歩行記録 H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分 休憩時間:1時間45分 延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時20分
歩 数: 33、879歩(推定距離25.4km) GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅
22番大日寺(ご本尊)
大日寺山門 弘法堂
21番から22番大日寺(だいにちじ)への道は、国道247号を南下した場所にあったが、何故か手元の地図は途中にある名鉄
青山駅の横を通るようになっていた。多分この方のが距離が若干短くなるのだろう。
大日寺は青山駅から更に国道を南下して 「上ゲ駅」 の近くにあった。「上ゲ」 って何て読むか調べると 「あげ」 だそうです。
そんな事なら “上” 一文字の「上駅」方が読みやすくないか 。駄目かこれでは知らない人全員が 「うええき」 と読んでしまう。
やはり “上ゲ駅 ”の方が、私のように “何て読むのか” と興味を持つ人も出てくるし、そんな人の記憶にも残るだろう。
ウィキペディアに 「上ケ」 の地名の謂れが載っていた。
「上ケ付近はかつて存在した長尾城西方の城内居住区画に当たり、ここに住んでいた農民が 『城(本丸)を見上げる地』 と
尊称していたことに由来する」 とあったが少々苦しい気がする。
さらに地図上の表示は “上ケ” と濁らないが、読み方は “あげ” とルビが振ってあった。そうなると駅名の“上ゲ” は間違っている
事になるが、 “上ケ” では地元民以外は誤読をしそうなので、あえて “ゲ” にしたのだろう。
大日寺の名前は四国を歩いた時も三寺あり、いずれの寺も真言宗でご本尊は大日如来だった。しかし今回訪ねる知多四国の
大日寺は、ご本尊は大日如来だが宗派は浄土宗だった。少し違和感を感じて調べてみると
「戦国時代の戦で被災した寺の本尊の大日如来像を池に沈めて難を逃した。100年後に発見された大日如来は近くの寺に祀り、
寺の名前を大日寺に改めた。」そうです。
私が違和感を感じたのは宗派とご本尊の組み合わせです。尤も私の知っている組み合わせは真言宗のご本尊が大日如来で
脇侍が不動明王と云う事だけです。でもその僅かな知識の網に引っ引っ掛かったのだから素晴らしい。
22番大日寺は浄土宗にも係らず大日如来を御本尊として寺号も大日寺と改めたようです。きっと大日如来のご利益が大き
かったのでしょう。しかしそれなら宗派も真言宗にすれば良かったのにとも思いますが------
ついでに主な宗派の本尊を調べてみました。
○真言宗 - 大日如来 ○天台宗 - 釈迦如来・阿弥陀如来 ○禅宗(曹洞宗・臨済宗) - 釈迦如来
○浄土真宗 - 弥陀如来 ○浄土宗 - 弥陀如来 ○日蓮宗 - 曼荼羅?
一応書いては見たが日本の仏教は宗派間内の決まり事は少なく融通無碍のようです。江戸時代以前は権力者や有力檀家の
威光に逆らえず、ご本尊などはそのままの状態で改宗したり、明治時代の神仏希釈では宗派に属していなかった寺は、とりあえず
似通った考えの宗派や、入りやすい宗派に入ったようです。
ぴんころ地蔵 みたけ観音
境内にまだ新しい 「ぴんころ地蔵」 と名の付いた地蔵像が建っていた。横にあった立札には 「“健康長壽” ぴんぴん元気に
命終には “ころりん” 往生 PPK発願主 住職」 だって。
PPKは老人なら、いやもの思う人、全ての願いだろう。だれも管に継がれたり胃瘻に頼ってまで長生きはしたくない。
「みたけ観音」 には何の案内も無いので謂れは分からない。だが大日寺の山号が 「御嶽山」 であるの見ると、これから名を
付けたのだろう。すると “御嶽” は “おんたけ” ではなく “みたけ” と読むのか。
読み方ではぴんころ地蔵の立札に 「命終」 なる言葉が書いてあったが、その意味は説明がなくても何となく分かる。
ただこの言葉は聞いた事がないので住職の造語と思っていたが、辞書には 「命終(みょう じゅう)→命が尽きること。死ぬこと」
とあった。他にも 「臨終(りんじゅう)とは、死を迎える直前の時期をいう。臨命終時(りんみょうしゅうじ)の略語。」 とある。
ならば命終も同じようにこの言葉からきた略語ではないだろうか。
21番から22番大日寺への道
歩行時間:6時間05分 休憩時間:1時間45分 延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時20分
歩 数: 33、879歩(推定距離25.4km) GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅
22番大日寺(ご本尊)
大日寺山門 弘法堂
21番から22番大日寺(だいにちじ)への道は、国道247号を南下した場所にあったが、何故か手元の地図は途中にある名鉄
青山駅の横を通るようになっていた。多分この方のが距離が若干短くなるのだろう。
大日寺は青山駅から更に国道を南下して 「上ゲ駅」 の近くにあった。「上ゲ」 って何て読むか調べると 「あげ」 だそうです。
そんな事なら “上” 一文字の「上駅」方が読みやすくないか 。駄目かこれでは知らない人全員が 「うええき」 と読んでしまう。
やはり “上ゲ駅 ”の方が、私のように “何て読むのか” と興味を持つ人も出てくるし、そんな人の記憶にも残るだろう。
ウィキペディアに 「上ケ」 の地名の謂れが載っていた。
「上ケ付近はかつて存在した長尾城西方の城内居住区画に当たり、ここに住んでいた農民が 『城(本丸)を見上げる地』 と
尊称していたことに由来する」 とあったが少々苦しい気がする。
さらに地図上の表示は “上ケ” と濁らないが、読み方は “あげ” とルビが振ってあった。そうなると駅名の“上ゲ” は間違っている
事になるが、 “上ケ” では地元民以外は誤読をしそうなので、あえて “ゲ” にしたのだろう。
大日寺の名前は四国を歩いた時も三寺あり、いずれの寺も真言宗でご本尊は大日如来だった。しかし今回訪ねる知多四国の
大日寺は、ご本尊は大日如来だが宗派は浄土宗だった。少し違和感を感じて調べてみると
「戦国時代の戦で被災した寺の本尊の大日如来像を池に沈めて難を逃した。100年後に発見された大日如来は近くの寺に祀り、
寺の名前を大日寺に改めた。」そうです。
私が違和感を感じたのは宗派とご本尊の組み合わせです。尤も私の知っている組み合わせは真言宗のご本尊が大日如来で
脇侍が不動明王と云う事だけです。でもその僅かな知識の網に引っ引っ掛かったのだから素晴らしい。
22番大日寺は浄土宗にも係らず大日如来を御本尊として寺号も大日寺と改めたようです。きっと大日如来のご利益が大き
かったのでしょう。しかしそれなら宗派も真言宗にすれば良かったのにとも思いますが------
ついでに主な宗派の本尊を調べてみました。
○真言宗 - 大日如来 ○天台宗 - 釈迦如来・阿弥陀如来 ○禅宗(曹洞宗・臨済宗) - 釈迦如来
○浄土真宗 - 弥陀如来 ○浄土宗 - 弥陀如来 ○日蓮宗 - 曼荼羅?
一応書いては見たが日本の仏教は宗派間内の決まり事は少なく融通無碍のようです。江戸時代以前は権力者や有力檀家の
威光に逆らえず、ご本尊などはそのままの状態で改宗したり、明治時代の神仏希釈では宗派に属していなかった寺は、とりあえず
似通った考えの宗派や、入りやすい宗派に入ったようです。
ぴんころ地蔵 みたけ観音
境内にまだ新しい 「ぴんころ地蔵」 と名の付いた地蔵像が建っていた。横にあった立札には 「“健康長壽” ぴんぴん元気に
命終には “ころりん” 往生 PPK発願主 住職」 だって。
PPKは老人なら、いやもの思う人、全ての願いだろう。だれも管に継がれたり胃瘻に頼ってまで長生きはしたくない。
「みたけ観音」 には何の案内も無いので謂れは分からない。だが大日寺の山号が 「御嶽山」 であるの見ると、これから名を
付けたのだろう。すると “御嶽” は “おんたけ” ではなく “みたけ” と読むのか。
読み方ではぴんころ地蔵の立札に 「命終」 なる言葉が書いてあったが、その意味は説明がなくても何となく分かる。
ただこの言葉は聞いた事がないので住職の造語と思っていたが、辞書には 「命終(みょう じゅう)→命が尽きること。死ぬこと」
とあった。他にも 「臨終(りんじゅう)とは、死を迎える直前の時期をいう。臨命終時(りんみょうしゅうじ)の略語。」 とある。
ならば命終も同じようにこの言葉からきた略語ではないだろうか。
21番から22番大日寺への道