はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

良いお年を

2010-12-31 17:29:25 | ウォーキング
          「歩」

今年の私の一年を振り返ると、この一文字につきます。
年頭では年間2千KMの完歩を目標にしていたが、それが9月始めには達成してしまった。
次にも目標を千km増やして3千kmにしたが、これも10月末には完歩してしまった。
ならば1日10kmで年間3650kmにした目標を、今日12月31日に7km歩いてようやく達成。
そんな訳で今年の1年は「歩」に尽きます。

          「低栄養」

これは我家の私に対する流行語です。
11月に受けた市の健康診断の通知がきました。体重は1年前より6kg減少。腹囲も5cmも細くなりました。
これでメタボの恐れからは完全に脱却したのですが、その診断書の総合評価の欄に「低栄養」の言葉が。
これには妻は怒って「これでは私が碌な物しか食べさしていないという事か」とプンプンです。
各評価欄の細かい事は分りませんが、去年と比べ余り変化は無いようです。きっと体重が急に減少すると自動的に「低栄養」に仕分けされるのでしょう。

当初の目標はメタボ脱出だったのですが、いつの間にか、その手段だった歩きが目的になっていました。
それでも「テーマのあるウォーク」があった頃は歩く事に意欲があったのですが、それも終わってしまった最近は歩くのが詰まらなくなってしまいました。
来年はこの様な、おろかな事にならないよう気を付けて目標を設定しようと考えています。

それでは今年1年の減量の成果をお見せして今年最後のブログとします。良いお年をお迎えください。



富士山麓道一周ウォーク5-2

2010-12-22 18:55:03 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 5回目-2  歩行日2010/11/20  距離35.1km  歩行時間6時間58分

春木橋 ― 須山浅間神社 ― 忠ちゃん牧場 ― 富士資料館 ― 子供の国 ―
 8:48        9:30         10:38        10:58       12:32     
            3.5k         7.6k         8.8k        13.8k

村山浅間神社 ― 富士宮浅間神社 ― 富士宮駅
  14:54          16:38         16:57 
  26.3k          34.1k         35.1k 

                      富士宮へ(高尾さん)

                 

富士資料館から南富士有料道路につながる道を横断して十里木の別荘地の中に入る。この辺りが今日の標高の最高地で、あとは富士宮まで下り専門。楽なものだ。

別荘とは縁が無いので、この別荘地が栄えているのか、あるいは寂れているのかは、時季外れのこの季節に歩いていても良く分からない。ただ静かな事は確かだ。
夏に歩いた別荘地のバス通りに出た。ペンションが何軒か並んでいる内の1軒で道を掃除している人がいた。
これはタイミングがいい。次回の「海から剣ヶ峰」で1泊目を家まで帰るのは大変だったから、この辺りの宿に泊まれば随分楽になる。そう思っていたので料金や送迎の事を聞いてみた。すると
「料金は1泊2食で1万2千円。送迎はやっていません」とのことだった。
随分高い料金だ。私の望みは1泊2食で8千円前後を思っていたので、これでは高すぎる。まして水ヶ塚の駐車場まで送ってもらえないとなるとどうしょうもない。

また空想の世界に入ってしまった。
若し私が十里木のペンションの経営者ならこの「海から剣ヶ峰」を多いに利用するだろう。今山好きな人や歩く事の好きな人なら、海から富士山に登る事に憧れを持っている人が多いと思う。だがそれを実行しないのは二つの原因がある。一つは道が明確でない事。もう一つは宿が無い事だと思う。富士山の地元の静岡県在住の私でも、この二つがネックで中々実行に移せなかった。

そこで俄かペンションの主は行動に出る。まずHPで須山登山道は標識もあり、登山道もハッキリしていて倒木越えや薮漕ぎの無いのをアピールする(これは本当)。そして1日目のゴールの水ヶ塚駐車場までは迎えに行き、翌朝も早朝の5時ごろに水ヶ塚へ送り届ける。これで料金は1泊2食で九千円以下。これで夏場は大繁盛間違いなし!

こんな宿があれば来年は早速利用する。いや私だけでなく仲間に話せば10人や20人はすぐ集るだろう。
どうでしょう十里木で宿を経営している方、実行してみませんか。私で出来ることなら協力します。

 

道草は止めて前に進もう。
十里木には富士の巻き狩りで源頼朝が利用してといわれている、頼朝の井戸があるのだが、まだ見た事が無い。今回は見てみようと思ったが、また素通りになってしまった。どうせ古い井戸があるだけだという気持ちがあるものだから、近くなるとわざわざ井戸まで歩く気がなくなってしまう。でもくだらない物でも一度は見ておかないと。

十里木の関所跡がある。この十里木街道は富士宮から足柄の竹の下まで続く10里程の街道で、十里木の名称もこの距離からきたらしい。古くは吉原から沼津を通り御殿場に抜けていた東海道の間道として利用されていたらしく、関所もその時代の物らしい。しかし東海道に無かった関所が何故間道のここにあったのか疑問は残るが。

右の写真は十里木の西の入口にある愛鷹連峰越前岳の登山口です。この山は愛鷹ツツジの自生地なので、春の富士山一周では寄ってみようと思っている場所だ。


 

やっと道路標識に富士宮の文字が出てきた。ここからあと19kmゴールは近い。
子供の国からの見る富士山は、大分宝永山が右側に見えるようになった。もう少し北に行けばいつも見ている静岡からと同じ位置になるのだろう。
夏歩いた時と違い、今回は下りなので快調に足は進む。昼から特に休憩することもなく歩き続けている。
国道が交差点で右折している。直進は富士市街に行く県道だ。走っている車は殆ど県道を直進してしまい国道側に右折する車は無かった。道は今までの下りと違い平のところ多くなった。それでも全体的には下っているので楽に歩いていける。

道の右側に「高尾山穂見神社」があった。この高尾山穂見神社はここ以外にも沼津や御殿場にもあって、そこでは11月30日の夜から翌朝にかけての夜祭が行われている。ご利益は商売繁盛で夜祭とはいえ神社の参道には熊手などの縁起物を売る露天で賑わいをみせている。
ここの高尾さんはどうだろう、こんな山の中で周りには商店はもちろん人家も見えない。こんな場所に夜お参りに来る人が居るのかな、地元の人に聞いてみたい気もする。
それともう一つ、この神社のどこもが高尾山穂見神社と書いてあるのだが、何故神社なのに山号があるのだろう。山号の付く神社など余り聞いた事がない。

ネットで調べてみたが神社庁のHPには、この高尾山穂見神社は掲載されていなかった。小さな村の鎮守のような神社も載っているのに何故だろう。ここは神社ではないのか?まさか~
更にネットで調べると沼津も御殿場、富士のいずれの高尾さんも、全て山梨県南アルプス市(旧櫛形町)の穂見神社から分祀した神社だった。その神社は櫛形山の中腹にあるとか、淋しいところでも苦労してお参りすれば、それだけご利益が大きいということかもしれないな。

 

村山浅間神社の狛犬は溶岩の台座の上から見下ろしていて、いかにも富士山の麓の浅間さんといった風情がある。神社自体は古さはなく想像していた物と違ったが、社の前にある乳垂れ銀杏の乳房は大きく見事だった。その下には昔の修験者が水垢離をした水垢離場が残っている。

この近くに村山登山道があるのだろうが付近には標識は見当たらない。少々疲れが出始めていたので探して歩く気は起きなかった。

 

サーここからはまた下りの始まりだ。きっと富士宮浅間さんまでその下りは続くだろう。今3時10分、残りは8km程だから4時半には富士宮の浅間さんには付くだろう。最後の一踏んばりだ。

 

まるで田圃の稲を刈り取ったあと稲を干しているようだ。だが遠目だが稲とは少し違いそうだ。稲穂の部分が稲なら重そうに下に下がっているのに、これは裾が広がっている。
何だと思いますか? 私も分からず丁度良く居た農家の人に聞いてみると「蕎麦」だった。
そうか道理でソバに行かなければ分らないはずだ。

次に現れたのは青々と新芽が伸びた葱の畑だった。この葱の畑が何ヶ所か見える。富士宮が葱の産地とは知らなかったな。

ゴールが見えてたこともあって歩く速度はセカンドに落ちてしまった。

               

富士宮浅間神社に16時40分着。村山浅間神社から距離は約8kmで時間は1時間30分。時速5.3km、速度がセカンドに落ちたと思ったが下りとはいえマーマーの速さだった。

暗くなりかけた境内から鳥居方面の写真を1枚。出発の時は富士山が見えていたが、今日はいつの間にか富士山は隠れていた。
5回の行程で一日中富士山が見えていたのは1回だけ、半日程度見えていたのは今日も含めて3回。朝だけチラリと見えたのは1回。
前日に天気予報を調べてから出発できる地元の有利さをもってもこの確立だ。遠くからの日程の決まったウォークでは更に確立は低くなるだろう。自然相手の旅には仕方ない事なのだろうが少々恨めしい気もする。

富士宮駅で富士山一周完歩の乾杯を缶ビールでやろうと売店を探したが見当たらない、駅前に出てみたが矢張り無い。ガク!

富士山麓道一周ウォーク5-1

2010-12-20 20:55:43 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 5回目-1  歩行日2010/11/20  距離35.1km  歩行時間6時間58分

春木橋 ― 須山浅間神社 ― 忠ちゃん牧場 ― 富士資料館 ― 子供の国 ―
 8:48        9:30         10:38        10:58       12:32     
            3.5k         7.6k         8.8k        13.8k

村山浅間神社 ― 富士宮浅間神社 ― 富士宮駅
  14:54          16:38         16:57 
  26.3k          34.1k         35.1k 

               

5回目の今回でゴールを迎えることが出来そうだ。予定では6回と想定していたが1回目と2回目が予想以上に距離が伸び1日短縮できた。こうなると4日でも可能かと欲張った考えも湧いてきた。
今回までの歩行距離が140k弱。1回平均35k歩いている。そして今日も35kは歩かなければならに。これを4日にすると1回平均44k弱。それなら決して無理な距離ではない。しかし富士山は家から離れていて、行き帰りの交通の便も考慮しなければならない。
それなら今回の一周ウォークで3回やった山越えを止めて、一般ツアーのように平地や峠越えにしたら時間は大幅に短縮できそうだ。
止め!止め!止めよう。そんな一周ウォークでは、ただ歩くだけで富士山を感じる事ができない。矢張り一周するには最低5回は必要だ。

今日は東富士演習場から須山の浅間神社にお参りをして、愛鷹山と富士山の境にある十里木へと抜ける。そこから国道を歩き子供の国の前を通り、江戸時代富士講の富士山参りで栄えていた村山浅間神社を見学する。そして最後は出発の時もお参りした富士宮の浅間神社で打ち止めなる、比較的楽な行程を予定している。
何しろ十里木から富士宮まではズート下りだから楽なものだ。それに出発点の標高が高くなっているので十里木までの上りも、左程急なことはないと予想をしている。

                      十里木へ(自然歩道)
                

御殿場駅のバスターミナルで「春木橋まで1枚ください」と告げると
「エッ!春木橋ってどこだっけ?」と係員同士が話をしている
「須山の途中で大野路の手前です」と教えてやると
「あった、あった。エーと幾らかな?」とまた調べなければ分らないようだ。
確かにあの演習場の中のバス停は誰が利用をするのか判断できないバス停だ。
春に山菜取りの人が利用するのか?しかし演習場は立入禁止だ。
では自衛隊が演習のとき鉄砲を担いで乗るのか? まさかな~----

 

前回ここに立ったのは4日前だったが、その時より雪の量が若干増えている。あれからまた雪が降ったのだろう。この雪が根雪になっていくのかな。

8時50分春木橋を出発。国道469号の交通量はそれほど多くは無いが、道が狭い割にどの車もスピードを上げている。白線が区切りの狭い歩道では、前を見ていても何の対処も出来そうもない。やはりこんな道は対面通行でなく左側通行の方が気楽でいい、と前回と同じ感想を持つ。それでも前回の暗い時歩くより大分良いが、私は基本的にこんな道は嫌いだ。

ところで今歩いている道の横には、だだっ広い空地が広がっている。それも国有地の空地が。
それで提案したい事がある。今静岡県や山梨県は必死になり富士山を世界遺産にしようと目指している。それも自然遺産ではなく文化遺産を。それならここに富士山麓道一周自然歩道を作って欲しい。文化とは古い事ばかりを探すのではなく、新しい文化を育てるのも一つの方法だろうから、その文化を創るためにも富士山一周歩道を提案したい。

理想は一周全てに歩行者専用道路を開通させ、20k~40k間隔に宿泊所を建ててほしい。宿泊所は寝袋持参として寝床は男女同室の大部屋に2段ベットを並べておくだけ。食事は原則素泊まりで宿泊者が自分で炊事をする。ただ炊事道具は小屋に準備しておき、客は自分で持参した材料で自炊する事になる。この様にしておけば小屋では客のために準備しておく事は無いので負担は軽くなる。小屋の管理は地元の老人会などに依頼するのも良いだろう。
これで1泊2000円か3000円になれば一周しても宿泊費は早い人なら1万円前後。ゆっくりの人でも2万円もみておけば充分だろう。

今富士山一周ツアーが人気のようだが、これも個人では道が分からない事と宿泊にお金が掛かったり宿泊場所が不明だったりするからだろう。それが道がハッキリしていて、しかも格安の宿泊所もあるとなったら、ツアーで歩いている人もみな個人で歩き出すだろう。それどころか今のツアーは日帰りが主なので遠方の人は参加できない。この提案が実現したらそれこそ北海道や沖縄からも歩きに来る人が居るだろう。そうなれば赤字で悩んでいる富士山空港も一息付けるかもしれない。

「考えが甘い。東海自然歩道を見ろ。殆ど利用されていないではないか」だって。そうその通りだが、あの東海自然歩道は道だけを作り宿泊場所の事は考慮されていない。あれでは通しで歩くにはテントを担いでいかなければならない。それでは若者しか歩けない。ましてそのような若者は自然歩道よりアルプスなどの山を目指すだろう。
日帰りでもバスの便が不便でなところが多く利用しづらいのが現実だ。そうならないためにも富士山一周自然歩道は宿泊場所を準備して欲しい。なにも立派な物でなくてもよいので寝る場所と炊事する場所、そして出来たらシャワーがあれば満点だ。
そうなれば冬休みや夏休みには学生達が歩きに来るだろうし、春や秋の気候のよい頃は中高年が殺到するだろう。そうして居るうちに富士山の麓に新しい文化形成されていくのではないだろうか。どうでしょうか私の提案は。

しかし一周歩道と言っても一気に作るのは難しいだろう。手始めはまずこの演習場の中の、この道を何とかして欲しい。周りは国有地で土地買収の手間も金も掛からない。まさか自衛隊が国道に沿ったわずかな巾の土地の利用を渋るわけは無いだろう。
それに富士山が文化遺産に適してない理由の一つがこの演習場にある。文化といいながら文化と正反対の戦争の練習をしている大砲の音が、ここから発しているのだから。
今も近くからダッダッダッと連続的な音が聞こえている。きっと機関銃の銃声だろう。

そしてこの道が出来たらヅナ峠から富士霊園に抜ける道を整備して欲しい。送電線までは現在の道を利用できるので、そこから富士霊園までだから距離は余りない。
この2ヶ所の道を整備するだけでも一周歩道はグンと楽しくなるだろう。
関係者の方がこのブログを読んでいたらよろしくお願いします。マッそれは無理か。

歩き出したと思ったら、とんでもない話になってしまい前にと進まなくなってしまった。そろそろ足を速めよう。

富士山と反対側の大野原(オオノッパラ)は遠くの方までススキの原野が広がっている。こんな景色は北海道にでも行かなければ見えないだろうな。
信号が見えてきた。此処が大野路で左側には食堂がある。日帰り温泉もやっているのだろう露天風呂の字も見える。
この信号で大部分の車は右に曲って須山を通らずに十里木に向かって行く。お陰で歩きやすい田舎道になった。回りに芝生の広場が何ヶ所もある。アッ待って下さいね、公園ではありませんので中に入ってはいけません。これは農家が芝生を栽培している畑です。これを四角に切取り芝生として売りに出すのです。ここ須山地区は地味が悪く田圃がないのでこの様に芝生を栽培しているようです。

更に脇道に入ると最早私の専用道路のようだ。道は広く舗装されているが車の一台も通らない。周りには雑木林があり、紅葉とも枯葉とも言えるような葉を付けているのが見える。

 

須山浅間神社の開基も富士宮浅間神社と同じく日本武尊が東夷征伐のとき創祀されたとなっている。それから江戸時代の宝永の噴火までは修験者や富士講の信者が多数利用したが、登山道が宝永山の噴火で無くなってしまい登山道は廃道になった。
明治に入り登山道は再興されたが東海道線が御殿場に停まるようになると御殿場口に利用が移り再び衰退の道を辿る。更に登山道の一部を陸軍の演習場として撤収されたため再度廃道となった。
時が過ぎ平成9年、宝永山の南側を通り富士宮口6合目までの新登山道を開通させ、平成11年には御殿場口2.8合からの旧登山道を復元して下山道とした。とある。

                

今年の夏この須山登山道の上部を富士宮口6合目まで歩いたが、標識も整い何の不安も無い山道だった。来年の再度の「海から剣ヶ峰」もこの須山口を登る予定だ。
今日はその須山口の下の部分を十里木にある富士山資料館まで歩く予定だ。

浅間神社を出るとすぐ須山登山道の標識が目につく。その標識は次々と現れて道に迷う事はない。須山を通り過ぎると登山道は植林された林の中に入る。鬱蒼と生えている杉林も下枝を伐採してあるので思ったより明るい道になっている。

                 

先ほど交差点で分れた国道を横断すると忠ちゃん牧場は近い。
ここから見る富士山も雄大だが、なにせ真正面に大きく穴を開けた宝永山が丸見えだ。そのためこの富士山を嫌う人も居るが、これも富士山の一部。富士山が生きている証拠にもなる。

富士サファリーパークの駐車場の中を通り左手にある富士山資料館を目指す。

               

この資料館には以前一度入ったことはあるが、何が展示してあったか余り記憶には無い。今日もベンチを休憩のために利用さて貰うだけで入る気は無い。
裾野市立だから継続できるのであって実際は大赤字なのだろう。どうせなら入館料は無料にして、近所のお年寄りを管理人にした方のが経費も少なく入場者も増えるのだろうになど素人考えを巡らしながら休憩をした。

富士山麓道一周ウォーク4-3

2010-12-17 19:13:04 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 4回目-3  歩行日2010/11/16  距離26.5km  歩行時間6時間37分

交流プラザ ― パノラマ台 ― 明神山 ― 三国山 ― ずな峠 ― 林道出合
   9:12       9:30      9:55      10:33     10:57     11:57
             1.2k      2.2k      3.0k      3.7k      6.2k

富士霊園 ― 仁杉交差点 ― 中畑交差点 ― 御胎内 ― 春樹橋
 12:45       14:08        14:43      15:40    16:50
 9.0k        15.7k        18.0k      22.3k     26.5k

                      御胎内へ(水かけ菜)
                

日本桜100選に認定されている富士霊園に到着。ホット一息。
ヅナ峠からの下りは心配していたが何とか無事歩き終えた。春の富士一周でもこの道を歩いてもいいかなと思っているが、ただこの道の登りでは少々気は進まない。矢張り下りならという条件で。

 

平日のしかも時期外れという事もあって人も車も見当たらない。これが桜の時期になると何時到着するのか心配になるほど渋滞してしまう。しかもその車が桜の下に駐車するので景観を損ねること夥しい。桜の下は駐車禁止にすると良いのだが、すると車は何所に止めるのか? アッ!そうだ。富士霊園の先にあるスピードウエイに駐車したらどうだろう。そしてそこからシャトルバスで往復をする。どういいアイデアでしょう。
尤も霊園は無料開放をしているのでバス代やスピードウエイの駐車料金は誰が負担をするのか問題だが。
考えてみると一般的に桜見物は無料の所が多いが、観梅は入場料をとる所が多い。その理由は桜は公園や土手など公共的な場所に多く、梅は個人の敷地が多いからなのか。ならば富士霊園も私企業なので入場料を徴収しても不自然ではない。そうすれば見物客も減少して渋滞も緩和するだろう。

霊園のメイン通路の両側に桜が続き、その奥にはツツジや皐月も植えられていて、やはりそれを見に来る人も多い。紅葉は余り聞かないがご覧のように中々な物でもある。

 

霊園の中は広く、しかも入口から奥かけて上り坂になっているので、中ほどのロータリーの所で引き返すことにした。もっと上や奥に入れば綺麗な紅葉が見れるかもしれないが少々疲れた。この後のゴールは特に決めてはないが、出来るなら御胎内までは歩きたい。そこまで歩けば富士山一周も後一度で完歩出来る。頑張らなくちゃ。

    

自然の紅葉は黄色が多いが、此処は植栽しているので赤系統も多い。右の写真の下の木は薄っすら紅葉しているように見えるが、これは上の木の紅葉した葉が落ちたものです。

霊園正面の取り付け道路を県道に向かって進む。昨夜調べた地図では、ここから脇道に入ることにしてあるので脇道に入っていくと通行止の柵がしてある。また車は通行止めで人は通れるだろうと高を括って進んで行った。

               

前方の橋に通行禁止の馬(何と呼ぶのか分らない)が幾つも置いてありその中はポッカリ穴が開いている。隅を歩いて反対側から穴を覗き込むと ウヘ! 今歩いてきた所は表面のアスファルトだけで下は空洞だった。
危なかったな!知らぬが仏とはこの事だ。最初に穴を覗き込んでいれば恐くなって歩くのを止めてしまっただろう。そして迂回路を探して遠回りをしなければならなかった。ついているのか、ついていないのか、微妙なところだ。

この橋の崩壊は今年9月の台風9号が静岡県東部地方、特にここ小山町に甚大な被害をもたらしたもので、時間雨量100mmを越えたと報道されていた。9月に被害を受け11月に入っても手付かずのまま放置されているのは、やはり小山町の財政が厳しいからなのだろうか、それともこの道は生活道として余り重要でないかもしれないな。

 

箱根連山が見えてきた。中央の一番高い山が金時山でいわゆる足柄山だ。この山は小学校低学年の頃から登っていて、当時は金時ザンと言っていた。それが最近では金時ヤマと呼ぶようだが、その呼名を聞くとなんとも落着かない感じになる。ザンとヤマの違いだけだが、金時ヤマは何故か幼く感じ低い山のイメージになる。
誰がこんな呼び方にしたのだ。きっとTVあたりで漢字を見て金時ヤマと読んだのが広まってしまったのだろう。影響力の強い機関は地方の地名等もっと大事にしてほしい。読み方は勿論、アクセントも地元の言い方に合わせるべきだ。
例えば富士川は地元では一般的にふじかわと濁らないで読んでいる。ところがバスなどの案内は富士がわと濁って発音している。アクセントではJRの駅の原や草薙がそうだが、ここではどう説明していいか分らない。
そうそう以前こんな事もあった。労働金庫のTVCMで「ろうきん」のアクセントを従来と変えて放送した事があった。私の居た職場ではアッというまにその新しい呼び方に染まってしまったが、その時も嫌な気がしたものだ。それがまた何故か以前のアクセントでTVCMを流すようになると世間もそれに合せてしまっている。
金時ザンも地元の人に名前を聞くと最近では金時ヤマと答える人が出てきている。

田圃の中に見える緑は、この地方特産の「水かけ菜」だ。稲刈りが終った後に一列につながった高い畝を作る。そこに菜種を蒔いて芽を出せせる。今がその状態で更に寒くなると高くした畝の間に水を流し込む。畝を一列にしてあるのは、この時の水の循環を考えてあるのだろう。そして時々その水を菜っ葉に掛けてやる。春先菜っ葉の先に董がたち始めたとき、その茎を収獲して漬物にしたり、茹でて食べたりする。
今では水かけ菜の名前で土産物にもなり有名になったが昔は違った。名前も水かけ菜などとは言わずに「とう菜」と呼んでいた。字は「冬菜」なのか「董菜」なのかハッキリしないが何となく雰囲気があると感じません? 私はとう菜の方が好きだな。
昔で思い出したが、当時はとう菜の値段が安かったとみえ、農家ではなかった我家でも漬物は勿論、茹でたとう菜が毎食事に出て、うんざりしたものだった。
それが今では在所から送ってもらう水かけ菜の漬物が、待ちどうしくてならなくなっている。変われば変わるものだ。

御殿場地方の写真で菜の花畑の後ろに富士山が写っている写真を見たことは有りませんか。その菜の花がこの水かけ菜なのです。董の収獲が終った田圃はそのままにしてあるので、あのような菜の花畑に変身するのです。

 

正直富士霊園から御胎内の道は面白くなかった。道の選択が悪いのかもしれないが、途中目を引く様な物はなくトイレも無かった。男だからいいようなもので、これが女なら随分困るだろう。次回歩くときは違う道を考えた方がいいようだ。

御胎内公園に着いた時は既に3時半を過ぎていて公園の中には入れなかった。この公園の中には人間の胎内に似た溶岩洞窟があり、口から入り肛門の出口まで一周できるようになっている。途中屈まなければ通れ無いヶ所もありズボンが汚くなった思い出もある。今はどうなっているのだろう。
さらに公園内には富士桜(豆桜)の木もあり、春先には染井吉野と違い小さく可憐で花数も少ない桜も咲いている。
来年の希望としては富士霊園のこれでもかと言った桜を見てから、ここの可憐な富士桜を見てみたい。そのためにも新しいルートを考えなくては。

御胎内公園の下に御胎内温泉があった。

                 

東富士演習場に出た。地元では此処を大野原(おおのっぱら)と呼んでいるように広大な原っぱだ。いや原っぱと言うより荒野と読んだほうが適しているかもしれない。平らなように見えるが、近くに行くと細かな起伏が続いている。原っぱの調子ではとても歩けそうも無い
今年の春先この大野原の山焼で犠牲者が出た報じられていたが、普通の平らな原っぱなら逃げる事も出来ただろうが痛ましい事をした。

痛ましいといえば、この大野原は以前は自衛隊でなく米軍の演習場だった。その頃のアメリカは演習で鉄砲や大砲を撃っても、その薬莢や弾を回収しなかった。その弾を拾いに演習場内に入った人が撃たれたり、不発弾が爆発して死んだりした。
演習場が日本に返還され自衛隊が使うようになると、薬莢は全て回収してしまうので、その弾拾いの商売も消滅してしまった。
当時米軍に比べ自衛隊はケチで金も使わないと地元では余り評判が良くなかった。

                

昼間はズート見えなかった富士山がようやく見えてきた。雪は大分解けているようで砂走りの辺りは斑模様だ。この写真では分りにくいが左の下の方にピカピカ灯が見えている。ここは夏に海から歩いてきたとき通ったグリンパのスキー場だろう。

国道469号線に出た。辺りが薄暗くなったと思う間もなく暗くなってしまった。まさに秋の日はつるべ落としだ。その暗くなった国道に立ってしばし思案六筒。朝バスターミナルで貰った時刻表によると、この演習場の国道沿いに春木橋というバス停がある事になっている。そしてその先のバス停は演習場を通り越した所にある大野路バス停だ。時間的にそこまでは無理だが次の春木橋までは何とかなりそうだ。と言っても何の根拠もなく何となくそんな風に感じるだけだが。
次回は演習場を抜けて大野路から須山の浅間さんに向かうので、ここで御殿場方面に戻るより先に進んだ方のが有利になる。そんな事もあり結局演習場の中にある春木橋に向かった。

暗くなっているので車もライトを点けている。道の脇を黒っぽい服装をした私が分かるか不安になってきた。ザックから小型懐中電灯を出して歩いているのだが車はスピードを落とす気配はない。ここは演習場の中で直線が多いので、どうしても車のスピードは上がる。道なき道を歩くより、よっぽど恐かった。こんな事なら右側を歩くより左側を歩いて運を天に任せてしまった方のが楽だろうなどと思ってしまった。
そうだ、こんな風に感じたのは四国遍路のトンネルの中でもあった。正面に車を見ても何も出来ないなら、見えないままの方が気が楽だ。
右側通行は間違っている。左側通行の方が安全いや気が楽だ。やけになってくだらない思いがよぎる。

春木橋はバス停の標識が1本立っているだけで時刻表も付いていない。周りには家も小屋も何も無い。橋と言っても、有った。今は水は無いが大きな管が道路の下を通っていた。これが橋なんだろう。バスの時間まではまだあったが、もう歩く気はしなくなってしまった。ここでバスを待つことにしよう。
だがまてよバスが来ても私が立っているのが見えるかな?若し見落とされたら一大事だ。前方から来る車に目を凝らしてバスかどうか判断しようとするのだがトラックは近くまで来ないとバスかどうか分らなかった。
バスかな? トラックより明るい感じだ。エイ!間違ったら謝るしかない。ライトを振ってしまえ。

停まった車は路線バスでした。


富士山麓道一周ウォーク4-2

2010-12-14 12:01:12 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 4回目-2  歩行日2010/11/16  距離26.5km  歩行時間6時間37分

交流プラザ ― パノラマ台 ― 明神山 ― 三国山 ― ずな峠 ― 林道出合
   9:12       9:30      9:55      10:33     10:57     11:57
             1.2k      2.2k      3.0k      3.7k      6.2k

富士霊園 ― 仁杉交差点 ― 中畑交差点 ― 御胎内 ― 春樹橋
 12:45       14:08        14:43      15:40    16:50
 9.0k        15.7k        18.0k      22.3k     26.5k

                      富士霊園へ(三角点)
               

ヅナ峠で尾根道を外れ薄い踏み後の道に入る。尾根筋が終わり下りになると道は思いもかけずはっきり付いていて階段なども補修もしてある。途中には間伐材でベンチなどもありハイキングコースとしての資格は充分ある。なのに案内標識が無いのは何故なのか?
その訳は更にみちを下っていって理解できた。

               

静岡県側からの富士山も見えない。富士山があると思われる方向は黒い雲が渦を巻いていて、とても今日は見えそうも無い。それどころかあの雲がこっちの山にきたらどうしよう。と心配になってきた。今の天気は時折曇るくらいでガスも出ていない。予報も降水確率は10%だ。大丈夫! 大丈夫!

 

雑木林の中に三角点があった。以前ならこんな中腹の斜面で、しかも林の中に三角点があるなど信じられなかったが、こうしてあちこち歩いていると色々な場所に三角点がある事を知った。こうした林の中やミカン畑の中、見晴らしの利かない場所などにもあった。しかしあるにはあったが、この三角点を実際にはどの様に利用しているのだろう。

三角点とは「位置についての測量」をするための基準点とか。そのため測量点(三角点)から次の測量点(三角点)を見とおして計測できる場所に三角点はある。だから,三角点が設置されるのは,遠くから見とおすのによい独立峰が好んで選ばれている。 平地の真ん中なら一本杉や一本松などが選ばれることもあるらしく,市街地ではビルの屋上に三角点が置かれることもあるようです。

となるとこんな見通しの効かない林の中の三角点はどうして見通し測量をするのだろう。長いポールでも立てるのか?いやいや周りには高い木が繁っていて、なまじの長さでは木より高くはならない。ではどうして測量するのかな?
若しかして現在の三角点とは昔の測量で使った遺物で現在は使われていず記念でしかないのだろうか。誰か教えてください。

以前にも書いたが三角点の標石には+が刻印されている。これが方位を示していると思うのだが方位磁石を置いてみるとその向きは一定ではない。これも分らないことだ。
折角設置するのだから、せめて方位くらいは三角点を見れば分かるようにしてほしい。

雑木林の中は落葉が積もり音のする絨毯の上を歩くようだ。そのため道は明確では無いが何となく分るので迷う事はない。ここの雑木林は植林でもしたかのように列が揃っていた。

                

皮が向けた木が所々にある。鹿が食べたのだろうか。ということはこの辺りには鹿がいるのか。辺りを見回しても静かなもので遠くの大砲の音が聞こえるだけだ。つまらない。

一定間隔で地名を書いた杭が立っている。最初は道標かと思ったがどうやら違うようだ。杭毎に地名が違うので隣の杉林の区分点なのだろう。
御殿場地方は毎に共有林などの財産を持っていて、その財産を管理する人を選ぶ選挙もあるそうだ。この杭はその財産区の区分点を表しているのだろう。

               

送電線の下に来た。ここまでは道は順調で道標が無いだけで普通のハイキングコースと変わらない。小山町の案内には、此処から向きを南西に変えて送電線に沿った点検路を歩くと書いてあった。
下を見れば送電線の下は木も生えてなく防火帯のようになっている。これなら歩き易いだろうと一安心をする。次の送電線の先には紅葉した木も見えてきた。あの辺りが富士霊園かもしれないと思うと気が楽になった。
ともかく送電線の点検路に入ろう。

 

確かに林ではないので大きな木は無いが道は写真のような状態で道?沢?崖?って感じだった。横の道でない場所は薮漕ぎ状態でとても入る気にはならなくて、まだこの道?沢?の方のが歩きやすい。今は下りだからまだよいが、これが登りだったらどうだろう。土は火山灰で1歩登れば半歩下がる。3歩登って2歩下がる状態だ。
更に細かい火山灰は容赦なく靴の中に入ってくる。靴を脱いで火山灰を出すが、また1歩、歩くとすぐ火山灰が入ってしまう。諦めて砂の入ったまま歩くしかなかった。
それでも下りの有利さを発揮して大股で下ることが出来るのは嬉しい。
下を見ると紅葉した木がはっきり見えるようになった。その先にはお墓なのだろう整然とした並びが見えてきた。

 

道らしき道のないまま次の送電線に着いた。こんな道も後少しだろうと今度はハッキリした道を少し下ると金網に囲まれた建物に出た。そしてその横には林道があった。
でも少し変だ。小山町の説明では林道に出た所に「車両進入防止のゲートに出る」と書いてあった。しかし此処にはゲートなど無い。どうやら火山灰の沢道を大股で歩いて正規の道を見落としてしまったのだろう。
しかし大丈夫!此処まで来れば後は県道に出るだけだ。

林道を下りだすと左側にゴルフ場が出てきた。時折プレイしている人の声が聞こえてくる。中をソット覗いてみると----ヤー綺麗だった。紅葉に芝生の緑が映えている。

 

写真の下手な私が写しても、それなりに綺麗っぽく写ってくれる。
ゴルフ場の横の道を歩いているとゴルフボールが落ちていた。最初の一つはコースの中にポイと投げ入れたが、また落ちていた。次々と拾っていくと6個も溜まってしまった。どのボールも打球跡も無く綺麗な物だ。
こんな物を拾ってもゴルフを遣らない私には無用の長物だ。捨ててしまえと思ったが、そうだこれをゴルフを遣る人の土産にしよう。とザックの中にしまってしまいました。

                

ゴルフ場の横の道を下って行くと左側に富士スピードウエイの入口があった。そして林道が太い車道に突き当たった。その車道を右に曲って行けば富士霊園に着く。

心配していたヅナ峠からの道だったが思ったよりスムーズに降りることが出来た。しかしあの火山灰の沢道をなんとかしないと小山町としてはハイキングコースの立札を立てるわけにはいかないだろう。
補修しても大雨が降ればまた補修をしなければならなくなるので、財政の厳しい今はとても無理だろう。仮に看板を立て補修をしなければハイカーから苦情が出てしまう。
私もこの道が小山町の標識のあるハイキングコースだったら---- そうですね、上りに歩いたら一言、言いたくなるかもしれないな。

 

道端に古仏が並んでいる。双体の道祖神も一ヶ所に二つもあった。この道は須走から小山町に抜ける道だがの道にしては立派な石仏だ。若しかしてここは鎌倉往還だった道かと地図を見たが鎌倉往還にしては道が大きく山側に曲って走っている。もう一つ南に県道須走小山線があるので、そっちの方が鎌倉往還なのだろう。

               

イヤー! 桜の花にドウダンツツジの紅葉とは珍しい取り合わせだ。もう少し桜の花が多ければもっといいのにな。

サー桜の名所「富士霊園」は近い。

富士山麓道一周ウォーク4-1

2010-12-12 05:47:32 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 4回目-1  歩行日2010/11/16  距離26.5km  歩行時間6時間37分

交流プラザ ― パノラマ台 ― 明神山 ― 三国山 ― ずな峠 ― 林道出合
   9:12       9:30      9:55      10:33     10:57     11:57
             1.2k      2.2k      3.0k      3.7k      6.2k

富士霊園 ― 仁杉交差点 ― 中畑交差点 ― 御胎内 ― 春樹橋
 12:45       14:08        14:43      15:40    16:50
 9.0k        15.7k        18.0k      22.3k     26.5k

                

4回目の山梨から静岡に抜けるコースには籠坂峠越えが普通だが、私は籠坂峠からは景色も悪いし、カーブの多い国道で、しかも白線だけの歩道しかないのがいやだった。しかし籠坂峠を避けるとなると明神峠や三国山を越さなければならなくなる。だがこちらには山中湖や富士山の絶景が眺められる魅力がある。しかもその麓には立寄り場所と考えていた富士霊園もある。
道は余り自信はないがマー何とかなるだろう。最悪の時は県道に逃げればよい。と思って三国峠経由で行く事にした。

                      ヅナ峠へ(三国山)
               
        
御殿場線に乗り新聞をを呼んでいると「富士山は昨日雪が降ったのだな」と言う声が聞こえた。視線を新聞から窓に向けると、何と麓まで真っ白な富士山が見える。それこそ宝永山のはるか下の双子山も真っ白で森林限界地まで雪に覆われている。

富士山の雪は岩や砂地の所は地元からでも積雪がわかるが、木の生えている所は雪が木の下に落ちてしまうのか積雪の状態がはっきりしない。それが御殿場口は宝永山の噴火の火山灰が覆っているので森林限界線の標高がズート下になっている。そのため登山バスはその森林限界地辺りまでしか行かないので登山客に人気が無い。
それがこうして雪が降るとなだらかな起伏の上の雪は、まるでパウダーを注いだかのように柔らかく見える。この穏やかな表情も一旦風が吹き出すと雪煙が巻き上がるのが麓からも見える。
この変化のあるこれこそが冬の富士山の顔だと子供の頃から思っていた。

        

電車を降り富士山の見える所を探すが家が密集していて富士山が見えない。やっと見つけた通り越しの富士山は家や電線に邪魔をされハッキリしなかった。
マーいいだろう。今日は山中湖の上の明神山に登るので、そこからバッチリ写してやる。と自分を慰めたが、この跡富士山が顔を出したのは夕方になってからだった。

朝日丘でバスの乗換えがある。前回来たとき、ここ朝日丘のバスターミナルでバスの時間を調べてあったので、余り待たずに登山口行きのバスに乗ることが出来た。
車窓から眺めると前回紅葉が真っ盛りだった朝日丘公園は、葉を落としてしまった木が目につく。たった5日の違いなのに今や枯木と落葉の冬枯れの公園になっていた。

 

登山口で軽くストレッチをして出発。心配していた標識は今の所はある。東海自然歩道とは別れたがハイキングコースなのだから最低限の標識はあるだろう。
最初の目的地はパノラマ台。富士山でパノラマ台というと精進湖の傍にあると思っていたがこんな所にもあったとはじめて知った。
ウーン富士山が見えない。麓に雪がチョッピリ見えるが小さくした写真では分らない。しかしこの場所はパノラマ台ということだけはあって中々良い眺めだ。山中湖も見えるがこの位置では逆さ富士は見えない。

        

更にカメラの向きを振ると前回登った大平山が見えていた。ここから見るとなだらかな山に見えるのだが、実際歩いたときは階段が多く急な山と感じたのは何だったのだろうか?
パノラマ台には数人の人がカメラを構えていた。その中で気になる会話が耳に入ってきた。
「今年は十何年振りかに湖の水が増えて、去年まで岸に止めておけた車が置けなくなってしまった。ワカサギ釣りの車の駐車に困っている」
なるほどそれで岸辺を歩いたときあんなに水が岸まで来ていたのか。それなら来年はあそこを歩いても大丈夫だろう。これで一安心だ。

パノラマ台から明神山の登りは写真のような萱の間に道が付いていた。
露が残っていて服は濡れるし顔を萱が触りに来る。嫌だなと思いながら歩いていると右の方から「キャー」と女性の叫び声が。何だろうと声の方に行ってみると。
「イヤービックリした熊だと思った」と女性が私を見て言う。
「エッ熊?私が熊ですか?」と聞くと「姿が見えないでガサガサ音がしたので、てっきり熊が出たと思ってしまいました」だって。

女性の歩いている所は雨が降ると沢になるような所だが萱も無く広々としていた。どちらが正規の道か分からないが、また誰かを驚かしても悪いと、此処からはこの道を歩く事にした。だがその後は登山者には出会わず明星山に着いてしまった。

               

明星山からの眺めはパノラマ台からの眺めを更に高所から見たと言った感じだ。山頂は禿山で、何か忘れてしまったが石碑が建っていた。

 

明星山を少し下り山中・小山線の県道730号にでた所が三国峠だった。三国とは甲斐・相模・駿河の三国の事だが道路には神奈川県と山梨県の標識しかなかった。残念。

               

丁度こんな看板が建っていた。これで大体の位置関係が分ると思うが、方向として北が山梨で東が神奈川、そして南が静岡といった感じになる。

 

三国峠から三国山には30分も掛からず着いてしまった。この三国山は明神山と違いブナなどの雑木の山だが既に葉は落ちてしまっていて紅葉はない。その分林の中に入っても明るくて気持ちよい。他に登山者は居ないのでこの雰囲気を独り占めに出来る。これだから単独行は止められない。

雰囲気といえば、この辺りは鹿かリスが現れそうな雰囲気だ。雑木の中にヒメシャラの木も出てきたのでサルも居るかもしれない。
理由?ですか。それはヒメシャラの木肌がすべすべしていて猿も滑って登れないからサルスベリとも呼ぶからです。と書くと尤もらしいが本当のサルスベリ(百日紅)とヒメシャラは違う物らしいですが。
ともかく熊以外なら何でもいいから出てこないかな。

           
          
ヅナ峠の標識が有った。標識は尾根筋を指しているだけで南に下る方向には何も無い。だが少し凹んだ状態で落葉が積もっている。これが富士霊園に下る道なのだろうか?
この道は山と高原の地図にも載っていないし、私もここに道があるとは知らなかった。そこで富士山麓道一周では籠坂峠を避けて三国峠経由で小山町の富士霊園に下ろうと思っていたので、そのハイキングコースを探すため小山町のHPを見ていた。するとHPの中に「富士箱根トイレル」の記事があった。
この富士箱根トイレルとは富士山の須走口から箱根の金時山まで尾根伝いに延びているハイキングコースで、その地図の中にヅナ峠から富士霊園に下る道が載っていた。
そこで小山町に確認すると「ヅナ峠から標識は無いが踏み跡はあるので注意して歩けば大丈夫」との返事を貰っていた。

サーその道ははたしてどんな道だったでしょうか-----
小山町からの返信メールが吉となるか凶となるか-----

富士山麓道一周ウォーク3-2

2010-12-10 18:25:32 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 3回目-2  歩行日2010/11/11  距離26.7km  歩行時間6時間6分

北口浅間神社 ― 道の駅 ― 忍野八海 ― 花の都公園 ― 十二曲峠 ― 
    6:55       7:28      8:40        10:00       10:50
              2.5k      5.1k       12.9k       14.8k

飯盛山 ― 大平山 ― 湖北 ― 交流プラザ ― 旭日丘
 11:07    11:30    12:22     13:27      14:20
 26.7k    37.9k    39.8k     43.9k       26.7k

                      朝日丘へ(紅葉)
               

花の都公園には花の一輪も咲いていなかったので有料施設の方には行かず直接山の登ることにした。
道が登りにかかった所は別荘地になっていて既に大分古くなっている建物がある。此処からは富士山も余り見えないし何が魅力でここに別荘を建てたのだろうかと疑問に感じるような別荘地だった。

        

その別荘地が終ると長い階段状の山道が始った。途中の木には「蜂に注意」の張り紙もあるが、どう注意すればよいのやら。
今日は生憎蜂が攻撃をするという黒っぽい帽子を被ってきている。帽子を脱げば白髪なのでその方が安全かな?など思いながら階段を登る。

 

十二曲峠に着くとようやく山中湖が見えてきた。富士山は大分雲に隠れてきたが、まだ山頂も見えていた。このままもう少し隠れないでいて欲しいと思ったが富士山が見えたのはこれが最後だった。

歩くたびにザックザックと音を立て足元が揺れる。まだ1段しかないが霜柱が立っていた。この霜柱の上を歩くのが面白く子供の頃の通学時は霜柱を探して歩いたものだ。今ではこうして冬の山でしか味合うことが出来なくなってしまった。

飯盛山の登りの途中から無線の鉄塔の保守用の道と時折交差する。
最近は携帯電話の普及で見晴らしの良い場所に鉄塔が建っている事が多い。それは仕方が無いが、その鉄塔の保守のための道が何本も山頂まで延びるのはどうだろうか? いえその全ての道を無くせと言うのではない。ここでも飯盛山にも大平山にも鉄塔が見えるが、そのいずれかの山に鉄塔を建てるようにすれば道は1本で済む。
更に言うなら携帯会社は合同で鉄塔を建てれば鉄塔も道も一つで済む。そうなれば経費も軽減され携帯電話の使用料も安くなるのではないか。
これは営利会社に任せていても進む話ではないのでアンテナ設置の許認可権を持つ国交省が共同使用を条件に山上では一ヶ所の鉄塔しか認めなければ良いと思うのだが、どうだろう。

  

大平山には見慣れないパラボラアンテナが立っていた。丸い部分は電波の収集反射板とおもっていたが、これでは無線の収集も反射もしないと思うが-----
しかしこれで良いなら風の抵抗が少なくて済むので設置費用は少なくて済むだろう。家庭用のBSアンテナも何故この形にならないのか?

               

大平山から山中湖越しの富士山を見たかったが富士山は見えなかった。
この写真は次回越す予定の明神山や三国山方面を写したものです。この山の向こうは静岡県になるのだから富士山一周も山梨県が2/5で静岡県は3/5と位なのだろう。だが中身(魅力)は山梨の方にグウと詰まっている感じだ。

地図で見ると山頂から直接山中湖に下りる道が載っているが見当たらない。小便に行くような薄い踏み跡があるがまさかな? 山頂のベンチにいた夫婦連れに聞くと、どうやらその薄い踏み跡の道が下り道らしい。けど「途中で踏み跡がなくなるから行かないほうがいい」とも言った。ここは忠告に従って山頂の東の下に見えている分岐点を下ることにした。だがその時こうも言った「林道になった所にある道標で林の中に入ると道が分からなくなるので、初めてならそのまま林道を下ったほうのがいい」とも言った。マーそれはその時考えよう。

頂上下の分岐点を右に曲り湖に向け下る。東海自然歩道はこのまま真っ直ぐ次の山に向かっている。ここで東海自然歩道ともお別れになるが、この後も指導票がしっかり付いている事を願うばかりだ。
道は急な下り坂で膝を痛めそうな感じがする。極力勢いを殺して膝に負担が掛からないように下った。どこから林道か分らないが車でも通れそうな道になると、山頂で聞いたように「山中湖へ」と書かれた道標があった。これは山中湖村が作成した道標で、これを見て無視する登山者は居ないだろう。私も山頂で聞いた忠告を無視して林の中に入ることに。
どだいここで道に迷ったところで下ってさえ行けば山中湖にぶつかる。いやその前に湖畔を周遊している車道がある。谷や崖もありそうも無い。道がなくなっても絶対大丈夫!と自分を勇気付け山道に入った。

        

入った当初は道もしっかりしていたし、手製の案内板も所々にあった。そのうち道は落葉が被さり段々薄くなる。それでも前方を見ればビニールテープなどがぶら下がっているので迷う事はない。
何も無い時は自分の判断で進んでいくとまたビニールテープなどが見えてきた。こうして歩いて行くと前方にやけに立派な建物が見えてきた。道らしき踏み跡はこの建物に向かっているのだが敷地の周りには柵がしてあり中には入れない。周りを見るが道らしきものは無い。だがなにやら別の施設がある。近寄ってみると猪のを捕獲する檻が幾つも置いてある。商売で猪を捕獲しているのかな?
その施設の前の方に今度は車道が付いていた。

        

車道を下って行くとペンションがある。何軒かの案内板もあり、それによると先ほどの建物はどうやら宗教関係の建物らしかった。宗教とは迷える人を救うのが目的なのに、迷える人を作ってはいけない。など考えているとニヤニヤしてきてしまった。
湖畔の周遊道路に出た。その先は山中湖だがタイミングよくそこからサイクリグロードが始っていた。ラッキー!

本来はこの辺りから逆さ富士が見えるはずなのに、こんな写真しか写せなかった。尤も細波の立った湖面では例え富士山が見えていても逆さ富士は見えそうも無かったが。

サイクリングロードは途中で終っていた。さてどうしよう、上の車道に出るか、それともこのまま波打ち際を歩いて行くか。こうして一人で歩いていると結構悩む事がある。でも自分の判断で決めて間違っていてもそれは諦めるしかない。人に被けるわけにもいかないし、人から恨まれる事もない。今回も歩けなくなったら薮漕ぎをしてでも車道に出ればいいと波打ち際を進む事にした。
波打ち際が段々狭くなる。上を見ると簡単には登れそうもない斜面になってきた。困ったなー。最後は平らな土の部分はなくなり草の斜面を歩くようになった。少し滑れば水の中。判断を間違ったかと後悔し始めたとき草むらの先に工事中のサイクリングロードが現れた。

 

時間はまだ1時、ゴールの朝日丘はもうすぐだ。気持ちが緩むと足も遅くなる。視線もそこらに散ってのんびりムードになって歩く。
これが昨日のように辺りが暗くなったり、終バスの時間が気なったりしていると速度のギアはトップに入り黙々と歩く事になる。何か目に入っても余程の事でなければ立ち止って見たりはしない。それが今はローギアで何か目に入るとすぐ立ち止ってしまう。
今も白鳥を見つけた。ススキが固まって湖の中に生えている、と写真を撮る余裕があった。

立派な施設の交流プラザに出た。次回は此処からスタートをするので出発地点を確認しなければならない。地図には登山口入りのバス停がある事になっている。あった。交流プラザの出口にそのバス停があった。さてバスは朝あるのか?時刻表を見たが良く分からない。10時ごろ有るには有るが、それが御殿場から接続しているのかどうか。マーいいさ朝日丘のバスターミナルで確認すればいい。

 

湖畔の車道を朝日丘に向かっていると湖岸に紅葉した木が見えた。オッ!今日最後の紅葉があったと思い近づいていくと紅葉は1本だけでなく何本もある。しかもそこには遊歩道があり何人もの人が紅葉を見ながら散策している。
私も遊歩道に入り右に左にと紅葉に誘われるまま、速度をローから2ローに落としてブラブラ歩きになっていた。
看板には山中湖 夕焼けの渚・紅葉まつりとあった。ライトアップの準備もしてあるので夜間も見ることが出来るのだろう。それにしても見事な紅葉だ。今が一番盛りの時季なのかもしれない。

 

対岸には今登ってきた大平山が見える。こうしてみると低くてなだらかな大した山には見えないが、階段が多く結構大変に感じた。富士山こそ清々見えなかったが次回もルートに入れておきたい山だった。

 

紅葉が始って1kmも歩いただろうか、朝日丘に着いた頃は逆に疲れが取れていた。
浅間神社行きのバスを調べたら、まだ1時間もある。ヨシもう一度紅葉を見てこよう。

富士山麓道一周ウォーク3-1

2010-12-09 10:20:18 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 3回目-1  歩行日2010/11/11  距離26.7km  歩行時間6時間6分

北口浅間神社 ― 道の駅 ― 忍野八海 ― 花の都公園 ― 十二曲峠 ― 
    6:55       7:28      8:40        10:00       10:50
              2.5k      5.1k       12.9k       14.8k

飯盛山 ― 大平山 ― 湖北 ― 交流プラザ ― 旭日丘
 11:07    11:30    12:22     13:27      14:20
 26.7k    37.9k    39.8k     43.9k       26.7k

                      花の都公園へ(富士山ドーム)
               

今日は河口湖駅を出発して金鳥居~浅間神社と回る予定だったが、昨日のうちに浅間神社まで歩いてしまったので今日はその浅間さんからの出発になる。
お陰で予定より歩行距離が6kmは短くなった。

                

車中泊で寒くないようにと、寝袋2枚に毛布を重ねて寝たせいか、それとも温泉で暖まったせいか、いやいや焼酎で体の芯から暖めたせいか分らないが、暑すぎるくらい暖かかった。
それでも毛布を剥ぐと寒くなり、慌てて毛布を掛けたりして余り熟睡は出来ていない。
朝の冷え込みがきついせいか寝袋から出ている顔が冷たい。顔を寝袋の中に引っ込めたりして中々起きる気にならなかった。
なにせ今日は6kmも短くなったのだと思うと余計愚図愚図してしまう。
それでも意を決して起きると外の景色が見えない。前も後ろも横も全ての窓が曇ガラスの状態になっていて外の明かりは通すが景色は見えなかった。
二日酔いのせいかなどと思わないでください。これは寒さの所為で窓に付いた夜露が凍ってしまったのです。
昨日も氷が張ったが今日も零度以下になったのだろう。山梨は寒いところだ。

                

道の駅の後ろには富士山がクッキリ見えている。ヨシ!今日も上々の天気だ。やっと気持ちにエンジンが掛かってきた。車のエンジンもさっきからかけて温風を窓に当てているのだが氷が中々融けてこない。お湯さえあれば一発で融けるのだが仕方ない。なーに慌てる事はない、今日は6kmも短くなっているのだから。

サーもう大丈夫だろう。浅間神社に向けて出発だ。
昨日バスの中から見つけておいた「すきや」で朝飯を食べて、コンビニで昼食用の握飯を買おう。そんな予定で朝日が正面から射す眩しい国道139を東に向かった。
先にコンビニがあった。昼飯用の握飯を買っていると朝飯を食べに寄るのが面倒に思えてきた。結局朝飯も握飯にすることにした。

駐車場は、と探しながら走るが、手頃な場所が見当たらないうちに浅間さんに着いてしまった。仕方ない、この参拝者用の駐車場に無断駐車をしてしまおう。と駐車場の隅に車を止める。
と書けば少しは遠慮があるみたいだが、実際は昨日この駐車場を見たときから心の中はほぼ決まっていた。余り参拝客も多そうでないし、平日なのだから無断駐車しても迷惑にはならないだろうと。
昨日芝桜園で冷や汗を掻いたのに、既にその事を忘れてしまっている。本当に困った高齢者だ。私の反省は反省にならないと、また反省をした。

朝6時55分予定より大分遅れて浅間神社を出発。
神社の前にバス停のある事を確認したが今日のゴールの朝日丘から来るバスの時間は分らなかった。でも余り遅くならなければ何となるだろう。ここは観光地なのだから大丈夫。

神社の前には更に静岡県では決してお目に掛かれない物があった。それは除雪機の展示場だ。耕運機の耕す部分を平らな橇状の物をつけた除雪機が何台か置いてあった。
風花を雪だ!と言って喜ぶ静岡県と、富士山を挟んだお隣の山梨県では除雪機を売っている。なんと言う違いだろう。

国道を道の駅に向かって歩いていると東海自然歩道の標識があった。ただその標識は浅間神社の方向を国道でなく脇の細い道を指していた。地図で確認すると確かに東海自然歩道は浅間神社から細い道を歩いて国道を横断するようになっている。どうやら道の駅には寄らないようだ。
私は道の駅には用は無いが、その隣に建っている富士山ドーム館を見てみたい。暫くの間は東海自然歩道は無視しよう。

 

この富士山レーダドーム館にあるドームは、富士山頂の測候所の気象レーダドームを取り外して、ここに設置してあるそうだ。今まで富士山には何度となく登ってそのドームを見ていたので懐かしい気持ちもあった。
しかし今年も剣ヶ峰に登ったが、そこには測候所の建物があったのは憶えているがドームとなるとどうだったのだろう憶えていない。何でも興味を持つくせにそんな大事な事を忘れてしまうなんて年を取ったものだ。
その時の写真を確認すると、ガスでハッキリしないがドームがあった所は丸い感じ建物があるがドームは写っていなかった。
ヨシ!来年再度海から剣ヶ峰を目指すのでそのとき確認しよう。

このドームを見ていると静岡県人いや御殿場出身者として一言言いたくなった。
それは富士山頂のドームが何故山梨県の此処に有るのかという事だ。大体剣ヶ峰はどこにあると思いますか、勿論富士山頂ですが、その山頂の南側に剣ヶ峰はあります。
現在山頂は静岡県でも山梨県のどちらの物でもなく浅間神社に属していますが、少し地図を見てください。その地図の書かれている県境を山頂まで延長すると----どうですか?剣ヶ峰はどちらに属しましたか。
大雑把に言ってしまえば富士山の北半分は山梨県。南半分は静岡県だと言うことが分ると思います。
その延長線が今盛んに言われている朝鮮半島の北方限界線(NLL)のように曲っている? いえそんな事はありません。それが証拠に山頂南側にある郵便局は富士宮が、かってあった電話局は御殿場電話局が管理していました。
まだあります。そもそも山頂の測候所は御殿場測候所の出先機関で、山頂で必要となる資材や食料など全ては御殿場で行ってきました。ブルトーザーの登れない冬は御殿場口から強力の肩により補充されていたのです。
それが山頂のドームを山梨県側に払い下げるなど考えら無い事です。
もっともこのドームの払い下げの陳情合戦に静岡県や御殿場市が加わっていたのかどうか知らない私がここで声を張り上げての仕方の無いことですが-------

ドーム館の前にあった池の水が凍っていた。はっきり分るように紙を氷の上に置いてパチリ。

国道を東に進み忍野入口の交差点を左折する。暫く行き橋の袂の細い道をが東海自然歩道になっていたので入っていく。暫く山道を歩き車道に出るとその先は工事中で通行止めになっていた。歩行者も通行止めで迂回路は大分遠回りの道が設定されていて、こんな事なら車道を歩いたのが良かったかと後悔もした。
それに東海自然歩道は忍野八海には寄らないので注意しないといけない。どちらかと言えば湖より忍野八海からの眺めの方が好きな私には忍野八海を素通りは出来ない。

 

早速向井順吉的景色が目に入ってきた。ここ忍野からの風景は懐かしい日本的な郷愁を呼び覚ましてくれる。古い民家に雪を被った富士山。それだけで景色になるのに、ここには更に清らかな水がある。ここで写した写真は誰が撮ってももそれなりの写真になる。

 

鏡池に写った富士山や、お供え物がのった双体の道祖神と富士山。見て回っていて嬉しくなってくる。
それにしても外国人の観光客が多いこと。言葉のニュアンスからして韓国人のようだが、土産物屋や普通の民家だろうがお構い無しに敷地内に入って写真を写している。添乗員は居るの居ないのか分からなかったが、そのうち苦情が出てこないか心配だ。
どこの国の人間もカメラを持つと図々しくなってしまうのか? 日本人も一等地に三脚を据えて梃子でも動かないといった感じの人をよく見かけることがあるし、立入禁止の花畑に入って写真を写す人もいる。困ったものだ。オット他人のことは言えない参拝者用の駐車場に無断駐車してきた人間は。

 

花の都公園の手前にハリモミ(針樅)の純林がある。国指定の天然記念物で貴重な自然だという。歩道は車道の横に設けられて歩きやすいが、どちらかと言えばこの純林の中に遊歩道を付けてくれた方のがありがたい。ともかく真っ直ぐな道が林の中を突っ切っていた。

             

花の都公園は残念ながら花の一輪も咲いていなかった。この公園が出来たばかりに来た時、チューリップを始め色々な花々の後ろに富士山が見えた風景を忘れる事が出来ない。そのうち人気がでて有料の駐車場や施設が出来たが何故か花の咲いているときに出合えない。端境期にぶつかってしまうのだろう。今日もまたその端境期なのか諦めるしかないな。
次回の花を求めて富士山一周の時ここへは5月上旬に来ることにしよう。そうすれば間違いなく花が咲いているだろう。

富士山に少し雲が掛かりだした。

富士山麓道一周ウォーク2-4

2010-12-07 13:45:14 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 2回目-4  歩行日2010/11/10  距離43.9km  歩行時間9時間26分

県境 ― 本栖湖 ― 民宿村 ― 氷穴 ― 紅葉台 ― 三湖台 ― 足和田山 ―
 6:15    7:33     8:50     10:50    11:22     11:52     12:42
        5.7k     11.3k    19.2k    21.3k     21.9k     24.9k

一本木 ― 浅間神社 ― 金鳥居 ― 河口湖駅
 13:32     15:50     16:23     17:08
 26.7k     37.9k     39.8k     43.9k

                        河口湖駅へ(車中泊)
               

さてどうしよう。時間はまだ早いのでゴールを延ばして浅間神社まで行ってしまおうか。それとも浅間神社に先に行ってから河口湖駅に戻ろうか。
何しろ今日は県境に車を置いてあるので、そこまでは戻らなければならない。それには河口湖駅を最終の6時のバスに必ず乗る必要がある。さてどうしたものか。

結局河口湖に行ってから浅間神社に行き河口湖駅に戻るとなると終バスの時間に間に合わない恐れがありそうだ。それなら何回も行った事のある河口湖はやめにして先に浅間神社に行ってから河口湖駅に行く事にした。
ただ一つ不安が残った。昨夜調べたコースは河口湖のコースだけで浅間神社へ直接いくコ-スは調べてない。地図も山と高原の50000分の地図しか持っていない。大丈夫かな?
しかしこのコースは東海自然歩道にあたるので標識がしっかりしているだろう。と二つの思惑が交差する。その迷いを分ったかの如く東海自然歩道の標識が建っていた。
これでは東海自然歩道を歩くしかないと標識の指す方向に歩き出した。

ともかく標識があるまで道なりに進むしかない。注意深く歩いた積りだが東海自然歩道の標識は見当たらなかった。そのうち太めの道(県道714)を横断しそろそろ右に曲らないと思って更に注意して歩いたが標識は無い。
段々不安になってきたが、この辺りは右にある富士山の方に行かなければ迷ってもどうという事はない。その手前には国道139号が走っているから必ず気付くはずだ。また左に行き過ぎれば河口湖があるので何とかなるだろ。と気持ちを落ち着かせながら歩いていた。
結局それが悪かった。自信が無いのに距離ばかり延ばしてしまった後で不安に負けて庭仕事をしていた人に「浅間さんは、こっちでいいですか?」と聞くと
「浅間神社ですか?チョット分かりにくい道に入ってしまったけど、この道を真っ直ぐ行って太い道を横断して湖に出たら、そこでまた聞いてください。浅間神社はその近くにありますから」と言う。
「エッ湖の近くに浅間神社ですか?確か浅間さんは国道沿いにある筈ですけど」と地図を見せながら聞く
「お宅の言っている浅間神社は富士吉田の浅間神社ですか?そこはまだまだズート先だ。こっちにある浅間神社は御室浅間神社です」
あーあ情けない、富士山の原生林の中に入ってしまうのを恐れる余り、反対側の河口湖の方向に来てしまっている。すっかりお手上げの状態で相手に地図を渡してこの道を歩いて富士吉田の浅間さんに行きたいのですが」と改めて聞いた。
その時たまたま私が指した場所に菊水電子と言う名の会社と勝山の交差点が載っていた。
「あー菊水電子ならこの2本先の太い道を左に行けばあるよ。その先に国道の勝山の交差点があるから東海自然歩道はそこで聞いてみるといい」と言うことになった。

家に帰りGPSの経路を調べてみると県道714に出る前に石油店の所を右折して県道に出る。そこを横断するれば難なく東海自然報道を歩く事ができた。矢張り先を急ぐ旅では道をしっかり調べてないと間違いの元になることが良く分かった。

               

それにしても遠かった。一本木に降りて富士急ハイランドが見えるまでに1時間45分も掛かってしまった。こうなると横に見える富士ビジターセンターによっている時間は無い。少し疲れたが浅間さんまで頑張ろう。
そうそう思い出した。さっき道を聞いたとき私は「浅間さん」と言ったが山梨の人は「浅間神社」と言い直していた。どうやら山梨県では尊敬をこめて浅間神社と言い、静岡では親しみをこめて浅間さんと呼ぶのが多そうだ。その浅間さんに3時50分到着。

 

杉並木の参道は既に夕方の暗さを増してきていて終バスを気にしている私の気を逸らせる。
ここの浅間さんは北口本宮富士浅間神社と呼ぶらしい。富士宮の浅間さんは明るく富士山も見え広々としているが、ここは杉並木に囲まれ古色蒼然としている。

              

境内には紅葉したモミジが色を添えていた。
今日ここまで来てしまったから明日はここから歩きたい。どこか車を止める場所は無いかと物色しながら歩くが適当な所は見つからなかった。
神社の駐車場は9時からとなっていて更に参拝者に限ると書いてある。最悪有料駐車場に止めるからいいと思っても、その駐車場が無い。
今悩んでも仕方ない。明日の朝ここへ来てもう一度探そう。どうしても無かったら神社の駐車場に止めてしまえ。と勝手に考えた。

 

次の目的地は金鳥居だ。浅間さんの前の道を北に下って行った所にある。それにしてもこの道は何故浅間さんの正面参道に繋がっていないのだろう?まさか神社なのに敵の攻撃を防ぐ為に枡形にしたとは思えない。何か理由があるはずだろうが調べたがわからなかった。

写真はこの通りに散在している御師(おし)の家(宿坊)です。
「御師とは富士山の登拝客へ宿泊や登山の世話をし、更に祈祷をして神との仲立ちをする人の事を言い。その宿坊を御師の家と呼んでいる」と書いてあった。
こんな制度は富士宮や御殿場では聞いた事は無いのでここ独自の物だろう。浅間神社の格は富士宮方が高いが、実際の利用度は今も昔も、こちら富士吉田の方が多い。

ただ少し疑問に感じる事がある。江戸時代の頃、江戸から富士山に登るのに一番近い登山口はどこだったのだろう。精進湖、船津、吉田、須走、御殿場、富士宮のうち精進湖と船津は吉田より遠いので除いて。富士宮も御殿場や須走より江戸から離れているので除外。残りは吉田、須走、御殿場の三つになる。
御殿場口は現在では砂走りが長く、バスが上まで行っていないので専ら下山口となっているが、宝永山が噴火するする前は他の口と替わらなかったと思われる。
地図で見ると直線距離では御殿場が一番近そうだが昔の街道を加味すると鎌倉往還が浅間神社の横を通っている須走りが一番近かったと思われる。なのに須走口は登山道としては賑った形跡は無い。また浅間神社も他と比べると規模は小さい。
吉田口は中山道を歩いてくるとなると須走や御殿場より若干遠い感じがする。
なのにこの違いはどこからきたのか?吉田の北口、須走・御殿場の東口が影響したのか。それとも江戸からの方角に意味があったのか。
何かしら理由があったのだろうが私には分らなかった。

こんな事を考えているから一日40kも歩けるのだろう。余り意味の無いことでも空想していると時間が建つのも早いし疲れも一時忘れられる。
もう金鳥居に着いた。

               

さすが有名だけの事はある。鳥居の中に富士山がスッポリ入るロケーションはここだけだろう。御師たちの拘りが感じられた。

               

河口湖駅に5時8分に到着。距離は43.9km。道を間違わなければ40km以下で済んだろう。
サーここから富士宮行きのバスに乗って県境で降りる。そこから車に乗って139号線にある道の駅成沢で車中泊をしようと思っている。
大分冷え込んできて駅の外には寒くていられない。暖房の効いた待合室で1時間を潰さなければ。

途中でホカ弁を買って道の駅に到着。まずは道の駅の裏手にある日帰り入浴に入ることにした。県境からここまで来る途中の道路の温度計はすでに3℃になっていた。この分では明日の朝は今朝と同じように氷が張るだろう。寒くて寝れないと困るので温泉で体を温めて、その後ホカ弁をつまみに焼酎で体の芯から温める魂胆だ。

まずゆらりと名の付いた日帰り温泉に。タカ! 1200円だって。静岡では1000円以下が普通なのに千円を越すなんて、観光地料金なのだろう。たった200円でもこういう時は不思議とケチになる。でも仕方ない1200円払って入ることにした。体を温めなければ。
富士眺望の湯と書いてあったが夜のため何も見えない。温泉の色も分らず匂いもしない。それでも元を取ろうとしっかり湯に浸かり体を温めました。

温泉の駐車場から道の駅の駐車場に移動。余り暗いところは嫌だし便所に近い所がいいと物色しながら走る。誰も考える事は同じなのか灯の届く範囲内に車が10台前後停まっていた。どの車も隣の車と間隔を開けて停まっている。私も真似ををして間隔を開けて駐車。
酒を飲む前に寝る準備をしておこうと、寝袋2枚と毛布をセットしてから宴会を始めた。

富士山麓道一周ウォーク2-3

2010-12-06 15:26:12 | 富士山
「富士山麓道一周ウォーク」
 2回目-3  歩行日2010/11/10  距離43.9km  歩行時間9時間26分

県境 ― 本栖湖 ― 民宿村 ― 氷穴 ― 紅葉台 ― 三湖台 ― 足和田山 ―
 6:15    7:33     8:50     10:50    11:22     11:52     12:42
        5.7k     11.3k    19.2k    21.3k     21.9k     24.9k

一本木 ― 浅間神社 ― 金鳥居 ― 河口湖駅
 13:32     15:50     16:23     17:08
 26.7k     37.9k     39.8k     43.9k

                        足和田山へ(紅葉台)
               

氷穴を過ぎ暫く行くと、また国道の下を潜るガードがあった。
このガードを潜ると道は登りになり回りの木も種類が一変した。
綺麗に紅葉した木々が見えだし、まるでガードが樹海の入口と出口のような感じだ。



山道の正面には紅葉した木が覆いかぶさっている。
どうですアップにしても中々な物でしょう。

 

紅葉台らしき広場についた。赤く紅葉した木の後ろには富士山が。そしてその横には黄葉の後ろにと、まるで衣装替えしたが如くの有様だ。
そう、この景色を見たくて日程を調整したが大成功だった。

それにしても氷穴から紅葉台まで随分早く着いてしまった。予定では35分程度をみていたが15分程度で着いてしまったのだ。
この調子で行けばゴールの河口湖には余裕を持って到着しそうだ。

 

茶店のある三湖台に着くと平日なのに観光客が大勢いた。どうやらここまで車で来る事が出来るらしい。
足を使わず車で排気ガスを撒き散らしているのに自然だ!紅葉だ!とアウトドアを求めている人達だ。オットそんな事を言っては駄目だ。私だって去年までは車に乗って紅葉狩りをしていたのだから。

景色を期待していたのに茶店が邪魔をして展望が余り良くない。すると茶店の入口に「展望台へ入れます」といった張り紙があった。何も買う物は無いが行くだけ行ってみようと茶店の中に入ると展望台に続く階段には係員が。
何と屋上の展望台に上がるには150円(200円)を払わなければならない。
今更引き返すのも嫌なのでお金を払って屋上に行った。

 

西の方向に本栖湖と精進湖が見える。あの畔を今歩いてきたかと思うと嬉しくなり、目を凝らして何か見覚えのあるものが無いかと見るが、見えるはずも無い。
               

そして南には樹海を懐に抱いた富士山が聳えている。
お金を払う時は少し嫌な気もしたが、このような景色が見えて満足してしまった。
ただチョット気になった。入るとき受け取った手書きの案内板の中央に紅葉台と書いてあり、三湖台は東の方に書いてある。エッ!ここは三湖台でなく紅葉台なのか?
時間を見ると紅葉台と思った所から10分で着いている。予定では紅葉台~三湖台までは20分は掛かるとみてある。
変だなー? さっき紅葉台と思った所には確か紅葉台と書かれた杭が建っていた。そこには標高まで書いてあったと思ったが?。あれは何だったのだろう。それとも私の見間違えか。
腑に落ちないまま案内板を返す時「ここは紅葉台ですか?」と確認すると、間違いなく紅葉台だった。
すっかり三湖台と思っていたので少し損をしたように感じた。

 

紅葉台から三湖台までの道は歩く人が大分少なくなった。どうやら歩く人も紅葉台で引き返す人が多いようだ。
三湖台とは富士五湖のうち三つの湖が見えるので名付けたのだろうが、どこの湖が見えたのだろうか? 真下に見えたのは西湖とするとあと二つは本栖湖と精進湖なのか。次回春に登った時はしっかり確認しておこう。
三湖台の頂上は禿山状態になっていて、人も少なく紅葉台と違ってのんびりした山頂でした。

            

足和田山に12時42分に到着。予定ではここに13時50分の予定だから1時間も早まっている。これは歩く速度が早くなったのではなく、紅葉台や三湖台での休憩や昼飯時間が短くなっているせいだ。
団体のウォーキングだと昼飯は1時間取るが1人だと30分もあれば充分だ。それだけ疲れが蓄積されるのかもしれないが、やる事もなく座っているのも面白くない。それならゆっくりでも歩いていようと、どうしても早めの出発になってしまう。と言って予定から休憩時間を短くしてしまうと、特に山歩きの時は何か起きた時に時間の余裕がなくなってしまう。そんな訳で今回も余裕のある時間設定にしてある。

ところでここ足和田山は最近では五湖台と称しているらしい。三湖台の向こうを張って、富士五湖全部が見えますよと言いたいのだろうが余りにオーバーな名前で、実際に登った人はガッカリしてしまうだろう。山頂には三角点もあり、また展望台も設備されている。
だが紅葉台、三湖台と見てきた目には、ここの景色は一段も二段も落ちているように感じるのは私だけではないだろう。

             

足和田山から急な坂を下って一本木登山口に下山をする。その入口には何と写真のような扉があった。そこの張り紙には「登山者へ この扉猪・鹿や猿が集落に進入しないための扉です。扉を開けたら必ず閉めてください」と書いてあった。

時間は今1時半。このまま10k先の河口湖ゴールでは早すぎる。終バスの予定は6時なので時間はまだ十二分にある。さてどうしよう-------