。

◯5・発電電力の販売単価が高い。
  これも設置当時の平成24年は、中部電力の電力買い取り価格は、10年固定で1KWH42円でしたが、今は31円と11円も
下がってしまいました。

  次に投資資金ですが、これは設置する人の方針で違ってきます。そこで今回は太陽光パネルとその設置費用のみを合計し、
ローンの借入利率や自己資金を定期利率、補助金の有無など全て除外して計算しました。

◯太陽光設備費用 4,263,000円  太陽光販売単価 1KWH42円


  設置時に業者は10年で元が取れると誘惑していましたが、諸経費や利子など一切の経費を除外し、純粋にパネルの材料費と
設置費だけで計算しても、5年の返済率は43.7%と50%になっていません。
この調子で行くとなると設備費の償却は10年ではなく12年掛かる計算になります。
でも、残りの5年が、設置当初のように1年で9.2%発電すれば10年で償却できる事になります。まだまだ期待は残っています。

このような結果になったのは業者の推定発電量が高かったのか調べてみました。


 すると予測発電量より低かった月は、12月の2ヶ月だけで、後の58ヶ月は全て予測量より実質発電量は多くなっています。
このグラフを見る限り業者の発電予測は控え目だったことが分かります。
では発電量が多いのに何故元が取れていないかと云うと、業者の償却計算にはオール電化にしたため、毎月のガス料金や、好天の
昼間は自家発電で賄い、中電の電気を使わないための減額などが入っています。
そのためトータル的には10年で元が取れる計算になるようです。
マー利用者としては勘定合って銭足らずの感がしないでもありませんが後悔はしていません。

  次に月別の発電量を比較してみます。


  一年で一番発電量が多い月は5月ですが、これは何となく分かりますよね。
本来なら日照時間が一番長い夏至の近くの6月と7月が発電量が多い筈ですが、少ないのは梅雨の影響でしょうか。
今年の8月は曇りや雨が多く清々しない日が多かったですが、太陽光はそれを見事に反映していました。
6月7月と過去最高の発電量だったのが、8月は一転して5年間で最低の発電になってしまいました。(前々グラフ参照))
自分の趣味から言うと熱中症の恐れのある、否脱水症になってしまった真夏日や猛暑日は嫌いですが、太陽光に関して言えば
猛暑日大歓迎です。更に9月に入ると歩きの季節が近づいたと喜ぶのですが、太陽光の発電量は下がってしまいます。
人生そうは都合よく行かないものですね。


  条件の良かった我家の太陽光ですが10年では元は取れそうもありません。それでも太陽光発電を設置した事を後悔は
していません。その理由は
 ◯1・水の予備タンクが出来た。(エコキュート・震災時用)
 ◯2・昼間の停電なら太陽光で料理はでき、TVを見る事が出来る。(震災時用)
 ◯3・オール電化にしたためガス代を払わなくなり、毎月の光熱費は大幅に減った。

  以上は太陽光とオール電化にすればどの家庭でも受けられる利点ですが、我家には他にも大きなメリットが生じました。
それは最初に紹介した我家の屋根の形状が陸屋根で、天井裏が無い事が大きく影響しています。パネル設置前は
 ◯1・雨音が煩い
    雨の音が煩くTVの音声が聞こえないくらいでした。
 ◯2・熱気がもろに2階の部屋に籠る
    夏の太陽光をもろに受けた屋根の鉄板は、その熱をそのまま2階の室内に伝えてしまうので、夏の間の午後は
    2階に行くとムッとして気分が悪くなってしまいました。
    冬も冷気が下がりやすいのでしょうが、これはストーブなどの暖房のお陰で余り気になりません。

  以上の2点は屋根に太陽光パネルを設置した事により大幅に改善され、今は特に支障を感じなくなっています。
ただ一点、以前より不便になったのは風呂の全自動機能です。以前のガス釜の追焚き機能は、風呂桶のぬるくなった湯を
直接温めましたが、エコキュートは電気で沸かした外部の湯を風呂釜に追加する方式なので、時間も掛かり電気代も
高くなってしまいます。おまけに風呂釜の湯が多い時は、湯をかい出して捨てなければなりません。
マーこれも私が妻に続いてサッサと風呂に入れば済む事ですが ・・・・・・・・・・・


  こうして考えると、これからの太陽光発電は不利のようにも感じますが、パネルの発電効率は上がり発電量が多く
なっています。更にパネルの価格が下がっていますので立地条件が良い場所なら検討の価値はあると思います。
特に新築の場合は一度は検討した方が良いでしょう。

前回と同じようになってしまいましたが参考になったでしょうか。また3年後の設置8年目に報告します。

藤枝ハイキングコース案内NO7

2017-08-21 12:07:18 | 藤枝ハイキングコース




                                                    ↑藤枝市HPより


    ********************************************************************************

              1・中田バス停                                  2・花倉方面に行く
 
 1・ 藤枝駅前から直接中田方面へのバスは少なく、中部国道線に乗り大手で西方線に乗換て中田で下車しますが、
   西方線は土休日に運行していないので、バスを利用なら中部国道線蓮華寺池公園入口バス停で下車し、約3kmを
   歩かなければなりません。
   またゴールの山寺バス停も同じ西方線なので、バスは平日しか利用出来ません。
 2・ 中田バス停横の建物は葉梨小学校で、コースは小学校を過ぎた信号のある交差点を左折して花倉方面に進みます。

              3・川の手前を右折する                          4・新東名に向かい直進する
 
 3・ 交差点を左折して二つ目の橋の袂を右折します。ガードレール横に標識があるの見落とさない事。
 4・ 暫くは新東名に向かい直進します。

               5・長慶寺分岐                                 6・橋を渡る
 
 5・ 今川義元の軍師でもあった大原雪斎の墓がある長慶寺との分岐では、寺方面には向かわず直進します。
 6・ 新東名のガードを潜った先で、道は左右に分岐しているので橋を渡り左の道に入ります。標識は橋を渡った先にあります。

               7・下之郷の道                             8・民家の終わった道を行く
 
 7・ 上川町内会館などがある下之郷集落を通過する。この集落の間から尾根道で花倉城跡への道もあります。
 8・ 民家も終り静かな農道を行く。

                9・上川池                             10・池の横から上に行く農道に行く
 
 9・ ドブ池?の名が相応しい上川池です。池からは食用蛙の無く声が響いていました。
10・ 池の横で分岐している農道の左に上る道がハイキングコースです。ここから傾斜が強くなります。

             11・尾根道との分岐                                12・分 岐
 
11・ 草に隠れそうになった標識のある場所は尾根から来る道との分岐です。標識には上川池方面しか案内してませんが、手書きで
   「勝谷」 と書いてあります。勝谷(すぐりや)とは、かって今川の館があった花倉の里の地名で、尾根を西に下ります。尾根を東に
   下れば今歩いて来た下之郷に下れます。
   尾根道の方が眺めも変化もあるが、農道が途中30mほど途切れているのでコースに指定されないようです。
12・ ミカン畑の先に見える分岐は、上川池を直進したきた農道です。

              13・花倉城跡(城山)                             14・最後の分岐
 
13・ 高度が上がると花倉城跡が見えてきます(地元では城山と呼んでいました)。城跡左に見える平坦地は眺めが良く、休憩には
   もってこいの場所です。
14・ 最後の分岐は城跡に向かうときは標識があるので間違う事はありません。但し城跡を見学した後でゴールの盤脚院に向かう
   ときはこの分岐を上川池とは反対に進みます。
   分岐には標識があるが上ってきた上川方面だけを案内していて、盤脚院方面は案内していないので注意が必要です。

               15・天王山                                   16・高草山
 
15・16・ 分岐から傾斜が強くなり高度も上がると北東にはクマガイソウの咲く天王山、後方には高草山が見えてきます。

              17・タンクの横を行く                             18・花倉城跡入口
 
17・ 右にタンクが見えてくれば城跡の入口は近い。
18・ 入口には花倉城の歴史や城の縄張りなども案内してあります。
   花倉城は 「花倉の乱」 で今川義元と家督争いをして敗れた、義元の腹違いの兄・玄広恵探が籠りながらも敗れた花倉城です。
   玄広恵探は花倉城から逃れ、山を越えて瀬戸ノ谷方面に逃れたあと自刃しています。

                  19・土橋1                                  20・土橋2
 
  城跡は趣味に合わせて歩けば良いが、城巡りには余り興味はないが、一応何でも見てみたい人の為のコースを案内します。
19・ 案内板のある入口から林の中に入るとすぐあるのは土橋です。
20・ 土橋1を過ぎると道は傾斜を増して来ます。そんな所にも土橋があります。

                 21・旧 道                             22・分 岐
 
21・ 窪んだ道に建つ案内には 「古道」 とあります。新道は古道の左側
22・ 急な坂を登った先に 「花倉城跡ハイキングコース 烏帽子形山山頂➩」 の標識が立っています。
   しかし藤枝市の花倉城跡ハイキングコースには烏帽子形山は含まれていませんので間違わないでください。
   城跡巡りはここを右側に見える 「帯曲輪」 の方向に向かいます。
   因みに帯曲輪とは 「帯状に長い曲輪」 の事だそうです。 

              23・本 丸                             24・
 
23・ 帯曲輪を過ぎた辺りで左の高台の上に出れば、そこが本丸です。
24・ ポツンと案内板が建つだけの本丸から、次は物見台を目指して北に向かいます。

              25・物見台?                             26・二の丸へ
 
25・ 暫く行くと道が少し広くなった所に出ます。その先は急な下りで物見台があるようには思えません。
   案内板も無いのでハッキリしませんが、ここが物見台だろうと判断して引き返しましょう。
26・ 本丸まで戻り今度は帯曲輪とは反対側の東を見ると、空堀の先に二の丸が見えていますのでそちらに向かいます。

               27・二の丸                               28・二の丸からの眺め
 
27・ 28・ 本丸より広い広場の二の丸の周りには 「土塁」 と書いた杭が刺さっていますが、土を盛った形跡はありません。
       樹幹の間から少し景色が見えていますが、休憩はこの先の展望地で取りましょう。
       展望地には二の丸の西側から下ると楽です。

              29・二の丸から展望地へ                             30・空 堀
 
29・ 展望地手前高台の広場には案内板は建っていません。そこにも空堀を渡っていきます。
30・ 空堀の案内の反対側は帰りの下り道ですので覚えておきましょう。

              31・展望地                                   32・つつじ
 
31・ 空堀から低い台地の上に出て、東に延びる林の中の道を30mも行けば展望地です。
   ここを下って行く道が烏帽子形山に伸びている道です。
32・ 春にはツツジや桜が咲いています。

              33・展望地から藤枝方面                         34・展望地から高草山方面
 

              35・帰途城跡入口                             36・空堀から下る
 
35・ 展望地で休憩が終ったら城跡に戻りましょう。入口の左右には目印のリボンが付いています。
36・ 空堀まで戻ったら二の丸には向かわず右に下ります。

              37・分岐に戻る                             38・急な下り
 
37・ 空堀からすぐの所に、来た時に見た烏帽子形山の標識の所に出ます。
38・ 標識の下は落葉が積もって滑りやすい道なので気を付けて下りましょう。

            39・形の良い木                             40・無残な傷跡
          
39・ 植林されている城跡に形の良い木が残っていました。
40・ その数少ない自然木が無残な傷跡を残しています。どうする “キ” なのでしょうか。

              41・土橋に戻る                                42・城跡入口
 
41・ 入口側から見るより土橋の雰囲気が感じさせられます。
42・ やっと入口に戻りました。展望地の休息時間を入れなければ、おおよそ40分程で一周できます。

              43・間違いやすい分岐1                         44・間違いやすい分岐2
 
43・44・ 城跡入口から最初の分岐までは来た道をもどります。最初の分岐は来た道の反対側の左に進みます。
      左右にある標識は、どちらも上川方面しか書いてないので注意しましょう。

            45・またまた間違いやすい分岐                         46・分 岐
 
45・ 次の分岐には標識はありません。道は左に行く道の方が太くきれいですので、行きたくなりますがここは直進です。
   左の道を下ると県道81号の西方信号の近くに出ますので、天王山に行くときは便利です。
46・ 太い道を下ります。

                 47・分 岐                                  48・藤枝観音
 
47・ 珍しく標識が建っていました。
48・ 左下に盤脚院の藤枝観音が見えてます。

            49・ホタルブクロ(蛍袋)                      50・ ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)?
 
49・50・ 花の少ない農道ですが、こんな花が咲いていました。

              51・分 岐                             52・民家が見えてきた
 
51・ ここは下りの左側に曲がって。
52・ 民家が見えればバスの走る車道はすぐです。

               53・車道合流                              54・盤脚院は左折する
 
53・ ようやく車道に合流です。盤脚院やゴールの山寺入口は左折します。
54・ 盤脚院に興味が無ければ右折した方がバス停(桑原)に近いです。

              55・藤枝観音                             56・ゴールの山寺入口バス停
 
55・ 徳川家康が鷹狩の時に盤脚院の和尚と碁を打ったと云われる盤脚院の藤枝観音です。車道から写しました。   
56・ ゴールの山寺入口バス停です。土休日はバスは走っていないので、車道を蓮華寺池公園まで歩かなければなりません。
   このコースを忠実に歩くなら平日しかありません。

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景  色 =        花倉城跡の展望地から見えますが・・・・・・・
登山道 = ★★★★   城跡内以外は舗装路で、城跡内の山道も整備されていて危険な場所はありません。
道  標 = ★★     下りの農道2ヶ所に標識が無く間違いやすい。後は大丈夫。
見  所 = ★★     花倉城跡しかないが、城跡ファンにはたまらないかも。
総  評 = ★★     城跡以外は全て舗装道路で景色も良くない。バスも土休日は走ってなく不便。
              どうせなら隣の烏帽子形山と合体して、マイカー利用の方が楽しいコースになる
難易度見直し =   以前の認定では初級となっていたが、中級に変更されていた。だが以前通りの初級でよい。


 

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藤枝ハイキングコース案内 NO6

2017-08-17 11:15:41 | 藤枝ハイキングコース




                                                    ↑藤枝市HPより

               
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  藤枝市のHPには出発地を 「玉田橋バス停」 となっているが、藤枝駅前発のバスは一つ手前のゆらくが終点です。
ゆらくで蔵田行に乗換えるのだが、次が玉田橋バス停で700m程しかないので歩いた方のが時間もお金も短縮になります。

             1・日帰り温泉「ゆらく」                               2・県道32号線
 
 1・ 藤枝駅前発の自主運行バスでゆらく行きに乗車。終点ゆらくで下車をします。
 2・ 県道32号線を蔵田方面に向かって北上します。

              3・玉田橋バス停                                  4・玉田橋
  
 3・ 玉田橋バス停の先には瀬戸川に架かる玉田橋があります。
 4・ 玉田橋を渡ると左側前方に 「陶芸センタ」 の看板が見えてきます。

              5・陶芸センタ入口                                  6・陶芸センタ
 
 5・ コースは陶芸センタの横を通っているので看板の指示に従い県道を左折し、突当りをまた左折して陶芸センタに向かいます。
 6・ 陶芸センターの横の舗装されている農道を進みます。

              7・見晴しの無い農道                               8・茶畑が出てきた。
 
 7・ ハイキングコースの入口の視界が効かない農道をしばらく歩きます。
   今日のコースは全て舗装された道で、しかもメインの道なので間違うような所はありません。
 8・ 茶畑が見えてくると視界も開け景色が見えてきます。正面に見える山は高尾山でしょうか。

                9・農 道                                      10・ビク石(石谷山)
 
 9・ 分岐点には標識が立っているので安心です。
10・ 右の北東方面に見える山はビク石でしょうか。

            11・眺めが良くなってきた                            12・明るい農道
 
11・12 高度が上がるにつれ更に視界が開けてきます。

              13・高尾山のアンテナ                           14・烏帽子形山方面
 
13・ 山頂にアンテナが見える山は高尾山ですが、平成29年にアンテナは撤去されてしまいました。
14・ 本郷集落や烏帽子形山も見えてきます。

                            15・分岐からの志太の低山

15・ 高尾山への分岐辺りが、このコース随一というか唯一の展望地です。

              16・高尾山への分岐                             17・滝ノ谷への農道
 
16・ 上に延びる道が高尾山に続く道で、10分程登れば富士山が見えます。左の道が不動峡への道です。
17・ ハイキングコースは分岐の左の農道ですが、ここから下りではなくまだ軽い上りは3ヶ所あります。

              18・コマツナギ(駒繋)                          19・・コースはメインを
 
18・ 時季によるだろうが農道脇に花は少ない。
19・ 道が下り始めると分岐になるが、ハイキングコースはメインの林道を下るので分かりやすい。

             20・電波塔                               21・下りの分岐
          
20・ 軽い上り下りを経て電波塔に到着。この先の軽い上りが終れば後は下りだけです。
21・ 下りに入った所にある林道の分岐。

             22・高草山と伊豆半島                            23・面白味の無い農道
 
22・ 樹木の間から高草山や駿河湾、伊豆半島が見える場所もあります。
23・ 暫く景色も見えない農道が続き、右下に民家が見えてくれば山の市への分岐は近い。

               24・巨石と四阿                             25・遊歩道との分岐
 
24・ 左側に切断された巨石が置いてあるが彫刻でしょうか? その横には四阿もあります。
25・ 巨石の先で農道を行くハイキングコ-スと、もみじ広場を歩く遊歩道が分岐しています。

          26・不動峡の道と合流(農道経由)                    27・不動峡山の市(農道経由)
 
26・ 橋を渡れば不動峡の道です。右は水車村や笠張山・菩提山に行く道です。不動峡へは左折して下ります。
27・ 不動峡山の市です。

          28・駐車場から下る(遊歩道経由)                      29・展望橋を渡る(遊歩道経由)
 
28・ 巨石下の分岐を左に入ると駐車場があります。その隅にもみじ広場に行く階段があるのでそこを下ります。
   農道経由のハイキングコースを歩くより、もみじ広場の遊歩道の方が変化もあり、しかも近道です
29・ 場違いなほど頑丈な展望橋を渡ります。

          30・もみじの広場(遊歩道経由)                        31・地蔵尊(遊歩道経由)
 
30・ もみじの広場はもみじが植栽されていて、秋には紅葉を見る事ができそうです。
31・ 広場の隅にはお地蔵さんが何体も安置されています。

         32・石の彫刻(遊歩道経由)                             33・吊橋(遊歩道経由)
 
32・ 彫刻の後ろに見える橋は展望橋です。
33・ 吊橋を渡れば山の市の広場です。

                               34・滝ノ谷不動峡案内図

34・ 山の市の広場にある案内板。イラストでは農道経由の方が短く見えるますが見る物が無いからでしょう。

              35・不動峡山の市                               36・石の彫刻
 
35・ 広場の前には山の市の建物はありますが殆ど開いていません。紅葉の時季だけ開店するのでしょうか?
36・ 回らなくなった水車小屋の横に置いてある石の彫刻。何故か切断した石が多いです。

            37・コアジサイ(小紫陽花)                           38・川沿いの車道
 
37・ 春にはコアジサイを見る事ができます。
38・ 滝ノ谷川沿いの細い道ですが、時折車が来ますので注意をしてください。前方にお堂が見えてきます。

                                  39・不動峡の摩崖仏
          
39・ 高さ10m幅7mの不動明王の摩崖仏は日本一の大きさだそうです。

           40・ヤマホトトギス(山杜鵑)                            41・ヤマユリ(山百合)
 
40・ お堂付近の岩壁やガードレールに下でヤマホトトギスの花を見る事ができます。
41・ 夏にはヤマユリが岩壁から垂れ下がっていました。

              42・渓流釣り                               43・温泉宿跡
          
42・ 巨石がゴロゴロした付近では渓流釣りをしていました。
43・ 温泉宿跡に残る太鼓橋は往事を偲ばせています。藤枝の街から芸者が馬車に乗り、最後は人力車に乗ってきたそうです。

              44・飛行薬師如来                               45・渡り鳥
 
44・ 火事で焼けたと思った薬師如来が、後日山中で発見されことから飛行如来と名付けたそうです。
45・ 夏には子供が水遊びをする淵で渡り鳥が羽を休めていました。

              46・右折して橋を渡る                               47・柿の木
 
46・ 突当りを右折して橋を渡ります。左の道は飛行薬師の竜雲寺への道です。
47・ 橋の袂にはお餅カフェ 「柿の木坂の家」 があります。土日営業のようです。

             48・橋を渡ったら左折する                             49・八坂神社
 
48・ 今度は橋を渡った所で左折します。右は椿山や菩提山の登り口上滝沢への道です。
49・ 橋の手前にある八坂神社には静岡県の無形文化財に指定されている 「瀧澤の田遊」 が伝承されています。

           50・火の見櫓                          51・滝沢の繁華街?
    
50・ 火の見やぐらに蔦が絡みついています。
51・ この辺りが滝沢集落の中心だったのでしょうか。

              52・県道に合流                              53・水防倉庫の案内板
 
52・ 県道81号に合流したら左に下る道を進みます。
53・ 水防倉庫の壁に 「滝沢・滝ノ谷のみどころ」 が紹介されています。

               54・県道81号                                55・中山公園
 
54・55・ 県道に合流して600mも行った所にトイレのある中山公園があります。
      ゴールの中山バス停は、更に少し進み県道32号に合流した右にあります。

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景  色 = ★★      上りの農道から景色は見えますが・・・・。
登山道 =        全区間車が通れる舗装道路で評価は難しい。
道  標 = ★★★★★ 困る所はありません。
見  所 = ★★     秋なら不動峡の紅葉があるが。
総  評 = ★★    態々このコースだけを歩きに行くのでは張合いが無い。不動峡は高尾山、笠張山、菩提山の時にも
              歩くので、このコースは高尾山からの下山コースとしてゆらく側に下るルートにした方が良いと思う。          
難易度見直し =  全区間舗装道路で登ったら下るだけの単純なコースは中級でなく初級で充分。

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中里・滝ノ谷:ハイキングコース調査蛇足

2017-08-09 12:03:34 | その他
  これからの話は他人には知られない方が私の格好は守れるだろうが、このブログを見てくれている方の中に、
私しと同じ年代の方がいたら、少しは役に立つのではないかと思い恥を承知で告白します。

  踏切の柵に腰掛けながら下を向くと、頭の中がスーとして何本もの線が表れたような気がした。

 「ここは藤枝駅の東側の踏切です。お年寄りが気を失って倒れてします。」
ウン? 何だ? 俺の事か? 早とちりだな~ 俺は何でもなのに。
 「アッ! 私は大丈夫です。」 と声を挙げたが、携帯で話している女性は通話を止めない。
この女性は自転車の後ろに女の子を乗せた人で、俺と一緒に踏切に立っていた人だ。

  「どうしたんだ? 大丈夫かな~?」 と今度は男の声がする。目を開けると男性が数人私を見下ろしていた。
 「大丈夫です。」 と起き上がろうとするが腕や腰に力が入らない。
暫くたったのだろうか、今度は私の両肩に手を掛けて 「大丈夫ですか?」 と声を掛けてくれた男性がいた。
薄目を開けると制服を着た若い人で、目の前で私を覗き込んでいる。どうやら救急車の隊員のようだ。
これはいけない。このままだと救急車で病院に運ばれてしまう。それは駄目だ。
しかしそんな事はお構いなく、私は担架に乗せられ救急車の中に入れられてしまった。

  イヤー!気持ちいい。救急車の中は冷房が効いていて生き返ったようだ。
ここで住所氏名年齢などを聞かれたが、間違えてると意識障害と思われてしまうので、ハキハキなるべくシッカリしていると
思われるように答えた。
症状を聞かれたので、吐気も眩暈も痛い所も無く、休んだので体力は戻った感じだと答えたが、
 「○○救急士の判断で病院に搬送します。」 と最悪の答えが返ってきた。 アーァ! やっちゃった。もう元には戻らない。

  救急車で搬送されているとき 「川に入ったのですかと?」 と聞かれたが、そんな事はないと答えると
 「全身がビッショリですので服を脱がせます。」 服を脱がせ汗を拭いてくれた。
救急士の話では、私は電車待ちで踏切に座るとそのまま地面に横になって動かなくなってしまったそうだ。
近くにいた女性が声を掛けたが反応が無かったので、119番に通報したそうです。

  どうやら柵に座った時に気を失い、女性の電話の声で一旦は気が付いたものの、また気が遠くなり、次に気づいたのは
野次馬らしき声がした時のようだ。
その後の救急車のサイレンの音には気が付かなかったので、また寝込んだのかもしれない。
だが救急隊員に声を掛けられてからは意識もしっかりし、不調な所は無く力らも蘇ったのだが・・・・・・・

  病院の処置室に入ると大勢の医師や看護婦に取り囲まれ、ズボンもパンツも靴下も脱がされ真っ裸にされてしまった。
恥ずかしく惨めだが何と仕方なく、眼をつぶるだけだった。
看護婦たちの声が 「発汗が酷く全身ビッショリです。」 とか 「血圧が計りにくい」 「体温が測れない」 なんて声も聞こえてくる。
 「肛門から体温を計りますね。」 とブスっと尻の穴に異物を入れられた。
更に 「少しチクっとします。」 と両足の付根に針を刺す感触がした。それも一度ではなく何度もチクチクする。
余り何度もチクチクするので 「何をしているのですか?」 と聞くと 「採血をしているのですが中々採れなくて」 と言う。
今まで何度も採血はしていて、血が取りにくいなんてことはなかったので、この医者は不器用だ。なんて思いながら我慢をした。

  倒れた時の状態を聞かれたが、特に何もなくただスーとしただけとしか答えようがない。
症状を聞かれても何とも無かったのだから言いようもない。
医者は 「目の前が真っ暗になったか」 「吐気や眩暈は無かったのか」 「足は攣らなかったのか」 「脱力感は無かったか」 など
色々聞かれるがどれも該当をしない。
今の症状も聞かれたので少しは協力しないと思い 「少し疲れている。」 と答えると 「疲労感を感じるのですね。」
念を押されてしまった。
 「今日はゆらく近くのハイキングコースを歩いて、そのまま駅まで歩いて来たので少し疲れた。」 と言うが、ゆらく付近の地理は
知らないようで、詳しく聞かれるが不動峡も瀬戸ノ谷も知らないのだから説明のしようもない。
医者や看護婦も諦めて 「何時から歩き出して、どのくらい歩いたのですか?」
 「朝8時にゆらくを歩き出して、踏切に3時前に着いて、だいたい20kmくらいです。」
 「水分は採っていたの?」 
 「ハイ。500のポカリと氷らせた水750で、水が少し残っている程度です。あのーその水を飲んでもいいですか。」
 「アーいいですよ。誰か取ってやって。」
と言ってくれたので、まだ少し氷のある水を飲み干した。
ウーン! 旨い。医者看護婦もそんな私の様子を見て、何でもないと判断したようで、その後の会話は雑談のようになった。

  診察室での結果は 「点滴を2本打ち、その後で血液検査の結果を見て帰れるかどうか判断します」 という事で病室に入れられた。
  病室で点滴を受けていると娘が妻と入った来たのビックリした。わざわざ娘に知らせなくてもと思ったら、娘は仕事が休みで家に
来ていたとき、救急車から連絡があったので慌てて妻を車で連れてきのだった。何とも間が悪い事だ。

  点滴を受けているとき経口補水液OS-1を買ってきてもらったが、500㏄を簡単に飲み干し、2本目も買いに行ってもらった。
矢張り水分が足りなかったのだろう。歩いているときは喉が渇いた感じが余りしないが、体の水分は汗で出てしまったのだろう。
歩く時はあと1本追加する必要がありそうです。

  点滴も終り血液検査の結果も出て医師から診断結果を聞く。
 「朝からの長時間の運動で体の水分だけでなく、血液の中の水分も汗で出てしまい、脱水症状になったようです。
ですが体温の上昇は見られず、眩暈も足も攣っていない事から熱中症ではなく、脱水症状です。
最初は血管の中の血漿成分が少なく、血圧も正常に測れない状態でしたが、点滴を血管に直接補給してやっと上が90で下が
65にになりまし。その後も血圧は上がって今は138の76になっています。
水分も塩分の取っていたようですが、長時間続いた運動に伴う発汗には追い付いていなかったのでしょう。
お歳がお歳ですから運動をするにしても、もう少し加減した方が良いですね。」


 ウーン! 反論の余地はないものの脱水症状で倒れたのに何故熱中症じゃないのだろう。確認すると
 「熱中症は体温の上昇を伴って現れる症状で、この場合は体温が正常なため、あくまでも脱水症状です。」 だって。
理解できないがそういう事らしいです。

  娘と妻の前を歩いていると 「お父さんもっとゆっくり歩いて、これじゃどっちが病人だか分からない。」 と笑われてしまった。
その時は長い休憩もして、水分も十分に取ったので体力は回復し、リュックを背にしたのでいつもの歩きになってしまったようで、
もう踏切で横になってしまった影は片鱗も無かった。尤も妻たちに何でもない事を強調したい気もあったかもしれないが。

  なんだかんだ色々あったが、結局 「暑い間は歩きに行かない」 事を約束させられ、家での夕食は、もちろん晩酌は無いが
ご飯はいつもと同じように食べる事ができた。毎日に歩いていた河川敷も、三日休んだが今は7月と同じように歩いています。
一体あの出来事は何だったろう? と夢のような気がしまう。

それでも二度と今度のような騒ぎを起こさないため反省もしました。
今回の帰途では、昼飯を食べた場所から藤枝駅まで7k程度の距離を座って3回も休んでいる。
それが前々回の花倉城跡では6Kでも座っては休んではいない。
さら前回の宇津ノ谷越えでは、最後に休んだ444m峰から焼津駅までの山道を含んだ8kmの道を一度も休まず歩いている。
こうしてみると今回は7kmで3回もどっかり座り込んだのは異常だ。少なくとも3回目に座って休んだ勝草橋では、異常を感じて
バスに乗るべきだった。
 「無理せず楽せず程々に」 がモットーな私なのに・・・・・・・・ でも勝草橋ではまだ余裕があったのに、と未練たらしい気持もある。

中里・滝ノ谷:ハイキングコース調査

2017-08-08 15:08:41 | ウォーキング
歩行記録                                                           H29-8-6(金)
歩行時間:4時間35分   休憩時間:1時間50分   延時間:6時間25分
出発時刻:8時30分     到着時刻:14時55分
歩  数: 30、915歩(推定距離21.95km)    GPS距離20.9km
行程表
 ゆらく 0:15> 陶芸センタ 0:35> 高尾山分岐 0:40> 山の市 0:45> 普門寺 0:35> 西向地蔵 0:50> 清水寺
 0:55> 藤枝駅踏切

                           中山・滝ノ谷ハイキングコース概略図
    
  今回もまた “安近短” の藤枝ハイキングコース 「中里・滝ノ谷コース」 の調査です。
このコースは日帰り温泉ゆらくを出発地にして、山越えの農道を滝ノ谷集落に行き、後は滝ノ谷川を中山まで下る、前長
6km程度で舗装道路のコースです。なのになぜか難易度は “中級” に認定されている不思議なコースでもあります。
中山からは清水寺のサカキカズラの状態を確認するため、清水寺の峠越えをして藤枝駅に戻る予定ですが、距離は20km程度
と短いので3時前には藤枝駅に戻れるでしょう。

          
                    日帰り温泉ゆらく                               路傍の石仏

  ゆらくは、ここまでバスで来たり、ゆらくからバスに乗ったり、またはその前を歩いたりと何度もここは通っているが、まだ温泉には
入った事がない。お世話になっているのだから一度は入ってみたいが、山歩きの前後ではそんな気になる事はない。
かと言って、この温泉のためだけで態々入りに来るほどの温泉とも思っていないので、いつまで経っても入る事はなさそうです。

  瀬戸川沿いに蔵田に向かう県道32号線は、古い石仏が沢山あります。ハイキングコースの出発点に指定されている玉田橋にも
丸彫りのお地蔵さんが安置されているが、頭部は丸い石を置いてあるだけで顔の表情はない。首の所がセメントで固めてあるので、
首が無くなったため丸い石を置いたのかもしれない。

 
               ビク石(石谷山)                                   高尾山

  玉田橋を渡った所で県道と別れ、藤枝市の陶芸センターへの農道に入る。
歩き出した時は雨がポツポツしていたが、それも今は止んで曇り空になっている。それは有難いのだが、農道の日陰に入った途端に
小虫の攻撃が始まった。
音を立てて攻撃してくる蚊だけではなく、顔の周りに纏わりつく小虫やアブのような大型の虫もいる。
早速タオルを取り出し、振り回しながら歩く小虫対策を始める。
しかし私の学習能力の無さにはあきれてしまう。この時期低山を歩けば小虫や蜘蛛の巣攻撃は必死なのに何の準備もしない。
蜘蛛の巣はともかく、小虫なら防虫スプレーを掛ければ効果が有るだろうと思っているのに、それさえしないのだから。
確かに家に戻れば小虫の事など忘れてしまうが、心の奥に “勿体ない” というケチ根性もあるからでもある。

  しかし農道が高度を上げ景色も見える辺りに来ると事情は一変した。出発時には雲っていた空は一転青空になっていて、
強烈な日差しが老体に襲いかかり、早くも汗まみれの状態になってしまった。
南東側に見える二つのピークの左側はビク石だろうか? 自信はない。
一方北の正面に見える山は高尾山かな? 以前は高尾山の肩の辺りにNTTの鉄塔が見えていたので判別できたが、鉄塔が撤去
された今は自信が無くなってしまう。

 
               高尾山分岐                                   コマツナギ(駒繋)

  農道が分岐していて、右に登る農道は高尾山へ行く道で、少し先には富士山も見える場所もある。
滝ノ谷への道は左に下る道だが、ここが最高点ではなくまだ軽い上りは残されている。

  地面を這うようにし伸びた茎から、花穂が立ち上がって咲くこの花は、農道脇なのでよく見かける花です。名前を調べるとマメ科の
「コマツナギ」に 似ているが自信はありません。
名前の由来は 「馬を繋ぐほど茎が丈夫なため“駒繋” となった。」 そうです。
しかしどう見てもそれほど太い茎ではないので、花が違うかもしれません。


    左奥に高草山                                                     右端は烏帽子形山

  分岐部分がこのコース一番の展望地です。しかしこれでコースのメインが終りでとは余りにもあっけなさすぎだ。
せめとこの分岐から高尾山に行き、蔵田へ下るか、もしくは笠張山を通って滝ノ谷に下るコースは考えなかったのだろうか。
私がコース設定者なら多分そんなコースにしただろう。

 
                巨石のある四阿                               モミジの広場

  巨石と四阿や駐車場のある場所に出た。前回はハイキングコースを忠実に辿り、面白味の無い農道を下ったが、今日は巨石から
駐車場に入り込んでみた。多分山の市に行く遊歩道があるのではないかと判断して・・・・
ピンポン! 有りました、有りました。駐車場の隅には階段が設けられていて立派な橋に続くが道が延びています。
橋からはモミジが植栽された広場が見えていたが、案内板には広場は “モミジの広場” で、橋は “展望橋” となっていた。

 
            モミジの広場のお地蔵さん                          モミジの広場お地蔵さん

  斜面の付根には新しいお地蔵さんが並んでいたが、ここは不動峡なのだから不動明王の方が合っているのでは・・・・
イエイエ怖いお不動山より、優し童地蔵の方がこの場所には似合っているようです。

 
            モミジの広場の石の彫刻                           山の市の石の彫刻

  石の彫刻と云うと何故か自然石を切断した物が多いが、審美感の乏しい私にはその意味を理解することができない。
写真以外にも、四阿の横に巨石を切断した石や、広場にはかすがいを幾つも打ち込んだ石もあったが、何を表しているは不明だった。

 
               山の市横の吊橋                                    山の市

  モミジ広場の先には吊橋があり、それを渡ればもう山の市だった。
これなら農道を下るより断然近道で変化もあり、こちらを歩いた方が断然面白い。何故ハイキングコースをこっちにしないだろう。と、
すぐ疑問が湧いてくる。

  山の市は相変わらず閉まっています。

 
                ヤマユリ                                    川遊び

  不動峡の道は何度も紹介しているの今回は省略です。
何せここを歩くハイキングコースは、菩提山や高尾山、笠張山そして今回の中里・滝ノ谷コースと4コースで指定されている。
そのうち笠張山コースでは、行きも返りも同じこの道を歩くようになっている。
いくら不動峡を広めたいと言ってもこれでは飽きてしまいます。私なら・・・・・ また始まった。こんな話も飽きてしまうので省略します。

          
            普門寺の参道                               普門寺本堂

  ハイキングコースゴールの中山バス停手前でこのまま清水寺に行くなら、その前にまだ行った事のない花倉城を舞台にした
 「花倉の乱」 の主人公 “玄広 恵探(げんこう えたん)” が自害した普門寺に寄って行く気になった。
普門寺の正確な場所は分からないが何とかなるだろうと滝沢バス停の所を左折して初めての道に入った。
だが案ずるより産むが易しで簡単に普門寺の参道に着く事ができた。

  何となく趣ある参道で期待は高まったが、上った境内の先に建つ本堂や鐘楼は新しく趣は感じられなかった。

          
              無縁塔                                  石仏群

  案内板が無いのでそれらしき場所に行き玄広恵探の墓を探すが分からない。あるのは苔むした石仏や無縫塔だけで、例えこの
中の一つがそうであってもとても分からない。
諦めてお寺さんに聞こうと庫裡の方に行ったが、朱印を受けるのではないので声は掛けずらい。
仕方ないので次回に納経帳を持って再訪することにする。

          
            左が烏帽子形山                     右は竹本山            今川良真菩提寺案内

  参道から、玄広恵探が花倉城から逃げた時に通ったであろう烏帽子形山が見える筈だが、その山頂が分からない。
私の当てにならない妄想的歴史観は、
 今川義元に花倉城を攻められ、最早これまでと城を捨てた玄広恵探は、城から尾根伝いに繋がる烏帽子形山の中腹に出た。
そこからは祖父の居城のある遠江の高天神城を目指して滝沢方面の駆け下りただろう。
だが惠探が麓に下ると、味方のいる遠江へ向かう滝沢方面は、既に義元軍に封鎖されていて通ることができない。
止む無く北の山に逃げ込んで、小さな普門庵に立った恵探は、自分が逃げてきた山を眺め、この山を越してきたのに駄目ならと、
全てを諦めて自刃してしまった。

  そんな訳で是非とも烏帽子形山の正確な位置を知りたくなり、参道の下の道で誰か居ないかと辺りを見回すと、軽トラの横で
作業をしていた男性がいたので、早速烏帽子形山を聞くと
 「ほらあの左の山が烏帽子形山で、右が地元じゃぁ竹本山と呼んでる山だよ。」 と簡単に教えてくれた。
ならば花倉城跡や三角山の事も知っているかもしれないと聞いてみると
 「城(じょう)山は烏帽子形山の後ろで見えないけど尾根で繋がっているよ。三角山は聞いた事はないが多分烏帽子形山を下った
所の後ろに見える尖った山がそうじゃないかな、あそこを行けば助宗に下れるから。」

何でも知っているので嬉しくなり普門寺の玄広恵探の墓の事も聞いてみた。
 「時々この寺に恵探の墓を見に来る人がいるが時代が違うよ。この寺は江戸時代に出来た寺で花倉の乱は戦国時代の事だから
墓なんてあるわけはない。恵探の墓はもっと北の、藤ノ瀬会館から奥に入った所に大東亜戦争の忠霊塔と一緒にあるよ。」
 「史跡として認定して欲しくて市に申請したら “忠霊塔があると認定できない” と断られてしまった。一時は忠霊塔撤去の話も出たが、
忠霊塔は本郷(地元の集落)だけの戦死者だけでなく、周りのの人も祀ってあるので駄目だった。」


  更に話は恵探の花倉城からの脱出路になると
 「城から烏帽子形山に出てから山頂に行って、尾根伝いに本郷に下った。」 と私とは少し違っていた。
 「あんたみたいな歴史に興味がある人らと脱出路を調べたりすれば面白いだけど、最近の若いしは全然興味が無いからなぁ。」
そんな話を30分近くもしていたけど時間も気になってきたのでようやく別れました。
そう云えば以前烏帽子形山に行ったとき、山頂から北に下る斜面に古い階段を見つけ、何処に行くのか興味を覚えたが
 「10数年前、地元紺屋の衆が山頂から石仏の方に下る道を整備した。」 と言っていたので、あの階段は石仏隧道に通じている
のかもしれません。
貴重な話をありがとうございました。また長い時間作業の手を停めさせてしまい申し訳ありませんでした。

  県道の入口に 「臨済宗普門禅寺 今川良真菩提寺」 の案内が立っていた。今川良真?聞いたことがないが誰だろう?
普門寺の境内では何の案内板も目にしなかったが気になる。家に戻り調べてみるとウイキペディアには
 「玄広 恵探(げんこう えたん)は、今川良真(ながさね)を名乗ったとする説もある。」 と載っていた。
ナニー! 玄広恵探が今川良真だって。初めて知った。じゃぁあの人の話は何だったのだ。
さらに調べたが、多くは “瀬戸谷の普門寺(庵)で自刃” としたものが多かったが、これではどちらで自刃したか分からない。
しかし地元の人のHPの “瀬戸川流域の歴史” には
 「今川良真の墓 藤枝市瀬戸谷・藤枝市立藤の瀬会館の東,亀ヶ谷沢にある。「花蔵の乱」の最終地点である。
今川義元に滅ぼされた今川良真が自刃したところである。寛永8年普門寺を再興した当時の住職により碑が立てられた。」

とあり写真もアップされていた。
どうやらこれが正解のようだが、普門寺が菩提寺であることも間違いない。しかし紛らわしい事も確かだ。

          
                      サカキカズラ(榊葛)                              サカキカズラの実

  フゥー暑い! 汗だくになり昼飯は瀬戸川の堤防の石垣に腰かけて上半身裸で食べた。
帰りは清水寺のサカキカズラを確認するする予定だが、その前に元気があれば烏帽子山から三角山の山道を歩こうと思っていた。
だが、自分の考えていた惠探の脱出路が地元の人の説と違っていたので、その気は無くなってしまった。
お陰で照り返しの強い車道歩きをするはめに。ウーン!暑い!

  助宗から清水越えの道は本来ならたいした事はないのだが今日は疲れる。何とか稜線近くの日陰に入りホッとする。
清水寺は近づいたが、今日もサカキカズラの花は見る事ができなと思う。前回は桜の咲く4月に行ったが、蕾らしき物はあったが、
まだ固く小さかった。それから4ヶ月近く過ぎてしまったので、すでに花は無理だろうと思っていた。
とは言え若干の期待をもって葉の中を覗き込むと、花どころか既に竹とんぼ状の実が幾つも付いていた。ガッカリ。

  清水寺には寄る気も起きず、そのまま農道を下り、水の流れている不動尊の前でしゃがみ込んで休憩をする。ウーン!疲れた。

 
             総合運動場の照明設備                           サルスベリ(百日紅)

  清水寺からは道も太くなったがまだ日陰の道は続いた。だがサッカー場の照明塔が見えた辺りからは、また陽射しの中を歩く事に
なる。それでも運動場の駐車場に、こんもりした木を覆うようにピンクと赤い花が咲いているのを見つけるとまだ近づく余裕もあった。
名札は無かったが木肌と花の付き方からサルスベリだと分かった。
ピンクと赤の花は1本の木が咲き分けているのではなく、2本の木が植えられていたが遠くから見ると咲き分けているように見えた。
サルスベリにしては見ごたえのある木だった。

  運動場から瀬戸川横の勝草橋まで一気に歩く元気は無く、途中にある金吹橋の横の延命地蔵尊前でまた座り込んでの休憩をした。
ここからバスが出ているが、まだ18k程度しか歩いてないし、暑いけどまだまだ大丈夫だ。

  桜の咲いていない時は長く感じる瀬戸川の桜並木を、ようよう歩いて勝草公園に到着。またもやベンチに座り込んで休憩する。
ここからバスは何本も出ているが、まだバスに乗る気は起きていない。

  勝草橋から藤枝駅には歩行者専用道路のある旧田沼街道を歩く。本当に疲れていればバスに乗ったり、少しは近道になる車道を
歩くが、今日はそんな気も起きていない。それでも帰りに烏帽子形山経由をしなくて良かったと自分の判断に感謝する。
ようやく藤枝駅横の踏切に到着。駅までは後500mもないが、生憎踏切の警報が鳴りだした。仕方ない柵に座って待つことにしよう。

7月の歩行記録

2017-08-04 12:00:00 | その他
  新聞に載っていた 「成人男子の一日の平均歩行数 7000歩」 を見て、自分の歩行数を調べてみると
何と!何と! 1日目の歩数は、たったの 280歩 でした。

 これにはさすがの私もショックを受けてしまった。何しろ6月の歩行距離は4回の低山歩きの47KMだけで、後は
引籠り状態で1日200歩から500歩程度を歩いていたに過ぎなかった。

 これを歩数に直すなら 6月の日数(30日)-山歩きの日数(4日)✖1日の平均歩行距離(400m)✖歩幅(0.71m)+
山歩きの距離(47000m)✖歩幅(0.71m)÷6月の日数(30日)=6月の1日平均歩数(1358歩)
故に ((30-4)✖400✖0.71+47000✖0.71)÷30=1358 となり、
   6月の一日平均歩数はたったの1,358歩だった。

 これではいけないと心機一転し、目指した7月の目標は、成人男子の平均歩行数7000歩の上を行く
                  「一日の平均歩行数 8000歩」      でした。


それから一ヶ月過ぎた7月の結果は、果たして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


               6月平均歩数千五百歩  ➩  7月平均歩数一万千五百歩

  どうですか一日の平均歩数は、一日1万歩も多くなりました。これには私もびっくりですが一寸やり過ぎの感がしないでもない。
8千歩未達成の日は低山歩きの前日か翌日の3回だけで、他は全て目標値の8千歩を越えている。
疲労を蓄積しないよう山歩きの前後は休むようにしていたが、熱しやすく冷めやすい私の性格がズバリ出てしまったようです。
ここは矢張り 「無理せず 楽せず 程々に」 のモットーを思い出し、8月の目標値は変更せずに
  「一日の平均歩行数 8千歩」  にします。