「富士山麓道一周ウォーク」
4回目-3 歩行日2010/11/16 距離26.5km 歩行時間6時間37分
交流プラザ ― パノラマ台 ― 明神山 ― 三国山 ― ずな峠 ― 林道出合
9:12 9:30 9:55 10:33 10:57 11:57
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富士霊園 ― 仁杉交差点 ― 中畑交差点 ― 御胎内 ― 春樹橋
12:45 14:08 14:43 15:40 16:50
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御胎内へ(水かけ菜)
日本桜100選に認定されている富士霊園に到着。ホット一息。
ヅナ峠からの下りは心配していたが何とか無事歩き終えた。春の富士一周でもこの道を歩いてもいいかなと思っているが、ただこの道の登りでは少々気は進まない。矢張り下りならという条件で。
平日のしかも時期外れという事もあって人も車も見当たらない。これが桜の時期になると何時到着するのか心配になるほど渋滞してしまう。しかもその車が桜の下に駐車するので景観を損ねること夥しい。桜の下は駐車禁止にすると良いのだが、すると車は何所に止めるのか? アッ!そうだ。富士霊園の先にあるスピードウエイに駐車したらどうだろう。そしてそこからシャトルバスで往復をする。どういいアイデアでしょう。
尤も霊園は無料開放をしているのでバス代やスピードウエイの駐車料金は誰が負担をするのか問題だが。
考えてみると一般的に桜見物は無料の所が多いが、観梅は入場料をとる所が多い。その理由は桜は公園や土手など公共的な場所に多く、梅は個人の敷地が多いからなのか。ならば富士霊園も私企業なので入場料を徴収しても不自然ではない。そうすれば見物客も減少して渋滞も緩和するだろう。
霊園のメイン通路の両側に桜が続き、その奥にはツツジや皐月も植えられていて、やはりそれを見に来る人も多い。紅葉は余り聞かないがご覧のように中々な物でもある。
霊園の中は広く、しかも入口から奥かけて上り坂になっているので、中ほどのロータリーの所で引き返すことにした。もっと上や奥に入れば綺麗な紅葉が見れるかもしれないが少々疲れた。この後のゴールは特に決めてはないが、出来るなら御胎内までは歩きたい。そこまで歩けば富士山一周も後一度で完歩出来る。頑張らなくちゃ。
自然の紅葉は黄色が多いが、此処は植栽しているので赤系統も多い。右の写真の下の木は薄っすら紅葉しているように見えるが、これは上の木の紅葉した葉が落ちたものです。
霊園正面の取り付け道路を県道に向かって進む。昨夜調べた地図では、ここから脇道に入ることにしてあるので脇道に入っていくと通行止の柵がしてある。また車は通行止めで人は通れるだろうと高を括って進んで行った。
前方の橋に通行禁止の馬(何と呼ぶのか分らない)が幾つも置いてありその中はポッカリ穴が開いている。隅を歩いて反対側から穴を覗き込むと ウヘ! 今歩いてきた所は表面のアスファルトだけで下は空洞だった。
危なかったな!知らぬが仏とはこの事だ。最初に穴を覗き込んでいれば恐くなって歩くのを止めてしまっただろう。そして迂回路を探して遠回りをしなければならなかった。ついているのか、ついていないのか、微妙なところだ。
この橋の崩壊は今年9月の台風9号が静岡県東部地方、特にここ小山町に甚大な被害をもたらしたもので、時間雨量100mmを越えたと報道されていた。9月に被害を受け11月に入っても手付かずのまま放置されているのは、やはり小山町の財政が厳しいからなのだろうか、それともこの道は生活道として余り重要でないかもしれないな。
箱根連山が見えてきた。中央の一番高い山が金時山でいわゆる足柄山だ。この山は小学校低学年の頃から登っていて、当時は金時ザンと言っていた。それが最近では金時ヤマと呼ぶようだが、その呼名を聞くとなんとも落着かない感じになる。ザンとヤマの違いだけだが、金時ヤマは何故か幼く感じ低い山のイメージになる。
誰がこんな呼び方にしたのだ。きっとTVあたりで漢字を見て金時ヤマと読んだのが広まってしまったのだろう。影響力の強い機関は地方の地名等もっと大事にしてほしい。読み方は勿論、アクセントも地元の言い方に合わせるべきだ。
例えば富士川は地元では一般的にふじかわと濁らないで読んでいる。ところがバスなどの案内は富士がわと濁って発音している。アクセントではJRの駅の原や草薙がそうだが、ここではどう説明していいか分らない。
そうそう以前こんな事もあった。労働金庫のTVCMで「ろうきん」のアクセントを従来と変えて放送した事があった。私の居た職場ではアッというまにその新しい呼び方に染まってしまったが、その時も嫌な気がしたものだ。それがまた何故か以前のアクセントでTVCMを流すようになると世間もそれに合せてしまっている。
金時ザンも地元の人に名前を聞くと最近では金時ヤマと答える人が出てきている。
田圃の中に見える緑は、この地方特産の「水かけ菜」だ。稲刈りが終った後に一列につながった高い畝を作る。そこに菜種を蒔いて芽を出せせる。今がその状態で更に寒くなると高くした畝の間に水を流し込む。畝を一列にしてあるのは、この時の水の循環を考えてあるのだろう。そして時々その水を菜っ葉に掛けてやる。春先菜っ葉の先に董がたち始めたとき、その茎を収獲して漬物にしたり、茹でて食べたりする。
今では水かけ菜の名前で土産物にもなり有名になったが昔は違った。名前も水かけ菜などとは言わずに「とう菜」と呼んでいた。字は「冬菜」なのか「董菜」なのかハッキリしないが何となく雰囲気があると感じません? 私はとう菜の方が好きだな。
昔で思い出したが、当時はとう菜の値段が安かったとみえ、農家ではなかった我家でも漬物は勿論、茹でたとう菜が毎食事に出て、うんざりしたものだった。
それが今では在所から送ってもらう水かけ菜の漬物が、待ちどうしくてならなくなっている。変われば変わるものだ。
御殿場地方の写真で菜の花畑の後ろに富士山が写っている写真を見たことは有りませんか。その菜の花がこの水かけ菜なのです。董の収獲が終った田圃はそのままにしてあるので、あのような菜の花畑に変身するのです。
正直富士霊園から御胎内の道は面白くなかった。道の選択が悪いのかもしれないが、途中目を引く様な物はなくトイレも無かった。男だからいいようなもので、これが女なら随分困るだろう。次回歩くときは違う道を考えた方がいいようだ。
御胎内公園に着いた時は既に3時半を過ぎていて公園の中には入れなかった。この公園の中には人間の胎内に似た溶岩洞窟があり、口から入り肛門の出口まで一周できるようになっている。途中屈まなければ通れ無いヶ所もありズボンが汚くなった思い出もある。今はどうなっているのだろう。
さらに公園内には富士桜(豆桜)の木もあり、春先には染井吉野と違い小さく可憐で花数も少ない桜も咲いている。
来年の希望としては富士霊園のこれでもかと言った桜を見てから、ここの可憐な富士桜を見てみたい。そのためにも新しいルートを考えなくては。
御胎内公園の下に御胎内温泉があった。
東富士演習場に出た。地元では此処を大野原(おおのっぱら)と呼んでいるように広大な原っぱだ。いや原っぱと言うより荒野と読んだほうが適しているかもしれない。平らなように見えるが、近くに行くと細かな起伏が続いている。原っぱの調子ではとても歩けそうも無い
今年の春先この大野原の山焼で犠牲者が出た報じられていたが、普通の平らな原っぱなら逃げる事も出来ただろうが痛ましい事をした。
痛ましいといえば、この大野原は以前は自衛隊でなく米軍の演習場だった。その頃のアメリカは演習で鉄砲や大砲を撃っても、その薬莢や弾を回収しなかった。その弾を拾いに演習場内に入った人が撃たれたり、不発弾が爆発して死んだりした。
演習場が日本に返還され自衛隊が使うようになると、薬莢は全て回収してしまうので、その弾拾いの商売も消滅してしまった。
当時米軍に比べ自衛隊はケチで金も使わないと地元では余り評判が良くなかった。
昼間はズート見えなかった富士山がようやく見えてきた。雪は大分解けているようで砂走りの辺りは斑模様だ。この写真では分りにくいが左の下の方にピカピカ灯が見えている。ここは夏に海から歩いてきたとき通ったグリンパのスキー場だろう。
国道469号線に出た。辺りが薄暗くなったと思う間もなく暗くなってしまった。まさに秋の日はつるべ落としだ。その暗くなった国道に立ってしばし思案六筒。朝バスターミナルで貰った時刻表によると、この演習場の国道沿いに春木橋というバス停がある事になっている。そしてその先のバス停は演習場を通り越した所にある大野路バス停だ。時間的にそこまでは無理だが次の春木橋までは何とかなりそうだ。と言っても何の根拠もなく何となくそんな風に感じるだけだが。
次回は演習場を抜けて大野路から須山の浅間さんに向かうので、ここで御殿場方面に戻るより先に進んだ方のが有利になる。そんな事もあり結局演習場の中にある春木橋に向かった。
暗くなっているので車もライトを点けている。道の脇を黒っぽい服装をした私が分かるか不安になってきた。ザックから小型懐中電灯を出して歩いているのだが車はスピードを落とす気配はない。ここは演習場の中で直線が多いので、どうしても車のスピードは上がる。道なき道を歩くより、よっぽど恐かった。こんな事なら右側を歩くより左側を歩いて運を天に任せてしまった方のが楽だろうなどと思ってしまった。
そうだ、こんな風に感じたのは四国遍路のトンネルの中でもあった。正面に車を見ても何も出来ないなら、見えないままの方が気が楽だ。
右側通行は間違っている。左側通行の方が安全いや気が楽だ。やけになってくだらない思いがよぎる。
春木橋はバス停の標識が1本立っているだけで時刻表も付いていない。周りには家も小屋も何も無い。橋と言っても、有った。今は水は無いが大きな管が道路の下を通っていた。これが橋なんだろう。バスの時間まではまだあったが、もう歩く気はしなくなってしまった。ここでバスを待つことにしよう。
だがまてよバスが来ても私が立っているのが見えるかな?若し見落とされたら一大事だ。前方から来る車に目を凝らしてバスかどうか判断しようとするのだがトラックは近くまで来ないとバスかどうか分らなかった。
バスかな? トラックより明るい感じだ。エイ!間違ったら謝るしかない。ライトを振ってしまえ。
停まった車は路線バスでした。